05072

新・茶室

旧・茶室運営サイトの活動休止にともない、こちらに引っ越しました。これまで同様、よろしくお願いします。

HOME | お知らせ(3/8) | 記事検索 | 携帯用URL | フィード | ヘルプ | 環境設定 | ロケットBBS
WINGBEAT COFFEE ROASTERS
内仏報恩講 / 住職 [ Home ] [ Mail ]
12月3日、遊雲の命日に、昨年通り内仏報恩講を無事勤めることができました。

今年は友人の重田総一郎氏のご厚意で、たくさんの羅漢さん(木彫り)や愉快な仲間達(陶芸)が遊びに来てくれました。ろうそくを境内のあちこちに灯(とも)し、心開かれる思いの内に御聴聞させていただいたことです。

もっと早くにレポートしたかったのですがお取越(各御門徒宅で営む報恩講、住職が各戸を訪問して歩く)が引き続き、来客ほか思いがけない用事も立て込んで遅れてしまいました。

今は持ち直していますが、昨夜来こちらでは雪、寒く静かな夜です。

いろんなことに思いをめぐらせています。
No.262 - 2008/12/06(Sat) 23:00:41
遊雲くんのご命日を前に / ピピ [ Home ]
 ご無沙汰しておりました。

 『遊雲さん父さん』をようやく読了しました。

 「ようやく」というのは、発行されてすぐに本は購入していたのですが、扉を開けて遊雲くんの写真を見るだけで涙がこぼれてくるので、本文を読む勇気が出なかったでした。しかし、なんとかお命日までには読み終えようと思い、読み始めたところ、むさぼるように読み終えてしまいました。

 ご住職とネット上で知り合ってまもなく遊雲くんが発病され、その後の様子についてはずっと掲示板や「住職の部屋」で読ませていただいておりましたから、一度もお会いしたことのない遊雲くんのこともご住職のこともとても身近に感じていました(このような安易な共感や感応をお許しください)し、うちの長男と遊雲くんが同い年であり、また呼び名も同じ「ゆうくん」なのでとても親しみを感じていたのでした。しかし、それ以上にやはり遊雲くんの存在そのもの(といってもご住職のフィルターを通しての遊雲くん像ですが)がわたしに大きな感銘を与えていたのだろうと思います。

 今は、長い感想文を書くことができません。ただ、「大きないのち」という言葉が心に響いています。ご住職の様々なお言葉や考えにはわたしの理解を超えたものも多くありましたし、共鳴する部分、違うのでは思える部分、それぞれにありました。さまざまな思いに囚われながら、それでも精一杯ご住職が伝えんとされることについては真剣に読み取ろうとしました。とても読み取れたとは思っていませんが、いずれ近いうちにまたまとまった感想をわたしのブログに書きたいと思っています。

 今はただ、この本に出会えたことの感動だけを記します。生は死を含んだものであり、わたしたちは死とともにあるからこそ生きることに輝ける。そのことの深さを感じています。

 そうそう、遊雲くんの絵も、2年前に大阪の小児ガンのお子さんの作品展で拝見しました(いま、遊雲くんのこの絵はがきがわたしの机の上を飾ってくれています)。この才能が15歳で失われるのかと思うと、あまりの大きな喪失に呆然としました。
No.259 - 2008/12/02(Tue) 21:59:45
Re: 遊雲くんのご命日を前に / 住職 [ Home ] [ Mail ]
ピピさん、お久しぶりです!

私が映画の素養がないため、ここのところ貴女のブログからも遠ざかってしまっていました。

本の感想、楽しみにしています。是非、手厳しくお願いします。私にとってもすでに「書けていないなあ」というところ、無理して背伸びしているところ等々、たくさん課題は見つかっています。

しかし、あの本そのものはあのときああいう形でしか書けなかったし、またある意味私を離れて今も育っているように感じます。私はすでに一読者に過ぎません。

bk1からも遠ざかっています。でも、少し気を抜いているといい本がたくさん出ていますね。現在、茂木健一郎の『欲望する脳』(集英社新書)にかなりショックを受けているところです。

遊雲の「才能」については、実はあまり喪失感を感じていません。創作折り紙もかなりやっていたしペーパークラフトはうまかったし、ポケモンにヒントを得たキャラクターもたくさん作っていたし、一方音楽も好きだったし文も書いていたし、懐かしいものは山のようにあります。でも、オリジナリティってそんなに大したものだとは思っていません。むしろ、平凡であること、当たり前であることの中に、大切なものがあると信じます。

