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『広告業界就職フォーラム2011』『マスコミ就職フォーラム2011』最新情報

2009年10月25日(日)開催予定の『マスコミ就職フォーラム2011』、2009年10月4日(日)開催予定の『広告業界就職フォーラム2011』最新情報を掲載します。またマスコミ、広告業界への就職への質問などがありましたら、何でもお気軽に書いていってくださいね!

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9/23当日の進行について / 広告労協F [ Mail ]
9/23当日の進行は現在調整中ですが、
例年実績からすると、およそ次のような形となります。

1.主催者挨拶

2.報道職パネルディスカッション(60分位)
→新聞社・通信社・放送局

3.制作職パネルディスカッション(60分位)
→出版社・番組制作会社

4.広告・営業職パネルディスカッション(60分位)
   →広告代理店、新聞社(広告・事業)
No.3 - 2008/09/06(Sat) 23:00:24

Re: 9/23当日の進行について / 挨拶専用85 [関東] [ Home ] [ Mail ]
はじめまして、第4部の「広告・営業職パネルディスカッション」進行役を務める予定の者です。簡単に自己紹介をしておきますね。

1985年 大手広告会社九州支社SP部
1987年 同上 営業部
1988年 東京本社 営業局
2003年 社内シンクタンク
2004年 営業本部 計画室
2007年 スポーツイベント会社に出向中

という経歴なので、広く浅く何でもお話できると思います。ご質問も歓迎いたします。では!
No.4 - 2008/09/10(Wed) 20:54:52

Re: 9/23当日の進行について / 広告労協F [ Mail ]
9/23セミナーの具体的な人選が決定してきましたので、お知らせいたします。

1.主催者挨拶(広告労協代表)

2.報道職パネルディスカッション(60分位)
→朝日新聞社(2名)・NHK、毎日新聞社

3.制作職パネルディスカッション(60分位)
→小学館、主婦と生活社、岩波書店、繊研新聞

4.広告・営業職パネルディスカッション(60分位)
→電通(2名)、クオラス、外資系広告代理店(SP職)、読売新聞社(事業)

5.内定者座談会
→広告代理店内定者3名(女性2名、男性1名)、新聞社内定者2名(各女性)、放送局内定者1名(男性)
No.5 - 2008/09/11(Thu) 16:53:02

Re: 9/23当日の進行について / 外資系広告代理店(SP職)
こんにちは。
外資系広告代理店(SP職)こと、
ス●ライプ0●です。
Fさん、挨拶専用さんご無沙汰してますぅ。
掲示板に書き込みなんて懐かしいw

学生の皆様初めまして!
外資系代理店でプランナーやってます。
当日はパネルディスカッションで
お話させていただきます。
色々質問してくださいね!
女性ならではの疑問も歓迎です!?

いやはや・・・
まさか自分がパネラーさせていただくとは。。。
もうそんな歳になっちゃったかー。
と、自分に苦笑いです(^^;
よろしくお願いします!
No.6 - 2008/09/17(Wed) 13:58:51

Re: 9/23当日の進行について / 挨拶専用85 [ Home ] [ Mail ]
をー、よろしくねー。
と言いたいところなんですが当日司会はなくなりました(泣)ただ、たぶん会場にはいると思うのでご活躍の様子を聞かせていただきます〜
No.7 - 2008/09/17(Wed) 21:53:59

「ス●ライプ0●さん」からコミュニケーション力を学ぼう / 広告労協F [ Mail ]
今回、私自らがス●ライプ0●さん(20代女性)に出演交渉させていただき、パネラーデビューの運びとなりましたが、元々は皆様と同じで、業界に憧れて、就活されていたお一人です。ス●ライプ0●さんは、芯が強く、若いながら、仕事でも自分のやりたい事はしっかりと実現させてきています。社内外問わず管理職クラスとの折衝力はA級。おじさん相手に決してひるみません。また根っからの元気さは周囲を明るくし、常にクイックレスポンスな姿勢にも頭が下がります。このような人なら広告業界内定も納得。9/23フォーラム当日はぜひ注目したいパネラーです。
No.8 - 2008/09/18(Thu) 01:07:55

Re: 9/23当日の進行について / 広告労協F [ Mail ]
■参加申込み状況

参加申込み数は、9/19現在で110名位です。席は充分に余裕がありますので、参加申込みをよろしくお願いします。

■当日受付について

当日受付も行なう予定ですが、これまでの開催例では、入場については、事前申込みの方から先に前列から順に座っていただき、当日受付の皆様はその後からの入場とさせていただいております。ご理解の程よろしくお願いいたします。

■入場開始時間

11時30分開場ですが、準備が出来次第、早めにご入場いただく予定です。

■ホール内での飲食について

食事類をお持ち込みされた場合は、ホール内ではなく、ロビーでお召し上がりください。近隣の大通り沿いにコンビニもあります。

■入場後の外出について

入場後の外出も可能です。
入場後の外出は、パンフが入場券代わりとなります。
No.9 - 2008/09/20(Sat) 01:37:06

Re: 9/23当日の進行について / 挨拶専用85 [関東] [ Home ] [ Mail ]
おはようございます。本日会場ホールにて、広告業界志望の皆さんに拙ブログ『広告業界就職フォーラム』挨拶専用ブログの扉ページ(10P分)を無料で差し上げます。わたくし自身も受付周辺にいますので(たぶん)お気軽に声をおかけくださいね〜
No.11 - 2008/09/23(Tue) 07:15:00
就職フォーラム掲示板開始しました / 広告労協F [関東] [ Mail ]
就職フォーラム掲示板を開始しました
No.1 - 2008/08/31(Sun) 15:48:22

