しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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対人 / ヨム 引用
No.1080 2015/07/26(Sun) 14:01:03

 外見は、生まれた時からの顔形がありますが、自分を高めようとしている方では、外見を意識して、おしゃれなど気を使っている方では、見た目がさわやかであり、好意を感じる場合、自意識の感情だけではないと考えます。

 楽しみの共有、生活の共有から、魂の世界と現実の世界の双方で成長になる。それから、魂の感情を見捨てないだけの相手との関係も、「現実世界」で続けられるも大切なこと。

 魂の成長の促進のためには、楽しみの共有や生活の共有を継続を望む場合では、魂の感情というよりも、会話を楽しむことを優先することが必要と思います。

 島野さん、よろしくお願いします。

 
 

 


 
まず「現実世界における前進」から^^ / しまの 引用
No.1082 2015/07/28(Tue) 17:52:19

>魂の成長の促進のためには、楽しみの共有や生活の共有を継続を望む場合では、魂の感情というよりも、会話を楽しむことを優先することが必要と思います。

そうですね。今アップしている『ハイブリッド心理学とは』でも、
歩みの道のり - 「現実世界における前進」と「魂の世界における前進」
で、その辺の話を書いています。

より平易な表現をするなら、「前進」2種類があり、
・まず現実世界での行動がうまく行くようになる ・・ 「現実世界における前進」
・現実世界での行動がうまく行かない時に、さらに自分の「望み」に向き合い、本当の自分が見えてくる
・・
「魂の世界における前進」
という感じになるかと。
で、まずは「現実世界における前進」へとしっかり努力するのが、全ての始まりになる、と。それが優先良いというになりますね。

ですのでまずは、趣味会話共有など、「現実行動」模索することからになると思います^^。


 
Re: 対人 / ヨム 引用
No.1083 2015/07/28(Tue) 19:19:35

 まずは「現実世界における前進」へとしっかり努力するのが、全ての始まりになる、と。趣味の会話の共有など、現実行動を模索することからになることが、優先で良いという話。

  心の未熟によりそうはできない自分という壁に出会い、心が崩壊し、やがて自らにストレスをかける必要もなく、前に進み得る心が自分の中に芽生えていることに気づく、という流れ。

  現実世界を行っていくとのこと。参考になりました。
 島野さん、ありがとうございました。



(No Subject) / natu 引用
No.1079 2015/07/26(Sun) 13:11:02

うれしさ」というより、「怖さ」からということになると思います。
良く聞く話で、普通の相手とは気軽に話ができても、本当に好きな相手と話そうとしても緊張してできなくなるという話でイメージできるかと思います。また怖くて近づけないなど。

理解のポイントとしては、本当に好きな相手への感情は「魂の感情」であり、相手とうまくできないことに対しては、「怖れ」を抱く。
一方、利己的打算的に好きな相手(たとえば相手の外見や財産とかで)への感情は「自意識の感情」であり、相手とうまくできないことに対しては、「怒り」を抱く。
この違いです。

>また、魂の成長のために、起きていることなのですか。

そうですね。「魂の感情」をしっかりと自分自身で受けとめるごとに、「自分から愛することができる」という「心の豊かさ」が増大する。これが「魂の成長」です。

それは相手との現実関係の成就を必ずしも必要としない。というかむしろ逆に、「現実関係の成就」とは別の世界に、それがあるというのがハイブリッド心理学の見出す道です。
2段階的に、と言えるものとしてです。
まず「現実関係の成就」が壁につき当たった時、相手への自分の感情が「魂の感情」なのか、それとも打算的な「自意識の感情」だったのかが、見えてきます。
そしてそこに「魂の感情」があるのであれば、それを自分自身で受けとめる一方、次にそれを受けての相手との関係は、あくまで再び現実的で具体的な「楽しみの共有」「生活の共有」の観点で考える。
そうして、「魂の感情」を自分で受けとめ「魂の成長」に向かうということが、「現実世界」とは別の「魂の世界」でのことになってくるのが見えてくる、ということです。


「魂の成長」のための「現実の世界」での相手との関係

といった話を前提に、

>考えるのを止めたとありますが、止めない選択では、どう成長できると考えられますか。

ですが、まず上記の「女性タレント」の話では「恋を遠ざけることを選んだ」ということであり、考えるのを止めたというより、彼女なりに考えた結果、相手と距離を置くことにした、もしくは恋愛とデートという人生活動そのものに距離を置き、別のもの、つまりタレントの仕事に専念することにした、ということだと思います。

とうことで、「現実世界」においては、相手と、あるいは恋愛そのものと、距離を置くことにした、ということですね。
一方「魂の世界」でどうかは、その女性タレントの言葉の中では語られていません。まあ言葉の後の「大粒の涙」というのに、それなりに「魂の世界」での「受けとめ」があったと察していいのではと思います。

とうことで、まずは「考えるのを止めない選択でどう成長できるか」という問いは、しなくて良いかと思います^^。
つまりその女性タレントのケースでは「魂の世界」と「現実の世界」の両方でしっかり成長した経緯を語ったのが、それらの言葉ではないかと。

ポイントは、恋愛に距離を置くことが、「魂の世界」と「現実の世界」の双方での成長になる、そんな人生の時期もある、ということですね。
「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」における、「未熟の愛からの旅立ち」に該当する時期です。

