朝日新聞5月27日朝刊 - とん - 2008/05/28(Wed) 20:43:04 [No.351] |
└ 「すばる」2008年7月号 - モモチ - 2008/06/13(Fri) 14:54:55 [No.355] |
└ 毎日新聞5月27日夕刊の文芸時評も - モモチ - 2008/05/29(Thu) 17:06:57 [No.352] |
└ Re: 毎日新聞5月27日夕刊の文芸時評も - Moinous - 2008/05/30(Fri) 22:46:04 [No.353] |
└ Re: 毎日新聞5月27日夕刊の文芸時評も - a - 2008/06/05(Thu) 00:08:58 [No.354] |
群像新人賞の評論、読みました。 評論は呪われると書いていて、私の反論もそこに呑み込まれる内かもしれません。 ですが私の鈍臭い頭でも怪しく思う部分があって、 「今の大学生はもちろん、大学教員でさえ、ほとんどが現代文学の動向とは無縁に暮らしている」「一部の悩める人々に束の間の共感と癒しと救いを提供」「今日の純文学は自ら閉鎖的空間に引きこもる」という部分ではおんたこ臭がぷんぷんします。 また笙野頼子や90年代の成果を無い振りして、「清涼院流水や舞城王太郎、谷川流」に前衛性を認めている。 >さらに武田が皮肉交じりに「ニート系」と呼ぶ最近の小説は、 >どちらかというと「セカイ」系のような自閉的な、ライトノベル >に近いような作品を指しているようです。 本文の前後の文脈からすると、文芸誌に載ってるようなマイナー文学に対して、「ニート男やメルヘン女が妄想を暴走させるものが多い」と言ってるようにしか見えませんでした。 そして多くの純文学を見ないことにして、「賞味期限切れのスナック菓子」(おんたこ臭)とまとめて、そこから外れるのはただ一人、中原昌也ということになってる。「相当乱暴な議論かもしれない」と自ら言ってるように、相当乱暴です。 おんたこじゃないプロの選考員が選んだ受賞作なので、私の見方が単純すぎるんだろうなとは思います。笙野頼子の読者はいったいどう読んだのだろう、と思い書いてみました。 [No.354] 2008/06/05(Thu) 00:08:58 |