★ Holly / noriko(o^-^o) |
引用 |
ホリー没
2004年9月22日没 生まれたのは 1989年4月3日 私がニュージーランドに着いた日に生まれている。 彼が生後4週間して 私が彼を見に行った。 彼のオーナーが「子犬上げます」と言う広告を ホリーが生後4週間目にだしたのだ。
私は ニュージーランドで生活をするのなら 待望の犬を飼いたいと 日本にいる時から 夢見ていた。 そして ニュージーランドに上陸して 家を手に入れ 洗濯機 冷蔵庫 鍋釜類を手に入れて 取りあえず 食うに困らないなと思ったとき 「犬だ!」と思った。
そして 新聞に目を通していて 最初は シェパードが欲しいなー・・ と漠然と考えていた。 でも シェパードはすごく高い! そこで 「あげます」と言う広告があり それが ラブらドールとあった。 「ただだし ラブラドールも悪くないかも・・。 まずは 見てみなくちゃー話にならない・・。」と言うことで 見に行った。
そこには 悠々とした大きな母犬がいて コロコロと 6匹の子犬が チョロチョロとして もう足を一歩踏み込むのも 危険な状態だった。 みんな コロコロに太った 小さい子犬 それも みんな 見事に真っ黒! オーナーのニュージーランド人のおばさんが 「あれが メスで…・ いや あっちだったかな・・? で これが オスで でも あれもオスだったかな・・? あー もう どれが どれだか わからなくなったー・・!」と叫び声を上げていた。
私は そのコロコロして 走り回っている 子犬達を 夢中になって見つめていた。 もう 全部もらいたい! と思ったくらい かわゆくて かわゆくて! そのうち オーナーのおばさんが 子犬達にえさをあげよう! という事になった 全部の犬が 一斉に餌に飛び着いて餌を食べているのに 一匹だけ 向こうの方で なにやら夢中になって みんなが 餌の方向に走って来ているのに遅れを取った奴がいた。
彼は 「あれ!」と気が尽き 餌の方向にまっしぐら! しかし 他の犬コロ達が群がり彼の入り込む隙は 一切ない。 私は彼がどうするか… ちょっと心配・。 そうしたら 私の心配は 完全に無駄で 彼はみんなの体の上から ジャンプして餌皿にねじり込んだのだ。 そして 夢中になって食べだした。
私が 「オイ!」と言うと チラ! とほんの一瞬であったが 彼の両目が がっしりと私の両目を捕らえた。 そして 又 闇雲に食べ始めた。 その瞬間の視線は 彼が死ぬ寸前に 私の目を捕らえた目となんら変わりなかった。
彼は15年と6ヶ月の間 私の傍にピッタリと寄り添い 生きて来た。 私が苦しくて泣くと どこからともなくやって来て 私の涙を舐めてくれた。 彼が子犬の時 よく彼の足をふんずけたのを思い出す。 でも それもほんの少しで もう彼が私の足元にまとわり着くのは 私の生活の一部となった。
私が食べるとき 私のひざの所で よだれをたらして 私のひざがビショビショになるのも 私の生活の一部になった。 私が台所にいるとすぐやって来て しっかり自分の分もせしめるのが 彼はうまかった。 彼の視線はいつも私のかたくなな心をもほぐしてくれた。
彼と一緒に車で 色んな所に行った。 深夜 森の中で 車の中で寝ている時 突然ホリーが吠え出すと 車の外になんかの動物の気配がした。 変な男の人が寄って来て 私に馴れ馴れしく話し掛けて来ても 突然ホリーが吠えると 男は犬の存在を見つけて 早々に引き上げた。
ニュージーランドに15年と6ヶ月いて 一回も 泥棒に入られなかったのは これもホリーが守ってくれたからだと思う。 私の車高の高い4駆の車に ひょい!と飛び乗っていたが 彼が13歳ぐらいになり 踏み台を大工さんに作って貰った。 それを使うとひょいと乗れるようになった。 今年に入ってからは 私が手伝わないと 乗れなくなった。 そして 数週間前は 踏み台があっても転げ落ちたりした。
数日前は Rogerが抱いて 乗せて 抱いて下ろした。 私達が今日の朝 獣医の病院に彼に会いにいったら 最初はもうぐったりしてダメなのかなーと思ったら 私が檻の中に入って 彼の目を見たら 突然起き上がり 檻からしきりにでようとした。
私は早々に引き上げた。 二人の獣医にこれ以上手の施しようがない。 延命は点滴で 数日できるけど・・。 と言われた。 数日苦しんで 延命して檻の中ですごすより 殺した方が ホリーのためにはいいだろうと言うのが私の結論だった。
Rogerにホリーを病院に連れて来てもらった。 私はワーワー泣きながら 春になりつつある我が家の庭に咲いてる花を一つ残らず引きちぎり 大きな籠に集めて行った。 かなり暖かくなった 今日この頃 我が家の庭に咲いてる花は 全部ホリーの為に咲いているのだ! いっぱいになった籠をおいて 又次の籠に花を摘み集めた。
