しまのたかしハイブリッド人生心理学 島野隆ブログand掲示板
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●島野の著作そしてハイブリッド心理学に関する感想・質問・ご意見など投稿して頂けます^^。
●心の悩みのご相談
については、ハイブリッド心理学「取り組み実践」を進めるためのポイントヒントなどを、ここではごく簡潔アドバイスいたします。
*より詳しくアドバイスするとどのようなものになるのかは、
 
メール相談事例集実践編書籍など読んで頂くと参考になるかと思います^^。
返答入れて頂いた順に返していきます。日数がかかることもありますので、ごゆっくりお待ち下さい^^。


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セツクス依存症です / リリィ 引用
No.1290 2018/12/03(Mon) 13:19:01

36歳主婦です。
10歳から自慰を覚え15歳でセックスを覚えてから、沢山の人と手当たり次第に寝てきました。
そもそも15歳の時のお相手もセフレですし、自分は淫乱なんだと思ってきました。
30歳で結婚してからは夫以外の人とは寝ないと決めたのですが、今年プロの男性と寝てしまいました。
結局、プロの方の子供を孕んでしまい、自分は何て弱いんだろう。駄目なんだろうと苦悩しました。その事を逐一、相談していた友達にも呆れられてしまい。本当に自分が何故生まれたのか、よくわからないのです。
セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。
今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。
結婚してるのだから、夫とすればいいのですが、夫とは達した事がなくこのままで結婚前のようには手当たり次第に誰かを探すのではないか?と不安です。
私はどうしたら、変われますか?永らくこの症状に気が付かずに生きてきた為、仮に治っても私からセックスを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。
アドバイス頂ければと思います。


 
「依存症」へのハイブリッド心理学アプローチ^^ / しまの 引用
No.1292 2018/12/16(Sun) 15:53:37

これも先のご質問相談「美容整形」といったのと同じくハイブリッド心理学ではあまり頻繁には取り上げないテーマなのですが、ハイブリッド心理学からどのようなアプローチになるのかなとちょっと一考してみましょう^^。
「依存症」というテーマですね。その中「セックス依存症」という特定テーマ独自の話もあるか。


「依存症」とは

まず「依存症」とは、特定の行為にのめり込む様子そのものではなく、そこに「やめたいのにやめられない」という心身ストレス自己コントロール不能があるものを言いますね。これは世の医療関係良く言われ周知のことと思います。
問題その先で、なぜそうなるのか原因と、ではどう克服するかというアプローチについては、かなり世の医療関係一般違うアドバウス言うことになるのかなと。
一般的には、依存症の裏にある心の闇多少配慮をしたとしても、深い心理分析にはあまり踏み込まないまま、とにかくやめるための隔離や防御、また自助グループ参加による励ましなどになるのかなと思います。
一方ハイブリッド心理学からアプローチするなら、裏にある心の闇についての、結構細かい分析からになると思います。それが自ずと、克服アプローチ方向示し始める

がまず「依存症」の裏にあるものとして想定するのは、「身をけずるような空虚感」です。それから逃れるために、たとえば飲まずにいられない
ただそれが「依存症」という激しい姿になるのには、もう一枚加わるのではないかと。
それは、「やめられないこの自分は駄目だ」という自己叱責が、「自分というものを保てない」かのようなパニック感を起こし、そこから逃れるためにその依存行動走る、というものではないかと想像します。過去自分が保てないような混乱感から、セックス救われたという心の状態一度出来上がると、パニック混乱からその依存行動繰り返し走るというのはもう分かる話です。
するとつまり、「依存をやめられない自分という自己叱責パニックから逃れるために依存する」わけですね。こうなるともう自己循環自動的にその依存行動コマが回ることになります。
書いて頂いた状況についても、そんな面があるのではと。こんな自分では・・という不安混乱頂点に達すると、誰か自分を抱いてくれる人探さずにいられなくなる、と。


克服への真の基本姿勢

それに対して、どう向き合うのが良いのか。
そうした今までの依存行動に、「もうこれは絶対駄目!」という禁止かけるであろう世の一般と、実はまさに逆の姿勢から入るわけですね。
過去の依存行動に、感謝することです。過去の依存的セックス行動に。なぜならそれが、自分を保てなくなくなるぎりぎりの精神破滅から、自分を救ってくれたのですから。
その上で、これからは、その自分を救う役割を、自分自身が果たすことです。

これは突飛なアドバイス聞こえるかも知れませんが、実は「認知療法」大家デビット・バーンズが示した真実の克服姿勢です。自分の不合理行動どうにかしたいなら、まず今までのそれに感謝することからです、と。事実そうするしか手がないなら、そうするべきであったということなのです、と。多分「認知行動療法」はこうした真のアプローチの精神抜いたまま、ただ禁止訓練をするようなものになっているのではないかと。
ともかく、「過去の依存に感謝しなさい。そしてこれからは自分がその役割を担いなさい」というものですね。依存行動繰り返すのではなく、と。


