しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作、そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」を進めるためのポイントのヒントなどを、ここではごく簡潔にアドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 『
メール相談事例集』や『実践編』書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
●返答は入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。

ご案内 2023.6.1記

最近の島野は日々の生活そのものでほぼ完全に手がふさがれ執筆関連にまわす時間があまりない一方、時折ここで寄せられるご相談に対してまずできるアドバイスはほぼ同じものになるであろうことを感じています。
それをここで記しておきましょう。
それは、そのお困りの状況に関連して、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点をまず考えてみて下さい、というものです。
「ハイブリッド心理学の取り組み実践の観点から考えてみて」ではなく、です。
つまり、組み実践の観点から今の問題がどう克服されるかという答えにすぐ行くのではなく、この問題に関連するハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点とは何か、その観点としてハイブリッド心理学はどのように言っているのか、を再度確認し、自身の理解と納得を問うことを、行うのです。
そこで理解が正しく、納得が行くものであれば、自然と、では今のこの問題はその観点からはどう考えられるか、という検討思考に進むことができるでしょう。
一方、理解や納得が進んでいないまま、この問題は一体どう克服されるのかと、「取り組み実践」の思考を無理にそして性急に当てはめようとしても、空回りに、そしてもちろん「取り組み実践」として誤った考え方になりがちに思われます。
つまり一にも二にも、まずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて下さい。これが大抵、およせ頂くご相談への最初のアドバイスになります。そしてそれを考えてみて、こういうことかと、「取り組み実践」の観点そのものについて質問頂くと、理解と納得が進み、自然と問題克服への具体的応用思考へと進みやすくなると思います。

そして重要なことして、それぞれの方の問題の最終的な克服がどのようになるであろうかについて、島野は意見を言うことはできません。
それはハイブリッド心理学の「取り組み実践」が、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
にイメージ図示する、自分という車を運転して進む道のりだとして、島野がアドバイスできるのは、その個々の要素つまりハンドルさばきや地図の見方の基本といった、教習所の中でできることであるのに対して、それぞれの方の問題の最終的な克服とは、教習所の外に出て、それぞれの方が人生でどこに行きたいのかの、旅の先の進み方の問題になるからです。そしてそれぞれの方の人生はそれぞれが唯一無二であり、島野の人間と人生の成り立ちはそれとは全く異なるであろうから、最終的な克服について島野からこんな歩み方で、こんな心持ではいかが、といった短絡的なアドバイスは、できないように感じています。

そんな話として、一にも二にも、まずハイブリッド心理学の「取り組み実践」の観点そのものについてまず考えてみて頂ければ^^。その確認のために、この読書広場掲示板を活用して頂くと、最も有益になるであろうものとして、この掲示板を引き続き運用していこうと思います。

一つ踏み込んだアドバイスを記しておきましょう。動揺や困難に出会う全てのケースにおいて、まずは外面行動への着実で的確な答えを出せることが、荒波の海を進む航海のための、船の碇の役目を果たします。それによりまず波に流されることのない足場を持ち、そこから、自分がどの方角へ向かうのかを、模索するのです。
それがないと、いかに進む方向を正そうとしても、そして正すことができたとしても、立ち位置が波に流されていてばかりで、人生という航海における自分の位置を、前進させることができないのです。
もちろんその「外面行動への着実で的確な答え」は、ハイブリッド心理学の「取り組み実践」の、外面向け観点に合致していることが、この人生の航海における前進の全体が、ハイブリッド心理学の考える心の成長と治癒と豊かさへの前進に向かうための、条件になるでしょう。ただ外面を良くすればいいというのとは全く次元の異なる、ハイブリッド心理学が考える心の豊かさへの歩みも、そこから、始まり得るでしょう。


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■ (No Subject) / TOBI 引用
No.1304 2019/01/22(Tue) 01:24:39

島野さんは、一度素性の良い仕事(職場)で、普遍的と言えるような外面的行動の技術を身に付けるべきだということを書かれていたと思います。でも、「素性の良い職場」への就職というのは誰もができることではないと思います。私も、尊敬できる人がいるような職場には恵まれませんでした。
 「素性の良くない」とも思えるような仕事や職場、そもそも一人で物事を極めていくような仕事や職場であっても、普遍的な外面的行動技術を身につけることができるのでしょうか?
 幸運にも素性の良い職場に巡りあわないと、普遍的な外面的行動技術を学ぶことは難しいと思われますか?


 
□ 時代の変化・「仕事の普遍的スキル」入門^^ / しまの 引用
No.1306 2019/02/05(Tue) 11:14:29

これはまず書いて頂いた言葉としては3つほどのテーマになる感じかと。
1.「素性の良い仕事(職場)」・・・「素性」とは「生まれ育ち」のことで、まずは職場の性格などの話になるかと。

そして「普遍的と言えるような外面的行動の技術」ですが、これはハイブリッド心理学としては2つのテーマになります。
2.建設的行動法一般・・・「建設的対人行動法」「原理原則行動法」「ウインウイン行動法」から成る。
3.「仕事の普遍的スキル」


時代の変化・・

でこれですが、
>島野さんは、一度素性の良い仕事(職場)で、普遍的と言えるような外面的行動の技術を身に付けるべきだということを書かれていたと思います。

かなり以前ですが、旧掲示板で仕事スキル関係を書いていたものの話かなと。以下など。
これはまずは1.「素性の良い仕事(職場)」の話になるかと。
===========
過去ログ2006.2収録 文字装飾はつけ直し
『「太陽と惑星」の社会構造』
しまの No.909 2006/02/21
・・(略)・・
企業で働くようになり、最後に長く勤めた大きな会社にいて、そのイメージがこの社会の基本構造であるのを感じるようになった次第です。
社会で
上位者と位置付けられる者達は、まとまって大きな集団を作る傾向がある。下位に行くほど、分裂して小さい。さらにその大きな集団の中で実際に生活してみて、まあ僕が行った所が良かった幸運もあるのでしょうが、暖かい、光のある世界だったと感じます。だから「太陽と惑星」というイメージがぴったりきます。
決して
「け落しけ落される」世界ではなく、「純粋さ、思いやり、誠実さ」そして「建設的であること」が何よりも大切にされた会社文化があったと思います。それが顧客の信頼を得て、継続的な利益につながるわけです。

そうした集団に入ることを、人生の目標の一つにすることに、僕は大賛成です。そうした集団は決して排他的ではなく、その会社の社員になるのでなくとも、その取り巻き集団(^^;)の中に入るだけでも、沢山学ぶことなどの恩恵があるでしょう。
・・(略)・・

===========

ということで、主旨的にご指摘頂いたようなことを書いたと言っていいのかなと思いますが、
実は今じっくり読み返して、すぐ浮かんだ感想とは、
「今は違う」
というものなんですね。

ちょっと時代考証などしますと、僕が社会に出たのが85年、仕事場にパソコンなるものもない頃で、88年に大手IT企業に移り、その後Windows95の登場、パソコンそしてインターネットの普及などの流れの中、2005年に会社を辞め執筆専念という経緯です。
それからまだそう時間も経っていない2006年に上記文章など書いていたわけですが、その時点で実際そう思えていたわですね。
しかしもう違う。どう違うかというと、僕が会社にいた歳月というのは、基本的に「情報」が閉ざされた場の中に閉ざされていた時代なんですね。だから、同じ閉ざされた場でもなるべく大きな場の方が情報も豊富で有利であったわけです。人もその中でスキルを獲得していく、そのために教育するという風潮もあったと思います。
ところが今はそうではないですね。インターネットの普及からさらに、SNSが社会行動インフラになったという次の段階。
ここに至り、人間社会、人間文化そのものが、「集団の時代」から「個の時代」に転換したと感じています。いつ頃からかと言えば、やはりfacebookが株式公開した2012年頃が、その転換点かと。

そうして「個の時代」となった今、職場におけるスキル習得について起きている変化とは、
情報が基本的には開かれた場の上にあり、仕事場の中で教育していくというよりも、即戦力、そして自分自身を教育できる人材を求める風潮。
というものになると思います。

また「素性の良い仕事場」について言えば、社会経済が発展途上にあった一回り前までは、上位の大集団がその経済的ゆとりや情報の豊富さ、教育熱心さ、そしてまだまだ発展するという活力によって素性の良い仕事場になることがより可能であったと考えられますが、今のような低成長時代となると経済的ゆとりもなくなり、活力も低下しがち、そして「個の時代」化により職場教育の手薄化などもあり、上位の大集団が「素性の良い仕事場」とはもうあまり言えない風潮ではないかと思います。
今の時代、そしてこれからの時代において「素性の良い仕事場」というのは、やはり「個を大切にする仕事場」だと思います。具体的にどういうことかなどの考察はここでは省きますが、それはむしろ小規模のベンチャー的企業などに見られるようになっているのではないかと感じます。