ちなみにその女性タレントとは実はベッキーで、『金スマ』で見かけたものです。入門編下巻の原稿にしたのが6年前の2009年。つまりまずはベッキーが10代後半くらいの時のことを話していることになると思います。
そして10代後半くらいの時の恋愛というのは、得てして、互いが好きという感情がどう一致するか以外のことが見えない、とても未熟なものであることがあり、それに虜になることは、心の成長をむしろ妨げることもある。「恋を遠ざけることを選んだ」というその選択は、その点で誤りではなかったのでは、というのが僕の考えです。
それを『入門編下巻』の上記文章の続きとして、こう書いた次第です。
======
 彼女の選択は特に間違いではないでしょう。また、彼女の涙には真実があり、もし嘘があるとすれば、それは「恋をしなきゃ」と言う回りの言葉の方でしょう。しかしその涙の先にある壁は、私たちの通常の意識世界のままでは越えることはできないのです。
======

ちなみに「その涙の先にある壁は、私たちの通常の意識世界のままでは越えることはできない」という言葉の先に、『入門編下巻』のその後の難解な部分がつながっていくのですが、一言で、「心の死と再生」を含めた「命」の力が、壁を最終的に越えさせる、という話だと理解しておいて頂くと良いかと思います。いずれにせよ難解ですが^^;

いずれにせよ、「魂の成長」のために、「現実関係」をどう続けるかはもうケース・バイ・ケースですが、一言で、「魂の感情」を見捨てないだけの相手との関係も、「現実世界」で続けられるといい、とは言えますね^^。


 
Re: / natu 引用
No.1081 2015/07/26(Sun) 14:03:47

送信ミスです。
 失礼いたしました。

 作成、コピー時、知らない間に、送信されていることを、後で分かりました。



(No Subject) / こたろう 引用
No.1077 2015/07/20(Mon) 21:29:29

ある価値を生み出す事によって何も生み出さない人間、あるいは生み出している価値の大きさによって打ち負かす、という感覚はどう整理すればいいのですか?

生み出す自尊心、愛され自尊心、打ち負かし自尊心は対立した別のものと理解してましたが
上記のような感覚があります。


 
価値観への取り組み^^ / しまの 引用
No.1078 2015/07/26(Sun) 11:45:45

まず、

>生み出す自尊心、愛され自尊心、打ち負かし自尊心は対立した別のものと理解してましたが

「対立」というより、多少とも「混在」する形で、どれにより重きを置いていくか取り組みになる、と言えると思います。
「未熟」というスタート地点では「愛され自尊心」「打ち負かし自尊心」占めており、「生み出す自尊心」見出していくのが成長方向、という話。
ただまあ「愛され自尊心」「打ち負かし自尊心」いきなり否定しようとするのは無理があり、それを多少バネにして「生み出す」ことに向かえればそれも良し考えるのが実際にマッチすると思います。

>ある価値を生み出す事によって何も生み出さない人間、あるいは生み出している価値の大きさによって打ち負かす、という感覚はどう整理すればいいのですか?

これもやはり「感情と行動の分離」一貫とした取り組み変わりはなく「感覚」「感情」については「ただ流し理解する」というのが整理仕方であり、その上で、それに流されることなく外面行動法などを検討するという取り組みになります。
その感覚とは、人に勝ちたいという衝動であり、「打ち負かし自尊心」表れということになるかと。
これが内面感情理解

一方外面行動としては、人を打ち負かすという感情流しておいて、外面において本当に生み出すものがあるのであればそれ自身は良しとして、生み出すことに向かうという選択十分可能かと思います。
これは「価値」と言っている内容そのものいかんになってきますね。

以上内面感情理解と、外面行動法の検討
加えて、「自尊心とは何か、どのように高めることができのるか」という「思考」日ごろ持つようにするのが、価値観そのものへの取り組みになります。

以上ざっと取り組み視点など。感情理解行動法検討思考と総合的な取り組みになりますね^^。



「人と接する技術」を要求される場合 / 引用
No.1056 2015/06/02(Tue) 15:23:16

お久しぶりです。
仕事への向かい方に関するご説明を読んでいる途中で疑問点が生じたので、ご質問させていただきます。

事例集の中にあったご説明の、
「ハイブリッド心理学的に、心の深層感覚について指摘したいのは、技術習得作業に向かうということ自体が、何か「人に向かう」ことであるかのような感覚を持っていないか、ということです。
技術習得作業であるとは、その対象は人ではなくモノだといういことです。しかしそのモノの向こうに、人の表情がある。そんな感覚。」
という部分に関して、技術系の仕事については納得いったものの、接客や営業などの、技術習得作業そのものでダイレクトに人を相手にする場合は、どういう感覚が健康な状態になるのでしょうか。あるいは、「店舗のPR作業で仕事中変な人に絡まれない技術」なんてのもあるのでしょうか?店舗のPCや作業道具の修理に関しては、かなり気楽にやれるようになったのですが…。

私個人の場合、そこがよくわからない状況がずっと続いているのもあって、未だにバイトへの苦手意識やストレスが続いてます。ただ、何となくこれは改善が必要なのではないかと感じている自分も居るので、仕事を変えるにしても変えないにしても、課題にはなると思ってます。
よろしければそのあたりのご説明を頂けたらと思います。


 
「絡まれることのない接客や営業」^^ / しまの 引用
No.1058 2015/06/07(Sun) 16:21:08

>接客や営業などの、技術習得作業そのものでダイレクトに人を相手にする場合は、どういう感覚が健康な状態になるのでしょうか。

まずはごく基本概念的簡潔にしますと、何か商品を扱う接客営業であれば、
1)商品についての知識スキル
2)接客の対人姿勢およびスキル

という2面双方について、向上に真摯に取り組む、という意識がまずは健康なものになると思います^^。

その2面しっかり習得できることが重要になりますね。片方で他方をカバーしようとなどせず。商品知識完璧だからと言って、接客気配りをおろそかにしたり、商品知識不足接客スキルカバーしようとなどせず。

>「店舗のPR作業で仕事中変な人に絡まれない技術」なんてのもあるのでしょうか?

