しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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接客におけるプラスαの生み出し方について / taka 引用
No.1142 2015/11/08(Sun) 00:06:16

下のこたろうさんのトピックに関連するかもしれませんが、私自身販売の仕事をしていて、原理原則的な行動だけでは通じず、プラスαの部分が求められていると感じています。
プラスαとはお客様が感じる嬉しさや楽しさ、安心感や満足感といったポジティブな感情です。
原理原則的な行動のみだと、場合によっては冷たい印象を持たれるかもしれません。
ハイブリッド心理学の基本姿勢が原理原則的な行動や論理的思考にあるならば、このプラスαの部分をどう考えるべきか考えています。
もちろん楽しみ喜びの共有といった面もあると思いますが、それを前面に出し過ぎると、仕事としてはフランクになり過ぎると思います。

販売の仕事でも商品の知識といった点では論理的思考が可能です。
例えばコットン製品の説明については、ワタと言われる植物の種の周りに生えている繊維からとれ、それに撚りをかけて糸にして、その糸を編んで商品ができている。コットンは繊維の中心が空洞になっていて吸水性がよく汗をよく吸い、吸湿性もいいため蒸れずに肌触りが良い。といったように論理的につなげることができます。
また接客以外の業務も棚卸しや返品時のレジ処理などは会社としての原理原則がありそれに従って対応できます。

しかしお客様相手になるとそれだけではいきません。
一応接客に関しても会社としてのマニュアルはありますが、それをそのまま実行しても相手の反応も十人十色であり、なかなかマニュアル通りには進まないからです。
声をかけられて嬉しい人もいれば、話しかけられたくない人もいます。
同じ商品を勧めて喜ばれることもあれば、全く無関心ということもあります。
人間が相手の場合、コットンのワタのような論理的思考の始まりとなる確実なものがなく、自分の経験からくる想像から論理を組み立てていかなければいけなくなります。
このお客様は年齢はこれぐらいで服装の雰囲気はこうだからこれを勧めたら喜ばれるのではないかといったように。

相手の心情やニーズを自分で想像してそれをもとにするためどうしても不安定で恐れ不安が生じてしまいます。
また相手の心情を想像することは一歩間違えると病みにつながると思います。
ちょっとしたことですぐに、この人は怒っているのではないかなど想像してしまうと恐れがでて対人恐怖的になるからです。

しかし接客におけるプラスαを生み出すには相手の心情に配慮する心遣いが必要になってくると感じています。
もちろんしっかりした商品知識や業務に関する原理原則のうえにです。

これを生み出すにはどうすればいいか。

私の考えとしては、仏教やハイブリッド心理学を学んだり、名作とされる文学や絵画などの芸術を通じて、多くの人間に共通しているであろう心理や美意識に対する理解をベースに、自分の体験を積み重ねて、人に対する論理的思考の始まりとなるベースの経験値を広げていくのが良いのではないかと考えています。

そのベースをもとに接客のアプローチなどを論理的に繋げていきまた試行錯誤しながらベースの経験値を増やしていく。
つまり帰納法的なやり方になってきます。
それでも絶対に確実になることはなくあくまで対人においては不安定さを受け入れて。

そして自分の心が健康になるにつれて相手の心情に対する理解も病みにつながるようなものから、
建設的な発想をベースに行われるようなものになるのではないかと。

というのが現時点での私の考えです。

何か考察などがあればよろしくお願い致します。



怒りの価値と恐怖の価値について / こたろう 引用
No.1107 2015/09/04(Fri) 21:40:33

やはり、価値観に取り組まざるを得ないという事で、
あらためてこの二つを考えています。


まず、やはり否定価値感覚が花盛りであり、
昔から世の中や自然環境への高い理想、思いやり、気遣い、決して失礼のないようにする事などにおいて、周りの低い意識の人を否定して打ち負かす事が、自尊心のベースであったことは
いえます。
そして、その同じ強度の否定の怒りが、相手に向けられるというイメージと、
恐怖感情の強度になっているという事。


怒りの価値は、以前のレスで、
「大切な人が、無知によって身を滅ぼそうとしている時に使う」
という時には一つの意味があるという事でした。

また、改善向上のためにはむしろ落ち着いた心境の中での思考や行動が有用であり、
怒りはそれを妨げる、という事がまずは基本になると思います。

これは確かに共感できます。

逆にいうと、変わってほしい状態がある上で、自分でなんとか出来ない巨大な仕組みにおいて、それを変える事が出来る立場の組織や人物に、怒りを向ける事には意味があるのではないかと思いました。

しかしこれは、怒りを抱く事の意味というよりは、
怒りを「見せる」事の意味にはなると思います。例えばデモやストライキ。ぞろぞろとたくさんの人がいる場合に、その人たちがとても冷静に穏やかな表情でいれば、その訴えを投げかけられている側は「変えなければいけない危機感」を持たないはずです。それは巨大な怒りによって、「罪悪感」などを煽る意味があると思います。
ただストライキでは、出勤をしないという行動は、怒りを使う事のない行動での抗議とも
いえるかもしれません。
さらに、同じように抗議を抱く人を収集する事において、「怒りの共有」が大きな意味を持っていると思います。都心の駅前で拡声器で声を荒げているような団体は、それによって署名を集めようとしていますよね。
まぁただ僕は、あの怒りでむしろ話を聞く気もなくなってしまう側なのですが・・・。


あともう一つ。関西の文化である「ツッコミ」はどうですか?
まず状況によるというお答えは当然だと思いますので、それをふまえた上で、です。
基本的にはプライベートですね。


それから、「恐怖」についてです。不安や恐怖をつかさどるのは偏桃体だったと思います。

http://gigazine.net/news/20101225_fearless_without_amygdala/

そこまで長い記事ではないので、こちらを読んでいただきたいのですが、
「恐怖」という感情がなくなると、好奇心という感情が優先し
危険である物に近づいていってしまったりするという記事です。
また末尾において、恐怖という感情がなければ種は絶滅するという議論はよくあります。