Re: 就職フォーラム掲示板開始しました / 広告労協F [関東] [ Mail ]
ある掲示板に投稿された就職氷河期の方達が当時を振り返ったコメント集です。参考にしてみてください。
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■就職氷河期の記憶
<投稿者:アンブレラ> 2008年6月19日 6:28

就職氷河期を経験した人が、当時どういう悔しさを味わい、それをどうはねかえしてきたか・・・
最近そういう雑誌記事やテレビを見る機会がありました。
こういうのを目にするたびに胸が熱くなります。
氷河期を経験した世代の年齢が上がっていくにつれ、彼ら彼女らの「その後」が取り上げられているのでしょう。

自分も氷河期の古い世代です。就活をやっている者は、お互いライバルだったはずなのですが、ともに大変な目にあっているということで不思議な連帯感がありました。
親切な企業では、その点を見抜いていて、グループ討論のあとに「みなさん討論をして互いに仲良くなったでしょうから、どうぞ情報交換をしてください」と言って採用担当者が退出し、学生たちに場所を開放してくれたこともありました。
私はなんとか正社員に就職できたのですが、不況ど真ん中だったせいもあり、職場の雰囲気がピリピリしていて耐え切れず、現在は派遣で働いています。

当時のエピソードや悔しかったこと、その後悔しさをどう乗り越えたか、あるいは愚痴でもいいので、当時や今の思いのたけを吐き出してみませんか。
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■日本がなくなってしまうとか騒がれてた時代でした
<景気ドン底時代娘> 2008年6月19日 11:12
ドン底もドン底。

今考えれば、なぜあんな危ない橋渡ってる会社に有名大学の女性達が必死に自分を売り込んだり、遠いところまで自腹で新幹線で説明会に行ったりしてたんだろうと思うことがあります。
頭が高〜い!って感じの会社側の態度見え見えでしたね。

しかも気に入らないことに、採用担当をする方々はバブル真っ盛りの頃に、海外旅行や車を買い与えられてお願いされて入社したような甘い世代。
その世代の人達に採用担当されるってのが一番気に入らなかったです・・・。
アンタ達の中で出来の悪い人が辞めてくれたら、優秀な新人の一人でも採用できるだろうよ!!!って。

実際、死に物狂いで就活して正社員として採用していただきましたが、トピ主さんと同じように、入社してからも苦しめられました。
だって景気はドン底ですから。
リストラが珍しくない風潮の世の中で、社内もバラバラのピリピリでした。
福利厚生関連は真っ先に廃止にむかうような状態で。。。

結局非正社員で働いています。
今考えれば、がむしゃらに就活するよりも数年先を見込んで、就職浪人か留学かするのも良かったかもです。
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■「そういうのは就職活動って言わないのよ」って何???
<haru> 2008年6月19日 11:17
世間では名の知れた私立大に進学しましたが、伝統校だけに金持ちの坊ちゃん・嬢ちゃんも多い大学でした。
3年生の正月明けから企業のセミナーやら説明会に参加していましたが、ある嬢ちゃんが、庶民の私たちに向かって一言。
「そういうのは就職活動って言わないのよ。私はパパ(←離婚して別居)の知り合いの重役さんと会食するの。それが本当の就職活動よ」
何ですかそれ???
「今日も○○社の人と会うんだけど、来る?」って言われて「行く〜」とついていった人も???。

我が父もコネはいくつか持っていましたが、「縁故で入ったものは、紹介者の顔をつぶさないようにしなければならない、それはとても厳しいものだ」と言っておりましたので、私は自力で総合職として就職。家庭の事情で退職するまで15年、仕事は厳しくも面白く、達成感に酔うことは得がたい喜びでした。
こつこつ就職活動した友人たちは、今も企業の総合職や公務員で頑張っています。

風の噂では、件のお嬢様は上場企業の一般職に就職したものの、残業が1日2時間もあると言って2年足らずでおやめになったそうです。
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■2000年卒業です・・。
<氷河期真っ只中> 2008年6月19日 11:18
 とにかく何が辛かったかと言えば、資料請求のはがきを送ると企業から「来年度は新卒の募集予定はありません」という返事がきたことです。私が行きたいと思っていた業界は結構多かったですね。それで、その世界は諦めたのですが・・。

 それから圧迫面接。
面接が始まって第一声が
「別にこの仕事やりたくってきたわけじゃないんでしょ?なんとなく受けに来ただけでしょ?」
「他にどんな会社受けてるの?(私が会社名を答える)そんな会社行ったらさ〜、せっかくいい大学に行かせてくれた両親が泣くよ〜?」
なんて言われたり。ほっとけ!って怒鳴りたかったです(笑)

