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今日のわたし
日記・メモ帳がわりに思い付きを書いています

それぞれに / ぴあ 引用

人はそれぞれに異なる生い立ちがあります。
その背になにか重い荷物を背負っていない人はいません。
まぁ・・・生きると言う事は、それほどに、それぞれに
大変な事なのだと、思いますね。

と、思えば。
疎かにされて良い人は、ひとりもおりません。
みな、大切に扱われるべき、人たち。なのです。

そうであるのに「人間なんて、こんなものだ」と
思ってしまうこともあります。
みじめなものだ・・みにくいものだ・・自分勝手なものだ・・
しかし、それこそ、自らをおとしめること。
そんなものではないでしょうか。

No.265 2006/09/11(Mon) 20:01:50

 
Re: それぞれに / ぴあ 引用

「生きると言う事は、それほどに、それぞれに大変な事」

なのですが、視野が狭く、自分の事ばかり。
あるいは、自分の価値観・世界観にとらわれてしまう
所から「人生なんてこんなモノだ」「人間なんて・・」と
貶めて行くのではないかしら。

さて、自分は何にとらわれて、そこから離れられないのか。
こんなふうに、視点を変えてみると、なんと狭い場所に
自分を閉じ込めていたのか、が見えて来るかも知れません。

No.266 2006/09/13(Wed) 13:44:43


勇気 / ぴあ 引用

勇気を、日々、意識する。
勇気は、使えば使うほど、出て来る。強くなる。

誰でも本能的な怖さを持っています。

冷笑される怖さ。
失敗する怖さ。
変化して行く怖さ。

このままでは、いられない。
と思いながらも、どうしたらいいかわからない。
と思う時は・・・勇気を使えばいいのです。
使えば使うほど、、その力は強くなるのだから。

成功するために生まれて来た、私達にとって
一番怖いのは失敗する事ではありません。
失敗は、たんなるプロセスであり、次の失敗を
予言するものではないのです。

一番こわいのは。

物足りない人生をモンモンとしながら、送ること。
なぜ、やらなかったのだろうと、虚しく過ぎて来た
時間を後悔すること。
なぜ、ほんの少しの勇気も、自分にはなかったのだろう
と、後悔すること。

No.262 2006/08/16(Wed) 12:02:05

 
Re: 勇気 / テス 引用

すみません。昨日、今日と会合で酒飲んでますが。
思考力がないので直感で。
勇気は文字通り思考でなく直感で行動することでは?
普通の感覚では、不安は十分なる準備で解決されます。
これは思考力と想像力それに過去の経験値から組み立てます。
直感は準備せずに別のルートから情報を得ます。
準備せずに行動するのは怖いですね。
準備を十分にしてしかも自然な感性で
物事をすすめる、ようなセンスがバランス
が取れるかもしれません。
しかし、本当に人が窮地の場面になると考えません。
そのときは直感で瞬時にすばらしい能力を発揮します。
酒飲んで書くと文章がバラバラですね。
それに自然でない。

No.263 2006/08/26(Sat) 22:48:16

 
Re: 勇気 / ぴあ 引用

こんばんわ。直感。ね。

計算したら、それも本当の勇気ではない。
のでしょうね。
体当り。。。それしかない、のギリギリ。
ですから、自分でも想像できないほどの結果がでる。
こういう時はホントに、何も考えていませんね。

No.264 2006/08/26(Sat) 23:42:20


人間関係 / テス 引用

関係がうまくいく法則を勉強しなくとも、感覚的にシンプルに愛情をもっていけば関わりも自然に収まって
いくようです。

No.260 2006/08/08(Tue) 22:36:24

 
Re: 人間関係 / ぴあ 引用

そうですね。。
感覚的にシンプルに愛情をもつ。
じつは、これほど難しいことはないと、思うコトもあります。
人は・・・愛されたぶんだけ、愛します。
愛されたという実感が必要なようです。

わたしなんて、愛されるはずがない。
これまで、愛された事がない。
・・。と思っている人もいるわけで。
そこが問題なのです・・・ね。

No.261 2006/08/09(Wed) 00:30:27


確かめようとしなくても / ぴあ 引用

わたしたちは、何かと関わる事で、自分自身を実感したり、生きている事を実感したりします。
わたしたちは、関わりの中で生きています。
現にわたしが生きているということは、関わりがあるということなのです。