ハイブリッド心理学においては、現実における危険を避けるために、実際の危険度などに
ついて感情に頼らずに知性で判断するという事になると思います。
また、タヌキが固まってしまって敵に食べられてしまう例がありましたが、
物理的な危険、社会的な危険に関わらず、実際に危険が迫った時に、基本的に冷静で体がリラックスした状態でいる方が有効な
対処が出来る事には基本的に同意です。


ただ、僕の中に色濃くあるのは「現実においての危険度と同じくらいの危険を感じなければいけない」という価値観です。例えば最初に、わっと浮かんでくる恐怖感情があるとして、それを知性で現実においての危険度を適切に判断した後に、最終的にその判断に基づいた「このくらい危険」という恐怖感情を持つことになる、というのが僕の考えられる対処後の状態なのです。その最終的な恐怖感情がないというのは一体どういう事なのかがわからないです。ある意味、「危険度を感覚として持てる」という事に安心感があるのでしょう。
それがあるからこそ安易な行動によって失敗をする事は今まで避けられたし、今後も
避けられるだろう、という事ですね。

「現実においての危険度と同じくらいの危険」だと思っているものが、
かなり誇大なものである、という事はまずあります。
それを差し引いて判断するという場合、それを差し引いた強度の「恐怖」は
感じなければいけないというのが僕のこの価値観の上での考えになります。


ハイブリッド心理学の考えだと、そうではなく、
実際の危険度について知性で判断を下し、その結果の危険度について「感情」として
抱く事はないという事が最終目標になるのでしょうか?
全く危険ではない状態と、危険な状態で、感情の状態としてはほぼ同じ状態を
保つことになるのでしょうか?それでも実際に危険を回避したり、建設行動をするという
動機付けが持てるのでしょうか?


というのは、「恐怖」を感じる事がないために、現実において
これらの対処をするという発想を持てずに、大失敗をする人を何度もみてきた経験が
あるからこれが疑問として浮かびました。


 
「怒り」「恐怖」の克服価値観 最新ハイブリッド心理学整理^^ / しまの 引用
No.1112 2015/09/12(Sat) 09:18:48

考慮すべき視点ざっと整理してみました。以下7つパラグラフにて。まこのテーマについての最新ハイブリッド心理学そのもの整理ですね^^。
 1.議論の前提
 2.「怒り」「恐怖」の心理生理学的位置づけ
 3.「怒り」「恐怖」の社会行動学的位置づけ
 4.「怒り」「恐怖」への価値観
 5.「怒り」「恐怖」の克服
 6.「心の依存から自立への転換」による感情の方向変化
 7.視点の全体整理把握からの取り組み



1.議論の前提
内面取り組み最も基本的な実践になりますね。
 1)感情の種類とそれぞれの位置づけ役割を理解する
 2)自分の人生でそれをどう位置づけていくかの価値観に向き合う

と。
それに応じ、実際さまざまな感情が起きる場面への向かい方対処の仕方も、大きく変わってくるという話。

でまず議論をする前提として、上記
 1)については、心理学生理学から、知識としてのの真偽や正確さ問える
 2)について、真偽や正確さの問題ではなく、それぞれの人の、文字通りの価値観であり、あるいは「思想」とも言えるもの
というテーマ位置づけです。
もちろん後者人それぞれの自由です。


2.「怒り」「恐怖」の心理生理学的位置づけ
ということで、「怒り」「恐怖」について、1)心理学生理学からの理解としてハイブリッド心理学認識しているものを一言で書くと、

「怒り」 ・・・ 自分より強大もしくは同等と、怪我を前提に戦うために、体内代謝停止に近づけに集め、破壊攻撃への筋力パワー最大化するための感情
「恐怖」 ・・・ 対処不可能性のある危険遭遇した逃避行動促すための、危険察知血流低下などの生理的悪化を伴う感情
などと言えると思います。

ですので、「怒り」「恐怖」も、どちらも生物学的大いに役割があります。それがないと、生物種として存続できないと言えるようなものとして。
これについては、脳の扁桃体とかの話を書いているリンク記事が持つ認識と、同一になると思います。記事内容に、とくに異議を挟むものではありません。

一方、心理学生理学的理解として加えたいのは、そのように役に立つ側面同時に、害のある面役に立たない面があるということ。
まず両者とも、生理的に悪化状態を生み出すことです。そのではできるだけ短時間のうちに切り抜け、その感情を解除することが重要になります。継続的な怒りや恐怖の下にあると、心身健康を著しく損ないます。
「怒り」は、そうして心身健康を一時的に害する代わりに、破壊パワーを得るためには役に立つという、諸刃の剣です。
これが「恐怖」になると、役に立たない事態が起き得ます。これはよろしいかと。腰が抜けて、そもそもの目的の逃避行動ができなくなる場合がある。


3.「怒り」「恐怖」の社会行動学的位置づけ
そうしてまず心理生理学的事実認識について真偽正確さ踏まえたら、あとはそれらを自分の人生でどのように生かすものにしたいかは、もう人それぞれ自由価値観思想だというになります。
これについては、ハイブリッド心理学からはもう一切議論をするものではなく、ハイブリッド心理学が採用する価値観こうです、それに向かう道こんなものです、という説明するのみになります。

ですがその前にもう一つ、「怒り」「恐怖」人に向かって表現することがどう役に立つかという、社会行動学的な理解真偽正確さというテーマを言うことができます。
あるいはご質問この辺にあるかもと。
そもかくそれについてのハイブリッド心理学としての考えはこうです。

「人の動かし方」としてとりあえず考えられるもの命題とすると、

・怒りを表現することで、相手を動かせる?
これは相手怒りの表現怯える弱さがあり、かつ感情によって行動する人物であれば、そうできる場合もある。
に言えば、怒りの表現怯えない強さがあったり、原理原則によって、あるいは「楽しみ喜びの共有」によって行動しようとする相手は、怒りの表現では動かすことはできない
となりますね。ハイブリッド心理学取るのはもちろん後者になります。
一般に、怒りを表現して相手を動かそうとする行動法は、社会では望ましくない行動法として見られる傾向があります。ただ遠ざけられる結果になるか、程度がひどい恐喝などの犯罪行為として扱われる場合があります。