 そしてある会社に入ったのですが、「なんでいい大学出てまでこんな会社に入ったの?」と先輩に言われることが多く、またへこみました・・。
私立文系四大卒なんて、こんなもんなんだよ、って思っていましたけど、今だったら私も違ったのかなぁ、なんて時々考えます。
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■4次まで行っていつも敗退
<soyo> 2008年6月19日 11:30
 私も本当につらい思いをしました。
 小学校から塾に行かされて、中高一貫校、東京の国立へ進み、就職のためにTOEIC800くらいは取りました。でもどこに行っても、まず書類は通る、次の筆記も通る、次の集団面接は半々、最終の1対1面接で必ず落ちるという具合でした。結局就職できたのは総社員5人の会社でした。
 とは言っても、勉強ばっかりしてたので飛び込み営業はヘタだし、その後窓際に配置され、あまりの暇さに苦しくなってやめました。
 その後も2週間で解雇などが多かったです。(「雇ってみてダメだったら切ればいい」など面接時に言われたときもあった。やっぱり2週間で切られた)
 
 その後、仕事もない、結婚相手もいない状況で、28になったとき資格の勉強を始めました。その後30で大学院に進み、留学もさせていただいて、現在博士号を目指してます。ちょうどロストジェネレーションと政府の大学院拡張計画が重なってしまって、無職博士の問題なども出てきてるようですが・・・。でも打ち込むことがある現在が幸せだと思っています。
 就職氷河期だったからこそ作れた自分の道だと思います。
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■今の人たち、うらやましいですねえ。
<モネ> 2008年6月19日 15:59
こんにちは。1998年卒です。私立文系です。地元では一番よい私立大学でした。

何より募集の数が少なかったですね〜。若干名とか?
そして自分の希望していた業種はとてつもなく不況で、特に女子だと募集ゼロなんて多々ありました。

希望していた業種ではありませんが、正社員として採頂き、2年働いた後、諦めきれずに希望業種の関連の資格を取り転職。
現在は結婚して子供もいますが、やはり技術があるということで、とても我侭な就業形態で働かせてもらっています。

昨今の就職状況、羨ましいなあ〜と思いますね。

ただ。。あの氷河期時代を苦しみ、乗り越えてきたからこそ、付いた力もあると思うし、何より会社を当てにするのではなく、自分のスキルを身に付けることが大切だと骨身に染みてわかったことはよかったと思っています。

みなさん、頑張りましょうね。
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■初めての大つまづき
<95年> 2008年6月19日 17:06
受験はわりとうまくいきましたが、95年大学卒業は女子大生超氷河期とマスコミに書かれていたときです。
はがき150枚出したって返事がきたのは、10未満。
内定が1つもないまま、というか面接すらほとんど受けられないまま、大学4年の卒業まで3ヶ月となりました。ある企業の追加募集に応募して、運よく就職できました。

時代が違う人がテレビや雑誌のインタビューで、「よく知らないでなんとなく受けて、就職しました。ははは」なんていう話を聞くと、われわれがうけた就職内定ゲットの厳しさはただの運の悪さで、無駄だと思いました。

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■氷河期ど真ん中でした。
<雲母> 2008年6月19日 19:26
 私も書類通過、筆記通過、一次面接、二次、三次、役員面接までいった会社が十数社あり、健康診断して血までとられて、某公務員試験では体力検査までも通過しておきながら、落ちたときは一切活動を辞めて寝ました。
 吉報は寝てまてということで。忘れかけた秋も小寒くなる頃になかばヤケクソで受験した地元の市役所が受かってしまい、8年勤めました。
バブル世代のチャラチャラした人たちに仕えるのが苦痛で結婚してやめてすっきりリセットした今は、好きな仕事をやれてます。

 本当に不況だったの?ただ単に第二次ベビーブーム世代を排除したかったんじゃないの?って疑問です。
 人口の動向で、社会保険庁の高齢者に対する風当たりも強くなりつつあるのは、第一次ベビーブーマーである人たちが年金を受け取りつつあるからじゃないの? 財政破綻は国の責任でしょうに。
 国会議員を少なくして社保庁も解体してほしい。
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■そもそも可能性ゼロってのが…
<しばっこ> 2008年6月19日 20:04
2000年入社です。

氷河期真っ只中さん(同期ですね)のおっしゃる通り「今年度は採用の予定はありません」の連発が一番ガックリきましたね。
そもそも可能性ゼロじゃん!って、その繰り返し。
こんな私を採用してくれる会社なんてあるのか??と落ち込んだりしました。

幸い何社か内定を頂きまして、入社してみたら平成不況のまっただ中。
人の足りない現場で、足手まといの新人の居場所のない気まずさと言ったらもう。
結婚じゃないけど、就職はゴールじゃないんだなって痛感しましたね。入社するのは確かに大変だったけど、その後の不況でピリピリした社内で一人前になるのはもっと大変。やっと賞与が支給されたと思ったら、バブル世代のイケテナイおじさまが「これっぽっちじゃやる気も出ないよね〜」とグチグチうるさいこと。

