しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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底のない絶望を繰り返す意味 / えん 引用
No.1399 2023/01/02(Mon) 19:01:50

島野さんこんばんは。
以前何度か不妊治療と夫との関係についてご相談した者です。その節は返事も書かず失礼いたしました。
結局、年齢的にも妊娠は難しくほぼ諦めなければならない現状なのですが、
これからの人生が不安で、毎日のように自分の過去の選択を後悔してあまり眠れない状態が続いてます。
夫がいなくなったら孤独しかなく、老後の頼りになる子供もなく、あまりの絶望感で頭痛がします。
絶望を感じ切ったら抜けられるという話もありますが、この絶望感は何度味わっても底がなく、
繰り返し続けています。
自分は負けなのだという気持ち、夫への言動の後悔、罪悪感、先には夫の死と、その後の孤独…。
本当に、過去の自分を殴りたくなります。でもこの選択はもう覆せない。
自分を愛してくれる者の最大が子供だったのに、なんという大馬鹿者だったのか。
子育ての大変さなんて、今の私には単なる自慢でしかなく激しく嫉妬してしまいます。。
島野さんは、望みをとことん追うべきとおっしゃっていましたが、
ほぼ可能性のない妊活には心が壊れてしまいそうです。
救われたいあまり宗教にハマるのではないかと思いつつあります。

今を生きる、といいつつも全てが虚しく、昔は楽しんでいたくだらない事にも全く笑えなくなりました。
一瞬笑えてもすぐ絶望感に囚われてしまい、夜には不安で目が覚めることを繰り返してます。

どのような心持ちで、生きていけばいいのでしょうか?
望みを追うことが辛くてたまらない時にはどうしたらいいでしょうか。


 
Re: 底のない絶望を繰り返す意味 / えん 引用
No.1400 2023/01/03(Tue) 08:48:55

ちなみに今一番感じているのは強い孤独と不安です。
親兄弟とも疎遠になり、義実家は認知症の傾向が出てきました。
正月の帰省では、義両親が身なりに気をつかえず異臭を放つようになっていた事に夫が激怒し、強制的に洗濯をさせ、頑固な両親は頭がおかしいと怒鳴り散らす始末でした。

友人もいないので、孤立無縁になりつつあります。いやもうなっているのかもしれません。
孤独感による脳のアラートが鳴りっぱなしな感じです。
こんな時の思考を分析すると、自分が無力であり、何の価値もなく、誰にも助けてもらえない人間だという思考で満ちています。
全般的に、受け身志向の自覚はあります。かといって、ならば能動的な思考になろうと思っても簡単ではなく、
とはいえ、このまま夜中に不安で目が覚めてしまう生活を続けていたら自滅してしまい余計悪化します。
無理にでも楽観性やポジティブ思考に変えていかないと潰れてしまう危機感もあり、
今までネガティブな考え方を力ずくでも変えようと足掻いていますが、少しでも油断すると強い孤独と不安、劣等感が顔を覗かせます。だから、片時も安心できない。

人との繋がりを求めて何かのイベントに参加して、孤独感が解消するのかどうか?
誰かに助けてもらいたい、そんな下心で接してもうまくいかない気がするのです。
ややパニック気味の文で申し訳ありませんが、アドバイス頂けますと幸いです。


 
Re: 底のない絶望を繰り返す意味 / えん 引用
No.1401 2023/01/04(Wed) 12:19:54


連投すみません。

他人に対し、受け身に愛される事や心から分かりあうような愛を求めていると自覚して、
それが実現できないものなのだと思うと悲しく涙が出ます。
心を観察すると、楽しさの共有より自分をわかってほしいと思っているのです。

ただ一人、夫だけが唯一無二にして絶対の愛なのですが、その夫への自分の酷い攻撃、子を産まなかった事への罪悪感などが、夫が居なくなったらさらに押し寄せてくると思うと恐怖です。夫との思い出全てが苦しめる。気が狂うのではないかと思います。


夫と離れると恐怖と不安でパニックや過呼吸のようになり、片時もそばを離れたくない、といった依存状態です。
この執着心、まるで母親を求める赤子のように思います。居なくなったら生きていけない、相手が自分の全て。これからの人生は夫に全振りしたくなりますが、今更自分が出来ることなんてもう大して無いのかもしれないとも思います。

