しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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(No Subject) / ピヨ 引用
No.619 2013/09/19(Thu) 19:19:55

 再掲載です。島野様 回答いただけたらと感じてます。

 現在は、大学の心理学科がたくさんあると感じています。

 図書館で自分の興味のある本を見つけて、学んでいくのも良いと思いましたが、
私自身も、上記の大学で学びたいと考え在学しています。
そして、様々なテキストを読む中、すばらしいテキストに出会えてることが多く、ありがたく感じています。

 島野さんの本も、数年前に購入してすばらしい本であると感じました。先週末、片づけをしていてその本を目にしてもう一度読みました。以前に読んだのに、今の自分に重要な本であるとその時以上に感じました。

 島野さんは、執筆活動等で収入を得ているのでしょうが、電子本の無料などまとまった収入があるのでしょうか。また、本の内容は深く、どこからその学びが出来ているのだろうと思いました。
 今回、メールに翌日に答えていただけることを知って、もっと早く知っていたらと感じました。

 職場と言うところは、楽しく仕事をしたい方が多いと思います。そのため、静かであったり、話が無いとつまらないと言う方が多いです。
 
 人間関係では、相性の中で、内向的や外向的が影響していると思いますがいかがでしょうか。

 知的障害や、発達障害なども、島野さんの話されている、愛の不足と関係はあるのかどうかもお聞かせ下さればありがたいです。

 女性は、子育てを通して、自分の子供の頃を思い出すことや、人の育ちを考えることにつながる傾向がありますが、男性は女性とはまた違った学びがあるものなのでしょうか。

 会社など、集団で働く職場は、人間関係が複雑ですが島野さんの仕事の環境では、集団の会社と比べて人間関係からは離れられているものでしょうか。


 
仕事と人間関係など^^ / しまの 引用
No.620 2013/09/20(Fri) 11:16:23

>今回、メールに翌日に答えていただけることを知って、もっと早く知っていたらと感じました。

大抵2、3日手が空いてなかったり長いアドバイスになる場合は数日かけてという感じになりますので、基本のんびりお待ち頂ければ^^。


>島野さんは、執筆活動等で収入を得ているのでしょうが、電子本の無料などまとまった収入があるのでしょうか。また、本の内容は深く、どこからその学びが出来ているのだろうと思いました。

執筆では基本的に収入はありません。社会人時代の蓄えで生活しています^^。
学びは、人生体験そのものから得ています^^。


>知的障害や、発達障害なども、島野さんの話されている、愛の不足と関係はあるのかどうかもお聞かせ下さればありがたいです。

知的障害発達障害原因として、愛の不足というより、もっと全般的な悪い育児環境原因になるかも知れませんね。育児放棄的状況とか。また先天的な脳の障害なども関係すると思います。
いずれにせよハイブリッド心理学自己啓発のための心理学の分野になりますので、知的障害発達障害についてはあまり扱っていませんことご了解頂ければと思います^^。


>人間関係では、相性の中で、内向的や外向的が影響していると思いますがいかがでしょうか。

ハイブリッド心理学では、人間関係については「建設的対人行動法」学びを示しています。人間関係を、「楽しみと喜びおよびあらゆる向上の共有」として向かう姿勢です。
まずは以下のブログ記事などに簡単な説明書いていますので^^。
2010-05-18『3つの「行動学」』
「内向性」「外向性」というのは、人(他人や自分)を外から眺めた印象でレッテルを貼った固定観念だと思いますヨ^^。変化できますので、そうした言葉で考えてもあまり役に立つことはないと思います^^。


>女性は、子育てを通して、自分の子供の頃を思い出すことや、人の育ちを考えることにつながる傾向がありますが、男性は女性とはまた違った学びがあるものなのでしょうか。

ハイブリッド人生心理学が扱う「心の成長」については、男女の違いありません人間としての本質同じだと考えています^^。


>職場と言うところは、楽しく仕事をしたい方が多いと思います。そのため、静かであったり、話が無いとつまらないと言うが多いです。
>会社など、集団で働く職場は、人間関係が複雑ですが島野さんの仕事の環境では、集団の会社と比べて人間関係からは離れられているものでしょうか。

仕事人間関係のために行うのではなく、社会に対して価値を生み出す役割を遂行するために行うものです。人間関係がどうなるかという意識ではなく、「価値の生み出し」といった考え仕事を捉えるのがお勧めになります。
これについては、この掲示板最近のものとして、
『悪口の回避について』 seroriさん No.583 2013/07/20 のトピック
の中で
『「仕事の普遍的スキル」 ちょー入門^^』 しまの No.586 2013/07/23
として説明しているのなどが分かりやすいと思います^^。


 
Re: / ピヨ 引用
No.622 2013/09/20(Fri) 21:06:06

 島野さん、返信ありがとうございました。

 仕事は、一日の大半を費やすため、自分の勉強をする時間は貴重です。

 これからも、島野さんの経験を学んでいきたいと考えています。



(No Subject) / ピヨ 引用
No.615 2013/09/17(Tue) 21:08:01

 島野さんは、心理学を学ぶために、大学ではなく、心理系大学院を選択されたということなのでしょうか。(大学院は、英語があるので入学を躊躇される方もいらっしゃると思います。)
 私は、通信の心理学科の大学生をしています。

 参考まで、お聞かせください。

 よろしくお願いいたします。


 
出身大学^^ / しまの 引用
No.616 2013/09/18(Wed) 10:15:34

こんにちは^^。
自伝小説の『悲しみの彼方への旅』でも書いていますが、

大学1年・・・東京の中堅大学の一つ(社会学科)
大学3年・・・東京6大学の一つへ編入学(文学部心理学科)
大学院・・・早稲田大学大学院心理学科

という経緯になります。
大学進学はもう30年前くらいになりますので、当時は心理学を扱う大学も少なく、心理学を学ぶために、なるべく大きな大学へと進んだ感じです。
最近の大学事情とはかなり異なるかもですね。

なお僕の執筆は、上記を経て社会人になってからの人生経験も全て基盤にしていますので、大学や大学院の心理学にはあまり根ざしていないものになっています。

お答えになりましたかどうか^^。さらに関心ある点あれば可能な範囲でお答えしますので^^。


 
Re: / ピヨ 引用
No.617 2013/09/18(Wed) 20:06:35

回答ありがとうございます。

 現在は、大学の心理学科がたくさんあると感じています。

 図書館で自分の興味のある本を見つけて、学んでいくのも良いと思いましたが、
私自身も、上記の大学で学びたいと考え在学しています。
そして、様々なテキストを読む中、すばらしいテキストに出会えてることが多く、ありがたく感じています。