上記2面全てにおいて、何か不備不具合があれば、それが絡まれる要因なり得ると思います。その要因は、一言でいって星の数ほどということになると思います。
ですので絡まれるようなことがあれば、まずはその原因を自分で把握でき、改善向上の方向性を見出せることが重要になりますね。そうして要因全て克服していくという地道な積み重ねに、「絡まれることのない接客や営業」築かれるということになるかと^^。

絡まれる具体的場面など書いて頂ければ、一つ一つ具体的僕から見てアドバイス可能かと^^。


 
Re: 「人と接する技術」を要求される場合 / 引用
No.1059 2015/06/08(Mon) 22:51:13

 ありがとうございます。
 アドバイスを元に絡まれる状況を切り分けてみましたが、よくよく思い返してみると、PR作業で店に興味を示してくれたお客様から反感を持たれるケースはかなり少なかったようです。お客様への対応ミスで起きたトラブルは、少なくとも最近はほぼ無かったと思われます。

 PR作業は店の外でやることが多く、店に興味を示さない通行人とも接点がかなり多いため、問題なのはどちらかと言えば、「変な人に絡まれる」というフレーズが自分の言葉で出てくるあたりからも、売り上げに関係のない人…具体的に言えば、酔っ払いやヤンキー、自称暴力団関係者(高確率でハッタリ)等の年配のチンピラに目をつけられやすく、喧嘩腰で難癖をつけられるなど、他のスタッフに比べてよく絡まれることのように思えます。最悪の場合は警察を呼んだりもするのですが、そのことによって作業効率が落ちてしまい、神経も削りますし、時間や労力のロスに繋がってしまいます。
 運の問題として片づけてしまえば簡単なのかもしれませんが、そういうものに全く絡まれたことのないスタッフも居るため、やはり何らかの差があるのではないだろうか、という風に思えます。
 絡まれたことのないスタッフに秘訣を聞いてみましたが、本人もよくわからないとのこと。物理的な違いと言えば、その人が学生で若いということや、顔などの見た目が私よりも整ってるということでしょうか。

 こうやって考えていくと、仕事としての問題というよりもむしろ、日常生活の中でガラの悪い人に絡まれやすいという問題点なのかもしれない、とも思えます。幼少の頃からヤンキーに絡まれやすく、よく苛められていましたので。
 日常生活との違いと言えば、絡まれても基本逃げられないことや、看板を持って原色の法被を着ることを義務付けられているため目立たない格好をするわけにはいかないこと、ではあります。
 こういう中で、無用なトラブルに巻き込まれないために行える行動というのはありますでしょうか?


 
「街頭営業で絡まれない基本姿勢」^^ / しまの 引用
No.1064 2015/06/18(Thu) 10:05:03

これはまず考えられるのは、
「絡まれるという意識が原因で、絡まれる」
といったものになるかと^^;
つまり、「相手を悪しき不快なものと見る目線」が、相手怒りを覚えさせ攻撃をふっかけられてしまう、というもの。

>日常生活の中でガラの悪い人に絡まれやすいという問題点なのかもしれない、とも思えます。幼少の頃からヤンキーに絡まれやすく、よく苛められていましたので。

というのについても、「いじめ」などももちろんどっちが悪いかと言えば「いじめる方」「悪い」のですが、「いじめられる方」にもどうしても「いじめ」などを「呼び込んでしまう特徴」があるというです。そこから考えると、克服が見えてくる。
今回の話についても、

>PR作業で店に興味を示してくれたお客様から反感を持たれるケースはかなり少なかったようです。

ということは、接客モード入るということかと。となると考えられるのはまずは上記1点です。「相手を悪しき不快なものと見る目線」受け取られ得るものを、相手に向けてしまっているのでは、と。

まあこう聞いてまずは「そんなつもりはない」思われるのではと推察しますが、重要なのは、「相手を悪く見る目線は送っていない」という消極形ではなく、「相手を悪く見る目線とは全く異なる姿勢と行動法を持っている」という、積極形有無です。
後者ないと、「ごく自然な振る舞い」さえ、相手から「悪く見る目線を向けられた」というものに転じる可能性がある、ということです。

具体的どういうことかは、まず以下トピック読んで頂くと良いかと思います。基本的な考え方同じになります。
『暴漢に襲われた友人』 コジマさん No.765 2014/01/22

それを今回のお話アレンジすると、どうやってそうできるのかといった細かい話は置いといて、
「街頭営業で絡まれない基本姿勢」としては以下のような要点のものになるかと。

1)表情の基本
イベント服を着て街頭に立った瞬間から、「素の自分」ではなく「街頭営業マンとしての自分」表情切り替える
道行く人に向けて、「私はあなたに特別な意識は持っていません」というメッセージとなる表情。まずは少しだけ口角を上げた微笑でいるというのが基本になるかと。

