しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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(No Subject) / 無名 引用
No.1287 2018/10/10(Wed) 04:19:31

整形を考えています。26歳の女性です。
諸事情でお金を借りたいと親に相談した事があるのですが、
「整形に使うのか」と深刻そうに言われたことがあるくらい客観的に見て不細工です。
(その時の相談内容は整形ではありませんでした)
人とコミュニケーションがとれなかったり、数年引きこもりにもなりました。
すべて容姿を気にするあまりのことです。
私は幸福になる為に整形したいです。
ファッションや恋愛や対人関係を楽しみたいからです。
ただ、ハイブリッド心理学ではそういったハンディキャップは
制約として受け入れて成長につなげることを勧めていますね。
しまのさんは、目の前に本当に不細工な女性がいて容姿に悩んでいたらどうアドバイスしますか。


 
「美容整形の検討」から入るハイブリッド心理学^^ / しまの 引用
No.1289 2018/10/20(Sat) 16:41:21

「可能性の徹底的な探求確認」がまずアドバイス

人生の生き方についてのハイブリッド心理学からの基本指針は、「望みに向かって全てを尽くして生きる」というものです。
そのための実践として、「可能性の徹底的な探求確認」というのが基礎中基礎になりますね。

これは「美容整形」についてもそうですね。それがどのように人生で役立つのか。一方そのリスクとは。それらを総合したコストパフォーマンスはどんなものか。
実際容姿に大きなハンディがあった時、美容整形がその救い、さらには救い以上の挽回になるケースもあるでしょう。これはご存知かも知れませんが、美容整形大国お隣韓国『Let美人』というTV番組日本バラエティ番組でも紹介されており参考になるかとYoutubeにもアップされている模様)。これはパネラーなどが涙を流すような感動劇になってますね。まちょっとやり過ぎの感があるのも多いですが^^;
一方で、客観的にはむしろ容姿が優れた人が、自分の容姿に問題があると思い込み、整形の虜になるケースもあります。これはもう「整形依存」という、れっきとした心の病気ですね。これも同じく韓国「扇風機おばさん」なんてケースがありました。劣悪な整形処理のあげく顔面崩壊に至ったケース最近TVで見かけないのであるいはこれが原因で亡くなってしまったのではと浮かべたりしましたが、ネット今も取り上げられておりご健在のようですね(失礼しました^^; そうした大きな健康障害は免れたようでなによりです)
まあそうした極端な話ならなくとも、それなりの費用手間リスクもあることでしょうし、そもそも手を入れる量からして実にバリエーションがあると思います。かなり気軽に試せるものもあるだろうし、それでは済まないものもある。

ということで、

>しまのさんは、目の前に本当に不細工な女性がいて容姿に悩んでいたらどうアドバイスしますか。

について僕からのアドバイスとは、
まずは徹底的に知ることだというものになります。決断はその先にするがいい、と。
そしてその決断は、誰々がどうこうだからこうこうでいいじゃないの!、といった他人を引き合いにして押しつけるような声(他人からのものであれ自分内部からのものであれ)流され決めるのではなく、その徹底的に知ったことへの自信自分で決断するがいい、というものになります。


ハンディ解消の役割とは

その決断一助として、ハイブリッド心理学から「美容整形」人の人生にとりどんな役割のものになり得るか、というテーマちょっと一考しましたので書いてみましょう。
例えて比較すると分かりやすいと思います。それは例えば、何か外国語の会話できるようになりたい喉に障害がある、というものに例えられるかと。
ほとんど声が出ないほどだと始まらない。だから何とかそれを治そうと対処を重ね、完璧な美声になれば大丈夫考えたとしても、それではまだ始まっていないんですね。その外国語について勉強しないと。

実はこの例えほぼ同じ状況になるわけですね。
外見容姿にハンディがあって、ファッション人との関係人生楽しめない。まず外見容姿どうにかしたい。
いいでしょうそれはそれ上述の通り検討するといい。しかし人との関係人生の生き方は、それとは全く別の話として、学ばなければならないわけです。
そうした視野ぽっかり抜けたまま、完璧な美声になれた時、外国人がその美声にうっとりして、実は何も喋れていないのに、ジェスチャーなどカバーして会話ができているかのように接してくれるかも知れない。でも実際会話能力はまるでないまま。じき通用しなくなるのが目に見えている。
美容整形全く同じでですね。結構な美形になれた時、人の方からちやほやしてくれるかも知れない。でもそれでは人とのコミュニケーション人生の生き方技術は、何もできていないまま。
一方その外国語について十分に習熟していくならば、多少声がまだかすれている段階で、問題なく会話できることが分かってくるかも知れない。
これもまさに人との関係人生の生き方について同じ完璧な美貌なく多少の見た目欠点があってさえも、それはもう何も障壁になることのないような対人関係能力人生を生きる力得られることが分かってくるかも知れない。


