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ロジバン広場

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発音2 / monaka
ロジバンでは近い音で発音しやすい方を選んで良いことになっていますが何か特別にお勧めの発音方法はありますか?
f、v、l、r、c、jなど。
lは英語ではサイレント・エルなんてものがあると知って戸惑っています。
nも終わりに気持ちyを付けるのが英語流の様ですがロジバンではどうなっているでしょうか。

rとlは発音を気を付けるようにすると単語を覚えるとき楽ですね。
s、c、それと有声音は後に母音が付くのかどうかで間違えたりよくしますけどね。
No.87 - 2009/01/05(Mon) 19:39:49

Re: 発音2 / banpre
> f、v、l、r、c、j

f はフとファ行の子音そのままで結構です。母音まで放たずに息だけが唇の間を通るようにしてみてください。息の通り方を形作るのが子音を放つということです。 v は f の有音化ですから、口の形は変えずに声帯の鳴りを加えます。 b のように唇をくっつけて離す破裂音とはならないように。

c, j も無声・有声のペアです。シとシャ行の子音でも通じるでしょうが、厳密には舌の位置がもうちょっと前・歯茎寄りに近づいたものです。 j は、 dj のように舌を上にくっつけて離す破裂音とはならないように。

r は日本語・トルコ語・スペイン語の /ɾ/ そのままでOKです。リ・レが /ɾ/ に当たります。

l はル・ロの /ɺ/ に近いですが厳密には違います。 /ɺ/ には弾きがありますが /l/ にはありません。まずは、舌を上にぴったりくっつけて、声帯を鳴らしながら息がたっぷり舌の脇を通るようにしてみてください。舌に入れていた力を弱めると、音がまろやかになります。これが l の形です。

サイレント・エルは、言ってみれば、舌を動かすのが面倒くさくて発音しないものです。Cockney と呼ばれるロンドンのアクセントでは l は前後の母音と融合して o となったります。たとえば real は rio になります。

端的には、 r は「真ん中で弾く」、 l は「脇で滑らせる」、です。

英語(とくにイギリスのRP)で n の終わりに付けるのは母音というよりも声門の「締め」です。締めるときに「ンッ」という音がします。これはエリート・ニュースキャスター系の音とされ、庶民がみんな持っている特徴ではありません。アメリカ人はもってのほかです。ロジバンにはあってもなくてもいいものです。

世界中の言語の発音を表すためのIPAという表があります。ウィキブックスなどで挙げられているロジバンの発音記号、またここで r, l について挙げた文字もIPAです。以下のサイトで一つ一つの模範発音が紹介されているので参考にしてください:
http://www.paulmeier.com/ipa/charts.html
(イギリス英語とアメリカ英語の発音の比較表も付いてます)
No.88 - 2009/01/05(Mon) 21:06:09

Re: 発音2 / monaka
ありがとうございます。
r、lは日本語のものをほぼそのまま使えるんですね、なんだか嬉しいです。
fは日本人くらいしか使っていない音らしいので不安でしたが公式では一応こっちの音なんですよね、
前歯の無い人にも発音できるようにしてあるんでしょうかね。
発音の善し悪しを気にしすぎて学習がおろそかになっては本末転倒ではありますが
発音をおろそかにすれば学習が行き詰ることは目に見えているのでやはり序盤のうちにこだわっておきたいところですよね。
日本のジはやはり発音が難しいのでロジバン推奨の舌の位置が前のj、cを練習しようと思います。
もしかしたら日本人が最も発音しずらい音はhiなのかもしれません、なんか練習していて思いました。
では。
No.89 - 2009/01/06(Tue) 00:10:56
発音 / monaka
新年明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。
I wish you Happy New Year!
ui co'i ninyna'a i'i doi io
.i a'o mi'o ru'i simxu

今年初めての質問です。
実は昨日、英語では子音と母音を一緒に発音せずに別々に発音していると知って驚愕しました。
また、英語話者には日本人のsとcは両方ともcに聞こえるらしいのです。
さらに、強弱の差が無い母音が連続すると聞き取れないそうです。
これらを踏まえロジバンではどのように発音するべきでしょうか。

また、cmeneではロジバンに無い音をtciでチとかdjiでヂなどを表現することがありますが
これらは表記通りにt,cやd,jなどと発音するべきでしょうか。
cmeneに関して言いますと、名前などはロジバンの中であってもその国々の人たちのネイティブに近い
発音で言う努力をした方がいいのでしょうか、
それとも日本語の様に言語使用に合わせて発音した方がいいのでしょうか。


全くどうでもいいことですが、英語には単語を構成するルールが90ちょっとあるそうですね、しかも例外あり。
漢字の様に表記から意味が類推できないのにこれはひどいです・・・・
語源などの関係でそうなるのはわかるのですが「発音できない単語を覚えておくことは困難」なのに
英語が活躍しているのはネット上って・・・・発音を聞く、する機会が無いから覚えられる方がおかしい。
しかも日本で勉強できるのは英語話者にとっては泥臭いらしいアメリカ英語。
世界標準のイギリス英語は学習がほぼ不可能でしかもイギリス本土ではRPを使うと嫌がられる始末。
しゃべることだけ考えれば日本人が勉強している英語は韓国以外では使えない、第3言語になりえないものだったりするし、読み書きだけ考えてもしゃべる機会が無ければ単語を覚えておくことは困難。
なんか虚しい・・・・
No.80 - 2009/01/02(Fri) 14:50:11

Re: 発音 / banpre
> 昨日、英語では子音と母音を一緒に発音せずに別々に発音していると知って驚愕しました。

分別なら実は日本語話者も無意識にやります:

tabeteshimatta 食べてしまった
tabet'sh'atta 食べちゃった

母音と子音を振り分け、母音だけを除くことで略します。

ところが日本人は日本語を「五十音図」で学ぶので、このあたりの発音の機微を意識してコントロールすることが一般にできなくなるのです。(同じ理由で、いわゆる「ら抜き言葉」の合理性を認識できずに国学式国語観に固執してそれを非難する人も沢山でてきます。子音と母音を分けて考えることができれば、「○行変格活用」「○段活用」といった難解な図式も要らなくなります。)


> また、英語話者には日本人のsとcは両方ともcに聞こえるらしいのです。

それはスとシの音のことですか? 場合によると思います。日本人側でも、シとチの区別はするのに、シの有声型ジとチの有声型ヂは両方とも同じとみなします:

cicin ししん・指針
tcicin ちしん・地心(地球の中心)

jicin じしん・自信
djicin ぢしん・地震

「自信」と「地震」の音を区別しない日本人は多いでしょう。また、「ぢしん」と入力しても「地震」には変換できず、「じしん」が公式の読みとされています。しかし「地」は「ち」なのでその濁音化は「ぢ」であり、「じ」とするのは非合理的です。


> 強弱の差が無い母音が連続すると聞き取れないそうです。

なぜなら日本語ではアクセントを強弱+音程で表すのにたいして英語では強弱のみだからです。英語話者にとって音程の差は感情要素として受け取られます。アクセントとしての音程が最も発達したものの一つが中国語ですが、たとえば「年 nian」の昇り発音は一般日本人には語分別用アクセントよりも感情要素として受け取られるでしょう。これは英語話者が日本語の「橋」にたいする「箸」などに覚えるのと同種のものです。


> これらを踏まえロジバンではどのように発音するべきでしょうか。

日本語や中国語と違って、ロジバンでは音程で語彙を区別しません。 nelci の e は高かろうが低かろうが nelci のままです。ですから、アクセントは強弱のみでも強弱+音程でも通ります。


> しゃべることだけ考えれば日本人が勉強している英語は韓国以外では使えない

イギリス・アメリカ・カナダなどは移民・留学生・外国人労働者の多い国で、彼らの非標準の英語発音にネイティヴは慣れて久しくあるのが実情です。たとえばロンドンの人口の3分の1は異邦人で、バスの運転手や銀行員は3人に1人の客を外国人として応対することが日常となっています。不出来な発音・文法で喋りたてる中国人がかなりいますが、それでも通じます。英語について、精神面では日本人は中国人よりも度胸が欠けているかもしれませんが、知識面ではより優秀だと私は思います。基本的なコミュニケーションの手段としての英語ならば日本人は高卒の時点で悪くないものを持っているはずです。

