しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近島野日々の生活そのものほぼ完全がふさがれ執筆関連まわす時間あまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践観点から今の問題どう克服されるかという答えすぐ行くのではなくこの問題関連するハイブリッド心理学「取り組み実践」観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学どのよう言っているのか、を再度確認し、自身理解納得問うことを、行うのです。
そこで理解正しく納得行くものであれば、自然と、では今のこの問題その観点からはどう考えられるか、という検討思考進むことができるでしょう。
一方、理解納得進んでいないまま、この問題一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」思考無理にそして性急当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方なりがちに思われます。
つまり一にも二にもまずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵およせ頂くご相談への最初アドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」観点そのものについて質問頂くと、理解納得進み自然問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません
それはハイブリッド心理学「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
イメージ図示する、自分という運転して進む道のりだとして、島野アドバイスできるのは、その個々要素つまりハンドルさばき地図見方基本といった、教習所できることであるのに対して、それぞれの方問題最終的克服とは、教習所出てそれぞれの方人生どこ行きたいのかの、進み方問題になるからです。そしてそれぞれの方人生それぞれ唯一無二であり、島野人間人生成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的アドバイスは、できないように感じています。

そんなとして、一にも二にも、まずハイブリッド心理学「取り組み実践」観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイス記しておきましょう。動揺困難出会う全てケースにおいて、まずは外面行動への着実的確答え出せることが、荒波進む航海のための、役目果たします。それによりまず流されることのない足場持ち、そこから、自分どの方角向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置流されていてばかりで、人生という航海における自分位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学「取り組み実践」の、外面向け観点合致していることが、この人生航海における前進全体が、ハイブリッド心理学の考える成長治癒豊かさへの前進向かうための、条件になるでしょう。ただ外面良くすればいいというのとは全く次元異なるハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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(No Subject) / a 引用
No.1260 2017/10/01(Sun) 18:45:46

こんにちは。
困っています。
私は会話が苦手なのでそっけない態度を取ります。
愛想良くしている自分が気持ち悪くて
業務連絡のみの淡々なものにしています。
もう一つの苦手な理由は他人全般を憎んでいるからです。
恐怖でもあります。結果、声も小さくどもりがちになります。
わたし自身容姿が悪いというのもあり
容姿で判断する人間が多いから、どうせわたしも差別されるのだと思うと
親切にしたくないんです。殺したくなります。
本当の望みは飽きるほど直視し続けています。
それに向けて努力をしては現実に心が折れ続けています。
人によく見られたい、愛されたいという未熟な望みだからです。
矛盾した望みですが私にはそれがとても重要なんです。
どうしても捨てられません。整形もかんがえています。
どうしたら、憎しみや恐怖を持ちながら建設的な行動を取れるのでしょうか?
感情をただ流しながら建設的に行動するというのがどうしても難しいんです。
濁流のような感情の波で押しつぶされます。
業務上のやり取りでさえままなりません。相手にも申し訳ないです。
2年、試行錯誤しましたが出来ようになるどころか感情分析が進み、
私にとって大事な、捨ててはいけない悪感情とも言えるような憎しみを見つけ、
それに流され内面外面共にどんどん悪くなる一方で困っています。
仕事のスキル自体はようやく"こなす"事が出来るようになってきた状態ですが、
信頼されるにはまだまだという感じです。
結局、感情に流されるから出来ないんだと思います。
あまりにも憎くて人の為に何かをすることが敵に塩を送るようでいやなんです。
それでも生きていく為に仕事をしなければならない現実が苦痛です。
典型的な心理障害の矛盾を抱えてしんどいです。
建設的に行動するというのはとてもしんどいです。
この内面の現状で出来る事がもう思いつきません。救いようがありません。


 
検討実践^^ / しまの 引用
No.1264 2017/10/12(Thu) 09:06:45

>どうしたら、憎しみや恐怖を持ちながら建設的な行動を取れるのでしょうか?

まさにその疑問が、価値観行動法学び選択への向き合い始まりになると思います^^。
その選択転換とは、憎しみ恐怖持ちながら建設的行動を取れるようになるなどというものではなく、憎しみ恐怖持った前提姿勢から見直していくものになると思います。
そのための検討模索は、『辞書』で今整理しているような、全ての項目にわたります。その全てについて、ハイブリッド心理学ではどう言っているか、自分としてはどう考えるか向き合って頂くのが「実践」になります。

そうして検討してみて、検討項目ごとにまた何か疑問等について個別ご質問頂ければ、多少さらに踏み込んだアドバイスもできるかも知れません^^。



経過報告と、壁らしきもの / 引用
No.1257 2017/09/27(Wed) 11:28:53

こんにちは。お久しぶりです。

前回の書き込み以降、いろんな感情を流していくことが多い時期もありました。
結局街頭営業での絡まれやすさについては、かなり前の「「相手を悪しき不快なものと見る目線」が、相手に怒りを覚えさせ攻撃をふっかけられてしまう」というご指摘について、ある程度自覚出来てきたように感じています。
とある場面で、「邪魔なモノ、自分に仇為す可能性のあるモノに対して、怒りを向けること」を「自分を護る術」として「選択」した学童期における一場面の記憶がよみがえり、自分を護ることで必死だったのだと目頭が熱くなり、その延長線上で、自分の力では敵わない対象に、ご指摘のような目線を向けていたのではないかという気付きがありました。
それを踏まえてか、不意に「許せないと感じるモノを減らしなさい」という自分に対する思考が、何の繋がりも無く浮かび上がってくるということも起きました。