「それぞれについて同時に学んでいく」

そのために重要なのは、これがまさに重要ポイントになりますが、どっちが先か、ではないということです。向上への歩みを、同時に始める必要がある。その先に、その人なりの唯一無二の、バランスの取れた満足ポイントが見出される、というものになります。
喉の治療外国語の会話であれば、その両方を、すぐ同時に始めるのがいい、ということです。一方が完全に完了したら、残り一方を始める、というのではなく外国語の種類によって、必要な発生の種類、それに応じた治療目標というのも出てくるかも知れない。あまり影響のない障害の範囲というのも見えてくるかも知れない。これは分かると思います。

ところがどっこい、外見容姿人との接し方人生の生き方というテーマになると、この両方の向上に同時に取り組むというのがまるでできないというのがありがちのように感じます。外見をどうにかすることに心が虜になるか、もしくは「大切なのは外面ではなく内面」とかの、言ってしまえば皮相な精神論(言ってしまう^^;)を、人の目自分とのつい立てのように掲げたりと。
そうなってしまう理由とは、やはりにある人との接し方人生の生き方指南というものが、具体性を欠いた精神論ばかりのもの溢れていることにあるのではと。接客話術のようなごく限定的なものはあるとして、生活と人生の全体で取り組めるようなものが、なかなかない

ということで、そうしたものとしてお役に立てるのでは展開しているのが、ハイブリッド心理学ですというご紹介になる次第です^^。
美容整形のコスパ検討するのと同じくらい具体的な内容検討になるものとしての、人との接し方人生の生き方の学びですね。生活と人生の全体で取り組むべきものとして。
この内容については、『入門編』などはご一読されたかも知れませんがあまり具体的内容には踏み込んでいませんので、手っ取り早いものとしては
『メール相談事例集』
「代表的事例」「No.001さん」「No.001さん」など読まれるといいかと思います。

ですのでアドバイス結論は、こうなるわけですね。
美容整形について、徹底的に知っていくといい。そしてそれと同時に、人との接し方人生の生き方について、それと同じくらい具体的な学びがあるのを知っていくといい。ハイブリッド心理学がその一つとしてあるだろう。
整形についてどのようにすればいいかの、満足行く結論も、その両方を進めていく中で、長期的に出していくと考えると良いだろう。

というものになります。
ご検討頂ければ^^。


基本方向性の上に「望みの追求」が極められる

ちょっと加えるならば、そのように道を見誤らないような基本的方向性しっかりと持った先に、冒頭人生の生き方の基本指針だと言った「望みの追求」極められる、と言えます。
つまり最後は、ハンディだから克服したいという言い訳(?)とっぱらって、「自分としてこうしたい!」という結論出すのがゴールになるであろうと。
人にこうこう程度には見られたいだけではなく、自分としてこんな自分でありたい、という「望み」に、しっかりと向き合ういい、と。

まあ男の僕でさえ、前頭頂部の髪が薄れるのを食い止めるべく多少の投資などしています^^; 自分の容姿が自分なりに気に入れるのは、気分の基調良くすることでもあります。それはもう人にどうこう見られればいいじゃないの、なんて話無視できる、自分自身のための真実の望みの追究一つになるわけですね。
あくまで上述の話の流れ一つ一つしっかりと踏まえながら、最終的にはそうした自己向き合いになるだろう、というになりますね^^。



生み出すものが見つからない時 / kt 引用
No.1284 2018/10/01(Mon) 12:04:51

愛を前提としない楽しみ、生み出すことによる人との繋がりについてです。
心の自立を目指して取り組んでいますが、これをやってみたいなあ、といった推進力のあるものが湧いて来ないです。趣味などか何あればよいのですが、40年近く生きてきてこれといったものがないのです。そもそも、何かに夢中になってやった事がありません。
どうせ自分なんてという無力感があるからでしょうか。
仕事はしてはいますが、能力もやる気も低いために干され気味です。かといって頑張ってやろうとも思えず、頑張ったところで私の能力ではたかが知れており上には相手にされないと想像がつくため、惰性でやっています。
見られて愛されることにしか視点がなかったために、生み出す事自体が分からなくなっています。
生み出す事がどういう事なのか、もう少し詳説していただけると幸いです。


