しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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いらっとする言葉を言われたときの建設的行動 / ko 引用
No.1281 2018/08/16(Thu) 15:31:50

他人に批判され、いらっとしたときに、言い返したいという衝動に駆られるのですが、言ってもしょうがない、口げんかで相手を打ち負かして相手を不快にさせてもしょうがない、と思って、言われるがままに立ち去ります。
これは、相手を破壊しないという意味で、建設的な行動のように思えます。

ですが、そのあと、いらいらが収まらず、言い返しておけば良かったという思いと共に、相手に対するどす黒い憎しみみたいなものが生まれるのを感じます。
そして、その黒い憎しみが尾を引いて、次に会ったときには普通に接することは出来ず、余計に破壊的態度となってしまう。

結局、言いたいことはいって、互いにののしりあいになっても、黒い憎しみが残るよりはましだと思うのです。
大げんかをしたあと、それがきっかけで親友になるという話もあります。

私が育った家庭では、皆が言いたいことを押し殺してきたような印象があります。

でも、その場では気まずくなることがあっても、それが破壊的な行為であったとしても、言いたいことは言って、相手の考えていることを知って、少しずつでも互いを理解していく、ということの方が、結果的には建設的なものになるのではないかと思います。

そのほうが、内にどろどろしたものをためずに、さっぱりとした人間関係につながる気がするのです。
一見、破壊的な行動が、長期的に見れば建設的な行動になるということはあるように思います。
もちろん、もっと適切な方法、より建設的な方法があるのでしょうが。

島野さんのように成熟した大人の人ならば、何を言われてもいらっとするようなこともないのでしょうが、現に何かにいらっとしてしまう私にとっては、それにどう対処するのが建設的な方法なのか分かりません。
建設的な行動をとった後にそれによっていらいらしてしまう自分も勘定に入れて、より建設的行動を想定する、ということなのでしょうか。

島野さんはどう考えますか。


 
「取り組み実践」全体からの検討^^ / しまの 引用
No.1282 2018/08/19(Sun) 16:44:45

これは書いていただいたことへの考慮事項全てていねいに書いていくと本が一冊書けてしまう感じですが(というか実際書いた本の多くが説明になるかと^^)要点を書いてみますと、
まず
・人と人との「親愛」は「喜びと楽しみの共有」をベースにして築かれるもの
という考え取っています。そこでの「楽しみ」「害のない攻撃性」つまり相手をからかいふざけるようなものアリだと思いますが、それを「楽しみ」として受けつけられるかどうか人によってかなり違いますので注意が必要ですね。

>でも、その場では気まずくなることがあっても、それが破壊的な行為であったとしても、言いたいことは言って、相手の考えていることを知って、少しずつでも互いを理解していく、ということの方が、結果的には建設的なものになるのではないかと思います。

については、『辞典』
実践4-1 「価値観」の理解 - 「愛」への価値観
にもまとめたように、
「喜び楽しみの共有」として向かう。それができない時孤独を受け入れる
というのを指針として採用しています。「破壊」になるような言葉は、に浮かんでも言わない
なぜそうした指針取るのか詳しい考慮点など、説明がまだ埋まっていない部分もありますが
「愛」への理解と価値観と取り組み
など参考頂ければと思います。

そしてご質問タイトルでもある「いらっとする言葉を言われたときの建設的行動」については、
・いらっとする言葉を言われないよう先回り対処する
というのが一番建設的ですね。もちろんこれは言ってすぐそうできるようなものではなく、日頃からの建設的行動法学びと実践の試行錯誤の積み重ね次第に身についてくるものになると思います。
そして

・実際にいらっとする言葉を言われたと感じた時の建設的対処
としては、
 1)実際に自分の側に問題があれば、その改善向上に取り組む
 2)いらっとした自分の感情の自己分析取り組み

などが出てきます。後者はまず「自尊心」への姿勢メインテーマになると思います。
これは実際のところ、「感情と行動の分離」に始まるハイブリッド心理学の「取り組み実践」の全体進めるというになると思います。