他に特筆することとして、ようやくハーバード流交渉術の著書を、少ない動揺で読み切る事が出来るようになりました。
かなり以前からハーバード流交渉術の著書は持っていましたが、入手時に読んでみた時には、読み進めていくうちに自分が否定されているような気分になっていってどんどんイライラしてきたので挫折し、あとはずっと本棚の肥やしになっていました。
最近になって結構な変化を感じるようになったため、試しに読んでみましたが、最初は強めの動揺がありました。
どうやら「自分には破壊的な感情を行動化しない」という取り組み課題があるのに、「相手の感情を尊重しよう」と書いてあるあたりで、どうやら不公平感を持っていたようです。
このあたりで「自分はまだ、相手に感情をぶつけることに価値を感じている」という自覚を持ち、「あ・・・これがギャップを生きるという事の第一歩か」という納得感を持ちました。
読んで思考しているうちにイライラ感も減り、先日ようやく読み切りました。
あとは実践いくだけなので、まずはノウハウを記憶するために繰り返し読むことにしようと考えてます。

このような感じで、「自分の本心がどれだけハイブリッドで望ましいと言われてる事とは逆を向いているか」を見つけることと、「それに否定を向けないこと」の重要性を知っていく中で、頻繁に感じる「物事のめんどくささ」に対するマイナス感情を吟味していきましたが、どうやら自分は広範囲に「寿命が来れば面倒事から解放される」と感じているように思えました。
「死は解放」と感じてるところまで自覚した時、信仰の領域でこういう分類があるのかどうかは分かりませんが、どうも自分は死を「信仰」しているのではないか、と。
以前は軽々しく「死んでしまいたい」という思考がすぐに出ていましたが、恐らくこれが関係してるように思えます。
あるいは、未だに自分がどう前進していくかという事についてピンと来ないところがあるので、こういうものが妨げているように感じられるため、今後はそのへんが課題になりそうに思えます。
今後は、価値観や信仰についても、思考を深めていければ、と考えています。


 
Re: 経過報告と、壁らしきもの / しまの 引用
No.1261 2017/10/11(Wed) 20:34:38

そうした一つ一つ向き合い積み重ねになりますね^^。
疑問点などある部分があれば、また何でも個別ご質問頂ければと思います^^。


 
補足 / しまの 引用
No.1263 2017/10/12(Thu) 08:19:19

あと一つ一つ向き合いに際して、あるいは向き合い足場として、いかに今の心とは別の世界視野入れるか。それが越えるためのキモになると思います。
それはどんなものか。何よりもそれが、ハイブリッド心理学読書から探してみて頂きたいものになります^^。



人に好かれてはいけないという感情について / こたろう 引用
No.1255 2017/09/10(Sun) 18:43:06

相手との関係がうまくいきそうになると、
それを破壊したくなる、という状況があります。

好かれないから相手を好きになれない、と意識上は
捉えられているのですが・・・。

自分の敵意が外化されていて、実際に相手がそこまで
自分を嫌っていない事がわかると、
相手が自分を好きになろうと、自分は相手を愛せないという事が
わかりました。

むしろ、自分のような精神に欠陥を抱えた人間さえも
許容できる相手の愛情に、強烈な劣等感を感じてしまうのです。

だから、何としてでも、相手に「軽く嫌われる」必要が
あるのです。

だから、自分の少しの弱さを相手が受け入れる様子を見せると、
さらに自分の悪感情を薄く表現して、相手が自分に対して何か
うんざりしたような様子を見せると、ほっとします。

もちろん、苦しいのですが。

ここからの抜け出し方がわかりません。

仕事でも、一部だけ指摘される点を絶対に残すという意識に
引っ張られてしまい、完璧にやり遂げた時は、あえて態度に敵意を
含めようとしたり、すべてが崩壊するような行為はしないのですが、

「がっかりされる」事に行動が必ず引っ張られてしまっています。


 
「向かい方の大元姿勢」からじっくり検討を^^ / しまの 引用
No.1256 2017/09/22(Fri) 20:41:35

ちょっとご質問内容自体把握するのに時間食いました^^ゞ

これは、どんな場面について、まずどんな姿勢向かおうとしているのかという、大元からじっくり紐解いていくのが良いかと思います。交友場面か、仕事場面か。それぞれについて、「愛」「自尊心」「仕事スキル」といったテーマがあり、ご自身考え方はどうなのか。
それが明確になれば、ハイブリッド心理学からこうこう、というアドバイス始められると思います。
今まで結構お話ししたものになると思いますので、まずご自身で、そうした「向かい方の大元姿勢」テーマ別確認できるかと思います。そこでハイブリッド心理学方向性違うものがあるのであれば、その違いじっくり考えてみることから、何か糸口見えてくるかも知れません。

ということで、「向かい方の大元姿勢」からじっくり検討してみて頂ければ^^。場面ごと分けて頂くと、もう少しつっこんだアドバイス可能になるかも知れません^^。


 
Re: 人に好かれてはいけないという感情について / こたろう 引用
No.1258 2017/09/27(Wed) 11:59:43

場面としては、交友場面、仕事場面、両方です。

今まで確認いただいたように、交友場面では「分かり合い認め合い」から
「楽しみの共有」へ、また仕事場面では、「愛のないところにおいて価値の生み出しに向かう」というのが方針になると考えています。


交友場面については、現在も退却してしまっています。
前進してみようにも、すぐに敵意が出てきてしまうのがわかるから
手も足も出ません。
数少ない友人と依存的な関係の中でかかわる事で、なんとか絶望感から
逃れようとしている感じです。


「自己建設型の生き方へ」を
参照すると、

"可能なのは、それは実際に相手の中にある訳ではないと考えることで、生理的実感の度合いを多少減らすことはできるかもしれません。"

とありますが、自分の場合はそうではない。


実際に相手の中にある、という認知を採用しているうちは、
自分の相手への嫌悪感情は「正当化」されます。
相手に嫌われているのだから、相手を苦手とか嫌いだとか感じても仕方がない、
と捉えられる。