 
「生み出すこと」の切り分け^^ / しまの 引用
No.1285 2018/10/06(Sat) 11:23:07

まず「生み出す」とは、「喜びと楽しみ、そしてあらゆる向上」生み出すことを言います。この最も総括的な定義はよろしいかなと。

問題なのは、というか重要重大な視点になってくるのは、その「生み出す」ということが大きく
1.個人生活において
2.他(他人や社会)との関係において

という2領域峻別されることですね。

この2領域ルールやマナー向かうべき姿勢全く異なるものであり、それを互いに混ぜこぜにしてしまうのが、悩み惑いやトラブル元になると思います。
一言で、個人生活において生み出すべきもの何なのかを決めるルールは、自分自身の中にのみあり、自分自身による専決事項になります。
一方、他との関係において生み出すべきもの何なのかを決めるルールは、自分自身の外側にあります。
ですので、個人生活において生み出すべきものを、人の意見や人の目によって考えようとしたり、他との関係において生み出すべきものを、自分勝手に、あるいはやる気など自分の内面感情で考えようとしたりするのが、悩み惑いやトラブル元になるというとになります。

ということで、まずは上記2領域への姿勢の切り分けということから検討するといい、というのがアドバイスになるかと。あくまで文章表現だけの問題かも知れませんが、ご質問文面からはちょっと切り分けができていない混乱気配があるため。

>愛を前提としない楽しみ、生み出すことによる人との繋がりについてです。

「愛を前提にしない」ことが重要になるのは、「社会行動」、特に「仕事場面」のことですね。たとえば同郷の人がいて好意を持ってもらえるといったこととは全く無関係に、仕事の場では役割に応じた「価値の生み出し」があります。まずはそれに向かう。それはまず「人との繋がり」目的とはしないものという認識良いものになるでしょう。

>趣味などか何あればよいのですが、

「趣味」まずは、全くの自己専決事項になりますね。人にとやかく言われるようなものではない。まず自分の楽しみ、生活の充実のため、人との関係は全く度外視して探してみるのがいいと思います。で本格的趣味の活動をする中で、あるいは人との繋がりつながっていくかも知れない。

>頑張ったところで私の能力ではたかが知れており上には相手にされないと想像がつくため、惰性でやっています。

仕事は、収入や、社会での能力発揮による自信のために向かうものになりますね。相手にされるかどうかという狭い対人場面よりももっと広い視野向かうと良いと思います。

まずそうした切り分けを検討の上、それぞれへの向かい方について、自分の現状今後について検討するという2段階整理して頂くと良いかと思います。
まずはそこから。そうして切り分けの上で何か悩みテーマはっきりしたら、それについてまた取り組み見えてくると思います^^。


 
Re: 生み出すものが見つからない時 / kt 引用
No.1286 2018/10/07(Sun) 09:09:00

島野さん、ご返信ありがとうございます。
仕事に関しては社会に与える価値やミッションを意識したいと思いますが、気持ちとしては歯車や部品になった感覚もあります。でもそれが ”生み出し“ の世界ですよね。

個人的趣味は、例えば自分はだらだらネットするのが好きだと認めると自他共に駄目な人間に思えてしまいます。
何かやっていても、そんなのやって意味あるの?・生きる上で無くても問題ない下らない・もっとお金や他人からの愛情を得られる生産的なものでなければ…と考えて目の前の事に没頭できないのが現状です。目的が、自分が無価値だという感覚を補うためだから見つからないのだと思います。

完全に主観的な、自分だけから見た楽しみや喜びという感覚をどうやって培うか。
人としての価値のある無しから掘り下げる必要性を感じています。
愛され依存、どうにかして克服したいです。


 
「価値言葉」と「生み出し思考」^^ / しまの 引用
No.1288 2018/10/11(Thu) 11:11:38

>気持ちとしては歯車や部品になった感覚もあります。でもそれが ”生み出し“の世界ですよね。

自分が歯車や部品になった感覚となると、ちょっと「生み出し」にはならなくなってしまうかもですね。
ハイブリッド心理学で言う「価値の生み出し」は、良く使われる言葉で言えば「付加価値」を生み出すことです。通り一辺倒で最低限果たすこと以上の何を、そこで生み出すか。
たとえば歯車や部品になったかのような仕事でも、単に歯車として動くだけではなく、それがどのよう「機能」「品質」作り出すか、そこにさらなる向上加えるための工夫とは、そこに故障や障害がないようメンテナンスをどうすべきか、といった事柄考える、それについてコミュニケーションするといった姿勢実践になって、自分が単に歯車や部品になったように仕事するではない「生み出す仕事」の仕方になるというですね。

そのように、「生み出す」というのは「価値言葉」「生み出し思考」といった具体的内実必要になるもので、これは新たな言語を学んで実践するように結構勉強や実践の積み重ねが重要で、40歳でも遅くはなく取り組んでみて頂くとよろしいかと思います^^。
参考資料としては、
メール相談事例集 No.002 視線恐怖および「職場での自分の位置への不安」の克服
など。またこの『読者広場』「スキル」とかの言葉検索すると結構参考になる話いろいろ出てくるかと。