2)接客モード以前に相手を「見ない」
実際に接客する時以前に、相手を見ない。これはつまり、実際に営業接客に入る相手そうでない相手かを、その相手を「見る」のではなしに判断しなければならないということ。その判断相手「見る」のはアウトだというのが僕の意見になります。

>酔っ払いやヤンキー、自称暴力団関係者(高確率でハッタリ)等の年配のチンピラに目をつけられやすく、

ということは、接客モードになる「相手を見た」からこそそう感じたのではと。次のポイントとも重なりますが、そうした「人物レッテルイメージ」を持って接客モードになる「相手を見て」しまっては、絡まれてしまう様子容易に想像できる次第^^;
「人物レッテルイメージを捨てた意識」と合わせ、接客する相手かどうか判断を、視界の中央ではなく周辺で捉えた相手の様子などで行うのが、キモになると思います。

3)人物レッテルイメージを捨てる
書いて頂いたような「酔っ払い」「ヤンキー」「チンピラ」といった、まさに人物レッテルイメージ捨てた意識でいる。医者患者に接する時、そうしたイメージが意味を持たないように。
一般に、特定の共通目的下において、そうしたレッテルイメージは消えると言えます。スポーツなり、災害援助活動なり。そうした、「目的」を意識することでレッテルイメージを捨てる意識どう持てるか。
さらには、どんな人にも仲間意識を持てるような心の境地を、どう自分の中に見出すか。もちろんこれは「そう感じるようにしてみる」といった小手先の話ではなく、10年20年人生の歩みとして、自分の目標にできるかさえ不明瞭遠望するというところからになると思います。

まずは以上のようなポイントになりますね。「そんな考え方はとても・・」と感じるような話かも知れませんが、実際のところ、今の僕ならそれができると考えながら書いたものであり、一方、30代までの僕にはちょっとできなかったであろうと感じるものでもあります。
「そんな考え方はとても・・」と感じるような、思いもつかないような別世界思考たたき台にしてこそ、自分を変えるための方向性検討もできるのではないかと思いますので^^。


 
Re: 「人と接する技術」を要求される場合 / 引用
No.1066 2015/06/20(Sat) 15:09:45

ありがとうございます。非常に参考になりました。
まず、街頭営業という言葉の使い方が珍しくて驚きました。
世に言う「キャッチセールス」として、大抵は忌み嫌われるものだという印象を持ちながら作業していたので、こういう言葉を使われると、いかにも「まっとうな仕事」という感じがしてきます。
また、「絡まれやすい」ことを悩みに挙げてWebで質問されてる方は結構いらっしゃいますが、今回のように明確なアドバイスを頂ける場面は貴重だな、と感じました。
自分でも検索をかけて調べてみましたが、大抵は「気にするな」程度の精神論的な答えしか出てなかったようなので。

>「そんなつもりはない」と
思う事態は、非常に都合のいいタイミングで内面との向き合いが起きたため、回避出来たようです。

順を追って、その経緯を考えてみました。

先々月から数回、カラオケ好きで歌の上手い同僚にカラオケ屋に連れて行かれたり、それによって耐性がついたため、以前Webで誘いのあったカラオケのオフ会に先月参加したりと、人との関わりに入っていく機会がありました。どちらかと言えば受け身な形での交流ですが、まだそういう段階なのだろうと自分では思えます。ハイブリッド心理学に戻ってくることがなければ、あれこれ理由をつけて誘いを断り、一人で居ることに専念した可能性もあるので、自分にとって面倒でない関わりを遠ざけなくなったのは、それだけでも収穫かもしれません。
先生にご相談した後も、絡まれにくくなるような情報は何か無いかとちょくちょく検索をかけていたのですが、ふとTwitterを眺めているうちに、「この二つの交流がなかったら、今も一人で歌い続けてただろう。特に同僚が居なければ、オフ会に参加する度胸は付かなかったかもしれない」と、涙ながらに思い浮かべることがありました。
翌日の作業中、以前態度の悪い警官から詰問口調で声をかけられたのを思い出し、「こちらは異業種のキャッチとは違って、付き纏ったりしつこい勧誘したりしてねえっつーの。あいつら、ハナっから仕事やってる人間を悪者扱いしやがって…」と内心で毒づいたりしていましたが、ガラの悪そうな通行人が視界の端っこに入った時に「あの態度の悪い警官と同じ視線を、俺はあいつらに向けていた」という自覚を初めて持ちました。
カラオケによる他人との交流と悪者扱いの感情は、一見関連性の無い話ではありますが、私の内面では、オフ会で初対面の人々と関わる中で、他人というものへの見方を僅かながらも変化させ始めるキッカケがあったように感じられました。若い頃の人間関係のような「馴れ合いのための馴れ合い」や「集まりのための集まり」というものとは違い、共通の楽しみというものが明確に見えた中での集まりだったのが良かったのかもしれません。