いつの時代でも一握りの学生は何社も内定が出るもんですよね。
「氷河期だから」なんて周りのせいにしないで、石にかじりついてでも就職して自活を目指した当時の自分は本当に偉かったと思います。
世間の厳しさを肌で感じた分、仕事への覚悟もできたしね。
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■ホームレス女子大生
<mimi> 2008年6月19日 21:23
大学2年生の夏に滋賀の実家に帰ったとき、母と若い女性を保護しました。
垢まみれのリクルートスーツ、破れたパンプスで歩道にしゃがみこんでいました。
空っぽの財布の中の学生証を見つけてその大学(九州)に連絡しました。
4年生になっても就職先が決まらずノイローゼになって、就活に来ていた大阪から、
滋賀までほとんど歩いて来てしまって途方にくれていたそうです。

私は97年に関東の国立大文学部を卒業しました。
就職は厳しかったです。友達もほとんどが正社員になれませんでした。
母がその女子大生のこともあって、就職難に理解を示してくれて、進学させてくれました。
その後は院生時代のバイト先の会社にそのまま就職し順調にキャリアをかさねています。

私は運がよかったけれど、友達の中には今も派遣社員のまま、ワーキングプアと呼ばれる状態の人もいます。
一歩間違えば私もあの女子大生になっていたかもしれないと、時々こわくなります。
今も時々「就職できない!明日からどうしたらいいの?」と不安に駆られる夢を見ます。
飛び起きて現在に感謝しています。
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■2003年卒です。
<たま> 2008年6月19日 21:35
就職氷河期も終盤、ドン底気分の就活でした。兄は5ツ上なので、兄弟でこの時代を過ごしました。
ことごとく落とされました。何社か最終面接まで行けても落ち、自信を失いました。。男友達でも早くて5月内定、女友達は夏が過ぎても多数が未内定でした。ある会社の説明会終了後、『このあと一時面接を予定していますが、女性は一切採用しません。それでも受けたいならお好きにどうぞ』なんて言われてショックでした。
会社に何も期待しない、自分の力でやりたいことをする!と決め、新卒で入った会社に見切りをつけ、今は目標を見つけてそのために派遣で働いています。
負け組なんてない、会社の枠でとらわれない、自分らしい生き方ができていると実感しています。
今の学生さんは楽しそうですね。
でもあの挫折があったからこそ、自力で切り開く力がついたのだと、感謝しています。
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■全てに共感!
<りり> 2008年6月19日 22:58
皆さんのお話に「そうそう!」とうなずきながら読んでいました。

私は某国立大学を2000年卒業しましたが、希望業界からは「今年の採用はありません」との回答。
周囲で内定がとれるのはコネの人ばかりで、圧迫面接を受けた経験有り。
ものすごく頑張ってなんとか内定を2つとったものの、OJTの名の下にろくに教育もしてもらえず、使えないバブル世代のしわよせをくらうこともしょっちゅう。
結局身体を壊して断念。周囲でも過労で鬱になって退社、という話もちらほら…。

その後たまたまタイミングが合って結婚することになり、こうなったらいっそ会社やら就職やらにとらわれず自由に生きてやろうと好きなように人生を謳歌しました。
結果、結婚した相手は幸いにして当たり。
自由な時間に勉強して国家資格を取り、新しい一歩を踏み出せました。
今ではこの道でよかったとようやく思えるようになりましたが、ここに至るまでやはり納得のいかないことは多かったです。

特に、仕事の募集で「経験者のみ」の文言をみると腹がたちましたね。
最初のチャンスを与えられない人はいつまでたっても何もできないってこと!?って。

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■悔しかったなぁ。。。
<あや> 2008年6月19日 23:11
実家が事業をやっているので、父親の職業を聞かれて「なんでそこで就職しないの?」っていうのが一番イヤでしたね。
上場企業から個人事務所までありとあらゆるところを受けましたが、全部ダメでした。

幸いアルバイトでもぐりこんだ会社から正式採用され、正社員として7年働きましたが、その後実家の事業で人手不足になり、泣く泣く辞めました。

今では逆の立場になり採用する側になりましたが、親の職業なんかは聞いてはいけないリストのトップに載っている事をその時初めて知りました。
後で「上場企業の採用人事やっててその程度のことも知らないなんて、やっぱりバブル世代はレベル低いわね」と思っています。

でも夫はバブル世代です(笑)話を聞くと3回生になったら資料請求なんかしなくても山のように届いたとか、内定前にフランス料理をごちそうになったり、面接に行っただけで交通費1万円とかうらやましい限りです。

第二次ベビーブーマーって受験で苦労して、就職で苦労して・・・いいことなかったです。
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■苦労しました
<さとこ> 2008年6月19日 23:45
私も苦労しました。
受験でも一番厳しい年代で、大学入学後に本格的にバブル崩壊。
こんなハズではなかった・・・・が続きました。

志望していた私企業で次々と落とされ、
誰も知らないような会社にも受からず、卒業してしまいました。
周りはどうにかこうにか滑り込んでいて、卒業式はつらかったなぁ〜。
明確な目標がなかったのではあるのですが。

その後、こんな苦しみを二度と味わいたくない、と1から勉強して
公務員になりました。
今の時代、公務員も思ったより大変で残業ばかりしていますが
何とか家事と両立させています。
苦労したぶん、労働のありがたみも実感しているつもりです。