そうしたもの向かう姿勢実際そうしたスキル身につくことで、「自尊心」そこに根ざすようになり、自ず「愛され依存」ではなくなってくると思います。

>もっとお金や他人からの愛情を得られる生産的なものでなければ…と考えて目の前の事に没頭できないのが現状です。

お金他人からの愛情全く目的とせずに、純粋に楽しく感じるものが個人的趣味になりますね^^。

>人としての価値のある無しから掘り下げる必要性を感じています。

これはちょっと文章が良く分からないところもあるのですが、「人としての価値のある無しという不合理感覚」取り組むという意味かなと。
「人としての価値」なんてのはごく相対的な話で、AさんBさんにとって役に立てばAさんBさんにとって価値があるCさんにはてんで関係ない話ということですね。

察するに、ご質問ご相談の言葉底にある取り組みテーマ多岐になると思いますので、「自分の何が悪いのか」という問題突きとめというより、『辞典』整理しているようなテーマ項目の全体にわたって、ハイブリッド心理学の考えこう、それに対し自分はこう考えるという、全般的確認取り組んでみるとよろしいかと思います^^。



いらっとする言葉を言われたときの建設的行動 / ko 引用
No.1281 2018/08/16(Thu) 15:31:50

他人に批判され、いらっとしたときに、言い返したいという衝動に駆られるのですが、言ってもしょうがない、口げんかで相手を打ち負かして相手を不快にさせてもしょうがない、と思って、言われるがままに立ち去ります。
これは、相手を破壊しないという意味で、建設的な行動のように思えます。

ですが、そのあと、いらいらが収まらず、言い返しておけば良かったという思いと共に、相手に対するどす黒い憎しみみたいなものが生まれるのを感じます。
そして、その黒い憎しみが尾を引いて、次に会ったときには普通に接することは出来ず、余計に破壊的態度となってしまう。

結局、言いたいことはいって、互いにののしりあいになっても、黒い憎しみが残るよりはましだと思うのです。
大げんかをしたあと、それがきっかけで親友になるという話もあります。

私が育った家庭では、皆が言いたいことを押し殺してきたような印象があります。

でも、その場では気まずくなることがあっても、それが破壊的な行為であったとしても、言いたいことは言って、相手の考えていることを知って、少しずつでも互いを理解していく、ということの方が、結果的には建設的なものになるのではないかと思います。

そのほうが、内にどろどろしたものをためずに、さっぱりとした人間関係につながる気がするのです。
一見、破壊的な行動が、長期的に見れば建設的な行動になるということはあるように思います。
もちろん、もっと適切な方法、より建設的な方法があるのでしょうが。

島野さんのように成熟した大人の人ならば、何を言われてもいらっとするようなこともないのでしょうが、現に何かにいらっとしてしまう私にとっては、それにどう対処するのが建設的な方法なのか分かりません。
建設的な行動をとった後にそれによっていらいらしてしまう自分も勘定に入れて、より建設的行動を想定する、ということなのでしょうか。

島野さんはどう考えますか。


 
「取り組み実践」全体からの検討^^ / しまの 引用
No.1282 2018/08/19(Sun) 16:44:45

これは書いていただいたことへの考慮事項全てていねいに書いていくと本が一冊書けてしまう感じですが(というか実際書いた本の多くが説明になるかと^^)要点を書いてみますと、
まず
・人と人との「親愛」は「喜びと楽しみの共有」をベースにして築かれるもの
という考え取っています。そこでの「楽しみ」「害のない攻撃性」つまり相手をからかいふざけるようなものアリだと思いますが、それを「楽しみ」として受けつけられるかどうか人によってかなり違いますので注意が必要ですね。

>でも、その場では気まずくなることがあっても、それが破壊的な行為であったとしても、言いたいことは言って、相手の考えていることを知って、少しずつでも互いを理解していく、ということの方が、結果的には建設的なものになるのではないかと思います。

については、『辞典』
実践4-1 「価値観」の理解 - 「愛」への価値観
にもまとめたように、
「喜び楽しみの共有」として向かう。それができない時孤独を受け入れる
というのを指針として採用しています。「破壊」になるような言葉は、に浮かんでも言わない
なぜそうした指針取るのか詳しい考慮点など、説明がまだ埋まっていない部分もありますが
「愛」への理解と価値観と取り組み
など参考頂ければと思います。

そしてご質問タイトルでもある「いらっとする言葉を言われたときの建設的行動」については、
・いらっとする言葉を言われないよう先回り対処する
というのが一番建設的ですね。もちろんこれは言ってすぐそうできるようなものではなく、日頃からの建設的行動法学びと実践の試行錯誤の積み重ね次第に身についてくるものになると思います。
そして