 島野さんの本も、数年前に購入してすばらしい本であると感じました。先週末、片づけをしていてその本を目にしてもう一度読みました。以前に読んだのに、今の自分に重要な本であるとその時以上に感じました。

 島野さんは、執筆活動等で収入を得ているのでしょうが、電子本の無料などまとまった収入があるのでしょうか。また、本の内容は深く、どこからその学びが出来ているのだろうと思いました。
 今回、メールに翌日に答えていただけることを知って、もっと早く知っていたらと感じました。

 職場と言うところは、楽しく仕事をしたい方が多いと思います。そのため、静かであったり、話が無いとつまらないと言う方が多いです。
 
 人間関係では、相性の中で、内向的や外向的が影響していると思いますがいかがでしょうか。

 知的障害や、発達障害なども、島野さんの話されている、愛の不足と関係はあるのかどうかもお聞かせ下さればありがたいです。

 女性は、子育てを通して、自分の子供の頃を思い出すことや、人の育ちを考えることにつながる傾向がありますが、男性は女性とはまた違った学びがあるものなのでしょうか。

 会社など、集団で働く職場は、人間関係が複雑ですが島野さんの仕事の環境では、集団の会社と比べて人間関係からは離れられているものでしょうか。



近況報告です。 / 引用
No.604 2013/08/17(Sat) 05:54:58

こんにちは。毎度アドバイスを頂き、本当にありがとうございます。
ハーバード流の著書を読み返してみました。
実は、ハイブリッド心理学を知った頃(当時は療法として知ったわけですが)に本自体は購入してたのですが、当時は頭に入らず挫折していました。

あれから、自分の真面目さが偽である可能性が浮かんだり、過剰な安全要求のようなものが出てきたり、「俺は誰にも望まれず生まれ、誰にも望まれず生きてきた」という思考が激しい感情とともに出てきたりと、細かなことがいろいろ起きたのが功を奏したのか、原理原則に立脚した手法に関する項目は頭に入り、ちょうど仕事で常連さんからされた無茶な要求をかわすのに使うことも出来ました。

その後、今まで手を付けようとして出来てなかったダイエットなどのことを考えた時、なかなか手を付けられないことに焦りを感じ始めていたのですが、つい先ほど、「手を付けられないのは、「こんな自分じゃダメだ!」という感情をバネに行動してるからじゃないか?」という考えが頭に浮かび、「第3巻 実践編(上)」のメール相談の事例を参考にしながら考えていきました。以前も目を通したことがあり、何となく印象に残ってたので、参考にできる内容があればと思いながら。

そういえば自分も自己処罰感情を結構使ってるなあ…と思いながら読み進め、自分の場合は自己処罰でどういうメリットを受けようとしていたか考え、「自己処罰感情に浸り、猛反省してるところを周囲にアピールすれば、「これだけ反省してるなら…」と、叱責やペナルティを軽減してくれるかもしれない」という、司法取引みたいな変な期待をしている自分に気付きました。が、ほぼ同時に、「それは言葉や行動で示すものであれば、わざわざ自分がその感情に浸る必要はないのではないか…?」と、その不合理性にも気付き、反省ってのは知性で行うモンじゃないかなあ…というところまで思考が進みました。

また、今までを思い返すと、高校に入って予備校や大学、資格の勉強や職場に至るまで、自己否定、自己処罰からの焦りで、勉強も仕事も落ち着いてやれた期間が殆ど無かったように思えます。適切な分量の参考書を何度も繰り返し、マイペースにやれた予備校の頃が比較的マシだったぐらいで。それだけでなく、人付き合いや恋愛も、自分にダメ出しすることに終始し、公私ともに追いつめられた気分で生きてきたことに気付き、笑えてくるような凹むような微妙な感じになりました。

とりあえず、物事に取り組む際の姿勢を見直すことになりそうですが、また自己否定に捕らわれないよう、いろいろと参考にしながら思考を改めていきたいです。


 
「人生」の視点からの取り組みへ^^ / しまの 引用
No.605 2013/08/19(Mon) 11:13:12

外面および内面への向き合い双方前進力が出てきた感じですね^^。

>原理原則に立脚した手法に関する項目は頭に入り、ちょうど仕事で常連さんからされた無茶な要求をかわすのに使うことも出来ました。

これはベリーグッド前進^^。こうして階段を一段上る体験を得ると、今度どんどんより高いところが見えてくると思います^^。

>「こんな自分じゃダメだ!」という感情をバネに行動してるからじゃないか?」という考えが頭に浮かび、
>「それは言葉や行動で示すものであれば、わざわざ自分がその感情に浸る必要はないのではないか…?」と、その不合理性にも気付き、反省ってのは知性で行うモンじゃないかなあ…というところまで思考が進みました。
>自分にダメ出しすることに終始し、公私ともに追いつめられた気分で生きてきたことに気付き、笑えてくるような凹むような微妙な感じになりました。

この辺は、
「自己分析」と「見通しづけ」の導き
で書いた「熟達形」自己分析になってきていますね^^。「心の成長の前進に伴ってもはや自分には不合理と言える悪感情の要因を感じ取るといった高度な自己分析」というやつ。


「自己叱咤」の功罪

なお「こんな自分じゃダメだ!」という「自己叱咤(しった)は、それだけ取り上げ心の成長有益か有害か言うことはできず、それに先立ってあるのが、「ありのままの自分を成長させる姿勢」かそれとも「ありのままの自分を否定した何者かになろうとする」かによって分かれてくると言えます。
後者の姿勢の上での自己叱咤は、やがてストレスによって自分を破滅に追いやる、両刃の剣となる可能性がある。「両刃の剣」であるとは、その「自分への脅し」によって行動するというやり方が、実際何かの能力向上を生むこともある。ただしそれはまず言って、「幸福」にはつながることのない能力向上です。

「ありのままの自分を成長させる姿勢」さらに「ありのままの自分を成長させる技術」を見出した時、今までの自分の人生駆動してきた、後者の姿勢の誤り功罪同時に目にして、泣きたくなるような笑いたくなるような気分に取られることになります。
僕もそうでしたし、誰もが通る(?^^;)、人生の通過点一つになるかと^^。

