『ショーシャンクの空に』(ショーシャンクのそらに、原題:The Shawshank Redemption) は、1994年に公開されたアメリカ映画。刑務所内の人間関係を通して、冤罪によって投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマン・ドラマ[2]。 原作はスティーブン・キングの中編小説『刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』。監督・脚本はフランク・ダラボンが務め、彼の初監督作品でもある。原題の「The Shawshank Redemption」は直訳すると「ショーシャンクの贖い」になる(作品解説も参照のこと)。 本作は興行的には成功したとはいえないが、批評家達からの評価は高く、AFIのアメリカ映画ベスト100(10周年エディション)において72位にランクインしており、日本では1995年のキネマ旬報ベストワン(洋画)に選ばれているなど人気を誇った[2]。また受賞には至らなかったが、第67回アカデミー賞で7部門にノミネートされた。 1947年、若くして銀行副頭取を務める優秀な銀行員アンドリュー・デュフレーン (アンディ)[3]は、妻とその愛人を射殺した罪に問われる。無実を訴えるも終身刑の判決が下り、劣悪なショーシャンク刑務所への服役が決まる。ショーシャンクでは、長年服役する「調達屋」ことエリス・ボイド・レディング(レッド)が、もう何度目かとなる仮釈放の審査を受け、更生したことを訴えるがやはり却下される。レッドが落胆し部屋を出ると、アンディを含む新しい受刑者達が護送されて来る。アンディら新入り達はノートン所長とハドリー主任刑務官から脅しを含めたショーシャンク刑務所の紹介をされ、その晩に取り乱した一人の新人受刑者がハドリーから過剰暴力を受けて死んでしまう。 孤立していたアンディはやがてレッドに声をかけ、鉱物採集の趣味のため小さなロックハンマーを注文する。それをきっかけにアンディはレッドと交友を重ね始める。他方、アンディは荒くれ者のボッグズとその一味に性的行為を強要され、抵抗のため常に生傷が絶えない生活が続いた。 1949年、アンディは屋根の修理作業中、ハドリーの遺産相続問題を知り、財務経理の知力を駆使し作業仲間達へのビールと引き換えに解決策を提案する。ビールを手に入れ仲間達から尊敬される一方で、ハドリーら刑務官からも一目置かれるようになる。その後ボッグズらがアンディを襲って全治1ヶ月の重傷を負わせるも、ボッグズがハドリーに半殺しにされて以後、アンディを襲う者はいなくなった。アンディが治療を終え自分の房に戻ってくると、レッドに注文していたリタ・ヘイワースの大判ポスターが退院祝いとして置かれていた。 やがて、アンディは図書係に配置換えとなり、もう50年も服役している老囚人ブルックスの助手となる。だが、その本当の目的はノートン所長や刑務官達の税務処理や資産運用をアンディに行わせるためだった。アンディは有能な銀行家としての手腕を発揮する一方で、名ばかりだった図書係としても精力的に活動を始め、州議会に図書館予算の請求を毎週送るようになる。 1954年、ブルックスに仮釈放の許可が下りるが、50年服役した老人は塀の外の生活への恐れから取り乱す。アンディらに説得され、仮釈放を受け入れるが、結局、外の生活に馴染むことはできず、最期は首を吊って死んでしまう。死の間際に送られた感謝の手紙を読んで、アンディとレッドは苛まれる。一方、手紙に根負けした州議会はわずかばかりの寄付金と古書をショーシャンク刑務所に送ってくる。アンディは送られてきた荷物の中に『フィガロの結婚』のレコードを見つけ、それを勝手に所内放送で流したことで懲罰房送りとなる。その後、仲間達からレコードを流した理由を尋ねられ、アンディは「音楽と希望は誰にも奪えないものだ」と説明するが、レッドは「そんなもの(希望)は塀の中じゃ危険だ」と反論する。 1963年、アンディが州議会にさらに手紙を送り続けた結果、年度毎の予算まで獲得し、倉庫同然だった図書館は囚人達の娯楽と教養を得る場となっていた。その頃所長は、囚人達の社会更生を図るという名目で、彼らを労働力として野外作業をさせ始め、そのピンハネや土建業者達からの賄賂を受け取り始める。そしてアンディは「ランドール・スティーブンス」という架空の人物を作り出し、その多額の不正蓄財を見事に隠蔽していた。 1965年、新たに入所したコソ泥のトミーは、すぐにレッドの仲間達と打ち解け、アンディも彼を気に入る。更生を望むトミーにアンディは文字の読み書きから勉強を教え始め、やがて高校卒業資格を申請するにまで至る。トミーはアンディの過去を知ると、その真犯人に心当たりがあることを話す。アンディは所長に再審請求したいと頼み込むが、優秀な経理担当者であると同時に不正蓄財を知っている彼を自由にさせる気のない所長は、アンディを懲罰房に入れ考えを改めるよう迫る。