罪悪感から逃れたい、孤独になりたくない、そうした思いばかりに囚われています。

どう対処したらいいものでしょうか。


 
まず「成長」の道のりへ^^ / しまの 引用
No.1402 2023/01/27(Fri) 15:20:09

最近庭仕事自分のガーデニング身内エリア・・10数年来の空き家木や雑草伸びまくり含む・・の伐採整理など)で毎日忙殺されているのもあり、ちょっと遅くなりました^^ゞ
これはまず最初投稿開いて最初についた言葉

>どのような心持ちで、生きていけばいいのでしょうか?
見て即座出た言葉が、「“心持ち”じゃあないですよー」と。

つまりハイブリッド心理学生涯を通し心の成長と成熟向かうための取り組みを、
『辞典』 全体−2 「学び」の全体構成
図示するように、自分という車を運転して進む道のりとして、心の基盤基本姿勢そして運転技術、さらに道のりの地図の見方考え方という構成要素組み立てとして、まずその構成要素ごと検討し取り組むものになります。
「心持ち」言うのであれば、まず『辞典』整理している項目テーマごとに問う必要がある、ということですね。
たとえばその点

>救われたいあまり宗教にハマるのではないかと思いつつあります。
とのことですが、ハイブリッド心理学では宗教的な思考方法採らず科学的思考極めて重視します。思考法原点中の原点になりますね。本当に科学的思考で生きていると、救われるかと宗教にハマりたくなってもそうはなれなくなるでしょう。
そうして一つ一つの取り組み要素について、ハイブリッド心理学とは別のもの採った時その先その人どのように成長し問題克服できるのかは、もう何も言えることはなくなってしまいます。これはよろしいかと。
まずはそうした、要素テーマごとにじっくり取り組むことありきなのがハイブリッド心理学であることを理解頂き、取り組んでみるか検討いただくと良いかと思います。

そうした要素テーマごとにじっくり取り組むのは、人生全て場面全て材料についてです。
今回ご相談内容について言えば、動揺のテーマ子供を持つという事柄についてだとして、取り組み実践はむしろそれとはまた別の、趣味仕事日常生活における人間関係生活術といった全方位において取り組むことが重要です。
なぜなら、そうした全方位でどう取り組むかが、人生の重要な選択テーマに際して、向き合い方と選択のあり方に、収束結実するからです。
ただこれを相談援助行おうとしても、24時間356日の思考と感情の内容にお付き合いする必要出てくるものであり、実際のところ不可能です。「自己取り組み」いかにできるかになってくると思います。
ハイブリッド心理学のそうした取り組み方については、
『メール相談事例集』 はじめに・「取り組み実践」とメール相談
あたり多少詳しく書いていたかと思いますので一読頂ければ^^。

そう取り組むとして、子供を持つというテーマについてどう感じるかについては、これほど人により感じ方向かい方が違う重要な選択テーマ他にそうはないのではと。ですので、それについてから何か具体的な言葉言えること何もない感じるのが正直なところです。まず他の人生の全方位領域材料に、心の「成長」そして「成熟」というものを見出すことに取り組んで頂く。何か答え見えてくるとすれば、その先になるのではと。
その答えとはもちろん、誰にどう「こんな心持で」と教えられるものでもなく、唯一無二のものです。ですので、
成長の先に、唯一無二の存在としての自分の生き方を見出す。
まあまずはこれが、
>どのような心持ちで、生きていけばいいのでしょうか?
というご相談への、からのアドバイスと言えるかと^^。

ただまあこれはあまりに総論的であり、今回ご相談内容について何か個別的に言えるアドバイスとしては、2点ほどかなと。

>なんという大馬鹿者だったのか。
なぜ自分はこれこれの選択をできなかったのか大馬鹿者なんて切り捨てずに、自分はこれこれの状態だったのでこれこれの選択ができなかったという自己理解できることが、一つのステップになると思います。正確自己理解だけが、の、真の自己変化への着実な足場になります。

そしてもう一つは、全体的として、「こうなれれば良かったのに」という「イメージ」を基準にした思考だけ向き合っておられること。
それは「そう感じる」という「感情」一つとして、「ただ流し理解する」ことはいいのですが、それはもう対処課題にはできず、つまり絶望感自体どうこう対処するものではなく、流した上で、現実対処が必要な問題を一つ一つ明確にして前進していくというのが重要です。その前進積み重ね「成長」「成熟」生み新たな視野見出すことにもつながっていく。もちろんこの具体的一つ一つ前進のために、価値観なり行動学なりの、本格的学び模索始めるというになります。
そうした道のりを、まず考えてみて頂ければ^^。