具体的実践

深刻な自己コントロール不能についてはそうした向き合い転換図るとして、あとは具体的実践になりますね。
美容整形についてのアドバイス同様ハイブリッド心理学では精神論道徳論ナシです。ただ社会行動学からの良し悪し出てきますね。
3つ取り組みになると思います。

1)良し悪しをセットで見る目
依存症克服にあたり、地味ながらも・・つまり即効性はないものの、最終的な答え見出すための一番基礎になるのがこの、「良し悪しをセットで見る目」になると思います。
つまり、ある行為魅力的な側面と、不快な側面を、セットで見る目です。そしてその行為向かおうとする時、自分が不快な側面にも向かう行為をしようとしていることを、しっかりと意識することです。
まあ実際魅力と不快がセットであるならば、セットとしてのその行為について、自分がどのように向かうべきものかの答えを出さねばならないわけです。魅力的側面だけ取って、不快な側面後から不本意に遭遇するもののように意識するのではなく。
お酒であれば、その旨さと酔いの至福だけでなく、その後悶絶するような二日酔いを、飲む行為なのだとしっかり意識する。その両者量的バランスどうなのかも、しっかり吟味しながらです。
パチンコであれば、勝つ興奮だけでなく、負けて大きく損をする行為を、今行うのだとしっかり意識する。
無差別的な性行為であれば、うーんまずは犯罪に遭う危険・・場合によっては即命に関わるような。病気を移される危険。また配偶者がいるのであれば知られた時にどうなるか。

それはとっくに聞いた話だ、ということにはなるかも知れませんが、重要なのは、要求に蓋をするのではなく、いかに根底から健全化できるかです。
そのためには、基本的自制利くという前提において(それが不可能な時上記のような向き合い)、心の中では欲求を開放したで、まず不快な側面についてしっかり確認して自制を確かなものにし、さらにその上で、その欲求健康で自然な度合いを超えた性質部分について精緻な自己分析をする、といった実践有用になります。

・基本的自制
この「基本的自制」と「精緻な自己分析」について詳しく説明し始めると、それぞれで本が書けてしまうような話になると思いますが、ごくキモのポイントを書いておきましょう。
まず基本的自制確実にするためには、精神論的・道徳論的な思考ではなく合理的科学的思考でいかに日ごろから生きていくか重要になると思います。道徳的善悪というよりも、打算計算自分にとり合理的なほどほどの線徹底的に追求する。まあお酒パチンコには「ほどほどな量」があるとしても、不倫にはほどほどというのはないとは言えるでしょうね。
ともあれ、道徳論精神論で欲求に蓋をするというのは、鬱積した欲求がふとしたきっけかけで堰を切って暴走するという、元の木阿弥になりがちですので、合理的計算打算探求に切り替えるのがお勧めということです。

・精緻な自己分析
精緻な自己分析というのは結構高度な話になりますが、その分問題の核心せまり得るものになります。
自己分析闇雲に行って効果が出るものではなく、「外面行動は建設的なもののみ行い、内面感情はただ流し理解のみする」という「感情と行動の分離」姿勢しっかりと心底において根づいた上で、建設的行動を妨げるマイナス感情について、自分でも分からなかった根底の理由突きとめられることで、劇的な変化起きるものと言えます。
詳しくなどに譲るとして、ずばり今回の話関係しそうなポイントは、
愛が深く妨げられるごとに、性が強く刺激を帯びる。
という心のメカニズムです。
それはどのように起き、そして回復克服されるのか。島野の考えとは、愛が損なわれた悲しみを葬り去ることでこそ、それは深く損なわれるのであり、その回復克服は、いかに他人と深い性愛体験のようなものを持てるかなどではく葬り去った悲しみを自身の中でどれだけ取り戻し受けとめ尽くせるかにある、といったものになります。
その視点から考えるに、

>セツクス依存症になってしまった要因についてずっと考えて来たのですが、5歳くらいの頃お風呂で悪戯をされた事を思い出して、たちまち苦しくなってしまいました。今だにお風呂からの連想か水や雨が苦手で、雨の日は泣きたくなってしまいますし、誰かに無茶苦茶に抱かれたくなってしまいます。

というのは、問題の始まりの核心実は性的な悪戯をされたことではなく、それよりずっと前の段階何らかのきっかけ生まれた、幼心に抱かれた「あるべき愛が損なわれた」という闇の感情かも知れない。それがなければ、悪戯払いのけられるようなものとしてです。
そしてこれらが回復克服されるのは、
『理論編下巻』最後の方これ一番下「魂に魂が宿る」)で「Y子さん」島野伝えてきたような、「悲しみへの向き合い」あるいは「悲しみの取り戻し」のような体験になるかも知れません。
性の問題限らず心の問題根底結局「愛」の問題行き着く、というのがハイブリッド心理学の思想とも言えます。
上記「Y子さん」の言葉も含め、その全体については『理論編下巻』ぜひ一読頂ければと思います。