日本はもちろん世界中の人々に広く認知されている国で、東京などにはそれなりに多くの外国人が暮らしています。しかし英語をネイティヴ相手に継続的に活用する機会は自ら行動をおこさないかぎり難しいものです。英会話教室は山ほどありますが、お金がかかるし、方法として好まない人も少なくありません。インターネットでは、母語・得意言語を相互に教え合うための場がいくつかあります。たとえば POLYGLOT:

http://www.polyglot-learn-language.com/

ここで検索してみたところ、「英語を教えたく、日本語を学びたい」人はイギリス人だけでも450件ありました。 Skype などのインターネット電話・チャットを彼らと使えば、「しゃべる機会」は十分に手に入るはずです。もしかすると彼らによるチャット部屋・グループが既に存在するかもしれません。
No.81 - 2009/01/02(Fri) 22:06:23

Re: 発音 / monaka
母音と子音を別々に発音するというのは例えば日本人が「さ」というのと英語話者が「sa」というのとでは違うという意味です。
「さ」はSとAが分離不可能ですが「sa」はSとAは分離していて別々に発音されるそうです。
それを踏まえてロジバンでは日本語の様に子音+母音をブレンドしても良いのか
英語の様に別々に発音しなければならないのかを訊ねたかったのです。

じとぢですが、実は日本語には現在ぢは存在しません。
もちろん表記上のみの話ですし、お偉いさんが勝手にそう決めただけですけどね。
普段使っている発音が「ぢ」だけにどうかと思いますが。
日本人には「じ」は発音は難しいですよね。

日本人のsとcを聞き分けようとすると英語話者はものすごい疲れるそうです。
なので試しに英語のsとcの発音を練習しましたがものすごく疲れました。
日本語と同じように「さ」や「しゃ」を言おうとすると舌の位置に無理があるので子音と母音のブレンドが間に合わずに音が暗くなってしまいました。

ロジバンではアクセントの無い母音が連続することがあると思うのでそういったときに英語話者は聞き分けられるのかと思いまして。
i+aeiou、u+aeiou、aeiou+i、aeiou+uがいくつか連続するだけで私の情報が確かならかなり聞き取りにくいはずです。
そんなにUI類が連続するはわかりませんが。

それと、tcやdjは合成されてチやヂの音になってしまうのでしょうか。

あと、愚痴を言ってしまってすみません。
私が言いたかったのは「ネット上に情報収集に英語を使えれば便利だが発声しないので単語の習得が困難」だということとあくまで第3言語、つまり英語を普段喋らない話者同士が話をするときのツールとしての英語です。
でも先ほどテレビでやっていたアイスランドで旅をする番組でアイスランドの英語は知っている単語だけなら聞き取れたのでもしかしたらイギリス英語とアメリカ英語くらいの違いなら問題無く不慣れ同士でもわかるかもしれません。

インターネット上には面白いものがあるんですね。
ちゃっかりエスペラントやイドなどがあって面白いですね。
カメラはありませんが一応マイクは持っているのでこういったところを利用できるかも知れません。
私自体は、英語は中学生ほどの能力もありません。
ロジバンの学習ではもっぱら自動翻訳サイト任せです。
ロジバンを学習していてようやく英語の必要性に気づいて今発音からやっているところです。
発音できなければl,rやb,v、th,s,(f)などの単語の表記を覚え続けておくことは極めて困難だからです。
おそらく日本人のほとんどは発音とフォニックスを覚える過程をすっ飛ばして単語数と文法を叩き込まれるから英語が苦手、嫌いになるのではないでしょうか。
ネイティブの先生とは日本語で会話できますしね、英語を喋れて面白いなんて思う方が難しいと思います。
なんにせよgismuのPSを解読するにも苦労している状態なので何とかしたいです。
単語を発音出来れば覚える気にもなりますし覚えておけますし、何より英語の音がわかればロジバンの必要な音がすべて発音できます。
xはドイツ語のあれでいいんですよね?なら大丈夫です。
むしろ'iが「ひ」になってしまうことの方が問題だったりします。
No.82 - 2009/01/02(Fri) 23:39:38

Re: 発音 / banpre
> 「さ」はSとAが分離不可能ですが「sa」はSとAは分離していて別々に発音されるそうです。

それは英語の特徴というよりも物理現象としての音声そのものの特徴ではないでしょうか。

子音と母音の同時発音ということでしたら、それは「有声音」、いわゆる濁音となります。たとえば s の有声は z です。有声に使う母音には a e i o u といった明確な違いはありません。これらの母音は舌の位置等で作るものですが、有声発音では舌が既に子音の土台となっているので母音に形を与えることができないのです。

ところで「さっぱりしたー」の「さ」を強調すべく s を a から分離して伸ばすことは日本人もたまにやると思いますが。「sssapparicitaaa」のごとく。


> それを踏まえてロジバンでは日本語の様に子音+母音をブレンドしても良いのか
> 英語の様に別々に発音しなければならないのか


日本語のサが s+a のブレンドなら、英語もブレンドをします。 go などは必然的に子音と母音のブレンドとなります。分離については、英語話者はこれを g と o に分けて認識・発音できる、ということです。

klama で l+a および m+a とブレンドするのは英語話者にとっても日本語話者にとっても同じです。違ってくるのは子音と子音の繋がり、ここでは k+l の部分です。日本語は開音節言語で、発音が全て母音で終わります。たとえば「love」は子音で終わりますが、「ラブ」と日本語式に読むと母音で終わります(おまけに元が一音節であるものが二音節化します)。なので、 k を母音抜きでそのまま l に続けるのが難しかったりします。そのような話者を考慮してロジバンでは klama を kylama と発音することが許されています。 citka を cityka と発音してもOKです。


> ロジバンではアクセントの無い母音が連続することがあると思うのでそういったときに英語話者は聞き分けられるのかと思いまして。

英語話者が予備知識無しに認識できないのは「橋」と「箸」の音程アクセントの違いです。日本語のルールを知らないかぎり英語話者には「はシ hashi」と「ハし hashi」が同じ語に聞こえるのです。ロジバンでは音程が語の違いを左右しません。また、 ma'ovla ではアクセントは任意です。アクセント無しに UI類が連続しても聞き間違えが起こらないようにできています。


> tcやdjは合成されてチやヂの音になってしまうのでしょうか。

話者によります。スラブ系言語を母語とする人などは分けますが、分けない人もけっこういます。


> むしろ'iが「ひ」になってしまうことの方が問題だったりします。

あまり拘らなくても、今のところロジバンで話すのは人間であってロボットではないので、そのぐらいの手違いをしても真意は読み取ってもらえるでしょう。

ちなみにドイツ人はこんなふうに発音します:

http://www.youtube.com/watch?v=tVjWjpHzUTA
http://www.youtube.com/watch?v=OHisq52jUI8

二人目はもろにドイツ語訛りですが、これに比べれば 'i をヒとするミスなんてちっぽけなものです。


> 先ほどテレビでやっていたアイスランドで旅をする番組でアイスランドの英語は知っている単語だけなら聞き取れたので

e'ese'inai.io


> おそらく日本人のほとんどは発音とフォニックスを覚える過程をすっ飛ばして単語数と文法を叩き込まれるから英語が苦手、嫌いになるのではないでしょうか。

明治維新以来、日本の英語教育は「解釈する」ほうに力を入れて「表現する」ほうを二の次にしてきました。翻訳しなければならないものが沢山あったからです。それまでの鎖国期間無視してきた英語圏のことを急いで理解するのが先で、日本語圏のことを発信・表現するのは後回しとされました。その姿勢が今もなお続いていて、英語話者のことは理解できるけれど日本人としての自分の思考を英語でうまく表現することができない、という人が英語教師含めて沢山います。自分を表現できなければ、言語のおもしろさは半減してしまうでしょう。


> なんにせよgismuのPSを解読するにも苦労している状態なので何とかしたいです。

覚えておきたい gismu があればそのリストをここ或いは

http://quizlet.com/group/25374/

の Group Discussion に投稿しても結構ですよ。PSと共に僕が訳しておきますから、あとで集中して暗記に取り組めます。あるいは既にそちらで訳したものがあれば、アップしていただくことで後の日本人学習者のためになります。
No.83 - 2009/01/03(Sat) 01:39:27

