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今日のわたし
日記・メモ帳がわりに思い付きを書いています

謹賀新年 / トキ 引用

2015年は、一人一人が
「自分はどう生きるか」を
真剣に考る時代になる。

2011年に起きた大きな災害を経て
2014年は、自然災害や社会的な事件など、
多方向に様々に起こりました。

それらが私たちに「どう生きるの?」と、
問いかけて。 心を定める時。


不正な事件の数々。が
露になって

私たちに突きつけられた
「優秀さよりも誠実さ」の問い。

人からの評価から
自らの姿を自ら見るとき。

「自分がどう誠実に事にあたってきたか?」。

No.403 2015/01/04(Sun) 09:52:54


怖れに、どう付き合うか / トキ 引用

だれでも、恐怖感というものがある。

恐怖感を
逃げなさい
止まりなさい

と解釈してはエゴの、とりこ。


これは

恐怖感・・・
智慧・知性をもって
ことに当たりなさい

というシグナルなのです。

なにを、どう受け止めるか。
それが豊かさへの道。

No.400 2013/10/10(Thu) 14:08:52

 
Re: 怖れに、どう付き合うか / トキ 引用

気づきがあれば
思い通りにならなければ「思った通りではない」で、終わる。
意識はそこに、とどまらないから、葛藤も生じない。

「思い通りにしたい」に向かわない。

思い通り・・・というよりも
どうなるのか、と観察するでしょう。
起きてくることを興味深く、見守るでしょう。

No.401 2014/03/17(Mon) 23:55:48

 
ふうむ / トキ 引用

「おしゃべり掲示板」に広告の投稿が多いので
パスワードつけてシャットアウト。

これで投稿がなくなるかと思ったら。
自動でパスワードを無視したまま投稿できる
プログラムがある・・・らしく、止まらない。
宣伝の為に、そこまでしますか?
という感じです。

No.402 2014/06/02(Mon) 23:54:27


成功と失敗 / トキ 引用

幸せな家庭は似ているが
不幸せな家庭は、それぞれに違う。
(ちょっと違う?)

そんな諺が、あるような、ないような。

成功にも、おなじ諺が使えるように思います。

成功者は、みな似ているが
失敗者は、それぞれに違う・・・のね。

成功する一本道。
そこから外れると、失敗するんだ。

どこから外れるんでしょ?
そこが大問題。

人生は、そこそこに長いものです。
一時期、上手く行ったように見えても
やがて墜落していく。

それは、この成功者の道から
外れてしまっているから。でしょうか?

大きな目標。
遥かかなたにある目標地点。
それは、たどり着けないかもしれないほど
壮大である必要がある。

だから、いつまでも方向を間違えず
わき目も振らず、向かっていくことになる。
ただひたすらに・・・精進する。

ちいさな成功、ちいさな失敗
ものともせず。

最初は細い道だけど
やがて大きな道を造る。

自分ひとりの道から
多くの人を運ぶ道になる。

自分ひとりが称えられるのではなく
多くの人が称えられる道になる。

もしかしたら
それが真の成功と呼べる。

のかも。

No.399 2013/08/16(Fri) 12:59:01


終了してから始まる / トキ 引用

以前、精神世界系やヒーリング系の
セミナーのようなものに、
いくつか参加したことが
ありまして〜

知識を得るのは、あるいみ
楽しくもありました。

へー、こんなコトがあるのか、と
目からウロコが、ポロポロ〜と。


ということも、面白かった。


やがてバラバラに仕込んだ知識は
どこかで結びついて体系がある
ことに、気づいた。

様々なスタイルをとりながら
みな同じトコロから、出ているのね。


それが、分かったときから
もう知識は、いらない。

と思うようになった。


つまりは、渡り歩く必要がない。
という感じでしょうか。

知識を得ようとすればするほど
本当のモノから遠ざかる。


「私は、何も知らない」
というトコロから、一歩も動けない。

知らないから、得ようとするのだよね。

では「もう、知っている」となったら・・・。
ただ、それを信じればいいだけ
じゃないかな〜と思った。

なんの確信もない。

なんの支えもない。

でも、信じた瞬間に、分かる。
自分はもう、すでに知っている。
自分は、もう探そうとしなくていい。


ここから、すべてが始まるんだ。
ということが。

No.398 2013/05/06(Mon) 01:44:39


マザー・テレサは言いました / トキ 引用

マザー・テレサは、

「世界平和のために、
何をしたらいいのでしょうか?」

と聞かれて、

「帰って家族を
大切にしてあげて下さい。」

と答えました。


なんつーかねぇ。
その人は、もうたっぷり〜と
家族を大切にしている。

のかもしれないんですけど。

それにしても。
家族を大切にするのは
当たり前でしょ?