ということで、「仕事場」について言えば・・「大学」とかになるとまた話は違うと思いますが、「上位の大集団が素性良く学びやすい」というのはここ数年でという時間レベルで急激に変化している、つまりもうそうは言えない、というのが僕の考えです。

ではどうすればいいかと言うと、時代の潮流そのまんまですね。自らを教育すればいい。
実は「普遍的」というのであれば、これは前からそうなんですね。「普遍的」であるとは、時と場所を越えて通用するということですから、特定の場所で身につけるというものでは、元々ないんですね。特定の場所で身につけられるのは、個別限定的スキルです。まあ特定の場で「普遍的スキル」と銘打った教育をするものがある可能性もありますが、あくまでそれは「考え方」を教えるにとどまり、「身につける」のはそこからさらにさまざまな場での経験を通して、になると思います。


仕事の普遍的スキル入門

では「仕事の普遍的スキル」とは何か、それはどのように獲得されるのかについてごく簡潔に書いておきましょう。
なおご質問の「普遍的と言える外面的行動の技術」という言葉は、仕事スキルだけではない対人行動法全般、冒頭でテーマ整理した、
2.建設的行動法一般
も指しているかも知れませんが、これはもう仕事場に限らず全ての生活場面で取り組むものになりますので、素性の良い仕事でうんぬんはもうない話になりますね。これはいいですヨネ。こちらについては
辞典 「実践3-1 行動学」
など参照頂ければ。

ということで、
3.「仕事の普遍的スキル」
という本題そのものになりますが、『辞典』の「実践3-2 仕事の普遍的スキル」での整理がまだあまり書けていませんので、ここでごく輪郭など書いておきましょう。
まず定義としては、「未修得の特定技能を求められるようなものでなければ、詳しい指示を受けなくても、置かれた仕事の場において自分がすべきことがすぐ分かり、作業をすみやかに行うことができる」といった能力などと言えると思います。
これは次のような課題側面から成るものと言えます。
 ・この社会で「仕事(業務)」というものがどのように構成されているのかが分かる。そこでの個々の作業の役割が分かる。
 ・ミスをなくすための工夫を考えることができ、実際ミスを最小限にして作業することができる。
 ・トラブルへの対処ができる。
 ・向上への工夫ができる。そのために必要な他者との調整ができる。

このためにまず基礎教養的スキルとして・・これは当然時代に応じて変化するものですが、パソコンのスキルや多少の英語力、文章力・プレゼンテーションスキルなどがあります。その上で上記のような課題側面を習得するためには、実際の仕事に携わりながら、それなりの勉強たとえば社会人向け自己啓発本、また僕の経験で言うと「簿記」の勉強(これは結局3級も受かりませんでしたが^^ゞ)が、企業でのお金の流れを把握する上で役に立ち、ひいては企業の業務の構成が把握できるようになったりしました。
そして結局仕事というのは人との調整というのが大きなものになりますので、テーマとして
2.建設的行動法一般
が基礎になります。
そして仕上げとして、「実践3-2 仕事の普遍的スキル」の冒頭に書いた、
=============
「役割」「工程」「管理」そして「生み出す価値」といった専門的視点にできるだけ早く意識を向け、仕事場におけるその具体形の把握のコツをつかむことが、仕事のスキル獲得への近道になります。
=============
というものになります。
これは『入門編上巻』P.212で「価値言葉」として指摘したものでもあります。ご一読頂ければ^^。
その具体例は、
メール相談事例集 No.002 視線恐怖および「職場での自分の位置への不安」の克服
またこの掲示板を「スキル」とかで検索して頂くと例が出てくると思います。

これらを一言でこう言うこともできますね。「仕事の普遍的スキル」とは、仕事の普遍的なスキルとは何かが分かることだ、と。まあ言葉の繰り返しですが、実際まさにそういうことだと思います。

ということで、それなりに結構高度な話であり、社会人生活を通してまずはざっと10年といった歳月を経て獲得できるものになると思います。結構ハードルの高い話でもありますが、気休めにハードル低い話をあつらえても意味ないかと思いますので^^。
それに向けて、まずはそうした目標意識を持つか。そしてそれなりの勉強を積み重ねるかになると思います。「運」というのはあまり関係ないかと^^。
まずはそんな話になりますね。お答えになりましたかどうか^^。



■ 損得について / yamada 引用
No.1301 2019/01/12(Sat) 21:30:17

携帯電話の料金を下げるべく携帯電話会社の乗り換えを検討しています。多くの携帯電話会社に話を聞いたところ,もっとも金銭的にお得だと言える会社が分かりました。ですが,その会社にたどり着くまでにかなりの時間と労力を使い,わずかな金額の多寡にも注意を払う自分に卑しさも感じました。得をすることは出来たかも知れないが,このような得を求める行動(損を回避する行動)を過度に行うと,長期的に人生を通してみれば損をする(人生を失う)こともあるかもしれないと思いました。

メルカリで安い商品が出るのを毎日チェックしながら時を過ごし,最終的に安く買えたはいいが,チェックをしていた時間や労力に見合っていなかった。

1000円割引のクーポンが出たから,欲しいものを探し出し,多少無理して購入する。

温泉宿に泊まり,無料だからと言って不必要に朝夕二度温泉につかる。

よりお得なものを得るため,何がお得かどうかの調査するが,その調査に時間をかけすぎる。制限時間が設定されていないと,延々と考え続け,気づいたときには多くの時間を浪費してしまっている。

より条件のよい転職先を探すが,転職活動に多くの時間をかけすぎて,1年が経ち,転職する機会を失う。


自分の決断の基軸が,「損得」になってしまっている事がよくある。よくあるというか,何事にしてもそうかもしれない。働くことだって,結婚することだって,より楽で,よりオトクなものを選択する。そんな自分が卑しいと思いつつ,それに代わる決断の基軸も特に見当たらず。

損得感・効率性といった決断の基準について,お考えがあればお聞きしたいです。


 
□ 「お金」との付き合い・損得計算の熟達への道^^ / しまの 引用
No.1303 2019/01/15(Tue) 15:12:10

正しい損得思考

これは比較的単純な問題かもですね。損得や効率で考えてしまっているのが問題なのではなく、損得や効率をうまく判断できていないという問題になると思います。間違った損得思考や計算をしているという問題。

ありがちなのは、まさに

>損得感・効率性といった決断の基準について,お考えがあればお聞きしたいです。

とご質問頂いていますが、「基準」を間違ってしまっているというケースかと。

まず話を最初から言いますと、「損得で考える」ということ自体を、ハイブリッド心理学では否定しません。
むしろ「損得」で考える主義です。それへの対照となるのは「とにかくこうすべき」という道徳主義のような思考になると思いますが、ハイブリッド心理学ではそれに立たないのはご存知かと?^^。
ハイブリッド心理学では、自分の生き方や行動を、損得で考え、決めるという主義です。
重要なのは何を「基準」にするかで、「幸福」を基準にします。「お金」ではなく。これは「材料」にはなり得るだろうが、基準にはしない。

「基準」にするとは、それがより上のものを選択するということですね。自分がより幸福になるであろうものを選択する。これをもう一義的なものとして掲げます。
ただしその「材料」が、人それぞれ時と場合で多種多様になるわけですね。「お金」もその一つでしょうが、それだけ考えるというのはあまりに視野が狭い話であるというのはよろしいかと^^。

ともかく、まず正しい「基準」で損得を考えることだ、という話です。
ありがちなのが、「材料」を「基準」にして考えてしまうのが、この損得思考、損得計算の全体に歪みや惑いが出てくる原因、というものです。
通常の食事であれば、「旨さ」が基準で最終的に選ぶと思います。文字通りの材料で決めるのではなく。また値段ももちろん判断材料にはなると思いますが、基準ではないですね。これはよろしいかな。