1ヶ月経っても折れないアンディに業を煮やした所長とハドリーは、冤罪証明の鍵を握るトミーを呼び出して射殺、後日アンディには「脱走したため撃った」と嘘を伝える。 トミーの死から1ヶ月後、アンディは再び不正経理を行うことを条件に懲罰房から出される。しかし、アンディの様子はどこかおかしく、レッドに要領を得ない伝言を残す。レッドら仲間達はアンディがCENSOREDを考えていると疑い、嵐の晩に心配が募る。 翌朝の点呼の際、アンディが房から消えていることが発覚する。所長やハドリーもアンディの房に向かい、リタ・ヘイワースからマリリン・モンローへ、そしてラクエル・ウェルチへと代替わりしていたポスターの裏の壁に大穴が開いていることを見つけ出した。アンディは約20年間ロックハンマーで壁を掘り続け、ついに1966年、脱獄したのだった。アンディはスティーブンスに成りすまして所長の不正蓄財を引き出すと同時に告発状を新聞社へ送り、難なくメキシコへ逃亡する。そしてアンディの告発状によってハドリーは逮捕され、所長は拳銃CENSOREDする。 間もなくレッドは服役40年目にしてようやく仮釈放されるが、ブルックスと同様に外の生活に順応できない。ブルックスと同じ悲劇への道を辿りかけるが、レッドはアンディの伝言を信じてメキシコのジワタネホへ向かう。そして、青海の海岸線で悠々自適の生活を送るアンディと再会し、喜びの抱擁を交わしたのだった。 ▼フィガロの結婚 封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて、貴族を痛烈に批判しており[2]、たびたび上演禁止に遭った。特にルイ16世は「これの上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂したという。だが、この戯曲に魅せられた人々からの強い要請を無視できず、公演許可を出すに至った。このような危険な作品をオペラ化し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお膝元ウィーンで上演できた理由は不明だが、ダ・ポンテの自伝によれば、彼がうまく皇帝を懐柔して許可を得たことになっている。 モーツァルトのオペラ編集オペラはウィーンのブルク劇場で1786年5月1日、モーツァルトが30歳の時に初演された。ある程度の好評を得たが、原作の貴族批判はおおむね薄められているとはいえ危険視する向きもあり、早々にビセンテ・マルティーン・イ・ソレル作曲によるオペラ『椿事』(Una cosa rara)に差しかえられてしまった。モーツァルトが次に書いたオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の後半で、『椿事』の一節に続き『フィガロ』の「もう飛ぶまいぞこの蝶々」の一部を演奏している。 こうしてウィーンでは期待したほど人気を得られなかったものの、当時オーストリア領だったボヘミア(現在のチェコ)の首都プラハの歌劇場で大ヒットした。作曲者も招かれて有意義な時を過ごし(この時に交響曲第38番『プラハ』K.504を初演している)、新作オペラの注文までもらえた。これが翌年初演した『ドン・ジョヴァンニ』K.527である(同じくダ・ポンテの台本による)。 日本初演は1941年6月に東京音楽学校で行われた[3]。舞台初演は1952年[4]。 その歌とはモーツァルトの『フィガロの結婚』からの「手紙の二重唱」。私自身この歌がこんなに美しいと思ったのは初めてのような気がしました。ほんとうに時間がとまるほどゆったりと優雅で美しい曲に聴こえました。説明なんかいらないんだなと思いました。この歌は浮気者の旦那をこらしめるために偽の手紙を書く歌、そんな知識が「美しい曲」だと感じる事の邪魔をしていたように思えました。と言いながらも説明してしまうのがオペラ好きの性でして…映画の内容とは一見関連なさそうな「手紙の二重唱」、実は「今夜、庭の松の木の下でお待ちしています」という手紙を書く歌。ロビンスがフリーマンに「いつか故郷バクストンの樫の木の下を訪ねてみてくれ」と言う映画の重要なシーンとの「木の下」リンク?などとこじつけてみたくなったりもするのですが、今回はそういう話はヤメておきましょう(もう喋ってるって)。樫の木についても映画を見てのお楽しみにしておいたほうがよさそうですし。と言いながらもレコードのエピソードの続きは…放送室占拠の罰にロビンスは二週間の懲罰房行きとなり、戻った彼は「地獄だったろう」と聞かれて「モーツァルトを聴いていたから快適だった」と答える。レコードなど聴けるわけがないじゃないかと笑う仲間たちへの名セリフ「頭の中で聴いていたんだ。心の中でもね。音楽は決して人から奪えないのさ。」『ショーシャンクの空に』は、こんないかにもスティーブン・キング原作らしい「感動と奇跡のアンビリーバボー」的シーンが満載なのに、とても穏やかな淡々とした映画です。