当然。大切にしている
こともあるでしょ??

ということは、ないのかな。

と・・・考えてしまうヘソマガリ者
でございますっ。


どのくらい大切にしたら「大切にした」
と言えるんでありましょうか?


とか、ゴチャゴチャと考えると
これは、迷路で迷子になりますね。


まぁ・・・つまりは。

目の前の、人を、愛せよ。幸せにせよ。
ということなんですよね。

その人に、全力になりなさい。って。

直接的に、大げさに、何かをする。
ということには、偽善や犠牲が伴う。


ただただ。

目の前の「ひとり」で良い。


そのひとりは、誰か別の人との関わりで
同じように、目の前の「ひとり」に、と
全力で関わっていく。

それが、次の「ひとり」へと、つながっていく。

気が付けば、目の前の「ひとり」だったはずが
たくさんの人たちの、幸せの輪が出来る。


これで「世界が幸せ」にならないはずはない。

No.397 2013/03/16(Sat) 03:57:14


イジメの構造 / トキ 引用

イジメを使う人は、自分がイジメているとは、
気付かないものなのです。
逆に、されればすぐ気がつくのにね。

そんなこんなで・・・
相手が、どう感じるか。それだけでもある。

相手が「イジメられた」と感じたら、
イジメに確定してしまうのです。

皮肉を言う。当てつけをする。からかう。。。
イジメに現れて来る手法ですが、こんなものは
日常的に、使っているんじゃないですか?

しかし、相手が嫌がって、やっと「イジメが行われた」と、
なるものですから、イジメの判定は、難しいのです。

イジメは、基本的に、弱いモノが強いモノを・不利なモノが
有利なモノを、叩くために使う手法です。
だから、集団の力を利用したりするワケです。

派閥の論理。大勢で、一人を仲間はずれにするとか、
相手に抵抗させないようにする。
自分が弱いモノ・不利なモノと分かっている人は、
そそくさと、その集団に溶け込んで、イジメの対象に
ならないように立ち回る。

抵抗しにくい状況に追い込まれたイジメの対象者は、
作為的に、弱者にさせられるだけで、
本当に弱いかどうか・・・。ですね。
状況が、やがて、抵抗できなくさせ力を殺いでいく。

本当に強いモノは、イジメの手法を使わないでも、
人を従わせたり、動かすことができます。
自分の利益の為に。

イジメが、みっともないとか、恥ずかしいことだとなるのは、
自らが弱いモノ・不利なモノと明らかになるからではないかしら?
対等に戦えずイジメという姑息な手法を使わなければ
ならない人なのだと。

感情的な気付きの中で思考を完全にするには、あなたは
ただひとりであることが必要です。あなたの感情と思考が、
集団的な意志あるいはあなた自身の特定の切望の反応で
あるかどうか見出して油断なく見つめている、その用心
深さの中で、思考は感情的な気付きの中でそれ自身の
素質を充分に発揮するのです。
              (bt クリシュナムルティ)

わたしたちは関連されています。
「わたしは」と言うとき、必ず背景があります。
社会自体が集団及び個人の欲望で成立していますので、
「ただ、ひとりある」ことは、簡単ではないのですが…

しかし「ひとりある」を体験しない限りは、
真正な感情と思考の在り方を知ることは
できないことでしょう。

No.395 2012/11/29(Thu) 11:09:32

 
Re: イジメの構造 / トキ 引用

ところで・・・
「イジメがあって、ウツになった」
としますよね。

しかし、イジメ→ウツになる。
という方程式は、ありません。

ウツになることで、イジメから逃避した
ということで。それを選択した自分がいる。

「いやいや。なりたくて、なっていません」
「悪いのは、イジメる人がいることです」

それは、理解しています。しかし
そこに、とどまったら、堂々巡りなのです。

イジメられて反撃する人もいる。
現場のイジメ体質が、それで変化するかもしれない。
変化を必要としているから、ソレが起きたのです。

試されている。勇気があるか、どうか。
自分が、その変化を生み出す、力をその場所に
与えられるかどうか・・・。試された。

「勇気」は、信頼から生まれます。
信頼がないと、逃避を選択します。

その場所は変わることが出来る。
その人たちは、変わることが出来る。

そう「信じられる」かどうか、
なのではないか、とおもいます。

No.396 2013/02/04(Mon) 20:55:35


今のポジションは? / トキ 引用

心と人間関係には、四つの成長の段階があります。
 
「依存の段階」
肉体的・精神的に周りの人のお世話になっている状態
(お世話になっているのに気付かない)