 
Re: 底のない絶望を繰り返す意味 / えん 引用
No.1404 2023/03/04(Sat) 21:25:38

島野さんこんばんは。お返事ありがとうございます。
色々あったんですが、今は人生死ぬまでにやりたいことをやるだけと半ば開き直りの状態になっています。子供がいてもいなくてもそれは同じ事ですね。

先の事をぐるぐる心配しても仕方ない、今できる事に集中するだけだと頭を切り替えてから、シンプルになった気がします。
結局人間、与えられた今の時間しか生きられず、限られた時間の中で自分がしたい事をするだけだからです。
こうして今日も無事に生きられている、それだけで良いのかもなと。あとは寿命が勝手に人生を終わらせてくれる。

確かにイメージありきの思考だと思います。人から見て私は惨めなイメージだとか。
色々現実的に考えて、人生は絵に描いたような幸福だけではない事も流石に想像するようになりましたし。
どんな道を選択しても薔薇色の人生などない、自分の唯一の人生を模索するしかない。
他人と比較しても、私はその人じゃないですからね。
少しずつハイブリッド人生心理学の歩みを進めていけたらと思います。


 
孤独感の対処 / えん 引用
No.1405 2023/03/06(Mon) 08:27:20

自分の人生の望みの本質は、とにかく愛が欲しいという渇望だと思います。
水や空気のように、それが与えられなくては苦しくて生きていられない感覚。
基本的に日常の対人関係や仕事は、愛とは関係ない人間関係なので虚しく思えてしまう。。
おかしいですよね、大人の考えではないと思います。
やっぱり幼児期の、大人の愛情なくして生きられない頃の不安感が今だに尾を引きずってるというか。
孤独が恐ろしすぎて誰か助けて!と叫び出したくなります。

自分の愚かさへの後悔、罪悪感、自己否定をどう考えても拭いされない、
無駄だとわかっていてもどこかで諦めきれないのかもしれません。

とりあえず余命3年と決めて、毎日それまで日記をつけようと考えています。

昨日公園に行って、こんな晴れた日に綺麗な場所で絶命できたら本望だと思いました。
今まで散歩に行ったら多少気が紛れそんな考えに至った事はないですが、
今回ばかりはどうにもならない気がしています。

望みに向かう事が断絶された時、やはりしにたいと思ってしまうのは仕方ないです。
色々どうでも良くなったので今日は仕事を在宅勤務にしました。
何の希望もないのに、どうやって自暴自棄にならずにいられるか、何が踏ん張る原動力になり得るのか、
難しい所です。



不誠実 / te 引用
No.1403 2023/02/14(Tue) 16:31:46

2年半前騒音トラブルを起こしてカフェイン錠剤をODして救急搬送されました。家族の手伝いの元アパートを引き払って実家に戻って生活しています。唯一の友人がいるのですがその人にもODしたことは話していませんでした。何をやっても直線的に下降する自分の状況に嫌気がさし自暴自棄になってその友人に相談しました。ODのほか、本来自分だけで抱えるつもりだった他人や家族への考え、価値観、自分の心の中の醜い感情なども話しました。次第に受容が欲しくなりODの件を伏せていたことを嘘をついたと認めたうえで「でもプライバシーは欲しいよね」と言い訳したところ返事を返されませんでした。このとき嘘(情報操作)をつくことは相手を自分のために犠牲にすることであるとということ、受容はその犠牲を呑ませることだと思い至りました。そして自分は友人がおらず、また一人ぼっていであるという孤独感が強まりわずかに泣きました。
まだ考えがまとまっておらず、外界に対する感情も乏しく、言うことに屈辱や恥や自己嫌悪なども感じる事柄も多いのですが、必要な情報の補完という意味で投稿しました。相談に応じていただきありがとうございました。



もうよく分からないけどしんどいです / 疲労さん 引用
No.1397 2022/12/03(Sat) 12:38:03

こんにちは。
イライラや焦燥感や色々入り交じり疲れてしまいました。

元来自分のペースを乱されるのが嫌いなのに、子供達の喧嘩や大声で疲れているし。
お金もなくてこれからの生活が心配ですし。(ボーナスで補填する生活)
子供の1人は自閉症でそれについても心配で。