ということで、書いて頂いたものは、ずばり「金銭値段」を「基準」にしてしまっているのが惑いの原因かと思います。「クーポン」やら「無料」やらと。
もちろん「お金」を基準にものごとを考えるのは世の人にありがちですが、「幸福」を基準に考え、人生に時間が限られることを見据えた時、「お金」は「基準」としての座を失うのみならず、「材料」としての強みさえも次第に色あせる、と言えると思います。
なぜなら、「お金」によって我々は「幸福」につながるためのさまざまなものを手にできると思い描いて人生を歩み始めるわけですが、「お金」を得て、それによって得たものが「幸福」につながっていないのを感じた時、それは「時間を失う」という「損」であることを、知るからです。人生には時間の限りがあります。だからそれはまさしく、人生を失うことにつながるものなんですね。
言えるのは、「お金」を基準にすると、時間がかかる、ということですね。お金を得るために、時に、というより大抵必要になる、膨大な時間。お金のちょっとした差異に右往左往し沢山の情報に付き合わされる時間。
ならば、「お金」という基準を思い切ってとっぱらってその先で得られるものを手にしてしまえば、全体としてはるかに得で効率良いということにもなるわけです。実際それが得られるのあれば、という条件つきになりますが。


「お金」との付き合い・損得計算の熟達への道

以上のような話を基本的考え方として、ハイブリッド心理学からは、「損得計算の熟達への道」というのがある、と言えるかと思います。
それは同時必然的に、「お金との付き合い方」という、現代人の宿題の話だと言えます。現代人にとり「お金」が、生活振りを決定づける基盤でもあり、損得思考における極めて強力な材料、さらには基準にもなり得るものだからです。

2つ課題があるという考えになります。
一つは「道」としてあるもの。つまり人生の歩みの段階に応じた課題があり、それにいかに向かうことができるかという課題。
「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛へと向かう」というハイブリッド心理学の「命の生涯」の思想に対応する形にて、以下のような道があるというものになります。一言で言えば・・というよりちょっと長くなりますが、
まずはとにかく、「仕事」の能力向上に向かうといい。それが同時に、この社会で自分がどの程度のお金を得ることができるのかの、おおよその目安になる。そうして人生の歩みの折り返し頃になれば、自分が人生でどんな生活振りができるのかの目標と実際の達成状況というものが見えてくるようになる。するとほどなく、お金が生活基盤として重要であるのは引き続く一方、やりがいや生きがいをどう得るかが、多少ともお金を度外視した形で重要性を帯びてくるだろう。その先に、やりがい生きがいを見出すと共に、人生の終わりまでの金銭の見通しを立てることを足場に、金銭への惑いや金銭欲を卒業するというのが、「お金とのつき合い」という宿題の一つのゴールの形と言えるだろう。
これがまあ、「損得」といったテーマで、惑いの全体から卒業するまでの道という話です。「損得感」の話となると出てくる話。

一方もう一つの課題とは、そうした道のどんな時点にいるにせよ課題となる、「損得の判断力の向上」という課題です。
「損得」および「損得感」の大小は上記の「道」に応じて様変わりするわけですが、ここではどっちかというと細かい損得場面をどう素早くかつ的確に処理していけるかという、日常的な話であり、ご質問としてはこっちが話としては焦点かもですね。

まあ、こうなれれば損得判断の達人という姿があるということになると思いますが、それはどんなことか。
「幸福」を損得の基準にする限り、それはとくかく損得金額計算が正確迅速にできればいいというのではない、のはいうまでもないことですね。
僕の考えでは、いくつかの、達人たる判断則をしっかり身につけることだ、と考えます。
それは上述のように、
1.損得の「材料」になるものを「基準」へと格上げしてしまわない
ということから始まり、社会経験人生経験の中で学ぶべきことをしっかり身につけた姿です。思いつくものをあげていけば、
2.代償のある小さな得は、実は基本的に損
この「代償」のよくあるものが「時間」ですね。あとはたとえば「ストレス」。株を買ったりしてごく僅かな株価変動に右往左往しているのは、もうそれだけで損。
3.小さな得を餌に大損を食わされることなかれ
「確実な利回り」の文句をエサに、老後資金をごっそり騙し取られる高齢者のなんと多いことか。
そしてとりあえず最後に、これが重要ですが、
4.何のためにそれをするのか、自分自身を知れ
たとえば洋服好きの僕は着ない服をヤフオク出品するというのをよくやっていますが、中には100円200円といった値段でしか売れず、手間時間が割りに合わなそうなものも良くあり、準備作業に入ろうとして「何でこんな面倒なことを・・」を自問すると、「まだ使えるものをいきなり捨てるという行為が、僕は嫌なのだ」と答えが返ってくるわけです。で、なるべく面倒を感じないよう、他のもののついでのような形で出品作業を進める。
そこでは「お金」よりも、「満足感」というプラス感情が、目的なんですね。それに見合った行動をする満足感。

そうした細かい損得判断を、日常生活の中で素早くできる、即断できる、といった自分を感じるようになって、自分が人生の一つの側面で達人になれたような満足感を得られるわけですね。
決して金銭額の問題ではないわけです。
そうした判断がうまくできないというのは、まるで交差点を前にしていつまでもハンドルを切ることができない運転者のようなもので、何よりも自分が情けなくなってしまうと思います。金額的な損というより、こうしたマイナス感情こそが、損なんですね。

テーマ整理および思いつく僕の考えをざっと書きなぐりましたが、考え方の基準はこれでおおよそお分かりかと。
書いて頂いた具体的内容については、「クーポン」「無料」とかは、まず目的が先にあって、そして時間かけず手に入るものは大いに使うのがいいですね。クーポン探しに時間をかけるという行為が良しとなるのは、それ自体を趣味として楽しめる場合です。
電話料金の件は、これは長い目で見ると結構影響ありますので、調べるのに時間食うのは多少アリと思いますけどね。どっちかというと、この程度の金銭金額問題ならこの程度時間かけて検討して良しという自分の按配加減への自信なさというマイナス感情の問題かと。これは判断力が全体的に上がることで、「これはこれで良し」という時間配分判断力と満足感も向上すると思います。
一方、

>働くことだって,結婚することだって,より楽で,よりオトクなものを選択する。そんな自分が卑しいと思いつつ,それに代わる決断の基軸も特に見当たらず。

これは卑しいというより、上の4番、目的が見えていないという、ちょっと別次元の問題があるかも知れませんね。自分の人生の生きがいをどのように設計するかという、どっちかというと上の「道」の方の次元の話。
これは取り組みとしても遠大なものになりますのでここではもう話を膨らせませんが、アプローチとしては、「人生での望み」といったテーマでの向き合い、そこに妨げがありそうであればどのように「望み」に蓋がされたのかの自己分析などがある、と一言添えておきましょう^^。

まずは基本的考え方から確認し、あとは日常生活での細かい場面でのハンドルさばきの積み重ねになりますね^^。



■ セツクス依存症です / リリィ 引用
No.1290 2018/12/03(Mon) 13:19:01

36歳主婦です。
10歳から自慰を覚え15歳でCENSOREDを覚えてから、沢山の人と手当たり次第に寝てきました。
そもそも15歳の時のお相手もセフレですし、自分は淫乱なんだと思ってきました。
30歳で結婚してからは夫以外の人とは寝ないと決めたのですが、今年プロの男性と寝てしまいました。
結局、プロの方の子供を孕んでしまい、自分は何て弱いんだろう。駄目なんだろうと苦悩しました。その事を逐一、相談していた友達にも呆れられてしまい。本当に自分が何故生まれたのか、よくわからないのです。
セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。
今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。
結婚してるのだから、夫とすればいいのですが、夫とは達した事がなくこのままで結婚前のようには手当たり次第に誰かを探すのではないか?と不安です。
私はどうしたら、変われますか?永らくこの症状に気が付かずに生きてきた為、仮に治っても私からCENSOREDを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。
アドバイス頂ければと思います。


 
□ 「依存症」へのハイブリッド心理学アプローチ^^ / しまの 引用
No.1292 2018/12/16(Sun) 15:53:37

これも先のご質問相談の「美容整形」といったのと同じく、ハイブリッド心理学ではあまり頻繁には取り上げないテーマなのですが、ハイブリッド心理学からはどのようなアプローチになるのかなとちょっと一考してみましょう^^。
「依存症」というテーマですね。その中で「CENSORED依存症」という特定テーマに独自の話もあるか。


