下のたまこさんからのレスで思いました。
江戸編から明治編への切り替えで、色々と残念なことは多いのですが、中でも残念だったなぁと思うことの一つが、多感な年頃の麻太郎と源太郎の二人に出会えなかったことです。
江戸編では14〜5歳、明治編では20代。 20代が悪いというわけではありませんが、17,8といういわゆる多感なお年頃の彼らがどんな風に日常を送ってきたのか、どんな思いで時代の変化を見つめていたのかなど、読んでみたかったなぁと思います。 10代後半であれば、元服や早いと出仕の話なども出たり、将来有望な二人をあてこんでの縁談なんかもあったのではないかなぁと妄想をたくましくしてしまいます。
今後、思い出をふりかえるような形でその当時の彼らが出てくることはあっても、その時の彼らを見ることはできないのだなと思うと残念です。 |
No.1956 - 2008/04/12(Sat) 09:08:16
| ☆ Re: 多感な年頃の麻太郎と源太郎 / はなはな | | | 「小判商人」ネット通販で届いたのでポツポツと読んでます。なかなかまとまった時間が取れなくて。 思春期の源太郎くんや麻太郎くん、確かに魅力的かもしれませんね。平岩先生のことなので、維新のごたごたを避けたと同時に、彼らの多感な頃をわざと描かず、私たち読者の想像に任せているように思います。彼らの思春期を読むのは気恥ずかしい気もします。私にとって「かわせみ」は「大人の小説」で、ビルドゥングスロマン(形成小説)ではないからかも。私だけかもしれませんが、小判商人の頃の源太郎・麻太郎はとても14〜5の少年には思えず、今なら高校生ぐらいでしょうか。明治編では2人とももう立派な大人で、安心して読める気がします。 |
No.1961 - 2008/04/17(Thu) 22:07:41 |
| ☆ Re: 多感な年頃の麻太郎と源太郎 / 管理人 | | | おはようございます。確かに麻太郎君と源太郎君の17,18歳の頃は飛んでしまいましたね。たまこさんがお書きのように当時の14,15歳は今の感覚ではちょうど17,18歳頃なのでしょうか。すでに立派な青年の雰囲気ですよね。「浮かれ黄蝶」で東吾さんが麻太郎君を「あいつも女にもてる年齢になったのか」と感慨深く思うシーンがありました。麻太郎君はちょど英国留学の頃、源太郎君は家を離れて一人探偵業を始めた頃、いつかオイオイその頃のことが出て来たらそれも楽しみですね。 |
No.1959 - 2008/04/13(Sun) 07:46:46 |
| ☆ Re: 多感な年頃の麻太郎と源太郎 / ぐり | | | かわせみもそうですよね、始まりはもう深い中になったあと回想で出てきますけどたまこさまのおっしゃる通りかもしれないですね 私的に言わせていただくと維新のごたごたの時はあまり見たくなかったです 最近戦いのし~ンとかせんそうのし〜ん見るのいやなんですよね 若い時はあまり感じなかったのに辛いですだから明治篇があの時期で始まったのはよかったという気がしますでも多感な年頃も読んでみたい気がしますが 想像するのもいいかもしれませんね |
No.1958 - 2008/04/13(Sun) 00:28:54 |
| ☆ Re: 多感な年頃の麻太郎と源太郎 / たまこ | | | ゆきどりさん、話題を広げて下さって有難うございます。 当時の二十代といえば、今でいうと三十代くらいに大人だったでしょうね(江戸時代までさかのぼらなくても、昭和30年代の小説や映画などだって、高校生は大学生くらいに見えるし、二十代もだいぶ老けて(?)いますよね)。 そういえば、るいさんと東吾さんにしても、最も多感な年頃は物語が始まる前で、二人が結ばれるのも回想シーンになっているので、そういう(どういう?)作者の主義なのかもしれませんね。生々しさを避けるっていうか・・・江戸風の照れというのか、最も感情の高まる部分は想像にまかせるっていうのかな?うまく説明できませんが。 |
No.1957 - 2008/04/13(Sun) 00:06:57 |
|