・恐怖を表現して、愛され守られる?(ご質問には含まれない命題かも)
これも相手情に厚く、世話好きな人間であれば、そうなれる場合もある。ただこれは怒りの表現に折れるというほど直接的にはいかず、「何が恐いのか?」という内容に目が向くというのが基本になると思います。
恐怖を表現して愛され守られようとする行動一般にどう見られるかは、これはもうかなり人それぞれの好み的な話、どんな性格が好きかの話になると思います。あまり意識的な恐がり表現になると、ワザと?と、恐がりとは逆のずる賢さに見えて敬遠される場合がありますね。
また自立と自助を重んじる価値観人物からは、恐怖を表現する人対しては、守ってあげたいと感じるよりも、自らを奮い立たせてほしいと感じるという、別の方向になります。ハイブリッド心理学が取る価値観これになってきます。


4.「怒り」「恐怖」への価値観
以上、「怒り」「恐怖」心理生理学的位置づけ、およびその表現行動社会行動学的位置づけについては、理解真偽正確さ議論できます。
に、それを踏まえそれらを自分の人生でどのように使いたいか、配分したいかについては、正しいか誤りかではなく、人それぞれ価値観であり好みであり、自由です。
まあタバコどのように良いか悪いか考え方については、医学的な正しさや誤り言えますが、それでも自分は飲みたい吸いたいというになれば、それはもうその人の自由というですね。
でもやはり当然正しい知識にしての選択お勧めできる、と。

ハイブリッド心理学価値観とは、ずばり、「怒り」「恐怖」については、人生を通してその根絶を目指すものです。そのための取り組みアプローチ展開するのがハイブリッド心理学です。
限りなくゼロに近づけるさらに言って、ゼロそのものにする。それを目指すものです。
そんなことができるのか?という質問に対して、ハイブリッド心理学では、エベレストの頂きのようなその目標へのと、その歩み方説明するまでを行います。あと事例多少紹介します。その全体を結構なところまで歩んだ事例としては私自身のものとして。
エベレストの登山ガイド作ったとして、これが本当に登れるのか?聞かれたら、人それぞれになりますね^^; 、と言ったになる部分もあるかも知れないのは、まさにそのままです。またそもそも登りたい思うのかそれぞれの自由と。
ただ実際エベレストに登る場合強靭な肉体必要として、ハイブリッド心理学場合は、強靭な精神力・・ではなく、地道な継続の根気強さ、というになるでしょう。


5.「怒り」「恐怖」の克服
そんな話はさておき、「怒り」「恐怖」根絶を目指すというその主旨と、アプローチごく手短に言うと、
「怒り」「恐怖」特に対人場面でのそれが、人生の不幸を生み出す代表的な材料感じるからです。それをなくしたい。まずは「怒り」「恐怖」自分にとって克服対象とする。これは自由選択として、そうします。

そのため、
・「怒り」克服としては、「怒りを用いない行動法」学び実践する。原理原則による行動法であり、「喜び楽しみの共有」による行動法です。そうした対処法困難な場合、問題場面からまず距離を置いて平静を回復してからまた検討、といった対処法になるでしょう。
重要なのは、怒りどう役に立つか立たないかというよりも、怒りではない、「楽しみ」「喜び」「安心」「愛」などのプラス感情をいかに増やしたいと望むかになるでしょう。そこに分岐路がある、と。

・「恐怖」克服としては、まず
 1)恐怖感情主観的な強弱によってでなく合理的、そしてできるだけ科学的な知性理性の目で、客観的な安全と危険判断し、それに対して自衛回避策取るという方向性の対処
 2)そうして正しく安全を確保した上で、それでも流れる恐怖「ただ流す」ことをする中で、恐怖根底から消えていくという心理過程を持つ。

というものになります。

ですので、

>知性で現実においての危険度を適切に判断した後に、最終的にその判断に基づいた「このくらい危険」という恐怖感情を持つことになる、というのが僕の考えられる対処後の状態なのです。その最終的な恐怖感情がないというのは一体どういう事なのかがわからないです。

についてコメントしますと、「知性で現実においての危険度を適切に判断」というのは同じですね^^。
「その判断に基づいた「このくらい危険」という恐怖感情を持つことになる、というのが僕の考えられる対処後の状態」というのがちょっと異なりますね。
まず、「危険判断に基づいた自衛回避行動を取る」であり、それにより危険消えれば、もう恐怖感情持たなくて良い、と。
またそこで恐怖にひるむよりも、自ら行動するという意志強く持つほど、恐怖感情消えます。恐らくここがポイントになるかと。恐怖感は、受け身の無力感表裏一体ですので。
つまり克服ポイントの続きとして、
 3)自ら能動的に事態に向かい闘うという意志によって、恐怖「覚悟」「前進力」という別の感情に変化する。
ということです。まこう一言で書いたものが、生易しいものでないんですけどね^^;

そうして最終的な恐怖感情がないというのは、
 ・一つの一つの恐怖場面を地道に克服し、実際にもう生きることの全体が安全に囲まれるようになることで、恐怖はなくなる。
恐怖心理生理学的位置づけで書いたよううに、「実際に危険に遭遇」してしまった場面で流れます。それを、そもそも遭遇しない段階で自衛できる生き方を築くわけです。
 ・それでも人生にある対処不能の不遇事態などについて、そこを自分はどう生きるかという能動的な「意志」「覚悟」によって、それは恐怖とは逆の前進力の感覚へと変化させ得ます。
という大きな2つによるものと言えるかと。


6.「心の依存から自立への転換」による感情の方向変化
まずはざっと以上が、「怒り」「恐怖」というものをどう理解し、自分の人生でどう位置づけるかについての、考慮ポイント網羅したものになります。
ハイブリッド心理学としては、それらの根絶を目指すという方向性になり、実際それが成し遂げられ得るもの考えている次第です。
で、そうした大きな方向性そのものについて理解納得なかなかできない場合、最後の検討ポイントとして、やはり心の基盤一番大きな命題である、
・「心の依存から自立への転換」
どう持つかという問題になってきます。