ちょっと上の世代はバブルなので、年は近くても価値観が違いますね。
彼らは公務員なんて人気ありませんでしたし、美味しい思いをたくさんしてきた世代。
でもやはり氷河期世代は優秀だと内外から言われますよ。
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■就職氷河期2期生
<ろん> 2008年6月20日 2:10
にも関わらず、業界ではかなり有名な会社に、就職が内定。
皆でお祝いをしてもらいました。
私の主人(当時は彼氏)も、1期生にも関わらず就職していたので、何だか万々歳な感じで♪

しかし卒業前のある日、内定者親睦会というものが設けられました。
案内状に記された日に、予定された場所に行くと、「会社にお問い合わせ下さい」と
お店の方の言葉。電話を掛けると、何と次の日に変更との事。
卒業前の超多忙な時期だった為欠席した私は、なんと内定取り消し!
振るいに掛けたんですね・・・

結局は、同業他社にバイトとして雇って頂いたものの怒り冷め遣らず、
数年後独立しました。いつかは追い抜いてやる、なんて思いながらね。
所詮、無理な話ですが。

そういえばあの会社、私が一緒に受けた人達に訴えられたけれど、その後訴えた人達は
どうなったんでしょう・・・会社は今も、立派に立っています。
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■「終身雇用も好景気もあてにならない。
<はらグロテスク> 2008年6月20日 3:11
他の方も仰るように、
「今年度は採用の予定はありません」の連発でしたね。
就職できればどこでもよい、とさえ思った。

で、世間知らずも手伝って、最初の就職先の選択を間違えた(涙)
痛い思いを沢山して、軌道修正(転職)するのも大変だったー。
恋人ともすれ違って、人生であんなに悲惨な時期はもうないと思う。

でも、社会に出てすぐに大きく転んだからこそ、
その後の人生をじーーーっくりと考えさせられましたわ。

転職後も、業績悪化だリストラだ、って
自分の上司や同僚が会社を去っていくのを目の当たりにしたし、
ピリピリした雰囲気や、いつか自分も?!っていう不安感も
きつかったけど、不安がバネになって、自分に力をつけないと!って
すっごくタフになれたかも。

氷河期がスタートだったからか、仕事にガツガツしてた気がするけど、
人生の方向性をよーく考え直した分、その後の選択肢は増えた気がする。

過去の邪魔な栄光がない分、身軽でいられるし。
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■そんなに大変だったかな?
<昭和53年生まれ> 2008年6月20日 8:45
私大文系をストレートで卒業したので、いわゆる超氷河期でしたが内定は
4つほどいただけましたよ。もともと中小企業希望だったので3つが社員が1000人ほど、一つは3000人くらいの普通の会社です。
大学も偏差値60程度のところです。

今現在の就職活動を新卒という名目でしたことがないので、現状の難度は分かりませんが当時も「結構大変だ」位にしか感じませんでした。

氷河期時代の派遣・フリーターが問題になっていますが私の周りには一人もいないので、正直努力不足ではと思います。
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■96年組
<ぴっぴこ>2008年6月20日 10:00
96年入社です。第二次ベビーブームの世代が一斉に大学を卒業した年ですね。
思い出せば辛かった。周りがどんどん内定をもらっていく中、自分が内定をもらったのは卒業3ヶ月前でした。
面接を受けていると、嫌な思いも沢山しますよね。
就職活動は辛かったけど、不況に陥っている社会に出てからの方がもっと大変だったかも。
何かと恵まれない世代ですよね。
でもあの時代を乗り切れたのだから、きっとこの先どんな状況でもたくましく立ち向かえるのではないか、とも思います。
何より、自分が誇れるのは同期の仲間達です。
コネ入社は別として、最近多い甘ったれな自己中人間は一人もいませんでした。
だって、先輩に追いつく為に必死でしたもん。
当時の仲間は他企業へ転職してバラバラになりましたが、各所で活躍している噂を耳にします。
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■暗い年月でした
<ふらふらだんす>2008年6月20日 14:14
どんな時代でも、優秀な人は良い会社に就職できるものです。
氷河期に最もワリを食ったのは、そういった「優秀な人」を除いた「普通の人」ではないですかね。
時代が違えば、「普通の人」でも普通に就職できて、安定した生活を送ることができたけど、氷河期だと普通ではダメなんですよね。
本人の才能、運、スキルなどなど、何かが普通以上でなければ就職できない。
就職しても、ものすごいこき使われ方(これは今の新卒も同じかな)で長続きせず、一度やめると不景気のせいで正社員に戻れない。
仕方なく非正規雇用で働く。
年齢が上がってきて、さらに正社員になりにくくなる。
リストラも多かったですしね。
私は30代前半ですが、周囲の友人は正社員率20%くらいです。
国立大やら有名私大やら出てても、いわゆる「オフィスワーク」に就けた人はほとんどいません。
私は1度目の就職に失敗し、運良く第二新卒で入社した今の会社にしがみついています。
でも、あと3年くらい生まれるのが遅ければ、今の会社にも入れなかっただろうと思います。
自分の会社見てても、今28〜30歳くらいの人が入社に一番苦労していた気がします。
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■昭和53年生まれさんへ
<よいこ> 2008年6月20日 16:56
その年代なら就職が楽になっていた時期ですよ。

