15158
今日のわたし
日記・メモ帳がわりに思い付きを書いています

世界観が違うと / ぴあ 引用

話をしていて、トンチンカンだな。
と思う事があります。
話せば話す程に、迷宮に入り込んでしまう。ような。

ふっと思ったのですが。
マンガのなかで、こんなシーンがあります。

パリ市民のおかみさん達が、パンを求めて暴動します。
日本ならさしずめ、米騒動ですね「米をよこせ」と。
その話を聞いて、マリーアントワネットが答えます。
「パンが食べられないなら、ケーキを食べればいいわ」

自分が「当然」だと思う事に、人は、思いもよりません。
他人には「当然」ではない、ということが、分からない。
発想の源泉が違うと、こういことが、起きて来ますね。

No.182 2006/01/18(Wed) 11:57:52

 
Re: 世界観が違うと / テス 引用

もちろん、言われる事はわかります。
もどかしく、時には自分を危うくすることもあります。

ここでちょっと、視点は変わりますが別の観点も実際あるようです。

もし、自分がマリーアントワネットだとしたら。
「私は生まれてこのかた、食に不足した事がなかった。
その世界しか知らない。
この世界しか知らない、知らされなかったことが私の責任だろうか。
本当に民のことを理解したのは首をはねられる時なのに、
其の時は手遅れと言われる。
結局は権力がほしかったのね」

信念は偉大な叡智をもしのぐ、という言葉があります。
観念を形成する個性や環境は他人にはなかなか
推し量られませんね。

地上的感覚だけではなかなか難しい問題です。

No.183 2006/01/20(Fri) 23:55:00

 
Re: 世界観が違うと / ぴあ 引用

あっはっはっ。

まあ、そうですねぇ。

>この世界しか知らない、知らされなかった
>ことが私の責任だろうか。


自分が世界の中心だと思う人は、、、
というか、マリーは自分にしか、関心がなかった。
それは、罪のような罪ではないような。
自分のしたことが、自分に戻って来る。
そんな感じでしょうか?

好奇心のある人は、
「どうして、パンを市民は欲しがるのか」
と、考えるような気がします。
安易に、自分の世界だけの中で、答えを
だそうとすると、間違ってしまうのかも。

No.184 2006/01/21(Sat) 23:28:49

 
Re: 世界観が違うと / kinumoto 引用

 ううううん、この世界しか知らない、知らされなかったことが私の責任だろうか?って、その人の責任だと思うなぁ。
 僕はしばらく外国に住んでいたことがあるけど、日本人であることは僕の責任だと感じたなぁ。理屈では環境云々はその人の責任ではないということは幾らでも言えるけど、自分の責任じゃないとしたら誰のせいになってしまうんだろう?そうじゃないと全部無意識で無故意で「そんなつもりはない。」「わたしのせいじゃない」ってことで、その人の存在感が失われると思うんだけど。
 でも、ここら辺りのことって選択肢の問題ですよね?いろんな角度・視点から見て、何を選択してどういう責任を取るか?っていうことだと僕は思うんだけど、違うんですかね?ぴあさんはどっちを選択します?責任を取る方と取らない方。どちらでもない!ってことは、かえって無責任でしょ?

 でも他人の世界を理解するのって、結構大変だと思うんですよ。かなりの苦痛とかなりの時間が必要だし、他人を理解しましょう!なんてあまりにも安易なスローガンだと思うのね。
 そんで自分の世界だけで答えを出すってことってあるのかな?相談したりコミュニケートしたりしないものなのかな?

No.186 2006/01/24(Tue) 22:38:42

 
Re: 世界観が違うと / ぴあ 引用

カゴの中に閉じ込められた鳥ならば。
知らない事が、あっても、自分の責任とは、
おもう必要は、ないのかもしれない。
支配するもの、支配されるもの。
そういう状況が、そこには、ありますよね。
支配するものが、支配されるものの、状態を知らない。
って、ちょっと困るような気がします。
マリーアントワネットが、政治をしたワケでもないだろうけど。
ま、わたしは、支配されるものの方だから
そう感じるのかもしれませんね。
支配するものの方だったら、そういう風には
感じないかもしれない。
自分の立ち場によって、見るものの姿が変わる。
それを意識している必要はある、、、、ような。

んんー。ごめんなさい。
わたしは、自分の発言に、自信がないです。

No.188 2006/01/25(Wed) 02:07:46

 
Re: 世界観が違うと / kinumoto 引用

 僕は支配する側の人間です。(というか、アルバイトなんかを使ってたくさん仕事してます。)

