イラク全域の戦争は、双方にとり地獄の様相を呈して います。十分に考えられた非戦闘員への被害の続出は、 正義のありどころを逆転させます。 も一度、家内の体験を述べさせて下さい。 広島への疎開の前に住んでいた旧八幡市は大工業地帯でした。昭和20年の春頃、空爆が激しくなり、父の戦死の後、母は病弱で三人の幼い子を抱え、もう此処で皆で死んでもいい、と言っていたそうです。 長女の家内は小学三年生でしたが、地響きする爆撃が怖くて無理に疎開を強請ったそうです。既に他界していた祖父の里、一度も尋ねた事のない地へ疎開しました。もしそのまま八幡市にいたとして、長崎への原爆が当初の目的地小倉に落とされていたら。当日、雲が厚くて投下を変更したとか言いますが、誤爆など何処にいても何等かの被害に遭う可能性がありました。 家内のことは一例に過ぎません。
弱者は、バグダツト市民は、もう脱出の術もないとか。 どれだけ多くの悲劇が今も生まれて来つつあるのか。 私達はテレビでその地獄を見ないでいい日の来るの を待っている。 停戦の動きもない今の空しさのまま、、、。 |
No.44 2003/03/27(Thu) 14:16:08
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