ということで、ここで気のきいたアドバイスを手短にという感じにはならない点申し訳ないのですが、一度まとまった読書などして頂き、ハイブリッド心理学の全体どう頭に入ってくるかなどから、検討頂ければと思います。

上述「先回り対処」「自分の側の問題の改善向上」については、一般論ではなく一つ一つの場面内容ごと学びが出てきますので、さしつかえなければどんなこと言われていらっとしたのかの具体的例など書いて頂ければ、その個々具体的アドバイス可能かと思います^^。


 
参考図書^^ / しまの 引用
No.1283 2018/08/20(Mon) 06:20:19

子供相手いらっとしがちだったのが、2週間がらっと改善変化した事例などありますのでぜひ一読頂ければ^^。
『実践編 上巻』
「A子さん」事例(1章、2章、10〜12章)



都会と地方の優越感・劣等感 / 引用
No.1276 2018/06/29(Fri) 18:47:23

私は地元が嫌いです。ですが,今,地元に戻ろうかと悩んでいます。

高校を卒業してから,地元を出て現在(30歳)まで関西で暮らしました。
ですが,最近,父に初期の胃がんが見つかり,親のそばにいたいという思いが強くなりました。
また,資格を持っているので,仕事の面では地元に戻ることは難しくありません。私が戻ることで親戚兄弟の力にもなれると感じています。

ただ,関西での職を捨てて地元でこの先暮らしていくことを考えると,憂鬱になります。
地元は中規模都市なのですが,高校まで過ごしたその地に良いイメージはありません。保守的な人間が多かったというか,面白いと思える人,尊敬できる人があまりいませんでした。
他方,関西には良いイメージを持っています。都会というのは周辺地域から優秀な人が集まってくるためなのか,面白く,尊敬できる人が多くいました。
親の件がなければ,地元に戻ることはないと思います。

しかし,この先遠くないうちに親が死ぬとなれば,親の最後にそばにいられなかったことに対して,私は強く後悔するように思います。今回は父の件ですが,母についてもいずれ訪れることです。

一度地元に戻ると,仕事の都合からも関西には戻りにくくなります。
今後の人生を左右することになるため,なかなか決断がつきません。

地元の良さも知ってはいるつもりなのですが,おそらくずっと関西に劣等感を抱いたまま生きていくしかなさそうだと考えると,地元に戻る決断が出来ません。

島野さんは,都会と地方との間の優越感・劣等感についてどう考えますか?
自分の中では,都会の人に,地元を下に見られているといった意識があります。私自身も都会にいたときは地元を下に見ていましたし,同じような発想の人は多くいると思います。
住んでいる地域がステータスになる感覚を,果たしてどう捉えていいものか,悩んでいます。


 
Re: 都会と地方の優越感・劣等感 / しまの 引用
No.1278 2018/07/10(Tue) 16:42:58

なぜか投稿通知メールが来ておらず今気づきました^^ゞ
これから拝見して早めにコメント入れますです^^。


 
都会と田舎の優劣意識^^ / しまの 引用
No.1279 2018/07/12(Thu) 13:14:50

明日から北アルプスのため手短に^^。

ハイブリッド心理学からは、まずは一貫して「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解のみ行う」という「感情と行動の分離」実践ということで、
・外面行動具体的で現実的な材料ベースで決断する。
・内面感情成長成熟への広い視野の下で、精緻な自己分析理解を進める。
という2面になりますね。

仕事住いどうするかであれば、まず具体的現実的材料選択肢優先度決まってくるでしょうし、そこで好きな都会候補にできるのであればそうすればいいだろうが、具体的現実的材料ベースでもう選択肢にあがってこないなら、どうしようもない。

だからと言って優劣感情についてのわだかまり切り捨てよという話ではなく、惑う感情あるのであれば、拡大鏡さらには顕微鏡のような目を向けて向き合い続ける、というのがハイブリッド心理学流になります。
場合によっては一生それが続く覚悟でです。



