No.1301 2019/01/12(Sat) 21:30:17
携帯電話の料金を下げるべく携帯電話会社の乗り換えを検討しています。多くの携帯電話会社に話を聞いたところ,もっとも金銭的にお得だと言える会社が分かりました。ですが,その会社にたどり着くまでにかなりの時間と労力を使い,わずかな金額の多寡にも注意を払う自分に卑しさも感じました。得をすることは出来たかも知れないが,このような得を求める行動(損を回避する行動)を過度に行うと,長期的に人生を通してみれば損をする(人生を失う)こともあるかもしれないと思いました。
メルカリで安い商品が出るのを毎日チェックしながら時を過ごし,最終的に安く買えたはいいが,チェックをしていた時間や労力に見合っていなかった。
1000円割引のクーポンが出たから,欲しいものを探し出し,多少無理して購入する。
温泉宿に泊まり,無料だからと言って不必要に朝夕二度温泉につかる。
よりお得なものを得るため,何がお得かどうかの調査するが,その調査に時間をかけすぎる。制限時間が設定されていないと,延々と考え続け,気づいたときには多くの時間を浪費してしまっている。
より条件のよい転職先を探すが,転職活動に多くの時間をかけすぎて,1年が経ち,転職する機会を失う。
自分の決断の基軸が,「損得」になってしまっている事がよくある。よくあるというか,何事にしてもそうかもしれない。働くことだって,結婚することだって,より楽で,よりオトクなものを選択する。そんな自分が卑しいと思いつつ,それに代わる決断の基軸も特に見当たらず。
損得感・効率性といった決断の基準について,お考えがあればお聞きしたいです。 |
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No.1303 2019/01/15(Tue) 15:12:10
正しい損得思考
これは比較的単純な問題かもですね。損得や効率で考えてしまっているのが問題なのではなく、損得や効率をうまく判断できていないという問題になると思います。間違った損得思考や計算をしているという問題。
ありがちなのは、まさに
>損得感・効率性といった決断の基準について,お考えがあればお聞きしたいです。
とご質問頂いていますが、「基準」を間違ってしまっているというケースかと。
まず話を最初から言いますと、「損得で考える」ということ自体を、ハイブリッド心理学では否定しません。 むしろ「損得」で考える主義です。それへの対照となるのは「とにかくこうすべき」という道徳主義のような思考になると思いますが、ハイブリッド心理学ではそれに立たないのはご存知かと?^^。 ハイブリッド心理学では、自分の生き方や行動を、損得で考え、決めるという主義です。 重要なのは何を「基準」にするかで、「幸福」を基準にします。「お金」ではなく。これは「材料」にはなり得るだろうが、基準にはしない。
「基準」にするとは、それがより上のものを選択するということですね。自分がより幸福になるであろうものを選択する。これをもう一義的なものとして掲げます。 ただしその「材料」が、人それぞれ時と場合で多種多様になるわけですね。「お金」もその一つでしょうが、それだけ考えるというのはあまりに視野が狭い話であるというのはよろしいかと^^。
ともかく、まず正しい「基準」で損得を考えることだ、という話です。 ありがちなのが、「材料」を「基準」にして考えてしまうのが、この損得思考、損得計算の全体に歪みや惑いが出てくる原因、というものです。 通常の食事であれば、「旨さ」が基準で最終的に選ぶと思います。文字通りの材料で決めるのではなく。また値段ももちろん判断材料にはなると思いますが、基準ではないですね。これはよろしいかな。
ということで、書いて頂いたものは、ずばり「金銭値段」を「基準」にしてしまっているのが惑いの原因かと思います。「クーポン」やら「無料」やらと。 もちろん「お金」を基準にものごとを考えるのは世の人にありがちですが、「幸福」を基準に考え、人生に時間が限られることを見据えた時、「お金」は「基準」としての座を失うのみならず、「材料」としての強みさえも次第に色あせる、と言えると思います。 なぜなら、「お金」によって我々は「幸福」につながるためのさまざまなものを手にできると思い描いて人生を歩み始めるわけですが、「お金」を得て、それによって得たものが「幸福」につながっていないのを感じた時、それは「時間を失う」という「損」であることを、知るからです。人生には時間の限りがあります。だからそれはまさしく、人生を失うことにつながるものなんですね。 言えるのは、「お金」を基準にすると、時間がかかる、ということですね。お金を得るために、時に、というより大抵必要になる、膨大な時間。お金のちょっとした差異に右往左往し沢山の情報に付き合わされる時間。 ならば、「お金」という基準を思い切ってとっぱらってその先で得られるものを手にしてしまえば、全体としてはるかに得で効率良いということにもなるわけです。実際それが得られるのあれば、という条件つきになりますが。
「お金」との付き合い・損得計算の熟達への道
以上のような話を基本的考え方として、ハイブリッド心理学からは、「損得計算の熟達への道」というのがある、と言えるかと思います。 それは同時必然的に、「お金との付き合い方」という、現代人の宿題の話だと言えます。現代人にとり「お金」が、生活振りを決定づける基盤でもあり、損得思考における極めて強力な材料、さらには基準にもなり得るものだからです。
