エレファントな解答 - すえひろ - 2008/10/08(Wed) 20:31:24 [No.77] |
└ ぱお〜ん - mihoro - 2008/10/08(Wed) 21:01:31 [No.78] |
└ Re: ぱお〜ん - monstre - 2008/10/09(Thu) 09:28:42 [No.88] |
└ Re: ぱお〜ん - mihoro - 2008/10/09(Thu) 10:19:07 [No.91] |
└ わお〜ん - すえひろ - 2008/10/09(Thu) 21:01:39 [No.93] |
└ にゃお〜ん - mihoro - 2008/10/09(Thu) 22:38:29 [No.98] |
└ Re: にゃお〜ん - monstre - 2008/10/10(Fri) 06:18:19 [No.108] |
└ Re:ひひ〜ん - 神楽坂 - 2008/10/10(Fri) 12:29:23 [No.111] |
└ こけこっこー - mihoro - 2008/10/10(Fri) 14:55:12 [No.113] |
└ ブレーメンへ行こう♪ - すえひろ - 2008/10/10(Fri) 23:04:28 [No.121] |
mihoroさん、みなさん、こんばんは。 昨夜は400字の壁に阻まれ、文章を削って削って、やっと投稿できました。(前回も同じ経験をしたような・・・) で、私の解答ですが「都井研作」にしました。 2007年か2008年かがずーっと決められなくて、2007年なら都井、2008年なら正彦と思っていたのですが(でもトンネル開通してても都井が犯人ではないという理論が作れないのですが・・・)、最後の最後に月齢と月の形に気づいて、都井にしました。 でもずっと気になってたのは、正彦の事務所に「免震設計」の本はあるのですが、ネットで調べた限り「免震」といっても全然ゆれないわけではない、という事なんですよね。 海馬地区の皆さんが地震の話をしないのも何だか変だし。 まだまだ作者の手の平の上というか、もっととんでもない解答が待ち構えているような気がしてなりません。(それも楽しいけど) でも「正彦が犯人」だと大変悔しいので、まだ全然別の人の方がいいかも(^^;) いちおう、私の解答をコピペしておきます。400字だと文章削りすぎて日本語としておかしくなりかけているので、ロングバージョンで。やはり私にはエレガントな推理は無理なようです。 岬への道についた卓也の足跡の上に車輪の跡があるが、室戸の手押し車は当日14:34時点でパンクしているいるので、これは正太郎の車椅子(タイヤ痕の形状から外出用の方)の跡である。しかし正太郎は卓也が岬に出かける前に自宅に戻っており、宗谷家から18〜19時の間に岬へ往復できた者はいないので、車椅子が通ったのは卓也が戻った19:05以降となる。これは死体を運んだ際についたものと推測されるので、犯行の現場は忘却の岬ではない。従って海馬地区の住民のアリバイは意味をなさない。 犯行現場は宗谷家の庭である。新館裏口の階段に14日と18日にはあったレンガが23日20:03にはなくなっている。これが凶器である。そして物置の布のかけてある荷物の高さが18日と23日では変わっていることから、納戸の中の安楽椅子の上にあったプラスチックケースをガラスケースに乗せていることがわかる。この安楽椅子に高石の死体が置かれていたのである。 卓也の部屋に花とメッセージを置いた犯人の条件は1卓也の部屋を知っていること2花が群生している場所を知っていることである。卓也は2に該当しないので犯人ではない。また高石殺害の凶器には血で指の跡がついているほどだったが、卓也の包帯は汚れていない(利き腕の右手でもあり、巻きなおしていれば真紀が気づく)ことからも実証される。 また海馬地区(出身含む)の人間であれば2は該当する。1は宗谷夫妻、使用人、佐多親娘、正彦(室戸とエリは宗谷家との関係から間取りを知っているとは考えがたい)。2階に行けない正太郎は除外される。 また、高石の携帯電話の電源が切れていたが、時計代わりにしていた携帯を消す筈はなく、犯人が消したと考えられる。着信音が大きいため死体が発見されるのを恐れたためである。高石の携帯の着信音を聞いた事のある者は、室戸、エリ、泰江、亜紗子、都井である。上記の条件と重ねて、泰江、亜紗子、都井が残る。 しかし、17〜19時の間は18:20〜40を除いて都井が庭にいたため、18:25~35の間に一緒にいた泰江や亜紗子が、5分間で庭に行って高石を殺害し物置に隠すのは無理である。 従って、残る都井が犯人となる。 都井は、真紀が帰るのも見届けて死体を捨てるために人目がなくなるのを待ったが、泰江に洗い物を言いつけられた亜紗子が戻るのが遅かったため、予想外に遅くなってしまった。 その間に死後硬直が進み、椅子に座った様な格好の死体が不信がられるのを恐れて、15年前の事件に倣って忘却の座に座らせることにし、車椅子で運んだのである。 なお卓也は16日の地震を感じなかったが、免震住宅であるため揺れが軽減され、絵を描く事に集中していたためと思われる。 [No.77] 2008/10/08(Wed) 20:31:24 |
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