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「障労」障害者の労働・差別を考える会

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徳見の闘いとは…… / すけっと
 「リハ裁判」とはいったい何だったのだろうか、などと、今さらになって考えています。というのも、子問研の『ゆきわたり』という機関紙に、これまでの「徳見の闘い」の報告を書き始めたのですが……。改めて、過去の記録など紐解いてみていますが、すでに四半世紀も過ぎた過去の「出来事」となりました。それでも、「徳見の闘い」の「後遺症」は、残っています。
 7年前に65歳となり、「障害者支援」制度から介護保険制度に移行させられました。市の担当者は「これまでと同水準の『支援』をする(介護保険で足りない分は、市のほうで出す)」と約束。こうして、要介護3でスタートしました。
 その後、要介護2となり4となり、またケアマネが代わり、この1月、3人目のケアマネ(男)になったところ、「他の介護4のご利用者と比べて特別手厚い内容になっている」から、「支給量を削減したい」とのこと。ケアマネが、行政の手先のようなことをするのかと驚いて、役所の担当者に「確認」すると、「ケアマネに誤解を与えたかもしれないが、これまで通り支給する」とのこと。それでもケアマネは自説を変えようとしないので、やむなく「解任(契約解除)」しました。
 ケアマネというのは、「利用者」の側に立って仕事をするものだと思っていたのは、とんだ誤解だったのかもしれません。
 徳見が市から「特別手厚い支援」を受けているのは、それなりに「理由」があるのですが、その「理由」もしだいに薄れると共に、生活もますます窮屈になってくるようです。
No.136 - 2019/07/29(Mon) 23:57:23
(No Subject) / すけっと
「リハ裁判」は、1992年提訴、2001年最高裁の決定(上告棄却)まで9年、「障労裁判」は2000年提訴、2005年最高裁で上告棄却となって、「徳見裁判」は「リハ裁判」提訴から「障労裁判」終了まで、15年を経てすべて敗訴で終わりました。裁判提訴以来26年、今や、徳見さんは、70歳を超えました(かく言うスケットも、それ以上の歳になるわけです!)。
今、官公庁の「障害者雇用率」のごまかしやら「水増し」などが問題になっています。それとの関連で、「自力通勤・自力勤務」条項が問題視されて、新聞紙面を賑わしています(少なくとも神奈川新聞では……)。思えば、徳見裁判は、この「自力……」条項との闘いだったのでした。
そういえば、あのころ、CENSOREDした中学生の娘さんが「いじめによるものだ」として、情報を隠蔽した学校や教育委員会などに、情報開示を求めて裁判を提訴した前田さんの闘い(www://..npo-jp.net/diary/93/0104-13.html)も、今や隔世の感があるような気がします。




No.135 - 2018/11/12(Mon) 23:17:30
年々歳々花相似たり / すけっと
歳々年々人同じからずーーなどというフレーズが、浮かんだり消えたりする季節も過ぎて、この掲示板も、5年以上、空白です。この間にも、いろんなことがありました。おいおい報告したいと思います。
No.134 - 2018/06/06(Wed) 22:40:48
Re元気でっか / 徳見
 Abeさんですね。ごぶさたしています。
年賀状のお返事に書いた「寒中見舞い」を、掲載いたします。

 「くも膜下」以来4年、やっと以前の感覚が戻りつつありますが、昨年「自立支援法」から「介護保険」に替わり、生活状況や「介護体制」も微妙に変化しています。
 この正月には、娘家族5人が来てくれて、2〜3日かけて作った料理を、ほとんど平らげてくれました(写真:「目次」のページ参照)。
 ますます生きにくくなる(と思われる)これからの社会を生きなければならない子どもたちの将来を憂いつつも、今のささやかな幸せを楽しみました。いつまでも、この幸せが続くことを祈りたいと思います。
No.133 - 2013/02/08(Fri) 22:34:59
元気でっか / abe [ Mail ]
徳見さん元気でっか?
僕は何とか生きています。
発病から18年、ちゃんとした障害者になりました。

新美弁護士はある有名な裁判で証人に出て、尋問担当だった。もう30年ほど前・・

abe
さて、僕はだれでしょう。
No.132 - 2012/12/18(Tue) 03:16:29
年賀状のお返事 / 徳見
新春のお喜びを申し上げます。
 今年の2月で「くも膜下」3年になります。
やっと1時間ぐらいなら、チターを弾くことができるようになりました(ただし、医者には内緒です!)。
 今年の元旦も、娘一家が来て、前日まで数日(?)かけて作った料理を「おいしい、おいしい」と言って食べてくれて、にぎやかに楽しく過ごしました。孫たちは、今春、長女は高校、次女は中2、長男は小3……歳をとるのは早いもので、私も「介護保険」の対象者となって、これまでの「障害者自立支援法」のワクよりもさらに厳しい制度にしばられての生活を強いられることになりそうです。
 原発「事故」を始めとして、将来への不安もジワジワと押し寄せてきていますが、皆様にとって、いい年になることをお祈りいたします。
                2012年1月
No.131 - 2012/01/28(Sat) 23:23:49
JR西日本の障害者差別 / 匿名希望
最寄駅のJR御幣島駅の若い駅員……仕事が空いている時は改札口で、いつも「ありがとうございます。」と乗客に挨拶しているのに、私が通行する時は露骨に無視をする。
一度や二度ならともかく、最寄駅を利用する度にこれをやられると、だんだんと電車を利用するのが嫌になってくる……。
本来、乗客に気持ちよく電車を利用してもらう為の駅員の挨拶が、車椅子利用者・視覚障害者などの乗客を追い払う為の嫌がらせの道具にもなるとしたら、本末転倒だと思う。
利益・効率最優先の企業鉄道、JR西日本の闇の深さを感じる……。
No.129 - 2011/08/21(Sun) 22:33:35