 支配される側の気持ちって100%わかりますよ。だから経営が成り立つんじゃないかな?もし支配される側のことが全然わからなくて、僕がむちゃくちゃなことやっていたら経営成り立たないと思うんですよ。(仕事はまあまあ、うまくいってます。その代わりアルバイトを泣かしたりしてますが(笑))
 問題は支配される側のあまりにも稚拙な支配願望なんです。僕が思うにぴあさんは、世間の社長さんが見たら大笑いの説教だと思いますよ。

 …というか、強い人間に媚びて、弱い人間に説教する典型的な稚拙な精神年齢という感じがするんです。
 そこら辺りの逃げ腰と自信のなさが僕の気の触るところですねぇ。ずっと偉そうな口調だったのに、わっと攻撃されると自分の言っていることに全然自信がない。。。もし、ぴあさんが支配者だったら王国はすぐに潰れて隣国の捕虜になってしまうんじゃないかな?
 僕の知らないところで僕の支配者(アルバイト)が失敗した責任はすべて僕にあるんですよ。腹を切るのは僕で、アルバイトではないです。わかります?支配される者に腹を切らせるような王国だったら、すぐに滅んでしまいますよ。
 自分に起こる事件は「知る・知らない」に関わらず、すべて自分の責任ですよ!!これが大人のルールです。知らないことで責任逃れできるのなら、ぴあさんがもし犯罪で有罪になったら、精神鑑定をして「責任能力がない」ってことで無罪放免をねらう犯罪者と同じではないですか!!

 そういう考え方で生きていたら、この先、もっと痛いことになりますよ。逃げて逃げて逃げて、知らない振りをして、知らない振りをして、最終的に誰にも信用されなくなる。。。。
「カゴの中に閉じ込められた鳥ならば。
知らない事が、あっても、自分の責任とは、
おもう必要は、ないのかもしれない。」
 …まさか!!

No.195 2006/02/26(Sun) 22:23:17

 
Re: 世界観が違うと / ぴあ 引用

ですから「世界観が違うと・・」なのです。
私は、個人事業主ですから、ある意味では
経営者でもありますが、支配者という
考え方は、していません。

誰が、いいかワルイか、は、ないです。
個人が、自分の意志で、ただ生きている。
それを他者が援助する。援助しあう。
そういう生き方を、しています。

No.199 2006/02/27(Mon) 00:29:43


絆をつくる / ぴあ 引用

強くなる。ということは。
自分をもつこと。自分を守ること。
そして自分の意志をきちんと相手に伝えながら、
相手に対する思いやりを忘れないことである。

だれかが、テーブルの水をこぼした。
とっさに、自分の綺麗なハンカチで、かかった水をふく。
この人は、ハンカチを汚すのを怖れない。
綺麗なハンカチを・・・汚したくはない、、だろうに。

と、思えるひとなら。
こぼれた水を拭くその人に、思いやりの声がでる。
とっさに「大丈夫です」と、声が出る。
「どうもありがとう」と。言わずにいれない。

No.179 2006/01/10(Tue) 11:54:25

 
Re: 絆をつくる / テス 引用

> 強くなる。ということは。
> 自分をもつこと。自分を守ること。
> そして自分の意志をきちんと相手に伝えながら、
> 相手に対する思いやりを忘れないことである。




> 「どうもありがとう」と。言わずにいれない。

そうですね。こういうフィーリングがないと
何もない、つまらない場になるでしょう。

今後ともよろしく。

No.180 2006/01/16(Mon) 20:05:19

 
Re: 絆をつくる / ぴあ 引用

いらっしゃいませ。
お待ちして、いました。嬉しいです。

そうですね。
自分ひとりで、生きていること。なんて
なんにーも、楽しくないです。
「貴方が居る」から、嬉しいのです。。。よろしく。

No.181 2006/01/17(Tue) 12:18:17


攻撃すること / ぴあ 引用

攻撃は、最大の防御。
攻撃しなくては、ならない事情が、相手にはある。
と、考えますと、少し冷静に状況を見回す事ができます。
何を相手は、求めているのか。私に。
そして、求めるものが得られないから、攻撃してくるのです。
また、得られないだろうと、決め込んで先制攻撃もあります。

攻撃の目標は、その人の、最大の弱点。
んー。相手が、そう見ている弱点のことです。
ですから、見ようによっては、相手の弱点でもありますね。
相手は、ここを攻められたら困る。と思っているモノです。

お金、でしょうか。
世間への体裁、でしょうか。
支配力の制限、でしょうか。

ともかく、それを手放してしまえば、
もう相手は、それを攻めることは、できません。
攻めても、無意味になりますからね。

No.173 2005/12/21(Wed) 13:31:17

 
Re: 攻撃すること / kinumoto 引用

ぴあさんお久しぶり!