2)全てのマイナス感情への本格取り組み
そうして核心の問題回復克服されるごとに、逆のメカニズム働くと言えます。つまり、
愛が深く取り戻されるごとに、性の刺激は薄れていく。
というものです。
これはより一般化した表現(?)をするならば、
心を病むごとに、性が強く刺激を帯びる。
ということであり、
心が健康になるごとに、性の刺激は薄れていく。
ということです。

心の病み回復克服取り組みがうまく進むごとに、視点性の問題よりも、心の問題全体移っていくということでもあります。
それをなるべく先取りするよう、性の問題だけに視野を狭めず全てのマイナス感情について取り組んでいくといい。これが2つ目実践アドバイスになりますね。
『辞典』「実践5-1 悪感情の種類別の克服対処の指針」など見て頂くと、ざっとどんなことがあるのか把握できると思います。

3)生活全体の充実向上
病みの傾向動揺といったマイナス面への取り組み上記のようなものとして、あとは生活全体の充実向上というプラス面への積極的な取り組みになりますね。これは言わずもがなですね。
上述心のメカニズムなども含めて言えるのは、病んで空虚な心の中で、性はまさに闇夜に光る月のように魔力的な力で心を惹きつけるものである一方健康で充実した心の中では、まさに輝く青空に浮かぶ月のように、その魅惑的刺激を薄めるものです。その輝きの絶対値同じまま。

そうした心の世界違いをぜひ視野に置いて、それ以外のものへのアンテナ張るようにしていく。まあ個人的な趣味嗜好の問題はありますが、動物を飼ったり植物を育てたりといった、「命」に触れる活動などが、島野からお勧め一つですね。

最後もう一つ視点

>仮に治っても私からセックスを取ったら何も残らないのではないか?の不安もあります。

とのことですが、医学的に言って、人間の性機能30代半ば頃から急速に衰え始めます。徐々に、というよりもガタンガタンと階段を下りていくように。それに伴い、性行為の快感度急激に薄れていきます。その後は、イメージの中で性行為が快楽のように映るだけの、残滓を追うような姿になりがちなのが現代人ですが、まあ参考になるかどうか、今57歳ですが、ここで述べたような心の取り組み究極的な結果なのか、男性機能はまだありますが(^^;)性欲ほとんど消えています。それが実に快適な心の状態でもあります。面倒なことが一切ないし^^;
ともあれ、セックスを取ったら・・と言ってもそれは取られるというよりも、内側から消えていってしまうものです。そう遠くない将来・・。

そんなことも視野に、以上3つ実践取り組みなど検討してみて頂くと良いかと思います^^。



(No Subject) / 無名 引用
No.1287 2018/10/10(Wed) 04:19:31

整形を考えています。26歳の女性です。
諸事情でお金を借りたいと親に相談した事があるのですが、
「整形に使うのか」と深刻そうに言われたことがあるくらい客観的に見て不細工です。
(その時の相談内容は整形ではありませんでした)
人とコミュニケーションがとれなかったり、数年引きこもりにもなりました。
すべて容姿を気にするあまりのことです。
私は幸福になる為に整形したいです。
ファッションや恋愛や対人関係を楽しみたいからです。
ただ、ハイブリッド心理学ではそういったハンディキャップは
制約として受け入れて成長につなげることを勧めていますね。
しまのさんは、目の前に本当に不細工な女性がいて容姿に悩んでいたらどうアドバイスしますか。


 
「美容整形の検討」から入るハイブリッド心理学^^ / しまの 引用
No.1289 2018/10/20(Sat) 16:41:21

「可能性の徹底的な探求確認」がまずアドバイス

人生の生き方についてのハイブリッド心理学からの基本指針は、「望みに向かって全てを尽くして生きる」というものです。
そのための実践として、「可能性の徹底的な探求確認」というのが基礎中基礎になりますね。

これは「美容整形」についてもそうですね。それがどのように人生で役立つのか。一方そのリスクとは。それらを総合したコストパフォーマンスはどんなものか。
実際容姿に大きなハンディがあった時、美容整形がその救い、さらには救い以上の挽回になるケースもあるでしょう。これはご存知かも知れませんが、美容整形大国お隣韓国『Let美人』というTV番組日本バラエティ番組でも紹介されており参考になるかとYoutubeにもアップされている模様)。これはパネラーなどが涙を流すような感動劇になってますね。まちょっとやり過ぎの感があるのも多いですが^^;
一方で、客観的にはむしろ容姿が優れた人が、自分の容姿に問題があると思い込み、整形の虜になるケースもあります。これはもう「整形依存」という、れっきとした心の病気ですね。これも同じく韓国「扇風機おばさん」なんてケースがありました。劣悪な整形処理のあげく顔面崩壊に至ったケース最近TVで見かけないのであるいはこれが原因で亡くなってしまったのではと浮かべたりしましたが、ネット今も取り上げられておりご健在のようですね(失礼しました^^; そうした大きな健康障害は免れたようでなによりです)
まあそうした極端な話ならなくとも、それなりの費用手間リスクもあることでしょうし、そもそも手を入れる量からして実にバリエーションがあると思います。かなり気軽に試せるものもあるだろうし、それでは済まないものもある。