Re: 発音 / monaka
なるほど、ロジバンは面白いのになぜ英語がつまらないのかわかった気がします。
英語でも自己表現できるようになれば好きになれそうですね、ちょっと頑張ってみます。

gismuの私の日本語訳はとりあえず自分がわかればいいや、といったかなり適当な内容になっていて
文章に使われているのを見るたびに修正している始末です。
しかもノートに手書きなので相当大変です。
たとえばbardaは単に「x1はx2(寸法、特性)でx3よりも大きい」と訳してありますがこれではlo terbardaを理解する事は難しいです。
今はlo selvu'eの訳を知っているのでlo terbardaなら「大きさを比べられる対象、基準、標準」あたりの意味だとわかります。
私はまだロジバンの単語数が無いのでもっと蓄積してからリストに書き込もうと思います。
その時にお手本になるような雛型を作っておいてもらえると助かります。

youtubeで結構ロジバンを喋っている動画があるんですね。
一人目の人は頑張っていますが二人目の人はかなり聞き取りずらい上に終わった後にどや顔していましたね。
二人目の人くらいの気持ちでいた方が楽しそうではあるんですけど。
単語の聞き取りという意味ではcoiと.iとlojboとかそのあたりくらいしかわかりませんでした。
でも聞き取りは絶望とまではいかないようなので時々は動画をあさってみたいと思います。

ありがとうございました。
では。
No.84 - 2009/01/03(Sat) 16:55:59

Re: 発音 / sussman
> 「自信」と「地震」の音を区別しない日本人は多いでしょう。また、「ぢしん」と入力しても「地震」には変換できず、「じしん」が公式の読みとされています。しかし「地」は「ち」なのでその濁音化は「ぢ」であり、「じ」とするのは非合理的です。

本筋と関係ない話題で横から失礼しますが、地震の「じ」は「ち」の濁音化ではありません。「じしん」は旧仮名遣いでは「ぢしん」と綴られました。ところがこの「ぢ」は呉音、「ち」は漢音であり本来的に別の読みという事で分かっています。ですので現代仮名遣いの原則(連濁以外の「ぢ・づ」は「じ・ず」に書換え)に依って「じ」と綴る事に一応の根拠はあります。
No.85 - 2009/01/03(Sat) 21:18:17

Re: 発音 / banpre
> 地震の「じ」は「ち」の濁音化ではありません。「じしん」は旧仮名遣いでは「ぢしん」と綴られました。ところがこの「ぢ」は呉音、「ち」は漢音であり本来的に別の読みという事で分かっています。ですので現代仮名遣いの原則(連濁以外の「ぢ・づ」は「じ・ず」に書換え)に依って「じ」と綴る事に一応の根拠はあります。

漢字源によると、「地」の呉音は「di」、漢音は「ジ(ヂ)」です。「チ」は音読みとされていますが、これは呉音とも漢音とも違います。なんにせよ、日本語の「地」の音が一貫していないことにかわりはありません。私が指摘したかったのは、一つに、地震の「じ」が「ち」の濁音化かどうかというよりも、「地震」と「地心」などの間において「地」の仮名音に合理性があるかどうかです。「地震」の「ぢしん」が「じしん」と改められたのであれば、「地心」の「ちしん」も「ししん」に改められたほうが合理的ですよね。もう一つは、「ぢ」と「じ」を現代日本人は区別しないということです。「じけん/事件」は「ヂケン」、「じかん/時間」は「ヂカン」、そして「じしん/地震」は「ヂシン」と発音されます。(これは英語話者が c を k や s と一緒くたにするのと似ているかもしれません。ロジバンの funca を funka や funsa などと発音する英語系初心者は少なくありません。)
No.86 - 2009/01/04(Sun) 20:37:20
良いお年を / monaka
日本語の「新年明けましておめでとうございます」、「今年もよろしくお願いします」はロジバンでどう表現すればよいでしょうか?
新年はle cnino nanaもしくはle ninyna'a、LEはloの方がいいかもしれませんがおそらくこれで大丈夫だと思うのですが、「明けまして」がわかりません。
「新年に替わって」なのか、「新年を迎えて」なのか。
また、「おめでとうございます」もglekiや.uiだとなんだか違う気がします。
単純にa happy new yearからninyna'a selgeiでもいいような気もしますがなんと言いますかこれだと子供っぽい感じかします。
イメージとしてはa happy new yearがクラッカーや花火の音で新年明けましておめでとうございますが琴の音やかどまつ、初日の出や赤い着物です。
おそらく音節数も重要だと思うのですが。
具体的には新年明けましておめでとうございますが19音節なので出来るだけこれに近い方が日本語のそれっぽいように思います。
「あけおめ」や「ことよろ」などのような略し方をするとやはり子供っぽい、クラッカーのような印象を受けますから。
No.74 - 2008/12/30(Tue) 19:17:07

Re: 良いお年を / banpre
brivla は真理の表現、UI類 ma'ovla すなわち cnivla は心理の表現、という基本に着目してみます。 mi gleki と言う場合、何かについて自分が嬉しいということが真であると伝えています。自己を外から観て察したことを報告する表現です。 ui と言う場合、何かについて自分が嬉しいという心の状態をそのまま伝えています。自己を内から露わにする表現です。なので、かしこまった場では brivla が多くなり、うちとけた場では cnivla が多くなります。 brivla 中心、 cnivla 中心、どちらの方法でも「おめでとうございます」を表せます。形式的な祝辞では brivla 中心、ふだん気な贈り言葉では cnivla 中心、という標準を設けることができます。しかし実際にはその中間となることも多いはずです。


新年明けましておめでとうございます
ui co'i ninyna'a i'i doi (do) io

* co'i で「何かに達した」。それが ninyna'a 「新年」であること。それを i'i で「共に味わっている」こと。 doi で聞き手に呼びかけ、その人を io で尊む。日本語では「あなた」が無いので省いたけれど do で doi の対象を特定できます。「おめでとうございます」は一手に訳さず、 i'i (-ござい-)と io (お-、-とう-、-ます)そして ui (-めで-)に込めてみました。可能性は他にもたくさんあるはずです。UI類をまとめて次のようにもできます:

co'i ninyna'a doi io.ui.i'i

会話中にとっさに思いついて言う場合にはUIをこのようにまとめることが多くなるでしょう。感情の対象を正確につきとめる時間が十分でなかったりするからです。書言葉ではそのあたりに思考をさいてUIを適所に置くことができます。ここにも一種の懇ろさの違いが現れることになりますね。また、目上の人にたいして言う場合は ga'inai を加えると日本語らしくなります(ga'inai 抜きだと失礼になるというわけではありません)。


今年もよろしくお願いします
a'o mi'o ru'i simxu

* a'o で「願っている」。 mi'o 「私とあなた」が ru'i 「引き続き」 simxu 「相互関係にある」ことを。「お-」が惜しければやはり io をどこかに挿みます。


あけおめ
co'i ui

ことよろ
a'o ru'i

* こんなもんでしょうかね。
No.75 - 2008/12/30(Tue) 20:57:45

Re: 良いお年を / monaka
共に喜ぶ、嬉しいで「おめでとう」ですか、おめでとうってなんかいいですね。
音節についてはUI類が多くなると増やすのは難しそうですね。
他にもいろいろな表現方法はありそうですが来年はこれでとりあえず行こうと思います。
これを自分が望む形にいじるにはまだ学習が必要なようですし。

他の国の新年のあいさつを日本語&ロジバン訳付きで教えていただけませんか?
アメリカ英語とイギリス英語の新年のあいさつの違いなどがわかるとおもしろそうです。
ドイツやトルコなどは特に興味深いですね、あくまでbanpreさんが知っていたらの話ですが。
No.76 - 2008/12/30(Tue) 22:53:49

Re: 良いお年を / banpre
> 他の国の新年のあいさつを日本語&ロジバン訳付きで教えていただけませんか?