わたしたちにとって大切なのは、現にある関わりに気付く事です。関わりが損なわれることを警戒するのでもなく、関わりをどう作ろうかと考える事でもなく。
関わりを実感する事です。

No.259 2006/08/08(Tue) 16:34:52


年々お尻が重くなる / ぴあ 引用

ところで・・・
「もし失敗したらどうしよう」と考えると、怖くて新しいことに挑戦できないですね。
いまが退屈で変化を求める性格ならば、勇んでチャレンジするのでしょうが・・・それもまた、ただ成長の場を求めた自然な気持ちならば、ですけど。

そういう場合は「失敗したら・・・」という消極性はないのかもしれない。失敗は、次の成功の糧です。くらいの心構えなのでしょうか。

やろうかやめようか・・・どうやって、こうやって、と悩む。悩んで悩んで、悩むことで疲れきってしまう。迷って悩んでその末、疲れ果てて何もできない。

失敗したくない、成功したいの欲が結局は、動けない原因なのかも。そういう人は、しなかったことでも、悩むのでしょう。こうしていたら・・・。と悔やんで、またまた無駄に時間をついやして。そんな辛い時間を過ごすのかな。

No.254 2006/07/13(Thu) 12:45:17

 
失敗する理由 / ぴあ 引用

わたしたちが失敗するときは、自分にかかわる重要な人々、とくに身近にいる人・愛する人などに仕返しをしているのです。また人生のすべての失敗は両親への復讐の一種ということもあります。
人生であなたが失敗したところをすべて見てみましょう。
特にいま挫折を味わっているところを見て、「私はだれに復讐しているのだろう。それは何のために?」と自問してみましょう。個々の内容を小さなリストにしたら、今度はこう質問しましょう。
「この人たちに復讐するためだけに、私は人生で失敗をくり返したいのだろうか」
それらをすべて手放したとき、成功への道が開かれます。

復讐と「傷・痛み」はつねに一体になっています。ですからいまだに傷を感じているところでは、復讐しつづけているのです。すべての傷はわたしを、ちぢみこませます。わたしは傷つくたびに心を小さく圧し込め、自分を貶めてきました。
それはある出来事によって、なぜか自分が軽蔑されたとか、あなどられたように感じたからです。傷ついたり抵抗を感じたとき、人はその状況を利用して自分を実際よりも小さくしようとするのです。

No.255 2006/07/26(Wed) 11:17:32

 
そして・・開放へ / ぴあ 引用

昔の傷を忘れて抑圧したずっとあとまでも、復讐や失敗が続くことがあります。忘れてしまった痛みの為に、わたしたちはちぢこまっているのです。

さぁ、そこで、ちぢこまっている状態から自分を引っ張りだしてみましょう。どんなかたちでも敏感に反応すること(痛みから目を逸らすために、わたしたちは鈍感になろうとしています)、またあらゆる許しや、与えることもよい方法です。ほかにも流れをつくりだすものは数多くあります。

たとえば感謝、理解、信頼、統合、執着を手放す、そして、融合などです。
こうしたものが、心を凍りつかせてしまった停滞と収縮からわたしを脱出させてくれます。わたしが痛みに対処できるようになるまで、わたしは停滞と収縮によって自分自身を閉じこめ、守っていたのです。

No.256 2006/07/26(Wed) 11:27:23

 
Re: 年々お尻が重くなる / テス 引用

前に送ろうと思っていたのが残っていたので
再送します。
私の場合年齢とともにチャレンジと言うより
変化を求めるようにしてます。
なかなか実現しない事をよく吟味すると、
本当は望んでないことが多いようです。
(もしくは別のイメージで求めている)

ところで挑戦して成功するのと失敗するのはどちらが
おもしろいでしょうかね。
つまり、成功者の話と失敗談どちらから学べるかは
、そしておもしろいかはいちがいには言えないが
大体失敗談の方が人間的な深みを学べます。

さて、運命の女神はどちらがおもしろく、また本人の
為だと思うでしょう。

送信できなかったときにぴあさんと新しい芽さんは
同一人物だと思った。

No.257 2006/07/26(Wed) 21:32:40

 
こんばんわ / ぴあ 引用

ううーん。
私は、成功者の話が興味深いですよ。
自慢話になりがちですけれど、学びはどこにもありますね。
人に夢を与えるのは、成功するための努力が
どんなふうに、あったのか、ということ。とかね。