しかし、その認知が覆されるという事は、
「自分は相手を無条件に嫌悪している」し、報復的な感情だと思っていた敵意が、
むしろ自分から積極的に相手の粗を探して攻撃しようとしている感情だと
わかってしまうという事なのです。


仕事ができないという事も同じで、仕事ができなくて
「あきれられている」「怒られている」という現実があれば、
自分の相手への敵意は正当化できるんです。
「仕事がうまくできないから落ち込んでいて、心の余裕がなくなっているから
イライラしているんだ」と相手に思ってもらえる気がしているんですね。


時折、積極的に仕事に取り組もうという意図が生まれたときは、
決まって「攻撃感情」が燃え上がります。
例えば、指導される上司の知らないより効率的な方法を伝えてみたり、
質問に対しての返答も、完璧にできていますが何か文句ありますか?といった
態度になったりと。


 
Re: 人に好かれてはいけないという感情について / こたろう 引用
No.1259 2017/09/27(Wed) 14:37:51

また、ふいに

「この人たちは、別に仕事に対して何か思い入れがあるわけでもないのに、
なぜさも思い入れがあるかのようにふるまう事ができるのだろうか?
そう振舞わないといけないから振舞っているのだろうけど、それを聞いている
上司もまた別に仕事に本当は思い入れがないようだ。一体なぜそんなものに
前向きに取り組めるんだろうか?」

という思考がよぎります。
その茶番劇に一体いつまで参加し続けないといけないのだろうか、と
思うと態度も無気力でドライなものになってしまう。

やっぱり仕事に対して全く情熱を感じられないのが人間関係がうまくいかない
根本原因である気もしてきます。

島野さんはなぜ、突然まったく価値を感じられなくなってしまうような仕事を
優秀だと認められるレベルになるまで30年近く?続けられたのでしょうか?

あれほど鋭く自己観察ができていたのに、それがやってくるのが
そうも遅かった事に疑問があります。


 
自己確認向き合い・社会活動^^ / しまの 引用
No.1262 2017/10/12(Thu) 07:04:50

>実際に相手の中にある、という認知を採用しているうちは、自分の相手への嫌悪感情は「正当化」されます。
>仕事ができないという事も同じで、仕事ができなくて 「あきれられている」「怒られている」という現実があれば、 自分の相手への敵意は正当化できるんです。

とは結局、

>今まで確認いただいたように、交友場面では「分かり合い認め合い」から 「楽しみの共有」へ、また仕事場面では、「愛のないところにおいて価値の生み出しに向かう」というのが方針になると考えています。

というのが心底からの本心として選択している価値観とはできていない、というになるのではないかと。
まずはそうした自己確認向き合いからになると思います^^。


>島野さんはなぜ、突然まったく価値を感じられなくなってしまうような仕事を 優秀だと認められるレベルになるまで30年近く?続けられたのでしょうか?あれほど鋭く自己観察ができていたのに、それがやってくるのが そうも遅かった事に疑問があります。

ITの仕事修士を出た24歳から、2002年執筆開始しそれへの専念を決意した2005年44歳で、ちょうど20年間続けたことになりますね。
まずは社会に出て、そこにあるレールの中で自己発揮を模索する、というのが「順当」人生歩みになると思います。これは『入門編下巻』などでも書いてますね(P.245など)
TVでよくやっているクイズ番組のように、その問題が分かることにどれほどの価値があるのかなんていわずもがなに、皆熱中しますね。それがまずは健康というものであり、健康を損なった時、それができなくなってしまう。
そうした、多少過剰も含んだものとして社会活動作られていると言えると思います。その中で、行動法まずは模索していくことです。
僕の場合も、価値を感じられなくなってしまう感覚起きたこともあったのは、心の病み反映したものだったと言えると思います。それでも社会で生きることを学び、それが心の健康にもつながるその上で、今の仕事は自分にはもう価値がない断言できるのは、やはりそれなりの社会経験を積んだ上で、自分にとってより価値の高い活動を見出してからになると思います。そうして多くの人転身するのは40代頃というのが多いのではないかと。
お答えになりましたかどうか^^。



相手を怒らせてしまう言葉の使い方について / こたろう 引用
No.1250 2017/06/28(Wed) 06:36:05

仕事で、伝えていただいた内容が抽象的だった時に、
それを具体的に確認する内容を質問した時に、
怒られる事が多く、具体的にどのような言葉の使い方を
すればいいか困惑しています。

まず、そのような場面で自分は

〜〜〜という理解で間違いないでしょうか?

〜〜〜という意味で良かったでしょうか?

〜〜〜という事でしょうか?それとも〜〜〜という事でしょうか?


という言葉で質問をしています。


その後、具体的な説明を聞いて、
内容が把握できたら

〜という事だったんですね。

あ、そういう事ですか。

そういう意味だったんですね。


という言葉で返答し、
わかりました。ありがとうございます。

等で締めています。


さらに深堀して聞かないと理解できない
内容だった場合、

えーっと、、、、(しばらく考える


すいません、、ちょっと、、、(しばらく沈黙)


〜は〜という事ですか?


で、理解できたら上に戻る、という
感じです。


理解力が弱いので、時間がかかってしまう場面が
多く、それも怒りを買う一因なのですが、
すぐに改善できるところではないため、
その状態でも怒られずに質問ができるための
言葉の使い方等で改善点がないかお聞きしたい次第です。

また、「責められている」と
感じると、質問に答えずに言い訳っぽい
話をする傾向もあるようで、よく指摘を受けます。

聞いた事に答えろよ、と。

聞かれた事の意味が理解しきれず、

それは〜〜〜という意味ですか?