Re: JR西日本の障害者差別 / すけっと
大阪の状況はよく分かりませんが、東京・横浜あたりの私鉄・JRなどは、車椅子利用者には過剰なほどの気の使いようで、電車を使うのが心苦しくなるほどです。徳見は、いつもは、すけっとの運転する車で移動するのですが、時々は電車を利用します。先日、知人の個展を見に、新宿の小田急デパートへ、久しぶりで電車で行きました。最寄りの田園都市線あざみ野駅で切符を買うと、すぐに駅員がスロープを持って来て、「何号車の何番目の扉」に乗せてくれて、乗り換えの渋谷駅に着くと、すでにスロープを持った駅員が待機しています。駅員から引き継いだ別の職員が、JRの改札口まで案内してくれます。田園都市線からJRまでは、エレベータを下りて、いったん外に出て、道路をわたって、さらにエレベータを2回乗り継いで……、というわけで、かれこれ10分ぐらいはかかったでしょうか。また新宿駅でも、ご丁寧に、ホームから、小田急デパートまで、案内してくれました。帰りは、「行きの道を戻ればいい……」と、新宿駅で、駅員の申し出をお断りしたところ、結局ホームにたどり着けず、案内を頼むはめになりました。とにかく、新宿や渋谷、横浜といった「大きな駅」は、「行き先表示」はあっても、車椅子は全く通れません。したがって、駅員の案内が不可欠だということを、思い知らされました。
 ついでに言えば、以前(たぶん10年以上前、駅にエレベータなどの設置もあまりないころ)には、駅の階段下で、すけっとが駅員を呼びに行っているあいだに、「通行人」が、4〜5人で、車椅子をかついでくれて、駅員が来たころには、もう用がすんでいた、などということがよくありましたが、いまは、エレベータのせいで、そんな「交流」もなくなりました。
No.130 - 2011/09/14(Wed) 23:18:58
寒中お見舞い……! / すけっと
 徳見は、一昨年春、くも膜下出血で手術、一か月ほど入院しました。一応生還しましたが、もう一つ残っている脳動脈瘤がパンクしないように気をつけなくてはならず、その上、腕の痛みが激しくなって、弾くことが楽しみだったチターも、近所の「ペインクリニック」の医者から厳禁されています。ここでの痛み止めの治療が生活の日課のような日々が続いています。
 この痛みが、「もしかしたら二十年以上前に手術した頸椎症がさらに悪化したためかもしれない」と、「くも膜下」の主治医が心配してくれたので、昨年8月、「頸椎の専門病院(九段坂病院)」で診てもらったところ、「腕の痛みは、五十肩のたぐいで、頸椎とは関係ない」「心配なら、頸の手術をした病院で診てもらいなさい!」と、「門前払い」されました。その結果を、「心配してくれた主治医」に報告したところ、「他でも診てもらったら……」というので、10月になって、近くの「労災病院」に行きました。結局、そこの医者も、「以前手術した病院へ行くのが一番いい。こっちにはデータもないし……」と、診たがらないことが露骨に分かる言い方で、「門前払い」されました。
「頸の手術した病院」というのは、横浜市大系列の病院(南共済病院)であり、二十数年前のことでした。そのときの主治医は、「(徳見の場合は)自分が手術してうまくいかなかった十例のうちの一例」などと言い、二年もの入院のあと、リハビリのために横浜リハセンターを紹介してくれましたが、そこでの転倒事故により、車椅子となりました。また車椅子になったことを理由に、横浜市から解雇されて、結局、「リハセンターに対して事故の責任を問う裁判」と「車椅子を理由にした解雇は無効」という二つの裁判をおこないました。十年以上にわたる二つの裁判は、いずれも最高裁まで行って、敗訴しました。この間の経緯については、ホームページを参照してください。
 その過程で、徳見は横浜市大系列の病院にかかることはできなくなってしまいましたが、すでに裁判が終わって5年以上たち、もはや過去のことなのですが、今になっても、そのことが尾をひいていて? 横浜市大系列以外の病院でも「診療拒否」されるとは!
……というわけで、痛みをかかえたまま、そして再びチターが弾けるようになるかどうか分からないまま、ペインクリニックでの「痛み止めの治療」に疲れたら、静かに、心穏やかに、じっと我が身をかばいつつ暮らすしかないよう、と徳見は覚悟を決めているようです。
No.128 - 2011/01/20(Thu) 21:45:44
いよいよ手術? / すけっと
くも膜下の手術後、通院している主治医が、徳見の症状をみて、「至急、頸椎の手術をしたほうがいい」と、九段坂病院を紹介してくれて、明日、初診でかかることになった。ここは、何年か前に、「再手術はリスクが大きすぎるから……」と言われて、今日にいたっているのだが……。今回は「リスク覚悟」で、手術に踏み切る必要があるのがもしれない!
No.127 - 2010/08/18(Wed) 22:04:00
カッパさん・その後 / ヒマダ
2月に友人・知人数人が、3月に緑学園の生徒数人が「追悼」の集まりをもった。いずれも、いい集まりだった!
No.126 - 2010/04/14(Wed) 22:49:30
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