(↓挙げる発音は日本語ローマ字式です。訳はロジバン・日本語ともに直訳です。)

フランス語:
Bonne année (発音 bonane)
- xamgu nanca
-- 良い・年

調べたところ、ドイツ語は:
Ein glückliches neues Jahr (発音 ain gl(y)uklishes noias yar)
- pa xagfu'a cnino bo nanca
-- 一・幸福な・新しい・年

トルコ語は:
Mutlu Yillar
- gleki nanca
-- 嬉しい・年

ムスリム間では:
Yeni yiliniz Kutlu Olsun
- loi do nanca cu cevni snura
-- あなたの・年々に・神の・御加護

アラビア語:
كل عام وانتم بخير (発音 kol am wenta bekhair)
- ro nanca cu xamgu moi
-- 全ての・年・良いもの

スワヒリ語:
Heri za Mwaka Mpya
- lo nungleki pe lo nanca co cnino
-- 幸福・の・年・新しい

タイ語:
สวัสดี วัน ปีใหม่ (発音 sawatdee wan bpee mai)
- coido'u djedi co ninyna'a
-- どうも・日・新年

韓国語:
새해 복 많이 받으세요 (発音 Sehe Bokmani Bateuseyo)
- lo ninyna'a xagdapma cu se cpacu ko vau a'o
-- 新年・福・たくさん・もらってください

ハワイ語:
Hauoli Makahiki hou
- geifri nance co cnino
-- 楽しむ・年・新しい

アメリカ英語とイギリス英語は共に (I wish you (all)) (a) Happy New Year! です。ときたま、とくにキリスト教信仰の篤いアイルランド人の英語では、間隔の短いクリスマスと新年の二度において祝辞を贈るのがくどいということで Happy Christmas and a Prosperous New Year! とまとめたりします。 happy と prosperous とで意味がすこし重複していますが、これは後者がアイルランド語の

Athbhliain faoi Mhaise Duit. (発音 aa-vlii-iin fwii maa-ha ditch)
- lo ninyna'a cu melba'o seva'u do
-- 新年・美しく栄える・あなたにとって

を英訳して付け足したものだからだそうです。

それからエスペラント:
Bonan Novjaron.
- xamgu ninyna'a
-- 良い・新年
No.77 - 2008/12/31(Wed) 01:58:11

Re: 良いお年を / monaka
ありがとうございます。
ちょっと無茶振りでしたね、すみません。
ロジバンでも直訳だとかなり固い印象を受けますね。
UI類を多く取り入れる理由がわかります。
どの国にも新年の挨拶が独自にあるというのは感慨深いですね。
これは世界中の人がロジバンで新年のあいさつをした時に全員違うことを言うことになりますね。
エスペラントも決まった言い方を決めずに様々な地域のあいさつの仕方を許容すればいいのに、
幅広い国の人たちに使える設計のはずなのにつまらないですね。
ってか、まんまフランス語ですね。

今年はおそらくこれが最後の書き込みになると思います。
短い間でしたが色々と教えていただきありがとうございました。
来年も色々と教えていただくことがあると思いますがその時はまたよろしくお願いします。
それでは、良いお年を。
No.78 - 2008/12/31(Wed) 02:43:00

Re: 良いお年を / banpre
monaka さんは、僕が今年から始めたロジバンの日本語解説にいちばん大きな反応をしてくれた人です。おかげさまでやりがいを感じています。

ki'e
i a'o mi'o ru'i lojbo simxu
No.79 - 2008/12/31(Wed) 03:35:55
bridi-selbri / monaka
Lojban For Beginnersの8章のsumti conversionsの項でdu'uとsedu'uを解説する例文に

le la jan. se pensi cu {du'u ri nelci la suzyn. kei} lu do dirba mi li'u

というものが出てきたのですがsumti(telbriかな)がselbriで関連付けられていないように見えるのですがこれは文章、bridiなのでしょうか。
No.69 - 2008/12/28(Sun) 21:54:05

Re: bridi-selbri / banpre
僕もその例文でつまずいたのを憶えています。

これは、一つの主要 bridi からなる一つの文です。括弧中の du'u ri nelci la suzyn. kei が selbri です。 terbri は le la jan. se pensi と lu do dirba mi li'u となります。

冠詞で sumti 化されていないかぎりNU類は後続の副 bridi (ここでは ri nelci la suzyn.)と合体して一つの selbri となります。

この例では du'u が lu ... li'u の手前で終了していることを kei が示しています。つまり lu ... li'u は du'u の selbri 化に含まれていません。 kei が無ければ lu ... li'u は nelci の x3 として巻き込まれます。


開発途上ですが Lojgloss というオンラインのロジバン解析ソフトがあります:

http://home.pdf23ds.net/

欄にテキストをコピペして "show it all" をクリックすると文の区分構造を教えてくれます。文法的誤りがあればそうであるとも教えてくれます。(今回の例文のように括弧が付いている場合はこれを取り除いておく必要があります。)今後、疑わしい文のチェックなどに使ってみてください。
No.70 - 2008/12/28(Sun) 22:48:55

Re: bridi-selbri / monaka
ありがとうございます。
NU類がPSを持っていることは知っていましたがまさかselbriになるとは思いませんでした。
と、いうことはこの例文を日本語訳するとしたら

ジャンの思いは「あなたは私にとって大切です」の文で言われているジャンがスーザンを好きであるという事実です。

ですかね。
riがla jan.を参照しているのかle la jan. se pensiを参照しているのかわからないので間違っているかもしれませんが。
riと言いますか、代行詞は全体的に使い方がややこしい上に使いどころがわからないので好きではありません。

Lojglossを教えてくださりありがとうございます。
英語なので見るのが大変ですがこれは使えそうです。
No.71 - 2008/12/28(Sun) 23:16:36

Re: bridi-selbri / banpre
> riがla jan.を参照しているのかle la jan. se pensiを参照しているのかわからないので間違っているかもしれませんが。

le la jan. pensi は le pe la jan. pensi の略、そしてこれは le pensi pe la jan. の並び替えです。すると ri の直前の sumti は la jan. となります。


> riと言いますか、代行詞は全体的に使い方がややこしい上に使いどころがわからないので好きではありません。

KOhA6 (ti, ta, tu) が思惟上の「これ、それ、あれ」ならば、KOhA5 (ri, ra, ru) は文面上の「これ、それ、あれ」です。KOhA6では物事のイメージ、KOhA5では文章のイメージが前提となります。空間があって、これについて「ここにあるもの」「そこにあるもの」「むこうにあるもの」を表すときにKOhA6を使います。文脈があって、これについて「いま言った sumti」「さっき言った sumti」「ずっと前に言った sumti」を表すときにKOhA5を使います。

ru に出くわすことは僕の経験ではほとんどありませんが、 ri, ra そして ti, ta, tu はよく使われています。

ce'u や ke'a など、修飾節の中に用途のあるKOhAは日本語話者のみならず英語話者にとっても未知なる要素ですが、いったん憶えるとかなり重宝してくるしろものです。
No.72 - 2008/12/29(Mon) 00:11:12

Re: bridi-selbri / monaka
le la jan. pensiがle pensi pe la jan.の略だとは知りませんでした。
KOhA類については学習が進めば好きになれそうですね、安心しました。
では。
No.73 - 2008/12/29(Mon) 16:22:46
nu+ / monaka
抽象化についてnu、su'u、du'u、sedu'uについては勉強したのですが他の表現について教えてくれませんか?
例えば、「練馬区在住のどら焼きが好きなドラえもんが笑いながら空を飛んでいる」などnuでは厳しそうです。

le nu le nu la .doraemon. xabju la .nerimakus. kei cmila kei vofli

どら焼きが好きだと言えず、事象が対象になっているせいで何が笑っているのか空を飛んでいるのか謎になってしまいました。
しかもPSの終了後にkeiを配置しているのでkeiがいらない可能性があります。
No.65 - 2008/12/24(Wed) 19:49:50

Re: nu+ / banpre
階層別に分けるとこうなります:

le nu
- le nu
-- la .doraemon. xabju la .nerimakus. [kei]
- cmila [kei]
vofli

「ドラえもんが練馬区に住んでいる、
という事が笑っている、
という事が飛んでいる」
となってしまっています。
つまり主役が最奥の階層に沈んでいるのです。

元の日本語のほうを調べてみましょう。「ドラえもんが飛んでいる」、これが中核です。「練馬区在住で、どら焼きが好きな」は「ドラえもん」を修飾するもの、「笑いながら」と「空を」は「飛んでいる」を修飾するものです。

la .doraemon. vofli

ここから始めてみます。 la .doraemon つまり sumti を修飾する手段は何だったでしょうか。 monaka さんは既にいくつかご存知です。 pe, po などのGOI類がそうです。しかしこれは sumti を sumti で修飾するものです。私達が求めているのは「〜に住んでいる」「〜が好き」といった述語表現による修飾です。これはNOI類の仕事です。NOIは bridi(つまり selbri 入りの節)を sumti に繋げるものです。NOIには制限系と非制限系とがあります。「ドラえもん」は世の中に一つだけの特有の存在なので、どの「ドラえもん」であるかを制限する必要がありません。そこで非制限系のNOIを使います。それは noi です。ボンド材がわかったので、今度は修飾節のほうを用意しましょう:

xabju la .nerimakus.

nelci la .dora,iakin.