 しかし、ど〜して前提が「攻撃すること」が悪といて暗喩されているんでしょう?
 間接的な”冷やかし”、”おちょくり”、”無視”…そういった複雑な事柄も一種の攻撃だと僕は思うんだけどなぁ。というか、そういう距離感のない攻撃の方がよっぽど人を痛めつけるし、そういう攻撃をする人間って「自分が攻撃していること」にすらいつまでたっても気が付かない。だから、相手が攻撃をはじめるんですよ。
 しかもその相手は「攻撃」ですらないかもしれない。ただ説得しているのかもしれない。それを冷やかすと相手は攻撃してくるでしょ?

 心理学では、そういうのを転移ってよんでます。でも転移なくして人間関係って成立しないし、幸せも成立しない…。。。
 そういう矛盾の中で、幾ばくか耐えながら、甘えながら、発散しながら、無視しながら…いろいろと複雑に生きてゆくのが人生だと思うんですけど。

 しかし、相手の弱点見つけて…どうすんですか?

No.174 2006/01/01(Sun) 03:18:17

 
今気が付いたけど。。。 / kinumoto 引用

 リンク…Javaでブロックしてません?(IPでブロックしないとあんまり意味ないでけど。。。)

 ちょっと、その卑怯さに、びっくりしております。
 そういうのも攻撃に一つじゃないですかねぇ?で、それがぴあさんの弱点であって。。。ですよね。

 ここら辺りを責められると困りますかね?やっぱり。

No.175 2006/01/01(Sun) 15:43:41

 
あれ、編集できない。 / kinumoto 引用

「そういうのも攻撃の一つ」の間違いです。

No.176 2006/01/01(Sun) 15:44:41

 
Re: 攻撃すること / ぴあ 引用

kinumoto さん。こんにちわ。

めったに、ここを覗きませんので
レスがあったことに、気が付きませんでした。
遅くなって、ごめんなさい。

>リンク…Javaでブロックしてません?

んん?なんのことか、ちょっと分かりませんが??

あのですね「攻撃」につきましては。
荒らしに会いましたので。それで、思いつくままに。
私のことを、あることない事、暴言・中傷され。
HPにも、沢山の荒らしのカキコみ攻撃を受けました。
もちろん、このHPではなく、他のHPでです。

それを見ていてのご感想。なのでした。
「攻撃」について・・は。

kinumoto さんに対して、何も含むものはありません

No.177 2006/01/09(Mon) 19:10:00

 
そうそう / ぴあ 引用

相手のHP中傷・暴言書き込み荒らしさんは。
2チャンネルあたりに巣を作っている
「攻撃・いじめ」趣味の、荒らしのプロです。
他の人を、攻撃していましたので、その人を
かばったら、反転して、私が攻撃目標になった。
というわけです。

No.178 2006/01/09(Mon) 19:13:40

 
Re: 攻撃すること / kinumoto 引用

でもねぇ、ぴあさん、どうして自分が攻撃されると思います?そこら辺りが根本的な問題でしょ?いわれもなく攻撃されるってことは、どうしてなのだろう?って思わないですか?
 僕ね、自分の力の許す限り相手になってやらないと駄目だと思うんですよ。妻にしろ、子供にしろ、他人にしろ。無視したり、ちゃかしたり、逃げたりしたら、やっぱり攻撃されちゃうし…。そんで「誤解」を招くとかじゃなくて、正にそういう不誠実な人物ってことになる。で、第三者にとっては「あることないこと」ではなくて、「あること」になるんですよ。
 たぶん、そこら辺りが問題なんですよ。
 僕の言いたいことわかります?
 せっかく人助けしたのなら、最後までやらないと。そう出来ないのなら、人助けなんかしたら駄目ですよ。

>リンク…Javaでブロックしてません?
>んん?なんのことか、ちょっと分かりませんが??