ということで、上記の経験や内面の気付きにより、
>「相手を悪しき不快なものと見る目線」
に関するご指摘への抵抗感は、偶然にも薄れ始めていたようです。

自分の内面に起きた現象と今回のアドバイスを合わせて思い浮かんだこととして、「全く絡まれたことのないスタッフ」と私の根本的な違いに挙げられるのは、その人が「昔は結構やんちゃなこともしていた」と話してた点に収束されるのかもしれません。自分にそういう経験があれば、特にそういう目線を向ける気にもならないものでしょうから。
これも一つの「善悪の解体」に繋がるという実感があります。先生のブログのご説明で「依存からの抜け出し」のために非常に場数を踏む必要があるのだというのを認識しましたが、「善悪の解体」で場数を踏む必要があることも今回の件で認識し、「この取り組みは、自分が生きてる間に終わるのだろうか?」という疑問も浮かんできました。否定型価値観から抜け出す前にお迎えが来そうだな、と^^;
恐らく、以前軽く書き込んだ全般的な焦りはそういう風に起きてるのかもしれません。

アドバイスの内容に関しては、2)までの項目は、ビジネススキル、或いは防衛手段の確立法として抵抗なく読めました。
3)の問題としては、「野放しにしていたら死角から殴りつけられるかもしれない。最悪不意打ちで殺されるかもしれない」という感覚が付き纏います。何の特徴もない人が、不意に刃物を持って暴れまわるご時世ですので^^;

カラオケの声域を広げるためにボイストレーニングの情報を漁ってる時に、口角を上げた方が声の出が良くなるというのを見つけたことがあったので、1)は、従来は接客の中で声の出方が悪い時だけ意識していた感があります。
表情はお客さんにだけ取り繕っておけばいいや。あとの連中は知ったことじゃない、と^^;
ということで、1)は自分の身を守るためという考えで、随時実践することに致します。

2)については、自分のPR作業を細切れにして、「基本モード」と「接客モード」の境目を考えてみました。
A:近づいてくる通行人を確認
B:「お願いします」と、割引券を差し出す
C:受け取ってくれたら「ありがとうございます」
D:何か訊かれたら対応する
こう考えると、「接客モード」であるべき場面はCとDだけになりますかね。しかも、相手を「見る」必要性が強いのはDで、Cは自分から割引券を貰いに来た場合など、必要に応じて、という考え方も。
経験上、CやDの頻度は作業時間全体の中でもかなり低く、相手を「見る」ことはあんまり無い、というのが分かってきます。
問題はBで失礼な態度を取らないことになりますが、深々と頭を下げながら配る、という方法が使えそうだと思えました。これなら目線が合わなくても不自然な感じにはならなそうなので。

まずは、アドバイスを参考にしたやり方で様子を見てみます。


 
ごく補足^^ / しまの 引用
No.1069 2015/06/21(Sun) 18:30:24

ごくごく補足^^。


>「善悪の解体」で場数を踏む必要があることも今回の件で認識し、「この取り組みは、自分が生きてる間に終わるのだろうか?」という疑問も浮かんできました。否定型価値観から抜け出す前にお迎えが来そうだな、と^^;

「急がば回れ」ではありませんが・・というかそのものですが、ハイブリッド心理学の「選択」とは逆のものを自分が選んでいることをしっかり正確に把握できることが、実はハイブリッド心理学の「選択」に向かうための最短の道だと理解頂いていいようなになります。

例えば、

>以前態度の悪い警官から詰問口調で声をかけられたのを思い出し、「こちらは異業種のキャッチとは違って、付き纏ったりしつこい勧誘したりしてねえっつーの。あいつら、ハナっから仕事やってる人間を悪者扱いしやがって…」と内心で毒づいたりしていましたが、

「毒づく」というのはかなり典型的「打ち負かし自尊心」持ち主行動パターンです。自身がそうであると自覚できるか
そこから、「自尊心価値観」として「価値の生み出し自尊心」自分は目指すのか問う。そしてはっきり目指すという心境変遷があり、さらにその具体的行動日常生活100%に近づいた時、「信仰」思考についても問うといった道筋を経て、「否定価値の放棄」問えるという道のりになります。
そうした道のり理解と合わせ、自分が逆の選択をしていることの把握ができることが、最短になるというになります。
人生まるまるかけてどこまで行くか長い道のりであることに変わりはない話かと思いますが・・^^;


>3)の問題としては、「野放しにしていたら死角から殴りつけられるかもしれない。最悪不意打ちで殺されるかもしれない」という感覚が付き纏います。何の特徴もない人が、不意に刃物を持って暴れまわるご時世ですので^^;

そうした用心捨てるわけではなく、実際のところ刃物持っているわけでなければ多少ガラの悪そうな人にも親しみを持てる心と、万一の無差別攻撃者用心する心、この2つ両方装備した心の状態というのが、一つの目標像になるというとして理解頂ければと思います。


 
Re: 「人と接する技術」を要求される場合 / 引用
No.1072 2015/06/23(Tue) 11:41:19

補足ありがとうございます。
親しみを持ちつつ用心もする。同時にというのは、残念ながら今のところは、漠然と思い描ける程度です。
用心、警戒するような相手には親しみを持つことは無理だ、というのが現状ではありますが、とりあえず、完成形として頭の片隅に入れておこうとは思います。