ということで、

>しまのさんは、目の前に本当に不細工な女性がいて容姿に悩んでいたらどうアドバイスしますか。

について僕からのアドバイスとは、
まずは徹底的に知ることだというものになります。決断はその先にするがいい、と。
そしてその決断は、誰々がどうこうだからこうこうでいいじゃないの!、といった他人を引き合いにして押しつけるような声(他人からのものであれ自分内部からのものであれ)流され決めるのではなく、その徹底的に知ったことへの自信自分で決断するがいい、というものになります。


ハンディ解消の役割とは

その決断一助として、ハイブリッド心理学から「美容整形」人の人生にとりどんな役割のものになり得るか、というテーマちょっと一考しましたので書いてみましょう。
例えて比較すると分かりやすいと思います。それは例えば、何か外国語の会話できるようになりたい喉に障害がある、というものに例えられるかと。
ほとんど声が出ないほどだと始まらない。だから何とかそれを治そうと対処を重ね、完璧な美声になれば大丈夫考えたとしても、それではまだ始まっていないんですね。その外国語について勉強しないと。

実はこの例えほぼ同じ状況になるわけですね。
外見容姿にハンディがあって、ファッション人との関係人生楽しめない。まず外見容姿どうにかしたい。
いいでしょうそれはそれ上述の通り検討するといい。しかし人との関係人生の生き方は、それとは全く別の話として、学ばなければならないわけです。
そうした視野ぽっかり抜けたまま、完璧な美声になれた時、外国人がその美声にうっとりして、実は何も喋れていないのに、ジェスチャーなどカバーして会話ができているかのように接してくれるかも知れない。でも実際会話能力はまるでないまま。じき通用しなくなるのが目に見えている。
美容整形全く同じでですね。結構な美形になれた時、人の方からちやほやしてくれるかも知れない。でもそれでは人とのコミュニケーション人生の生き方技術は、何もできていないまま。
一方その外国語について十分に習熟していくならば、多少声がまだかすれている段階で、問題なく会話できることが分かってくるかも知れない。
これもまさに人との関係人生の生き方について同じ完璧な美貌なく多少の見た目欠点があってさえも、それはもう何も障壁になることのないような対人関係能力人生を生きる力得られることが分かってくるかも知れない。


「それぞれについて同時に学んでいく」

そのために重要なのは、これがまさに重要ポイントになりますが、どっちが先か、ではないということです。向上への歩みを、同時に始める必要がある。その先に、その人なりの唯一無二の、バランスの取れた満足ポイントが見出される、というものになります。
喉の治療外国語の会話であれば、その両方を、すぐ同時に始めるのがいい、ということです。一方が完全に完了したら、残り一方を始める、というのではなく外国語の種類によって、必要な発生の種類、それに応じた治療目標というのも出てくるかも知れない。あまり影響のない障害の範囲というのも見えてくるかも知れない。これは分かると思います。

ところがどっこい、外見容姿人との接し方人生の生き方というテーマになると、この両方の向上に同時に取り組むというのがまるでできないというのがありがちのように感じます。外見をどうにかすることに心が虜になるか、もしくは「大切なのは外面ではなく内面」とかの、言ってしまえば皮相な精神論(言ってしまう^^;)を、人の目自分とのつい立てのように掲げたりと。
そうなってしまう理由とは、やはりにある人との接し方人生の生き方指南というものが、具体性を欠いた精神論ばかりのもの溢れていることにあるのではと。接客話術のようなごく限定的なものはあるとして、生活と人生の全体で取り組めるようなものが、なかなかない

ということで、そうしたものとしてお役に立てるのでは展開しているのが、ハイブリッド心理学ですというご紹介になる次第です^^。
美容整形のコスパ検討するのと同じくらい具体的な内容検討になるものとしての、人との接し方人生の生き方の学びですね。生活と人生の全体で取り組むべきものとして。
この内容については、『入門編』などはご一読されたかも知れませんがあまり具体的内容には踏み込んでいませんので、手っ取り早いものとしては
『メール相談事例集』
「代表的事例」「No.001さん」「No.001さん」など読まれるといいかと思います。

ですのでアドバイス結論は、こうなるわけですね。
美容整形について、徹底的に知っていくといい。そしてそれと同時に、人との接し方人生の生き方について、それと同じくらい具体的な学びがあるのを知っていくといい。ハイブリッド心理学がその一つとしてあるだろう。
整形についてどのようにすればいいかの、満足行く結論も、その両方を進めていく中で、長期的に出していくと考えると良いだろう。