>島野さんは,都会と地方との間の優越感・劣等感についてどう考えますか? 自分の中では,都会の人に,地元を下に見られているといった意識があります。私自身も都会にいたときは地元を下に見ていましたし,同じような発想の人は多くいると思います。

といった「優劣感情」への視野どう持っておくか。

まずご参考まで群馬住んでいる僕自身の感じ方書いておきますと、都会にはもうぜんぜん興味なしです。自分一人であればあとは生きていけるという計算を立て、こうして執筆などしながら日々山登りトレーニングできる低山すぐ近くにあり、そして北アルプス東京からより近いここでの生活満ち足りており。年2回東京の歯医者通ったりしていますが、都会華やかな街並みより、近所山山道の自然の方がずっと面白いです。

そうは言ってももちろん若い時都会に染まるのを良しとして生きたわけで、学生時代6年社会人20年、そして会社を辞め3年して群馬戻るつごう30年ほどという、今57歳ですから人生の半分以上を都会で過ごしたわけですね。
それを踏まえて言うなら、「人」について言えば都会田舎(多少は人口ある市であれば)で、差はないです。人が多いだけ^^;
特に「仕事」について言えば都会の人の方がデキルなんてことはてんでなく、同等の能力真面目さ求められます。
「場」違いですね。都会の方外観きれい。あとは、先月東京の歯医者の際は六本木のミッドタウンに寄りましたが、TVに出てくる女優のように綺麗な女性をよくみかけ、これはさすがに違うなあと思いました。そんな程度ですね。

そんな話参考に、ご自身の感情自己分析されるのも良いかと思います。まずそれは中身のない先入観イメージ的なものではないか。でなけれは、具体的どんな尺度優劣感じているという話か。学歴財力
あっあと「人」についての僕の感覚では、都会というのは根無し草で気張った人の集団というイメージは感じています。田舎落ち着いている分気張っておらず、それがどこか抜けているのを感じさせる可能性もありますね。

心理メカニズムとしては、人との優劣意識というのは、自尊心まだ未完成な未熟ゆえに抱くものです。自尊心完成してくると、もう人との比較意識など根底から薄れてくる。
まあ誰でも未熟から生きるのですからそれはいいとして、自分「自尊心」どのように築いていくものと考えているのかという、「価値観」問うのも重要ですね。これについて具体的には『理論編上巻』などで扱っています。

さらに言えば、

>私は地元が嫌いです。

というのが、実際いじめに遭ったとか具体的トラウマなどのであれば、これは優劣感情とはまた別テーマになってきますね。これについてコメントここではもう書きませんが一応念のため。

とりいそぎこんなとことで^^。細かい観点質問などあればまたコメント追加しますので^^。


 
つけたし / しまの 引用
No.1280 2018/07/12(Thu) 13:36:46

重要つけたし^^。

>都会の人に,地元を下に見られている

こうした人の目イメージは、「外化」と呼ぶメカニズムです。自分の心の中で起きていることが、外部で起きているかのように感じるメカニズム
ちょうど『辞典』「歩み1-2 心を病む仕組みとその克服」で次に「「自己操縦心性」と「外化」」なんてテーマ次にアップしますが。

「あらゆる軽蔑が、本質的に自己軽蔑の外化である」
とはホーナイ言葉です(だったと記憶)
まず自分がどう感じ考えているか自己分析重要になるゆえんです。



(No Subject) / こたろう 引用
No.1269 2018/04/10(Tue) 20:19:32

ブログ記事書籍no6
「感情と行動の分離」の足場

1章 「感情と行動の分離」の心の足場

「心底からの納得」ですが、この「心底」というのは何なのでしょう?