等と聞き返す事もあるのですが、
そういう時にも質問に答えろよと
怒られる事が多いです。


怒られないように仕事の言葉にはやく慣れて
スムーズに意思疎通ができるようになるのが
改善の本質だと思いますが、
言葉の使い方で怒りを避けられる方法が
あればアドバイスをいただけると助かります。


 
「言葉の使い方」よりも「問題解決思考」^^ / しまの 引用
No.1251 2017/06/29(Thu) 11:32:44

>すぐに改善できるところではないため、 その状態でも怒られずに質問ができるための 言葉の使い方等で改善点がないかお聞きしたい次第です。
>スムーズに意思疎通ができるようになるのが 改善の本質だと思いますが、言葉の使い方で怒りを避けられる方法が あればアドバイスをいただけると助かります。

ずばりそれはないと思います。さらに言えば、言葉の使い方で相手の怒りを避けようとする姿勢自体が、また火に油を注ぐ結果つながりかねない危険があると思います。

つまりどういうことかと言うと、街頭電車などで身に覚えのない難癖をつけられた場合などは、うまく言葉の使い方で場を切り抜けるというのもあり得るでしょうが、書いていただいた、仕事の場何か指摘されているような場面では、そこに何らかの問題課題あるということでしょうから、重要なのは、相手の怒りを消すことに躍起になるよりも、その問題課題解決に、とにかく全力で当たることです。

ということで、相手怒り程度かかわらず
1)そこにある問題課題は何か
2)その解決策はどのようなものが考えられるか

という、ていねい問題解決思考検討するのがまず前段になりますね。

そして
3)その解決策が実際のところすぐに可能かそれとも困難か、困難の理由は、ではその妨げの克服はどのようにされるかという見通し
といった、あくまで「解決思考」展開できることが、重要になると思います。
そうした問題課題姿勢こそがまさに、相手怒り消す最善最短の道にもなると思いますので^^。

そして仕事場での問題課題には、すぐ答えがあります。問題課題何かを言って頂ければ、僕からも、仕事の普遍的スキル観点からかなり具体的なアドバイスができると思います。
これについては、まずは
メール相談事例集 No.002 視線恐怖および「職場での自分の位置への不安」の克服
など一読頂ければ。

一方、何が問題課題なのかの把握が間違っていると、当然、その後思考をどう回したところで方向違いになってしまいますね。
以前、仕事の内容そのものの前にプライベートでも仲良くなることが必要ではといったご質問を受けましたが、それだと問題課題の把握そのものが間違っています、というのが僕からのアドバイスだった点よろしいでしょうか。

ということで、一つ一つの場面で、何が問題課題か確認から進めて頂ければ^^。


 
Re: 相手を怒らせてしまう言葉の使い方について / こたろう 引用
No.1252 2017/07/01(Sat) 11:53:40

やはり、そういう事なのでしょうか。
確認をする時に聞き方も指摘されるため、
おかしいところはないかと思ったのですが、
内容さえしっかりしていれば
書いたような文面で問題ないのでしょうか?

では、具体的場面についてお聞きします。

1.作業漏れが多い

プログラム開発をしていますが、
開発そのものはほとんどコピー&ペーストで
作成ができるものです。

開発をしていて、インデントが揃っていない、よけいな点がついている、等のミスがなかなかなくなりません。

確認のタイミングを一定のタイミングでとる
事や、レビュー前に上から確認をする事は
しているのですが、ミスが残ることが多いです。

他にも、業界のご経験があるからわかると
思いますが、構成管理の取りこぼし等の
ミスがあります。

対策としては、決めたタイミングで
構成管理用の入力を行うという事、
各フローも手順化して一つづつ行う
という事をしています。

2.ファイル管理の方法

開発を行うにあたり、
ローカル環境でプログラム、単体テスト仕様書、単体テスト結果等を管理しているのですが、途中で変更等があった場合に、ファイル名を変更して置いておいたりすると、
後から見た時にどれがどれだかわからなくなります。
共有サーバーに上がってるのはどの変更のものなのか?最新版なのか?と聞かれた時に、
自分でもわからず、混乱する事が多かったため、共有サーバーの最新版のみを扱うように変えていたのですが、今度は共有サーバーの最新版が、環境にコンパイルされているものと違う(一つ古いものがコンパイルされていた)という事が起こり、一つ古いものはスクリプトとしては残っていないという事が起こりました。

変更の都度、メモを同フォルダに残しておきながらローカルフォルダで作業をし、共有サーバーにあげてからコンパイルをするという手順が一番いいのかなと今は思っています。

3.メモが上手く取れない

メモがうまくとれません。
特に、後からメモを見つけ出すことが難しいです。

4.話がわかりづらいと言われる

枝葉ばかり話していて、不要な情報が多い。
しかし、重要な情報は抜け落ちていると
言われる。

5.内面の問題

業務中、周囲の社員に嫌悪感を向けられている、どうせまた怒られる、という思考が常に頭を占めていて、自分が何をやったのかほとんど記憶に残っていません。

そのため、急に
「今の進捗は?」
「昨日頼んでいたあれ、どうなった?」
と聞かれても答えられず、
自分でやった事なのになぜ覚えてないのか、
昨日の自分と今日の自分は違う人間なのか?