二つの bridi を結ぶには・・・接続詞 gi'e を使います:

xabju la .nerimakus. gi'e nelci la .dora,iakin.

これを noi で先の sumti に繋げます:

la .doraemon. noi xabju la .nerimakus. gi'e nelci la .dora,iakin.

これは全体で一つの sumti とみなされます。

次に主要 selbri の vofli の修飾です。「笑いながら」は動作状態を表すので、単にもう一つの selbri として vofli の前に置き、tanru 化するといいでしょう:

cmila vofli

「空」もこの tanru に含めることができなくはないのですが、今回はBAI類を使って bridi に sumti を追加するという方法で処理します。BAIはひらたく言えば前置詞のようなものです。この例の「〜を」として va'o が考えられます:

va'o lo tsani

直訳では「空を周囲・環境として」となります。

これで必要な素材がすべて集まりました。組み合わせます:

la .doraemon. noi xabju la .nerimakus. gi'e nelci la .dora,iakin.
cmila vofli
va'o lo tsani

BAI句は同階層ならどこにでも配置させられます。「ドラえもん」と「笑いながら飛んでいる」と「空」どちらのイメージを先に読み手に思い浮かべてほしいかによって語順を変えられます。


NOIについて:
http://ja.wikibooks.org/wiki/ロジバン/統語論#連結型: 接続詞用法

BAIについて:
http://ja.wikibooks.org/wiki/ロジバン/統語論#法制型
No.66 - 2008/12/24(Wed) 21:04:04

Re: nu+ / banpre
ドラえもんは世の中に一つだけの特有の存在、と言いましたが、特殊な例外が考えられます。

何らかの敵がドラえもんに化けてのび太の前に現れたとします。そこへ本物のドラえもんがやってきます。ドラえもんが二人になります。どちらが本物であるか、このままではのび太にはわかりません。しかし、本物のドラえもんであればネズミを怖がるはずだ、ということをのび太は知っています。そこで彼は次のような推測をします:

la .doraemon. poi terpa lo ratcu cu ei nalfu'i
- ネズミを怖がるドラえもんのほうが本物であるにちがいない。

noi でなく poi を用いることで、どのドラえもんであるかを制限的に表しているのです。
No.67 - 2008/12/24(Wed) 21:25:00

Re: nu+ / monaka
ありがとうございます。
なるほど、まだ学習出来ていない部分でしたがとてもわかりやすかったです。
日本語よりもどのものが何に作用しているのか明快で分かってしまえば読みやすいですね。
今頃になってようやくロジバンがすごいことがわかってきましたよ。
それと同時にいかに今まで大雑把に並んだ単語を脳がちゃんと拾っていてくれていたこともわかりました。

お伝えしておきますと、私のロジバン学習はほぼLojban For Beginnersのみで確認にウィキブックスを使う程度で現在7章まで読み終わっています。
なので、おそらくそのあたりまでの内容で読める文章なら単語を調べつつにはなりますが読めると思います。
では。
No.68 - 2008/12/24(Wed) 22:42:42
nu / monaka
sutra(速い)のx2やtcika(時間)のx2の様に出来事、状態を表すPSは必ずNU類で抽象化する必要がありますか?
また、NU類は文章のどこからどこまでを抽象化しますか?
No.57 - 2008/12/19(Fri) 18:16:44

Re: nu / banpre
語によっては、抽象であってもなくてもいいとする人はいます。僕も、現行のPSから逸脱してもとくに問題とはならなそうな例をいくつか認識してきました。しかし sutra と tcika の場合はどうなんでしょうか。どういったx2を求めていますか?
No.58 - 2008/12/19(Fri) 18:41:26

Re: nu / monaka
sutraやtcikaは単に目にとまった単語だったというだけの話ですが、例えば物事の名前をそのまま入れても成り立つような感じはします。

fe la .doraemon. tcika
ドラえもんの時間

do sutra lo cadzu
?

gismuを直接置いても文章にならないみたいですね。
そういえばこの疑問を持ったときにはまだLE類がちゃんと把握できていませんでした。
そうなると問題は解決ですかね?
抽象化がどのように使えるかをまだちゃんと理解できていないのでその問題とごっちゃになってしまったようです。
抽象化が必要かどうかは単語を実際に使ってみないとわからないというのが結論かなあ?
お騒がせいたしました。
No.59 - 2008/12/19(Fri) 19:19:32

Re: nu / banpre
tcika は出来事の時・分・秒です。「〜の時間」は temci あるいは ditcu となります。前者は公式の gismu 表に載っていますが、後者は試験的なものなので載っていません。 temci では「〜の時間」を表すために x2(から)と x3(まで)と二つの sumti を要しますが、これでは不便な場合があるというので ditcu が作られました。 ditcu は「x1 は x2 の時間」となります。そしてこの x2 はやはりNUです。

時間というのは、事の長さです。「ドラえもんの時間」は、「ドラえもんという事」の長さとなります。「ドラえもんという事」とは何でしょうか。ドラえもんが作られてから壊れるまでの時間かもしれないし、ドラえもんがドラ焼きを食べている時間かもしれないし、ドラえもんがネズミと闘っている時間かもしれないし、ドラえもんがのび太を慰めている時間かもしれません。ドラえもんは事の主体であって事そのものではないのです。事をNUでまとめる必要があります。すると、具体的な行動・状態は明かされていませんから、まず次のような文ができます:

ditcu lo nu la .doraemon. co'e

co'e は不特定の selbri です。直訳では「ドラえもんがアレの時間」となります。しかしこれは語数がかさばる感じがします。そこで登場するのが tu'a です。これは、NUで抽象化されたまとまりに含まれる sumti を引き抜くものです:

ditcu tu'a la .doraemon.

この tu'a にNUの抽象化作用が濃縮していると考えてください。

このように、NUで抽象化するかしないかの問題は、 tu'a 一語を挿入するかしないかという選択で片付けることができます。

tu'a が引き抜く sumti は(論理接続などされている場合をのぞき)一つだけですから、たとえばドラえもんがネズミと闘っている時間について言う場合は tu'a を“解凍”して lo nu la .doraemon. damba lo ratcu などとすることになります。

「ドラえもんの時間」が「ドラえもんに与えられた時間」など所有を意味するならば、 lo ditcu と la .doraemon. を pe や po'e で結びます。


NUが抽象化するのは後続の bridi です。

lo ditcu be lo nu la .nobitan. sipna bu'u lo ckule cu clani

la .nobitan. sipna bu'u lo ckule は一つの bridi ですから、これがここでの nu の対象範囲となります。大きな目で見ればこの文全体が一つの bridi ですが、 nu が抽象化するのは特定の階層の bridi だけです。複雑な表現の織り方を習得するにつれて、こういった階層の違いに払う意識は大きくなってゆきます。階層の違い或いは構造の区切は、読みが多義化するほど曖昧な場合に特定の terminator・終止詞で明示します。この例では cu が主要 bridi (つまり最上階層の bridi)の clani を先発の sumti (lo ditcu ... ckule)から切り離しています。NU専用の終止詞 kei もありますが、ここでは使えません。仮に使った場合を考えてみましょう:

lo ditcu be lo nu la .nobitan. sipna bu'u lo ckule kei clani

nu la .nobitan. sipna bu'u lo ckule kei は一つの selbri なのです。頭に付けるということでNUはなんだか冠詞に似ているようですが、語表での定義からもわかるように、実はPSを有していて、抽象化する bridi と共に一つの selbri に化けるのです。ここでは kei のすぐあとに clani というもう一つの selbri が続いています。 selbri が連なると・・・ tanru を形成します。つまりこの文から主要 bridi の selbri が消え、 lo ditcu ... で始まる sumti 一つだけの表現になってしまうのです。


sutra の例は

do sutra lo nu cadzu

が正解ですが、抽象化する bridi がこのように sumti を含まない単純なものならば、わざわざNUを持ち出すまでもなく、 cadzu sutra と tanru に収めることで語数を節約できます。
No.60 - 2008/12/19(Fri) 20:42:39

