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至心(真実心)とは私達の心の最も深い所に隠れている、真実の感情です。ほとんどの人は、この感情を眠らせたまま、この世を去って行きます。しかし、私達の存在、生きている理由・・本当の人生は、この至心に目覚めた瞬間から、始まるのだと言えましょう。 この真実の感情は、私だけの個人の感情ではありません。この感情と自分がつながったとき、私達は過去・未来、いきとしいけるもの、全てとつながっている実感を、得るでしょう。 |
No.116 2004/12/27(Mon) 11:49:49
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ここに静かに座って、自分の心を感じようとする時。まず感じるのは瞬時ごとに受け取っている身体感覚でしょう。 それは毎瞬変化し、そして身体全体として起きていることです。また、だから雑事に追われて忙しい日常の意識では、至心を認識することは難しいのです。わたしたちが自らの心が、よく見えていないのは、このためです。 さて、その全体感覚を抜けて、さらに奥に奥にと、自らの心を見るならば、そこに沢山の抑圧された感情が溜め込まれていることがわかります。 孤独、怖れ、悲しみ、無力感、取り残された気持ち、怒り、絶望・・・などです。 |
No.119 2004/12/29(Wed) 12:09:00
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怒り、とは何でしよう?それは、理解されないことへの悲しみ。絶望的なまでに理解されたいという感情の転化された心情です。 悲しみ、とは?それは、充分な世話を受けていないことに対する痛みです。 怖れ、とは?生きるに値しない、価値なき存在として、捨て置かれることへの不安です。
層になって澱になって溜まった抑圧された心。わたしたちの抑圧された心に、存在している、これらすべての感情を一言で表現するならば「ただ、泣きたい」という切なさでしょう。そうです、慰める言葉もなく、ただ泣きたいのです。わたしたちは、心の奥底では、いつも、いつも、泣いているのです。 この「泣きたい」という感情は一体、なんでしょう? この奥には一体どんな感情が隠れているのでしょう。
それは、強い「願い」です。今、自分の味わっているこの痛みを、誰にも、与えたくないという。 |
No.120 2004/12/29(Wed) 12:10:52
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心の核にある、わたしたちの心。至心(真実心)。 溢れるような強い心が、躍動しています。すべての人に対して、痛いほどに与えたい。悲しいまでに与えたいという思いが。
安らぎを与えたい。 喜び(愛)を与えたい。 気遣いを与えたい。 幸せを与えたい。 なんであれ、人生の良きことを。 そして、これこそが、すべての人の心の奥底にある隠された至心(真実心)なのです。
そこに至った時、はじめて、わたしたちは「じぶん」として生きはじめるのです。 |
No.121 2004/12/29(Wed) 12:18:20
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