なお「ありのままの自分を成長させる姿勢と技術」を見出したならば「自己叱咤」金輪際不要になるかというと必ずしもそうではなく、表の意識心の根底成長のリズムズレともいうものがいつの間にか起きており、どこかのタイミング「今の自分のままじゃ駄目だ!自分を変えなければ!」感じる時の訪れがあるのが、むしろあってしかるべきものだと心得ておくのも良いと思います。
これも結局は、「ありのままの自分を成長させる姿勢と技術」を持つことで、自ずと見えるようになるものです。


「人生」の視点からの取り組みへ

ということで、取り組み外面および内面ともに前進するようになったら、あとはアドバイスとしては、取り組むための基本的な視点を、目先の感情の良し悪しよりも、「自分の人生」というものに大上段から置くようにするのがお勧めになります。

つまり、「今の生活、今の仕事を一生続けることで満足できるか、今の状態で終わったとして、自分の人生として満足か」という問いの下に取り組むということです。
多分そうは満足できないという話になるでしょう。ならば何を望むか。外面においても。内面においても。
そうして「望み」向き合い「望み」描き、そこから、目の前の生活における目標設定し、問題課題分析向かっていく。

人生の前進と「望み」への向き合い
であり、そこで書いたように、「自分なりに多少とも満足もしくは納得ができるまでの経済的基盤への取り組みもあれば、パートナー探しという人生のイベントもある」というテーマまずはあるという話になると思います。自分の目の前にある社会のレールの上で、まずはどこまで行けるかと。

そうして、「人生」という視点取り組むことが、

>「俺は誰にも望まれず生まれ、誰にも望まれず生きてきた」という思考が激しい感情とともに出てきたり

といった「来歴における躓きと妨げ」についても、自ず転換を生むかもしれません。これからは、自分が、誰と共に生きることを望めるのかなのだ、と。誰に対して、自分が、その相手が生きることを望んであげられるようになるのかなのだ、と。

いずれにせよ、ここから「人生」歩みとしての長い取り組み始まりですね^^。


 
Re: 近況報告です。 / 引用
No.606 2013/09/02(Mon) 16:36:40

ありがとうございます。
まだ「人生の望み」と言えるほど考えが固まったわけではないですが、原理原則というものを少しは意識に置ける状態になってきたので、それを踏まえて大学時代にモノにならなかった法律の勉強をやり直してみたら、当時よりも頭に入るのではないかと考え、また法律系の資格を目指してみるのもありかもしれない、という考えはあります。
以前はそれを、ほぼ間違いなく「腹いせ」「穴埋め」として目指していたところがあったと思いますが。
ただ、大学を出て以降、働く中でどうも会社などの組織の中ではうまくやっていけない自分を自覚せざるを得ず、そういう法律系の資格を持って独立したいという、「組織からの逃げ」の姿勢もあるため、これを望みと考えてもいいのだろうか、と考える自分も居ます(今のバイトで何とかやれてるのは、作業内容のほとんどが単独行動で、ノルマのようなものはほぼ無いから、というのはあります…^^;)。
とりあえず、バイトではなく就職して資格を目指すか、バイトをしながら資格を目指すか。組織との関わりを持つべきかどうかで判断しなければなあ、という感じになりました。

あと、怒りに関してですが、ある程度軽減した後はなかなか先に進まないなあという感じです。
仕事中のトラブル…今度は通行人ではなく、同僚が事実を歪めた報告を上司に行なったことにより上司から無駄に問い詰められたり、警察からの脅迫的な職務質問があったりと、運の悪いトラブルが立て続けに起き、積りに積もったものが溜まって久しぶりにブチ切れてしまいました^^;

とりあえず、最近のトラブルと来歴を合わせて考えた時、不完全性を受け入れることが大きな課題になって立ち塞がるようには感じました。
ただ、現状では、「不完全性を受け入れるとしたら、今まで俺をトラブルに巻き込んできた連中をヘラヘラ笑って受け入れなければならないのか…」「周囲はみんな好き勝手に生きてきたのに、なぜ自分だけが聖人君子にならなければならないんだろうか」という感覚も強く、非常に複雑な思いがするので、道は険しいなあ、とも感じました。外面行動がまだ未熟なので、その辺はまだ時期が来てないのだろうな、とは思います。
少なくとも、バイトをしながら試験勉強をするなら、バイトには深入りせず給料を貰うことだけ考えて働き、試験勉強に全力投球、かな…とは感じてます。

あとは、愛に関して考えてみましたが、自分が楽しいと思えるもの…趣味や娯楽の類はそれなりにあるのはあるのですが、だいたい自己完結してしまうので(パソコンを組んだり整備したりすることや、あとはいわゆるおたく系の娯楽)、今は孤独を受け入れて生きることになるのかなあ、という感じでした。


 
「人生の戦略」へ^^ / しまの 引用
No.607 2013/09/05(Thu) 17:59:37

う〜んこれはちょっとタイヤバランスが悪くスムーズに走っていないという印象ですねえ。
取り組み意識の修正ポイント結構ありそうなので、手短に書いてみますと、

・「組織の中でうまくやれない」の正体を見極める
>ただ、大学を出て以降、働く中でどうも会社などの組織の中ではうまくやっていけない自分を自覚せざるを得ず、
>組織との関わりを持つべきかどうかで判断しなければなあ、という感じになりました。
社会での「仕事」は、「組織の中」で働かないという多少あり得ても、「組織と関わりを持たずに」働くというのは、基本的ありません組織が動くから、ものごと七面倒くさい動きをしており、それをなんとか御することとして、沢山の種類「仕事」というものが社会に生まれます。
ですから、「組織の中」で働かないケースでも、社会「会社」などの組織がどう動いているのかを沢山学ぶ経験あってこそのスキル向上があります。
「組織と関わりを持たずに」という観念仕事考えるのは、喉に刺さったトゲを抜かないまま、どんな食べものなら喉に快適かを探そうとするような話です。まずトゲを抜く必要があります。また、トゲを抜くことと、自分に合う食事を極めるのは、基本的には別の話と考える必要があります。

取り組み実践としては、「組織の中でうまくやれない」とは一体どういうことか分析取り組みが必要です。例えば「人前の緊張不安」であれば、それを流しながら行動する仕方の学び、「あまのじゃくな性格」なら性格から直した方がいい(^^;)とか。
そうして、仕事の選択は、「組織の中でうまくやれない」という問題度外視して(どんな仕事でもそれは克服課題と腹を決めて)自分の資質適性などから考えるのが良い姿勢です。