と言われます。

また、皮膚の表面にだけ仕事の内容が
記憶されているといいますか、内部まで
浸透させまいとする感覚かあります。
仕事についての思考は、演じる自己という
薄皮の上でしか働かず、家に一人になって
しばらくすると全くそこの部分に
アクセスできなくなる、という感じです。

これは仮の時間であり、仮の人生で
あるから、本気になってはいけない、
というような感覚。
覚えてはいけない、という感覚。

ただしこれは、他の業界で仕事をしても
全く同じ状態になるだろうという感覚です。

離人症状として仕方ないのかなと
思います。

もうひとつは、

上司が怒りを向けてくる人間なので、その怒りによってやる気をなくしているという事を証明するために、言われた事を改善したくないという心理が強く、
それがかなり足枷になってます。

自分をだめにして相手に罪悪感を与えようという、親に対して持っていた感情と全く同じ感情です。

全く建設的でないし、サバイバル思考に
基づけば、もっと怒りをあからさまに向けてくる人間はいくらでもいるのだから、と
言い聞かせるものの、態度がついていかず、
消耗してます。


 
「言葉の正確さ誠実さ」「ミス撲滅スキル」など^^ / しまの 引用
No.1254 2017/07/13(Thu) 10:58:05

具体的テーマとしては3つある感じですね。

1.日常会話レベルの言葉の正確さ誠実さ

>確認をする時に聞き方も指摘されるため、おかしいところはないかと思ったのですが、
これはまさに、

>内容さえしっかりしていれば 書いたような文面で問題ないのでしょうか?
という質問当てはまると思います。

実はこの質問文を読んで、実に引っかかる感があった次第です。なんでこんな聞き方をするのだろう、と。
でちょっと考えたのですが、「あっこれは言葉の使い方が間違っているんだ」判明した次第。

具体的には、まずは「内容さえ」「さえ」という副詞使い方ですね。「さえ」という副詞さまざま強調意味合い使いますが、ここでは、「他は不問となる」という意味になると思います。「内容さえしっかりしていれば、他のことはどうであっても問題ない」との意。今回の話では、「内容さえしっかりしていればそれ以外はどうであろうと人の怒りは買わない」という命題になりますね。内容以外は不問という命題。

そこまでは言っていないですね。アドバイスタイトルとしても『「言葉の使い方」よりも「問題解決思考」』としましたが、書いていただいた文面内容ではそういう話になるということで、まず「問題解決思考」についてアドバイスした次第です。
それを「内容以外の不問性」というにするためには、不問性そのものテーマにしてかなり詳しく説明しなければならなくなると思います。今回他の不問性については触れていませんね。
ですので、
>内容さえしっかりしていれば 書いたような文面で問題ないのでしょうか?
という聞き方は、僕の説明をちょっと曲解しておられる聞き方になると思います。また、テーマ違いになっているとも言えます。
これはよろしいでしょうか。

ちょっとご質問言葉ねちっこく取り上げましたが(^^;)
>確認をする時に聞き方も指摘される
というのは、多分そうした類のこと頻発しているのではないかと推測する次第です。
人の言うことのニュアンス、さらにはテーマそのもの取り違えて会話するような状態。これは「人の言うことを素直に聞いていない」という怒りを買う、けっこう典型的なものになりますので要注意だと思います。としてお分かりでしょうか。

ということで、、
>内容さえしっかりしていれば 書いたような文面で問題ないのでしょうか?
とのご質問へのお答えは、もちろん内容だけではなく、日常会話レベルでの言葉の使い方が正確、そして誠実であることが重要です。書いて頂いた文面の範囲には、つまり「〜〜という理解で間違いないでしょうか?」など言葉については特に問題はないと思いますが、文面に書いておられない「副詞」の使い方などの問題話のテーマすり替えがないか、日ごろ注意していくと良いかと思います。


2.ミス撲滅スキル

>1.作業漏れが多い
>2.ファイル管理の方法
>3.メモが上手く取れない
これらについては、「ミス撲滅スキル」「仕事の普遍的スキル」重要一要素だというアドバイスになりますね。
スキル定義としては、「ミスをゼロにするための工夫を自分で考え実行できること」
これも、一つの作業それをできると、他の作業についても人に教わることなくそれができるようになる、普遍的スキルになります。

プログラム作成で言えば、コーディングテストなど各段階における、まずは自己レビューどう設定するか。
僕の経験から言えば、

>開発そのものはほとんどコピー&ペーストで 作成ができるものです。
という認識ずばり誤りだと思います。もちろん最初コピーペースト大枠作ったりもしますが・・、否そこで「作ったり」という言葉さえ不適切なほど、それは「作る前」ごく材料レベルのことでしかありません。
実際「作る」というでは、最初の1バイトから最後の1バイトまで、新たなものだという意識で、その正確さまず目で追っていく必要があります。
そして自分どの程度のミスを犯す傾向があるか、その防止のためには何回自己レビューをすればいいか、それでも不可避に起きるミス発見除去のため、テスト段階においては・・
といったことを自分で考えることができるようになることです。

実践検討頂ければ。あとファイル管理など業務具体内容については、ネットでいろいろ勉強できるのではと思いますので検討あれ^^。

「メモ」は、業務に必要なことを書くことです。サザエさんに出てくるサブちゃん御用聞きであれば、「お客様・商品・数量」メモするでしょう。では自分どのようにできているか。仕事におけるメモ術ネットなどで勉強できると思います。これはやってみての問題ですかな。

>4.話がわかりづらいと言われる
これについては上述「聞き方」参考に、自分が相手に伝えるべき内容の、的確正確な表現とはどんなものか考えていくと良いと思います。


3.内面感情への姿勢の確立

>また、皮膚の表面にだけ仕事の内容が 記憶されているといいますか、内部まで 浸透させまいとする感覚かあります。
>これは仮の時間であり、仮の人生で あるから、本気になってはいけない、 というような感覚。
>上司が怒りを向けてくる人間なので、その怒りによってやる気をなくしているという事を証明するために、言われた事を改善したくないという心理が強く、
>全く建設的でないし、サバイバル思考に 基づけば、もっと怒りをあからさまに向けてくる人間はいくらでもいるのだから、と 言い聞かせるものの、態度がついていかず、

動揺する内面感情対しては、小手先の思考法などでなだめすかしたりして変えようとするのではなく、「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」姿勢実践として向き合う姿勢確立が、まずはハイブリッド心理学での実践になります。