そんなイライラや心配ばかりの自分をどうにか変えようとするも感情の抑圧をしている感じがします。

自分を変えよう現実を変えようとしていましたが、それがストレスになったのか最近では体調不良です。
頭痛、目の痛み、吐き気、胃痛、腹痛、肋間神経痛など...。
あまりに(特に)胃の不調が続くので、今月胃カメラをする予定です。

自分のペースで自分のことをしたい。
一人の時間が思う存分欲しい。
その時間に色々内省したい。
好きな時間に途中起こされることなく眠りたい。
365日24時間(いやそれ以上)自由がありません。

お金の心配をしたくない。
子供の学費や老後のことで悩みたくない。
子供の自閉症のことで関わり方に格別気を遣う生活に疲れた。

何をどうしたらいいか分かりません。
自分でも思考がまとまっておらず訳の分からない文章ですみません。

何かアドバイスをいただけたらと思います。


 
「考える」ことにまず取り組む^^ / しまの 引用
No.1398 2022/12/14(Wed) 10:39:41

これは拝見していて実は前半過ぎあたりまで読んで、ごくありきたりな「取り組み実践のご紹介」的な話しか書けないかなーと思っていたのですが、後半過ぎを見てあれっと思った部分があり、

>色々内省したい
ふむふむ自分に向き合いたい気持ちおあり模様。で、自分にどう向き合えているか現状はと言うと、

>何をどうしたらいいか分かりません。自分でも思考がまとまっておらず訳の分からない文章で
とのこと。

あれっと感じどういうことかな一考して言えそうなのは、
これは思考がまとまっていないのではなく、思考をまとめる作業をまだしていない、という状況見えるんですね。少なくとも書いていただいた文面内では。
従って、向き合うのがいいのは、まずは「考える」ということ自体だ、となる。

手短に言えば、書いて頂いた内容は、「感じること」というもの。「考えること」というのはそれとは違いますね。
「考える」とは、「感じること」に対して、何をどうするかあるいはどうしようもないことについてはどんなスタンスで受けとめるか、を詳しく考えることです。
そのためには大きく2ステップ思考作業必要になります。
1)選択肢を洗い上げる
2)どの選択肢が良いかを、自分で、自分のために、判断する


特に2)のステップ重要ですね。手短に言って、どんなに良さそうな解決策であっても、自分で考え自分自身のために判断するというのがないと、「成長」つながらない「成長」つながらないとは、いつまで経っても、自分で自分を幸福に導けない、ということです。「感じたこと」人にぶつけて良くしてもらうことを期待するしかできない。そしては、そして世界そう都合よく動いてくれるわけもないので、憤懣ばかりになってしまいます。
それとはに、自分で考え自分自身のために判断するという体験積み重ね「成長」生み出し「成長」によって、新たな選択肢が見えるようになります。つまり視野が広がるわけですね。さまざまな問題真の解決へと動き始めるのは、それからです。

ということで、まず「考える」ということ自体向き合い取り組んでみて下さい、というのがアドバイスになりますね。
そしてそれに多少とも向かえそうであれば、すぐ考える内容そのもの取り組みテーマになると思います。そこで『辞典』整理しているようなさまざまな視点出てくる、という次第です。
そうして「考える」ということ、にその内容と、を追って不明点困難点気になることなど、問題細かく整理していって一つ一つにつき、またご質問など頂ければさらに詳しいアドバイス可能かと^^。
一つ一つじっくり答えを出していく、地道な道のり向かうことです。全体をざっくりさせたまま「こんな心持で」といった一からげのアプローチは、ハイブリッド心理学では取らないものになります。検討あれ^^。

あっと一つ話追加しときますと、疲労については、どうしようもないものについては多少とも自動機械的にあれこれ考えず流しこなす姿勢と術模索し、その上自分だけの時間を捻出する戦法増やしていく、といったアプローチになるかと思います。当面それで、将来的には「成長」に、何か根本的に生き方の変換を模索するようなのもあり得る、という道のりになるかと。



(No Subject) / きい 引用
No.1395 2022/10/12(Wed) 09:19:39

先日北海道を旅行中にオービスにかかり、スピード違反で赤キップをもらいました。
前科がついてしまうらしいのですが、自分が汚れてしまった感覚がぬぐえず、自分が前科者だという負い目がぬぐいきれないでいます。

