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「まずは原理原則行動法でイザコザを回避」から^^ / しまの 引用
No.733 2013/12/10(Tue) 11:17:36

「交友行動をあるべき姿で律しようとする」という問題・・?

これは問題かなり明瞭で、ずばり、「楽しみの共有」としての行動を取れていないケースになりますね。

まずごく外面の行動内容を見ますと、ちょうど昨日チェンジさんへのレス
『Re: 愛想笑い』 しまの No.728 2013/12/07
で、
「こうした方がいい」という比較的肯定的な言葉を使っても、相手が自分で何も問題を感じていないのなら、まずは相手の否定になる、というのが当てはまります。そこにどんな問題があるのか、それを相手に指摘する必要があるのか、から検討するのが良い、と。

>「もういいんじゃない、話しているうちにお互いにわかってくるし」と笑いながら言いました。場は穏やかな笑いのムードであり、私の発した言葉はその雰囲気にも乗るような違和感のないものだったと自分では感じます。

についても、笑いながら言ったとしても、かなりの否定行動として受け取られる危険があると思います。この辺「言葉の慎重さ」は、人生を通しての勉強課題にしたいものです。
ともかく「行動学」的に分析するなら、なぜそこで止めようとしたのかです。「もうコンサート始まっちゃうよ」なら、カドは立たないですね。ではこの場合にーなさんなぜ止めようとしたのか。

そこから言えるのは、交友行動が、「楽しみの共有」ではないものになっている、というかより正確的には、交友行動が「楽しみの共有」だとして、それが「あるべき姿」として律せられるべきもの、律するべきものと感じておられるのではないか、ということです。
もちろんそうした側面「団体行動」にはあるものであり、その場合はそれなりの「組織化」「規則の明確化」が、具体的行動場面先立って必要になってきます。「幹事」明示し、仕切るための発言権を与える、イベントの際に先立ってスケジュ−ル表を作り、時間の制約があるのであれば、「自己紹介は一人3分以内にて」添えておいたりする。そこまですれば、あとはもう「時間切れ〜」笑って言えることになってきます。
そうした前提条件なしに、ただにーなさん自分の心の中「自己紹介はスムーズに回るべき」と考えていただけの話であった場合は、にーなさん自分の考えだけでものごとを動かそうとしていると見られても仕方がなくなってしまうと思います。
文章を拝見する範囲では、その場はまだあまり規則立てた団体行動ではなく、時間が許す限りいくらでも脱線していてもいい場のような・・。となると、「場は穏やかな笑いのムード」を維持したようですが、内心ではかなり引いていた、あるいはショックを感じた人さえいた危険もあると言えるように思います。


「あるべき姿からの他人への否定」に取り組む

そうして前後に書いて頂いた内容を見るに、感じられるのは、こうした問題が、かなり根が深く、広く、人生の中で起きているらしい様子です。ちょっとこんな表現ご容赦ですが、印象として、まあそれほど重くないものだとして、自分で気づいていない病気を人生の中で持っている、という印象
まあその病気(^^;)とは、交友を「楽しみの共有」としようとしてはいるが、そこに「あるべき姿からの否定感情」がすぐに入り込んで、そもそもの「楽しみ」を破壊してしまう、というもの。
実はそうした「あるべき姿」があって、

>少し関係が和らぐ雰囲気があるとまた近づくという不安定な行動

取るのかも知れませんね。

ですので、まず取り組むのがいいのは、ずばり、「あるべき姿からの他人への否定」になると思います。
それを自分はどう心の中で他人に向けているか。そして場合によりそれを行動化してしまっているか。お姉さんとのから察するに、小さい頃はそれをふんだんに行動化してしまっていた可能性が高いと思われます^^; はそうではないと思いますが・・。
その否定行動の強さが深刻というよりも、その否定行動が自らの欲する他人との親愛を自ら破壊しているものであることに、自分で気づいていないならそれが深刻な問題、という感じがします。右手がしていることを左手が知らないというやつ^^;