・「怒りの軽減」はまずは「怒りを用いない行動法の習熟」
>あと、怒りに関してですが、ある程度軽減した後はなかなか先に進まないなあという感じです。
>運の悪いトラブルが立て続けに起き、積りに積もったものが溜まって久しぶりにブチ切れてしまいました^^;
「怒りの軽減」は、まずは「怒りを用いない行動法の習熟」イコールになります。つまり、「怒りを用いない行動法の習熟」前進しないまま、「怒りの軽減」だけ内面で起きることを期待するのは間違いであり無駄です。怒りの軽減がうまくできなくてブチ切れたのではなく、ブチ切れる行動法を持っている事実が、怒りを軽減していないことを示しているということです。
「自衛能力」になるでしょう。その問題だと考えるか。もちろん相手にある場合もあるでしょう。しかしその場合は怒って仕方ないと考えるのは、怒りの軽減という目標自体を捨てるということです。相手にある場面を、どうかわすか。怒りを捨てるための行動能力向上への取り組みは、そこからです。

あとは、今回「ある程度の軽減」は、今までの人生を通して潜在的には可能であった範囲のものが、多少行動法の学び引き出されたもので、これから「さらなる軽減」は、さらなる変化がまず準備されるための歳月持つ必要があると思います。行動法の向上数か月費やしたら、内面の怒りの起き方について確認してみる時間数日間持つのは意味ある、という程度のものとして、外面行動法への取り組み優先です。それなし「なかなか進まない」と感じるのは、ちょっと「気持ちの持ちよう」など小手先の「気持ちの枠はめ姿勢」傾いていないか注意すると良いでしょう。

・「不完全性の受容」は建設的行動法のほぼ完全な習得後に問える
>とりあえず、最近のトラブルと来歴を合わせて考えた時、不完全性を受け入れることが大きな課題になって立ち塞がるようには感じました。ただ、現状では、「不完全性を受け入れるとしたら、今まで俺をトラブルに巻き込んできた連中をヘラヘラ笑って受け入れなければならないのか…」「周囲はみんな好き勝手に生きてきたのに、なぜ自分だけが聖人君子にならなければならないんだろうか」という感覚も強く、非常に複雑な思いがするので、道は険しいなあ、とも感じました。外面行動がまだ未熟なので、その辺はまだ時期が来てないのだろうな、とは思います。
確かに時期が来ていないでしょうし、どのように時間が経てば「否定価値の放棄」「不完全性の受容」を問えるかという問題ではなく、まず「実害」に対しても建設的に対処できる能力をほぼ完全に習得するのがになります。そのに、それでもまだ不完全性を受け入れられない感情に向き合い、その選択を問うことが可能になります。

「不完全性の受容」を、「何でもオーケー」の「害を放置したれ流す」姿勢と考えるのは、「建設的行動法」自分に押し付ける杓子定規の前向き姿勢や行動と考えるのと同じ、ハイブリッド心理学の学びよくある誤解ですのでご注意です。
「不完全性の受容」とは、「害を受容する姿勢」ではなく「不完全性をもって害とはしない姿勢」です。
例えれば「不完全性の受容」とは、ズボンの左右の裾の長さが1cm違ったのを「まっいいかー」とする姿勢つながるものではあっても、ズボンが破れてパンツ丸見えになったのを「まっいいかー」とする姿勢つながるものではないということです。
まずはトラブルを振り返って、上述した「自衛能力」からどう考えられるかの答え見極めるのが第1ですね。同時に、トラブルにあった、相手自分もしくは原因分析する必要がある。そこに、許せるものと、許せず対処すべきものという区別テーマになる。
そうした全ての外面的事柄全て答えが出た先に、それでも残る否定感情取り組むものとして、「否定価値の放棄」「不完全性の受容」というテーマが出てくる、という順番になります。まずは5年、10年といった先になると腹をくくるのが正解だと思います。

・対人関係上の根深い妨げに真正面から取り組む
>自分が楽しいと思えるもの…趣味や娯楽の類はそれなりにあるのはあるのですが、だいたい自己完結してしまうので(パソコンを組んだり整備したりすることや、あとはいわゆるおたく系の娯楽)、
それは「愛」というより「気晴らし」ですね・・^^;
>今は孤独を受け入れて生きることになるのかなあ、という感じでした。
これは上述「組織の中でうまくやれない」というとも根っこが同じ問題のように思えるのですが、言えるのはずばり、対人関係全般においてなにか深い妨げがあるように感じられます。それを、喉に刺さったトゲを抜かずにどの食事が・・模索しているという

この「対人関係全般における深い妨げ」こそが、内面側の取り組み課題ご本尊になると思います。
まずじっくり自分の中にある問題何なのか把握理解することからです。考えられるのは、う〜んまず問題として、人間関係全般からの退却起きているように感じられます。そうであれば、それが人生の来歴の中でどの頃あたりからだったか、その時自分の中に起きた感情の揺らぎはどんなものであったかなど考えると、多少糸口が見えてくるかも知れません。
そしてそれが、これからの取り組みを通してどのように解決克服されるのか、まずは頭で見通しを持つことです。実感ゼロだとしても。ハイブリッド心理学からは、そこにある問題「どう感じるようにすれば」ではなく、それに妨げられない「感情と行動の分離」姿勢実践の先に、今回解説している、
「魂の成長」の過程
のようなものになるかも知れない、とか。

そうして内面側克服10年かかるとして、外面「仕事」の能力をつけるのもどのみち10年はかかるわけです。すると10年後に、内面と外面の双方において克服と向上の成された、一つの自己完成像描けることになります。
そうした遠大な目標を持ってこその「成長」歩みですし、それが「人生の戦略」というものです^^。


 
Re: 近況報告です。 / 引用
No.610 2013/09/07(Sat) 16:32:31

ありがとうございます。
まず、かなり端折った書き方をしてしまった部分があったのでお詫びします。
ブチ切れた状況についてですが、対応そのものは、大きな動揺を内心抱えつつもほぼ無難に乗り切ったのですが、帰った後に「めんどくせえ!」とブチ切れたので、一応、対人的に表面上は大きな問題を生じませんでした。