自分の中には分裂した人格がいて、どこまでいっても全体が「納得」する
という感覚にはなり得ない。

価値観選択の話でもそうですが、必ず「反発」する心の部分がありますよね。

そうではなくて、理知的に考えた場合は「納得」はする。

でもその反発する心の部分が、論理的に正しくてもそれを絶対に
認めようとしない。

心底からの真剣さで問おうとするとは、その反発する心の部分に
対して問うことになると思うのですが、頑として認めようとしないですし、
それでも問うことをやめずにいると、葛藤がただただ膨張していくのみです。

だから心底からの納得はせずに、はっきりした選択をせず、
「当てはめ」によってなんとか建設的に生きる、ということになってしまう。


結局これは「心底からの納得」にはならないし、
「価値観選択」にはならないということになってしまうと思うんです。



「思考」についても同じで、
論理的に正しいということがいくらわかっても、
それは自分の中の確かなこと、にはならない。

どう考えても論理的に正しい事であっても、どこかで
「自分だけでそれを正しいと判断する事」を保留にしている感覚が
つきまとう、といいますか。

色々と考えて考えて、納得の上で積み重ねた思考が、
それを思考している人物像と一緒に、突然に雲霧消散してしまうような
感じなんです。


 
「心底」「本心」^^ / しまの 引用
No.1271 2018/04/12(Thu) 16:35:13

>「心底からの納得」ですが、この「心底」というのは何なのでしょう?

次の2つ意味があると思います。
・「上辺(うわべ)」との対比
「上辺」含みやすく、「心底」ないもの。「上辺だけ」という表現をするとこれが明瞭になってきますね。
・外部からの影響によってブレない確かさ、強さ
そうしたものとして「心底からこう感じる、こう考える」という表現をしますね。

そうしたものとして、心底でどう感じ考えるか取り組みとして、価値観行動法自己分析といった実践が出てきます。

ブログ記事書籍No.6 「感情と行動の分離」の足場
詳しく取り上げているように、「心底」とは「本心」でもあり、辞典での「心の基盤」一つと言えますがは項目立てしてなかったですね。後で追加しようかなと。
「意志」密接な関係があるものと言えます。「本心に立つごとに、意志は確かなものになる」言えるかと^^。


>自分の中には分裂した人格がいて、どこまでいっても全体が「納得」するという感覚にはなり得ない。

「全体が納得」というのはあり得ず選ばなければならないということになると思います。人生選択積み重ねです。夕食あれもこれも全部食べたいと思っても限界があるわけです。優先する望み限界を、身をもって探求しながら、今の自分にとり最適夕食献立おおよそこんなもの、といものが次第に確立できていきます。
価値観行動法結局そうしたものだと思います。自分が幸福になるために、結局こうしたものにする、と。


>だから心底からの納得はせずに、はっきりした選択をせず、「当てはめ」によってなんとか建設的に生きる、ということになってしまう。結局これは「心底からの納得」にはならないし、「価値観選択」にはならないということになってしまうと思うんです。

それはその通りですね。
そこでまず、自分は実は建設的行動法を心底では選択などしていない!はっきり認める方が(実際そうなのであれば)価値観選択向かいやすいというを、
『取り組み実践詳説』
4章 「学び」への理解 - 「学び」への入り方

でも書いている次第です。
-----------
ですから、そのような心底からの納得この心理学の学びに問うということは、ここにもう一つの道が現れる可能性を含むことでもあります。
それは、この心理学に納得せず、この心理学に「ノー」を突きつけることです。
これがはっきりすれば、これもまた単純な話になります。この心理学を選ばないのですから、この心理学が言うような心の豊かさの境地ならないのは、不思議な話ではありませんね。これはもう人それぞれの自由です。
-----------

と。(P.76)
そこから再度折りにふれ再検討続けてみるといい。それで結局別の方向に行くことにしかならなければ、もうそれで仕方ないじゃないですか、というになります。
ハイブリッド心理学自己取り組み心理学ですので、言えるのはここまでになります。

上記前後に、「本心」に立って選択を問う姿勢について比較的詳しく書いていますので参考頂ければ^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1272 2018/04/17(Tue) 19:09:46

選ぶ、という事は強制であり当てはめではないんですか?
考察した結果、選ばざるを得ないというか、
それ以外はありえない、というのならわかります。

しかし反発する部分がある以上はそうはならない。

心底って、だれのですか?
そもそも日常の意識が自己操縦の上にあるんですよね?