「打ち負かし自尊心」については、別のところでの自覚が顕著です。
商売敵のPRスタッフが近くで作業を始めた場合に、相手より良い結果を出そうと一時的にモチベーションが上がることなどは、まず打ち負かし自尊心が根拠になりえると思います。
あとは、今の仕事が社会のド底辺だという自覚があるから楽しめない。せめて標準レベルの社会的評価を得られるような仕事をしたい、という衝動も。
この場合においては、どうも手を出しあぐねるものでもあります。
今の仕事をしている根拠が、せいぜい生活費を稼ぐためのものでしかないので、そもそも楽しみを見いだせない、というところでもあります。お客さんを集めるという目的は把握していたとしても。
また、全般的に…ゲーム等の遊びごとでもですが、過程を楽しむことよりも、良好な結果が出ることを重視してしまう自分が居る自覚もあります。
「多少の余裕をもって相手に勝つ」ことで満足感を得ようとしている自分が居る。
今までいろんな場面を振り返ると、「かなりの余裕を持った状態、或いはこちらが有利な状態でなければストレスを感じる」という側面もありそうです。
そうでなければ、安全だと感じられない。或いは危険だという感覚が非常に強かった場面が多いかもしれない、と。
そうして、不利な状態を自覚すればするほど、「好き好んでこんなことやってるわけではない」という感覚が強くなっていった感があります。
この仕事でも、数字が出ず、通行人からはバカにされ、或いは頻繁に絡まれ、上司からは脅しに近い発破をかけられ、警察からもよく高圧的に声をかけられ、同僚のうちの誰かと衝突する、という状況が全て重なることもありましたが、そういう場面では、いっそ自殺して永遠の休息を得たい。好き好んで生きているわけじゃない、という感覚が非常に強かったです。来歴の中で言えば、家庭内不和と学校内での苛めが重なった時(…とは言っても学童時代の殆どですが)にも、そういう感覚が強まった覚えがあります。まあ、学童期は確かに味方が少なかったのだろうと今考えても思えますが、自分を取り巻く環境の全てが敵であるかのように感じられました。
初めてハイブリッド心理学に則った気付きを偶然体験した直前は、「自殺を認める宗教なんてモンがあってもいいと思うけどな。生き辛い人間が沢山居るから、年間数万の自殺者なんて出てくるんだろう。この世を否定する宗教があってもいいじゃないか」なんて感覚に陥ったこともあります。
根本的には、生きることを楽しめないという衝動かもしれません。「小さな良かったことの一つ一つに満足するのは負けな気がする。事実、世の中には危険な外敵が沢山存在する。そいつらに…ひいては世の中に敗北を認めることになる。まさに負け犬の落穂拾いじゃないか」と。実際、世間話の中で、内容はもう覚えてませんが、「それ、嬉しかったんじゃないですか?」と訊かれて、猛烈に反論しまくったこともあります。確実に「嬉しいと答えたら負け」という感覚がありました。
今回のアドバイスを参考にした結果まで含めて考えると「安全を正しく知る」ことが出来てない現れだとも考えられますが、また改めて、自尊心の項目を何度も読み返してみようと考えています。

相談内容に関してですが、アドバイスを受けてまだ実践は数日ですので、絡まれなくなったかどうかを判断するにはまだ微妙なところがありますが、作業内でかなり変わったところがあり、「どういうことなの…?」という感じで驚いてる次第です。
まず、割引券の配布枚数が大幅に増えました。あと、心なしか、割引券を差し出した時にバカにされる頻度が減ったように感じられます。
頭を下げることで印象が良くなったのか、それとも余計なところで目を合わせなくなったことでマイナスな印象を与えなくなったのか、どっちが影響しているのかは今のところ不明ですが、想定外かつプラスの副作用を生み出しているようです。
ただ、これは人通りの多い週末の結果だけなので、平日の様子も見ないと完全とは言えませんが。
マイナスの副作用として、上司にこの問題について相談しても「まあ別にそれで評価を下げてるわけじゃないし」だの「気にしなければいい」だのという返答しか寄越さなかったことに、ジワジワと腹が立ってきた感があります。
社員なら沢山のスタッフを見てきただろうし類似の事例はあっただろうに、ボーっと見てきただけかよ!と。
明確な理由も分からないままリーダーに祭り上げられてますが、他の不満点も考えていくと、上司の人物鑑識眼にも疑いの目が強まってきます。
まあ、真っ当な行動学が普及してればここまで生き辛くはなかったでしょうから、怒りをあらわにする気にはなりませんが。

全体的な配布枚数が増したあたり、ガラが悪いとまで言い切れないような通行人に対してまで、ガラが悪い人に向けるような視線を向けていたのではないだろうか、という可能性を疑ってもよさそうに思えました。
「こいつらは私に嫌な態度を示してくる」という感覚の中で、「相手を悪しき不快なものと見る目線」に受け取られ得るものを、普通の相手に向けてしまっているのかもしれない、と。
トラブルが激減して配布枚数が増加した状態が続くのであれば、俗にいう被害妄想的な状態を疑うのは有りかもしれなません。
そこで、一段階踏み込んで、目を合わせざるを得ない人にそんな目線を送っている可能性がある場合、それを防ぐ行動法というのを知りたくなりました。
基本は口角を上げた穏やかな表情だと思われますので、まずは意識しなくてもできるようになるまで意識してみます。


 
Re: 「人と接する技術」を要求される場合 / 引用
No.1073 2015/06/24(Wed) 17:02:54

 上記で挙げていったものについて、繋がりが見えましたので、連投失礼します。
 結局、学童期の「周囲は敵ばかり」という感覚に繋げて「それなら、自分を守るために敵は追い払わないと」という風になり、「追い払うためには打ち負かさないと」という発想になっていたのではないか、と。それならば、対人的に嫌なものが一気に押し寄せればすべてが敵に思えるのもまああり得なくはないなあと。
 まずは大元にある「周囲は敵ばかり」という感覚を本心から打ち破るような状況を作り出すのが順当のようにも考えられます。それを考えるなら、最近出来た人間関係は確かに風穴を開けるきっかけにはなったのかもしれません。あとは、「考えているよりも敵は少ない」というのを本心から分からせるための行動法。そういう意味では先日のアドバイスはかなり役立てることが出来そうです。

