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たとえば信念というものは、個人的なもので、個人で完結します。 「人がどう言おうと感じようと、私はそう信じる」というようなモノです。 それは個人の経験から発生して、全ての人に当てはまるものでもない、論理的でもない。
それに対して、ああでもないこうでもないと重箱の隅をつつくようにして、積み重ね、集められたデータを、煮詰めて煮詰めて
「普遍」という方向に進んでいく。それも「こんなものかもしれない」という感覚的なものでなく、、、その原点は「自分の頭で考える」というもの。 |
No.284 2007/05/01(Tue) 11:59:15
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タレスは「万物は水からはじまる」と言った。アウグスティヌスは神について考えた。デカルトは認識について考えた。マルクスは社会について、ソシュールは言語、、。言われてみれば「ごもっとも」であり、それだけならそれでオシマイ。
しかし私たちはまた考え始めます。「そうかな」と新たな疑問に誘われつつ。 |
No.285 2007/05/01(Tue) 12:00:32
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