大学職員をしていますが、51年生まれくらいの学年までと、その後は手ごたえがぜんぜん違いました。

それから超一流ではない私立大学の学生さんはラッキーですよ、就職の支援がしっかりしています。特に文系は。

就職率が悪かったら受験生が集りませんから、大学側も本気です。

国公立大は生徒が集りますから、就職支援は手抜きです。

大学の選択によって差が出てしまう現実を受験生さんに知ってもらいたいというか、

そこまで考えて欲しいと常々思っています。

HPに就職状況がちゃんと出ているのに、名前とか偏差値で大学選ぶんですよね・・・。
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■まともにアオリを喰らいました
<ゆうか> 2008年6月20日 20:49
大学を卒業したのが2000年でその後2年専門学校へ進学しました
私の場合、大学が文系でやりたい仕事が技術職だったのでそのとき就職はしなかったのですが、不景気は十分にわかっていたので、2年後就職する頃にはマシになっていればいいな…と思っていましたが
結局駄目でした
卒業後、その就活しても希望職種には就けず、でも諦められずなんとしてもそのうち転職してやる、その為には同業界にいなくては!と前向きに考えて希望とは全然違うことからはいりました
希望はインテリア、現実は土木系(苦笑)
その後結婚退職、転職、派遣と色々あって、卒業から6年たった現在、漸く希望方向で正社員で働き始めました
インテリアではなく設計なのですが、私はそもそも設計希望でしたが理数が苦手でインテリアに進んだクチなので、回りまわって結局設計に来ることができました

とりあえず不遇の時代はキャリアを積んでその後に備える!と考えていましたよ。前向きに来た結果、今はやりたい仕事に就くことができました
ただ、年齢的に限界を感じていたのも確かでそろそろ別業界で腰を落ち着けないと駄目なのかと覚悟は決めていましたが
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■昭和51年生まれです
<めせにー>2008年6月20日 21:07
当時の就職活動で何となく印象に残っているのは、どこの会社も採用試験は一応するけれど「形だけ」というのがバレバレでした。
採用する気まったくなし、という態度が結構きつかったです。

唯一「あなたを必要としています。ぜひうちに来てほしい」と言われた会社に内定をもらい(10月くらいでした)、そこに就職できました。ラッキーだったと思います。
友人の中には卒業後から今まで一度も正社員として勤務したことのない人が何人かいますね。
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■2000年卒がドン底です
<妊娠8ヶ月> 2008年6月20日 21:13
昭和52年生まれの2000年4大卒です。
就職浪人した先輩は「去年の方がずっと良かった」と言い、留年した同期は「マシになってきたよ」と言ってたから、本当の底の底だったと思います。

行きたい企業は採用ナシとの返事で、聞いたこともないような中小企業も視野に入れ、一生懸命就職活動をしましたが、たくさん落ちましたね〜

幸い、GW明けには希望業種から正社員の内定をもらいましたが、入社してみると事務希望だったのに営業をやらされ、2年後には転職しました。
転職活動中は、新卒の時には筆記試験を受けることすらさせてもらえなかった企業に簡単に面接とかまでいけて、なんて楽なんだろうと思いました。

でも就職活動よりもつらかったのは、同世代で結婚相手を見つけようと思っても、正社員として勤めてる人の割合が非常に低いことです。同世代の男の人は、アジアへのバックパッカーが多かったり、夢を追って漫画家になるとか小説家になるとか、とにかく定職に就いてない人が多くて、私の勤めている会社では結婚や妊娠をすると女性は退職する社風だったので、ずっと働き続けられる職場を転職先に選びました。
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■昭和53年生まれさんへ
<やれやれ>2008年6月20日 22:53
このへんは1年違いで大違いでしたよね。
昭和53年生まれの方が卒業された時は、確か一時期採用が
回復した時期だったかと思われます。

男子と女子。都市部と地方(極端に言えば、東京とそれ以外)。
実家と一人暮らし等で全然状況は変わってきます。
また、本人の希望や目標が高い人ほど、低い人より必然的に
苦労することになります。

それを一概に「本人の努力不足」と決めつけるのはあまりに
視野が狭く、大きな勘違いにつながると思いますよ?

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■昭和49年生まれ
<リスモ> 2008年6月20日 23:16
超氷河期でした
この頃は明らかに差別が横行していて

・ 男性も一人暮らしは就職に不利
・ 女性は実家通勤が絶対条件
・ 出身が東京・大阪若しくは近郊

今ではあり得ないような事がまかり通っていました
その為に、一人暮らしの人の中には
就職活動の時期にマンションを引き払い
内定が出るまで親戚の家で間借りさせてもらっていた人も珍しくありませんでした
しかし内定が出ても
入社してから一人暮らしをしないように誓約書を提出させられる人もいました
(誰もが知る超一流企業です)

あと、同じ企業なのに男女でセミナーなど会場を完全に分ける企業
他にも出身大学で会場を分ける企業なんていうのもありました
今では数が減りつつある、強力なコネに至っては
恐ろしいほどの金銭が飛び交っているような時代です