Re: nu / monaka
ありがとうございます。
階層が出てきてしまうと複雑になりますね。
[{()}]の事でcuがそれらを強制終了させるというのはわかりますが。
la .doraemon.は番組名のつもりだったのですが、おそらくnuについての説明内容は変わらないので問題無いです。
「いつもはドラえもんの時間なのに今日はクリスマス特番をやっているよ」
なんて文章があったとしてもtcikaは使わずドラえもん自体も抽象化されるでしょうから。

sutraの例はちょっとわかりません。
cadzu sutraはlujvoでselbriではないんですか?
また、cadzu sutraだと「歩く様に速い」なので元の文章do sutra lo nu cadzuの「あなたは歩く事が速い」と意味が食い違ってしまいませんか?
No.61 - 2008/12/20(Sat) 15:47:31

Re: nu / banpre
>la .doraemon.は番組名のつもりだったのですが、

ua.u'u

すると tcika でよかったんですね。僕の読みがあまかった。

lo tcika be tu'a la .doraemon.
『ドラえもん』の時間

lo tcika be lo nu la .doraemon. se tivni
『ドラえもん』が放送される時間

これは全体を一つの sumti として扱う場合ですが、「〜の時間だ」と述語表現する場合はやはり lo と be を取り去ります。

「いつもはドラえもんの時間なのに今日はクリスマス特番をやっているよ」の訳としてこういうものが考えられます:

ki'unaigi na'o tcika tu'a la .doraemon. gi ca tivni tu'a lo xisyjberi'i tcila

(日本ではクリスマスはとくにキリストの誕生日を祝うものではないのでxisyjberi'iは不適当となりえます。)


>cadzu sutraはlujvoでselbriではないんですか?

lujvoとは、二つ以上の語が融合して一つとなったものです。たとえばcadzu sutraのlujvo形はcadzysutraやdzusutraとなります。

gismuもlujvoもfu'ivlaも、そしてそれらからなるtanruも、selbriとなりえます。selbriとは「se bridi=bridiのx2=述語・賓辞」のことです。またterbriは「te bridi=bridiのx3=主語・主辞」のことです(Lojban For Beginnersなどでは単にsumtiと呼ばれています)。 do cadzu sutra は、一つのterbriと一つのselbriからなるbridiです。selbriは構文の要素であって形態のそれではありませんから、表面上の語数は関係ありません。 carna vlipa plipe cadzu sutra も、全体で一つのselbriとなりえます。ただし基本のPSを供給するのは右端の一語sutraです。


>cadzu sutraだと「歩く様に速い」なので元の文章do sutra lo nu cadzuの「あなたは歩く事が速い」と意味が食い違ってしまいませんか?

元の文章のselbriはsutraですよね。「あなたは速い」が中核です。 do cadzu sutra でも、selbriがcadzu sutraという二語のtanruであるにせよ、基本のPSを供給するのは右端の語sutraですから、「あなたは(・・・)速い」という基本の意味は保たれます。

cadzu sutra には「歩き速い」といったニュアンスがあります。「歩く事が速い、歩くのが速い」はすなわち「歩きが速い」ですから、「歩き速い」で問題なさそうです。また、「歩く事が難しい、歩くのが難しい」は cadzu nandu つまり「歩き難(にく)い」とできます。(しかし日本語では「歩き難い」はあっても「歩き速い」はあまり聞きませんね。原理的に後者はありえるのに。)

「歩く様に速い」は不可能な訳ではなさそうですが、「〜ように」を表す手段が別にあるので、このニュアンスを cadzu sutra といったtanruに限定することはできません。「歩く様に速い」はたとえば sutra tai lo nu cadzu などでより明確に表現できます。
No.62 - 2008/12/20(Sat) 19:36:04

Re: nu / monaka
時計の時間、「時刻」を使う場合はtcikaでとある間隔内の「時間」を使う場合はtemciやditcuを使うわけですね。
tcikaを「時間」で覚えていたので混乱してしまいました。

xisyjberi'iがクリスマス、キリストの誕生式典なんですね、しかもlujvo。
日本のはla .xisyjberi'is.とかla .kris(t)mas.とか、いっそのことla .kurisumas.ぐらいの方がしっくりくるかも知れませんね。
もしくは「サンタの日」とか。
宗教がからむと言語構成ががらりと変わりますからね。
「神」なんてどうしろって話ですよね。
ヨーロッパ系の人工言語はそのあたりがかなり偏っているみたいですよね、よくは知りませんが。

bridiにPSがあることを知りませんでした。
ロジバンの用語くらいはちゃんとPS何かを調べておいた方がよさそうですね。
PSなどと言わずにロジバンの語を使えた方が覚えられそう、と言いますか人に説明しやすいです。
英語ではカタカナ語化してしまってあまり響かない気がするんですよ。

gismuを並べると最後の語を前の語が修飾するということは知っていたのですが認識を誤っていたようです。
「歩き速ッ!」などと日本語でも使いますね。
「歩速」だと「歩く速さ」かな?ロジバンとはやはり意味が変わってしまいますね。
PSを含意した上で並べた時にどうなるのかというのは慣れるしかないですね。

ありがとうございました。
では。
No.63 - 2008/12/20(Sat) 21:00:38

Re: nu / banpre
> xisyjberi'iがクリスマス、キリストの誕生式典なんですね、しかもlujvo。
> 日本のはla .xisyjberi'is.とかla .kris(t)mas.とか、いっそのことla .kurisumas.ぐらいの方がしっくりくるかも知れませんね。


そうですね。

xisyjberi'i は即興で作ったものです。ちなみに即興であることを示したければ za'e を頭に加えます。
No.64 - 2008/12/20(Sat) 21:47:01
(No Subject) / monaka
量の表現でdu'e、so'a、so'e、so'i、so'o、so'uなどありますが、どのように使い分ければいいでしょうか。
No.43 - 2008/12/16(Tue) 23:11:23

Re: / banpre
客観的描写のものと主観的判断のものとに分けられます。「〜過ぎる」「〜ぐらいで十分」というふうに判断を下すものが主観系です。

du'e - 多過ぎる
mo'a - 少な過ぎる
rau - 十分な

ro - 全ての 「全ての生物は自己増殖能力を持つ」
so'a - ほとんどの 「PS3はほとんどのPSタイトルと互換性がある」
so'e - たいていの 「たいていのアメリカ人がオバマ氏を選んだ」
so'i - 多くの 「地震で多くの家が倒壊した」
so'o - いくつかの 「いくつかの理由でプロジェクトは中止となった」
so'u - 少しの 「コップにジュースが少し残っている」

みんなPA類ですから数詞と同じ原理で使えます。
No.44 - 2008/12/17(Wed) 00:35:17

Re: (No Subject) / momaka
何となくはわかるのですが、例えば数値化などして教えてくれませんか?
No.45 - 2008/12/17(Wed) 19:18:29

Re: / banpre
100個のリンゴについて考えてみます。

ro (100)
so'a (90-99)
so'e (51-89)
so'i (26-50)
so'o (11-25)
so'u (1-10)

これらの量詞はもともと数を抽象化するためのものなので正確な対応数を定義するのは難しいのですが、参考としてはこんなところでいいと思います。
No.46 - 2008/12/17(Wed) 20:28:35

Re: / monaka
ありがとうございます。
なるほど、アエイオウ順に小さくなっていくわけですね。
もし表現に困った時はso'iを仮に「普通ぐらい」として考えてみます。
では。
No.47 - 2008/12/17(Wed) 22:43:45

Re: / monaka
連投すみません。
du'e 、mo'a、rauを使った例文を紹介していただけませんか?
他の量詞と同じ感覚で文章を作ってみたところ日本語にどのように翻訳していいかわからなくなってしまいました。
No.48 - 2008/12/17(Wed) 22:55:32

Re: / banpre
実は、「普通・平均」として使える no'o があります:

- xo da vitke ca lo lampurdei (昨日は何人のお客さんが来ましたか?)
- no'o (いつもぐらいです。)

so'i は many とされているので、「多くの」と捉えておくのが無難でしょう。先の返信では、「大半・大抵」を表す so'e の範囲とかぶらないよう so'i を 51/100 以上とはしませんでしたが、全体数を知らない場合などでは 70/100 や 95/100 を so'i としてもいいはずです。例えば箱に入っているリンゴ100個のうち70個をAさんが取り出して、箱の中の全体数を知らないBさんに見せたとします。Bさんはこれを「so'i plise/たくさんのリンゴ」と表してもいいはずです。