事実を歪めた報告が上司に届いた件は、どうやら「大げさに報告して上司の目に留まるようにし、原因になった人物に直接上司に説教してもらおう」という意図だったらしく、私はそれに巻き込まれただけであることを後日フォローされ、多少釈然としないところはあるものの、上司からはクロではないと早い段階で理解を頂いていたので実害が無かったと判断しました。
警官に関しては、最近警察を騙って金品や個人情報を持っていく話を結構聞くので、警官本人の態度に不審を抱いたのもあり、どちらかというとそういう可能性をぬぐえませんでした。一度帰宅して交番に赴き、そういう不安を話したうえで事後確認して事なきを得ました。こちらは実害がないことを確認するため、という感じでした。その場で名刺の一枚も貰っておけば手間はかからなかったかな、という反省点も浮かびましたが。

まあ、「めんどくせえ!」と感じたわけなので、人と接することへの妨げが原因なのはご指摘の通りでした。これに関して「人は不完全なのだから、それを受け入れることで怒りが減るのでは?」という思考が浮かんだため、それで先日の書き込みのような状態が起きた、という状況でした。

御指摘の点に関しては、来歴の中で人間不信気味な状態に陥ってそれを当たり前のように放置していたことに気付いたのと、他に、「孤独」という言葉が文字通り独り歩きしてないだろうか?今自分が置かれてる状況は本当に孤独なんだろうか?というものがありました。
まず、自分の嗜好が自己完結してるということは現実を見直すとどうやらそうでもないようで、職場の同僚・友人からのパソコンに関する相談に結構乗っていることやら、共通する興味ごとを話題にして話をしたり、それ以外の世間話も普通にやってることを見落としていました。

その後、一部でおたくに対して風当たりが強い事実はあっても赤の他人から見抜かれ非難されるというのは現実的ではない、という意識の下で、「このおたく野郎!」「気持ち悪い!」という非難を世間から向けられているという、現実とはややずれたイメージを、仕事中悲しみの中で流し、そもそも「組織でやっていけない」という考えこそ決めつけではないか?と、家族からたまに指摘はあったものの、たぶん初めて自分自身の思考で辿り着きました。

そこから、アドバイスのとおり、来歴のどこで躓いたか振り返りました。
20代の頃は中古パソコンの会社で技術系の部門に所属してましたが、そのころの上長がやたらと朝礼でおたくを叩いていたことやら、やたらとハードルの高いことを言って発破をかけてきたことで追いつめられた気分になり、内心「もうここで自分は生きていけないのではないだろうか」という不安を抱えながら日々を送ってました。しばらくして営業に換わってほしいと言われた時も、当時の営業主任がコンプライアンスに反することを行ない、それを遠回しに指摘しても改善が無かったので、何か裏があるのでは?という疑いを持ちつつかわしているところでリーマンショックが起きてリストラ、という経緯があったのを思い出しました。

「やっぱりおたくは真っ当に生きていけない」という考えが、この辺から出てきたのかもしれません。今になって冷静に考えてみると、技術的な説明が出来る人材を営業部門に増やしたい、という考えなどがあったのではないか、という見方もできるよなあ、とも思えます。

 考えてみると、当時の会社で、評価自体は上長から結構されていたほうだったと思います。追いつめられた気分をバネにしていたとは言え、パソコンの知識や作業の効率に関して、かなり積極的に仕入れるようにし、作業の説明や進捗状況の報告なども丁寧だとよく褒められもしていたのを思い出しました。作業から離れても、支店内でカラオケをやった時、追いつめられた気分の中、もう引かれてもいいからバカやっとこう、と自暴自棄な開き直りで派手に弾けてみたら逆に金一封を頂くということもあったな…とか、悪くない記憶も次第と流れてきました。
 今のバイト先でも、一体何を具体的に評価しているのかはわからないものの、よく客を集めてくれてるからとシフトリーダーに祭り上げられていることを考えると、やはり「組織でやっていけない」というのは決めつけなのだろうか…というところまでは考えられるようになりました。

 関連して「もうここで自分は生きていけないのではないだろうか」という当時の思考を考え直そうとしたとき、自分の怒りの根底に、今でもこういう悲壮感が流れていることに気付きました。「こんな罵声を浴びた!」「こんなに割引券の配布枚数が少なかった!」「こんな面倒なことが起きてしまった!」「もうこの環境に自分の生きていける場所など無い!」そういう悲壮感が起き、自暴自棄な怒りが湧いている可能性もありそうだ…と。
 並行して、これまで起きたトラブルの中で、実際それが尾を引いて大きな災いを招いたことは滅多になかったことにも気付きました。
「悔しいけどそれは認めざるを得ない」という感情が湧きながら…ですが^^;

とりあえず、怒りの裏にあった悲観的な思考に気付いたところまで進みました。
あとは、今後の現実の場で、これを現実的な考えに修正していけるように思考を直していければ、と感じています。


 
「大自然を生きる一匹型の言葉」で問い直す^^ / しまの 引用
No.613 2013/09/14(Sat) 10:59:21

「感情による決めつけ思考」見直すという感じで前進ですね^^。

今後に向けてアドバイス追加などしておきますと、
>やはり「組織でやっていけない」というのは決めつけなのだろうか…というところまでは考えられるようになりました。
>関連して「もうここで自分は生きていけないのではないだろうか」という当時の思考を考え直そうとしたとき、自分の怒りの根底に、今でもこういう悲壮感が流れていることに気付きました。

といった思考「感情による決めつけ」であることに加えて、それらが「道徳の授業型人生感」思考だということです。
「こうでなければ生きていけないぞ」と、画一的な「あるべき姿」を掲げて脅すというやつ。

それを「それは何がどうなるという話だ?」問い返せるのが、「大自然を生きる一匹型人生観」思考です。
そしてそこで「何がどうなる」を、「愛」「自尊心(自分への自信)」ごく現実的問題(給料など^^;)分解して捉えるといい、という話になるわけです。
参照:「「人生観」の学び」「心の成長のメインテーマ 「愛と自尊心」に向かう」など)
そこで言えるのは、「道徳の授業型人生感」思考どっぷりでいるのは、まず言って「愛」「自尊心」において(まあごく現実的問題についてもそうでしょうが)、受け身でしかあれていないことです。それ自体においてもう「愛」「自尊心」育ち得ない

ということでアドバイスとして言えるのは、実際どのように見直しができるかはさておき、
「道徳の授業型人生観の言葉」による思考を、「大自然を生きる一匹型人生観の言葉」で問い直す
という実践です。
まず、感じ方考え方を変えようとするに、ですね。