「依存症」とは

まず「依存症」とは、特定の行為にのめり込む様子そのものではなく、そこに「やめたいのにやめられない」という心身ストレスと自己コントロール不能があるものを言いますね。これは世の医療関係で良く言われ周知のことと思います。
問題はその先で、なぜそうなるのかの原因と、ではどう克服するかというアプローチについては、かなり世の医療関係一般と違うアドバウスを言うことになるのかなと。
一般的には、依存症の裏にある心の闇に多少配慮をしたとしても、深い心理分析にはあまり踏み込まないまま、とにかくやめるための隔離や防御、また自助グループ参加による励ましなどになるのかなと思います。
一方ハイブリッド心理学からアプローチするなら、裏にある心の闇についての、結構細かい分析からになると思います。それが自ずと、克服アプローチの方向を示し始める。

で僕がまず「依存症」の裏にあるものとして想定するのは、「身をけずるような空虚感」です。それから逃れるために、たとえば酒を飲まずにいられない。
ただそれが「依存症」という激しい姿になるのには、もう一枚加わるのではないかと。
それは、「やめられないこの自分は駄目だ」という自己叱責が、「自分というものを保てない」かのようなパニック感を起こし、そこから逃れるためにその依存行動に走る、というものではないかと想像します。過去に自分が保てないような混乱感から、酒やCENSOREDで救われたという心の状態が一度出来上がると、パニック混乱からその依存行動に繰り返し走るというのはもう分かる話です。
するとつまり、「依存をやめられない自分という自己叱責パニックから逃れるために依存する」わけですね。こうなるともう自己循環で自動的にその依存行動のコマが回ることになります。
書いて頂いた状況についても、そんな面があるのではと。こんな自分では・・という不安混乱が頂点に達すると、誰か自分を抱いてくれる人を探さずにいられなくなる、と。


克服への真の基本姿勢

それに対して、どう向き合うのが良いのか。
そうした今までの依存行動に、「もうこれは絶対駄目!」という禁止をかけるであろう世の一般と、実はまさに逆の姿勢から入るわけですね。
過去の依存行動に、感謝することです。過去の依存的CENSORED行動に。なぜならそれが、自分を保てなくなくなるぎりぎりの精神破滅から、自分を救ってくれたのですから。
その上で、これからは、その自分を救う役割を、自分自身が果たすことです。

これは突飛なアドバイスに聞こえるかも知れませんが、実は「認知療法」の大家デビット・バーンズが示した真実の克服姿勢です。自分の不合理行動をどうにかしたいなら、まず今までのそれに感謝することからです、と。事実そうするしか手がないなら、そうするべきであったということなのです、と。多分世の「認知行動療法」はこうした真のアプローチの精神を抜いたまま、ただ禁止訓練をするようなものになっているのではないかと。
ともかく、「過去の依存に感謝しなさい。そしてこれからは自分がその役割を担いなさい」というものですね。依存行動を繰り返すのではなく、と。


具体的実践

深刻な自己コントロール不能についてはそうした向き合いで転換を図るとして、あとは具体的実践になりますね。
先の美容整形についてのアドバイス同様、ハイブリッド心理学では精神論や道徳論はナシです。ただ社会行動学からの良し悪しは出てきますね。
3つの取り組みになると思います。

1)良し悪しをセットで見る目
依存症の克服にあたり、地味ながらも・・つまり即効性はないものの、最終的な答えを見出すための一番基礎になるのがこの、「良し悪しをセットで見る目」になると思います。
つまり、ある行為の魅力的な側面と、不快な側面を、セットで見る目です。そしてその行為に向かおうとする時、自分が不快な側面にも向かう行為をしようとしていることを、しっかりと意識することです。
まあ実際魅力と不快がセットであるならば、セットとしてのその行為について、自分がどのように向かうべきものかの答えを出さねばならないわけです。魅力的側面だけ取って、不快な側面は後から不本意に遭遇するもののように意識するのではなく。
お酒であれば、その旨さと酔いの至福だけでなく、その後の悶絶するような二日酔いの種を、飲む行為なのだとしっかり意識する。その両者の量的バランスがどうなのかも、しっかり吟味しながらです。
パチンコであれば、勝つ興奮だけでなく、負けて大きく損をする行為を、今行うのだとしっかり意識する。
無差別的な性行為であれば、うーんまずは犯罪に遭う危険・・場合によっては即命に関わるような。病気を移される危険。また配偶者がいるのであれば知られた時にどうなるか。

それはとっくに聞いた話だ、ということにはなるかも知れませんが、重要なのは、要求に蓋をするのではなく、いかに根底から健全化できるかです。
そのためには、基本的自制は利くという前提において(それが不可能な時は上記のような向き合い)、心の中では欲求を開放した上で、まず不快な側面についてしっかり確認して自制を確かなものにし、さらにその上で、その欲求の健康で自然な度合いを超えた性質部分について精緻な自己分析をする、といった実践が有用になります。

・基本的自制
この「基本的自制」と「精緻な自己分析」について詳しく説明し始めると、それぞれで本が書けてしまうような話になると思いますが、ごくキモのポイントを書いておきましょう。
まず基本的自制を確実にするためには、精神論的・道徳論的な思考ではなく合理的科学的思考でいかに日ごろから生きていくかが重要になると思います。道徳的善悪というよりも、打算計算で自分にとり合理的なほどほどの線を徹底的に追求する。まあお酒やパチンコには「ほどほどな量」があるとしても、不倫にはほどほどというのはないとは言えるでしょうね。
ともあれ、道徳論精神論で欲求に蓋をするというのは、鬱積した欲求がふとしたきっけかけで堰を切って暴走するという、元の木阿弥になりがちですので、合理的計算打算探求に切り替えるのがお勧めということです。

・精緻な自己分析
精緻な自己分析というのは結構高度な話になりますが、その分問題の核心にせまり得るものになります。
自己分析は闇雲に行って効果が出るものではなく、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という「感情と行動の分離」の姿勢がしっかりと心底において根づいた上で、建設的行動を妨げるマイナス感情について、自分でも分からなかった根底の理由が突きとめられることで、心に劇的な変化が起きるものと言えます。
詳しくは本などに譲るとして、ずばり今回の話に関係しそうなポイントは、
愛が深く妨げられるごとに、性が強く刺激を帯びる。
という心のメカニズムです。
それはどのように起き、そして回復克服されるのか。島野の考えとは、愛が損なわれた悲しみを葬り去ることでこそ、それは深く損なわれるのであり、その回復克服は、いかに他人と深い性愛体験のようなものを持てるかなどではく、葬り去った悲しみを自身の中でどれだけ取り戻し受けとめ尽くせるかにある、といったものになります。
その視点から考えるに、

>セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。

というのは、問題の始まりの核心は実は、性的な悪戯をされたことではなく、それよりずっと前の段階で何らかのきっかけで生まれた、幼心に抱かれた「あるべき愛が損なわれた」という闇の感情かも知れない。それがなければ、悪戯も払いのけられるようなものとしてです。
そしてこれらが回復克服されるのは、
『理論編下巻』の最後の方(これの一番下の「魂に魂が宿る」の節)で「Y子さん」が島野に伝えてきたような、「悲しみへの向き合い」あるいは「悲しみの取り戻し」のような体験の形になるかも知れません。
性の問題に限らず、心の問題の根底は結局は「愛」の問題に行き着く、というのがハイブリッド心理学の思想とも言えます。
上記「Y子さん」の言葉も含め、その全体については『理論編下巻』をぜひ一読頂ければと思います。

2)全てのマイナス感情への本格取り組み
そうして核心の問題が回復克服されるごとに、逆のメカニズムが働くと言えます。つまり、
愛が深く取り戻されるごとに、性の刺激は薄れていく。
というものです。
これはより一般化した表現(?)をするならば、
心を病むごとに、性が強く刺激を帯びる。
ということであり、
心が健康になるごとに、性の刺激は薄れていく。
ということです。

心の病みの回復克服の取り組みがうまく進むごとに、視点は性の問題よりも、心の問題全体に移っていくということでもあります。
それをなるべく先取りするよう、性の問題だけに視野を狭めず、全てのマイナス感情について取り組んでいくといい。これが2つ目の実践アドバイスになりますね。
『辞典』の「実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針」など見て頂くと、ざっとどんなことがあるのか把握できると思います。

3)生活全体の充実向上
病みの傾向や動揺といったマイナス面への取り組みは上記のようなものとして、あとは生活全体の充実向上というプラス面への積極的な取り組みになりますね。これは言わずもがなですね。
上述の心のメカニズムなども含めて言えるのは、病んで空虚な心の中で、性はまさに闇夜に光る月のように魔力的な力で心を惹きつけるものである一方、健康で充実した心の中では、まさに輝く青空に浮かぶ月のように、その魅惑的刺激を薄めるものです。その輝きの絶対値は同じまま。