迷ったときは単に lo で済ませればいいでしょう。 lo plise ではリンゴの数は不特定となります。
No.49 - 2008/12/17(Wed) 23:17:58

Re: / banpre
>48

du'eroi fliba (PA + roi で「〜回」)
ミスが多過ぎる。(直訳では「過多回ミスする」)
---------
so'iroi fliba
けっこうミスする。

za'a do co'i djuno du'e lo mipri
お前は秘密を知り過ぎてしまったようだな。
---------
za'a do co'i djuno so'i lo mipri
お前は秘密をかなり知ったようだな。

fe'emo'aroi vi zarci (fe'e は時間性を空間性に転化するもの)
このあたりは店が少な過ぎる。(直訳では「近辺の過少箇所回において店である」)
---------
fe'eso'uroi vi zarci
このあたりは店が少ない。

ju'o ko'a ba na se mansa lo ti mo'a jdini
これっぽっちのカネでは彼は満足しないだろう。
---------
ju'o ko'a ba na se mansa lo ti so'u jdini
この少ないカネでは彼は満足しないだろう。

ca lo lampurdei rau da vitke
昨日はお客さんが十分に来た。(直訳では「昨日は十分のXが訪問客である」)

mi raumoi lo'i porsi ja'e lo nu vecnu snada (moi は PA と組んで「順番」を表す selbri となるもの)
僕は行列中の適度な順番にいたので(セール商品)をうまく買うことができた。
No.50 - 2008/12/17(Wed) 23:53:40

Re: (No Subject) / monaka
ありがとうございます。
使い方はあっていました。
単純に直訳しにくい文章を作ってしまっただけだったようです。

量詞はso'eが分かりにくくしているみたいです。
so'uを「わずか」としてso'uと言うには多い場合はso'o、so'aと言うには少ない場合をso'eとして
単純に多いと思う場合はso'iですかね。
何かロジバンらしくないですね、不親切な感じがします。
No.51 - 2008/12/18(Thu) 01:51:41

Re: / banpre
so'e は「中間値がわかっていて、それを上まわっているもの」という捉え方で一定させていいと思います。選挙権を持つ国民を lo prenu とする場合、多数決で大統領を選出するのは so'e lo prenu です。

so'i は「中間値がわからず或いは重要ではなく、単に多いもの」となります。ですから多さを表す目的では so'e lo prenu を so'i lo prenu で代用できます。しかし逆はできません。「多くの人」は必ずしも総体における「大半の人」ではないからです。阪神大震災で亡くなったのは「多くの日本人」ですが「大半の日本人」ではありません。

要素母音では e に i が続くという順序がありますが、これは量詞としての語形の一貫性をより配慮した処置であり、必ずしも so'e が so'i よりも数量的に上まわっていることが規定されているわけではありません。

so'a lo prenu を so'e lo prenu で代用することも可能です。「殆んどの人」はいつも「大半の人」です。しかし逆はできません。「大半の人」は必ずしも「殆んどの人」ではありません。今年のアメリカ大統領選挙でオバマ氏を選出した52.5%のアメリカ人は「大半のアメリカ人」ですが「殆んどのアメリカ人」ではありません。

so'u と so'o の間にも同様の代用原理があります。

du'e, mo'a, rau にたいして so'a-so'u は客観的であると言いましたが、何らかのコンテクストが言語の使用を支えることに変わりはありません。中間値が重きをなし少数派にたいする多数性を表したい場合もあれば、そのあたりに厳密とならず単に多さを表したい場合もあります。 so'e lo prenu は「多数派」であるがゆえに或る意味・使用機会を持ち、 so'i lo prenu は「多数」であるがゆえに別の或る意味・使用機会を持ちます。使用を決めるのはコンテクストです。抽象的な数量概念の実用上のこのような部分重複に対応してくれている点ではロジバンは親切であると私は思います。

いきなり全てを正しく使いこなそうとはしないで、 so'i と so'u から慣れていってみてはどうでしょうか。そのうち、残りのものにたいする需要が自ずと認識できるようになるはずです。
No.52 - 2008/12/18(Thu) 03:23:24

Re: / monaka
う〜ん、どうも難しく考えてしまう悪い癖が私にはあるようです。
つまり、「話の流れで使い分ければちゃんと伝えたい意味で通る」ということですよね。
色々使ってみて感覚を身につけたいと思います。
今のところどうもso'eが腑に落ちないのですが。
おそらく「most=最も多い」で今まで来てしまったのでそのせいだと思います。
他は大丈夫だと思いますが、so'eだけ確認させてください。
so'eは「(全体が分かっていて)大半」「(中間値がわかっていて)多数派」「(何かと比べて)最も多い」で、あってますかね。
細かいことを何度も質問してしまい申し訳ありません。
No.53 - 2008/12/18(Thu) 12:24:34

Re: (No Subject) / monaka
連投済みません。
so'oもso'eと同様に「中間値がわかっていて、それを下回っているもの」という概念でいいんですね。
No.54 - 2008/12/18(Thu) 13:07:22

Re: / banpre
>53, 54

(ちょっと長い返答になりますが、参考となることを願って・・・)

たしかに、 so'e を使うのは全体がわかっているときです。そして全体がわかっていれば中間もわかって当然です。しかし「最も多い」というのは的確ではありません。まずは、個の集まりについて so'e をそのまま使う例と、個について pi と組み合わせて使う例とで、訳をもう一度考えてみましょう。前者は「10個のオレンジの全体」の so'e、後者は「1個のオレンジの全体」の piso'e についてです:

citka so'e lo 10 narju

citka piso'e lo 1 narju

前者では、半分超、つまり6・7・8・9・10個食べる場合すべてに当てはまります。「(10個の)オレンジの大半を食べる。」

後者でも、半分超、つまり6・7・8・9・10割食べる場合すべてに当てはまります。「(1個の)オレンジの大半を食べる。」

さて、6個あるいは6割は「最も多い」と言えるでしょうか。場合によります。たとえばA・B・Cさんが10個のオレンジを奪い合いながら早食い競争して、Cさんが1個、Bさんが3個、Aさんが6個食べたとき、Aさんの6個は「最も多い」となります。しかし比較の枠を10個という全体量に置けば、6個よりも当然多い7・8・9・10個という量が出てきます。そして当然ここで最も多いのは10個です。

このあたりの違いを most で表すとこうなります:

A ate the most oranges.

A ate most of the oranges.

前者では、A・B・Cが食べたオレンジをそれぞれ3つにグループ化し、その中の「最多/the most」をAが食べたと言っています。後者では、10個というオレンジを一つのグループ(全体)として扱い、その中の「大半/most」つまり半分超をAが食べたと言っています。

ロジバンの so'e は後者の most です。この so'e/most/大半は割合の表現であって、比較級のそれではありません。たとえば最大級の表現はロジバンでは次のようになります:

A verai citka lo narju

verai は ve + rai、つまり ve traji のBAIで、オレンジを食べた行為が何かと比べて最上であることが意味されています。 verai の対象 sumti はここでは省いてありますが、もちろん明示できます:

A verai A ce B ce C citka lo narju

「AとBとCというセット」においてAが最上である、となります。 e でなく ce で一つのセット中にまとめていることにも留意してください。

最上のかわりに単に「B・Cよりも多く食べた」という比較を表す場合もやはりBAIで次のようにします:

A semau B e C citka lo narju

semau は se zmadu のBAIです。

比較関係を逆転させてビリのCを中心に語ることもできます:

C rai A citka lo narju
- Cは最大者Aに劣ってオレンジを食べた。
- CはAよりも少なくオレンジを食べた。

C mau A citka lo narju
- Cは以上者Aに劣ってオレンジを食べた。
- CはAよりも少なくオレンジを食べた。

ちなみに「以上・以下」を表す量詞はちゃんと存在します:

citka za'u 5 lo narju
- 5個以上のオレンジを食べる。

citka me'i lo xadba be lo narju
- 半分以下のオレンジを食べる。


「中間値を下まわっているもの」を so'o で表すことに問題はありません。しかし、 so'o があるところに中間値ありし、と規定する必要はありません。たとえば先日の返答で挙げた「いくつかの理由でプロジェクトは中止となった」について考えてみてください。「少ない」でも「多い」でもない量の「理由」を so'o で表しましたが、明確な中間値が存在するわけではありません。また、仮に「理由」が4つだけあるとき、5つ以上は存在しないのだから、この「いくつかの理由」そのものが全体量である、とする観点も不可能ではありません。いくら合理的な言語でも、表現の文脈性にたいして柔軟に対応できないとむしろ扱いづらいものとなります。 so'a-so'u はもともとが抽象表現のための言葉なので、やはり数値的な絶対関係をあまり求めないほうがいいと思います。