こう感じた 【道徳の授業型の言葉】
 ↓
それはどういうことか 
【大自然を生きる一匹型の言葉】
 ↓
心の転換が見えてくる


まあそれで実際「大自然を生きる一匹型」になった心から「オタクでは生きていけない」なんて言葉に対して言うとしたら、こうなるんですけどね。
「余計なお世話だ」と^^; てめーらに愛されなくてもどーってことない、と。まそこで実は「愛されたい衝動」問題の根本であることが見えてきたりするかも知れません。
その時はまたその時心の状況に応じての視点の話になってきますね。まずは自分の感情の本質を把握できるための「言葉」の駆使できるようになることからです。
「自己分析」と「見通しづけ」の導き

「言葉」というものをしっかりと正確厳密に使うことで堅実にできるようになるということを、自分自身の感情の把握についても行っていくことです。
と書いたですね。我々人間は結局、「言葉」考え、さらには「言葉」感じ方を変える動物ですので^^。

でまた何か具体的材料など出たら、新規トピックなどで質問頂くとよろしいかと^^。



はじめまして / りょうたろう 引用
No.600 2013/07/30(Tue) 21:21:27

りょうたろうと申します。私は現在二十歳の大学生なのですが、高校入学の頃から生きづらさを感じ始め、数々の心理療法や自己啓発書にあたってきました(そしてそのたびに挫折してきました)。そして数週間前にこのサイトと出会い、そのあまりにも深い人間洞察に驚くとともに、新しい生き方の模索を始めたところです。

改めて今までの生き方を振り返ってみて分かったことは、私がいかに「自分を幸せにする能力」に欠けていたかということです。自分自身の望みを無視した生き方を続けてきた結果、休日の朝起きても「どう過ごしたらいいかわからない」と途方に暮れるなんていうことがしばしばありました。

そしてこの数週間、心の自立と建設的な行動をテーマに生活してきて、印象的な体験をいくつかしました。それは簡単に言えば「子供の頃の感覚をふと思い出す」というものです。朝起きてベランダに出た時、食事の時などふとした瞬間にです。それはすぐに消えてしまうのですが、今までとは何かが変わっているという手ごたえを感じています。

と、こう書くと順調のようですが、やはり波があります。時折襲ってくる「自分は醜い」という考え。そして苦痛のなかで過ごしてきた年月の長さを思って惨めになるとともに、自分はまた変われないんじゃないかという絶望感。こういう時は嵐が過ぎるのを待つしかできません。そして数時間後、へとへとになって自信も何もなくなった自分がいる、というのがいつものパターンです。

やはり生き方を変えるというのは簡単なことではありませんし、自分には経験値が圧倒的に足りないとも思います。現実の問題に対して建設的な対応をすること。自分の気持ちを自分で受け止めること。望みに向かって生きること。どれも今までの人生で私がやってこなかったことです。これらを習得するには長い時間がかかるだろうということは私自身納得できているつもりです。

しかしここ数日、それとは別の根本的な問題が発生していることに気づきました。それは、いつの間にか自意識が先走って心のほうが置き去りになっているということです。これは今まで私が何十回と繰り返し嵌ってきた罠です。何か新しい心理療法や名言に出会って、「これこそ自分が探し求めていたものだ!これで自分は変われる!」と舞い上がり、実際楽にもなるのですが、やがて何も変わっていない自分に気づく。そして絶望する。今回もその状態になりかけていました。空想の中で舞い上がっている状態です。

この状況は親と子の関係に似ているな、と思います。子供の意見を聞かずに何もかも決めてしまう親が自意識。そして無力感から萎縮してしまっている子供が心。やはり私は、自分で自分自身を疎外してしまっているのです。

そしてこうも思いました。本当に生き方を変えるには、子供がちゃんとついてきているか確認してやりながら歩いてかなければならないだろうと。少し気を抜いたら私はまた望みを見失って空想の中に生きることになるだろうと。なんともわかりにくい説明で恐縮ですが、私にはこのイメージがしっくりくるのです。

私自身言いたいことが整理できていませんし、省いたところも多々ありますが、今の私に何かアドバイスがあればぜひお願いします。


 
「生き方」の前の「学び」^^ / しまの 引用
No.601 2013/07/31(Wed) 12:05:00

>そしてこの数週間、心の自立と建設的な行動をテーマに生活してきて、印象的な体験をいくつかしました。それは簡単に言えば「子供の頃の感覚をふと思い出す」というものです。

心の豊かさへとつながっていく感情ですので、これからもそうした感じ取りをぜひ大切に^^。

>しかしここ数日、それとは別の根本的な問題が発生していることに気づきました。それは、いつの間にか自意識が先走って心のほうが置き去りになっているということです。
>今の私に何かアドバイスがあればぜひお願いします。

人生の歩みを、車を運転して向かう旅路によく例えるのですが、それで言いますと、まずは自分の車の装備と運転技術しっかりと確かめることからですね。入手できる新しいパーツがあるのであれば交換する。エンジンさえ変えられるかも知れない。外見飾るのも良し。フロントガラスをしっかりと磨いて視界良く、広くすることです。それができたと思えたら出発・・ではなく、まず運手技術習うのがいいでしょう。車の装備について、しっかりとした見識がある人再確認してもらうのも含めて。
そうして車の装備と学び準備ができたら、いよいよ自分の人生の目的地がどこなのかを模索しながら、出発するといいでしょう。

一方で我々は、20代の頃になった時、それをしないまま、自分がこれからの人生を生きていかなければならないのだと考えてしまうわけです。
親を始めとした回りの環境から与えられただけの車の装備と、親を始めとした回りの環境から向かされた車の向きのまま、です。車のハンドルさばきまだ良く分かっていないまま。
まず、そんなものを全て見直してしまことから始めるのがいいわけです。
に言えば、それをしないまま、あまり自分の「人生の生き方」はどうかと思案するのは、ちょっと無駄かも知れない。それは結局、縛られたまま、檻の中で思案することです。
まず行いたいのは、檻の外に出ることです。そこで視界ががらりと変わってから、自分がどこに行きたいのか考えることが、実際に人生の旅路の前進着実役立つようになる。