つまり、感情動揺流し脇に置くような姿勢スタートに、
?@外面問題があるのであればそれを解決する。上述のように、行動法の知恵前面となる。
?A「愛」や「自尊心」への価値観「心の依存から自立への転換」など、心の基盤あり方によって動揺感情内容によりどう変わるのかの理解。それを踏まえ自分の感情向き合ってこそ、そこに「自分の感情の理解」生まれます。
?B外面行動に出すことはできないとしても、そこに「魂の望みの感情」があればしっかり受けとめる
という向き合い姿勢になります。

まあとにかく上述のような外面的具体問題への適切な対処できるようになることからになるかと。それによる足元安定から、より深い内面取り組みにも行ける、という流れになりますね。
じっくり検討頂ければ^^。



甘えについて / jet 引用
No.1243 2017/04/25(Tue) 22:27:51

島野さんこんにちは。
以前大変お世話になった者です。それからは閲覧のみですが、学ばせていただいてます。
いろーんなことがありましたが、とりあえず超越的幸福の手前ぐらいに来た感じです。

サイト内で触れられていないようなので、お聞きしてみたいのですが…

相互に親しくなろうとする間柄での、責任感と甘えについてです。
責任感と甘えは、相関していると思うのですが、責任を持ちながら甘えもするということが出来るとしたら、どうしたらよいでしょうか。
私は他人行儀でそっけなく見えるので落胆されるようです。甘えたいし甘えてくれるとうれしいという人に、喜んでもらいたいのですが、どうすればいいの?と聞くと、べローンと寄りかかってほしいとか…
それってどうやるのかわかりません。
自分でも自律的な厳しいところがあると思います。
考えつくのは、何か頼むとか、感情的な話をするとかですが、いまいちわざとらしい気がします。何かお考えがありましたらご教示ください。


 
「愛」に向かう歩み 概説^^ / しまの 引用
No.1244 2017/05/08(Mon) 13:29:30

押さえるべき視点一通り書いてみたところ超長くなりました^^;
「愛に向かう歩み 概説」という感じになるかと^^。


>責任を持ちながら甘えもするということが出来るとしたら、どうしたらよいでしょうか。

出来るとしたら、「果たすべき責任は果たし、甘えても良く実際甘えたい部分については大いに甘えればいい」ということになると思います^^。
そのまんまのようなでもありますが、「果たすべき責任」「甘えても良い部分」「実際甘えたい部分」何か見極め重要になる、というになると思います。

それを考えるために、ハイブリッド心理学からは、おおよそ3つの視点が出てくる、というになると思います。
「原理原則」「価値観」そして「成長」といったものになるかと。
そうしたさまざまな視点についてそれぞれじっくり学び検討し、それを踏まえて、ではこの具体的場面自分どんな選択をするか向き合う
答えが出るまでに極めてたくさん思考検討を行う点とても面倒ですが、それがハイブリッド心理学流^^。


「責任」の考え方(原理原則)

まず「果たすべき責任」というのは「原理原則」つまり社会でのルールの話となり、これが正解というのが決まってくる問題です。たとえば親子であれば、義務教育までは面倒を見る「責任」がある。面倒を見る「責任」となると、ひとくくりにはできなくなる。
一方「甘えても良い部分」とは何かは、社会的ルールというよりも、社会行動の知恵になってきますね。たとえば金銭的な甘えは、トラブルの元なのでしない方が良いとは言えるでしょう。

ご質問場面「交友」もしくは「恋愛」というテーマ場面になると思いますが、基本的にはそれは「責任」で行うものではなく「自由」として行うものになりますね。つまり友だちだから、あるいは恋人だからこうこうする責任がある、という明確な社会的ルールない。これはよろしいでしょうか。


「愛」への「価値観」

社会的ルールとまで言わなくとも、人それぞれ何に重きを置くか「価値観」というテーマになります。
「交友」「恋愛」など、「愛」については、以下いずれかの向かい方を重視するかに、「愛への価値観」分かれ目があると、ハイブリッド心理学では整理しています。
----------------------------------
辞典『「愛」への理解と価値観と取り組み』 - 「愛」への価値観
----------------------------------
a.「喜び楽しみの共有」として向かう。それができない時、孤独受け入れる。
b.「分かり合い認め合う」こととして向かう喜び楽しみのみではなく、互い悲しみ辛さ分かり合うことに「愛」があると考える。
----------------------------------
ハイブリッド心理学が採る価値観姿勢は、の方になります。それが、健康な愛が育ち、心が成長に向かう姿勢としてです。
一方の方は、いつのまにか愛が見えなくなり心が惑うようになる、罠のような姿勢としてです。

まずはこの「価値観選択」について理解納得持てるかキモになると思います。

つまり、
>私は他人行儀でそっけなく見えるので落胆されるようです。甘えたいし甘えてくれるとうれしいという人に、喜んでもらいたいのですが、どうすればいいの?と聞くと、べローンと寄りかかってほしいとか… それってどうやるのかわかりません。

というご質問全体が、「分かり合い認め合う」こととして向かうという価値観姿勢生まれているのではないか、というのが検討ポイント相手の気持ちを分かってあげ認めて、それに応えることが友人もしくは恋人としての「責任」というような感覚ではないかと。


「喜び楽しみの共有」の行動学

「喜び楽しみの共有」として「愛」向かうという価値観姿勢場合自分として甘えるのが楽しく、相手もそれを喜ぶようであれば、かつトラブルの種ならないようなものであればおおいに甘えるといい、というになりますね。
ただまあ「どうやるのかわかりません」ということは楽しくないということでしょうから、無理に甘える必要もなし、とはなる。