一言で、「心の依存」で、自分の怒りや恐怖を相手に見せつけることで良くしてもらう、という姿勢生まれ「怒り」「恐怖」感情そのもの価値があるような感覚抱くことになりがちと言えるかと。
これについては、まずは、
・「心の依存から自立への転換」によって、感情のあり方はどのように変化するのか
について、まず頭で知識を得て、それはどういうことか自分の心の中じっくり考えてみる、といった実践から始めるのがよろしいかと思います。
まずは以下が、そのための学びになるでしょう。
『概説』収録の、
5章 歩みの道のり - (2)真の前進へ
・「心の依存から自立への転換」
など。
そこに収録されている「「心の依存と自立」の根本影響 対比表」が、感情流れさまざま変化全体把握分かりやすいと思います。


7.視点の全体整理把握からの取り組み
ということで、「怒り」「恐怖」についての価値観検討のためには、
・心理生理学的な位置づけ
・社会行動学的な位置づけ
・それらの根絶を目指すという価値観とそのためのアプローチ
・その価値観の支えとなる「心の依存から自立への転換」という心の土台

といったテーマ全体把握してこそ、方向づけが決まってくる、ということになりますので、まずは上記全体把握からじっくり検討してみて頂ければと思います。

コメントとして返せるのは、一つ一つ、まずそうした全体の理解と納得として確認してみて下さい、というものになりますね。
書いて頂いたものの中では、

>例えばデモやストライキ。
>関西の文化である「ツッコミ」はどうですか?
>同じように抗議を抱く人を収集する事において、「怒りの共有」が大きな意味を持っていると思います。

まず「怒り」という言葉いっしょくたに言うことのある
・上記説明生理学的悪化を伴う怒りの感情
生理的悪化は伴わない、ということはごく思考想念レベルでの批判思考や観念
この2つのレベル心身の健康という観点ではもう全く違うものです。
前者有害であり、後者特に有害ではありません。
ですので、後者まで含めた根絶まで目指すというようなものでは、さらさらありません。これはよろしいでしょうか。

ですので、上記前者だけをここでは「怒りの感情」呼ばせて頂くとして、
デモストライキツッコミも、一言で、その行動正真正銘「怒りの感情」を行動化するというものでない限り、つまり平静な感情を維持して行われるものであれば、ハイブリッド心理学からも、また社会行動としても、何ら問題のあるものではないと思います(あくまで法に反しない行動範囲で)。
それが正真正銘「怒りの感情」でその行動をするという様子になってくると、反社会的「暴動」と見なされるなど、問題のあるものになってくる。
ツッコミも、愛着感とユーモアでやるのは大いに結構本当の怒りでやるとなるとツッコミというよりドツキとなり暴力行為になってしまう可能性もありますね^^;

>怒りの価値は、以前のレスで、「大切な人が、無知によって身を滅ぼそうとしている時に使う」という時には一つの意味があるという事でした。

上記社会行動学的位置づけで書いた通り、相手怒りの表現怯える弱さがあり、かつ感情によって行動する人物であり、まあだからでもありますが愚かにも自らを滅ぼそうとしている時、それに対し怒ることが役に立つこともある、というになりますね。
まあ一般的社会行動としてはまず出てこない話ですし、信頼関係が築かれているプライベート場面になりますね。そしてその信頼関係は、もちろんこっち側建設的行動法姿勢によってこそ築かれるものです。ということはまあ一言で、しっかりした親が、幼児下手な行動で怪我をしそうな時叱るというなどがまずは考えられるかと^^。
そしてこの場合、あくまで「怒りの表現行動」であり、実際怒りの感情不要です。
基本大人同士の関係考えるような話ではありません^^;


全体理解踏まえるとそんなということで、
とにかくまずは、全体理解から始めて頂ければ。そこから、疑問点等を、そのどこのポイント関わるかという整理から解きほぐし検討して頂くといいと思います。
それでまた分からない点等あれば、どのポイント関連します、という視点整理アドバイスからまた返していけますので^^。


 
Re: 怒りの価値と恐怖の価値について / こたろう 引用
No.1117 2015/09/18(Fri) 17:17:45

すごく納得のいく説明をありがとうございます。

生理的悪化を伴わないごく思考レベルでの批判思考や想念は、
根絶まで目指すものではない、というのは正直今までの理解とは逆でした。

以前「バカじゃないの?」というじゃれあいの言葉についてお聞きした時は
否定言葉なので完全にアウトというご回答でしたので・・・

まぁこれも、状況によりますよね。

例えば、「バカじゃないの?」とツッコんでほしくて、バカな事をした時は、
むしろそう言ってもらえて嬉しいというのが僕の実感です。
呆れられつつもつい笑ってしまった、というイメージなので、ここで想定している
ものには生理的悪化は伴っていません。


テレビでも、「人を傷つける笑い」とか「誰も傷つけない笑い」とかよく分類
されますが、この辺も紙一重ですよね。笑ってしまう時には、自分の価値基準の見下しが
含まれている事も多いです。以外と簡単なようで、複雑な問題ではないかなと思います。


 
Re: 怒りの価値と恐怖の価値について / こたろう 引用
No.1128 2015/10/15(Thu) 15:36:36

一応このスレッドにもコメントをいただきたいのですが、

『生理的悪化を伴わないごく思考レベルでの批判思考や想念は、
根絶まで目指すものではない』という部分に関しまして、

つっこみをはじめとして、今出したような例、また親密度の高い関係に
おける「じゃれあい」の中で出る思考レベルでの批判思考や言葉については、

自分ではそういうつもりで言ったものが相手には「感情レベルの批判」と
受け取られる可能性もありますよね。

逆にいうと、精神的に未熟であればあるほど、言葉に自身の軽蔑感情などを
投影して受け取ってしまうため、相手がごく冗談、つまりつっこみ程度で言った
「想念レベルの批判」の言葉を、自分は「感情レベルの批判」として受け取ってしまう
という事もあります。


社会人同士の関係では、つっこみ、じゃれあいなどをはじめとして、想念レベルの
批判思考は学生時代に比較すると減るんじゃないかなと思います。
やはり、お互いにこれは「感情レベルの批判」ではないという確かさを、積み重ねた
関係によって認識しているという事と、あるいは、形式的な関係や浅い付き合いの場合は
ぐっと飲みこむような「胸のうち」を、安心して吐露できる間柄であるという信頼感に
基づいたものだと思うからです。