それを行動化してしまったら、あとはもう後の祭りというか、相手がそれを見逃してくれるかどうかの運不運になってきますね。
その点、今回その友人は、にーなさんと同じく「こうあるべき」という観念からの否定行動を持つ人であるように思われます。つまりにーなさん似た者同士なんですね^^; そうした相手が、どうもにーなさん苦手とする相手であるように推測できます。


「行動法」と「価値観」への取り組み

ですのでそこからまずは、やはり「建設的行動法」への取り組みですね。
内面何をどう感じるかはさておいても、外面行動として「破壊」になるのではなく「建設」になる行動法、言葉の使い方、話の持って行き方取り組む相手の行動をやめさせたいのであれば、まず相手に問題をどう認識させるかから、というように。そこでもまた言葉を慎重に選ぶことを学ばねばなりません。さらに言えば、それが問題だと感じる自分の感覚が本当に妥当なものなのかも、確認しなければならないでしょう。
そうして、結局のところ自分を窮地に陥らせる行動を、まずはいかに事前に敏感に察知し踏みとどまれるようになるか。

それによってしっかりと安全弁を用意しつつ、という話になると思いますが、「価値観」本格的に向き合う必要がありますね。
交友行動が「あるべき姿」として律せられるべきもの、律するべきものと感じている感覚思考がないか。あるいははっきり信念のようなものがあるかも知れない。『実践詳説』で書いた「道徳の授業型人生観」でもありますね。正しい自分が愛されるべき、と(P.123「人生観」の学び
さらにもっと直接、広く目を向けてみるものとして、自分がどのように人への批判否定の感情や思考を向けるているかを、しっかりキャッチするのがいいでしょう。おそらく、「こうあるべきなのに」という観念を伴いながら抱くであろうものとして。

これはつまり結局前の方での
>ただ、これが自分の中にある「否定価値」から来ているのだろうか、自分は相手を否定しているのだろうかと思うと、
というのが、実際その通りだということになるでしょうが、それをまたさらに
>なんだか自分が根本的に間違っているような気持ちになります。
と感じるのがまた否定価値働きであり、問題の克服には全くつながらないわけです。そして
>自分の生活全体に影響を及ぼすものではない」と表面の意識では納得しつつ、内面では「どうせ自分なんて」という落胆と悲しみを感じます。
が、もう問題解決からは遠く離れた谷底甘い自己嫌悪耽るというものになってしまうわけです。


まず「行動学」を学ぶことから

取り組み実践としては、まずは「行動学を学ぶ」一言につきます。

上に書いた「団体行動」「組織化」「規則の明確化」と言った話は、「原理原則行動法」です。「楽しみの共有」という「建設的対人行動法」ができるためにも、まず楽しみ以前トラブル防止できるためにhも、「原理原則行動法」必須になります。

これからの対人行動場面のちょっとしたイザコザなどを、全て、まずは「原理原則行動法」で解決できるようにする。まずはこれが目標になるかと。
その取り組みの中で、「価値観」についても、自ずと分析できると思います。「原理原則行動法」としてはこう、という基準ができれば、後は、それとは違うものとして動く自分の思考も感情も、即座にピタリとその歪みが測定できるという次第です。それが前コメントで言った、海の上で作業するためのです。
上に、交友行動が「あるべき姿」として律せられるべきもの、律するべきものと感じている感覚思考、また自分がどのように人への批判否定の感情や思考を向けるているか、という検討課題を書きましたが、これを先に意識するとまた否定価値で自分を否定する繰り返しだけになる可能性がかなり大きく、まずはあくまで「原理原則行動法」の習得が先だとするのが良いでしょう。
情報としては、まいどのリンク掲載ですが以下などから。
2010.05.18 3つの「行動学」
2010.05.19 「原理原則立脚型行動法」(前)
2010.05.20 「原理原則立脚型行動法」(中)
2010.05.21 「原理原則立脚型行動法」(後)
より本格的に学ぶなら、「ハイブリッド心理学指定の必読書」として
ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)