「自立の段階」
自分のことは自分でできるが、親密な人間関係がなく、
感情を抑圧している状態(自立している、というワナ)

「相互依存の段階」
良好な人間関係を持ち、パートナーシップやリーダーシップ、チームで、
より大きな幸せや成功を作り出している状態

「霊的依存の段階」
神や天など、高次の意識の意向を傾聴し、委ねることができる
ようになり、あらゆるものとつながっている一体感、平和を
目指している状態

となります。


さて今、どの段階にいるでしょう?

No.394 2012/10/24(Wed) 13:03:38


ほめる交流法 / トキ 引用

な〜んかね。
「ほめましょう」というのがあります。
ほめて、ニコニココミュニケーション♪。

「ほめる」というのには評価が入るのね。
・・・したから、良い子だね。みたいに。
つまりは、ある行為に対しての評価。

そうすると、これ「ほめる」場所を見つける
ということになります。
そこで「人のいいところを見つけましょう」となる。

う〜ん・・正直いって、これ上から目線なのね。

違和感がある場合は、これがあるからでしょう。

すると、言われた方も
「あんたに褒められても・・・ね」みたいな。
評価する人のランキングが問題になります。

すると褒めたのに怒られた
褒められたのに、困惑する
みたいなことに、なってしまう。

なので〜
ほめてみよう。と思いましたら
「・・・が良い」とかではなく
「・・・で、うれしかった」のように

その存在を認める。存在感を高める。
自ら同等の立場で承認する姿勢。

であれば
ほめられた相手は文句なしに、
「ほめられた」と感じる・・・んじゃないかな。

No.393 2012/08/03(Fri) 14:43:24


環境と自分 / トキ 引用

ジェームス・アレンは、
有名な著書「ジェームス・アレンの法則
(原題:As A Man Thinketh)で

「環境が人を作るのではなく、
 環境は自分自身の本来の姿を
 自身に明らかにするものである」

と書いています。

つまり。環境がもともとあって、その中に自分がいる
ということではありません。
私たちの心の中に、すでに、選択した環境があるのです。
ですから。その環境が、自分には不都合だと思うなら
心の中にある環境を、書き換えればいいのです。

「いや、変えられない」と思うとしたら
変えたくない思いがある・・・のかも知れません。

自分の人生の責任者は、あなた本人です。

No.392 2012/07/09(Mon) 01:43:58


生き方を決定するモノ / トキ 引用

死んだら、その後はどうなるのか。という疑問を持つ人あり、
死んだら終わりの結論を持つ人あり。

わからないことを考えても仕方ないじゃないか。
今をしっかり生きるしかないよ。という人もあります。

でも、どうやったら「しっかり生きる」ことになるのか。

ですから、生きる事は死ぬ事を抜きに想定することは、
出来ないのではないかと思うのですね。

神様が、いるのか、いないのか。
そこも、じつは、生き方に関わります。

恐ろしい神様をいただいたら
恐ろしい世界に生きていくことになります。

優しい神様をいただいたら
優しい世界を生きていきます。

世界をどう認識しているか
世界とどう関わりを持つのか

ねぇ。
神様が自分を愛してくださっている
と思えば、そのような生き方をします。

自分の死んだあとの世界が
明るく楽しい世界だと思うなら
その世界の為に生きる事になります。

神様に自分は愛されていないと思うなら
恨んだり憎んだり、愛されようと生きるでしょう。
つまりは神と取り引きするワケよね。

自分の死んだ後の世界なんて、自分には関係ない
どうせ、このまま行ったら世界はヤバイぜ。
と思うなら、生きている今も、汲々として生きるでしょ。
かなりの圧迫感があるでしょ?

そんなふうに、ぜーんぶが
自分の生き方・在り方・人生と切り離せないんですね。

No.391 2012/06/20(Wed) 13:21:48


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