そうした心の世界の違いをぜひ視野に置いて、それ以外のものへのアンテナを張るようにしていく。まあ個人的な趣味嗜好の問題はありますが、動物を飼ったり植物を育てたりといった、「命」に触れる活動などが、島野からのお勧めの一つですね。

最後にもう一つの視点。

>仮に治っても私からCENSOREDを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。

とのことですが、医学的に言って、人間の性機能は30代半ば頃から急速に衰え始めます。徐々に、というよりもガタンガタンと階段を下りていくように。それに伴い、性行為の快感度も急激に薄れていきます。その後は、イメージの中で性行為が快楽のように映るだけの、残滓を追うような姿になりがちなのが現代人ですが、まあ参考になるかどうか、僕は今57歳ですが、ここで述べたような心の取り組みの究極的な結果なのか、男性機能はまだありますが(^^;)性欲はほとんど消えています。それが実に快適な心の状態でもあります。面倒なことが一切ないし^^;
ともあれ、CENSOREDを取ったら・・と言ってもそれは取られるというよりも、内側から消えていってしまうものです。そう遠くない将来・・。

そんなことも視野に、以上3つの実践取り組みなど検討してみて頂くと良いかと思います^^。


 
□ アドバイスありがとうございます / リリィ 引用
No.1293 2018/12/17(Mon) 15:27:25

ご丁寧な回答ありがとうございます。不覚にも声をあげて泣いてしまいました。

私の根底にある怒りを燃料に性欲の炎が私を焼き尽くすような状態で、薄汚い性欲を持っているんだから醜い気持ちが心の底にあるからCENSOREDは止められないんだ。と、事あるごとに自分を攻めてきましたし、その度に誰かの身体を求め自分自身では壊せないから相手に私の事を壊して貰いたくて恐ろしい目に遭ったり、惨めな思いも沢山して来ました。今までは、CENSOREDしてくれるかどうかでしか人を見ておりませんでした。そんな状態でしたが、過去の依存行動に感謝する。の文を拝見しかなり救われました。

既に最初に悪戯してきた相手も、初体験の相手もこの世におらず私は底無し沼のような場所に独り取り残されたような気持ちになっていたのかもしれません。初体験の相手の事が本当は好きだったように思うのですが、ちゃんと伝える事が出来ないままで肉体関係だけを繰り返し、付き合わないなら別れる事もないと開き直り、今日までが過ぎてしまった事を後悔していますが、彼が旅立った今となっては最早どうする事も出来ないでいます。

この「好き」の感情にも歪みが生じており、まずCENSOREDしてからの相性で人を好きになる事がほとんどで、通常の恋愛における好きになってからCENSOREDすると言う行程を一度も踏んだ事がなく、もしかしたら今まで好きと思った感情は全てまやかしで、私に人を好きになるような感情は無くCENSOREDを得る為の手段として好きの気持ちに似たような状態になっていたのではないか?今まで感じた気持ちは幻想なのではないのか?と不安に襲われたりします。この逆転現象を改善しないと愛まで辿り着けないのではないか?主人との関係は適切なものか?と思うのです。
もしかしたら、その結果CENSOREDに多くを割いてしまったが為、一度も誰の事も好きでなかったのかもしれないと思うと恐ろしいのですが、本当の事を知りたく思います。

性機能の事はわかりませんが、肉体的な衰えは感じ初めており、このままでは誰からも関心を持たれず抱かれなくなるのでは無いか?の不安はずっと付きまとっていました。今まで選ばなかったタイプともCENSOREDする必要があるかもしれないと思うと苦痛で仕方ないのに、CENSOREDしないとはとても言えない自分が嫌でたまりませんでした。性欲が内側から消えてくれる日が来るのが楽しみやら、淋しいやら今は複雑です。人に知られたくないような秘密を教えて頂きありがとうございます。

何とか好きになる気持ちに生じた歪みを正して本当の愛までたどり着きたいです。本当の愛が見つかるなら性の刺激が薄れても仕方ない事なのかな?と思えています。恐縮ですが、またアドバイス頂けたらと思います。 よろしくお願いします。


 
□ 「本当の愛」への道^^ / しまの 引用
No.1294 2018/12/21(Fri) 15:06:34

アドバイスの残りがあった感じですね^^。
依存から抜け出すというのを超えて、豊かな心に向かうというより大きな話。ご質問の中でも、「本当の愛」といった言葉が出てきてますね。ハイブリッド心理学の主題にも近づいてきます。

これもちょっと逆説的で、まずは「本当の愛か?」と問うことを、やめることからになるかもですね。
なぜなら我々はそれが分からない未熟から歩むのですから、そう問うことは、何か良く分からないものを無理に空想上のイメージにして、それに満たない現実を批判するというマイナス状態にしかならない可能性が大きいからです。やはりこれも道徳的意識の一方で心の根底は何も変わらないというものになりがち。
まずちょっと訓示のような言葉が浮かびましたので書いてみましょう。

人との関係において、「本当の愛」を求めてはいけません。それを求めた時、人は「今そこにある愛」を見ることができなくなるのです。
外面行動においては「愛」を、「喜びと楽しみの共有」と位置づけ、内面においてそのための、偽りのない自分の感情を、追求し続けることです。その中で自分が最後まで守り続けるべきものはどれなのかを、探していくのです。
そして、愛が完璧でないことを、許すことです。その時「本当の愛」は誰にも気づかれることなく、また気づかれる必要もなく、道ばたの土に芽生える小さな草の芽にように、芽生え始めるのです。

順を追って要点を書いてみますと、また3つになりますね。まあその順に3つのステップで実践するというより、テーマにそうした広がりがあるということであり、実践としては同時にその3つに、今すぐ取り組み始めるというものになると思います。
1)愛の感情だけに見入らない
2)「喜びと楽しみの共有」として愛に向かう
3)人生の全体に向かう


「どうしたら愛が得られるのか」というテーマの問いに対し、『入門編下巻』で基本指針を、「愛が欲しければ愛だけに見入るな」といった言葉で書いています。「そして人生の全体に取り組むのだ」と。
(9章 愛への道)
=============
 「愛」への欠乏感と飢餓感に悩むケースでは、私はしばしば「愛が欲しければ愛だけに見入るな」という言葉を使ってアドバイスをしています。
 愛以外の人生領域に積極的に目を向け、まず自己の確立へと向かうのです。そして何よりも、自分から楽しめるものを見つけることです。
 その上で、愛を「喜びと楽しみの共有」と位置づけ、再び向き合い直すのです。
 そこから、自分を見失うのではない、本当の愛への能力が、育ち始めます。

=============

といった言葉(P.268)。
まあ我々はおおよそ中学校にも入る頃、相手を好きという感情が一致した時バラ色の世界が広がるようなこととして「恋愛」というものを意識し始めるわけですが、人生の歩みを通し、心が成熟していく中で、それとはまったく次元の異なるものとしての「真実の愛」と呼べるものを、見出し得る。それは相手をどう好き、愛してるかといったものとは全く異なるものであり、言葉で言うなら、自分の命の重みがどう相手に置かれるかといったことだと言えると思います。
ただそれは人生を歩む途上で、どう心を見つめたところで見えるものでもなく、人生を通して見出す・・否、「見出す」ようなものでもなく、その人の人生そのものとして築かれるものだと。

まああまりアドバイスとしてまとまりがないですが、そうした広い視野を持って、人生のさまざまな問題に取り組んでみるといいと思います。基本的な対人行動法、「仕事」というもののスキル、趣味など。
そうした全ての積み重ねとして、「本当の愛への道」というのがあるということですね。
まあ当座の懸案事項については、

>今まで感じた気持ちは幻想なのではないのか?と不安に襲われたりします。この逆転現象を改善しないと愛まで辿り着けないのではないか?主人との関係は適切なものか?と思うのです。

それぞれの相手を本当はどう思っていたのか。本当に好きだったのか。
といった問い方ではなく、
何を共有したのか。
という問いで向き合ってみるといいと思います。前者の問い方はやはり道徳的自己批判だけになりがちなのに対し、後者の問い方は真実に近づけるものになるのではと。その結果見えてくるものが、ほっこりできるようなものであれ苦々しく感じるようなものであれ、自分自身の真実に近づくことは、人に「強さ」を生み出します。そして「強さ」が、人に「真実の愛」を可能にしていくわけですね。