ゆえに、行動法としてあえて想念レベルの批判を口に出す事は基本的には避ける
事を心掛けています。

難しい場面としては、
@ごく想念レベルの批判思考として、何かを素晴らしいと称えるが故に、同じジャンルの別のものを批判して盛り上がる、というコミュニケーションが結構よくあります。
書籍のタイトルなどでも、何かをたたえるようなタイトルもあれば、それがあるからこそ
何かを痛烈に批判するタイトルのインパクトによって、購買意欲を煽るものが多くあるように、やはり批判思考によって感情を共有するパワーはすごいんだな、と思います。

簡単な例でいうと、非常に高付加価値の肉を一度食べたら、
「もうスーパーの肉は食べられない」といった表現をしたり、
北アルプスに登ってみたら、「近所の山を歩くのとはスケールも気分も全然違う」
といった表現をしたり、という事があります。


他には、タモリさんの例を出すと、
「俺はウィスキーが好き。ワインなんて飲んでるやつは洒落臭い。」
「やる気のあるやつは帰れ」
などという台詞を残していますが、自らしっかりと積み上げた価値観に基づいた
このような批判思考は、魅力的にうつる事もあります。


また例えば女性の好みなんかについて、男同士で語り合う時も、
相違点について「いーや、それは違うね!」などと言い合うのは楽しいものです。


これらは、僕の実感では、「穏やかな楽しみの共有」の集団と比較して、
「和気あいあいと盛り上がる楽しみの共有」集団で多く発生する気がします。
これも勝手なイメージも含まれていますが、穏やかな楽しみの共有では、
ガーデニングや裁縫やハイキングなどの穏やかな趣味の集まり。
和気あいあいと盛り上がる楽しみの共有の集団では、ストリートダンスや、サーフィン、
ハードだったりにぎやかなスポーツ
などの趣味の集まり。


これは生活、思考など全体の「リズム」のスピード感などが、
好きなものを条件付ける事があると思うので、ある程度はあると思うんです。
血気さかんな人は、より激しいスポーツに自然に惹きつけられ、
そういう方は性格の面でもある程度の共通点があったりする。

また、反体制的なカルチャーをバックグラウンドに持つ趣味や音楽は、
それ自体に「批判的な色合い」を濃く持っています。
ヒップホップミュージックや、プロレスなどの格闘技もそうでしょうね。
活動自体には楽しみを感じるのに、その批判的な色合いを持った文化、カルチャー
には馴染めないというケースが僕にもあり、これは望みとしてどう処理すればいいのか
難しいですね。


いずれにしろ、それが「場の楽しみ」につながるだろうし、求められていると
感じる事があります。僕自身もそれを楽しんでいるような気がする事もあれば、それをあまり楽しいとは思っていないんじゃないか、
と思う事もあります。
幼少期までさかのぼると、ケンカなどしている友人をみて、何も批判せず、誰も傷つかずに、みんな仲良くできればいいのに
と思っていた僕がいて、今も「望みの断念」などで荒廃化した他者批判的な自己の底に、
そういう自分がいる気がします。
そして「和気あいあいと盛り上がる楽しみの共有の集団」では、
往々にしてこの「批判思考」を冗談にからめたコミュニケーションが自然なものとして
存在し、自らそれに合わせに行ってしまう事が、「嘘である」という感覚にさいなまれる
結果になる、という事が結構あります。


しかし、そういった類の方が多い分野の活動に、実際自分自身が
魅力を感じている事も多くあるのです。


想念レベルの批判思考を許容する事は、ある意味心の声においても批判思考を
採用する事にもなるので、「〜はダメでしょ」から「〜すればいい」に転換するという
ハイブリッド心理学のアドバイスに反する気がしています。

またそれと、上記のような「批判思考」をカルチャーとして持つ分野の活動が
自分の望みとしてある場合、どのように付き合っていくのかについて、
もう少しお話が細かく伺えればと思います。


 
具体的課題場面での整理^^ / しまの 引用
No.1130 2015/10/22(Thu) 09:27:50

ちょっと遅くなりました^^ゞ

・・とこれはちょっと問題テーマ自体不明瞭かもですね。
たとえば特定の外国文化との付き合い方であれば、その国の人結婚して親戚とのつき合い場面であったり、仕事場での対立場面であったりと、具体的場面ごとに問題課題設定でき、それぞれについて検討することになります。

それと同じで、どんな場面での、どんなことを課題とする問題の話かから、まず整理するとよろしいかと思います。
またそこで、内面感情問題外面現実問題自分の側の問題他人の側の問題、といった、さまざまな軸での整理もしていく。
そこから、自ず細かい視点展開されていきます。

検討頂き、また適宜新規トピックなどて質問入れて頂ければと^^。そこから「実践」始まりますので^^。



(No Subject) / SF 引用
No.1126 2015/10/10(Sat) 15:35:06

島野さん、こんにちは、いつもアドバイスありがとうございます。さっそくですが、何もかも分からないんです。自分はもちろんです。混乱、錯乱、怒り、失望、絶望、思考もなんとか30%位保ってる感じです。薬を飲んでもです。脳、心、魂、体、何がどうなっているんですかね。正直、生きてるだけで一生懸命です。こういうことは病んでる人は通るところなんですかね。僕の根性では非常に厳しいです。やり過ごすしか出来ません。疲れました。疲れましたと思っていいんですか。つぶやいていいんですか。分かりません。認知行動療法の本ですが、半分くらいしか進みません。しかも、分かりません。せっかくのアドバイスですがすみません。
前が全く見えません。訳が分かりません。
何かありましたらアドバイスお願いいたします。


 
認知行動療法^^ / しまの 引用
No.1127 2015/10/14(Wed) 07:13:24

自己取り組みでは難しい場合認知行動療法専門的に扱う医療機関カウンセリング援助を受けてみるのがお勧めになりますね^^。
それで多少とも落ち着きを得る中で、自己取り組み感触も得られてくるのではないかと思います。
ぜひ検討なされては^^。