「偉そうな人はみんな病人だ。せいぜいよくて病み上がりだ。ほんとうにすごいのは、ただの人だ(出典不明、有国の記憶に基づく)。」

遊雲が生きていたら、きっと素敵なただの人になったろうなという気はしています。それをイメージしながら、何よりまずわたし自身がただの人にならなければ。

今はそんなことを思っています。

明日は遊雲の命日、それにちなんだ内仏報恩講の日です。有縁の方々みな共に、お聴聞させてもらいます。
No.261 - 2008/12/02(Tue) 23:03:36
菩薩だったのだろう / 大浦静子 [ Mail ]

はじめまして。大浦静子といいます。

10/27の
「遊雲は、病気になる前も後も、いつもただ遊雲でした。病気を通じて遊雲らしさがよりわかりやすく出た面はあると思いますが、生まれたときからマイペースで、優しくて、頑固な子でした。

私たちにとっては、菩薩だったのだろうと思う以外に受け止めようがありません。」

を読みまして、亡き娘も同じだったなあと思わずメールさせて頂きました。
娘は胃ガンにより34歳で旅立ったのですが、残された時間、これまでの人生で出会った人たちに感謝する旅に出かけたのでした。

「私の人生が輝いたのはあなたに出会ったお陰よ。ありがとう」」とのメーッセージを伝えようとしたのでした。
「あなたにあえてよかった」(大浦静子・著)にも書いてあります。


「遊雲さん 父さん」を読んですぐに、お礼代わりに贈らせて頂きましたが、届きましたでしょうか。
No.258 - 2008/12/01(Mon) 09:41:58
菩薩 / 住職 [ Home ] [ Mail ]
大浦静子様、

大切な人を亡くされた方にとって、その大切な人は皆(その姿を問わず)菩薩でしょう。もちろん仏教に引きつけての受け止め方ですし、また安心して菩薩と受け止めることができることは「恵まれて」いることと思いますが。

ご本、届いております。お礼が遅れ申し訳ございません。
No.260 - 2008/12/02(Tue) 22:42:31
ありがとうございます / 澤田 [ Home ]
ご住職様へ

お忙しい中、お手配ありがとうございます。
小生の為に貴重なお時間を割かせてしまう事になり誠に申し訳ございませんでした。

前回、私もそれなりに一生懸命検索したつもりでおりましたが、結局は不十分であった事を反省しております。

大体、ボーヴォワールをボーボワールと表現するところから見ても好い加減さが出ておりました。

早速手配して購入するかを決定したいと思います。
ありがとうございました。

こちら横浜地区は、現在雨が降り始めまして天気予報によれば今日一日雨の様子です。

昨日、元の会社の山口支店の同僚に電話をしまして、ご住職の長久寺の件をお話しました。

在職中は前回も書き込み致しましたが、なかなか立ち寄る地域ではありませんでしたので、大体の想像は付きますが大まかに伝えておきました。

伝えた内容は、私も食道ガンに罹患していなければ全く気に留めない遊雲君の石碑の記事です。

同僚は、なんでも興味を持つ男ですので、多分ご住職の長久寺まで足を運んで、その所在地全体の雰囲気、ご本尊から醸し出される「情念」等を掴んで伝えてくれるだろうと楽しみにしております。

ありがとうございました。
No.256 - 2008/11/27(Thu) 09:50:43
情念 / 住職 [ Home ] [ Mail ]
ご同僚様、いつでもお寄りください。歓迎です。

私はいたりいなかったりでお会いできるとは限りませんが、本堂に鍵はかかっておりませんので、ご遠慮なくお入りください。

「情念」、ですか。どのように掴んでくださるのか、興味深いところです。
No.257 - 2008/11/28(Fri) 10:46:00
「人は全て死す」 / 澤田 [ Home ]
「人は全て死す」と云う題目の文庫本を昭和39年頃(20歳前後の時)に読んだ記憶があり、又読みたくて色々ネットで検索したが、探し当てる事が出来ませんでした。