2つ課題があるという考えになります。 一つは「道」としてあるもの。つまり人生の歩みの段階に応じた課題があり、それにいかに向かうことができるかという課題。 「依存の愛から旅立ち、自立の自尊心を経て、成熟の愛へと向かう」というハイブリッド心理学の「命の生涯」の思想に対応する形にて、以下のような道があるというものになります。一言で言えば・・というよりちょっと長くなりますが、 まずはとにかく、「仕事」の能力向上に向かうといい。それが同時に、この社会で自分がどの程度のお金を得ることができるのかの、おおよその目安になる。そうして人生の歩みの折り返し頃になれば、自分が人生でどんな生活振りができるのかの目標と実際の達成状況というものが見えてくるようになる。するとほどなく、お金が生活基盤として重要であるのは引き続く一方、やりがいや生きがいをどう得るかが、多少ともお金を度外視した形で重要性を帯びてくるだろう。その先に、やりがい生きがいを見出すと共に、人生の終わりまでの金銭の見通しを立てることを足場に、金銭への惑いや金銭欲を卒業するというのが、「お金とのつき合い」という宿題の一つのゴールの形と言えるだろう。 これがまあ、「損得」といったテーマで、惑いの全体から卒業するまでの道という話です。「損得感」の話となると出てくる話。
一方もう一つの課題とは、そうした道のどんな時点にいるにせよ課題となる、「損得の判断力の向上」という課題です。 「損得」および「損得感」の大小は上記の「道」に応じて様変わりするわけですが、ここではどっちかというと細かい損得場面をどう素早くかつ的確に処理していけるかという、日常的な話であり、ご質問としてはこっちが話としては焦点かもですね。
まあ、こうなれれば損得判断の達人という姿があるということになると思いますが、それはどんなことか。 「幸福」を損得の基準にする限り、それはとくかく損得金額計算が正確迅速にできればいいというのではない、のはいうまでもないことですね。 僕の考えでは、いくつかの、達人たる判断則をしっかり身につけることだ、と考えます。 それは上述のように、 1.損得の「材料」になるものを「基準」へと格上げしてしまわない ということから始まり、社会経験人生経験の中で学ぶべきことをしっかり身につけた姿です。思いつくものをあげていけば、 2.代償のある小さな得は、実は基本的に損 この「代償」のよくあるものが「時間」ですね。あとはたとえば「ストレス」。株を買ったりしてごく僅かな株価変動に右往左往しているのは、もうそれだけで損。 3.小さな得を餌に大損を食わされることなかれ 「確実な利回り」の文句をエサに、老後資金をごっそり騙し取られる高齢者のなんと多いことか。 そしてとりあえず最後に、これが重要ですが、 4.何のためにそれをするのか、自分自身を知れ たとえば洋服好きの僕は着ない服をヤフオク出品するというのをよくやっていますが、中には100円200円といった値段でしか売れず、手間時間が割りに合わなそうなものも良くあり、準備作業に入ろうとして「何でこんな面倒なことを・・」を自問すると、「まだ使えるものをいきなり捨てるという行為が、僕は嫌なのだ」と答えが返ってくるわけです。で、なるべく面倒を感じないよう、他のもののついでのような形で出品作業を進める。 そこでは「お金」よりも、「満足感」というプラス感情が、目的なんですね。それに見合った行動をする満足感。
そうした細かい損得判断を、日常生活の中で素早くできる、即断できる、といった自分を感じるようになって、自分が人生の一つの側面で達人になれたような満足感を得られるわけですね。 決して金銭額の問題ではないわけです。 そうした判断がうまくできないというのは、まるで交差点を前にしていつまでもハンドルを切ることができない運転者のようなもので、何よりも自分が情けなくなってしまうと思います。金額的な損というより、こうしたマイナス感情こそが、損なんですね。
テーマ整理および思いつく僕の考えをざっと書きなぐりましたが、考え方の基準はこれでおおよそお分かりかと。 書いて頂いた具体的内容については、「クーポン」「無料」とかは、まず目的が先にあって、そして時間かけず手に入るものは大いに使うのがいいですね。クーポン探しに時間をかけるという行為が良しとなるのは、それ自体を趣味として楽しめる場合です。 電話料金の件は、これは長い目で見ると結構影響ありますので、調べるのに時間食うのは多少アリと思いますけどね。どっちかというと、この程度の金銭金額問題ならこの程度時間かけて検討して良しという自分の按配加減への自信なさというマイナス感情の問題かと。これは判断力が全体的に上がることで、「これはこれで良し」という時間配分判断力と満足感も向上すると思います。 一方、
>働くことだって,結婚することだって,より楽で,よりオトクなものを選択する。そんな自分が卑しいと思いつつ,それに代わる決断の基軸も特に見当たらず。
これは卑しいというより、上の4番、目的が見えていないという、ちょっと別次元の問題があるかも知れませんね。自分の人生の生きがいをどのように設計するかという、どっちかというと上の「道」の方の次元の話。 これは取り組みとしても遠大なものになりますのでここではもう話を膨らせませんが、アプローチとしては、「人生での望み」といったテーマでの向き合い、そこに妨げがありそうであればどのように「望み」に蓋がされたのかの自己分析などがある、と一言添えておきましょう^^。
まずは基本的考え方から確認し、あとは日常生活での細かい場面でのハンドルさばきの積み重ねになりますね^^。 |
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