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今日のわたし
日記・メモ帳がわりに思い付きを書いています

本質は「たましい」です / ぴあ 引用

過去は、学ぶためにあるもの、じゃないかしら。
過去から学べないと、前に進めない・・のかもね。

正しいから幸せになる、ということでもないですね。
真面目だから報われる、ということでもないですね。
生きる意味があるから、生きて行く、のでもないですね。
生きる事がすでに、生きる意味を与えています。

すべて、この人生から、自分にとって成長に向かう
なにかを、学ぶために生きているのではないかしら。

幸せになるためでもなく、報われるためでもなく。
もちろんそれは、結果として現れてくるものですけれど。
誇りをもてる自分に、成るために・・かも。
わたしたちが、この世に産まれたのは、たくさんの
経験をして、たくさんの感動をして、たましいを
輝かせるため、ではないでしょうか。

No.157 2005/06/15(Wed) 10:17:10

 
明日への確信 / ぴあ 引用

どうして生きるのだろう
いきて、なんになるの?

と、思うのは、どうしてなのでしょう。

子供の頃「明日」はいつも、新しかった。
明日が、待ち遠しかったものです。
明日はもっと良くなる。明日はもっと出来るようになる。
いつの頃からか、そう思えなくなりました。

「ま、こんなモンだろう」と、いつから諦めたのでしょうね。

No.159 2005/06/28(Tue) 12:45:53


弱音を吐こう / ぴあ 引用

ウツになりやすい人には、もともと「真面目」「几帳面」「完全主義」「自分を責める」「他人に気を使う」というような性格の持ち主が多いと言われています。こんなタイプの人は、他の人に弱音を吐いたり、人に助けを求めたりするのが、苦手ですね。

真面目で責任感が強く、すべてを自分ひとりで背負ってしまいがち。また、臨機応変というように感情を切り替えたりするのも、不得意です。直線的ですから、攻めには強く、守りには弱い。この、守りに弱いという性格が、人に助けを求めることの出来難さを生みます。

No.155 2005/05/11(Wed) 00:20:59

 
Re: 弱音を吐こう / ぴあ 引用

真面目で責任感も強く、しかし、物事にあたって、1人でしょいこまず、上手に他者と分担し、AはAだろうけれど、場合によってはBもあるかも知れない・・・といった複眼的思考のできる人は、予測できないハプニンぐなどがあっても、そこそこ上手く事態を切り抜けるものです。

ハプニングや自分ひとりでは切り抜けられない事態に陥っても、多面的かつ複眼的に物事を見る目、しなやかなまなざしを持った生き方・・・現代はそれが求められているように思います。

弱音を吐くコト。自分のあるがままを人にさらすコト。必要とあらば人に助けをもとめるコト。
そういうことの出来る、環境を持つコト。
これは、自分が自分らしい人生を生きて行くために、必要な能力と言えましょう。

No.156 2005/05/11(Wed) 00:23:35

 
Re: 弱音を吐こう / ぴあ 引用

なぜ「弱音」を吐けないのか。。。ですね。

私は、守られていない。助けてもらえない。
と、感じていませんか・・・。

わたしたちは、自分の内面を世界に投影しています。
もし、自分は見捨てられる。と思うのであるならば。

あなた自身が、世界を見捨てているのかも知れません。
あなたは、無償の愛で、世界と関わって来ていましたか。。
ということです。
無償の愛などない。。。と、思っていたら、
誰もわたしを助けてくれるはずがない、と思うでしょう。

自分が欲しいものを、世界に対して与えていきましょう。
与えるから、与えられることが、信じられるのですから。
「これほどのことを、しているのに」報われない。
と思うのは、間違いです。
「しているのに」という想いがあるとしたら、あなたは
なにも、世界に与えていないのです。
ただ、世界から与えられるのを、待っていたのです。

No.158 2005/06/23(Thu) 12:22:31


愛 / ぴあ 引用

わたしたちは、愛されるのを怖れます。
また、わたしたちは、愛するのを怖れます。

愛に関わることで、何かが奪われると感じます。
愛するモノのために、自分の24時間が奪われるでしょう。
愛のために、わたしは、わたしでいることが不安になるでしょう。
わたしに必要なもの以外に、不必要なものまで求めるでしょう。
愛が去ってしまわないようにと、寝ずの番をするでしょう。