建設的思考から、スピード違反をしてしまった要因を分析し、今後同じようなことがないよう運転技術の見直しを図りました。点数や転職時の賞罰欄への記載など、デメリットについても理解しました。
今回のことで学ぶことは多かったのですが、どうも消化しきれないところがあるのか、否定的な抑圧感情が重く残っているように感じます。

気持ちの持ちようで済ませたくはなく、違反を肯定的に捉えたいわけでもないのですが、こういった犯してしまった違反への向き合い方についてアドバイスいただけないでしょうか。


 
「「罪」への向き合いと克服」^^ / しまの 引用
No.1396 2022/10/26(Wed) 09:39:05

テーマとしては、「「罪」への向き合いと克服」といったものになるかと^^。

ハイブリッド心理学からの取り組みとしては、
総論・・「罪」心理理解社会行動理念行動学
つまりまず我々「罪」感じることにはどのようなものがあるか。それに対する「おぎない」行動とはどうあるべきか、といった理解考え方。そして、
各論・・具体的「罪」関連する個々の出来事への向き合い取り組み
という2段になりますね。

総論基本的理解詳しく書き始めると一冊の本が書けるような話になりますが、ごくごく簡潔ポイントを書いておきますと、
まず「罪」心理としては、
a)自分で自己理想とすることを損なった
b)
人の期待に応えられなかった、人に悪い目で見られる
c)
人や社会に具体的な危害損失を与えた
という3類型の状況について人が感じる可能性がありますが、本来「罪」とはc)について言うものであって、a)b)については、自他の「欲」がどう損なわれているかの欲求不満の問題として捉え直すようなアプローチ有益になる、ということ。
次に「おぎない」への理念行動学としては、人や社会に与えた具体的損害程度に応じた、妥当なものがあるということ。軽いものから重いものまで、極めて大きく異なってくるものとして。たとえば「殺人」であれば「罪」感情苦しみ「克服」しようと考えるのが誤りであり、生涯それと共に生きる、そして自分も死んだ時「魂」の世界で相手に泣いて詫びるのだといった考え持てることが正解になるであろうこと。
一方ごく軽いものについては、「罪」としてどうこうというより、上記a)b)の問題になってくる面が多々ありますね。

・・とちょっと長め文章基本理解を書きましたのは、人生の中で犯した過ちへの向き合い克服というのは、幼少期の否定的体験から端を発する心の問題全体への取り組みと結局同じく、人生を通しての心の成長成熟を足場にして、最終的にどう克服できるかの問題になるからです。
これは『辞典』
実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針 - 後悔
簡潔に述べた対処姿勢一つと言えます。
ですのでスピード違反で赤キップについても、まず僕から言えるのは、
それが心に曇った感情を少しでも湧かせる限り、生涯を通して向き合い続けるのが取り組みだ、ということです。安直「こう考えればいいですヨ」などど「気持ちの収め方」などアドナイスするのではなく。

総論的別途上記キーワード手がかりに、自身の理解と考えについて向き合い取り組んでいただくとして、各論的なポイントは次の3つになるかと。

1.外面向けには、今回の話社会的問題程度についての客観的(原理原則的、良識的)な受けとめ方につき自分の考え検討し確立する。
まあ参考まで僕の意見を言うならば、たとえばそれが高速で40キロオーバーを多少超える程度のものだったとすれば、社会的問題程度としては軽度のものと言えるかと。自身の罰金の痛手問題かつて活動会社スキー部では「飛ばし屋」の連中の間ではそれよりかなり上を行く超過での赤キップが、むしろ自慢げに語られていたものです。一方これが一般道を200キロ近い速度で走らせ捕まったとなると、ちょっと問題の程度が大きくなると思います。
つまり問題の程度とは、人間性の信頼を損ない社会行動に支障が生まれてくる程度であり、同じ「前科」でも窃盗傷害となると次元が違ってきます。前科有無がたとえば就職結婚調査される可能性というのもあると思いますが、スピード違反で一度赤キップ程度であれば大して問題視もされないのではと。まあ見る側によって違うでしょうが。
ではそうした社会的問題程度について、自分自身ではどう考えるかという自分の考えの確立というのが、どう見られるかという受け身イメージに揺れるだけにせず、重要になってきます。

2.内面向けには、あくまでそうした外面向け視点確立の上で、それに対する自分の内面動揺について、釣り合ったものか、不釣合いな動揺があるならそれはどのような自分の自己理想像や人の目イメージを損なったものかという、自己分析することができます。そこに何か、無意識下のボタンの掛け違いのようなものがあったことを自覚できた時、動揺ある程度の部分劇的に解消できるかも知れない。