その雰囲気を作り上げている音楽も、聴こえてこないのが凄いというのか、曲が主張せず何度見てもメロディーを覚えてしまったりすることのない、まさにこれこそ「映画音楽」といった素晴らしさで、アカデミー賞を受賞しています。映画とともにずっと記憶に残って時折思い出して口ずさむようなのもいいですが、こういう音楽も素敵ですよね。だからこそ「手紙の二重唱」がまた際立つのかもしれません。 監督・脚本:フランク・ダラボン ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption (1994年) - 監督・脚本 グリーンマイル The Green Mile (1999年) - 監督・脚本・製作 マジェスティック The Majestic (2001年) - 監督・製作 ミスト The Mist (2007年) - 監督・脚本・製作 テレビ映画 悪女の構図 Buried Alive (1990年) - 監督 脚本、製作に関わった作品編集エルム街の悪夢3 惨劇の館 A Nightmare On Elm Street 3: Dream Warriors (1987年) - 脚本 ブロブ/宇宙からの不明物体 The Blob (1988年) - 脚本 ザ・フライ2 二世誕生 The Fly II (1988年) - 脚本 フランケンシュタイン Frankenstein (1994年) - 脚本 プライベート・ライアン Saving Private Ryan(1998年) - 脚本(クレジット無し) THE SALTON SEA ソルトン・シー The Salton Sea (2002年) - 製作 コラテラル Collateral (2004年) - 製作総指揮 GODZILLA ゴジラ Godzilla (2014年) - 脚本(クレジット無し) テレビシリーズ編集ザ・シールド ルール無用の警察バッジ The Shield (2007年) - 監督(第6シーズン第6話) ウォーキング・デッド The Walking Dead(2010-) - 監督(第1シーズン第1話)・脚本・製作総指揮 原作:スティーヴン・キング スティーヴン・エドウィン・キング(Stephen Edwin King, 1947年9月21日 - )は、アメリカのモダン・ホラー小説家。作品は世界各国で翻訳され読まれている。「ホラーの帝王」の異名を持ち現代アメリカを代表する作家の1人である 音楽:トーマス・ニューマン 40年以上に及ぶキャリアの中で、『ザ・プレイヤー』、『ショーシャンクの空に』、『アメリカン・ビューティー』、『グリーンマイル』、『ファインディング・ニモ』、『ウォーリー』、『007 スカイフォール』、『007 スペクター』、『1917 命をかけた伝令』など、数々の映画音楽を製作している。 作品解説編集タイトル編集製作当初、作品名は原作と同じ"Rita Hayworth and Shawshank Redemption"(刑務所のリタ・ヘイワース)となっていた。しかしリタ・ヘイワースのドキュメンタリーと勘違いされ、リタ・ヘイワース役のオーディションを熱望する者まで現れた。その女優は「脚本はすばらしかった。ぜひリタを演らせてほしい」と言ったという。このため作品名が"The Shawshank Redemption"(ショーシャンクの贖い)となった経緯がある[4]。 "Redemption"は「罪を贖う」という意味と同時に、債券などの「満期償還」や「買戻し」「回収」という意味をもつ。 製作編集監督のダラボンは1983年にスティーヴン・キングの短編小説『312号室の女』を映画化して彼に注目され、その後、1987年に本作の映画化権を得ている[5]。この映画化権を得るまでの4年間、2人はペンフレンドとして交友を重ねてはいたが共に仕事をしたことは無かった。本作はキングが意欲的な映画製作者に向けて作った有名な「en:Dollar Baby」の1つである。ダラボンは本作の後も、キングの『グリーンマイル』(1999年)や『ミスト』(2007年)の映画化に関わった。 当初、脚本と監督は『スタンド・バイ・ミー』(1986年)をヒットさせたロブ・ライナーが250万ドルでオファーを受けていた。ライナーはアンディーにトム・クルーズ、レッドにハリソン・フォードを充てる構想を提案した。ダラボンは、ライナーの構想を気に入っていたが、結局、自身が監督することで大きなものを得られる機会だと考え、監督兼脚本を担当することとした[6]。 映画のセットはメイン州に作られたが、ショーシャンク刑務所の全景はオハイオ州マンスフィールドの使われなくなったオハイオ州立少年院(Ohio State Reformatory)を利用している。刑務所の大半は撮影終了後に取り壊されたが、主な管理棟と2つの独房棟は残された。敷地はその後、映画『エアフォース・ワン』の一部シーンのため、再利用されている[7]。