というものになります。
ご検討頂ければ^^。


基本方向性の上に「望みの追求」が極められる

ちょっと加えるならば、そのように道を見誤らないような基本的方向性しっかりと持った先に、冒頭人生の生き方の基本指針だと言った「望みの追求」極められる、と言えます。
つまり最後は、ハンディだから克服したいという言い訳(?)とっぱらって、「自分としてこうしたい!」という結論出すのがゴールになるであろうと。
人にこうこう程度には見られたいだけではなく、自分としてこんな自分でありたい、という「望み」に、しっかりと向き合ういい、と。

まあ男の僕でさえ、前頭頂部の髪が薄れるのを食い止めるべく多少の投資などしています^^; 自分の容姿が自分なりに気に入れるのは、気分の基調良くすることでもあります。それはもう人にどうこう見られればいいじゃないの、なんて話無視できる、自分自身のための真実の望みの追究一つになるわけですね。
あくまで上述の話の流れ一つ一つしっかりと踏まえながら、最終的にはそうした自己向き合いになるだろう、というになりますね^^。



生み出すものが見つからない時 / kt 引用
No.1284 2018/10/01(Mon) 12:04:51

愛を前提としない楽しみ、生み出すことによる人との繋がりについてです。
心の自立を目指して取り組んでいますが、これをやってみたいなあ、といった推進力のあるものが湧いて来ないです。趣味などか何あればよいのですが、40年近く生きてきてこれといったものがないのです。そもそも、何かに夢中になってやった事がありません。
どうせ自分なんてという無力感があるからでしょうか。
仕事はしてはいますが、能力もやる気も低いために干され気味です。かといって頑張ってやろうとも思えず、頑張ったところで私の能力ではたかが知れており上には相手にされないと想像がつくため、惰性でやっています。
見られて愛されることにしか視点がなかったために、生み出す事自体が分からなくなっています。
生み出す事がどういう事なのか、もう少し詳説していただけると幸いです。


 
「生み出すこと」の切り分け^^ / しまの 引用
No.1285 2018/10/06(Sat) 11:23:07

まず「生み出す」とは、「喜びと楽しみ、そしてあらゆる向上」生み出すことを言います。この最も総括的な定義はよろしいかなと。

問題なのは、というか重要重大な視点になってくるのは、その「生み出す」ということが大きく
1.個人生活において
2.他(他人や社会)との関係において

という2領域峻別されることですね。

この2領域ルールやマナー向かうべき姿勢全く異なるものであり、それを互いに混ぜこぜにしてしまうのが、悩み惑いやトラブル元になると思います。
一言で、個人生活において生み出すべきもの何なのかを決めるルールは、自分自身の中にのみあり、自分自身による専決事項になります。
一方、他との関係において生み出すべきもの何なのかを決めるルールは、自分自身の外側にあります。
ですので、個人生活において生み出すべきものを、人の意見や人の目によって考えようとしたり、他との関係において生み出すべきものを、自分勝手に、あるいはやる気など自分の内面感情で考えようとしたりするのが、悩み惑いやトラブル元になるというとになります。

ということで、まずは上記2領域への姿勢の切り分けということから検討するといい、というのがアドバイスになるかと。あくまで文章表現だけの問題かも知れませんが、ご質問文面からはちょっと切り分けができていない混乱気配があるため。

>愛を前提としない楽しみ、生み出すことによる人との繋がりについてです。

「愛を前提にしない」ことが重要になるのは、「社会行動」、特に「仕事場面」のことですね。たとえば同郷の人がいて好意を持ってもらえるといったこととは全く無関係に、仕事の場では役割に応じた「価値の生み出し」があります。まずはそれに向かう。それはまず「人との繋がり」目的とはしないものという認識良いものになるでしょう。

>趣味などか何あればよいのですが、

「趣味」まずは、全くの自己専決事項になりますね。人にとやかく言われるようなものではない。まず自分の楽しみ、生活の充実のため、人との関係は全く度外視して探してみるのがいいと思います。で本格的趣味の活動をする中で、あるいは人との繋がりつながっていくかも知れない。

>頑張ったところで私の能力ではたかが知れており上には相手にされないと想像がつくため、惰性でやっています。

仕事は、収入や、社会での能力発揮による自信のために向かうものになりますね。相手にされるかどうかという狭い対人場面よりももっと広い視野向かうと良いと思います。

まずそうした切り分けを検討の上、それぞれへの向かい方について、自分の現状今後について検討するという2段階整理して頂くと良いかと思います。
まずはそこから。そうして切り分けの上で何か悩みテーマはっきりしたら、それについてまた取り組み見えてくると思います^^。


 
Re: 生み出すものが見つからない時 / kt 引用
No.1286 2018/10/07(Sun) 09:09:00

島野さん、ご返信ありがとうございます。
仕事に関しては社会に与える価値やミッションを意識したいと思いますが、気持ちとしては歯車や部品になった感覚もあります。でもそれが ”生み出し“ の世界ですよね。

