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予告データ - 城 華一郎 - 2009/08/04(Tue) 19:54:45 [No.5574]
『二人の間に流れるのは』 - 空馬 - 2009/07/17(Fri) 21:26:41 [No.5463]
くうちゅうがたほーぷ - 冴木悠 - 2009/07/17(Fri) 01:04:07 [No.5455]
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三沢光晴追悼SS - フェ猫@題名と内容は一切か(ry - 2009/07/04(Sat) 07:35:23 [No.5420]
【図書館移動済】短編『唇の雪』 - 城 華一郎 - 2009/06/30(Tue) 23:28:32 [No.5385]
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小雲散策記 - 空馬@小雲の紹介文書こうとしてなんか別のになってる - 2009/04/21(Tue) 10:54:43 [No.4972]
アカダノサクヤの樹の下で - しん@携帯でミスるとこんなぶざまな削除二連発にorz - 2009/04/08(Wed) 00:31:43 [No.4847]
まっこ☆まっこ☆り〜ん☆ - フェネ子 - 2009/04/05(Sun) 17:50:24 [No.4826]
ふぇっふぇっフェ猫さんのSSに乗っかる形だよ☆御無... - 空馬@(>ш<) - 2009/01/26(Mon) 02:27:29 [No.4231]
空馬さん、先に続き書いちゃったよSS - フェ猫@野菜ジュースは200円〜♪ - 2009/01/24(Sat) 07:52:06 [No.4205]
マクロスFを見たこと無い男がマクロスFネタを詰め込... - フェ猫 - 2009/01/10(Sat) 05:55:15 [No.4104]
親愛なる【いい男】へ - フェ猫@ツンデレって何? - 2009/01/08(Thu) 04:28:38 [No.4101]


お蔵だし08:E’s (前編−下) (No.5697 への返信) - 城 華一郎

【E‘s:君の名前】

/*/

旋律が洞窟に鳴り響く。
軽やかな旋律である。閉空間の残響を計算に入れた、ふわりと包みこむような、心に余韻たなびく音。

「ふあ」

ゴザに毛布だけという粗末な寝床で涎を垂らしながら起き上がったのは、あの、赤毛の少女であった。
当然寝ていたわけであるからして、帽子などかぶっているわけもなく、柔らかな髪に寝癖が着き放題である。
くしくし顔を手で洗うと立ち上がって、毛布を畳み、欠伸する。
髪だけではなく、まるきり猫のような仕草をする少女だ。
とたとた音もなく歩き、旋律の源へと少女の足は向かっている。

「こら、寝癖ぐらいは直さんか。
と、いうか、今の今まで寝ておったんかい、お主」
「んおー、じいちゃん」
「人のことは名前で呼べと言うただろうが。まったく……」

現れたのは、長い髭を蓄えた、逞しい矮躯の老人。
その髪も髭も既に白いが、まだどこかにちらほらと、黒や灰色が混じっていて、丸く突き出た腹が筋肉で盛り上がっているように、寄る年波を感じさせない。
Noahの鍛冶師、橘玄翁(たちばな げんのう)である。

「ふあい、じいちゃん」
「もうええ。ほれ、急がんと皆を待たせてしまう」

せかすように、孫と祖父ほどの年の差のみならず随分離れた背丈のその背中を押す。

「あん」
「ほれ、ほれ、ほれ!」

後ろから押されて仕方なく小走りになる少女。
その身長は、170の後半にも達しようかというセンチメートルである。
洞窟とは言っても、あちこちに明かりが灯されており、慣れたものには危なくない。
黒目の大きな金色の目で、その道の先にいる人影を見やる少女。
彼女よりさらに頭1つはでかい、この暗いのにサングラスを着けた屈強そうなよく絞り込まれた五体を持つ男や、その腕にぶら下がるようにして歩いている、彼女より頭1つは小さい糸目の女。

「やあやあおはよう孫娘とそのおじいちゃん」
「お前さんがそんな口を聞くからこやつの口の聞き方がいつまで経っても直らんのだぞ、アルハ」
「いやあ、そんな」
「誉めとらんわ!」