まあ推測できるのは、僕自身経験ありなのですが、「自分は正しく、皆間違っている、このままでは駄目になる」という、中身をあまり問わない宙に漂うような感情流れており、それがちょっとした出来事を捉えて他人への批判否定観念生み出す、というのが起きているかも知れませんね。
いずれにせよそうしたものどう「分析」「反省」したところで、それは克服できません。それの代わりになるものを築かなければ。血が悪くなる病気治療として、悪い血を抜き出すとして、そこに替わりとなる健康な血がなければ、また悪い血が生み出され体を満たしてしまいます。健康な血を用意しておき、悪い血を抜き出したらすぐに健康な血を埋めることで、やがて根本の造血機能健康化されるという次第です。

ということで、

>過去の過ちに対する後悔よりも、今後、望みへ向き合っていく中でブレないものとなっていくと思っていてよいでしょうか?

Noです。まず、自分から望みを妨げる行動法克服するのが当然先です。過去の問題についても、そこにどのような行動法の誤りがあったか、正解はどうだったかという答えを出せることが条件になります。
そうした妨げを克服しないまま望みに向き合おうとしたところで、まず起きるのは、今回の話で言えば、「親愛」の「望み」を向けることのできる相手に、何かの歪みを伴った限定が生まれることです。「この相手でなければ」と。ここでが、当初のご相談内容にも見事に重なってきますね^^。

>周りから誰も居なくなること覚悟で

は、もうまさに、自分の問題の克服を知らないまま、問題に加担する発想過去に成立した愛への病的な執着後悔にもつながってしまうものです。

ということで、「まずは原理原則行動法でイザコザを回避」することからですね。それが全ての足場、そして自己分析の糸口になると思います。
心の惑い動揺があるほど、心ではなく客観的場面内容に取り組むのが近道です。「自分」「相手」「どっちが正しい」といった思考法で、全てが惑い動揺の繰り返しになりますので、それにはまらないようしっかり目を配りながら「この場合の行動法は?」という思考取り組んでみて頂ければ^^。

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内面感情ではなく「場面」に取り組む^^ / しまの 引用
No.720 2013/12/03(Tue) 09:28:16

取り組み実践の手順

>このような状況における、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみにする」学び・取り組み実践は具体的にはどういったことになるか教えていただけないでしょうか?

取り組み実践は、どのような状況においても、
『入門 - 3.取り組み実践』
「外面・内面・外面」と繰り返す「向き合い」の実践
で説明した、
1)「心の健康と成長に向かい得る行動法」の理解
2)それについての自分の納得、および内面感情への向き合い
3)それを踏まえての行動の結論検討

という手順で進めます。

多くの人ありがち、というか大抵の人そうなるのが、上記1)のステップが抜けてしまうものです。ハイブリッド心理学の方向性に沿った、「心の健康と成長に向かい得る行動法」良く分からないまま、内面に向き合おうとします。そして自分の「気持ち」「感じ方」のどこが悪いのだろうと考え始めてします。
するともうもう全く違う方向、今までの思考の繰り返しになってしまいます。3)の行動結論も、出ようもない。

書いて頂いた内面向き合いも、ちょっとそんな感じかもですね。


否定価値はどう働くか・・

まず以下についてコメントしておきますと、

>ただ、これが自分の中にある「否定価値」から来ているのだろうか、自分は相手を否定しているのだろうかと思うと、なんだか自分が根本的に間違っているような気持ちになります。相手を否定することによって「自分は正しい」という傲慢な気持ちもあるようです(自分が神になる…でしょうか?)。

「否定価値」まああるのでしょう。それをもし脱しているようなら、こうした問題とうの昔に解決可能なものへと解きほぐされると思います。

ただ、上記引用「否定価値」どう働いているのかを言うならば、相手への否定感情湧くことよりも、「自分が根本的に間違っているような気持ち」というのが、「否定価値」直接働いている部分なんですね。
また少し後の、
>内面では「どうせ自分なんて」という落胆と悲しみを感じます。
という部分。それが、まさに「否定価値」働いて、意識の表面に現れているもののように見えます。