半強制的にかられている本当の自分ではない何か、が
今の意識なら、その上での納得も自己操縦の感情に


 
Re: / しまの 引用
No.1273 2018/04/24(Tue) 12:53:03

>しかし反発する部分がある以上はそうはならない。

この辺具体的内容など書いて頂くと、島野ならこう考える(考えた)という、実際に即したアドバイスができるかも知れませんね。難解理論的説明よりその方が参考になるかと^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1274 2018/05/06(Sun) 19:54:43

例えば、「宇宙の愛」を求める気持ちについて。

意識では、これはもう求める事のできない気持ちだ。実現不可能な事を
求めている事で、どうやっても不幸にしかなり得ない、現実は自分の願望を
満たす事はありえないのだという絶望感しかなくなる。

では、「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に
注力しよう。

という価値観選択を問う場面で。

自分の中の反発する部分は
「許せない。わずかでも自分を優遇するのをやめる人間がいるならば、その人間には
敵意を抱くべきだし、報復をするしかない。」
と告げます。

その感情に従って、仕事の場面で明らかに自分が悪い場面で、
かなり配慮してもらいながら注意を受けた際にも、
屈辱感が行動に現れ、目は怒りを保ったまま言葉では「はい。ありがとうございます」
と答えたり、といった自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている
現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか?
それは不合理ではないのか?

と問うても、

「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」

という結論にしかならず。

それは、宇宙の愛における挫折が引き起こす感情であり、ここで自分の対処能力を
高めていく事でいずれ克服できるものだ、という思考をしようが、

また表層の思考が
「このままでは本当に自分の立場がなくなってしまう!たしかに今の仕事は自分にとって
心から情熱を感じられるものではないし、ずっと続けていく気持ちにはなれないが、
ここで人間関係における問題を抱える事は、環境を変える上でもハンディキャップに
なってしまう!」

と訴えるも、その思考は自分の内面のほんの表層でじたばたしているだけで、
その下には現実の危機を全く無視をして頑なに自分の宇宙の愛へのしがみつきと、
静かな怒りがずっと広がっている。

表層の思考はすぐにそのブラックホールに吸い込まれ、無になってしまう。

表層で行った思考が、人に面した時にはその下の重苦しい空間に全て吸収されてしまい、
全くの無駄になる。


こんな感じなんです・・・。

最近以前にも増して自分の問題に向き合いづらくなっています。
日々の連続性が感じられなくなり、もちろん自分で選んでその場所にいるのですが、
突然その場所に存在しているかのような感覚に陥ったりします。


自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか?
最近本当に、今自分だと感じているものが全くの偽物であるような感覚が強まっています。

表情の使い方や、声色など、全く違う自分が押し込められて存在している。

その自分に切り替わってしまった場合、他者としては連続した人間として
自分を受け止める事ができるのか?

たしかに自分の中では「嘘をついては何もかもに価値を感じられなくなってしまう」という
事が確信できることだったとしても、ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を
他者は許容できるわけがない・・・。


そもそも現実における対処能力がついているわけではないので、
地に足のついた自分が少しづつ成長して・・・という段階でもない。
僕には起こらない事なのかもしれませんが・・・。


 
選択を問う思考法^^ / しまの 引用
No.1275 2018/05/13(Sun) 08:30:11

>自らの行動によって、職場での立場がどんどん苦しいものになっている 現実を考慮しても、「自分は特別扱いを受けるべきだ」という怒りを保ち続けるのか? それは不合理ではないのか?