と、今ではあり得ない事を、東証一部上場企業が平気で行っていました

コンプライアンスなんて言葉も無いし
氷河期問題が深刻な社会問題化する前だったので
企業の横暴に振り回され、悲惨な時代でした
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■2001年卒です
<ルサンチマン> 2008年6月21日 3:01
名前の通った大学に通っていたので、「どこでもいい」と割り切れば内定は出ました。
そうは言ってもブラック企業みたいな所には入りたくないし、学んできた事と全く関係ない職につくのも切ない。
とか何とか言っていると就職活動は難航を極め、最初に内定が出たのが六月、最終的に決まったのは八月でした。暑かった…。
就職活動そのものも大変だったけど、一番嫌だったのは、母親、後輩、親戚などの部外者から進捗状況を尋ねられること。相手は軽い世間話のつもりで聞いてくるのでしょうが、そのたび「まだ決まってないの」と答える屈辱感と気まずさは忘れられません。
中には的はずれなアドバイスをくれる人もいて、「経験もないくせに分かったようなこと言わないでよ!」と叫びたかった。
幸い希望の業種につくことができ、今は幸せに働いていますが、あの時思い知った「職につくことの難しさ」は今でも強い恐怖感となって残っています。
結婚しないだの子供を産まないだの言われて非難されている世代でもありますが、社会に対する不信感を植え付けられてしまったから、結婚や出産にも躊躇ってしまうのではないか?そんな風に思います。

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■2000年卒
<よも> 2008年6月21日 12:20
氷河期といってもいいのかな?

厳しかったですね。私は短大卒業でさらに厳しかったです。
採用者様様、採用試験には、たまーに履歴書を見てもらって残ることもあったのですが。普通の採用活動をしていて「うちは君みたいな普通の子いらないんだよね」。2次試験に呼んでも「短大かぁ〜勉強って何してるの(していないでしょ)?」等、私の中で名言集が作れるほど色々言われました。腹の中では怒りつつ、そんな担当者にも「よろしくお願いします」と何度も頭を下げました。

年末ギリギリになって2社から内定をいただきました。入社後もしばらくは不況だったこともあり、クビにならないように必死でした。
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■98年新卒就職組です
<33さい> 2008年6月21日 14:11
美大卒ですが、美術やデザイン系の求人は人数も地域も限られていたので、学生の就職率は非常に低かったです。
美術とは関係ない仕事で就職した人や、卒業後もバイトで生計を立てる人も多かったです。
私は学費だけで精一杯の家庭環境でしたので、卒業後は迷うことなく就職を考えていましたが、本当に運良く、あるメーカーの企画室に就職できましたが、その年から4年は新卒採用がなく、4年間下っ端でした。
しかし、入った会社はバブル崩壊の痛手から回復しておらず、業界自体もやや斜陽化し、他社の倒産が相次いでいたのでベースアップも昇級も他の業界に比べ期待できないことに気づくと、同時期に入社した同期(営業や事務職など)は、その後5年の間で8割が会社を去りました。私もその一人です。
現在まだその会社で頑張っている人の話によれば、30才前後の中堅クラスが会社にほとんどおらず、退職目前の世代、バブル崩壊以降元気のない30代後半〜4、50代、そして最近の若手の20代前半が中心で戦力になる人がいない、と嘆いています。
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■98年組
<mmm> 2008年6月21日 16:24
高校生の時に女子大生ブームを見て、
大学生になったら女子高生ブームに移りつつあって、
就職は氷河期。
変な時期に生まれたなーなんて思っていました。

当時は「女子は自宅通勤に限る」なんて事が
まかり通ってましたから、地元を離れて進学していた私は
受けたくても受けれない会社が沢山ありました。
資料請求しても女子には返ってこないところが大半で。

明けても暮れても就活就活って感じで、大学生活後半は
何のための大学かわかりませんでしたね。
就職が決まってから、ようやく卒論に取り掛かるって感じでしたし
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■大学4年生の母です
<さち> 2008年6月21日 19:05
三流大学ですが、希望していた大手から内定をいくつかいただき、5月はじめには就活を終えた、大学4年生の息子を持つ母です。
入社までに時間がありますので、今後は仕事に必要な資格の勉強をはじめるようです。

売り手市場とは言え、息子には大変な就活だった思います。
けれど、皆様の体験を読ませていただき、本当にご苦労されたのだなあと驚きました。
面接でイヤな思いをされた方も多いのですね。

51年〜53年生まれの甥と姪がいますが、やはり非常に厳しい就活だったとようです。
その時の大変さが彼等を強くした、とも言えますけれど、やはり希望の職種には就けませんでした。

息子の先輩、上司になられるかもしれない皆さん、
どうかお身体に気をつけてお過ごし下さいね。
若い社員のご指導、宜しくお願いします。
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■まず就職先がない!
<33歳> 2008年6月21日 19:46
まず、大手は募集がなく、
小さい会社も若干名。その小さな枠に皆集まるんですからたまったもんじゃない!