 ええええ?ってことは、見知らぬ人にHPをいじられてますよ。

で、どうして「攻撃することが悪い」って暗喩されているんでしょう?正当防衛だって立派な攻撃だと僕は思うんだけど。。。
 ねえ、ぴあさん、2ちゃんはぴあさんの私的なこと。今、ここで会話しているのは僕と会話しているわけですよ。な〜んか話をまたはぐらかされている気がするなぁ。。。どうして「攻撃することが悪い」って暗喩されているんでしょう?って訊いているんですけど…。

No.185 2006/01/24(Tue) 22:24:51

 
Re: 攻撃すること / ぴあ 引用

攻撃している形をしているが、相手にとっては
防御している状態です。そこがポイント。
というのが、わたしの言いたい事、なのですが。
ですから、私は「攻撃することが悪い」とは、
あまり思っていないのですが。

ひとりの人の罪が、一族郎党の罪になる。
という感覚が、日本人には、あるような気がします。
どうでしょうか。
誰かが罪を犯すと、家族にインタビュアーが出かけて
いって「この罪をどう思いますか」などと、、、
結局、本人だけでなく、家族も、一蓮托生。みたいな。

そうですか・・・見知らぬ人に、HPをいじられている可能性があるのですか・・・HPって、面倒ですね。
としても、うちを閲覧しているのは、10人前後。
kinumoto さんのトコロみたいに、人は来ません。

No.187 2006/01/25(Wed) 01:55:34

 
Re: 攻撃すること / kinumoto 引用

…また随分と全能の愛を語ったり…、それで急に「他人のことは他人のこと…。」みたいな感じで冷たくできますねぇ。。。僕はあなたに変なことされたので、「悪いと思っているのなら、謝ってほしい。」と言っているんです。悪いと思っていないのなら、ニヤニヤしないで説明してください!と言っているだけですよ。
 kinumotoさんのHPにいろんな人が来てくれるのは、僕が一生懸命やっているからですよ。

 僕、ぴあさんの考えていることがはっきり言って全然わからないです。

No.196 2006/02/26(Sun) 22:28:30


清い人 / ぴあ 引用

英語の聖書では「清い」を pure としています。
たまには、聖書なども、読んでみたりもするのです。

で、この「清い」ですけれど。
善だ悪だなどと、判断を入れない境地ではないか、と思うのです。
この世にあるものは、必要のないものは、ひとつもありません。
意味のないものは、ひとつもないのです。

善だと思っても、反面をみれば、悪とも解釈出来ます。
悪だと思っても、反面を見れば、善にもみえます。

ですから、解釈することは、できないのです。

人の目でみれば、すべて解釈せずにいられない。
いいかわるいか、綺麗か汚いか、正しいか間違っているか。
人はつねに、判断しようとします、しようとしなくても。

神様が、この世を作り、人に与えたのであるなら、
悪いものも、汚いものも、間違ったモノも、ない。
それを、そのまま、判断せずに、受け入れる。
そういう純粋な行いのできるものが「清い」と
言えるのではないかしら・・・などと思う。

No.171 2005/10/26(Wed) 01:09:45

 
何を信じるのか / ぴあ 引用

そこで
良いか悪いか。綺麗か汚いか、正しいか間違っているか。
ということに囚われないで、どうやって人と
関わっていったら、良いのか・・・ですが。

人を信頼する。これがポイントではないか。と思うのです。
人は、自分を信頼していれば、どんな人であろうと
信頼できているモノだろうと、思うのです。
相手が変わるたびに、あるいは、何かが起こるたびに
ユラユラと揺らぐなどということも、なくなります。

そもそもの信頼が意味するものは。
自分への信頼。
わたしが、どんなことに会おうと、自分の誠実さと、
自分の真実から目をそむけず、成長したい。進んでいこう。
という思いが、志が、ある。。。と信じているコト。

さて。相手にも、その願いが、あると信じる。
志があると信じていれば、相手がどんな人であろうとも、
その人の中の思いを援助するために、自分の精一杯で
向き合える、のではないか、と思います。

悪いから。汚いから。間違っているから。
と、否定することなく、相手を受け入れていく事ができる。
すべての人の「願い」を、揺らぐことなく。

No.172 2005/10/26(Wed) 13:37:26


強い〜ばかりが〜♪ / ぴあ 引用

類は友を呼ぶ・・というコトバも、ありますが
別に「割れ鍋に、とじ蓋」というコトバも、ございます。

強い人には、それを求めて、弱い人が集まる、こともあり。
相手が求めるものを、提供出来る場合は、上手く行きますが
提供できない場合は、期待をうらぎられた・・になりますか。