入場室および監視員のオフィスのような専門の刑務所設備の内部のシーンは少年院で撮影されている[7]。屋外での撮影は他の場所で行われたが、ブルックスとレッドが対面した入所室の内部は管理棟に位置した[7]。刑務所の敷地は観光名所となっている。刑務所監獄棟の内部場面で使われたのは、近くの閉鎖されたウエスティングハウスの工場内部に作られた防音スタジオである[7]。ダウンタウンの場面は、近隣のアシュランド(オハイオ)やマンスフィールドでも撮影が行われた。 アンディがレッドへの手紙を埋めるオークの木はオハイオ州ルーカスの、マラバーファーム州立公園の近く、40°39′14″N 82°23′31″Wにある。木は2011年7月29日にあった雷雨を伴う突風で酷く損傷を受け、職員達は枯死した可能性を考えていたが、その後、回復グループ及び山林学組織による検査によってまだ生きていることが判明した[8][9]。しかし2016年7月22日、強風のためついに倒れた[10]。 詳細は「ショーシャンクの木」を参照 ラストシーンでレッドがアンディと再会した海岸は、メキシコ南部ゲレーロ州のジワタネホ(英語版)と設定されているが、実際にはアメリカ領ヴァージン諸島のセント・クロイ島で撮影されたものである[11]。近年のジワタネホは海洋汚染が激しいビーチとして挙げられており、公衆衛生当局がビーチを閉鎖したことがある[12]。 原作との違い編集原作でアンディは銀縁眼鏡を着用した小柄な男性として描かれているが、アンディ役のティム・ロビンスは190cmを超える長身である。その為、作中でも、レッドの台詞の中に「あの背の高い男だ」と長身である事が逆に強調されている箇所がある。また、映画版ではアンディは眼鏡[要検証 – ノート]を着用していない。 原作・映画共に、レッドはアンディに「なぜ(渾名が)レッドなんだ?」と聞かれ、「(赤毛が多い)アイルランド系だからさ」と答えるシーンがある。原作でのレッドは実際にアイルランド系移民である点と、ファミリーネーム(Redding)に因んだ渾名である事を説明する、ただの会話である。一方、映画でのレッドはモーガン・フリーマン扮する黒人である事から、原作を踏まえたジョークになっている。 原作ではレッドが服役している理由は保険金目当てで妻の車に細工をし、結果的に同乗した知人の女性と子供も巻き添えにして殺害したことが原因と語られる。映画では詳細は不明だが、一人の男性を殺害したことに変更されている。 原作では刑務所内の房は雑居房となっており、アンディも服役中何人かと同居するが、映画では全員独居房となっている。 原作ではカラスの雛ジェイクを育てているのはシャーウッド・ボルトンという囚人だが、映画ではブルックスと統一されている。また、原作ではジェイクは釈放前に逃がされた数日後に刑務所内で死亡する。 原作ではアンディは有罪になる前に全ての資産を売却して友人のジムの協力の元「ピーター・スティーブンス(映画ではランドール)」なる架空の人物を作り、資産を全て信託させ、大金を隠し持っていたが、映画版ではノートン所長の賄賂や屋外奉仕で稼いだ裏資金を隠す為にアンディ自らが所内でスティーブンスを作り出した事になっている。 アンディが流したレコードの曲は「フィガロの結婚」第3幕 第10場の第21番 二重唱「手紙の二重唱」・「そよ風によせて…」(Sull'aria ... che soave zeffiretto)である。このエピソードは原作にはなく、脚本執筆当時にオペラにはまっていた監督のアイディアである。音源は、カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団、エディト・マティス(S:スザンナ)グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S:アルマヴィーヴァ伯爵夫人)による1968年録音。 原作ではアンディの服役中に看守や所長が何度か代替わりするが、映画ではハドリーとノートンに統一されている。(原作では2人は入れ違いで登場し、接触もしておらず、ハドリーは中盤で心臓発作を起こして亡くなり、ノートンは、その後に所長に赴任する。) 原作ではアンディが看守を買収してボッグズ・ダイアモンドを痛めつけて再起不能とさせるが、映画では屋上のタイル塗りのエピソードが先に展開された事で、その流れでハドリーがボッグズを痛めつける流れに変わっている。 映画ではトミーは殺害されているが、原作ではアンディの事件の事を黙認すれば待遇の良い刑務所に移送するという所長の条件を呑んでアンディを裏切り、他の刑務所に移されただけである。監督によると所長を更に狡猾にする為に変更したとドキュメンタリーで触れている。 映画ではノートン所長は銃でCENSOREDをするが、原作では解雇され廃人同然の状態になる。映画での、アンディが所内の違法行為を内部告発するシーン自体がない。 原作には映画のラストにある、海のシーンはない。 