それに比べりゃー相手について否定的感情湧くのは、書いて頂いた状況ではむしろ恐らく健康な話で、実際相手に何か嫌なところがある(^^;)からだと思います。それを無理してつき合っているのが問題・・行動結論まで安直に進めるとまた元も子もないので、上記のような取り組み実践手順しっかりと踏まえましょうというになるわけです。


「楽しみの共有」vs「友達約束同盟」

するとどうなるかごく手短に書いてみますと、問題場面は恐らく仕事場面ではなく交友として、ハイブリッド心理学からの「心の健康と成長に向かい得る行動法」とは、
これも『入門 - 3.取り組み実践』の中の『「学び」の主要テーマ』の中では、
4.「愛」と「自尊心」のための価値観と行動法
で書いた、
==================
「愛」 ・・・ 「分かり合い認め合う」というものではなく、より純粋「喜びと楽しみの共有」として位置づけ目指す
==================
という、最も基本的な話該当します。交友であれ恋愛であれ、さらには家族関係であれ、これが基本になります。

書いて頂いたのは、多分「分かり合い認め合う」という姿勢モードでの、交友だと思うんですね。
「友達なんだから、こうするよね」というモードそうならない時、「嫌いなの?」という、本来プラスの世界のはずの「交友」が、マイナスの世界の「もめごと」のようなものと化してしまいます。「友達約束同盟」姿勢と呼べるものですね。

そうではない、「楽しみの共有」として交友を築く姿勢を、まず「選択」するか問いのテーマになります。
それは、楽しくないのであればつき合わない、というか一緒の行動を特に無理にしない、という姿勢であり行動法です。
さらにこれをカドを立てることなく実現するため、「言葉の使い方」極めて重要になるものとしての、
3.行動学
具体的実践も出てきます。
ごく入門的な例を言えば、「私はそれには参加しません」という否定形の言葉ではなく、「私はその日はこれに行く予定です」といった肯定形の言葉のみ使う
どーでもいい話ですが最近会社時代親友遊びに来た時、事前の連絡時親友そうした言葉の使い方をしているのを見て、続く友達っていうのはやはりそうなんだなーと感じたひと駒がありました^^。


「内面」ではなく「場面」に取り組む

そうした観点から、「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解する」ことに取り組むということです。
上に書いた手順の通り、具体的場面における「心の健康と成長に向かい得る行動法」が、ハイブリッド心理学の方向性からは具体的にどうなるかを、知ることからです。
そしてそれについて自分の理解納得を問うことから、自分の内面感情理解することが始まります。

そのようなものとして、まず「場面」取り組みます。
これは蓮さんへのレス
『課題は「離反」ではなく「依存」^^』 しまの No.712 2013/11/29
でも書いた
最初から「内面」に取り組むのは、誤った取り組み法です。それは船の碇を下ろさないまま、海の上の作業をしようとするような話です。感情という海流流されたまま、その感情どこからどの方向に流れるのか、どう役立てればいいかもつかめなくなります。
海の上で作業をしたければ、まずをおろして自分の思考と行動を安定させることが必要です。根本的な目的海流つまり感情把握し、それを役立てることだったとしても、自分という安定していないのであれば、まず思考と行動に取り組むことだけを、先に行う必要があります。

ということで、
>このような状況における、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみにする」学び・取り組み実践は具体的にはどういったことになるか
は、

>最初から苦手と感じたり、途中から何かをきっかけにそう感じたり、状況は様々ですが、自分の中に相手に対して何かしらのストレスを感じることが内的に起きています。
さらに自分の心の中を見ていくと、その人の言動や行動に対して否定的な感情があります。


というのが、いったいどのような内容「場面」のことなのかの、正確で詳細な把握理解からです。その一つ一つについて、ハイブリッド心理学から「心の健康と成長に向かい得る行動法」を言えます。そしてに、それについての理解納得を問うことから、「内面」への取り組みが始まる。