自分が、強さを売り物にして、集めた人達。
というようなコトも・・・我が首をしめつける、もので。

では、自分の弱さを見せた時、、、どういう人が、集まるでしょう。
この時も、弱さを持った人達が、集まります。
相手の弱さは、安心感を生み出します。
お互いの、弱さを受け入れ、支えあう人が、集まるでしよう。

相手の弱さを責める人は、どこにもいません。。
相手を責められるほどの、自分ではないと、みな納得していますから。

No.170 2005/10/02(Sun) 02:49:15


重なり合う世界 / ぴあ 引用

人と人の、出会いは、学びあうこと。
学びあえることが、喜び。
あなたと出会えて、わたしは、また、沢山のことを学びました。

何を、学んだの?って。
あなたの世界からみえた「わたし」。
ふうん。わたしって、そんな風に、見えるんだ・・。
どうして、そう見えるのかしら。

そうやって、わたしは、私からは絶対に見えない、世界を知ります。
沢山の人の世界が、この宇宙の中に、浮いているんだね。
「この世界」しかないと、思っていたら、気づかない多重世界。

あの人から、見た私。
この人から、見た私。
ふうん。。そうなんだ。へー。

こんどは、誰の世界と、わたしは出会うのだろう。

No.167 2005/08/30(Tue) 15:58:46

 
学んだこと / ぴあ 引用

あなたから、学んだ事。その、ひとつ。
それは、自分のすがた。

悪いと思ったら、相手が許してくれるまで、謝り続けなさい。
これが、わたしのスタイルでした。
これが、正しいと思っていました。

でも、相手が許す事を、待つ姿勢ですね。これは。
相手は、私を「許さなければならない」のです。
謝ったら・・・許されるだろう・・・許すべき・・
それを強要する。許さないことは、悪である。

それは、なにか、変なことなのだ、と気がつきました。
相手は、私を許さなくても、いいのです。
私が相手から許される・・・これを、求める気持ちは、自己満足だけです。
これこそ「悪い事をしても、許されればイイ」につながる気持ちかな。

私は、誰かに認めてもらわないと、不満。
これがイイか、ワルイか、誰かに確かめている。。
そんな自分だったのだわ。。。という気付き。
学んだ、ひとつ。
問題も答えも、まだ、これから探します。

No.168 2005/09/01(Thu) 08:24:58

 
さらに、深く / ぴあ 引用

感じていることが、言葉で言えたとき、もう、言う必要もないことだった・・・
と、気づくコトが多いのです。
いや、言ったから気づいたコトも、ある。
なんで、言うのかしら・・・なんで黙っていないのかしら。

この、言葉にしているコトは、決して誇らしいことではなく、
むしろ恥ずかしいとしか、思えないようなコトなのに。
で、言おうとしている自分。なんだろうなって思って。
考えたことを、承認されたい私の自己満足とか甘えなのかなと。。
私も、まだまだ、甘チャンなのね。

でもね。言うことも、大事なことかも知れません。
承認されたい、ということでなく、シェアしあう。
そういう気持ちで。
誰かが、考えて、気がついたこと。感じたこと。
私は、知りたいな、と思いますから。
共有したいなって。

No.169 2005/09/01(Thu) 13:04:47


わたしのすること / ぴあ 引用

幸せのひとつの扉が閉ざされたら、別の扉が開くもの。
でも、私たちは 閉じた扉を長いこと見つめていて。
その開いた扉が見えないことが多い のです

              −ヘレン・ケラー−

わたしの人生はわたしが生きていいのです。
わたしの課題はわたしが解いていいのです。
わたしの課題を他人に解かせようとしたり、
他人の課題を無断で解こうとしなくていいのです。

そう。「わたし」は人を支配することはできない。
他の人を私の道具、手段にせず、そして私の課題を
人に解決させることはできない。
と、心にしっかりと刻み込もう。

No.165 2005/08/26(Fri) 13:53:46

 
Re: わたしのすること / ぴあ 引用

わたしを見て
「あなたは、こういう人だ」という人。

それは、あなた自身の事ですよ。
あなたを見て、いるのですよ。
わたしという鏡にうつった、あなた自身ですよ。

ですから。
平和の中にいる人は、平和を見ています。
戦いを見る人は、ご自身が戦っているのです。
この世を、汚いと見て、ほ〜っているとしたら、
あなた自身を、ほ〜っているのです。