個人的趣味は、例えば自分はだらだらネットするのが好きだと認めると自他共に駄目な人間に思えてしまいます。
何かやっていても、そんなのやって意味あるの?・生きる上で無くても問題ない下らない・もっとお金や他人からの愛情を得られる生産的なものでなければ…と考えて目の前の事に没頭できないのが現状です。目的が、自分が無価値だという感覚を補うためだから見つからないのだと思います。

完全に主観的な、自分だけから見た楽しみや喜びという感覚をどうやって培うか。
人としての価値のある無しから掘り下げる必要性を感じています。
愛され依存、どうにかして克服したいです。


 
「価値言葉」と「生み出し思考」^^ / しまの 引用
No.1288 2018/10/11(Thu) 11:11:38

>気持ちとしては歯車や部品になった感覚もあります。でもそれが ”生み出し“の世界ですよね。

自分が歯車や部品になった感覚となると、ちょっと「生み出し」にはならなくなってしまうかもですね。
ハイブリッド心理学で言う「価値の生み出し」は、良く使われる言葉で言えば「付加価値」を生み出すことです。通り一辺倒で最低限果たすこと以上の何を、そこで生み出すか。
たとえば歯車や部品になったかのような仕事でも、単に歯車として動くだけではなく、それがどのよう「機能」「品質」作り出すか、そこにさらなる向上加えるための工夫とは、そこに故障や障害がないようメンテナンスをどうすべきか、といった事柄考える、それについてコミュニケーションするといった姿勢実践になって、自分が単に歯車や部品になったように仕事するではない「生み出す仕事」の仕方になるというですね。

そのように、「生み出す」というのは「価値言葉」「生み出し思考」といった具体的内実必要になるもので、これは新たな言語を学んで実践するように結構勉強や実践の積み重ねが重要で、40歳でも遅くはなく取り組んでみて頂くとよろしいかと思います^^。
参考資料としては、
メール相談事例集 No.002 視線恐怖および「職場での自分の位置への不安」の克服
など。またこの『読者広場』「スキル」とかの言葉検索すると結構参考になる話いろいろ出てくるかと。

そうしたもの向かう姿勢実際そうしたスキル身につくことで、「自尊心」そこに根ざすようになり、自ず「愛され依存」ではなくなってくると思います。

>もっとお金や他人からの愛情を得られる生産的なものでなければ…と考えて目の前の事に没頭できないのが現状です。

お金他人からの愛情全く目的とせずに、純粋に楽しく感じるものが個人的趣味になりますね^^。

>人としての価値のある無しから掘り下げる必要性を感じています。

これはちょっと文章が良く分からないところもあるのですが、「人としての価値のある無しという不合理感覚」取り組むという意味かなと。
「人としての価値」なんてのはごく相対的な話で、AさんBさんにとって役に立てばAさんBさんにとって価値があるCさんにはてんで関係ない話ということですね。

察するに、ご質問ご相談の言葉底にある取り組みテーマ多岐になると思いますので、「自分の何が悪いのか」という問題突きとめというより、『辞典』整理しているようなテーマ項目の全体にわたって、ハイブリッド心理学の考えこう、それに対し自分はこう考えるという、全般的確認取り組んでみるとよろしいかと思います^^。



いらっとする言葉を言われたときの建設的行動 / ko 引用
No.1281 2018/08/16(Thu) 15:31:50

他人に批判され、いらっとしたときに、言い返したいという衝動に駆られるのですが、言ってもしょうがない、口げんかで相手を打ち負かして相手を不快にさせてもしょうがない、と思って、言われるがままに立ち去ります。
これは、相手を破壊しないという意味で、建設的な行動のように思えます。

ですが、そのあと、いらいらが収まらず、言い返しておけば良かったという思いと共に、相手に対するどす黒い憎しみみたいなものが生まれるのを感じます。
そして、その黒い憎しみが尾を引いて、次に会ったときには普通に接することは出来ず、余計に破壊的態度となってしまう。

結局、言いたいことはいって、互いにののしりあいになっても、黒い憎しみが残るよりはましだと思うのです。
大げんかをしたあと、それがきっかけで親友になるという話もあります。

私が育った家庭では、皆が言いたいことを押し殺してきたような印象があります。

でも、その場では気まずくなることがあっても、それが破壊的な行為であったとしても、言いたいことは言って、相手の考えていることを知って、少しずつでも互いを理解していく、ということの方が、結果的には建設的なものになるのではないかと思います。

そのほうが、内にどろどろしたものをためずに、さっぱりとした人間関係につながる気がするのです。
一見、破壊的な行動が、長期的に見れば建設的な行動になるということはあるように思います。
もちろん、もっと適切な方法、より建設的な方法があるのでしょうが。