「状況は様々」なのを、一つ一つどういう状況なのか詳しい把握からです。そこに、それが自分にとってどういう意味の出来事であったのかの、まさに「分析」始まります。
具体的場面内容ありきの取り組み開始になりますので、差しさわりない表現範囲詳しい場面状況など一つ一つ取り上げて頂ければ、それぞれについて具体的アドバイス返していけますので^^。


動揺根本消滅までの道

補足として、こうした動揺根本的にゼロへと消滅するまでの道のり大まかに書いておきますと、まずは
1)「楽しみの共有」行動法への納得を問う段階
2)その実際の実践を問う段階

を通して、実際他人との間で、外面においてはもう完全にカドが立つことなく交友行動を行うもしくはやめるの判断決断ができるようになることのは、最後
3)実際自分が相手をどう好きかそうでないかの「望み」に向き合い、そうした行動法を携えて向かう中で、「望み」そのものが成熟していく、つまり相手をどう好きかによってどんな交友を続けるかの結論が、次第にブレのないものになっていく。

という道のりになると理解しておいて頂くといいでしょう。
「感じ方」について、「正しい」「悪い」という尺度で取り組むことは、そこにはないのだ、というになります^^。

またこの文脈「否定価値の放棄」には、まずは触れることはできません。他の取り組みも含めて、自分「強く」なったことを足場に、ものごとの悪い面に目を向ける衝動向き合う作業として取り組みますが、「神的なものへの思考」などといった哲学宗教的なテーマかなり本腰を入れて取り組む作業になります。道順としては、上記2)3)あたりです。

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「勝てる原理原則」は人生の駒を動かした先全てで学ぶ^^ / しまの 引用
No.744 2013/12/17(Tue) 14:30:14

「感情と行動の分離」と「一歩一歩の向上」の第一歩^^

>ハイブリッド心理学でいう原理原則のようなものを学びたいと思い最初は人的資源管理のゼミに応募したのですが、私は選考に落ちてしまいました。
>しかしそれでもなお残っている感情というのは、プライドが傷つけられたという気持ちや今までの成績により選考に不利になってしまったという後悔、もっといえば望んだのに拒まれたのが単にショックだったのか、と。ただ、感情についてなんとかしようとするのは間違っているという納得はすでにあったので、結局出た外面についての答えは「この状況からでも、自分にとって最大限利益になることをしよう」というものでした。最終的には会社法やCSRについて扱うゼミに決定し、企業の価値の生み出しの視点が学べるかなと思っています。

外面答え検討内面感情を冷静に分析それぞれを別々に、いい実践ですね^^。それが「感情と行動の分離」外面内面2軸の実践の、基本形になります^^。
「人的資源管理」のゼミ落ち「会社法やCSR」のゼミ決めたというのは、まあはその専門ではない上での社会経験からの個人的意見ですが、大差ないと思いますヨ^^。
経営について知るためには、どちらいずれ習得せねばならない一環の中の一つだと思います。その上で、「人的資源管理」知識より実務技術重要になり、「会社法やCSR」学習時間を要するしっかりした知識重要になると思いますので、大学のゼミで専攻するなら後者の方が有利なような気がします。

>この勉強に対する不合理な恐怖を克服するため、まずこの章だけをやると決め、書いてあることをじっくりと読み、少しでも引っかかりを感じたら時間を惜しまずに別の媒体で調べてみる、といったふうにして勉強をしてみました。・・(略)・・亀の歩みのような作業でしたが、気がついたら今まであまり感じたことのなかった、主体的に勉強に取り組んでいるという実感が芽生えていました。それは私がこうあらねばならないと思っていたような姿(例えばあっという間になんでも憶えられるとか、何時間でも勉強し続けられるとか)とは全く違うものでしたが、むしろそれらがいかに現実を無視したものであったかと思い知りました。実際にそういった芸当をやってのける人もいますが、それはあくまで私がやったようなことを限りなく習熟していった先にあるもので、単に最終的な姿だけイメージしたものとはだいぶ違うことを実感しました。
>以上のようなことを通して学んだのは、具体的な行動を検討していく中でそれまででは想像しようもなかったものが見えてくる、ということです。島野さんが繰り返し強調しておられたハイブリッド心理学の基本的な歩みに、自分もようやく乗ることができたかなあと感じています。