ではどうするか。そこですぐ「孤独を受け入れる」とするのも短絡性急ですので、まずは「喜び楽しみの共有」ができる部分に徹する、のが基本的正解であり、まあケーキの本体になりますね。あとは何をトッピングするか。
まずその基本について行動学的には、そんな話の流れにはならないようにする、というのが一つの方策にはなるでしょう。まこれは具体的には、どんな前後文脈かにもよります。

あとはトッピングとして、「甘え方」について多少とも研究してみるか。細かい場面ごとに、こうしてみるのもいいかも知れない、というのが出てくるかも知れない。


「成長」は「枠はめ」にはなく「模索」にあり

最後の視点は、というか最大の視点になりますが、「成長」に向かう、というものです。どうすればいいか、という思考の全体を、成長に向かうとして視点働かせるか。これが最大のキモになるでしょう。

一言で、「成長」は「枠はめ」にはなく「模索」にあり、と言えます。
「こうすればいい」「こう感じるようにすればいい」「こんな心持ちにしてみればいい」という単一の答えが、実際のところどんなに気の利いたものであろうとも、それで自分枠はめした時、「成長」止まります。
一つの型枠に自分を当てはめるのではなく、車の運転で言えばアクセルブレーキハンドルなどの要素それぞれしっかりと学び自分どこに行きたいのか向き合い最後に、今この場面での、自分なり唯一無二ハンドルさばき決める。その積み重ねによって、「成長」という変化起きます。

ですので、

>何かお考えがありましたらご教示ください。

というご質問への返答は、だったら上に書いたような全ての視点についてそれぞれ向き合いでは自分として今どう行動するかという模索をします、ということです。多分日記向かいながらになるでしょう、と。


模索を導く「愛への望み」への向き合い

そうした模索導く視点4つ指摘して、アドバイス締めにしましょう。締めに来てどっと話が増える形ですが・・^^;

1つ目に、との真の絆や、長く続く関係は、何によって築かれるのか。それを、さまざまな人々様子も見ながら、人生考え続けていくことです。
僕の考えを言うならば、それは「命のレベルで何かを共有すること」、そしてシンプルな話「ウマが合う」ことではないかと。「ウマが合う」とは辞書では「性格や気が合う」ことなどと書かれていますが、もっと広く出身地趣味過去の体験などなど、幅広い人間要素全て関係すると思います。そうしたもの全てを含め、なんかあの人とは合うんだよなー感じること。そんなものとして、「ウマが合う」こと。
一方、相手の期待に応えるというのは、場面場面の話であって、真の絆や、長く続く関係とは無関係だというのが僕の考えです。

2つ目に、人とのつながりを求めて、心が惑い、やがて惑いを抜け出すという、心の変化核心理解しておくと良いでしょう。
それはおおよそこのようなものです。相手からの期待に応えたり、相手に必要とされたり、相手が望むような人間になることで、相手から愛され孤独から抜け出られることを期待するのですが、やがてその中心の惑い悩み感じ始める時実は無自覚の自己否定感情動揺にあります。
そこから、その無自覚の自己否定感情動揺惑い同時抜け出させるのは、相手に愛されようと焦ることが自分自身を危うくしていること、そして自分に嘘をついて相手を愛することはできないという自覚足場にして、受け身ではなく自己能動の行動として、相手に近づくかそれとも離れるかの選択決断をすることになるだろう、といったものです。
この選択決断支えるのがまさに、上述の、「喜び楽しみの共有として向かう。それができない時、孤独を受け入れる」という「愛への価値観」だということになります。

3つ目に、人からの期待向き合うにも増して、自分からの望み向き合うことです。それを、人生を通して続けることが極めて大切です。
自分どのよう交友恋愛そして結婚などに向かいたい感じるか。趣味共有したり、こんな家族作りたいという、結構はっきりした目標人との関係築きたい感じるか。それとも、日常生活何となく時間を共にできる相手欲しいのか。そうした相手を、どのように選んでいくか。といったことを、日ごろから考えながら、人との関係向かうことです。ただ流されるように受け身に人との出会いに期待するのではななく。
それが、上述自己能動的な行動選択決断基本的足場になるでしょうし、何よりも、そうして自分から望みに向かうことで、成長成熟変化向かいます。より安定した心で、幸福に向かうことのできる心へ。「超越的幸福」も、その歩みの道のりあるものとしてです。

意識受け身一辺倒なってしまっている場合は、自分から望むことを断念してしまった心の闇存在考えられます。
その場合は、自分はいつ、どんな気持ちの中で、自分から望むことを断念してしまったのかとい、来歴分析的自己分析かなり役に立ちます。
前半で書いたような、建設的な価値観や行動法築いた上でです。それによって、「こんな気持ちだった・・」という過去感情想起が、「今はこう感じられる・・」という克服体験転じるわけですね。
そうして自分からの望みへの向き合いは、しばしば実際の行動につながることはないまま、「魂の望みの感情」として訪れ、これを自分自身で受けとめることが、心の治癒と豊かさへとつながっていきます。
これは理屈だけ聞いても全く実感の分からない話かと思いますが、『理論編下巻』終盤「Y子さん」言葉(P.135)など読んで頂くと多少イメージできるのではないかと思います。

以上まとめれば、「親愛」における「原理原則」「価値観」取り組み長い目においては「真の絆」「長く続く関係」というテーマについて考えながら、「自分自身からの望み」向き合い続けることにおいて、目の前にある相手との関係における行動選択を、「成長」向かうという意識成していく。に、動揺場面への対処抜け出し、さらには自分の中心の闇への向き合いなども絡めながら。

そうして旅路歩み方全て揃って最後視点が出てきます。模索導く4つ目視点
そうした模索向き合い携え人生歩み通して、自分本性「ほんせい」という読みの方を採ろうかと^^)探究することです。
自分「宿命的本性」とも言えるでしょう。「性格」のような漠然一般としたよりも一歩次元を深く狭くした、自分とはこんな人間であり、このように生きていくのだ、これが自分の人生なのだ、と確信持てるものを、究めていくことです。
これについてはもう、当然ながら、他人から教えられること何もありません。その人自身だけが、その内容探し、選択していくことができます。