「多い」でも「少ない」でもないことから so'o を日本語の感覚で常に「普通・平均」とみなすのは的確ではありません。リンゴ100個のうち50個を取り出してこれを「たくさんのリンゴ、多くのリンゴ」と形容できるとき、これにたいして10個を「いくつかのリンゴ」とみなせますが、この10個は100個における「普通・平均」ではありません。そしてこの「いくつか」の概念は他と同様にやはり文脈次第で適用範囲が変わってきます。10個のうちの5個を「いくつか」(さらには中間値)とすることができますし、100万個のうちの100個を「少し」とすることもできます。
No.55 - 2008/12/18(Thu) 22:36:00

Re: (No Subject) / monaka
ありがとうございます。
とても丁寧に説明していただいて申し訳ありません。
恐らくもう大丈夫です。
so'eは大半、so'oは幾つか、ですね。
かなり大雑把なものと認識しておきます。
あとは相手の意図を汲めばいいわけですね。
ここまで手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした。
そして、本当にありがとうございます!
では。
No.56 - 2008/12/19(Fri) 00:47:51
na / banpre
//naを使うと「〜ではない」ではなく「〜であるということは真実ではありません」だとありますが違いがよくわかりません。//

厳密に言い表したもの、と捉えてください。日常会話レベルで ti na cribe を「これは熊ではない」と解したり訳すことに問題はありません。(挙げられている解説文は修正が必要かもしれません。原典箇所を教えてくれますか。)

na と na'e の違いに留意しておきましょう。 na は絶対否定するもの、 na'e は相対否定するものです。次の文を読み比べてください:

ti na cribe
→「熊である」は真実ではない。
→これは熊ではない。

ti na'e cribe
→「熊である」以外の何かが真実である。
→これは熊ではない。(熊以外の何かである。)

ti na glare
→「熱い」は真実ではない。
→これは熱くない。

ti na'e glare
→「熱い」以外の何かが真実である。
→これは熱くない。(熱い以外の何かである。)

na'e はスケール・程度を含意します。仲間に to'e, no'e, je'a があります。 to'e glare は「熱いの反対=冷たい」、 no'e glare は「熱くも冷たくもない=ぬるい」となります。 je'a glare は「(どちらかといえば)熱い方だ」というニュアンスで使えます。これと混同しやすいものに ja'a がありますが、こちらは na を打ち消して肯定に更新するもので、スケール・程度を含意しません。類別すると次のようになります:

NA: na, ja'a

NAhE: na'e, to'e, no'e, je'a
No.41 - 2008/12/14(Sun) 21:57:45

Re: na / monaka
ありがとうございます。
数字を使ってもよかったんですね、知りませんでした。

naの説明はLojban For Beginnersの6章のMore negativityの項からですが、
「〜ではない」を用いずにわざわざ「〜であるということは真実ではありません」であることを強調していたので英語の感覚が無い私にはどういった意味合いの否定なのか理解できなかっただけです。
cmavoのscalarの意味がわかれば混乱はなかったかも知れません。
No.42 - 2008/12/15(Mon) 21:28:31
(No Subject) / monaka
Lojban For Beginnersというサイトの6章に

mi na nelci ro gerku
it is not true that I like all dogs



mi na'e nelci ro gerku
I other-than-like all dogs

という例文があったのですが、これは「ro lo gerku」の間違いだと思うのですがどうなのでしょうか。

それと、naを使うと「〜ではない」ではなく「〜であるということは真実ではありません」だとありますが違いがよくわかりません。
No.35 - 2008/12/11(Thu) 18:37:14

Re: / banpre
ro gerku は ro (lo) gerku と解されます。PA類である ro は selbri を直接冠せます。数詞や「多くの、少しの」といった限量詞もPA類ですから同じです:

ci gerku = ci lo gerku
so'i gerku = so'i lo gerku

LEと一緒に出るとき、PA は外側のもの(outer)と内側のもの(inner)とに分かれます。上例の PA はみんな外側です。外側は LE の左に付き、 sumti が示す物の全体数のうちどれだけか、を表します。内側は右に付き、全体数を表します。

lo ci gerku
3匹の犬

re lo ci gerku
3匹の犬のうちの2匹

pa lo re lo ci gerku
3匹の犬のうちの2匹のうちの1匹
(* この re は外側と内側を兼ねています)

ro lo ci gerku
3匹の犬のうちの全て

当の犬の全体数が周知されている場合など、これがまず略せます:

ro lo gerku

全体数ですから、これは ro と同義です。次のように解されます:

ro lo (ro) gerku

内側の数量詞がこのように略されている場合、 lo も略せます:

ro (lo) (ro) gerku

この省略法は le には当てはまらないと私は聞いています。一応他の人達にも尋ねてみます。
No.36 - 2008/12/11(Thu) 19:44:21

Re: / banpre
やはり ro gerku や ci gerku は lo の省略であって le ではないとのことです。
No.37 - 2008/12/12(Fri) 20:07:54

Re: / monaka
ありがとうございます。
わざわざ調べていただいたようで申し訳ありません。
loでかつ数が確定している場合は省略できるんですね。

それと、naを使うと「〜ではない」ではなく「〜であるということは真実ではありません」だとありますが違いがよくわかりません。
No.38 - 2008/12/14(Sun) 13:28:19

Re: / banpre
全体数が確定していなくても lo は省略できます。
たとえば「この国には僕の知る人間は一人もいないだろう」を次のように表せます:

pe'i ro prenu pe lo ti gugde cu na slabu mi

この ro prenu は ro lo ro prenu の省略ですが、内側の ro が担う prenu の全体数すなわち国の総人口ははっきりしていなくてもいいのです。この話者は、自分の友人・知人でこの国に来ているとされている者がいない(来ているという報告を聞いていない)という知識からこの推測をしています。国の総人口が5000万人でも2億人でもそこに知り合いが含まれているとは先の知識から考えられないということに変わりはなく、 ro prenu は問題なく通用します。

次のような sumti では lo は略せません:

ro lo ti gugde prenu

これは ro prenu pe lo ti gugde という連なる二つの sumti を一つにしたものです。直訳では「全てのこの国的人間」となります。この lo を略すと、自身で sumti となりうる ti が ro を取り込み、 gugde prenu は述語(selbri)としてはじき出されてしまいます。構造が次のように異なります:

【 ro | lo ti gugde prenu 】

【 ro | ti 】【 gugde prenu 】

前者は全体で一つの sumti ですが、後者は sumti と selbri からなる「全てのこれらは国民である」という意味の文です。
No.39 - 2008/12/14(Sun) 20:58:45

Re: / banpre
ところで数詞は数字に置き換えても問題はありません:

6 lo 54 gerku

lo litce be li 1.5 jisra (1.5リットルのジュース)

読みは当然数詞の音です。
6 → xa は日本語における 6 → 六 のような違いだと思ってください。

また大きな数を数詞で読み上げるのが面倒であれば単語でいくらか代理できます:

lo relgigdo gusna'a seicni
20億光年の孤独

relgigdo は re gigdo から合成した lujvo です。
No.40 - 2008/12/14(Sun) 21:04:54
ロ和暗記カード / banpre
Quizlet というサイトがあります。
暗記カードを共同で作成できます。
さきほど、「lojban 日本語」というグループを作り、
「みる」「うごく」「きもち」というセットを用意してみました。

http://quizlet.com/set/582139/
http://quizlet.com/set/582207/
http://quizlet.com/set/582265/

誰でも語を追加したり定義を編集することができます。
みなさんも、便利だと思う語と出会ったおりに追加してみてください。
お互いの単語力を養い合うのに効果的だと思います。

「こういう語を探しているんだけど」
という注文にも利用できます。
グループのページ(http://quizlet.com/group/25374/)に投稿欄があるので、探している語を日本語(あるいは英語やエスペラント)で記入してください。
僕(あるいは他の誰か)が回答としてカードを作ります。

カードは自分用に好きなものを引き抜いて(元のセットには影響しません)別なセットを組めます。印刷出力もできるので、独自の単語帳を作るのにも役立つでしょう。
No.34 - 2008/12/09(Tue) 01:14:42
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