・実際にいらっとする言葉を言われたと感じた時の建設的対処
としては、
 1)実際に自分の側に問題があれば、その改善向上に取り組む
 2)いらっとした自分の感情の自己分析取り組み

などが出てきます。後者はまず「自尊心」への姿勢メインテーマになると思います。
これは実際のところ、「感情と行動の分離」に始まるハイブリッド心理学の「取り組み実践」の全体進めるというになると思います。

ということで、ここで気のきいたアドバイスを手短にという感じにはならない点申し訳ないのですが、一度まとまった読書などして頂き、ハイブリッド心理学の全体どう頭に入ってくるかなどから、検討頂ければと思います。

上述「先回り対処」「自分の側の問題の改善向上」については、一般論ではなく一つ一つの場面内容ごと学びが出てきますので、さしつかえなければどんなこと言われていらっとしたのかの具体的例など書いて頂ければ、その個々具体的アドバイス可能かと思います^^。


 
参考図書^^ / しまの 引用
No.1283 2018/08/20(Mon) 06:20:19

子供相手いらっとしがちだったのが、2週間がらっと改善変化した事例などありますのでぜひ一読頂ければ^^。
『実践編 上巻』
「A子さん」事例(1章、2章、10〜12章)



都会と地方の優越感・劣等感 / 引用
No.1276 2018/06/29(Fri) 18:47:23

私は地元が嫌いです。ですが,今,地元に戻ろうかと悩んでいます。

高校を卒業してから,地元を出て現在(30歳)まで関西で暮らしました。
ですが,最近,父に初期の胃がんが見つかり,親のそばにいたいという思いが強くなりました。
また,資格を持っているので,仕事の面では地元に戻ることは難しくありません。私が戻ることで親戚兄弟の力にもなれると感じています。

ただ,関西での職を捨てて地元でこの先暮らしていくことを考えると,憂鬱になります。
地元は中規模都市なのですが,高校まで過ごしたその地に良いイメージはありません。保守的な人間が多かったというか,面白いと思える人,尊敬できる人があまりいませんでした。
他方,関西には良いイメージを持っています。都会というのは周辺地域から優秀な人が集まってくるためなのか,面白く,尊敬できる人が多くいました。
親の件がなければ,地元に戻ることはないと思います。

しかし,この先遠くないうちに親が死ぬとなれば,親の最後にそばにいられなかったことに対して,私は強く後悔するように思います。今回は父の件ですが,母についてもいずれ訪れることです。

一度地元に戻ると,仕事の都合からも関西には戻りにくくなります。
今後の人生を左右することになるため,なかなか決断がつきません。

地元の良さも知ってはいるつもりなのですが,おそらくずっと関西に劣等感を抱いたまま生きていくしかなさそうだと考えると,地元に戻る決断が出来ません。

島野さんは,都会と地方との間の優越感・劣等感についてどう考えますか?
自分の中では,都会の人に,地元を下に見られているといった意識があります。私自身も都会にいたときは地元を下に見ていましたし,同じような発想の人は多くいると思います。
住んでいる地域がステータスになる感覚を,果たしてどう捉えていいものか,悩んでいます。


 
Re: 都会と地方の優越感・劣等感 / しまの 引用
No.1278 2018/07/10(Tue) 16:42:58

なぜか投稿通知メールが来ておらず今気づきました^^ゞ
これから拝見して早めにコメント入れますです^^。


 
都会と田舎の優劣意識^^ / しまの 引用
No.1279 2018/07/12(Thu) 13:14:50

明日から北アルプスのため手短に^^。

ハイブリッド心理学からは、まずは一貫して「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解のみ行う」という「感情と行動の分離」実践ということで、
・外面行動具体的で現実的な材料ベースで決断する。
・内面感情成長成熟への広い視野の下で、精緻な自己分析理解を進める。
という2面になりますね。

仕事住いどうするかであれば、まず具体的現実的材料選択肢優先度決まってくるでしょうし、そこで好きな都会候補にできるのであればそうすればいいだろうが、具体的現実的材料ベースでもう選択肢にあがってこないなら、どうしようもない。

だからと言って優劣感情についてのわだかまり切り捨てよという話ではなく、惑う感情あるのであれば、拡大鏡さらには顕微鏡のような目を向けて向き合い続ける、というのがハイブリッド心理学流になります。
場合によっては一生それが続く覚悟でです。



>島野さんは,都会と地方との間の優越感・劣等感についてどう考えますか? 自分の中では,都会の人に,地元を下に見られているといった意識があります。私自身も都会にいたときは地元を下に見ていましたし,同じような発想の人は多くいると思います。