自分の記憶では周りの人は、事故、病気、災難、寿命等で死んで行くが自分はなかなか死なない内容であったように記憶している。

主人公の当事者も色々と災難に遭遇するが死ない、本来ならば死んで当たり前の事に遭遇しても死なない。

何故死なないんだろうと疑問に思うがその理由が分らない苦しみが連綿と綴られていたと思う。

何を思い出したか自分が食道ガンになり罹患後6年を経過した頃から、急にこの本を読みたくなり、検索したがいまだに見当たりません。

著者はフランス人だったように記憶している。
ボーボワールかサルトルと思っていたのですが違っておりました。

もしかしたら題目が違うのかもしれないと思う事あります。

今日を精一杯生きることが、明日への活力となり未来も拓ける、自分の力で切り開く事の重要性、しかし自分だけの力で、切り拓く事は不可能であり、この宇宙全体からのエネルギーを戴く事になる。

少なくとも地球46億年の長きに亘って培ってきた、この地球の持っているエネルギーに感謝しながら今日を生きて行きたい。

私は強がって生きているが小心者であると認識している。
弱いから人との接触が好きである。

人から物凄いパワーを戴く。
会話中にパワーを自分が吸収してるのがわかる。

この地球の全ての自然が好きである。
動物、植物皆好きである、この共存体勢、営みが好きである。

何時もこの自然の中で生かされていることに感謝しながら今日も生きている。

今、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」を聴いている。
No.254 - 2008/11/26(Wed) 12:07:02
人はすべて死す / 住職 [ Home ] [ Mail ]
ボーヴォワールでしょう。岩波文庫から出ています。
http://www.bk1.jp/product/00509777
私は読んだことはないのですが、話は聞いた覚えがあります。アマゾンでは書評もついていました。

私としては、仏教で言う六道輪廻の「天上界」を連想しました。
http://www.yamadera.info/jushoku/jushoku-2007.htm#tenjokai
枠組みは違うものの、問われている主題は共通しそうです。
No.255 - 2008/11/27(Thu) 08:39:22
生者は強く生きる / 澤田
ガンの怖さは、生きながら死んで往く事だと思う。
遊雲くんは、その怖さを「往く」何ヶ月前に乗り越えた事の偉大さに感動で身が震えました。

四六時中付いて回る転移の心配。
頭が痛い・・・脳腫瘍か?

お腹が痛い・・・・胃ガンか、膵臓ガンか
疲れる・・・白血病か、肝臓ガンか

遊雲くんは全て乗り越えて宇宙へ飛び出した感動の旅へ。

残された生者は強く生きよう。
No.252 - 2008/11/24(Mon) 15:17:09
空っぽ / 住職 [ Home ] [ Mail ]
澤田さん、ようこそです。

遊雲は、むしろ「空っぽ」でした。この空っぽはもちろん空虚感・虚無感・絶望感などではなくて、あえて言うならば全肯定、しかもだれが肯定するということの問題でなくなるような全肯定です。

また、これは、私が強引に解釈したものでもありません。私に遊雲を理解することができないのは当然とした上で、今の私が遊雲に教えられていることです。

遊雲の触れた空っぽの中で、遊雲本人も、私も、開かれています。ですから、ご理解いただけると嬉しいのですが、私には強く生きる必要はないのですよ。生きる間はただ愚かに生きればよく、死ぬはめになったらやはり愚かに死ぬのみです。
No.253 - 2008/11/24(Mon) 22:43:18
洛北岩倉開催のありがとう講演について / 遊雲母 [ Mail ]
11月も早後半を迎えています。
来る11月30日日曜日午後1時から4時まで、京都岩倉幡枝の妙満寺会館で、「ありがとう」講演が開催されます。遊雲は、小学1年の2学期まで洛北岩倉長谷町で育ちました。当時お世話になった方々、縁の方々に応援いただいたこと、遊雲も「ぼくが行ってお礼を言いたい」と申しておりましたが、叶いませんでした。この度、遊雲のおもいをつなぐ会が新たに発足され、「ありがとう」講演開催の運びとなりました。遊雲の最期をみとっていただいた主治医の先生も重責担う中上洛、講演いただけることになっています。演題は「小児・思春期・若年成人がんとともに生きる」です。第2部では松本紀生さんによるアラスカフォトライブが予定されています。遊雲の幼稚園時の同級生(現在高2)達もボランティアで参加と聞いています。遊雲が息を引きとったのが12月3日、最期までの日々、みたかった京都の紅葉に、間に合うかなあと思いつつ...お知らせまで。
No.251 - 2008/11/22(Sat) 23:17:46
初雪 / 住職 [ Home ] [ Mail ]
急に、冷えてきました。今日、こちら(山口県の山間部)では初雪が舞いました。積もるほどではありませんでしたけれど。