照れるアルハに、ったく、と顔をしかめる玄翁。
サングラスの男は寡黙そうなその見た目とは裏腹に、折り目正しく頭を垂れて、年長者への敬意を示した。

「おはようございます、橘翁」
「おう、おはよう…二人もチギラを見習うようにせんとな。
どうだ?その後、『竜哮』の様子は」
「お蔭様で。ただ、このところ少し弾道がずれるようになりました」
「お前さんの使い方は荒いからの…近いうちにまた手を入れてやる、持って来い」
「ありがとうございます」

ほえー、と、そのやりとりを目を丸くしながら眺めているのは、二人の女達。

「大人のやりとりって感じだねえ、大人だねえ」
「そうっかなー?普通じゃない?
というか、その括りで言うとまるで私が大人のカテゴリーに入ってないみたいに聞こえるんだけどー」
「うん」
「あれえー!?」

等と、アルハが頓狂な声を挙げたりしつつ、そんなやりとりをしながら四人は洞窟の奥へと進んでいく。
徐々に旋律源は近づいてきている。
だが、不思議なことに、近づけば近づくほど、その音の響きは大きく強くなるのではなく、軽やかに繊細にほどけている。
これでは音の源などは、絹のような居心地のよさに包まれているのではないかという、ほどである。
開けた空間が見えてきた。
一際明るい照明が、天井からいくつもの蝋燭とそれを乗せた小さなシャンデリアという形で成されている。
その奥にある、玉座のような椅子に腰掛けているのは、白い白いやせぎすの男。

「これで揃いましたね」

その白い男の唇から、音楽的な声が響く。
旋律は止んだ。

「まだ、絶風(ぜっふう)の奴が来ていないようだが」

チギラが言う。
いいえ、とアドラは首を横に振った。

「同志なら、既に、ここに」

す。
と、椅子の後ろから、明らかに椅子よりもサイズの大きな、黒塗りの男が現れた。
その挙動から、屈みこんで隠れていたわけではないのは明らかだが、では、どうやって姿を隠していたのかというと、この場にいる誰もがわからぬことであった。

「ようこそ、英雄ならざるものたちの宿へ集いし兄弟達よ」

扇状に並ぶ4人と、傍らに立つ1人とにそう呼びかけて、盲目の白き貴人・アドラ=ハースティラは会合を始めた。

/*/

「まず、始めに。
チギラさん、皆さんへと報告をお願いします」

促され、頷く。

「先日見つけた新たなエラー体は、Noahに帰属することを拒んだ」
「え、だれだれ、どんな人?」

赤毛の少女が口を挟む。
それをアドラがとりなした。

「彼女だけは、外を出歩いていましたから。チギラさん、説明してあげてください」
「長い髪の女だ。とても小柄で…アルハより、さらに小さい。お前から見れば、頭2つは丸々小さいだろう」
「やったら胸がでかくてねー、あと、偉そう!」

