金の光月の旅人 - 姫 - 2006/12/21(Thu) 23:29:06 [No.62] |
└ Re: 金の光月の旅人 - 管理人・冬木洋子 - 2006/12/22(Fri) 17:31:06 [No.64] |
└ Re: 金の光月の旅人 - 姫 - 2006/12/23(Sat) 23:09:16 [No.65] |
└ Re: 金の光月の旅人 - 管理人・冬木洋子 - 2006/12/24(Sun) 21:03:25 [No.66] |
姫様、感想ありがとうございます! 確かに、この話は、私の『持ちテーマ』のようなものや特徴・嗜好が凝縮されて詰まってるかもしれません。 ラドジールの話では、一つの物語がいろいろな形に変容する様を描きたかったので、そういうマニアックな(?)テーマに関心を持って面白がってくれる読み手がいて、嬉しいです。 >思えば、子供時代って子供っぽい不思議な感覚の中にいることもあって、常に不安定で恐ろしい世界にいたような気も? ……というのも、私がこの作品で描きたかったものなので、自分が表現したかったものをちゃんと受け取って頂けて、とても嬉しいです。 > 「きっと橋の下から拾われてきた子に違いない」 あはは(笑)『橋の下』ですか! 昔はよく言いましたよね。どうして子供を拾うのは『橋の下』と決まってるんでしょうね(笑) 雨に濡れにくいから? 人通りが多くて拾われやすそうだから? それとも、何か奥深い民俗学的理由が?? でも、それに近いことを思った子は、きっと、とても多いですよね。特に小説を書いたり読んだりしているような人の子供時代には、なおさらなのではないかと……。 そこで自分が親そっくりなのに気付いて、本当なら「ああ、よかった」と思うべきなのかもしれないけど、ちょっとショックを受けてしまうというのも、分かります。 (ああ、私はやっぱり、実は遠い国のお姫様だったりなんかしなくて、この普通で平凡な親の実の娘だったんだなあ、自分はこの冴えない現実の中に組み込まれたありふれた存在なんだなあ)みたいな。喜ばしいことのはずなんだけど、なんかちょっとがっかり……という気持ち。 (本当の私はこんなじゃない、自分の本当の居場所はここじゃない、どこか遠いところにある本当の居場所に辿り付ければ、その時、私は、なりたかった光り輝く『本当の私』になれるはず……)みたいな幻想を抱くことは、成長の過程ではたぶんごく正常なことで、異世界召喚ものは、現実では満たされないその幻想を満たすことで、容赦ない現実によって傷ついた人の心を癒したり、楽しませたりする。それはとても意義深いことなんだと、私は思っています。傷ついた心は傷ついたままでは成長できないこともあって、そういう場合、一時的な逃避で癒されたり満たされることで、もう一度、前に進む力を得られることもあると思うから。 ちょっと話は脱線しますが、他人の現実逃避や願望充足を過剰に嫌悪・憎悪する人は、きっと、その人自身が、『特別な自分』という幻想を失って未だ傷ついたままでいる、手負いの人なんだろうと思います。だいたいにおいて、他人の何かを否定する人というのは自分自身が傷ついている人と相場は決まってますから。 そこから脱却して大人になれれば、人の好みは様々だから自分は異世界召喚ものを好きじゃないとしても、それを好む人たちをも温かい目で見られるようになるんじゃないかと……。 ……何か延々語っちゃってスミマセン(^^ゞ > これは迷い込みものではなくて、迷い込み一歩手前のお話ではありますけれど、やはり一種の異世界迷い込みで『行って帰ってきた』感じがします。 言われて見れば、私もそう思います。 エルドローイと過ごした森での日々は、子供達にとって、日常を離れた異世界の日々だったし、エルドローイに選ばれて共に行くことを決心した瞬間のチェナは、もう、いったん『あっちの世界の人』になってしまって、妹に呼び戻されたようなものです。 実際に異世界に行って帰ってくる話ではないけれど、チェナの心が『行って帰ってきた』話だと思います。 『行って帰ってきて成長する』お話。『イルファーラン物語』と同じですね(^_^;) 何か脱線してあまり関係ないレスを書いてしまいましたが、姫様の書いてくださった感想は、本当に、私の表現したかったことを、たぶん私以上に的確に分かってくださっていて、とても嬉しかったです。 この話、ネットに上げて良かった! ありがとうございましたm(__)m [No.64] 2006/12/22(Fri) 17:31:06 |
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