そして、愛のために、くたくたに疲れるでしょう。

それを怖れるがゆえに、愛から離れています。
ほんのちょっと、慰めに愛に近づいては、慌てて離れます。
愛のために、自分が無くなってしまわなくて、ほっとしたりします。

No.153 2005/04/28(Thu) 15:08:31

 
Re: 愛 / ぴあ 引用

ただ流れている人は、風景とおなじです。
しかし「その人」と思った時、なにか空気が変わります。
暖かい何かであったり、冷たい何かであったり。

なにもしなければ、ただの風景です。
でも、手を出してみると何かが流れるのです。
何もいわなくても、ある無言の空気。
どうにか理解したい。
そう思う気持ちが、大切なのかな。

No.154 2005/04/29(Fri) 15:44:02


無邪気であること / ぴあ 引用

無邪気な人と接していると、とても、心が和やかになります。無邪気な人を、たわいない人、とか「あの人は、何も知らないから、あんなふうに、無邪気で居られる」と、見下してみてしまうコトも、あると思いますが・・・。
どうして、無邪気な人は、無邪気なのでしょう・・。無邪気は「邪気がない」ということ。そいう人には、周りから邪気が飛んで来ないのか。周りに邪気を出さないのか。周りの邪気を受けないのか。

ただ、無邪気な人といると、自分は祝福されていて、愛されていて、大切にされていると感じます。その人の傍にいると、人生とは、なんて素晴らしいモノを自分に与えてくれているのか、と感じます。

なにも怖れないで、あるものをあるがままに、批判も評価もせず受けて、いると、どの人もみな、無邪気な人・・満たされているという感覚。愛されているという感覚。どの人の中にもある無邪気な状態が出てくるのでしょうね。無邪気・というのは、あらゆるものを、痛みも苦しみも、自分が受けとめ背負って行く決意の果てに、あるものなのかもしれない。
完全に、受けとめた状態。人生のなにもかもを、逃げずに。有り難いという気持ちで。

No.151 2005/04/20(Wed) 09:15:22


Earth Day Toky 2005 / ぴあ 引用

という催しがあります

◆日時/4月16(土)23(土)24(日)
◆場所/有明、代々木公園、渋谷、ほか

地球に感謝し、美しい地球を守る意識を共有する日。
1970年から、世界的に続くこのアースディ・アクションに、
大人から子供まで多くの方々へ、、、
ぜひ、この輪に加わってください。

痛みを知る・支配でなく共生を選ぶ・人はみな愛だと知る・
理想を実行する・こころをNetworkする・世界を変える
「生きるために」

代々木公園を中心とした企画では。
23(土)24(日)
代々木公園野外ステージでは、アースディ・コンサートやエコロジーについて考えるイベント、映画上映、飲食店の出店もあります

詳しい情報は、下記へ

http://www.earthday-tokyo.org/

No.150 2005/04/12(Tue) 13:33:02

 
Re: Earth Day Toky 2005 / ぴあ 引用

どんな世の中に住みたいの?どんな国を望んでいるの?
平和で美しい、水がおいしい、空気がおいしい、食べ物が安全で楽しい人々楽しい音楽とか
そういう国が欲しいなら、みんなやるべきことがあるんじゃないかな。
ひょっとしたら何かをやめることもアクションです!!
食べ物をやたらと捨てないでポイ捨ては絶対にやらない
そういうアクションもいいんじゃないかなって。
僕は森作りをずっと続けてやります。あなたは?
隣の人にニコニコして挨拶すること。
それもアクションです。

(アースディ・メッセージ CW,ニコルさん)

No.152 2005/04/21(Thu) 13:04:40


人間の生活 / ぴあ 引用

ロシアのバイカル湖で、ある日紙幣がその地域に導入され、それまで毎日売れるだけの量を採っていた、その湖畔の人々は、バイカル湖のいわば最後の一匹まで取り尽してしまいました。
なぜなら、紙幣とともにやってきた銀行のローンの利用により、大型船の購入をし、効率的な漁法を取り入れて、冷凍倉庫によって遠くまで運搬出来るようになったからです。