つかざるをえない嘘の線引き / こたろう 引用
No.1121 2015/10/03(Sat) 17:01:02

お返事ありがとうございます。


就職の内定式を前にして、さらに大きな問題が出てきました。
以前相談させていただきましたが、僕は2年の休学歴があります。そしてその休学歴の言い訳が
出来ずに、バイトの申し込みすら出来ないと。
そのまま、就職活動を迎え、どうしようどうしようと思っていました。大学のセンターや地域の就職相談機関にも
心理的な問題で休学をした事実を持って、どう就活に望んだらいいだろうかと、相談しました。そもそも仕事をやれるのかどうか、学内のカウンセラーに相談してくれ、
ある程度エピソードを作ってもいいんじゃないか、等様々な視点からアドバイスいただきました。

嘘をつくのはやはり苦しい。できればつきたくない。そこから始まったのですが、
僕の中では結局「嘘をつかなければ、希望するレベルの内定は絶対にとれないだろう」という結論に至りました。

また、「ごまかす」と「嘘」は違いますね。ごまかす、のレベルにとどめられればいいと思いました。しかし、面接官の立場なら、
ごまかしを出来るだけ見抜くために質問を考えるに決まっている、と思いました。
であれば、深掘りされても答えられる「嘘」をつく必要があるという結論に至りました。

その抵抗感と罪悪感を消すために、一般的な就職活動について調べました。
すると、就活はバイトリーダーや体育会の部長が大量発生するだの、ボランティアくらいねつ造するのは当たり前だの、
ざくざくとこういう話が出てきました。「もはやそのくらいの事は人事も想定しているだろうな」という風に自分を納得させました。

その代わりに、自分の人格を大きく偽る事はやめました。
例えば、慎重であり、皆を引っ張っていくよりは、話を聞いて下支えするタイプであるとか、
多面的に、かつ深く物事を考えるタイプなので、周りからはよく考えすぎだといわれる、とか、
「人と打ち解けられない」というのは絶対に言えませんが、上のようなものは長所であり弱点でもあるという
お話をさせていただくようになりました。

さらにいうと、こういった部分が結構評価していただけて、エントリーシートなども、今年の応募者の中でも一番ポイントをおさえて
書かれている、というフィードバックをいただけたり、グループワークでも深い視点のアイデアが評価され、それを軸に
僕がまとめていく立場になる、といった事が意外と多くありました。

こちらのスレッドで答えて頂いたように、プライベート場面や、和やかな談笑などが上手くできない事を受け入れられれば、
実はある程度社会で活躍できるんじゃないかと、そう思えるようになりました。


だからこそ、「希望するレベルの内定はとれない」から「嘘をつく必要」に駆られました。
企業にとって、活躍してくれた社員に休職してもらう事にはコストがかかりますが、回復してくれる事を想定すれば必要な出費でしょうね。
ただ、うつ病や不安障害、あるいは病名は言わずとも耐えられなくなって休学した、などのエピソードがある人物を、
新卒で雇うのはやはりただのリスクです。人が本当に足りていない場合、あるいはその経験を経て現在むしろ仕事の出来る人間になれているような
エピソードがあれば別ですが。


具体的についた嘘は、
@本当は人が怖くなって精神崩壊した事がきっかけで休学した事を、もともと興味がある分野の勉強のために、それを行っている現場に直接足を運びたかったため一年の休学期間をもらったが、休学してから軽い事故にあい、自律神経が悪くなった。体調をよくするために整体をはじめとした色々な方法論を試みて、肉体的にも精神的にも元気になるのに一年くらいかかった。その後、本来やりたかった分野の勉強のために、現場で泊まり込みで、複数の場所でお世話になるために、なんとかもう一年休学させてもらった。あわせると二年間の休学になってしまった。

→実はこの分野の勉強については、実際に一度足を運んで講習を受けた事もあり、また本やブログで勉強をしていた。
 しかし、人の中に入っていく恐怖で結局一度しかいけていなかった。内容の質問については、熱意を持って答えられるため、面接でも問題なかった。
 また、泊まり込みで別の場所でお世話になった事も一度はあるが、それは休学前。そのエピソードをもとに、いくつかの拠点を回った事にした。
 また、診断書にはならないくらいの軽い事故が徐々に体調を悪化させた事にした理由としては、不可抗力で休まざるを得なかった事になる。また、診断書にならないようなものが中長期的に自律神経に影響があった、というのは診断書の提出を求められた場合に有効な言い訳になる。
 心の弱さや対人不安のエピソードと比べると、雇ったうえでのリスクは低いと思うはずであり、長期間休んだ事の理由としても悪くないと思った。
 
 
A休学前の一年だったアルバイトを、丸二年やったという事に。
  休学中は軽い事故にあって体調悪化していたが、アルバイトはなんとか続けていこうと思って週に数回で続けていたという事にした。
  一年では経験として浅いと思われるだろうという懸念からこういう風にした。

→これについてはおそらく一般的に誇張されるレベルなのであまり問題はないかな、と思っています。


@で問題として感じているのは、一カ月半ほど泊まり込ませていただいた事にしているが実際は一度講習にいっただけの所が、ある商品を持っていて、その商品についての価値を僕が熱く語らせていただいたのですが、それに人事の方がすごく興味を持って、実際にそことコンタクトをとる可能性が生まれてしまった事。
これは「バレるリスク」です。非常に不安ですが、コンタクトをとらないような方向に話を持っていくくらいしかバレないための方法は思いつきません。
さらにそのテーマの内容が結構ユニークで、人事の方がすごく面白い話ができた、入社を楽しみにしている、とまで言ってくれてます。これに関してはもちろんほかの内定者にも言っている事ではあるという可能性はあると思います。

また、さらに根本的な話で、バレなければいいわけじゃない、という事があります。
おそらく、入社後もそのエピソードの設定を自分でしっかりと記憶し、自らはその話をせずに、聞かれた時はそれに応じた回答を
していれば、バレないという事は不可能ではないと思います。
でも、それをしている自分が本当に嫌になります。特に相手の方が、良い方で、興味を持って話を聞いてくれればくれるほど、
裏切っている気持ちになります。おそらく入社後の研修で数か月人事の方にはお世話になるでしょう。世話になればなるほど、苦しくなるだろうとしか
思えません。そこまで小規模の会社ではないので、配属が決まればそこまで会う機会がなくなる可能性もありますが。