アルハが聞かれもしないのに補足する。

「あー」

少女はアルハの平たい胸を見て納得した。

「それは偉そうだ」
「偉いの定義が違くない!?」
「さておき」

脇にそれそうになる話題をチギラが取り戻す。

「憂慮すべきことではある。
その女、確かに鼻は多少効くようだったが、どう見ても戦闘に向いていない」
「なるほどー。それはあんまり偉くなさそうだなあ」

ふに、と少女は猫のような口をして言う。
黒塗りの男が、ぬう、とそこへ言葉を挟んだ。
鉛のような声だった。

「トウ家の連中に動きがあった」
「ほう」

と、長い顎鬚を楽しげにしごくのは玄翁。
皺と共に業の深い、職人ならではの刻み方をした年輪が、その顔には浮かび上がっている。

「やっこさんらが動きよるか」
「若造を1人、繰り上げただけのこと」
「あそこも今人手不足だもんねー」

やっはははと歯を見せて笑うアルハ。

「あの元後輩くん候補(仮)の、出現でも予知して対応させたのかな?」
「そんなところだ」

黒塗りの男・絶風は、それだけ言って、口を閉ざす。
肌も、髪も、服も、その佇まいも何もかもが黒く、そして重たい。
唯一、瞳だけが金色である。
チギラの見た目が強靭に引き絞られそれでも盛り上がった無駄のない戦士の肉体ならば、絶風の肉体は、さながら巌のようであった。
大きく、強く、そして揺るがない。
たったそれだけ。
だが、それだけ。
それだけの印象で構成された人間は、もはや人間を通り越して自然物のような風格を持つ。
その、自然物のような風格を持つ男が、黙る。
それでもう、いるだけで、身動き1つしなくとも気にならない。
それこそが、彼の隠行のからくりの正体であった。
あまりにも自然である。それだけで、人は気配を人と感じわけることが出来なくなる。
そういうものが、絶風の技術であり、そういうものが、絶風のNoah内で知られている人格を現していた。
つまるところ、得体の知れないがとにかくそこにいつもいる、だ。

「仲間ではないとしても、無碍に、その命が狩られるのを見過ごしているわけには参りません」

アドラが言った。
その言葉は染み入るように、彼らの胸で旋律を刻む。

「絶風さん。また、テラ領域へ降りて、牽制を行ってください」
「応」
「チギラさん、アルハさん。天領側の情報操作をお願いできますか」
「おっまかせー!」
「了解した」
「すまんが、アドラ殿」

玄翁が言った。

「わしはまた居残りかの?」
「ええ。薫さんを見てやってあげてください」
「ふむ……ま、鍛冶師が前線に出る意味もないし、よかろうて」

しごいた髭が、指に絡む。
最後にアドラは、暇そうに寝癖を手で抑えて直していた、少女の方を向いて告げる。
その気配に、彼女は、ん?と振り返った。

「キリヒメさん」
「うん」
「あなたがその、トウ家の方を抑えてください」
「遊んでいいの?」
「ええ」

ですから……と、歌うようにアドラは、彼女の名前を旋律で呼んだ。

「その名の意味を、存分に果たして来て下さい。
斬姫(キリヒメ)さん」

にんまあ〜…っと、少女の顔が笑う。
金色の瞳が、猫のようにすぼまった、獰猛な焔の獣の笑み。

「いってくるー」

声は無邪気な脳天気。

/*/

「にしても…」

大丈夫かなーとアルハは、退屈な道中の穴塞ぎに喋り出した。

「何がだ?」
「キリヒメ1人で行かせて、ちゃんと仕事するかなーってことー」
「…………」
「否定しきれませんか!!」

チギラが沈黙したので驚きながらも、思う。
自分達のことを、ねーちゃん、にーちゃんと慕う彼女。
猫のように人懐っこく、それはほとんど猫にしても度を越している。

「これまで仕事だけは失敗させたことはなかったろう、あいつは」
「代わりに、いつまで経っても仕事しないとか、余計なことばっかりするとか、ありましたー」
「…………」
「…………」

今度は二人して黙ってしまう。

「情報操作って言っても、半分はあの子のやらかしたことの始末だしねー……」

ふ、と、苦笑する。
それでも憎めない。
天真爛漫な彼女を見ていると、正直、救われる。
薫がキリヒメに憧れているのも、そういうところのせいだろう。
生き延びるために、Noahがやっていること。
それは、殺されないために、相手を殺す、血生臭いマッチポンプ行為にすぎない。
先の見えない生活で、それでも笑顔でいられるのは、あの子みたいなのがいてくれるからだ、と、アルハは口が裂けても本人には言わないようなことを思いながら、その細い頬に浮かべた苦笑を微笑みにした。
チギラが言う。

「俺達は俺達で、成すべきことをするだけだ」
「うん!」

にこにこと、その逞しい腕に組みつくアルハ。

「くっつくな」
「腕組みー」
「しない」
「してよー」

じゃれあいながら、森の中。
雨上がりの濃い霧を、男と女が、ふたーり。
だが、彼らは気がつかなかった。
その道程のすぐそばで、ぬかるみに刻み込まれた1つの足跡が、突然途中で途絶えていることに。
時刻は未だ薄暗い、早朝であった。