結婚は好きという気持ちの一致より、「現実生活の共有・支え」というのがまずは実際的なものですね。まあこれもまた一つの話題テーマですが。
年齢的な話も含め、性感の一致なんてことではなく、たとえば今怪我や病気になった時に最後に守ってくれるのは、少なくとも今は旦那さんなのではと。ならば性生活の中で達する必要なんてなく、その感謝の気持ちを込めて触れることができればそれで十分だと思いますヨ^^。

あっと、

>人に知られたくないような秘密を教えて頂きありがとうございます。

これは全然秘密ではなく友人との会話や心理アドバイスの場でも話題に触れた時は結構言ったりしている話です^^ゞ
そもそも性衝動性行動は子供を生み育てるために作り出された身体機能です。子供を生む時期を外れたらそれは消えるのが動物の常であり、その点人間は明らかに過剰であり暴走迷走していますね。
僕は自分という唯一無二の動物種としての健康と幸福を追求した結果の一環として、57歳でそういう状態であるのを、むしろ自然な健康だと自信を持って公言したいと感じるほどですので^^。まあ公言などする必要も機会もないですが。

まあモヤモヤしているものはときほぐし視点を持つとして、今答えを出すものというより、人生の全体への取り組みが重要ということですね^^。


 
□ ありがとうございます。少しずつ進めそうです。 / リリィ 引用
No.1295 2018/12/27(Thu) 22:35:36

ありがとうございます。何度も何度も読み返しました。
不貞を働く度に、この夫婦関係は適切なのか?こんな歪な状態で本当の愛なのか?と、
夫婦でいる権利が私には無いのではないか?と、自問自答を繰り返してきました。
沢山の人の黒い性欲を刺激し、散々楽しんで悦んだ癖に、何も知らない旦那の隣で涼しい顔して清い振りをして添い遂げる権利が私にあるのだろうか?と性欲が鎮まると汚れた自分が嫌になる波が押し寄せて、惨めで仕方ないのに、為すすべがなく本当に長い間ずっと苦しかったです。

そんな不安定な状態でも、旦那は何も知らないとは言え沢山の時間を共有してくれた事、一緒に美術館に行ったり、旅行したり、ご飯を食べたりしてくれた事を思い出し、これからもずっとこの人と一緒にいたいと思いました。これが本当の愛なのかはわからなくても、私にとってはそこにある身近な愛です。

今後、旦那に本当の事を言うべきかは、とても迷いますし、きっと打ち明ければこの関係は終わるんだと思います。私が旦那の立場なら知らずに生きて行きたいと思いますが、それは私の勝手な言い分かもしれません。その辺は、まだモヤモヤしています。

それに、まだ性欲を完全に制御出来てる訳ではなく、雨の日には私の中で炎となって暴れ出すこともあります。それでも少しずつ穏やかな夜を積み重ねています。もしかしたら、このまま静かに昼の月のように薄っすらとした存在になるのかも?と思っています。
全部、話して変わるキッカケを与えてくださり島野さんには本当に感謝しています。ご丁寧に説明して頂いたお陰で、あれから誰ともCENSOREDせずにいれています。もしかしたら、変われたのかもしれません。本当にありがとうございました。


 
□ 過去の過ちの後悔の克服^^ / しまの 引用
No.1296 2018/12/31(Mon) 11:10:46

あともう一テーマあった感じですね。病み傾向からの抜け出し、豊かさへの前進、そしてもう一つ、重いテーマとしての残るのが「過去の過ちの後悔」の克服です。

まず、

>今後、旦那に本当の事を言うべきかは、とても迷いますし、きっと打ち明ければこの関係は終わるんだと思います。私が旦那の立場なら知らずに生きて行きたいと思いますが、それは私の勝手な言い分かもしれません。その辺は、まだモヤモヤしています。

は「愛」を「喜びと楽しみの共有」として向かうものとする価値観からは、「知らずに生きたいというのは勝手な言い分では」というのとは明確に逆の姿勢になります。
「何でも共有」「何でも分かり合うべき」ではなく、あくまで、共有するのは「喜びと楽しみ」につながるものだけです。それ以外のものは、無理に共有しない。
「どちらが正しい」かではなく、それが「価値観の選択」というものなんですね。自分の価値観は心底においてどれなのかと問い、最終的に自分はこれを取る!と確信し、それに従った行動に自信を持てるようになる。
「何でも分かり合うべき」という価値観は、「愛」を、互いを自分の所有物にする欲求と結びつきやすいですね。これはやがて「愛」が壊れるパターンです。
それが本当に守りたい愛であるごとに、「喜びと楽しみの共有」以外のものは求めない、詮索はしない、という姿勢にも確信が持てると思います。逆に、本当の愛ではないものに愛であるかのようにしがみつこうとした時、「何でも分かり合うべき」という観念感覚が起きるとも言えるかも知れませんね。

そうして「喜びと楽しみの共有」だけに徹して行動する具体的姿勢は、例えば
メール相談事例集「No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う」
など読んで頂くと参考になると思います。
また僕自身の例ですと、これは自伝小説の続編物語のようなものとしていずれ形にしたいものですが、僕が生涯唯一ずっと関わりを持ち続けることになった初恋女性は、国民的芸能人とも親交のあったりする、とても華々しい側面も持つ人なのですが、僕からそうした面について聞くことは一切せず、主に小学校の頃のことと今のことだけ話題にするのは、僕にとって決意とも言える姿勢でした。なぜならそうした面について僕から聞いた時、彼女と対等な関係ではなくなってしまうからです。だからSNSで彼女の活動振りを知ろうとするなんてのも、絶対やらない。

ちょっと話が膨らみましたが、実は「後悔の克服」につながる話です。
これについての基本的指針を、
辞典 - 実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 - 悪感情の種類ごとの克服対処の指針 / 後悔
で我ながら深い言葉だと感心(^^;)する短文で書いています。
============
「もう忘れましょう」というありがちなアドバイスとは真逆とも言えるものが、ハイブリッド心理学からの指針になります。
つまり後悔の感情が少しでもあるのであれば、とことんその悔いの感情と共に生きるのです。それがその後悔を超える成長へと心を導く、唯一の道です。これがどういうことかは、まずは決して後悔をしないための決断によって行動する姿勢で生きる先に、やがて見えてくるでしょう。
============

と。
今回のご相談で言えば、「とことんその悔いの感情と共に生きる」とは、「話してしまって楽に・・」という考えや姿勢は決して取らない、ということです。それが苦しければ、その苦しみに自分自身の中で向き合うことです。

上記短文を補足する言葉をまた訓示のように書くならば、こうなります。
過去への後悔を消せることで、未来への前進が見えてくる、のではありません。今という一瞬一瞬を自らの決断で確信を持って生きることを積み重ねた先に、やがて過去への後悔がどう消えるのかが分かる日が、訪れるのです。
と。
加えれば、それが訪れる日というのは、人生の歩みの後半以降だと考えるのが正解です。その覚悟が、何よりもこれからの人生の歩みの力強い足場になると思います。

それで具体的にどんなものとして、後悔を超えるものが訪れるのか。それを想像するのはまだ尚早と言っていいかなと^^。
まずは目の前の行動に自信確信を持って向かえるようになることからですね。今回のアドバイスの意識方法や価値観といったテーマにまずじっくり地道に取り組んでいくことから進めて頂ければと思います^^。

なお今回のアドバイスはちょっとデリケートな内容もありますので、僕のアドバイス内容はいったんログ確保済ですので、投稿削除や文章削除など何なりして頂いて構いませんので^^。その場合は僕のアドバイス部分だけ再掲載など調整しますのでご心配なく^^。


 
□ ありがとうございます。 / リリィ 引用
No.1299 2019/01/07(Mon) 21:18:39

ありがとうございます。
何でも共有するべきではない、喜びと楽しみを共有する。の言葉に、こんな世界があったのかと思い知り、私が目指す夫婦の形が見えた気がしました。

もうこれで長年の苦しみから解放されたのかな?意味のないCENSOREDをせずに生きていけるのかな?と油断していたのですが、突然湧き出した性欲に負けて、知人男性とCENSOREDしてしまいました。
この人に抱かれたら、病気になるかもしれない、旦那に今度こそ知られてしまうかもしれない、共通の知り合いにバラされてしまうかもしれない、性病にかかるかもしれない、この人と二度と会えなくなるだろう、リスクを考え自分が不快な側面に向かっている意識もあったのに制御出来ませんでした。