 あと、作業姿勢を変えてから思ったことですが、相手を視界の端で確認することに慣れていると、相手の特徴というのが目に入ってきにくい分だけ、ガラの悪さという情報があんまり強烈に入ってこないですね。このまま、「周囲は敵ばかり」という感覚に対抗できるものになっていけば、と思います。



魂の愛への望みについて / ヨム 引用
No.1062 2015/06/12(Fri) 20:29:41

 1、メール相談集、003について

 現実世界以外での、このような出会いがあった時に、結婚などされていても、他の方に惹かれることは、魂の愛への望みが深まり、成長に必要なことと考えられる。

 そして、現実の生活を離婚などで、生活を変える方もいらっしゃるとも考えます。
 別の方と、生活をしていくこともあるでしょう。また、シングルマザーを選択される方もいることです。

現実は、そのままに魂の愛を続ける方もいる。

 島野さんの言葉では、以下のように。

・その2つの世界を、しっかりと生き続ける。最後まで交わることのないその2つの世界 を、最後まで歩み続ける。魂の「自分から愛する気持ち」のためにあるものと考える。

・あまり性急にものごとを変えようとしてしまわない。
 そして多少は落ち着いてから、じっくり「現実」をどうするのがいいか、考えていけば いい。
 
・「現実世界」と「魂の世界」というものが別々にあり、まずはそのそれぞれを支えてく れる両者に感謝するのが良い、当面は何かを変えようとしなくとも良い。

・あくまで現実的で具体的な「喜びと楽しみの共有」さらには「生活の共有」として考え る。

 とあり、とても参考になりました。

 2、これまでの著書の文について。

「好きな方に会うと、赤子のようになり、話もできないくらいになってしまう」ため、その方のことを考えるのを止めたようなことが載っていました。

 このことでは、好きな方を目前にすると、ワクワク・ドキドキといううれしさの心境から、話が出来なくなるというものですか。また、魂の成長のために、起きていることなのですか。考えるのを止めたとありますが、止めない選択では、どう成長できると考えられますか。

 普通に話が出来る方を相手に選ぶ方もいれば、ドキドキする方を好きになる方もいて、ドキドキに耐えられなくて、止めてしまう方もいるようにも感じます。

 島野さん、回答をお願いします。
 
 

  


 
「魂の成長」のための「現実の世界」での相手との関係^^ / しまの 引用
No.1067 2015/06/21(Sun) 10:35:52

「魂の成長」

>「好きな方に会うと、赤子のようになり、話もできないくらいになってしまう」ため、その方のことを考えるのを止めたようなことが載っていました。好きな方を目前にすると、ワクワク・ドキドキといううれしさの心境から、話が出来なくなるというものですか。

『入門編下巻』以下の文章ですね(P.265)
======
 最近TVで見た話では、いつも元気一杯の美人タレントが、恋した相手を前にするとうまく話せなくなってしまうと語っていたのを、まさに愛の深淵だなと感じながら眺めました。
 その女性タレントは、恋を遠ざけることを選んだと言うのです。いつも元気一杯の、今の自分の方が好きだから、と。恋をしなきゃあと、沢山の身近な人が言う中でです。
 それを語った瞬間、その女性タレントから大粒の涙がこぼれます。その意味を、彼女自分でも説明できません。
======


「うれしさ」というより、「怖さ」からということになると思います。
良く聞く話で、普通の相手とは気軽に話ができても、本当に好きな相手話そうとしても緊張してできなくなるというイメージできるかと思います。また怖くて近づけないなど。

理解のポイントとしては、本当に好きな相手への感情「魂の感情」であり、相手とうまくできないことに対しては、「怖れ」抱く
一方、利己的打算的に好きな相手(たとえば相手の外見や財産とかで)への感情「自意識の感情」であり、相手とうまくできないことに対しては、「怒り」抱く
この違いです。

>また、魂の成長のために、起きていることなのですか。

そうですね。「魂の感情」をしっかりと自分自身で受けとめるごとに、「自分から愛することができる」という「心の豊かさ」が増大する。これが「魂の成長」です。

それは相手との現実関係成就必ずしも必要としない。というかむしろ逆に、「現実関係の成就」とは別の世界に、それがあるというのがハイブリッド心理学見出す道です。
2段階的に、と言えるものとしてです。
まず「現実関係の成就」壁につき当たった時相手への自分の感情「魂の感情」なのか、それとも打算的な「自意識の感情」だったのかが、見えてきます。
そしてそこに「魂の感情」あるのであれば、それを自分自身で受けとめる一方、それを受けて相手との関係は、あくまで再び現実的で具体的「楽しみの共有」「生活の共有」観点考える
そうして、「魂の感情」を自分で受けとめ「魂の成長」に向かうということが、「現実世界」とは「魂の世界」でのことになってくるのが見えてくる、ということです。