/*/

体が重い。
首筋がやたらと痛い。
目もなんだか痛いし、耳の下あたりも痛い。
全身が軋む。
ねっとりと、普段とは異なる汗が吹き出ていて、唾もひどい味だ。
喉が膨れて呼吸するのも辛い。
おまけに、吸い込んだ空気で肺まで軋む。

(こりゃあ……)

どうにもならないな、と、少年は心の中でだけ、うめいた。
傍らではメイドがキンキンに冷えた氷水で手ぬぐいを絞っている。
わけのわからない光景に、彼、トウ=エン=スバルは改めて後悔する。
人助けなんて、するんじゃなかった、と。

/*/

星空だけは、どこにいても変わらないな。
スバルは砂漠の夜に腰掛けながら、そんなことを思っていた。

「…………」

牡牛座を探す。
そう、あれだ。あの中に、昴という星がある。
ぎゅ、と胸の前で握り締めた拳。
母様、僕は、まどかはここまでたどり着きました。
瞬く星は素直だ。
乾季と雨季ぐらいしか季節のないこの国では、空を遮るものが何もない。
海に取り囲まれ、その海と、向き合う形で街を四方に置いている。
水の名。
統計上、国民がそれを殊更多く持っているのは、この国しかなかった。
心(ハート)の形をした島国、冗談のような愛国家、テラ領域の中流国。
レンジャー連邦。
年寄り衆の下したお告げが正しいのなら、この領域で『それ』と出会うはずだった。
アイドレスのバグの化身、『E‘s』が。

「設定国民唯一の、バグを狩る一族、か…………」

信じているわけではなかった。
旧家だの、名家だのというところが誇っている伝統など、話半分に聞く位で丁度いい。
そう、その中で暮らしている人間として、切に思う。
でなければ、あまりにこの一族は呪われている。
時には人の形を取るバグを、同じ設定国民を、ただ、バグだからという理由だけで殺す。
そこに正義はあるのかと悩んだ時期は遥かに昔だ。
今はもう、彼はその手を血に染めるための第一歩を踏み出してしまっている。
ああ、星空は美しい。
人の手に、届かないから美しいのだろうなと、彼は思う。
遠い浪漫だからこそ美しいというものも、この世には確かにあるのだ。
正義のための人殺しほど胡散臭いものはない。
だからスバルが幼い頃たどり着いた答えは、『これは、生き残りを賭けた戦争なんだ』という真理。
バグがはびこれば、アイドレスは世界そのものが不安定になる。
そうなれば、真っ先に煽りを食らうのは、プレイヤーではなく、もっともか弱い設定国民の自分達なのだ。
誰かのためのなどという、口幅ったい理屈はいらない。
ただ、運命に抗えない誰かの代わりとして、ここにいる。
たまたま自分が、その誰かではなく、代わりの役をしているに過ぎない。
そういう悟りを、スバルは齢14にして早くも得ていた。
風が砂塵を巻き上げる。
口に入り込まぬよう引き上げていた砂避けが、その風にはためいた。

「寒い、な」

ぽつり、呟く。
海と、陸との蓄えた熱量差が、強い風を生んでいた。
旅行者を装ったていではあるが、今の彼は暗殺者だ。
正規のルートから、記録を残して入国するわけにはいかない。
地走りが用意したリンクゲートを経由して、直接砂漠に落ちた。
だから、スバルはこの国の昼の顔というものをまだ知らない。
愛の国と呼ばれるほど、浪漫を全力で掲げた藩国だ。
少し、それを、この目で直接感じたかったと思う。
何故、この国には水の名が多いのか、調べたのは図書館藩国でのことだったが、各国の事情に精通した吏族を運良く掴まえて聞き出しただけなので、その由来まではわかっていない。
それが知りたかった。
尻を払って立ち上がる。
水平線に見える遠い明かりは民間の船舶だろう。灯台がそれを導いている。
世界は眠らない。
そこに暮らす人々が、真には眠らぬように。
行こう、と、スバルは決意する。
これから自分が殺そうとする相手。
それを知りたいと思うのは、まだどこかで罪の意識を感じているからだ。
それを持ち続ける限り、おそらく自分は相手を殺せないだろう。
だから、もう、行くのだ。
星を見て、己のルーツを思うのは止めだ。
風を見て、この国を思うのは止めだ。
水平線を見て、甘い答えを求めるのは、止めだ。
誰も己を灯台のようには導いてはくれない。
誰も風に乗せた追憶など理解してはくれない。
だから、自分の答えは見上げた星ではなく、自分の中に見出すべきなのだ。
だからスバルは歩き出した。
まずは目に見える、あの街を目指して。

その時ふと、行く道先を照らす月影の、その輪郭が崩れたような気がして、もう一度だけ彼は空を見上げた。

空から人が、降って来た。

/*/

どぼおおおおん!!!!