>何かお考えがありましたらご教示ください。

へのアドバイスも、結局そういうことだということです。最終的には自分宿命的本性探究する一環として、自分決断していく良いでしょう、と。
あくまで、上述視点に、しっかりと取り組んでいくことのに、ですね。
まあ短文アドバイス返すならば、「取り組み実践の全てを通して、自分で選択決断していって下さい」となりますが、説明書くならばここまでは押さえる必要があるという内容が、になります。

じっくり検討してみて頂ければ^^。
あっあと、

>自分でも自律的な厳しいところがあると思います。

これも、具体的行動場面全てで、具体的何か変えるべきものがあるのか、具体的取り組んでいくことが可能だと思います^^。


 
Re: 甘えについて / jet 引用
No.1246 2017/05/12(Fri) 12:55:20


島野さんありがとうございます、ひえーそうですね!責任による対応になってます。
サークルの異性の仲間なのですが、相手は非常に厳しいながら誰にも甘えんぼな人であって、知識が豊富で魅力的な人です。かわいらしいのですが、飴と鞭みたいなこともしてきて、なんだこりゃ、と迷うのです。
反応を引き出したいというような、仕掛けられているというか、いじられてる気もします。プライオリティを求めるように、仕向けているような気もします。
自分は匂わせるだけで、実際は相手の責任にする、させるというようにも思えます。あれれ??という…
それも可笑しくて面白い人なのですが。
継続的な関係を持ちたいと思うので、どうしたものかと悩みます。
ちょっと距離を置くと、ギャップにさらされず、いいかなと考えたりします。それとも完全に無視して私のいいようにしていればいいのかな。私のいいようにとは、他の人と同じ扱いです。
成長という視点からは、これをうまく消化していくというか昇華していくということなのでしょうかね。
私は教わる立場で下から目線なのですが…まずは対等さを望み求めていこうかなと思いました。


 
「愛」における「成長」と「楽しみ喜びの共有」の行動法^^ / しまの 引用
No.1247 2017/05/16(Tue) 14:14:41

>成長という視点からは、これをうまく消化していくというか昇華していくということなのでしょうかね。

そこで消化する昇華していくとはどういうことか、ですね^^。

「成長」とは、ハイブリッド心理学での定義としては、「自ら幸福になる能力の増大」のことです。
ですので、具体的課題場面について言えば、成長という視点からは、自分が幸福になれるような対処の舵取りが、より確実に、より安定した心でできるようになっていくことです。

それが恋愛などの場面テーマではどういうになるのかというと、一つノウハウ視点としてこんなことを言えます。
・相手が自分を好きなのを確かにできるかということよりも、相手が自分を好きだとしてその先どのように相手と豊かで幸福な関係が築けるかに目を向けよ。

好きな相手自分のことをこんなにも好きでいてくれる、思ってくれていると分かる喜びを、ゴールのように感じそうなれたらその先にバラ色の時間があるだろうという、中身のないイメージ抱く心理というのがあるのですが、これは未熟形ですね。
相手仮に自分を好きだとして、では自分と相手は何をできるかという先のこと目を向けるのが、とりあえず成長形。まあちょっと優雅さを欠いた計算的な部分出てきますが^^; たとえば結婚から子育てそして老後までの経済的面とかも^^;
実際、相手が自分のことをこんなにも好きでいてくれる、思ってくれていると分かったつかのま一瞬喜びに、地獄が訪れるケースもあるわけです。典型的には束縛DVなど。
もちろん上記ご質問その危険ありなんて話ではない点ご容赦ですが、「愛」「責任」考える心の世界というのは、やはりそうしたケース方向性ぴったり一致してしまっているんですね。

「楽しみ喜びの共有」として向かう価値観姿勢になると、相手性格相手気持ち相手が自分を好きなのが確かかといったテーマ増して、相手と共にすごすことを自分にとってどう楽しくできるか、実際どう楽しくすごせるかに、意識関心向くようになります。
そして実際その姿勢人と接することの積み重ねによって、相手が偽りの愛を装って抱く別の感情や、行動の危うさの兆候なども、早い段階気づくことができるようになると思います。盲目的ではなくなるわけですね。

ということで、やはりまず「愛」「責任」ではなく「楽しみ喜びの共有」として向かう価値観姿勢への転換と、それによる具体的行動法違いといったものに取り組むのが、お勧めになりますね。
具体的には、

>ちょっと距離を置くと、ギャップにさらされず、いいかなと考えたりします。それとも完全に無視して私のいいようにしていればいいのかな。私のいいようにとは、他の人と同じ扱いです。

といった気持ちの駆け引き的なものではなく、相手と実際に何か楽しめる行動できるか、模索するといいと思います。たとえば美味しいそうな店を見つけたので一緒に行きませんか、とか。互いが好きかどうかといった気持ち事項あまり前面には出さないのが、島野お勧め行動法ノウハウです。そうした具体的楽しみ共有行動によって、互いが本当に好きか、それとも実はあまり好きになれない相手なのか、あるいは好きであってもあまり一緒にはいられない相手といったことも、トゲが表面化しない形(^^;)自然と見定めていくことができますので。

なおこうした価値観行動法を取る一方で、「好かれる喜び」「嫌われる恐怖」とかの感情とかもやはり流れることもあるでしょう。これらは「ただ流す」という内面側位置づけられます。
心の病みの傾向絡むと、「嫌われる恐怖」支配されてあらぬ方向に向かうとかの問題起きがちですが、「ただ流す」ことができることが、治癒にもつながるといった重要性もあることなども、頭に入れておくと良いかと思います^^。




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