そんな思考に、「お前だって好きであんな形で休学したわけじゃないだろう。そのボトルネックのために、自分の可能性を潰すのか?社会はそんな自分を全部開示して
それでもお金を払ってくれるほど甘くないよ。だったら、今問題なく働けるようになればいいだろう」という反論が心に浮かびます。


これについての疑問です。

「嘘はどんな人でも生来的に嫌悪感を感じるものである。」という立場に立つとしたら、
上記の嘘を持ったままその嘘をついている方々と一緒に仕事をしていくのは自分にとって破綻につながるものでしかない、という結論になるかなと思います。
会社は働いてお金をもらうところだと割り切れればいいのかもしれません。しかし、本当にほがらかでいい方が多いので、だからこそやっていけそうだと
思えたという事があり、なかなかそうは思えません。

もう一つは、「自分の欠点や弱さを相手に受け止めてもらいたい」という、心の依存基盤があるからこその、
裏切っている気持ちである、という立場です。僕のようなケースに限らず、仕事をはじめてからうつ病で空白期間があいた、あるいは
定期的にある程度の辛さを伴うような持病がある、あるいは四年間本当に無気力に大学に通っただけであり、何も話せる事がない、過去に犯罪歴がある、など。
外面現実においてマイナス面を抱えてしまう場合はたくさんあるはずです。
それを開示した上で、雇ってくれというのは、そもそもそっちの方がお門違いなのかもしれないぞ、と。

なぜなら、それでも雇ってくれるところが、そういう方にとって働きやすい環境かといえばそうでないケースも多く思えるからです。
ホワイト企業はやはり、中堅以上の企業に多いです。人手不足の企業は雇ってくれるかもしれませんが、人が多くやめるような環境
だからこそ人手不足であるケースがかなり多いでしょうね。もちろん賃金もそれに応じて低くなってしまうと思います。

そういう場所から徐々にレベルアップ、これは専門性がすごく必要な仕事でない限り難しいのが現実だと思います。



今回の話をひとつ抽象化してまとめると、まず外面現実の嘘と、内面心理の嘘という視点があると思います。

今回は、「仕事がちゃんと出来る人間だ」と認めてもらうために、「過去の外面現実」について嘘をつきました。
ハイブリッド心理学の考えでいうと、内面心理については「自己開示」はしない事になりますよね。
つまり、あの時、どう思ったか?これを偽る事は問題ではないと思っています。
あえて開示しない事は嘘ではありません。もし、相手の方に質問をされた場合に、そうではない事を答える事は
一応嘘になりますが、それも仕方ないでしょう。
それを正直に言う事が、目的のためにならないとしたらです。

しかし、外面現実についてはやはり嘘はつかない事が望ましいという事になると思います。
それでもなぜ外面現実について嘘をつくのかといえば、内面心理についての嘘を支えるための証明、としての役割が
あると思います。思考や気持ちは、エピソードとして行動に現れている。そのズレを作らないために、過去の外面現実についても
嘘をつかなければいけない。そういう風に思ってるのに、行動が伴っていないじゃないか、あるいは反対の行動をしているじゃないか、と。



そして、行動の選択肢については

@土下座するくらいのつもりで謝りに行く。事実を述べ、嘘をつく必要があった理由も話す。しかしその上で、就職活動を通じて自分は仕事をしていける自信を持つようになった、
  述べた自分の性質については事実である、周りに負けないように本当に努力します、と伝える。その上で内定取り消しという判断になればもう仕方ないと思っている、と伝える。この選択肢をとる場合、取り消しになった場合に備えて、嘘をつかないでこれから他の会社で内定をとらなければいけない。

A入社して、ある程度仕事が出来るようになった段階で、死ぬ気で謝る。その代わり、本気で会社に貢献しますので、という姿勢で。

B必要な嘘だと割り切り、とにかくそこの部分の話が深掘りされないようにする。
  深掘りされた場合は矛盾のないエピソードを述べるしかない。



@を選んだ場合、芋づる式に自分の弱点について開示する事になってしまいそうなのが怖いです。
なぜそういう判断をしたのか、といった内面的な部分については、「仕事をする上で問題がないレベル」にやはり
脚色して準備する必要はあるのかなと思います。
しかしもう@を選びたいくらい申し訳なさと罪悪感で占められています。特に、人事の方が本当に優しく興味を持ってくださったからこその罪悪感でも
あると思いますが。これを抱えながら、研修や業務のための勉強をこなしていくのは非常に苦しい気がします。


最近本当に「未熟な自分でもいいから、なんとか世の中で自分を維持しながら成長したい。日の当たる場所にいたい、少しづつでいいから成長したい。」
という思いを本当に感じます。

今からでも、過去に精神的に調子を崩した事を開示しても受け入れてくれる企業を今の自分のレベルだととらえて、
なんとかそこを探す方がいいのかな、とも思ったりします。
しかしやはり懸念材料になるのは、そういう場所では成長が頭打ちにになり、自分の中にある他の部分の長所を活かしきれず、転職のスキルアップも難しい未来が待っているのではないか、という点です。
あるいは、そもそも人手不足でブラック要素の強い企業であり、体力的にも精神的にも負担が強くなってしまうのではないか、という事です。
実際、新卒の就職活動では、多少の嘘は企業側も調べようがなく、なんなら「嘘だとしてもつらぬきとおせる能力」も一つの
評価になるとか、内容よりもその場での印象が大事だとか、そういう話も聞きますが、
中途になると前職の履歴を偽ったりする事はすぐにバレてしまいますし、言い訳も困難であるという話も聞きます。

つくべき嘘の線引きについて、どうとらえたらいいのかヒントを頂けると幸いです。


 
「ついてもいい嘘」の原理原則^^ / しまの 引用
No.1123 2015/10/06(Tue) 22:29:43

手短早めに^^。

「ついてもいい嘘」の原理原則

これはまあ結論から言えば、

>B必要な嘘だと割り切り、とにかくそこの部分の話が深掘りされないようにする。深掘りされた場合は矛盾のないエピソードを述べるしかない。

いいんじゃないのーといのが僕の感想
・・と他人ごとのような安直コメント(^^;)から入りましたが、実際のところそこに重要ポイントがあります。

つまり「感情と行動の分離」実践として、
・外面行動については、他人ごととして客観的に考え得る「原理原則」明確にする
・その上で、主観的内面感情解きほぐし向き合いをする
という両面取り組み必要になる、ということです。

