「リハ裁判」とはいったい何だったのだろうか、などと、今さらになって考えています。というのも、子問研の『ゆきわたり』という機関紙に、これまでの「徳見の闘い」の報告を書き始めたのですが……。改めて、過去の記録など紐解いてみていますが、すでに四半世紀も過ぎた過去の「出来事」となりました。それでも、「徳見の闘い」の「後遺症」は、残っています。 7年前に65歳となり、「障害者支援」制度から介護保険制度に移行させられました。市の担当者は「これまでと同水準の『支援』をする(介護保険で足りない分は、市のほうで出す)」と約束。こうして、要介護3でスタートしました。 その後、要介護2となり4となり、またケアマネが代わり、この1月、3人目のケアマネ(男)になったところ、「他の介護4のご利用者と比べて特別手厚い内容になっている」から、「支給量を削減したい」とのこと。ケアマネが、行政の手先のようなことをするのかと驚いて、役所の担当者に「確認」すると、「ケアマネに誤解を与えたかもしれないが、これまで通り支給する」とのこと。それでもケアマネは自説を変えようとしないので、やむなく「解任(契約解除)」しました。 ケアマネというのは、「利用者」の側に立って仕事をするものだと思っていたのは、とんだ誤解だったのかもしれません。 徳見が市から「特別手厚い支援」を受けているのは、それなりに「理由」があるのですが、その「理由」もしだいに薄れると共に、生活もますます窮屈になってくるようです。 |
No.136 - 2019/07/29(Mon) 23:57:23
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