これは上記「感情と行動の分離」実践とあわせ、大きな第一歩ですね^^。それが「一歩一歩の向上」という全ての基本であり、「成長」に向かうとは最終形をイメージすることとは全く違う。
参考までこの場で、最近読んでいい本だと思った
スマイルズ『自助論』
から、そうした「自己修養」について述べた部分など引用しておきましょう。
==============
われわれは、何ごとも徹底的に、しかも正確に学ぶ姿勢を基本に据えなくてはならない。・・(略)・・
・・(略)・・
かつてレナーズは、自分の学習法の秘訣をこう語った。
「法律の勉強を始める時、私は決心したのです。“学んだ知識は完全に自分の血肉にしよう、そして一つのことがらを徹底的にマスターしないうちは、絶対に次へ進んではならない”と。ライバルの多くは、私が一週間かかって読む本を一日足らずで片付けていました。けれど、一年もたつとどうでしょう。私の知識は、それを覚えた日と同じように鮮明に残っていましたが彼らは学んだことをすっかり忘れていたのです。」 (P.206)
==============

まあこの本真に優れた人間とはどのような様子かという幅広く説いているもので、そうなれるための具体的実践についてはあまり書いていないためハイブリッド心理学からの「必読書」するまでにはいきませんが、それでもかなりハイブリッド心理学の精神同一のものでありお勧め書籍です。


「勝てる原理原則」は人生の駒を動かした先全てで学ぶ

>私の心は今でも変わらず事あるごとに動揺します。

動揺本当に消えるようになる、さらには自分から消せるようになるのは、実際社会に出て、社会で生きる自信という心の足場得てからになります。
それまでは、動揺を安直に消す方法を探し求めるのではなく、内面感情の動揺にあまり左右されることのない、強い行動法知っていくこと、内面動揺によってそれが影響されないことを感じ取り動揺ただ流すというのがまずはアプローチになると考えておくと良いかと。

「原理原則行動法」がそうした「強い行動法」王道だと言えますが、

>ここから質問になります。島野さんは長い社会人生活で社会を生きるノウハウを学んでこられたということですが、私がそれをどうしたら効果的に学べるでしょうか?(もちろんこの読者広場も利用させていただこうとは思いますが)経営学部というなかなか恵まれた環境にいるので、会計学、ファイナンス、マーケティングなど様々なことが学べます。そういったものの中で特に役立つようなものはあるでしょうか。また社会で勝てる原理原則などは、実際に社会に出て学ぶか、この読者広場で場面に応じて質問するかぐらいしか無いものでしょうか。

については、一言こう言えるかと。
「勝てる原理原則は、人生の駒を動かした先全てにある。人生の駒を動かした先全てで学ぶ」と。

まあ社会出る、またその前においても「望みに向かう」という人生の前進全て「勝てる原理原則」があり、そうした場学んでいくものである一方、そうした前進なしに全て学べる特別な研究室のようなものなどない、ということですね。
たとえば先日にーなさんへのレス
『「まずは原理原則行動法でイザコザを回避」から^^』 しまの No.733 2013/12/10
アドバイスしたのも、ごくプライベート交友行動の中で起きたいざこざへの原理原則行動法からの考え方です。

キモは、我々の「行動」全てを、「破壊」ではなく「自衛」「建設」のものにすることを、目標にすることです。
すると、「楽しみ」共有するというプラス行動「建設的対人行動法」となり、それ以外の、与えられた問題課題達成や、マイナスの状況への対処は、全て基本「原理原則行動法」になるということです。これで、内面「怒り」「怖れ」などのマイナス感情は、行動の原動力として役目を持たなくなります。
それがしっかり生活と人生の全般身についたという「自分の強さ」への自信芽生えてきた時に、上記最初にも触れた内面感情の分析が、劇的にマイナス感情の根本消滅へとつながるようになってくる、という次第です。