もちろん失敗の話は、安心感が・・・ありますか。
だれでも、失敗するものなのだ。と勇気づけられたり。

あらあら。そうですか。
新しい芽さんには、いろいろと教えられる事が多く、
力を与えてもらっています。

No.258 2006/07/27(Thu) 00:57:32


幸福 / ぴあ 引用

幸せを感じるとき、自然にだれもが信頼感のなかにいます。するとコントロールする理由は何もなく、人をしばっておくために情緒的な脅迫の手段に出る必要もありません。
幸せを感じていれば、いっしょに愛と創造性も感じます。
そんなクリエイティブな気分のときに、だれがわざわざ人をコントロールして奴隷にしたり、捕虜にしたいと思うでしょうか。
それにだれかを捕虜にするためには、相手の看守をしなければならず、そうとうの時間を無駄にしなければなりませんね。

No.253 2006/07/12(Wed) 11:19:20


アースガーデン★お知らせ / ぴあ 引用

2006年7月8日(土)9日(日)10:00〜17:00
場所/代々木公園イベント広場

>アースガーデンのイベントコンセプト>
●オーガニック&エコロジカルな新しいライフスタイルへ
●より豊潤なコミュニケーションの場の創造
●イベントを地球と自然に親しいものに
●NPO/NGOグループへの、アピールの場の提供とサポート

オーガニット%エコロジーをメインテーマに「アースディ東京」「ライフスタイルフォーラム」等、多くのイベントで企画提案や製作を行ってきました、アースガーデンが、行われます。
おいしいもの、ステキなもの、掘り出し物がいっぱい。
そこに行けばピースフルな仲間に出会える。

http://www.earth-garden.jp

No.250 2006/06/20(Tue) 00:04:49

 
Re: アースガーデン★お知らせ / ぴあ 引用

今年も "アースガー デン夏" にNPOで出展しています。
出展のテーマは
「気とこころのがっこう〜気のからだ発見!ワーク ショップ」
キャッチフレーズは
「気、こころで感じる、からだで感じる」です。

秋には大和書房から同名の本が出版される予定です。
コミトレの気とこころで、がっこうの紹介も施術も楽しく行って、 来場者のみなさんをお迎えします。

No.251 2006/07/01(Sat) 10:55:37


ある旅のはなし / ぴあ 引用

ブッダは、自分の言う事に、ことごとく 軽蔑的で無礼で辛らつな態度をとる人と、ある時、旅をしました。その旅人は道中でブッダを、バカ呼ばわりしたり、横柄な態度であざ笑いました。
・・・その、3日目の終わりに。
ついに旅人は我慢できなくて、ブッダに尋ねます。

「この三日間、侮辱され、気に障るようなことを、さんざんされて来たのに、どうしてそんなに慈愛に満ち、寛容で居られるのですか?私が侮辱するたびに、貴方は慈愛に満ちた反応をします。どうして、そんなことができるのですか?」

ブッダは旅人に、問い返した
「誰かに、贈り物を差し出されても、それを受け取らなかったら、贈り物は、誰のモノになるのかな?」

この言葉で旅人はあらたな洞察を得ました。
たしかに侮辱という贈り物を差し出されても、それを受け取らなければ、自分は、侮辱されたことには、ならない。のだと。

No.243 2006/06/11(Sun) 09:51:23

 
Re: ある旅のはなし / 新しい芽 引用

自分のした侮辱を、相手が受け取り、憤慨したりすると、
相手が自分の贈り物を受け取ったということですが、
そうすると、やっぱり、相手に、あざ笑われるだけのものがあると思えてしまうので、それで終わりになるかもしれません。

ところが、相手が少しも受け取らないときには、それだけのものは相手の中にないのかもしれません。
あざ笑っている、その自分の態度だけがあり、
贈り物は、自分の中にあるので、あざ笑うべき何かは、自分の創作かもしれません。
自作自演の軽蔑、そういう仕組みに、気づきませんか、という問いかけかもしれませんね。

No.244 2006/06/12(Mon) 11:35:23

 
Re: ある旅のはなし / ぴあ 引用

ここのポイントは
「ついに旅人は我慢できなくて、ブッダに尋ねます」
という部分かな、と思います。
もしも、相手が侮辱される程度の人ならば
侮辱を与えて、そのまま放置できます。

でも、なぜか聞きたくなる・・・としたら
問題は、その人の中にあるのかも知れません。
侮辱したかったら、すればいいし、それでお終い。
なのですから。

No.245 2006/06/12(Mon) 13:10:12

 
Re: ある旅のはなし / 新しい芽 引用

人に問う前に、
自分自身に問えると、
様子が違っているのかもしれませんね。

贈り物の作り手が見えるでしょうし、
そのとき、そもそも、贈り物を作っているのかどうか?