盛大な水音が夜の静寂と共に聴覚をぶち抜く。

「!!」

人影はすぐ近くのオアシスに落ちたようだった。

(何だ!?)

純粋な困惑が湧き上がる。
同時に嫌な予感がした。
単調な見た目に反して意外と小高い砂丘を駆け上がり、今度はそこを滑り降りる。
オアシスは公園になっていた。
と言っても、ジャングルジムやシーソー、鉄棒があるような類のものではない。
観光名所として整備された、ベンチや囲いのあるものだ。
その、囲いのロープを飛び越して、立ち入り禁止の札を無視し、駆けつけた泉に、

「おん、な…………?」

人影は、裸の女になって、浮かんでいた。

非常な小柄、そして、髪が長い。
水面いっぱいに、体よりも大きく広がっている。
星月夜に照らし出されたその裸身は、濃い肌色。
彼の目を引いたのは、だが、突き出たような規格外の胸の張りや、整った端正な顔立ちなどではなかった。

「青い、髪だと…………?」

それはありうべからざるべき色。
北国の白でも、南国の金でも、
はてないの赤でも、東国の黒でも、
そして西国の灰色でもない、異端の色。
藍色の夜に透明な、水色に限りなく近い、青。
咄嗟に構えて腰裏の小刀を抜く。
殺すべき標的だ。間違いない。
だが、あまりに唐突すぎる。
そして、あまりに無防備すぎる。
黒塗りの刃を、晒したはいいが、そこで彼に迷いが生じた。
殺すこと。そこまでは覚悟していた。
だが、実際にどう殺すか。
それを考えていなかった。

「いい、のか……?
こんな、あんまりにも簡単で…………」

もっと苦難の道程を想像していた。
妨害があって、抵抗があって、探索の日々と、潜伏の日々と、そういう、物語を想像していた。
だから彼は戸惑った。
今、飛びかかり、どこにでもいい、深々と刃を食い込ませれば、それで任務は達成だ。
だが、
だが―――――――

「裸の女に襲い掛かる、なんて、まるきりただの暴漢じゃないか…………!!」

苦難の代わりに降りかかる苦悩を、若い倫理が受け止めかねた。
そこまで考えて、はっとする。
今は、夜だ。
ここは砂漠。
服を着て砂上に立っている自分でさえ、寒いのだ。
まして水の中に裸で漂っている、そんな状態は、もはや寒いとは呼ばない。
凍死寸前と言うのだ。

(どうする、どうする――――!!?)

手を下さずこのまま見守っていれば勝手に相手は死んでくれる。
だがそれは、同時に1人の人間を見殺しにしたことにもなる。
手を汚す決意と覚悟は持っていたはずだった。
だが、人を見殺しにする決意と覚悟までは、心に備えてこなかった。
こうして岸辺で立ち尽くしている間にも、時刻は刻一刻と致命的な秒を刻んで原型を留めず砕いている。
あるいは、既に――――――
女は、死んでいるかもしれなかった。
ショック死。
いきなり零下に近い水に叩き落された時点で、大体の人間は普通心臓発作を起こすからだ。

(あああもう、えい、くそ、落ち着け!
どうした僕、何を混乱してる!)