といった「優劣感情」への視野どう持っておくか。

まずご参考まで群馬住んでいる僕自身の感じ方書いておきますと、都会にはもうぜんぜん興味なしです。自分一人であればあとは生きていけるという計算を立て、こうして執筆などしながら日々山登りトレーニングできる低山すぐ近くにあり、そして北アルプス東京からより近いここでの生活満ち足りており。年2回東京の歯医者通ったりしていますが、都会華やかな街並みより、近所山山道の自然の方がずっと面白いです。

そうは言ってももちろん若い時都会に染まるのを良しとして生きたわけで、学生時代6年社会人20年、そして会社を辞め3年して群馬戻るつごう30年ほどという、今57歳ですから人生の半分以上を都会で過ごしたわけですね。
それを踏まえて言うなら、「人」について言えば都会田舎(多少は人口ある市であれば)で、差はないです。人が多いだけ^^;
特に「仕事」について言えば都会の人の方がデキルなんてことはてんでなく、同等の能力真面目さ求められます。
「場」違いですね。都会の方外観きれい。あとは、先月東京の歯医者の際は六本木のミッドタウンに寄りましたが、TVに出てくる女優のように綺麗な女性をよくみかけ、これはさすがに違うなあと思いました。そんな程度ですね。

そんな話参考に、ご自身の感情自己分析されるのも良いかと思います。まずそれは中身のない先入観イメージ的なものではないか。でなけれは、具体的どんな尺度優劣感じているという話か。学歴財力
あっあと「人」についての僕の感覚では、都会というのは根無し草で気張った人の集団というイメージは感じています。田舎落ち着いている分気張っておらず、それがどこか抜けているのを感じさせる可能性もありますね。

心理メカニズムとしては、人との優劣意識というのは、自尊心まだ未完成な未熟ゆえに抱くものです。自尊心完成してくると、もう人との比較意識など根底から薄れてくる。
まあ誰でも未熟から生きるのですからそれはいいとして、自分「自尊心」どのように築いていくものと考えているのかという、「価値観」問うのも重要ですね。これについて具体的には『理論編上巻』などで扱っています。

さらに言えば、

>私は地元が嫌いです。

というのが、実際いじめに遭ったとか具体的トラウマなどのであれば、これは優劣感情とはまた別テーマになってきますね。これについてコメントここではもう書きませんが一応念のため。

とりいそぎこんなとことで^^。細かい観点質問などあればまたコメント追加しますので^^。


 
つけたし / しまの 引用
No.1280 2018/07/12(Thu) 13:36:46

重要つけたし^^。

>都会の人に,地元を下に見られている

こうした人の目イメージは、「外化」と呼ぶメカニズムです。自分の心の中で起きていることが、外部で起きているかのように感じるメカニズム
ちょうど『辞典』「歩み1-2 心を病む仕組みとその克服」で次に「「自己操縦心性」と「外化」」なんてテーマ次にアップしますが。

「あらゆる軽蔑が、本質的に自己軽蔑の外化である」
とはホーナイ言葉です(だったと記憶)
まず自分がどう感じ考えているか自己分析重要になるゆえんです。



(No Subject) / こたろう 引用
No.1269 2018/04/10(Tue) 20:19:32

ブログ記事書籍no6
「感情と行動の分離」の足場

1章 「感情と行動の分離」の心の足場

「心底からの納得」ですが、この「心底」というのは何なのでしょう?

自分の中には分裂した人格がいて、どこまでいっても全体が「納得」する
という感覚にはなり得ない。

価値観選択の話でもそうですが、必ず「反発」する心の部分がありますよね。

そうではなくて、理知的に考えた場合は「納得」はする。

でもその反発する心の部分が、論理的に正しくてもそれを絶対に
認めようとしない。

心底からの真剣さで問おうとするとは、その反発する心の部分に
対して問うことになると思うのですが、頑として認めようとしないですし、
それでも問うことをやめずにいると、葛藤がただただ膨張していくのみです。

だから心底からの納得はせずに、はっきりした選択をせず、
「当てはめ」によってなんとか建設的に生きる、ということになってしまう。


結局これは「心底からの納得」にはならないし、
「価値観選択」にはならないということになってしまうと思うんです。



「思考」についても同じで、
論理的に正しいということがいくらわかっても、
それは自分の中の確かなこと、にはならない。

どう考えても論理的に正しい事であっても、どこかで
「自分だけでそれを正しいと判断する事」を保留にしている感覚が
つきまとう、といいますか。

色々と考えて考えて、納得の上で積み重ねた思考が、
それを思考している人物像と一緒に、突然に雲霧消散してしまうような
感じなんです。


 
「心底」「本心」^^ / しまの 引用
No.1271 2018/04/12(Thu) 16:35:13

>「心底からの納得」ですが、この「心底」というのは何なのでしょう?