その他エピソード・解説編集幼虫をカラスの雛に与えるシーンには、動物愛護団体が立ち会った。彼らは生きている幼虫をヒナに与えないことを要求し、ダラボンは餌を釣具店で買ったので大丈夫だと説得した。 アンディ達が所内で見ていたリタ・ヘイワースの映画は『ギルダ』である。(原作では『失われた週末』を見ている)。アンディもギルダも無実のことで誤解されていることやレッドとの関係などが同じ構造になっている。 ブルックスが壁に彫った文字「BROOKS WAS HERE」は、第二次世界大戦中にアメリカ軍人の間で流行した落書き「Kilroy Was Here(キルロイ参上)」のフレーズを捩ったものである。 仮釈放審査において、レッドの書類に貼られていた青年時の写真は本人でなく、モーガン・フリーマンの実子アルフォンソの写真である。またアルフォンソは映画冒頭で、護送されて来たアンディら新入りたちをからかう囚人役の一人としても出演している。 トミー役は脚本に惚れ込み出演を熱望していたブラッド・ピットにオファーする予定だったが、ピットは『リバー・ランズ・スルー・イット』、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』などのスケジュールの都合で泣く泣く出演出来ず、当時無名だったギル・ベローズが起用された。 ボッグス役はジェームズ・ガンドルフィーニが予定されていたが、『トゥルー・ロマンス』を優先したためにマーク・ロルストンが起用された。 映画の最後に「IN MEMORY OF ALLEN GREENE(アレン・グリーンを偲んで)」と字幕表示されるが、この人物はフランク・ダラボンの旧友であり、本映画の製作途中に亡くなっている。 2018年7月よりHuluで放送が開始したTVシリーズ「キャッスルロック」の第1話は、ショーシャンク刑務所が舞台となっている。なお、キャッスルロックは他のキング作品の多くに登場する街の名前である。 評価編集公開当時、本作は『フォレスト・ガンプ』や『パルプ・フィクション』『スピード』の影に埋もれ知名度は低かったが、批評家達から高い評価を受け、その後ビデオ販売やレンタルによって、徐々に人気を獲得し、ファンを広げていった。 1994年のアカデミー賞では7部門にノミネートされた(作品賞、主演男優賞:モーガン・フリーマン、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、録音賞)が、ほぼフォレスト・ガンプが占め受賞には1つも至らなかった。 AFIの映画ベスト100シリーズでは「感動の映画ベスト100(23位)」「アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)(72位)」にランクインしており、いずれも同時期のライバル作より高い。 Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「『ショーシャンクの空に』は、繊細な演出と素晴らしい演技で、高揚感と深い満足感を与えてくれる刑務所ドラマである。」であり、75件の評論のうち高評価は91%にあたる68件で、平均点は10点満点中8.24点となっている[13]。Metacriticによれば、20件の評論のうち、高評価は18件、賛否混在は2件、低評価はなく、平均点は100点満点中80点となっている[14]。 受賞歴編集1995年 アカデミー賞 7部門(作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、音響賞)ノミネート 1995年 ゴールデングローブ賞 2部門(男優賞、脚色賞)ノミネート 1995年度 第19回日本アカデミー賞 外国語映画賞 1995年度 キネマ旬報ベストテン 外国映画作品賞、読者選出外国映画監督賞、読者選出外国映画ベスト・テン第1位 1995年度 毎日映画コンクール 外国映画ベストワン賞 1995年度 報知映画賞 外国作品賞 ショーシャンクの空にThe Shawshank Redemption監督フランク・ダラボン脚本フランク・ダラボン原作スティーヴン・キング 『刑務所のリタ・ヘイワース』製作ニキ・マーヴィン製作総指揮リズ・グロッツァー デイヴィッド・レスター出演者ティム・ロビンス モーガン・フリーマン音楽トーマス・ニューマン撮影ロジャー・ディーキンス編集リチャード・フランシス=ブルース製作会社キャッスル・ロック・エンターテインメント配給 コロンビア映画 / ワーナー・ブラザース 松竹富士公開 1994年9月10日 1995年6月3日上映時間143分製作国 アメリカ合衆国言語英語製作費$25,000,000[1]興行収入 $28,341,469[1] |
No.199 - 2021/07/05(Mon) 09:34:13
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