今までは行為前には期待も不安もあったけど、今回は自分に対する嫌悪感しかなく、このまま逃げ帰りたい。と思ったのに、結局CENSOREDしてしまいました。
ただ、唯一の救いは私自身が変化してるからか以前のような刺すような強い快楽は無く、こんなものなら無理してする必要は無かったな。と思えた事で、したくないCENSOREDをしてるんだと客観的に見れました。
旦那にも知人にも申し訳ないし、また性病の検査に行かねばならないのは億劫ですが、今度こそ変わりたいと思っています。

性に溺れた過去を全て無い物として生きることは出来ませんし、今後も性欲の波が来て抗えなくなるかもしれません。そんな時に読み返して自分を制御する道しるべにしたいので、投稿削除や文書削除はしないつもりです。
多分この情報量だけで私にたどり着くのは不可能でしょうし、仮に誰かにCENSORED依存症である事を知られても断れるような人になりたいと思います。

この後悔が消える日が来るのかは想像出来ませんが、大変お世話になりました。何度も導いて頂きありがとうございました。また、人生の行き止まりに当たった時にはお願いするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。


 
□ Re: / しまの 引用
No.1300 2019/01/08(Tue) 11:26:50

>こんなものなら無理してする必要は無かったな。と思えた事で、したくないCENSOREDをしてるんだと客観的に見れました。

まあそうした小さな変化の積み重ねですね^^。そういっぺんで変われるものでもなく、揺り戻しというものもあると思います。それでもそうした小さな変化を、長い人生で積み重ね続けると20年30年後には驚くほどの別世界にいる自分をしみじみ感じる。
そうした長い目で向かって頂ければ^^。



■ (No Subject) / 無名 引用
No.1287 2018/10/10(Wed) 04:19:31

整形を考えています。26歳の女性です。
諸事情でお金を借りたいと親に相談した事があるのですが、
「整形に使うのか」と深刻そうに言われたことがあるくらい客観的に見て不細工です。
(その時の相談内容は整形ではありませんでした)
人とコミュニケーションがとれなかったり、数年引きこもりにもなりました。
すべて容姿を気にするあまりのことです。
私は幸福になる為に整形したいです。
ファッションや恋愛や対人関係を楽しみたいからです。
ただ、ハイブリッド心理学ではそういったハンディキャップは
制約として受け入れて成長につなげることを勧めていますね。
しまのさんは、目の前に本当に不細工な女性がいて容姿に悩んでいたらどうアドバイスしますか。


 
□ 「美容整形の検討」から入るハイブリッド心理学^^ / しまの 引用
No.1289 2018/10/20(Sat) 16:41:21

「可能性の徹底的な探求確認」がまずアドバイス

人生の生き方についてのハイブリッド心理学からの基本指針は、「望みに向かって全てを尽くして生きる」というものです。
そのための実践として、「可能性の徹底的な探求確認」というのが基礎中の基礎になりますね。

これは「美容整形」についてもそうですね。それがどのように人生で役立つのか。一方そのリスクとは。それらを総合したコストパフォーマンスはどんなものか。
実際に容姿に大きなハンディがあった時、美容整形がその救い、さらには救い以上の挽回になるケースもあるでしょう。これはご存知かも知れませんが、美容整形大国のお隣韓国の『Let美人』というTV番組が日本のバラエティ番組でも紹介されており参考になるかと(Youtubeにもアップされている模様)。これは時にパネラーなどが涙を流すような感動劇になってますね。まちょっとやり過ぎの感があるのも多いですが^^;
一方で、客観的にはむしろ容姿が優れた人が、自分の容姿に問題があると思い込み、整形の虜になるケースもあります。これはもう「整形依存」という、れっきとした心の病気ですね。これも同じく韓国で「扇風機おばさん」なんてケースがありました。劣悪な整形処理のあげく顔面崩壊に至ったケース。最近TVで見かけないのであるいはこれが原因で亡くなってしまったのではと浮かべたりしましたが、ネットで今も取り上げられておりご健在のようですね(失礼しました^^; そうした大きな健康障害は免れたようでなによりです)。
まあそうした極端な話にならなくとも、それなりの費用や手間やリスクもあることでしょうし、そもそも手を入れる量からして実にバリエーションがあると思います。かなり気軽に試せるものもあるだろうし、それでは済まないものもある。

ということで、

>しまのさんは、目の前に本当に不細工な女性がいて容姿に悩んでいたらどうアドバイスしますか。

について僕からのアドバイスとは、
まずは徹底的に知ることだというものになります。決断はその先にするがいい、と。
そしてその決断は、誰々がどうこうだからこうこうでいいじゃないの!、といった他人を引き合いにして押しつけるような声(他人からのものであれ自分内部からのものであれ)に流され決めるのではなく、その徹底的に知ったことへの自信の上で自分で決断するがいい、というものになります。


ハンディ解消の役割とは

その決断の一助として、ハイブリッド心理学からは「美容整形」が人の人生にとりどんな役割のものになり得るか、というテーマをちょっと一考しましたので書いてみましょう。
例えて比較すると分かりやすいと思います。それは例えば、何か外国語の会話ができるようになりたいが喉に障害がある、というものに例えられるかと。
ほとんど声が出ないほどだと始まらない。だから何とかそれを治そうと対処を重ね、完璧な美声になれば大丈夫と考えたとしても、それではまだ始まっていないんですね。その外国語について勉強しないと。

実はこの例えがほぼ同じ状況になるわけですね。
外見容姿にハンディがあって、ファッションや人との関係や人生を楽しめない。まず外見容姿をどうにかしたい。
いいでしょう。それはそれで上述の通り検討するといい。しかし人との関係や人生の生き方は、それとは全く別の話として、学ばなければならないわけです。
そうした視野がぽっかり抜けたまま、完璧な美声になれた時、外国人がその美声にうっとりして、実は何も喋れていないのに、ジェスチャーなどでカバーして会話ができているかのように接してくれるかも知れない。でも実際は会話能力はまるでないまま。じき通用しなくなるのが目に見えている。
美容整形も全く同じでですね。結構な美形になれた時、人の方からちやほやしてくれるかも知れない。でもそれでは人とのコミュニケーションや人生の生き方技術は、何もできていないまま。
一方その外国語について十分に習熟していくならば、多少声がまだかすれている段階で、問題なく会話できることが分かってくるかも知れない。
これもまさに人との関係や人生の生き方について同じ。完璧な美貌でなく、多少の見た目欠点があってさえも、それはもう何も障壁になることのないような対人関係能力や人生を生きる力が得られることが分かってくるかも知れない。


「それぞれについて同時に学んでいく」

そのために重要なのは、これがまさに重要なポイントになりますが、どっちが先か、ではないということです。向上への歩みを、同時に始める必要がある。その先に、その人なりの唯一無二の、バランスの取れた満足ポイントが見出される、というものになります。
喉の治療と外国語の会話であれば、その両方を、すぐ同時に始めるのがいい、ということです。一方が完全に完了したら、残り一方を始める、というのではなく。外国語の種類によって、必要な発生の種類、それに応じた治療目標というのも出てくるかも知れない。逆にあまり影響のない障害の範囲というのも見えてくるかも知れない。これは分かると思います。

ところがどっこい、外見容姿と人との接し方人生の生き方というテーマになると、この両方の向上に同時に取り組むというのがまるでできないというのがありがちのように感じます。外見をどうにかすることに心が虜になるか、もしくは「大切なのは外面ではなく内面」とかの、言ってしまえば皮相な精神論(言ってしまう^^;)を、人の目と自分との間につい立てのように掲げたりと。
そうなってしまう理由とは、やはり世にある人との接し方人生の生き方指南というものが、具体性を欠いた精神論ばかりのもので溢れていることにあるのではと。接客話術のようなごく限定的なものはあるとして、生活と人生の全体で取り組めるようなものが、なかなかない。

ということで、そうしたものとしてお役に立てるのではと展開しているのが、ハイブリッド心理学ですというご紹介になる次第です^^。
美容整形のコスパを検討するのと同じくらい具体的な内容検討になるものとしての、人との接し方人生の生き方の学びですね。生活と人生の全体で取り組むべきものとして。
この内容については、『入門編』などはご一読されたかも知れませんがあまり具体的内容には踏み込んでいませんので、手っ取り早いものとしては
『メール相談事例集』
の「代表的事例」の「No.001さん」「No.002さん」など読まれるといいかと思います。

ですのでアドバイスの結論は、こうなるわけですね。
美容整形について、徹底的に知っていくといい。そしてそれと同時に、人との接し方人生の生き方について、それと同じくらい具体的な学びがあるのを知っていくといい。ハイブリッド心理学がその一つとしてあるだろう。
整形についてどのようにすればいいかの、満足行く結論も、その両方を進めていく中で、長期的に出していくと考えると良いだろう。