選択を問うための思考法一般としては、「このまま行くか、それとも止めるか」というのはちょっと問う力が弱いですね。
しっかりと前進力のある対案候補を立てて考えることが重要になります。
つまり「Aのままでいくか、それともAを我慢してやめるか」ではなく、「Aで行くか、Bで行くか」問うことが重要
ダイエットなどがうまく行かないのもこうした選択思考できていないケース多いかも知れませんね。甘いスイーツを食べてしまうか、我慢するか揺れ動くだけ。結局意識を占めるのは「甘いスイーツ」なので、手が出てしまう結果になりがち。時間帯ごとに甘いスイーツとは違うものを食べる選択肢を考える、砂糖でなくキシリトールを使うスイーツ用意するとか、具体的対案選択肢立てるのが良い検討法です。

書いて頂いたものについては、ハイブリッド心理学の取り組みをするなら、ハイブリッド心理学のテーマ項目に沿った選択肢ていねいに考えてみて頂くと良いかと思います。
『辞典』まとめたようなテーマ項目ごとにです。「感情と行動の分離」から始まり、行動法「愛」と「自尊心」への価値観など。その選択に応じて今の問題どう変わってくるだろうかと。
すると、

>「であれば、自分も相手も破壊するのみだ。屈辱を全く表現しないというのはありえない。」

というのは、「感情を鵜呑みに考えない」という取り組みのスタート原則選択するかどうかで、話が違ってくるということになるかもですね。

あと選択思考としては、選択肢の軸がしっかり合っていることが大切ですね。価値観としてAとBのどちら取るか。行動法としてAとBのどちら取るか。これが価値観Aと行動法Bのどちらを取るかという思考になってくると、つながりを追っていけば問いとして成立することもあるでしょうが、次第に軸がずれ選択の問いにならなくなっていく危険があります。
また感情基本的に選択するものではありません。ただ流し理解するものです。
ですので、

>「宇宙の愛」は求めずに、現実における対処能力を上げていく事に 注力しよう。 という価値観選択を問う場面で。

「宇宙の愛」を求める感情あるのであれば、それはそれで仕方ないことです。それはそうとして、選択を問うならば、仕事場面であれば、「パーソナルな愛情や特別扱いを求める姿勢」vs「匿名性における価値の生み出しに専念する姿勢」といったに、やはりなると思います。

今までの話振り返りながら、『辞典』などもつき合わせの上、じっくり検討してみて頂ければ^^。


あっあと、

>自己操縦心性の崩壊が起こる時って、仕事をしている場合はどうなってしまうんでしょうか?
>ひとりの人間が死んで変化が起きるような状態を 他者は許容できるわけがない・・・。

「自己操縦心性の崩壊」は、ありのままの現実に向かって生きようとする心が、空想世界に閉じこもって生きようとする心打ち破るという治癒として起きるものですので、ごく一時的に心身不調状態のようなものが起きても、すぐ今までにない軽快な前進力ある心が回復するになりますので、何も心配するものではないと言えると思いますヨ。あらかじめの理解が得られているごとに、その一時的不調より軽く、やり過ごしやすいものになると思います。
まずありのままの現実に向かって生きる方向性得るのがになります。その上の話ですので、他者から見て風邪か二日酔い(^^;)でいっとき調子悪そうだったけど・・程度にしか見えないで済むと思います。

あくまでハイブリッド心理学の取り組み方向性においてあるものとしてはです。ですので取り組み方向性にまだあまり向かっていない時点「自己操縦心性の崩壊」とかのテーマにはできないかと思います。これはよろしいでしょうか^^。



精神の分裂と行動時の外面印象 / こたろう 引用
No.1268 2018/04/09(Mon) 19:56:32

最近、精神の分裂を以前より顕著に感じるようになりました。

自分の内部の思考としての声、そして実際に外面行動として表出する人物像。

ある時に、外から見られている最低限明るく快活な自分というイメージが思考していると気づき、
誰にも見られてない、自分で結論を出すための思考に切り替えようとすると、
途端に重く沈んだ自己像に切り替わる。

そして、感情にアクセスするとどうしてもそれが顔に出るという以前の困りごとが
そのまま続いており、その自己像に切り替わると、鏡をみるとまるで人殺しのような目をしている。

はっと気づいて外面印象を整えると、また「人に見られる思考」に
頭の中の声が切り替わってしまう。


「嘘のない自分」についてですが、どこかに
「精神的な挫折などなかった自分」を演じようとするのは間違いだ、といった記載があったと
思いますが、そこが自分としては疑問です。

外面行動としての「嘘のない自分」というのは、「精神的な挫折などなかったとしたら、の自分」ではないのでしょうか?
もしも、最も最初に世界に対して向かっていこうとする意欲が挫かれることがなかったら、
こんな自分でいれただろうに、という自分ではないのですか?