次の2つ意味があると思います。
・「上辺(うわべ)」との対比
「上辺」含みやすく、「心底」ないもの。「上辺だけ」という表現をするとこれが明瞭になってきますね。
・外部からの影響によってブレない確かさ、強さ
そうしたものとして「心底からこう感じる、こう考える」という表現をしますね。

そうしたものとして、心底でどう感じ考えるか取り組みとして、価値観行動法自己分析といった実践が出てきます。

ブログ記事書籍No.6 「感情と行動の分離」の足場
詳しく取り上げているように、「心底」とは「本心」でもあり、辞典での「心の基盤」一つと言えますがは項目立てしてなかったですね。後で追加しようかなと。
「意志」密接な関係があるものと言えます。「本心に立つごとに、意志は確かなものになる」言えるかと^^。


>自分の中には分裂した人格がいて、どこまでいっても全体が「納得」するという感覚にはなり得ない。

「全体が納得」というのはあり得ず選ばなければならないということになると思います。人生選択積み重ねです。夕食あれもこれも全部食べたいと思っても限界があるわけです。優先する望み限界を、身をもって探求しながら、今の自分にとり最適夕食献立おおよそこんなもの、といものが次第に確立できていきます。
価値観行動法結局そうしたものだと思います。自分が幸福になるために、結局こうしたものにする、と。


>だから心底からの納得はせずに、はっきりした選択をせず、「当てはめ」によってなんとか建設的に生きる、ということになってしまう。結局これは「心底からの納得」にはならないし、「価値観選択」にはならないということになってしまうと思うんです。

それはその通りですね。
そこでまず、自分は実は建設的行動法を心底では選択などしていない!はっきり認める方が(実際そうなのであれば)価値観選択向かいやすいというを、
『取り組み実践詳説』
4章 「学び」への理解 - 「学び」への入り方

でも書いている次第です。
-----------
ですから、そのような心底からの納得この心理学の学びに問うということは、ここにもう一つの道が現れる可能性を含むことでもあります。
それは、この心理学に納得せず、この心理学に「ノー」を突きつけることです。
これがはっきりすれば、これもまた単純な話になります。この心理学を選ばないのですから、この心理学が言うような心の豊かさの境地ならないのは、不思議な話ではありませんね。これはもう人それぞれの自由です。
-----------

と。(P.76)
そこから再度折りにふれ再検討続けてみるといい。それで結局別の方向に行くことにしかならなければ、もうそれで仕方ないじゃないですか、というになります。
ハイブリッド心理学自己取り組み心理学ですので、言えるのはここまでになります。

上記前後に、「本心」に立って選択を問う姿勢について比較的詳しく書いていますので参考頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1272 2018/04/17(Tue) 19:09:46

選ぶ、という事は強制であり当てはめではないんですか?
考察した結果、選ばざるを得ないというか、
それ以外はありえない、というのならわかります。

しかし反発する部分がある以上はそうはならない。

心底って、だれのですか?
そもそも日常の意識が自己操縦の上にあるんですよね?

半強制的にかられている本当の自分ではない何か、が
今の意識なら、その上での納得も自己操縦の感情に


 
Re: / しまの 引用
No.1273 2018/04/24(Tue) 12:53:03

>しかし反発する部分がある以上はそうはならない。

この辺具体的内容など書いて頂くと、島野ならこう考える(考えた)という、実際に即したアドバイスができるかも知れませんね。難解理論的説明よりその方が参考になるかと^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1274 2018/05/06(Sun) 19:54:43

例えば、「宇宙の愛」を求める気持ちについて。

意識では、これはもう求める事のできない気持ちだ。実現不可能な事を
求めている事で、どうやっても不幸にしかなり得ない、現実は自分の願望を
満たす事はありえないのだという絶望感しかなくなる。

では、「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に
注力しよう。

という価値観選択を問う場面で。

自分の中の反発する部分は
「許せない。わずかでも自分を優遇するのをやめる人間がいるならば、その人間には
敵意を抱くべきだし、報復をするしかない。」
と告げます。

その感情に従って、仕事の場面で明らかに自分が悪い場面で、
かなり配慮してもらいながら注意を受けた際にも、
屈辱感が行動に現れ、目は怒りを保ったまま言葉では「はい。ありがとうございます」
と答えたり、といった自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている
現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか?
それは不合理ではないのか?