ということで、

>やはり生き方を変えるというのは簡単なことではありませんし、

について、まず「変える」もなにも、「生き方」というものを持つこと自体まだ先の話だと心得て、まずは心の足場と視界の洗練専念するのがお勧めです。
つまり人ぞれぞれの「生き方」という話をする以前の、「思考法」「行動法」「意識法」「姿勢」さらに「社会を生きる知恵とノウハウ」といった全てを、どんな生き方をしたいかにはまだ関わりなく役に立つ、普遍的なものを、日常生活と目の前の人生の課題という具体的な材料ベースで、学んでいくことです。

まずはこの読者広場掲示板今までのご相談やりとりなど読んで頂くと、多少は感触がつかめてくるかも知れません。もう少ししたら「メール相談事例集」などまとまったものが参考になるかと。
そんな感じで、何か具体的「学び」を得たい材料場面などあったら、また投稿頂ければ懇切にアドバイス返しますので^^。

参考まで、僕の経験から言えば、「自分の生き方」問えるようになるのは、30代の半ば頃からかなーという感じかと。それまで「行動学」などしっかり学ぶのが人生の近道という感じ^^。


 
Re: はじめまして / りょうたろう 引用
No.602 2013/07/31(Wed) 21:12:00

返信ありがとうございます。

縛られたまま檻の中で思案する・・・これはズシンと来ました。私は少し焦りすぎていたようです。まずは地に足をつけることから、ですね。

私は今ハーバード流交渉術を本で学んでいます。まだ齧った程度ですが、色々なことに応用が利きそうだと感じています。先日も、バイト先で先輩から注意を受け、それに対して「そんなことは分かっているし、今からやる所なのに」と反発を感じたことがありました。しかしよく考えてみると、私は「分かっている」ということをきちんと表示していなかったのではないか、と思い至りました。そんな自分が相手からはどう見えたか。危なっかしくて注意せずにはいられなかったのではないか、と。この時は考え方だけで具体的な行動までは至りませんでしたが、人と問題を分離するという姿勢が少しつかめたように思いました。

今の私に必要なのはこういったことの積み重ねだと思うので、これから現実の中で試行錯誤してみようと思います。何か問題に直面した時はまた投稿させていただこうと思いますので、その時はアドバイスをよろしくお願いします。



怒りのミルフィーユ状態を自覚 / 引用
No.592 2013/07/26(Fri) 05:08:19

長い道のりで、スパイラル状のものになると説明では聞いてましたが、いざ実感してみると、自分の心も厄介なモンだなあ、と感じる今日この頃です。

ただ、世の中でずれた怒りを露わにするような人の出来事、たとえばツイッターで「私は夏が好きだ」と呟いた人に「熱中症で苦しんでる人もいるのに不謹慎なことを言うな!」と噛み付いた人が居る、という話を聞いて、ひょっとすると人類の滅亡って、こういう「俺が正しいんだ!」という不毛な競争のなかでの潰し合いが原因での自滅…という形で起きうるんじゃないか、などという考えが頭に浮かび、早いところ不毛な怒りに別れを告げたいなあと思いました。

さて、本題ですが。
怒りがぶり返しました。
いろいろと思考を掘り返してる中で「敵対した相手を打ち負かして屈服させないと真の平穏は訪れない」などという物騒な感覚が湧いたのがキッカケですが、来歴からくる「世の中は危険なもので、万人の万人との戦争だ」という価値観から未だに抜け出せてないのも根本の原因だと思われます。

そういう危ない感覚を自覚した発端は、仕事にせよ、人とのやり取りにせよ、異常なまでに勝ち負けに拘る内心の態度を自覚したことです。「相手を言い負かせば勝ち。言い負かされたら負け」とか「自分は割引券の配布枚数が他のスタッフより少ないから負け」とか。ちなみに、割引券の配布枚数は少ないのに何故か店長からは集客力を評価されてリーダーを任されてるので、かなり不気味に感じてます…。

最初にご相談した、絡まれたりヤジられたり、というものへの怒りも、言い逃げされたから負け、みたいに感じる側面があったんだと思います。これについては、酔っ払いやヤンキーなどのヤバそうな人に無理して呼び込みしていたことや、割引券を受け取ってもらえないからといってむきになって作業していたことを自覚し、その辺を改善した甲斐があったのか、露骨に絡まれることは今のところ減ってるようです。

この戦闘狂のような?^_^;価値観や感覚について、対処するための取っ掛かりになるようなヒントを頂けたら幸いです。


 
(No Subject) / 引用
No.593 2013/07/27(Sat) 12:44:07

ごめんなさい、自己解決してしまいました^^;

再び過去の出来事と照らし合わせながら考えているうちに、確かに子供の頃はそう考えざるを得なかったことを認めたうえで、実際のところ自分はその考え通り満足いくように「勝てて」これたのかと自問自答すると、「勝てた」ことなどほぼ無かったのを認めざるを得ず、逆に、変な基準で勝ち負けに執着するから事態が悪化してたのではないかという考えが頭に浮かんできた途端、スーッと何かが氷解した感覚が湧きました。
今回は苦しみを伴わないものだったので拍子抜けしましたが、何となく、心の中の大きな妨げが消えて行ったようには感じます。
一時的に心臓のあたりがフワフワするような感覚がありました。これまでも、前進のための苦しみの後に、心臓のあたりにつっかえてたものが無くなって風通しが良くなった様な感覚はありましたが。

改めて、問題にしてた「世の中は危険なもの」という観念を見直してみたところ、どこからともなく「世の中というのは、今の自分にとっては未知なんだ」というのが頭に浮かび、一番しっくりくる表現だというのを確信しました。
同時に、「危険」という言葉の定義が自分の中でずれてるのではなかろうか?という思いが浮かんできたので、どういうものが「危険」であるのか、じっくりと論理的思考をしていこうと思います。


 
「価値観」への取り組み^^ / しまの 引用
No.599 2013/07/30(Tue) 11:37:27

「価値観」への取り組み

ちょっと事後アドバイス的になりますが、実はまさにこれを最初の足場にしてこれから取り組みということで、「価値観」への取り組みの話など^^。

まず、

>この戦闘狂のような?^_^;価値観や感覚について、対処するための取っ掛かりになるようなヒントを頂けたら幸いです。

との言葉については、読んでお伝えしようと思ったのは、
「自分の中にある価値観は、“対処する”ものではなく“見極める”もの、そして“問う”もの」だということ。

まずは道徳の授業で発表するような(^^;)、自分自身への建前思考をはがし、実際に自分の心と体がどう動いているのかから、自分が実はこれこれの価値観の持ち主だということを明らかにする。
次に、問う本当にそう考えているのか、と。それが人生で本当に重要なことだと?、と。