そもそもありのままの自分の変えられない性質のようなものを、
拒絶されているという認知を信じ込んだから、そうではない自分を演じようという意識になったはずなので。

それに対して、自活を望む報復的な自己像があり、普段はこれが基調になっていて。
最近その自分に「先がない」という感情がどんどん強く認識されるようになっています。
先がない、といっているのは「精神的な挫折などなかったとしたら、の自分」で、これが
ホーナイのいう「真の自己」であるような気がしているんです。

しかしいざ人と話そうとすると、報復的な自己像に切り替えようとする強制感がものすごく、
結局「先がない」という感情を抑圧しながら報復的な自己像のまま発声する、みたいな状態です。

トイレにこもり、その強烈な葛藤に悶絶し、「真の自己」に立って建設的に話そうと意識を
切り替えては、報復的な自己像に乗っ取られ、またトイレにこもり・・・
ということを仕事中に繰り返してしまっています。


どちらかを認識すれば片一方がその瞬間は抑圧されます。

なので、最近は客観的にみたら声がコロコロ切り替わる、大人のようなしっかりした人物像を表出したあとにか弱い男の子のような人物像を表出したり、というかなり不審な状態になっています。

実際、この「選択できない」という状態の葛藤にさらされていることが、治癒につながっているという見方もあるのかもしれませんが、もうこんな状態では職場にいられないです。


 
一貫した自己の確立^^ / しまの 引用
No.1270 2018/04/12(Thu) 08:43:22

>最近、精神の分裂を以前より顕著に感じるようになりました。自分の内部の思考としての声、そして実際に外面行動として表出する人物像。

「一貫した自己の確立」という、総合的な課題になりますね。付け焼刃でアドバイスできるようなものでもなく、取り組み実践全て携え人生通して成していくものになると思います。


>「嘘のない自分」についてですが、どこかに 「精神的な挫折などなかった自分」を演じようとするのは間違いだ、といった記載があったと 思いますが、そこが自分としては疑問です。

外部に対しては、「どんな人物像を演じる」かではなく、価値観と行動法の選択によって行動していきます。
精神的な挫折あったなかったというのは自分の内面感情の問題であり、それには影響されない行動法見出すのがまず課題になりますね。


>実際、この「選択できない」という状態の葛藤にさらされていることが、治癒につながっているという見方もあるのかもしれませんが、もうこんな状態では職場にいられないです。

価値観と行動法の選択を通して成長に向かうという方向性あってこそ葛藤にさらされることも治癒への通り道なり得るということですね^^。

ちょっと断片的かつ漠然としたアドバイスになりましたが、具体的場面ごとに、価値観行動法といった取り組みテーマしっかり意識して検討してみて頂ければ^^。
そうした、具体的場面ごとの、取り組みテーマ意識した内容など個別に書いて頂ければ、それぞれ島野の考えだとこうなるといったより詳しいアドバイス可能かと思います^^。



(No Subject) / taka 引用
No.1265 2018/01/01(Mon) 03:05:56

島野さん

ご無沙汰しています。
以前相談させて頂いたtakaです。
あれからハイブリッド心理学をよく読ませて頂き、実践をしてきました。
あの後、否定価値の放棄を為して、魂の感情が流れ出すというまさに書いてある通りのことが自分に起きました。
あの時といまでは自分はもう全く別人と言っていいほどの変化です。
このことについて島野さんに深く感謝致します。
ハイブリッド心理学がなければ絶対にこの経験は無理でした。
(あってもかなり苦しかったです。)

しかし段々と全てがはっきりとしてきた分、厳しい現実もはっきりとしてきました。
否定価値の放棄をしたあとから、はじめはちょろちょろと隙間から流れ出るように
していた魂の感情が次第に湧き出るようになり、今は段々落ち着きましたが
基本的に毎日感じています。