結局気に入らないところに入りましたが、
すぐにやめてフリーターになりましたよ。

もちろん、女性は実家から通勤が条件でしたね。
今はそんなのないんですか??
ちょっと信じられませんね。

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■昭和53年生まれ2002年入社組です
<私も昭和53年生まれ> 2008年6月21日 20:41
昭和53年生まれさんは2001年卒業&入社でしょうか?私は早生まれ&院卒なので2002年卒業&入社でしたが、大卒の同級生(2000年入社組)が就職活動すごく苦労しているの見てきました。私は院卒で同級生より2年遅れで就職活動しましたが、同じ企業でも採用人数やプロセスが全く違うのです。2年前は面接3回以上+筆記テストがあった企業でも私が就職活動した時は面接+筆記テストたった1回、採用人数3倍なんてところがありました。これは私が入った会社の例ですが、他の企業も似たような感じでしたよ。たった2年でこれだけ違うんです。それを知らずに「努力不足」と切り捨てるのは視野が狭いですよ。

また、入社して気付いたのは氷河期にあたる先輩の人数が少ないことです。バブル世代である10歳ぐらい年上の方はごろごろいるのに、氷河期世代にあたる自分との年齢差が5歳以内の人はほとんどいなかったな。そこで改めて氷河期の恐ろしさを知りましたよ。昭和53年生まれさんはそういうことも気付きませんでしたか?
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■2001年卒業です
<ぱんだ> 2008年6月21日 23:18
高校の時にはすでに氷河期で、うちの学校は進学校ではなかったので、
手に職をつけるため専門学校へとか就職率の良い福祉関係はどうだと
しきりに勧められました。
私は文系の3流大学に進学したのですが、私の回りでは保育士や社会福祉士になった
友人が多いです。

資料請求や説明会参加など「ネット上でのみ受付」が始まった頃で、
学校のパソコンはいつも満員だったため、
授業を休んで家のパソコンの前でスタンバってないと説明会のエントリーすら
出来ない状態でした。

結局社員10数人の小さい会社に入社しました。
入った後も大変でした。古い体質の会社だったので、どこかピントがずれている。
先輩より先に帰ったら簡単にクビだぞ、と当たり前に言われていました。
1年半後、業績が悪いからとリストラされました。不渡りも出ていたみたいです。

その後、偶然beginで見つけた会社に再就職し、今は勤務5年目です。
毎年複数人の新入社員が私の下に入って来ます。
教えてもらって当然。雑用は自分のやるべき仕事ではない。
勤務中に居眠り、なんて態度には、時代も変わったなあとうらやましく思います。
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■皆さんの投稿を読んでいて涙が出ました
<今は幸せ>2008年6月22日 0:47
フラッシュバックのように思い出しました。
腱鞘炎になるまで履歴書を書いたこと。「自宅通勤でなければ一般職は採用しない」と言われたこと。(表向き採用活動はしているけど)「女性総合職の採用はない」と最終面接で言われて落とされたこと。将来の不安で眠れず、一人暮らしの部屋で夜、嗚咽をもらした日々。

飛び込み営業でも何でもやるとようやく総合職として内定を得た中小企業に入り、必死で働いて30代、ふと気づけば世間では人手不足。

新卒時に資料請求しても資料さえくれなかった大企業から「貴女の世代は数が少なくて補強したいから・・・」とポン、と転職の内定をもらったとき、言いようのない悔しさを覚えました。

結局内定をもらった大手とは別の会社に転職して今は収入もやりがいも十分だけれど・・・。

「貴女は後輩に本当にやさしいね」
と言われますが、同じ氷河期世代の彼ら、枯れるほど泣いた就職活動、すぐ上の先輩が少なくて不安な新入社員時代、昔の自分の代わりに抱きしめてあげたいだけ。
最近の20代半ば以下の売り手市場の子達・・・罪はないけど、やさしくできません・・・。
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■99年卒
<むむこ> 2008年6月22日 0:57
前の年に就職率が上がったのでラッキーと思っていたら、突然の山一証券の破綻。
就活中も受けた会社が倒産した!なんて話を良く聞きました。

ただ運良く希望の職種に内定が決まったらからなんででしょうが、今思うと本当に一生懸命で楽しかったかも!と思ったりします。

毎回、説明会で一緒になる子達と顔見知りになって情報交換したり。
あまりに大変で泣いて熱出したり。

就職した後も、やりたい仕事が出来る有難さを心の底から感じて辛くても頑張れたし。
あの時代に入社式がある会社で正社員として働ける、普段なら当たり前の事が今でも自分の心の勲章のような気がします。
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■不思議というか・・。
<名古屋> 2008年6月22日 1:16
氷河期の人たちは
そんなに就職がひどくて、その後もその世代の人たちだけが
社会から阻害されて差別されていると感じているのに
なぜ、ストをしたりデモをしたり「社会に訴える」ことはないんですか?

卒業時には「フリーター」なんていうバイト雑誌の造語を受け入れて
若い特権のように言われて誤魔化されたりだまされたことに気づいたときに
あなたたちが、ストをしたら、あなたたちの若い労働力を便利に消費してきた社会は大きく反省したかもしれない。
あなたたちの犠牲を吸い取って成長した思われる業界は存続できなくなったかもしれない。

短期的に苦しくなっても団結することは出来なかったんでしょうか?
フランスの若者のように。

あなたたちが愚痴るだけで終わってしまったことで、「日本の何か」が後退したような気がする。
怒っているならキチンと声を上げて欲しかった。
団塊世代の親に経済的に支えられて何とかバイトでも生活できる程度に誤魔化されて、あってはいけないことを放置してしまったのではないでしょうか?
成長性のない愚痴と他の世代への汚い罵声ばかりを読んで虚しく感じた。
No.2 - 2008/09/02(Tue) 22:15:03
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