島野さんのように成熟した大人の人ならば、何を言われてもいらっとするようなこともないのでしょうが、現に何かにいらっとしてしまう私にとっては、それにどう対処するのが建設的な方法なのか分かりません。
建設的な行動をとった後にそれによっていらいらしてしまう自分も勘定に入れて、より建設的行動を想定する、ということなのでしょうか。

島野さんはどう考えますか。


 
「取り組み実践」全体からの検討^^ / しまの 引用
No.1282 2018/08/19(Sun) 16:44:45

これは書いていただいたことへの考慮事項全てていねいに書いていくと本が一冊書けてしまう感じですが(というか実際書いた本の多くが説明になるかと^^)要点を書いてみますと、
まず
・人と人との「親愛」は「喜びと楽しみの共有」をベースにして築かれるもの
という考え取っています。そこでの「楽しみ」「害のない攻撃性」つまり相手をからかいふざけるようなものアリだと思いますが、それを「楽しみ」として受けつけられるかどうか人によってかなり違いますので注意が必要ですね。

>でも、その場では気まずくなることがあっても、それが破壊的な行為であったとしても、言いたいことは言って、相手の考えていることを知って、少しずつでも互いを理解していく、ということの方が、結果的には建設的なものになるのではないかと思います。

については、『辞典』
実践4-1 「価値観」の理解 - 「愛」への価値観
にもまとめたように、
「喜び楽しみの共有」として向かう。それができない時孤独を受け入れる
というのを指針として採用しています。「破壊」になるような言葉は、に浮かんでも言わない
なぜそうした指針取るのか詳しい考慮点など、説明がまだ埋まっていない部分もありますが
「愛」への理解と価値観と取り組み
など参考頂ければと思います。

そしてご質問タイトルでもある「いらっとする言葉を言われたときの建設的行動」については、
・いらっとする言葉を言われないよう先回り対処する
というのが一番建設的ですね。もちろんこれは言ってすぐそうできるようなものではなく、日頃からの建設的行動法学びと実践の試行錯誤の積み重ね次第に身についてくるものになると思います。
そして

・実際にいらっとする言葉を言われたと感じた時の建設的対処
としては、
 1)実際に自分の側に問題があれば、その改善向上に取り組む
 2)いらっとした自分の感情の自己分析取り組み

などが出てきます。後者はまず「自尊心」への姿勢メインテーマになると思います。
これは実際のところ、「感情と行動の分離」に始まるハイブリッド心理学の「取り組み実践」の全体進めるというになると思います。

ということで、ここで気のきいたアドバイスを手短にという感じにはならない点申し訳ないのですが、一度まとまった読書などして頂き、ハイブリッド心理学の全体どう頭に入ってくるかなどから、検討頂ければと思います。

上述「先回り対処」「自分の側の問題の改善向上」については、一般論ではなく一つ一つの場面内容ごと学びが出てきますので、さしつかえなければどんなこと言われていらっとしたのかの具体的例など書いて頂ければ、その個々具体的アドバイス可能かと思います^^。


 
参考図書^^ / しまの 引用
No.1283 2018/08/20(Mon) 06:20:19

子供相手いらっとしがちだったのが、2週間がらっと改善変化した事例などありますのでぜひ一読頂ければ^^。
『実践編 上巻』
「A子さん」事例(1章、2章、10〜12章)



都会と地方の優越感・劣等感 / 引用
No.1276 2018/06/29(Fri) 18:47:23

私は地元が嫌いです。ですが,今,地元に戻ろうかと悩んでいます。

高校を卒業してから,地元を出て現在(30歳)まで関西で暮らしました。
ですが,最近,父に初期の胃がんが見つかり,親のそばにいたいという思いが強くなりました。
また,資格を持っているので,仕事の面では地元に戻ることは難しくありません。私が戻ることで親戚兄弟の力にもなれると感じています。

ただ,関西での職を捨てて地元でこの先暮らしていくことを考えると,憂鬱になります。
地元は中規模都市なのですが,高校まで過ごしたその地に良いイメージはありません。保守的な人間が多かったというか,面白いと思える人,尊敬できる人があまりいませんでした。
他方,関西には良いイメージを持っています。都会というのは周辺地域から優秀な人が集まってくるためなのか,面白く,尊敬できる人が多くいました。
親の件がなければ,地元に戻ることはないと思います。

しかし,この先遠くないうちに親が死ぬとなれば,親の最後にそばにいられなかったことに対して,私は強く後悔するように思います。今回は父の件ですが,母についてもいずれ訪れることです。

一度地元に戻ると,仕事の都合からも関西には戻りにくくなります。
今後の人生を左右することになるため,なかなか決断がつきません。

地元の良さも知ってはいるつもりなのですが,おそらくずっと関西に劣等感を抱いたまま生きていくしかなさそうだと考えると,地元に戻る決断が出来ません。

島野さんは,都会と地方との間の優越感・劣等感についてどう考えますか?
自分の中では,都会の人に,地元を下に見られているといった意識があります。私自身も都会にいたときは地元を下に見ていましたし,同じような発想の人は多くいると思います。
住んでいる地域がステータスになる感覚を,果たしてどう捉えていいものか,悩んでいます。