と問うても、

「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」

という結論にしかならず。

それは、宇宙の愛における挫折が引き起こす感情であり、ここで自分の対処能力を
高めていく事でいずれ克服できるものだ、という思考をしようが、

また表層の思考が
「このままでは本当に自分の立場がなくなってしまう!たしかに今の仕事は自分にとって
心から情熱を感じられるものではないし、ずっと続けていく気持ちにはなれないが、
ここで人間関係における問題を抱える事は、環境を変える上でもハンディキャップに
なってしまう!」

と訴えるも、その思考は自分の内面のほんの表層でじたばたしているだけで、
その下には現実の危機を全く無視をして頑なに自分の宇宙の愛へのしがみつきと、
静かな怒りがずっと広がっている。

表層の思考はすぐにそのブラックホールに吸い込まれ、無になってしまう。

表層で行った思考が、人に面した時にはその下の重苦しい空間に全て吸収されてしまい、
全くの無駄になる。


こんな感じなんです・・・。

最近以前にも増して自分の問題に向き合いづらくなっています。
日々の連続性が感じられなくなり、もちろん自分で選んでその場所にいるのですが、
突然その場所に存在しているかのような感覚に陥ったりします。


自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか?
最近本当に、今自分だと感じているものが全くの偽物であるような感覚が強まっています。

表情の使い方や、声色など、全く違う自分が押し込められて存在している。

その自分に切り替わってしまった場合、他者としては連続した人間として
自分を受け止める事ができるのか?

たしかに自分の中では「嘘をついては何もかもに価値を感じられなくなってしまう」という
事が確信できることだったとしても、ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を
他者は許容できるわけがない・・・。


そもそも現実における対処能力がついているわけではないので、
地に足のついた自分が少しづつ成長して・・・という段階でもない。
僕には起こらない事なのかもしれませんが・・・。


 
選択を問う思考法^^ / しまの 引用
No.1275 2018/05/13(Sun) 08:30:11

>自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている 現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか? それは不合理ではないのか?

選択を問うための思考法一般としては、「このまま行くか、それとも止めるか」というのはちょっと問う力が弱いですね。
しっかりと前進力のある対案候補を立てて考えることが重要になります。
つまり「Aのままでいくか、それともAを我慢してやめるか」ではなく、「Aで行くか、Bで行くか」問うことが重要
ダイエットなどがうまく行かないのもこうした選択思考できていないケース多いかも知れませんね。甘いスイーツを食べてしまうか、我慢するか揺れ動くだけ。結局意識を占めるのは「甘いスイーツ」なので、手が出てしまう結果になりがち。時間帯ごとに甘いスイーツとは違うものを食べる選択肢を考える、砂糖でなくキシリトールを使うスイーツ用意するとか、具体的対案選択肢立てるのが良い検討法です。

書いて頂いたものについては、ハイブリッド心理学の取り組みをするなら、ハイブリッド心理学のテーマ項目に沿った選択肢ていねいに考えてみて頂くと良いかと思います。
『辞典』まとめたようなテーマ項目ごとにです。「感情と行動の分離」から始まり、行動法「愛」と「自尊心」への価値観など。その選択に応じて今の問題どう変わってくるだろうかと。
すると、

>「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」

というのは、「感情を鵜呑みに考えない」という取り組みのスタート原則選択するかどうかで、話が違ってくるということになるかもですね。

あと選択思考としては、選択肢の軸がしっかり合っていることが大切ですね。価値観としてAとBのどちら取るか。行動法としてAとBのどちら取るか。これが価値観Aと行動法Bのどちらを取るかという思考になってくると、つながりを追っていけば問いとして成立することもあるでしょうが、次第に軸がずれ選択の問いにならなくなっていく危険があります。
また感情基本的に選択するものではありません。ただ流し理解するものです。
ですので、

>「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に 注力しよう。 という価値観選択を問う場面で。

「宇宙の愛」を求める感情あるのであれば、それはそれで仕方ないことです。それはそうとして、選択を問うならば、仕事場面であれば、「パーソナルな愛情や特別扱いを求める姿勢」vs「匿名性における価値の生み出しに専念する姿勢」といったに、やはりなると思います。

今までの話振り返りながら、『辞典』などもつき合わせの上、じっくり検討してみて頂ければ^^。


あっあと、

>自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか?
>ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を 他者は許容できるわけがない・・・。

「自己操縦心性の崩壊」は、ありのままの現実に向かって生きようとする心が、空想世界に閉じこもって生きようとする心打ち破るという治癒として起きるものですので、ごく一時的に心身不調状態のようなものが起きても、すぐ今までにない軽快な前進力ある心が回復するになりますので、何も心配するものではないと言えると思いますヨ。あらかじめの理解が得られているごとに、その一時的不調より軽く、やり過ごしやすいものになると思います。
まずありのままの現実に向かって生きる方向性得るのがになります。その上の話ですので、他者から見て風邪か二日酔い(^^;)でいっとき調子悪そうだったけど・・程度にしか見えないで済むと思います。

あくまでハイブリッド心理学の取り組み方向性においてあるものとしてはです。ですので取り組み方向性にまだあまり向かっていない時点「自己操縦心性の崩壊」とかのテーマにはできないかと思います。これはよろしいでしょうか^^。




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