ここのところ出講や行事が続き、なかなかサイトを更新する時間が取れません。しかしこれまでのようには自分を見失わずに済んでいるようです。ただ慣れたというだけなのか、そうでもないのかまではまだつかみ切れずにいるのですが。

今日が久しぶりに(比較的)ゆっくりできる日でした。結局何もできずに終わってしまいましたけれど。
No.249 - 2008/11/18(Tue) 22:09:00
初積雪 / 住職 [ Home ] [ Mail ]
積もることはないだろうとたかをくくっていたのですが、朝起きてみたら真っ白です。

まだタイヤを替えていません。まあ、まだ地面は暖かいので、道路が凍結するのはもう少し先のことでしょう。

しかし冬支度を急がなければ。
No.250 - 2008/11/19(Wed) 08:08:38
お言葉、かみしめています / 夏のまぼろし
ご住職、コスモスさん、返信有難うございました。

思うから悲しい、と何かにありました。全ては生き残ったものの想いなのかもしれません。 今年は不幸続きで、3月に娘も大好きだった実家の父が亡くなり、6月に可愛がっていた愛猫が事故死し、8月に娘です。 死んだ者はどこに往くんだろう・・と真剣に考えます。

私の感じる虚しさ・・心の底に穴があいた感覚・・そうかもしれません。今まで関心のあったもの、確固としていたものが遠くに行ってしまって、何だかぼやけて見えます。そうして時々、不意に悲しみの穴ぼこに落ちます。哀しみを克服できるとは思っていません。これは一生もの、と思っています。2年経たれたご住職や、浅田さんの思いに触れると一層そう感じられます。

何事もなく流れていく日常の中で,わが子の不在に気付く時が最もつらいですね。 人は滅多に死なないものだけど、死ぬ時は簡単に死ぬんだなーと 生まれてはじめての感慨です。 時が経てば悲しみの質が少しは変わるのでしょうか。

実は私がこんな風に生と死について考えるのは初めてではありません。私自身ががんの手術を2度受けています。再発の不安は消えません。特に2回目の後は、来る日も来る日も死とは?生とは?考え抜いた気がします。 でも、根っからの楽天家のゆえに、死ぬってそう特別の事じゃないんだと思おうとして、そのまま日が過ぎていきました。 
2度もひっくり返った天地でしたが、娘の時は致命的でした。 娘が死んで私が生きている・・その不思議さに、人間の力の及ばない運命の力、神か仏でしょうか・・を信じるしかなく、驚くぐらい謙虚な気持ちで仏壇に手を合わせている私です。 

長々とすみません。ご住職の言われるように、仏壇の前に座って目を上げてみます。心が空っぽになるように。
No.247 - 2008/11/05(Wed) 13:20:02
秋空の下で / 夏のまぼろし
外は素晴らしい秋空です。 初めて投稿させていただきます。 以前から読ませて頂いていたのですが、自分が書くには少し勇気がいり、なおかつ書き出すと涙で目の前がくもる状況で・・でもいつかは参加してみたいと思っておりました。ご住職のことは新聞で知り、私にとっては目がさめるような衝撃でした。娘を8月にがんで亡くし、不思議にも日が経つに連れて悲しみがどんどん深くなっていく気がする頃でした。もうすぐ3ヶ月になりますが、涙はいっこうに乾きません。 26歳で発病し、10ヶ月の闘病の末27歳で永眠しました。まだ学生で、離れて暮らしていたので、闘病中は子どものように素直になった娘と久しぶりに生活を共にし、厳しい治療も母娘二人三脚でやり抜いてきたのですが、もちろん娘のつらさは娘のもので、私にわかるはずもなかったのですね。闘病中は目を瞑っていた様々
なことが、死後の今噴出します。命について、生きる事と死ぬ事についてもっと話が出来ていれば、と思うのですが、その時は一切出来ませんでした。子どもが親を差し置いて先に死ぬ事がやっぱり附に落ちなくて、手当たり次第本を読み、仏教の考え方にも触れようとし、哲学の本も読みました。 この掲示板の浅田さんのHPも読ませて頂いております。何年経ってもこの悲しみは薄れる事はないのでしょうか? 一日中涙してるわけでは勿論ありません。仕事も再開して、普通に生活していますが、頑固に居座る虚しさ、虚無感は如何ともしがたく、前向きのエネルギーが湧いてきません。3ヶ月では、当然といえば当然かもしれませんが、自分がこれからどのようにして、何をして生きていけばいいのか困惑する毎日です。