というものになります。
ご検討頂ければ^^。


基本方向性の上に「望みの追求」が極められる

話をちょっと加えるならば、そのように道を見誤らないような基本的方向性をしっかりと持った先に、冒頭で人生の生き方の基本指針だと言った「望みの追求」が極められる、と言えます。
つまり最後は、ハンディだから克服したいという言い訳(?)をとっぱらって、「自分としてこうしたい!」という結論を出すのがゴールになるであろうと。
人にこうこう程度には見られたい、だけではなく、自分としてこんな自分でありたい、という「望み」に、しっかりと向き合うがいい、と。

まあ男の僕でさえ、前頭頂部の髪が薄れるのを食い止めるべく多少の投資などしています^^; 自分の容姿が自分なりに気に入れるのは、気分の基調を良くすることでもあります。それはもう人にどうこう見られればいいじゃないの、なんて話は無視できる、自分自身のための真実の望みの追究の一つになるわけですね。
あくまで、上述の話の流れの一つ一つをしっかりと踏まえながら、最終的にはそうした自己向き合いになるだろう、という話になりますね^^。



■ 生み出すものが見つからない時 / kt 引用
No.1284 2018/10/01(Mon) 12:04:51

愛を前提としない楽しみ、生み出すことによる人との繋がりについてです。
心の自立を目指して取り組んでいますが、これをやってみたいなあ、といった推進力のあるものが湧いて来ないです。趣味などか何あればよいのですが、40年近く生きてきてこれといったものがないのです。そもそも、何かに夢中になってやった事がありません。
どうせ自分なんてという無力感があるからでしょうか。
仕事はしてはいますが、能力もやる気も低いために干され気味です。かといって頑張ってやろうとも思えず、頑張ったところで私の能力ではたかが知れており上には相手にされないと想像がつくため、惰性でやっています。
見られて愛されることにしか視点がなかったために、生み出す事自体が分からなくなっています。
生み出す事がどういう事なのか、もう少し詳説していただけると幸いです。


 
□ 「生み出すこと」の切り分け^^ / しまの 引用
No.1285 2018/10/06(Sat) 11:23:07

まず「生み出す」とは、「喜びと楽しみ、そしてあらゆる向上」を生み出すことを言います。この最も総括的な定義はよろしいかなと。

問題なのは、というか重要重大な視点になってくるのは、その「生み出す」ということが大きく、
1.個人生活において
2.他(他人や社会)との関係において

という2領域に峻別されることですね。

この2領域はルールやマナーと向かうべき姿勢が全く異なるものであり、それを互いに混ぜこぜにしてしまうのが、悩み惑いやトラブルの元になると思います。
一言で、個人生活において生み出すべきものが何なのかを決めるルールは、自分自身の中にのみあり、自分自身による専決事項になります。
一方、他との関係において生み出すべきものが何なのかを決めるルールは、自分自身の外側にあります。
ですので、個人生活において生み出すべきものを、人の意見や人の目によって考えようとしたり、他との関係において生み出すべきものを、自分勝手に、あるいはやる気など自分の内面感情で考えようとしたりするのが、悩み惑いやトラブルの元になるというとになります。

ということで、まずは上記2領域への姿勢の切り分けということから検討するといい、というのがアドバイスになるかと。あくまで文章表現だけの問題かも知れませんが、ご質問文面からはちょっと切り分けができていない混乱の気配があるため。

>愛を前提としない楽しみ、生み出すことによる人との繋がりについてです。

「愛を前提にしない」ことが重要になるのは、「社会行動」、特に「仕事場面」のことですね。たとえば同郷の人がいて好意を持ってもらえるといったこととは全く無関係に、仕事の場では役割に応じた「価値の生み出し」があります。まずはそれに向かう。それはまずは「人との繋がり」を目的とはしないものという認識が良いものになるでしょう。

>趣味などか何あればよいのですが、

「趣味」はまずは、全くの自己専決事項になりますね。人にとやかく言われるようなものではない。まず自分の楽しみ、生活の充実のため、人との関係は全く度外視して探してみるのがいいと思います。で本格的に趣味の活動をする中で、あるいは人との繋がりにつながっていくかも知れない。

>頑張ったところで私の能力ではたかが知れており上には相手にされないと想像がつくため、惰性でやっています。

仕事は、収入や、社会での能力発揮による自信のために向かうものになりますね。相手にされるかどうかという狭い対人場面よりももっと広い視野で向かうと良いと思います。

まずそうした切り分けを検討の上、それぞれへの向かい方について、自分の現状と今後について検討するという2段階で整理して頂くと良いかと思います。
まずはそこから。そうして切り分けの上で何か悩みテーマがはっきりしたら、それについてまた取り組みが見えてくると思います^^。


 
□ Re: 生み出すものが見つからない時 / kt 引用
No.1286 2018/10/07(Sun) 09:09:00

島野さん、ご返信ありがとうございます。
仕事に関しては社会に与える価値やミッションを意識したいと思いますが、気持ちとしては歯車や部品になった感覚もあります。でもそれが ”生み出し“ の世界ですよね。

個人的趣味は、例えば自分はだらだらネットするのが好きだと認めると自他共に駄目な人間に思えてしまいます。
何かやっていても、そんなのやって意味あるの?・生きる上で無くても問題ない下らない・もっとお金や他人からの愛情を得られる生産的なものでなければ…と考えて目の前の事に没頭できないのが現状です。目的が、自分が無価値だという感覚を補うためだから見つからないのだと思います。

完全に主観的な、自分だけから見た楽しみや喜びという感覚をどうやって培うか。
人としての価値のある無しから掘り下げる必要性を感じています。
愛され依存、どうにかして克服したいです。


 
□ 「価値言葉」と「生み出し思考」^^ / しまの 引用
No.1288 2018/10/11(Thu) 11:11:38

>気持ちとしては歯車や部品になった感覚もあります。でもそれが ”生み出し“の世界ですよね。

自分が歯車や部品になった感覚となると、ちょっと「生み出し」にはならなくなってしまうかもですね。
ハイブリッド心理学で言う「価値の生み出し」は、良く使われる言葉で言えば「付加価値」を生み出すことです。通り一辺倒で最低限果たすこと以上の何を、そこで生み出すか。
たとえば歯車や部品になったかのような仕事でも、単に歯車として動くだけではなく、それがどのような「機能」や「品質」を作り出すか、そこにさらなる向上を加えるための工夫とは、そこに故障や障害がないようメンテナンスをどうすべきか、といった事柄を考える、それについてコミュニケーションするといった姿勢と実践になって、自分が単に歯車や部品になったように仕事するのではない、「生み出す仕事」の仕方になるという話ですね。

そのように、「生み出す」というのは「価値言葉」や「生み出し思考」といった具体的内実が必要になるもので、これは新たな言語を学んで実践するように結構勉強や実践の積み重ねが重要で、40歳でも遅くはなく取り組んでみて頂くとよろしいかと思います^^。
参考資料としては、
メール相談事例集 No.002 視線恐怖および「職場での自分の位置への不安」の克服
など。またこの『読者広場』を「スキル」とかの言葉で検索すると結構参考になる話がいろいろ出てくるかと。

そうしたものに向かう姿勢と実際そうしたスキルが身につくことで、「自尊心」にそこに根ざすようになり、自ずと「愛され依存」ではなくなってくると思います。

>もっとお金や他人からの愛情を得られる生産的なものでなければ…と考えて目の前の事に没頭できないのが現状です。

お金や他人からの愛情を全く目的とせずに、純粋に楽しく感じるものが個人的趣味になりますね^^。

>人としての価値のある無しから掘り下げる必要性を感じています。

これはちょっと文章が良く分からないところもあるのですが、「人としての価値のある無しという不合理感覚」に取り組むという意味かなと。
「人としての価値」なんてのはごく相対的な話で、AさんがBさんにとって役に立てばAさんがBさんにとって価値があるがCさんにはてんで関係ない話ということですね。

察するに、ご質問ご相談の言葉の底にある取り組みテーマは多岐になると思いますので、「自分の何が悪いのか」という問題突きとめというより、『辞典』で整理しているようなテーマ項目の全体にわたって、ハイブリッド心理学の考えはこう、それに対し自分はこう考えるという、全般的確認で取り組んでみるとよろしいかと思います^^。




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