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「人の心の状態」とは「思考」でどうにでもなる。 なのでしょうか。
「雨の日はうっとうしい」と感じる(感情)人が一般常識的ですが、「いやいや雨の日はお百姓さんが喜ぶし、雨は情緒があって良い」と考える(思考する)ことによって気分(感情)が変わってきますね。 と言う人が、います。 私も、そういう考え方をしていました。
しかし・・・どうなのかな〜って。 今は、その心の細工に違和感を感じています。
「雨の日はうっとうしい」のでしょうか。 これは、思考です。 「雨の日はうっとうしい」のだと、 本当に私の心は、感じているのだろうか。 思考は、心の、何を隠そうとしているのだろう。 と、「うっとうしい」と感じているモヤモヤした 心に、問いかける。
親友のように、愛で受け止めながら。 |
No.329 2008/09/20(Sat) 10:11:26
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実際の現実は、 「雨が降っている」というだけです。 とりあえず「雨」であること「降っていること」 くらいは、感覚で認知してます。 その感覚が、どうして「うっとうしい」に即座に つながってしまうのでしょう。
「雨の日はうっとうしい」に決まっているから? もしかしたら
実際は心にモヤモヤするものがあって、 このモヤモヤの理由づけに「雨」が 使用されている・・・のかも知れません。 「雨の日は、うっとうしい」のだから、 モヤモヤするのは、仕方がない。と。
そうしますと、本来、感じているものからは ほど遠いところに自分がいることになりますね。 そして、実際にあるモヤモヤは回避されます。
まっ。雨の日はうっとうしいのだから。 でカタを付けてもイイんですよ。 この忙しい日常の中で 本当の自分にたどりつこうという作業は なかなか〜うっとうしい時間がかかりますから。
ともかく 感情を思考で誤魔化すと、現実とリアルに向き合う ことができなくなります。 どんな感情でも、それは、本当の自分と直結しています。 自分に出会う道。そのひとつが、感情に向き合うこと。 ではないかと思います。 |
No.331 2008/09/20(Sat) 10:34:27
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この世に人に愛はあるでしょうか、ないでしょうか。 私の場合です。
「愛はある」という気持になると、暖かいものに包まれます。 しかし、包まれているうちに、だんだんと。 自分の所に、なんで愛はやって来ないのだろう。 という気持ちが、忍び寄って来ます。 自分の愛し足りなさを思い知らされます。
そこに至ってやっと気づく。 「愛なんてない」という自分。 冷え冷えとした、ポツンとした自分を意識します。 しかし、そうやっていると、だんだんと。 硬い冷え冷えとした胸の一点に光があるのを感じます。 光は、どんどんと広がって自分を包み世界を包みます。 ないはずの愛に包まれます。 どこにも分離はない、欠けたものもない。 という気持そのものになります。
愛はあると思っても、愛はないと思っても 通る道は違っても、至る場所は同じなのかも知れません。 「ある」と「ない」を融合しながら、螺旋の道を どこまでも行く。
あら。2本の道が、ねじれながら一すじを行くなんて まるでDNAの図と、同じじゃないの〜と気づいて。 不思議。。不思議。。 |
No.332 2008/09/24(Wed) 12:53:16
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