「嘘」についての原理原則を言うなら、まず嘘はつかないのが原理原則です。「つくべき嘘」などどいうものはない。
ただ、「ついていい嘘」ある^^;
違いが良く分からないという声が聞こえてきますが(幻聴ではなく空想です、と断る必要もないでしょうが^^;)、要は、「こういう場合にはこういう嘘が良い」などという積極的なものなどなく、嘘はつかない行動法というのがあらゆる場面一番手になるのであって、あくまで、行動法がうまく取れない窮余の策として、「ついてもいい嘘」出てくるという

そんな話はさておき、「ついていい嘘」原理原則は、2条件満たすものです。
1)一生ばれない可能性が十分にある
2)万一ばれても大きな問題は起きない

そうであれば、まずは「ついていい嘘」と言える。
この点、最近話題VWディーゼル車問題は、この原理原則を考慮できなかった、極めて愚かなものだったということになるでしょう。不正ソフトという現物があるのだから、いつかばれる可能性十分あり、万一ばれた場合嘘をついて避けようとした不利益(車の売り上げ低迷)はるかに超える損失を、嘘をついたことへの社会経済的非難として生み出すことになってしまった。

上記で書いて頂いたものについては、少々ボーダーラインにもあると感じます。なら、まずは上記原理原則内に収まるようなものに、万一今度その話が出る出るようなら全力を尽くして補正するしかない^^; 嘘としての重大性を、ミニマイズするように^^;
その点、こっちから自発的に「重大な嘘をついてしまいました」と言うのは、相手が内容を問わずに拒否感情反応を起こして聞く可能性もありますので、あまり得策ではありません。

そこで重要なのは、より正確に、問題の程度と性質を見極めることです。
つまり、就職にとってクリティカルな条件要素だったものについて、嘘があったのであれば、問題が大きい資格や、学課履修状況など。
一方、参考情報程度のものについての嘘があった場合話が蒸し返された場合に補正が可能あり得るサークル活動での活躍度など。
このどっちなのかによって、適切な対処行動法正反対とも言えるほど違ってくると思います。
一言で、前者場合内定取り消し覚悟で「自首」することです。それが人生で禍根を膨張させない最善策です。
一方後者場合「やりすごし方」ベストを模索するという自分からどうこうするより、相手の出方待つ相手がもう取り上げなければ、一切触れずに時間が過ぎるのを待つのが最善、と。相手の取り上げ方に応じて、内容を訂正し誤るというのも必要になるでしょう。


過去の精神的不調は人に説明する必要なし

まずはそんなところ基本的な考え方として、加えれば、過去の精神的不調正直正確に伝える必要はない、というのが僕の考えです。
なぜなら、正確に伝えようとしても、相手は正しく理解できない可能性があるからです。誤った先入観で解釈するかもしれない。
さらに言えば、そもそも正確にどういうことだったのか、本当に正確なことなど誰にも言えないのが、心の不調という現象です。だから、そこから自分で回復しようとする人間は、それについて他人にはもう何も説明する必要などないのです。

ですので、「うつ」による休学期間であれば、学校の就職相談も言ったように、多少ストーリーを作って話をぼやかすのもあり
精神的不調を隠すことに問題があるのではありません。事実ではない話を盛りすぎることには問題がある。

この原理原則をまずはしっかり踏まえて検討してみて頂ければ、というのをまずはアドバイスとしましょう。その線再度具体的ポイントについて何かあれば、僕としての個人的意見などもさらに言えるかと^^。


>こちらのスレッドで答えて頂いたように、プライベート場面や、和やかな談笑などが上手くできない事を受け入れられれば、実はある程度社会で活躍できるんじゃないかと、そう思えるようになりました。
>最近本当に「未熟な自分でもいいから、なんとか世の中で自分を維持しながら成長したい。日の当たる場所にいたい、少しづつでいいから成長したい。」という思いを本当に感じます。

大きな前進成長じゃーないですか^^。そうしたプラス側面だけ外との関係取り上げることです。マイナス側面自分の中だけに収めておけば良し^^。
社会の現場も、健康な人そうして動いています。



(No Subject) / SF 引用
No.1118 2015/09/20(Sun) 17:52:00

こんばんは、島野さん、認知行動療法の本、弟に買って来てもらいました。ですが、今の私の頭では理解が出来ません。アドバイス、ご返答いつもありがとうございます。それと質問があります。負のエネルギーみたいなのが身体中に流れます。タコみたいになって体をくねらせています。これは他人には迷惑をかけていません。疲れるけどそうせずにはいられません。これでいいんでしょうか。それと精神錯乱を起こします。これも流せばいいんでしょうか。認知行動療法の方はちょっと頭が回る時に読んで見ます。


 
「感情の揺れには一切関わりないもの」を持つことから^^ / しまの 引用
No.1119 2015/09/24(Thu) 10:36:36

認知行動療法については、自己取り組みが難しい場合に、医療援助受ける際お勧めになります^^。できるだけそれを扱っている医療機関当たってみるよろしいかと^^、ということで。まああまり数がないのが難点かもですけどね。

負のエネルギーなり精神錯乱なり、まあ「流す」しかないと思います^^; もちろんそれを行動化しては生活破壊になりますし、意識的努力で解消霧散させようとしても、ストレスが増すばかりにもなりがち。で「ただ流す」

重要なのは、そうした感情の揺れには一切関わりなく影響を受けないものとして、生活外面で保つもの持っていくことですね。
まずは3度の食事の時間といったことから。それを、病院内さらに自宅での生活の場面材料広げていく、というのがまずは取り組むいいものになります。
そうした「感情の揺れには一切関わりないもの」として安定させることで、荒れ狂う波「ただ流す」ことができるようになる、という次第です。

そうして、まずは安定した生活のリズム得るというのを考えると良いかと思います。そこまで行くと、そこから先がまた大きく広がりますので。まそれはまたその時に^^。




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