 
Re: 都会と地方の優越感・劣等感 / しまの 引用
No.1278 2018/07/10(Tue) 16:42:58

なぜか投稿通知メールが来ておらず今気づきました^^ゞ
これから拝見して早めにコメント入れますです^^。


 
都会と田舎の優劣意識^^ / しまの 引用
No.1279 2018/07/12(Thu) 13:14:50

明日から北アルプスのため手短に^^。

ハイブリッド心理学からは、まずは一貫して「外面行動は建設的に、内面感情はただ流し理解のみ行う」という「感情と行動の分離」実践ということで、
・外面行動具体的で現実的な材料ベースで決断する。
・内面感情成長成熟への広い視野の下で、精緻な自己分析理解を進める。
という2面になりますね。

仕事住いどうするかであれば、まず具体的現実的材料選択肢優先度決まってくるでしょうし、そこで好きな都会候補にできるのであればそうすればいいだろうが、具体的現実的材料ベースでもう選択肢にあがってこないなら、どうしようもない。

だからと言って優劣感情についてのわだかまり切り捨てよという話ではなく、惑う感情あるのであれば、拡大鏡さらには顕微鏡のような目を向けて向き合い続ける、というのがハイブリッド心理学流になります。
場合によっては一生それが続く覚悟でです。



>島野さんは,都会と地方との間の優越感・劣等感についてどう考えますか? 自分の中では,都会の人に,地元を下に見られているといった意識があります。私自身も都会にいたときは地元を下に見ていましたし,同じような発想の人は多くいると思います。

といった「優劣感情」への視野どう持っておくか。

まずご参考まで群馬住んでいる僕自身の感じ方書いておきますと、都会にはもうぜんぜん興味なしです。自分一人であればあとは生きていけるという計算を立て、こうして執筆などしながら日々山登りトレーニングできる低山すぐ近くにあり、そして北アルプス東京からより近いここでの生活満ち足りており。年2回東京の歯医者通ったりしていますが、都会華やかな街並みより、近所山山道の自然の方がずっと面白いです。

そうは言ってももちろん若い時都会に染まるのを良しとして生きたわけで、学生時代6年社会人20年、そして会社を辞め3年して群馬戻るつごう30年ほどという、今57歳ですから人生の半分以上を都会で過ごしたわけですね。
それを踏まえて言うなら、「人」について言えば都会田舎(多少は人口ある市であれば)で、差はないです。人が多いだけ^^;
特に「仕事」について言えば都会の人の方がデキルなんてことはてんでなく、同等の能力真面目さ求められます。
「場」違いですね。都会の方外観きれい。あとは、先月東京の歯医者の際は六本木のミッドタウンに寄りましたが、TVに出てくる女優のように綺麗な女性をよくみかけ、これはさすがに違うなあと思いました。そんな程度ですね。

そんな話参考に、ご自身の感情自己分析されるのも良いかと思います。まずそれは中身のない先入観イメージ的なものではないか。でなけれは、具体的どんな尺度優劣感じているという話か。学歴財力
あっあと「人」についての僕の感覚では、都会というのは根無し草で気張った人の集団というイメージは感じています。田舎落ち着いている分気張っておらず、それがどこか抜けているのを感じさせる可能性もありますね。

心理メカニズムとしては、人との優劣意識というのは、自尊心まだ未完成な未熟ゆえに抱くものです。自尊心完成してくると、もう人との比較意識など根底から薄れてくる。
まあ誰でも未熟から生きるのですからそれはいいとして、自分「自尊心」どのように築いていくものと考えているのかという、「価値観」問うのも重要ですね。これについて具体的には『理論編上巻』などで扱っています。

さらに言えば、

>私は地元が嫌いです。

というのが、実際いじめに遭ったとか具体的トラウマなどのであれば、これは優劣感情とはまた別テーマになってきますね。これについてコメントここではもう書きませんが一応念のため。

とりいそぎこんなとことで^^。細かい観点質問などあればまたコメント追加しますので^^。


 
つけたし / しまの 引用
No.1280 2018/07/12(Thu) 13:36:46

重要つけたし^^。

>都会の人に,地元を下に見られている

こうした人の目イメージは、「外化」と呼ぶメカニズムです。自分の心の中で起きていることが、外部で起きているかのように感じるメカニズム
ちょうど『辞典』「歩み1-2 心を病む仕組みとその克服」で次に「「自己操縦心性」と「外化」」なんてテーマ次にアップしますが。

「あらゆる軽蔑が、本質的に自己軽蔑の外化である」
とはホーナイ言葉です(だったと記憶)
まず自分がどう感じ考えているか自己分析重要になるゆえんです。




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