3.最終的「克服」は、その「罪」に対し上記のように外面視点および内面視点取り組むことの中においてではなく人生全体における、その問題とは別の、外面内面にわたる「豊かさ」どう獲得増大するかによる、ということになると思います。
まあ大局的に言えば、そうした動揺というのは、「映え(ばえ)」に依存する心のあり方から生まれているものではないかと。昨今の文化でもあります。で、自分の映えを損なうものがあると動揺感情湧く
それが薄れるような「豊かさ」とはどういうことか。一言でいえば「自発的幸福」いかに増大させられるかになると思いますが、たとえば極論的な例をいうと島野場合幸福感「人との関係」にほとんど依存しない心の状態になっており、人生での似たような「汚点」もうどーでもいい、意識にまったく上らない状況。そうしたものが遠いゴールあり得るとして、まずあるのは目の前にどう向かうかの長い道のりです。それはどのようなか。ぜひ考えていって頂ければ^^。



子供にイライラしてしまいます / なつこ 引用
No.1392 2022/07/21(Thu) 12:46:53

初めまして。
2歳と5歳の2児の母をしております。
子供達に毎日イライラして悩んでいます。
怒りを流そうと建設的に考えようと努力はしているのですが、どうにも上手くいきません。

家事をしていても(専業主婦です)、何か別の作業をしていても、考え事をしていても、絶えず話しかけてくる子達。
その度にしていることを中断するため、やる事を遂行するにも時間がかかります。
1つをやり遂げるのに3回は中断している感じで、ストレスです。
また、私に話しかけはしなくても子達の騒がしさやおもちゃの取り合いの喧嘩などで自分のことに集中できずつらいです。
(今もここまで書くのに子達から「ねえ見て」「ねえママ」を3回は言われています)

そのため、子達にイライラして些細なことにも怒ってしまっているように思います。
怒らないようにしても私の中では建設的というより我慢している感覚らしく、いずれ溜め込んだものが爆発してしまう感じです。

もちろん基本として子達は可愛いのですが…。
生理前なんかは特にイライラが通常運転みたいな感じで、自分でもしんどいです。
何かアドバイスいただけましたら嬉しいです。

また、心を解き放つというのが自分であまりピンと来ておらずそのあたりも問題なのかもしれません。
(感じたことを感じたまま表現するの?喜怒哀楽の怒以外を包み隠さないってこと?みたいな感覚です)


 
「一番手のかかる子育て時期」という課題^^ / しまの 引用
No.1393 2022/07/25(Mon) 11:02:31

これはまず、

>心を解き放つというのが自分であまりピンと来ておらずそのあたりも問題なのかもしれません。
「心を解き放つ」という目標総論中総論で、具体的にどんな実践なのか以前お題目になりますね。
具体的どんな実践なのかの、最初大枠「取り組み実践」であり、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という「感情と行動の分離」姿勢実践携えて、「望み」向かって全てを尽くして生きるという生き方探求する、というもの。
それから言いますと、

>感じたことを感じたまま表現するの?喜怒哀楽の怒以外を包み隠さないってこと?
もちろん「感情と行動の分離」姿勢としてちょっと違いますね^^。「怒」以外についても感情そのままではなくあくまで行動学挟みます。ま「怒」以外大体表現して問題ないことも多いとして。
「心を解き放つ」という目標はあくまで内面側探求するものになります。感情を解き放つというより、もっと根源「魂」解き放つ取り組みです。言葉で聞いて分かるようなら探求は不要ですね^^。
で、

>怒りを流そうと建設的に考えようと努力はしているのですが、どうにも上手くいきません。
と、まずは「外面行動は建設的なもの」という外面側基本テーマが出てくる次第ですね。

ここから各論になります。「一番手のかかる子育て時期」という課題どう向かうのが良いか。

それについて僕ならどう考えるかな一考してまず浮かんだのは、「課題の捉え方」というもの。目の前現実問題課題捉え方です。
課題の捉え方が違うだけで心の状況は全く異なるものになる、というもの。

これについて思い浮かんだ相談事例があり、どこで書いたかなと確認したところ取り組み実践 詳説でしたね。通しで読むのは大変書物ということでここに転載しますと(PDF版P.144)(非最新web版ではここ
==============
それは「意志」です。「望みに向かう意志」です。