「魂の成長」のための「現実の世界」での相手との関係

といった前提に、

>考えるのを止めたとありますが、止めない選択では、どう成長できると考えられますか。

ですが、まず上記「女性タレント」では「恋を遠ざけることを選んだ」ということであり、考えるのを止めたというより、彼女なりに考えた結果相手と距離を置くことにした、もしくは恋愛とデートという人生活動そのものに距離を置き、のもの、つまりタレントの仕事専念することにした、ということだと思います。

とうことで、「現実世界」においては、相手と、あるいは恋愛そのものと、距離を置くことにした、ということですね。
一方「魂の世界」でどうかは、その女性タレント言葉の中では語られていません。まあ言葉の後「大粒の涙」というのに、それなり「魂の世界」での「受けとめ」あった察していいのではと思います。

とうことで、まずは「考えるのを止めない選択でどう成長できるか」という問いは、しなくて良いかと思います^^。
つまりその女性タレントのケースでは「魂の世界」「現実の世界」両方しっかり成長した経緯語ったのが、それら言葉ではないかと。

ポイントは、恋愛に距離を置くことが、「魂の世界」「現実の世界」双方での成長になる、そんな人生の時期ある、ということですね。
「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」における、「未熟の愛からの旅立ち」該当する時期です。

ちなみにその女性タレントとは実はベッキーで、『金スマ』見かけたものです。入門編下巻原稿にしたのが6年前2009年。つまりまずはベッキー10代後半くらいのことを話していることになると思います。
そして10代後半くらいの時の恋愛というのは、得てして、互いが好きという感情がどう一致するか以外のことが見えない、とても未熟なものであることがあり、それに虜になることは、心の成長むしろ妨げることもある。「恋を遠ざけることを選んだ」というその選択は、その点誤りではなかったのでは、というのが僕の考えです。
それを『入門編下巻』上記文章続きとして、こう書いた次第です。
======
 彼女選択特に間違いではないでしょう。また、彼女には真実があり、もしがあるとすれば、それは「恋をしなきゃ」と言う回りの言葉の方でしょう。しかしそのにあるは、私たちの通常の意識世界のままでは越えることはできないのです。
======


ちなみに「その涙の先にある壁は、私たちの通常の意識世界のままでは越えることはできない」という言葉に、『入門編下巻』その後難解な部分つながっていくのですが、一言で、「心の死と再生」を含めた「命」の力が、壁を最終的に越えさせる、というだと理解しておいて頂くと良いかと思います。いずれにせよ難解ですが^^;

いずれにせよ、「魂の成長」のために、「現実関係」どう続けるかはもうケース・バイ・ケースですが、一言で、「魂の感情」を見捨てないだけの相手との関係も、「現実世界」で続けられるといい、とは言えますね^^。


 
Re: 魂の愛への望みについて / ヨム 引用
No.1070 2015/06/21(Sun) 21:11:00

「うれしさ」というより、「怖さ」からということ。

本当に好きな相手と話そうとしても緊張してできなくなるという話でイメージ。

理解のポイントとしては、本当に好きな相手への感情は「魂の感情」であり、相手とうまくできないことに対しては、「怖れ」を抱く。

「魂の感情」をしっかりと自分自身で受けとめるごとに、「自分から愛することができる」という「心の豊かさ」が増大する。これが「魂の成長」。

2段階ポイントは、恋愛に距離を置くことが、「魂の世界」と「現実の世界」の双方での成長になる、そんな人生の時期もある。

「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」における、「未熟の愛からの旅立ち」に該当する時期。

女性タレントについては、タレント名から、イメージを持つことが出来ましたので、教えていただいて良かったです。

一言で、「心の死と再生」を含めた「命」の力が、壁を最終的に越えさせる、という話だと理解しておいて頂くと良いかと思。

一言で、「魂の感情」を見捨てないだけの相手との関係も、「現実世界」で続けられるといい、とは言えますと。

 島野さん、上記など考えさせられる話を聞くことが出来ました。本の内容の解説までしていただけました。ありがとうございました。

 現実世界で続けられるなど、自分の成長につながることは、挑戦して行くことも、加害であること再認識いたしました。


 
Re:  誤字あり / ヨム 引用
No.1071 2015/06/21(Sun) 21:14:24

> 「うれしさ」というより、「怖さ」からということ。
>
> 本当に好きな相手と話そうとしても緊張してできなくなるという話でイメージ。
>
> 理解のポイントとしては、本当に好きな相手への感情は「魂の感情」であり、相手とうまくできないことに対しては、「怖れ」を抱く。
>
> 「魂の感情」をしっかりと自分自身で受けとめるごとに、「自分から愛することができる」という「心の豊かさ」が増大する。これが「魂の成長」。
>
> 2段階ポイントは、恋愛に距離を置くことが、「魂の世界」と「現実の世界」の双方での成長になる、そんな人生の時期もある。
>
> 「未熟の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛に向かう」という「命の生涯」における、「未熟の愛からの旅立ち」に該当する時期。
>
> 女性タレントについては、タレント名から、イメージを持つことが出来ましたので、教えていただいて良かったです。
>
> 「心の死と再生」を含めた「命」の力が、壁を最終的に越えさせる、という話だと理解しておいて頂くと良いかと思。
>
> 「魂の感情」を見捨てないだけの相手との関係も、「現実世界」で続けられるといい、とは言えますと。
>
>  島野さん、上記など考えさせられる話を聞くことが出来ました。本の内容の解説までしていただけました。ありがとうございました。
>
>  現実世界で続けられるなど、自分の成長につながることは、挑戦して行くことも、課題であること再認識いたしました。




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