ということで、お勧めは、ずばり大局的視点から、
大学生活を、「社会に出る前に」としてすごすものではなく、「社会に出るということが、もう始まっている」ものとしてすごす、という姿勢考えていくことです。

ということは、まず具体的に言えるのは、大学後の進路具体的に考える。経営学部と言って、すぐ会社の経営者になることはまずなく(学生起業というのもありますが)、アクセンチュアのようなコンサル系会社への就職、そこにさらにIT技術も加えたりするのが一番間口が広くかつ高給(^^)分野になると思います(「SE」というのは体力労働的側面もある点ちょっと留意)。そうした具体的な検討を始めるのは、いくら早くても早すぎることはないでしょう。就活まだ先であっても、そうした具体的検討に応じて具体的情報増えてくれば、勉強すべきものとして追加すべきもの具体的に出てくる。インターンシップで実際の経験得るなんてことも可能でしょう。

そうして勉学という本業も、卒業後の就職も、「社会に出るということが、もう始まっている」ものとしてのぞむ
また交友についても、教室という与えられた枠の中でどう仲良く、といった「社会に出る前」モードのものではなく、趣味なり異性交際なり、目的を明確にしたオープンな場の交友という、「社会に出て」のモードを、今から模索し始めることです。
そうした場で、「勝てる原理原則」具体的場面という材料を得て、検討ができます。

まあ要は、「社会に出る」という姿勢実践をする。それで自ずと、「勝てる原理原則」学べる状態になる。


「勝てる原理原則」のための基本的思考法

で、そこで出てきた具体的材料については、どうも分からない場合また質問頂くのもいいですが、結構そのための基礎的思考というのがありますので、まずそれが身につくと何でも応用が利くようになる、と理解しておくといいですね。何でも聞かないとどうも分からないという場合は、基礎的思考できていないという課題があるということになる、と。

でその基礎的思考については、まずはハーバード流必須勉強項目。上記にーなさんへのレス中のリンクなど参照。
あとは、今後『詳細情報リンク集』などまとめる時これを含めようと思っているのですが、
過去掲示板2006.2
掲載
2006/02/03 ハイブリッド推奨 人生勝利の原理原則10則-1-2-おまけ
など一読して頂くと良いかと。
ここで書いているのがまさに、20年の社会人生活を経て「看破」した(ちょっとオーバー^^;)と言える、「勝てる原理原則 虎の巻」ですね^^。

ということで、
1)「社会に出るということが、もう始まっている」という姿勢と実践
2)「勝てる原理原則」を考える基礎思考への取り組み
3)人生の駒を動かす場の全てで「勝てる原理原則」を考えていく

という順番で取り組むとよろしいかと^^。

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Re: 「怒り」から離反傾向への課題変更 / しまの 引用
No.730 2013/12/07(Sat) 22:27:23

>「オープンで自由な交友の和」については、出来ることならばそういう場所の方がいいですが、それに出会うのは天文学的確率だろうなあ、というのが今の本音です。

もしこの辺について取り組むとしたら、ハイブリッド心理学取り組み実践としては、
1)「楽しみの共有」として交友行動に向かう姿勢と行動を、自身がどう持てている、取れているか
2)交友の場の状況
3)そこで取られるコミュニケーションの具体的内容

を、具体的に取り上げての検討になりますね。
他の話についても、さらに取り組む場合は、「場面」かなりの具体的分析からになると思います。

まずご自身として、何を克服したいと思うか、からになると思います。それについて、そうした具体的検討進むというのがよろしいかと。
まずはこれをなんとか、というものを絞って頂くと(僕の方ではざっと読んで絞れず、全部に返すのは無理^^; 申し訳ない^^)、僕の方でもアドバイスを返せるかと思いますので、そうした具体的場面検討として挙げられそうなものがあれば、また新規トピックにてがいいですね^^。

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