これが何を生み出すのかは、インターネット上の心の悩み掲示板のある相談に、私がアドバイス投稿したものが分かりやすいと思います。
それは若い女性からのもので、スーパーの駐車場で誰かにつけられているような気がする体験が何度かあり、以前のつき合いで多少身に覚えがある面もあり、怖くなる。停まっている車や歩いている男性が皆グルではないかと疑ってしまい、苛立ちと共に精神的におかしくなりそうだ、どうすればいいか、というものでした。
それは言外に、「どうしたら気にならなくなるか」の方法を求めている相談のようでもありました。この方自身が、「明らかに被害妄想が広がってしまい」という言葉を使っていることも示唆することとして。それで「心理カウンセリング」のコーナーに投稿されてきたのです。
私はそれに対して、そもそもこれは心理相談ではなく、犯罪防止対策を実際に必要とする相談になる可能性があることを告げ、「気にしないこと」ではなく「全力で戦うべき場面」として対処することが課題だというアドバイスを入れました。まずは「戦士になったつもりで、その場を切り抜ける」ことからだと。服装は目立たないものに、駐車場所は目立つ所に変える、勇気を出して回りを見回して人物確認をしてみる、といった具体的な知恵を添えてです。明らかに同じ人物を見るようであれば、一段階強力な防犯対策行動に移行する必要がある、と。
恐らくはこのアドバイスで目が覚めたようなところもあったでしょう。ご相談者からは「ありがとうございます!!実践してみます」と短く力強い返礼が返ってきました。

この相談は、心の悩み動揺場面において、人が得てして考えつく、典型的に誤った克服方向性の発想の、まさに一つの例です。
それは、「気にしなければいい」というものです。考えすぎだ、と。そんなこと考えず、気にしなければいい、と。そこから、「気にしないでいる方法」探し求め始める。
完全に、根本的に、間違っています。全力を尽くして向かう必要があるのです。自分は何が気になり、それは実際において自分にとってどんな危険なのか、自分は何を恐れているのか、そしてそれに対処するための、自分にできる最善のことは何かを、模索することにです。どんな些細なことについてであってもです! もちろんその模索のための思考は、「「日常生活の向上」にある根底の足場」で言った通り、非論理的思考や不確かな情報頼らないものであることが、決定的に重要になります。
==============


前置きがちょっと長くなりましたが、僕ならどう考えるかと言いますと、
置かれた状況言うに、自分はいま生物学的には、命をけずって子育てに追われる存在なのだ、と自覚する、ということになると思います。

>1つをやり遂げるのに3回は中断している感じで、ストレスです。
>自分のことに集中できずつらいです。
は、話が逆なのだということですね。生物学的には。
3回は中断されている方が、生物命を削って向かうもの。「自分のこと」ナシ
生物学的には、ですね。
それとは別のこと、1つはやり遂げたいこと、自分のこと、が得られるのであれば、それはおまけのようなものだということです。

繰り返しますが、生物学的にはです。だからどう感じましょうという話ではなく、まずその事実認める自覚するのが良いと思います。
その上で、人間としてどう向かうか自由です。
まあなら、その事実認めた上で、「おまけ」の方をどう最大化するかの、戦略練る、と。

まあ基本そういうことです。もしそう本当に考えられるなら、イライラストレスとはもう全く違う心持ちになるのではと。

あとさらに細かく具体的子供様子内容による個別戦略になりますね。
まあ実際どんなものかなと考えるに、まずは子供関心そっちに向かうような、遊び与えるのが一番かなと。もちろん安全を確保
認知発達も考えるとパズルなど最適かなと。
そして子供関心向かう第一の方法は、まずお母さん自身楽しむ姿を見せることだと思います。すると子供即座に、「やらせて!」反応します。で他に向けられる時間生まれる、というのがまず考えられる基本的戦略かと。
検討してみて頂ければ^^。


 
Re: 子供にイライラしてしまいます / なつこ 引用
No.1394 2022/07/25(Mon) 13:01:05

お返事、アドバイスありがとうございます。

私は心を解き放つことを周り(の人間)に向けてかと勘違いしていました。
自分に対して心を解き放つという解釈なのですね。

子供に関してはなるほど自分がオマケの時期なのかと勉強になりました。
ただこれに関しては相談しなければ気付くこともなかったことです。
自分1人で考え実践していくには知識の点でも限界がありますね…。




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