「文化」の定義をシンプルに考えたとき、 「個々人が生活をする、していくための技術と形態」 だとするなら、文化学院はそれを学ぶ、身につける場所 ということになります。
我々は生きて生活している以上それはすでに「文化的」で あって、かつ個々人が固有に発揮しているものです。
であるならば「学校」や「アーチ」「御茶ノ水」 「両国」というワードは、恐らくそうした個々人が求める「手ごたえ」のようなものであって、それらを議論する ということは『愛する』『思う』というまさに「文化的」な行為を発揮していることと同義です。
そうした「手ごたえ」をさぐる行為そのものが「文化的」 であるならば、あとはそれを如何に紡いでいくか、あるいは別のかたちに昇華していくかが問題になりそうです。
そうしたことを真剣に考え、実践しているアーチの集い の皆様には、頭が下がります。 |
No.245 - 2016/02/28(Sun) 22:09:09
|