わたしに、何を観ますか。
それはすべて、あなたの問題です。

No.166 2005/08/28(Sun) 11:08:35


傷つく / ぴあ 引用

人が、何故に傷つくか。。。。
それは、自分が相手の人と、違うからです。

人が、何故に傷つけるのか。。。。
それは、相手の人が自分と、違うからです。

人は、みな、それぞれで、違って当たり前なのに
同じで無いと、許せないという思いが、誰の中にもあります。

どうしてなのでしょうね。
もしかしたら、もともとは、私達は一つの心を持っていた
のかもしれません。何もいわなくても、判りあえる一つの心。
それが、生きて行くうちに「貴方と私」「貴方は・・、私は・・」。
のように、物事を分けて考えるようになって。。。。

ひとつの心からちぎれた、私達の心は、それでもなお
同じでありたいと願っているのでしょうか。
私と貴方の心は「同じでなければならない」と泣きながら。
ずっとずっと、傷つけ、傷ついていくのでしょうか。

No.163 2005/08/01(Mon) 09:50:53

 
出会うこと / ぴあ 引用

わたしを肯定する人との出会いは、わたしがなにを否定していたか気づくこと。
わたしを否定する人との出会いは、わたしがなにを肯定しているか気づくこと。
だから、人と人との、出会いとは、わたしを知ることとの出会いなのです。

あなたを肯定する人は、その人自身を肯定したいのです。
あなたを否定する人は、その人自身を肯定したいのです。

こうして、わたしたちは、お互いの中にあるものを、知るのです。
そしてまた、お互いの中にないものを、知るのです。

No.164 2005/08/12(Fri) 14:27:44


はじまり・・のこと / ぴあ 引用

すべての家庭には、それがどんなに健全であっても微妙な、またはあからさまな競争の要素があります。それは、とくに何かが不足していたときにあらわれます。お金が十分ではなかったり、みんなにいきわたるだけの十分な愛情がなかったり、バランスがうまくとれていなくておたがいの存在を認めあうことができなかったりします。
あなたがいま直面している競争は、ずっと前に人格が形成されたときにはじまったことなのです。

あなたの人格は、すべてが比較の感覚を土台にして築かれています。「私は愛される価値があるでしょうか?」ということは、つまり「私の方が兄弟や姉妹など、ほかのだれかにくらべて、もう少しは愛される価値があるはずだ」ということになるのです。

こうした競争の要素はあまりにも自分の一部になっていて、まるで肌にピッタリとはりついたボディストッキングのようです。人格というものは、すべて自分自身の才能という贈り物を捨ててみんなの承認を得よう、帰属感を手に入れようとした痕跡を残しています。

人格とは、ほかの人とのあいだにあるセロファン紙のようなものなので、この包装紙のために何も受けとれないのです。こうして人格はあなたを自意識過剰にし、人に手をさしのべて、のびのびと並はずれた存在に広がろうとすることを妨げてしまいます。

No.162 2005/07/20(Wed) 12:05:35


価値を認める / ぴあ 引用

私たちはだれでも何かを失ったり、だれかに見捨てられたり、またはあまりに早いまわりの変化についていけなくて、自分が被害者のように感じることがあります。でも、あなたが心からその価値を認め、全面的にかかわっていることはあなたのものです。だれも、それをあなたから、奪うことはできないのです。

どうでしょうか・・・どこかで、失った人やものの価値を認めていなかったのでは、ないですか。
だからこそ、そのことで苦しみを味わい、喪失感を経験するのではないですか。そこに執着があったということですね。

「執着」とは、自分には何の価値もないという、無価値観をうめあわせるために、自分の外側のものに価値を与えてしまうことなのです。どんな場合も執着は真実ではありえません。それだけでなく、真実であるものさえ真実でなくしてしまうのです。

No.160 2005/06/30(Thu) 01:01:56

 
執着を手放す / ぴあ 引用

私たちが執着すればするほど、自分の存在の中心からずれていき、妄想や犠牲や自己破壊をもたらします。執着を自分の幸せの宝庫のように思いこみ、その源を安全に確保するためには、自分がコントロールしなければならないということを信じるのです。

自分の外側からやってくる幸せによって、心から満ち足りることはぜったいにないのです。コントロールは防衛の一種ですから、将来の痛みにつながります。それよりも、ほかの人や自分自身の価値を認めてあげるほうがずっと簡単なのですよね。あなたは価値がある、わたしも価値がある・・・そこでは、執着は必要でありませんね。

No.161 2005/06/30(Thu) 01:04:26


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