「遊雲さん 父さん」 私にとってあまりに生々しいのではないかと恐れまだ読んでいません。そろそろ読ませていただこうと思っています。

朝晩、仏壇に座して念仏を唱える事がようやくできるようになりました。(わずかなじかんですが)手を合わせて、もぞもぞと口を動かしていると、涙と共に身体が温かいものに包まれる気がします。娘のいる仏の宇宙からの贈り物でしょうか・・そう思えるようになりたいと切に願うこの頃です。 またいろいろお聞かせください。
No.244 - 2008/11/04(Tue) 12:11:31
秋の夜長に / 住職 [ Home ] [ Mail ]
>夏のまぼろしさん、

勇気をもっての(?)ご投稿、ようこそです。

>頑固に居座る虚しさ、虚無感は…
そうだろうなあと思いますし、そしてそれ以上に、それでいいのだと思っています。

浅野さんに鋭くご指摘いただいて初めて気がついたことなのですが、私は虚無感と無縁であったのではありません。ただ、仏教に親しむことのできた環境のおかげもあって、虚無感との「つき合い方」を多少心得ていただけです。

一言で虚無感と言っても、実はものすごい広がりがあります。文字通り真空の中に放り出されてしまうような、息をすることすら意味を持たなくなってしまうような虚無感(脱力感)から、しっかりと暖かい虚無感(孤独感)まで。

虚無感という言葉はどこか強すぎるところがありますから、少し言い換えてみましょう。「心の底に穴が開いてしまったような、心許ない感覚」と。おそらく、それでも大きくはずれないと思います。(それで大きくずれてしまうようであれば、私が完全にはずしてしまっていますから、笑ってお見逃しください。)

私としては、せっかく(?)開いてくれた穴を、無理に閉じようとしないでいたいというあたりが精一杯のようです。実際、「穴」こそ、今の私にとって一番大きく切実なテーマなのです。

虚無感≒空虚感どころか、私には何もなかった。今の私は、そんな気づきの中にいます。その気づきは、不思議に満たされた感覚を伴うのですが。

虚無感を否定するのではなく、つまり「しっかりしなくてはいけない、少しでも早く元気になろう」などと思うことなく、せっかく出会えた虚無感を、心ゆくまで味わってみてください。思いのほか、実は素敵だったりします。

>仏壇に座して念仏を唱える事がようやくできるようになりました。
是非、下を向くことなく目を閉じることなく、お仏壇の中央のご本尊様を見上げて、座ってください。前向きに、という意味ではありません。顔を上げ目をあけ、ついでに口までぽかんと開けたくらいのときに、初めて私たちは「空っぽ」になれるようです。
No.245 - 2008/11/04(Tue) 23:11:32
Re: 秋空の下で / コスモス [ Mail ]
夏の幻さんへ
はじめまして。投稿を勝手に読ませて頂きました。
さぞかしお辛いでしょう。私もご住職さんと同じ考えです。
早く元気になる必要はあるのですか?大切な娘さんを亡くされて、泣いて泣きくれて、それでいいじゃないですか。私も3年程前に両親を相次いで亡くなりました。親が亡くなるのと、子を亡くされるのと、哀しみが違うかもしれません。 自分の生活に追われ、少しずつ哀しみが薄らいできています。我が子の場合、一生、自分がお墓に入るまで哀しみは消えないのではないでしょうか。ならば、いっその事、哀しみと肩を並べて歩いていかれてはどうでしょう。ご仏壇に手を合わせご供養されていらっしゃるのなら、ご先祖様と一緒にお嬢様もお側にきっといらっしゃいますよ。
お姿が見えないだけで、魂はお側においでですよ。
なかなか立ち直れないご自分を決して嘆かない下さいね。ちなみに私も4番目の子供を亡くしています。
と言ってもこの世に生を受ける事なく亡くなりました。抱いてあげる事も出来ずに。もう10年立ちましたが駄目ですよ、やっぱり涙が込み上げてきますね。勝手に名前を付けて会った事のない我が子に話しかけています。どうか、ゆっくりとお顔を上げて下さいね。
No.246 - 2008/11/05(Wed) 00:50:37
以下のフォームに記事No.と投稿時のパスワードを入力すれば
投稿後に記事の編集や削除が行えます。
50/50件 [ ページ : << 1 2 3 4 5 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - 環境設定 -

Rocket Board Type-LL (Free) Rocket BBS