以前相談させて頂いた時は接客の仕事をしていましたが、あれから
別の仕事に変わり、その間も魂の感情が溢れ出ていたため(1番変化が大きい時でした)
一年でやめて今は何もしていません。

落ち着いたら何かやる気が起きるだろうと思ったのですが
どうも脳の損傷が激しいようで、右の耳の当たりの部分が炎症しているように痛く
魂の感情が流れるときもその部分が詰まったように感じになります。

今は自然治癒力に任せて落ち着くのを待つしかないと思っているのですが
自分と健常者との差を感じています。

島野さんのケースに比べると、私の場合は魂の感情が一気に流れ
もう心の機能をなくしつつあるのではと感じているのですが
社会から取り残されたようで自分の現状がだれにも相談できず
おそらくわかるとすれば島野さんだけではないかと思うのですが
私はハイブリッド心理学の流れに沿ってきているのでしょうか?


 
「急がば回れ」の取り組み実践^^ / しまの 引用
No.1266 2018/01/11(Thu) 10:06:52

>おそらくわかるとすれば島野さんだけではないかと思うのですが 私はハイブリッド心理学の流れに沿ってきているのでしょうか?

ハイブリッド心理学流れ沿っているかどうかは、
日常生活人生具体的場面において、
「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解することのみ行う」そして「全てを尽くして望みに向かう」というハイブリッド心理学「取り組み実践」からはどのよう検討および対処になるか、
『辞典』整理しているような、行動法価値観、そして心の基盤各項目といった、
細かいテーマごと細かい具体的話レベル検討するものになります。

まあそれがまさに「取り組み実践」ですね。のような検討になります。
1)何を取り組み問題として取り上げるか
2)ハイブリッド心理学からの推奨対処法は、まず外面行動法としてはどうなるか
3)そこにある行動法を支える価値観とはどんなものか
4)自分はそうした行動法ができそうか、そこに示される価値観を心底から自分のものとして選択できるか
5)自分の感情は心の成長や治癒の観点でどう把握できるか


「ハイブリッド心理学の流れに沿ってくる」とは、ずばり、そうした検討折りに触れて自分でできるようになってくる、ということを言います。
あともう一つ大きな流れとして心がどのように成長と治癒と成熟の変化をしてきているかというのもありますが、これは上記検討の中で、5)しっかりできていれば、自ず自分の変化の方向自覚できるようになると思います。

ですのでまずは、心の変化を問う前に、どのように上記実践ができるかに、じっくりしっかり取り組むのがお勧めです。
具体的問題について、具体的テーマごとに、学び自分のあり方取り組む面倒かと思いますが、着実な成長変化のためにはそれが一番の近道です。
その点、「急がば回れ」という言葉は、まさにハイブリッド心理学取り組み実践のためにあるような言葉と言えますね。

で、ご相談の中で島野から分かるのは、具体的問題について上記3)あたりまでどう取り組めているか状況把握とそれについてのアドバイスになります。
4)5)あたりになると、もう手が出せなくなる。この辺『メール相談事例集』
はじめに・「取り組み実践」とメール相談
説明していますのでご参考頂ければ^^。

ということで、何か現在悩み事項について、一つ一つ具体的材料を取り上げてご質問相談頂ければ、取り組み実践からどうなるかの、より詳しいアドバイスができると思いますので^^。
また身体的な障害症状がある場合ハイブリッド心理学範囲外になると思いますので、しかるべき医療受診などご検討いただければと思います。


 
Re: / taka 引用
No.1267 2018/01/21(Sun) 22:03:23

島野さん、ありがとうございます。
今は幸福感が湧き出るのと痛みとが交互で自分でもよく分からない状況なので
落ち着くのを待ってもう一度書いて頂いた内容をじっくり検討させて頂きます。
ですが毎日が新しい発見で、ああそういうことだったのかと色んなことが分かってきました。
昔のことを思い出して涙がでたり、感謝の気持ちがでたりします。
ありがとうございました。




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