「そうだ!」返してくるのなら、もうどうしようもない。それで生きるのは自由。
そんな価値観の感情が流れている。しかしそれに疑問を投げようとする自分もある。ここから、「価値観への取り組み」始まることになります。

まあ今回は実際、その「問う」までが自ずと進み、「これはどうも不合理だ・・」と感じるところまで来た模様。まあ「価値観への取り組み」というのは、得てして、「自覚する時が抜け出す時」になりますね。

>「世の中は危険なもので、万人の万人との戦争だ」という価値観

などはまさに僕も通ったもので、定番コース(^^;)と言えそうですね。『悲しみの彼方への旅』の中でも、「この世界は万人の万人に対する競争なのだという攻撃性の哲学が自分の中にあることを自覚」「心の中が敵意と軽蔑のモヤに覆われていた」等々書いています(P.59)

ともかくこれから重要なのは、不合理を感じる価値観を見据えるだけにとどまらず、自分が進み得る別の価値観はどんなものかを、見出していくことです。
そのためには、まずは別の価値観にはどんなものがあるのかを、まずは頭で知ることからです。「価値観の学び」ですね。そのための情報を、下にリンクつけておきましょう。

で、そうした「価値観の学び」得ていくとして、実際の価値観の変化変遷は、人生の歳月の中での、体験の積み重ねによる成長と共に除々に前進していく、と心得ておいて頂くと良いかと。
決して、価値観の最終形を頭で知って、なるべくそれを持つように・・などど画一的にできるものではないということです。若ければ若いなりに、傾いてしまう価値観がある。ならばまずはその価値観の中にいても、そこから最大限心の成長に向かい得るような道を模索し、そこにおいて「望み」を描き、まずはそれに向かって全てを尽くして生きることです。
その「生きる時間」心を成長させ、心が成長した自ずと、今までと違う価値観を持てるようになっている自分自覚する。
まずはそうした道のりになるということです。


「価値観への取り組み」のスパイラル前進

それが、

>長い道のりで、スパイラル状のものになると説明では聞いてましたが、いざ実感してみると、自分の心も厄介なモンだなあ、と感じる今日この頃です。

という通り、「スパイラル」として長い道のりとして前進していく。
そしてそれが今回

>今回は苦しみを伴わないものだったので拍子抜けしましたが、何となく、心の中の大きな妨げが消えて行ったようには感じます。

という風になってきたことについて言えば、実は今回蓮さんが、「かなり昔、夕希という名前で幾度か投稿させてもらいました」投稿(No.565 2013/06/20)されてからここまでの期間が、一つの変化体験サイクルのようなものとしてある、ということです。
何かのきっかけ変化が起き始める。それに向き合い、何かが見えてきて、一つ別の自分になった出口へと抜ける

それは今回1か月程度かかっているわけですが、僕の経験からも、まずは大体そんなものだという話ができます。
一つの変化体験に、まずは1か月くらいはかかる。より本格的に成長変化するようになると、2、3か月かけて一つの変化体験を経る。大きな変化節目さらに長い時間をかけて、と。
それが、何十回積み重ねて、やがて全く別人の自分、という道のりになります。まあだから10年、20年といった話になるわけですね。

そうした変化の一サイクルについては、おおよそこんな感じだったというのが、僕の経験でも言えることです。
「苦しみを入り口として、確信を出口とする」と。
ちなみに今回の解説でも、
スパイラル前進に向かう「常に今からの取り組み」
で、
=======================
つまりこういうことです。何度でも同じような場面での惑い動揺に戻ることの中に、常に新しい向上、未知の自分への入り口、そして心の成長の入り口があるのだ、と。
もちろん同じ場面ではもはや動揺することなく、新たな行動に向かうという前進もあります。しかしこれは私の経験からは、むしろ心の成長の出口だという印象を受けます。
=======================

と書いたのも、大体同じことを指しています。

そんなものとして、「今回は苦しみを伴わないものだったので拍子抜け」というのは、前回と別の変化体験というより、一つの変化体験出口局面なってきているということですね。

そうしたものを一つのサイクルとして、道をそれることなく今後何十回と積み重ねていけると、10年後別人の自分になるという話になります^^。


「価値観の学び」の情報

ということで、「価値観への取り組み」とはそのように前進するものだという話がちょっと長くなりましたが、
「世の中は危険」「勝ち負け」といったものとは全く別世界になる価値観とはどんなものかについては、

まずは以下あたりを読んで頂くと、押さえるべきポイントがまとまっていると思います。ただこれこれの別の価値観があるという話というより、まず「自分に自信を持とうとする姿勢」の根っこにある誤りから解説していますので^^。そのから抜け出た上で、今までの心全く別世界をもたらす価値観おおよそこんなもの、という話の流れになります。

『理論編(上)』
6章 「自尊心」の混乱と喪失−1  −自尊心の発達と阻害の過程−
以下パラグラフ部分あたり
・・・
自尊心の重要性
自尊心への総合的な歩み
自尊心のための外面向け視点
科学的でない思考によって損なわれていく自尊心
科学的思考による「根源的自己否定感情」の克服
自尊心が尻すぼみになる「外面の合計=自分」思考
揺らぐことのない自尊心の最高次元
自尊心のための内面向け視点
「望み」の感情
・・・

7章 「自尊心」の混乱と喪失−2  −なぜ自信が定着しないのか−
以下パラグラフ部分あたり
・・・
高めても自信にならない「自尊心衝動」
なぜ自信が定着しないのか
「自信」と似て非なる「高い自己評価(プライド)」感情
「高い自己評価」「プライド」は「自意識」
・・・
「優越自尊心」の罠
・・・

まこの2つの章全体ざっと読んで頂くのも良し^^。

あとは、「価値観」基盤として「行動法」全く別世界のものになります。
ですので「価値観」だけでなく、さらに具体的「行動法」レベルで、「勝ち負け価値観」とは全く違う価値観底流にした行動法学ぶのが極めて重要になります。
それについては、この掲示板でも何度か出していますが、以下などハイブリッド心理学指定の必読書と言えますので、ぜひ入手して読んで頂ければと。
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)

そうして「価値観」「行動法」をしっかりと互いに手を結んだものとして方向転換した時、自ずと、世界は危険なものというイメージ消え去っていると思います^^。




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