対岸の漁師達も競い合って、魚を早く、たくさん採る事に努めたのです。ローンを利子付きで返す為だけでも、そうせざるをえませんでした。
しかし、湖は誰のモノでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。

これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然と調和しないことがわかります。

《エンデの遺言:より》

No.149 2005/04/12(Tue) 12:34:45


支配する / ぴあ 引用

人は、不安なので、世界を支配していたいと思う。
周りをコントロールしていれば、不安なことは、起きないと思う。
そこで「これをしなさい」「あれをしてはいけない」と人の心の領分に踏み込んでいきます。領分に踏み込んでいる・・・が、気づいていない・・・相手が自分の支配に従わない状態が起きてきますと責めます。支配しているのですから、責める権利があります。

また不安から逃れようと、相手に支配を託すという方法もあります。
相手に「これをしなさい」「あれをしてはいけない」と、言わせます。相手が、一瞬も自分から目をそらせることは、出来ないという状態をつくります。そういう方法で、相手とつながろうとするのです。自分が間違ったり失敗したりしたら、その責任は、相手の指示が適切ではなかったのですから、、、責める、という権利があります。

わたしたちは「権利がある」と思えるとき、強気になれますね。

No.148 2005/04/07(Thu) 12:05:45


(No Subject) / ぴあ 引用

ゆっくりと、話をしたい。
ゴチャゴチャしたものに、惑わされない静かな空間で。
あなたと、わたししか、そこにいない。
時間に急かされず、すべきことから開放されて。
ゆっくりとした時間の中で。
わたしは、あなたと、話をしたい。

そうしたら、あなたとわたしは、心がつながるだろうか。
そんなことを、ふっと、感じた。

No.146 2005/03/31(Thu) 14:58:27

 
手放そう / ぴあ 引用

人が「正しい」と言う時。
状況は閉鎖的になり、新しい情報が入って来ません。
私は正しい・・・と思っているところを見ますと、
その部分では、自らがそれを選択していることに
気づかされます。
正しい・・・というものは、じつは、内面で
どれほど自分が間違っていると感じているかを
隠す方法なのです。

確かに「自分は正しい」のであれば、頑に主張する
必要なんて、ないのです。

「正しい」を手放した時、わたしたちは、新しい
答えを見つけるでしょう。
「しあわせ」という。答えを。

No.147 2005/04/01(Fri) 11:25:08


自分で決めている / ぴあ 引用

なにを?・・・って。自分の価値、です。

「自分なんて」・・・という無価値観を持つと。
あなたの周りの人も、あなたを無価値な人だと、思うようになります。
そして、あなたはないがしろに、されるようになるでしょう。

あなたは、価値のある人です。

自分には、これは無理だな。
と、思う事に、目を向けてみてください。
自分が自分を、どんなに束縛して来たか、わかるでしょう。
そして、それは「できない」こと、だったのでしょうか。
いいえ。できないと、自分を諦めさせてきたことなのです。

あなたには、できます。

あなたの、望む形を、手放す事ができれば。
違う形で「それ」は出来無いでしょうか。
そう考えて行くと、人生って、面白いですよ。
「これがあるから、できない」と思っていたことから
あなたは解放され、自由になるでしょう。

そして、いままで、ないがしろにされてきた自分の人生が、
どれほど素晴らしいものであったか、気づくでしょう。
そのとき、どんな沢山のものを、受け取るでしょう。

No.145 2005/03/12(Sat) 09:36:10


気付く、受け入れる / ぴあ 引用

自分がない人、自分に自信がない人、自分で責任のとれない人。
は、誰かの保護を期待します。
誰かに依存して、離れることを怖れます。
相手の保護に期待しますが、万全ではないから、不満です。
不満がありながらも、離れることができないから、憎しみになります。
とても・・・生きにくい状態なのですね。

まず、誰かに、または物に依存している人は、この状態に気がつくことです。
自分の感情を感じきること。自分の感情を信じること。

そして、それがなくても、生きている自分を感じてみてください。
何もなく、ひとり、静かに息をしている自分に焦点をあてて。
その豊かさに気付いたら・・・・。

わたしは、なんでも出来ます。
わたしは、必要なものは、すでに持っている。
わたしは、世界に愛されている。

オマジナイです。

No.144 2005/03/02(Wed) 14:56:57


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