No.246 2006/06/12(Mon) 13:34:23

 
Re: ある旅のはなし / ぴあ 引用

それは、そうとして・・・

贈り物を受け取って貰えないのは、淋しい。かな。
どんなものだとしても・・・。
いや、ホントに。
贈り物の与え方も難しいし、受け取り方も難しい。
やはり、それはどんなものでも、、たぶん、、
与えたかった裏の感情も、あるでしょうから。

No.247 2006/06/12(Mon) 21:23:31

 
Re: ある旅のはなし / 新しい芽 引用

今回は質問したくなるような受け取り方だったのでしょうか?
さびしかったかどうか?

与えたい気持ちに、気づいていると?
心は尊敬、賞賛を求め、だから、荒廃していて、
慈愛が欲しかった?

No.248 2006/06/13(Tue) 07:54:48

 
Re: ある旅のはなし / ぴあ 引用

そうですね。
「自分の言う事に、ことごとく 軽蔑的で無礼で辛らつな態度をとる人」
というのは、どこにでも、います。
いわば、反抗期のような・・・
私なんて、一生、反抗期〜のような感じですが。

反発したくなるのは、もちろん、自分の中にある問題が
そとに投影しているのです。
それもそうですが。。。甘えたい気持。
などというものが、あるのかな。と思えたりします。
・・・う〜〜ん・・甘えなんですね。

No.249 2006/06/13(Tue) 10:17:45


融合する / ぴあ 引用

楽しさは、より高い意識状態から生まれます。
それはインスピレーションにあふれ、その場に
ユーモアと流れをもたらすのです。
どんなときでもより大きな楽しさを感じれば感じるほど、
ワクワクの待ち遠しい感覚がもっと高まります。

楽しさは幸運と同じだけの原動力をもっていますから、
自分主体から離れ楽しんでいるときは、自然と幸運の波にのります。
楽しさとユーモアは連動しています。
楽しさ、感謝、インスピレーション、自発性、それに「おちゃめ」
であることは、世界と融合することの資質なのです。

楽しさこそ、真の感応力・想像力・愛する力なのです。

No.240 2006/05/31(Wed) 11:40:30

 
Re: 融合する / 新しい芽 引用

普通、日常語で、楽しいというのは、満足な状態が続いて、何も不平や心配がない様子である、
ということですか。

この場合は、不平、苦痛が隣り合わせである快楽のことですね。
期待するあることが満たされている、そのあることに依存した楽しい気持ち。

期待する何かが消えていて、現実に直面しているとき、心は静かであり、騒音で埋められておらず、余裕があります。
心は二面性のない、未知のものであり、自発的であり、生き生きとした気持ち、行動が生じます。

言葉にすると、ただ喜びとでも言うよりないもの。

No.241 2006/06/02(Fri) 21:30:35

 
Re: 融合する / ぴあ 引用

はい。
怖れが、ひとつも、なく。
底には、愛だけがある、状態。

つまりは
「心は二面性のない、未知のものであり、自発的であり、
 生き生きとした気持ち、行動が生じます。」そのもの。

No.242 2006/06/03(Sat) 10:30:21


閉じこもる / ぴあ 引用

善かれと思ってしたことが。相手にとって
仇になることは、よくあることです。
精神的なショックを受けた人を励まそうと。
「終わった事だから、もう、忘れなさい」
「何もなかったように、ふるまえばいい」
「考えるから、いけないんだ」
こんなふうに。

でも、自分が当事者だったら、どうでしょう。
その言葉は。
怒りや、恥ずかしさ・・・の中で
自分がまったく相手に理解されていない
と感じることでしょう。

広い意味で、周りの人は、傷ついた人を
うまく慰める事ができない・・でしょう。
周りの人が、いつも、すべてを理解してくれる
わけではない。

なぜなら、周りの人は、ただ困惑して。
自分達が持っている、本来の弱さに気づかされ
同じ事が、自分にも起きるのではないか。
と、不安になる・・・のでしょう。
相手の痛みをもたらすものは、「わたし」
自身にも起きて来る可能性のある不安なのです。

だから、そもそも、共感できない。
相手の痛みから、目を逸らしたい・・のです。から。

No.239 2006/05/23(Tue) 09:47:07


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