そしたら Rogerの車と 獣医の車が到着した。 Rogerに「ホリーを下ろして」と言ったら 突然 ホリーは トコトコと歩いてきて まるで「わー! 自分ちだー! ただいまー!」と言っているようだった。 ずっと彼が禁止されていた 水を いつも彼が飲む水のみ場にさっさと行って がぶがぶ飲んだ。 いつもなら それから すぐげーげー吐くのだ。
でも すぐお医者さんと Rogerに ホリーを死なせる注射をして貰うよう言った。 私は 足が崩れ オイオイと泣くしか他に何もできなかった。 Lokunがしっかりと私の手を握りしめてくれた。
ホリーは Rogerの膝の上に横たわって 1・2回深呼吸をして寝るように死んだと言う。 Rogerの泣きながら 私を呼ぶ声がして Lokunと私はホリーの所に言った。 本当にホリーはいっつも ホリーがベッドでねているのと まったく同じように寝ていた。 いつもと違うのはホリーは彼のベッドでねているのに 芝生の上でぐっすり寝ているのが 少し変な感じだった。
ホリーの頭と首の所に私の顔をうずめると いつものホリーの匂いがした。 あとから あとからあふれ出る私の涙が ホリーの首にベトベトについた。 ホリーの匂いから 離れたくなかった・・。 どうしても離れたくなかった。 獣医が 遺体をバックに入れて持ってゆくと言う。 だから 私は「バッグとは? どんなの 見せて!」と言うと 「バッグに入った体は 見ないほうがいいよ。」と 獣医が気を使って言う。
だから 私は 「絶対バッグには入れない!」といって 白いシーツを持ってきて広げ いつもホリーがリビングで横になる時に使っているクッションを持ってきて シーツの上にきれいに置いた そして Rogerにホリーの体をその上に横たえてもらい ホリーの体の上に ありったけの我が家の庭で積んだ花をかけてやった。 どんどん花をかけると 顔まで埋まってしまったので 慌ててホリーの顔は花から出してあげた。
そして 白いシーツの端を風呂敷を包む要領で ホリーを包んだ 一回結んだら ホリーの顔が又花に埋まってしまった。 でも それが最後のホリーとのお別れと思い あきらめた。 鼻水も涙もぐしゃぐしゃになった私だったが それもどうしようもなかった。
重い彼の体をシーツでしっかり包みこもうとすると 獣医とRogerが手伝おうとしたが 私は 私がホリーの体をいたわる方法でシーツを結びたかったので 手を出さないように 二人に命じた。 獣医が手を出すと 死体をバッグに詰める要領でやられるのではと言う恐怖が私の脳裏によぎったのだ。 そうはさせない! 最後まで 私がやるのだと 心を鬼にして 自分でやった。
おびただしい花が一つでもシーツから落ちると 獣医が又バッグに入れてしまうかもしれないと思いしっかりと 結び そして 獣医に 「No bag! You must cremate him exactly like this. No one touch this, no one open this!」 獣医は 「we cremate him exactly like this, I promise」 と言った。
Rogerに シーツに包まったホリーの体を 獣医の車に乗せて連れて行って貰った。
ホリーを火葬にした彼の灰は一週間後に獣医が持ってきてくれるとの事。 その灰は少しづつ 彼が大好きだった 公園に撒こうと思っている。 彼が子犬だった頃の Holly Roadの近くの公園、 Blighs Roadの近くの公園、 Opawa Roadの近くの公園、 Keys Roadの近くの公園 そして England Streetの近くの公園。 彼が沢山走った公園に 灰を少しづつ撒けば Hollyもずっと楽しんだ公園にいれるから ハッピーでいれると思う。 お墓があったら 私が会いに行かないと 寂しがると思うと やはり辛い。 でも いつも行ってた広い広い公園だったら ホリーも嬉しいと思う。
私が死んだら やはりお墓には入らず Lokunに 私の灰を ホリーの灰を撒いたとこと全く同じ所に撒いてもらおうと思う。 私の一生の内で一番大きな そして 大変な時代に 常に私の傍にいて 手を貸してくれたのがホリーだ。 私の生涯の中で一番大切なのは Lokun として 次がホリーであったのは 絶対まちがいない。 |
No.463 2004/09/22(Wed) 22:08:53
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