自問するまでもなく、頭の中は極限まで状況にかきまぜられていた。
何もしない。
それがもっとも楽な選択肢のはずだった。
だが。
人を、1人、殺す。
その重大な局面で、もっとも楽な選択肢を選んでもよいのか。
それが、スバル最大の迷いとなっていた。
真面目すぎる思考回路はパニックを起こして、彼を衝動的な行動に駆り立てた。
つまり――――――

「おい、大丈夫か!!」

後先考えず、零下に近い水の中に、よりにもよって着の身着のままで飛び込むという暴挙に。

/*/

想像以上の衝撃が体を貫く。
浸透する、と形容出来るような、そんな生易しい感覚ではなかった。
冷気はある一定のレベルを超えると肉体にとって物理的な衝撃になる。
それを肌身でスバルは覚え込んだ。
彼が暗殺者として鍛えられた肉体を持っていなければ、過酷な訓練を潜り抜けた経験がなければ、この瞬間に確かにショックで絶命していたことだろう。
警告していた立ち入り禁止の札は伊達ではなかった。
服が重たい。
足がつく程度の深さなのに、水を吸った服に際限なく体温を奪われていく。
吹き晒す強い風で、気化熱がまた絶望的に体を冷やす。
自殺行為だ、と、理性が今更正論を吐いてきた。
もう遅い、10秒前に言ってくれ、と、本能が泣きを入れながらも抗議する。

「おい、しっかりしろ!」

半ば自分の意識を保つために必死になりながら、彼は女の両脇を、後ろから抱え上げて体を引き起こす。
うっぷ、と、顔に手に足にとお構いなしで絡みついてくる長い髪が、その動きの邪魔になる。

「くそ、こんなに好き放題伸ばしやがって!」

悪態をつきながら、それでも懸命に岸を目指して泳ぐように歩く。
重い。
いや、軽いはずだ。
女性にしてもとびきり小柄なその女のみならず、男性にしては随分小柄な自分の体も含めて、100kgは絶対行ってない。下手をすると80kgも危うい。
重いと感じるのは、だから筋肉があまりの低温でうまく機能していないせいだ。
体が水からどんどん上がっていくにつれ、全身が震えているのがわかる。
指先の感覚さえおぼつかず、最後の力で女を地面に横たえる。
はぁ、はぁ、はぁ――――
疲労と消耗で乱れた息。
裸の女を見下ろしながら、俺、何やってんだろう、と、絶望する。

「―――――――」

やけに額の広い、その女の目が、ゆっくりと開いていった。
端正な太い眉に似合いの、格好のいい目付きをしていた。
彼女は口を開く。

「その、なんだ…………
見つめられると、照れるではないか」

ぽっ、と女の頬に朱が差したのを見て、スバルは眩暈がした。
まったく平気な顔をしているその様子に、気が遠くなって――――――
結局そこで、トウ=エン=スバルは情けなくも気絶してしまった。

/*/

「急性肺炎だね。死ななかっただけありがたいと思うように」

はい、お大事に、と薬を出した町医者に、ありがとうございましたと頭を垂れる。
彼女のその様子をベッドの上から終始見守っていたスバルは、何か真剣なことを考えるよりも、もう、世の不条理にひたすら泣きたくなった。
水の中に、自分よりも長く浮いていたはずの女が、ぴんぴんしていて自分だけがハイフィーバー。
そして何より――――

「…どうした、そんなに見つめて」
「いや…………」

彼女の髪は、明るい室内灯の下で見ると、はっきり綺麗な鈍色だった。
肌の色濃さとセットで、丁度西国人の一般的な特徴を示している。キャラの濃い、エキセントリックなその顔立ちも、まんまそれだ。
月の光は青い。また、灰髪という色素の薄さが、水の中という状態と相まって、青い髪などという錯覚を起こさせたのだろう。
勘違いであんなに葛藤したのか、とか思うと、もう恥ずかしくて死にそうだ。

「いい眉毛をしてるな」
「個人的にはおでこがチャーミングポイントではないかと思うのだが、いかに」

投げやりに放ったどうでもいい感想に返ってきた答えにとどめを刺され、ぐったり身を安宿の硬いベッドに沈みこませる。
おまけに相手の格好はメイド姿だ。
もう、わけがわからないにも程がある。

「さて」

水を切った手ぬぐいを額に乗せられる。
あ……と、スバルは思わず声を漏らした。キンキンに冷えたその感触が、熱で重たい頭に心地よかった。
その反応を満足げに見やった女は、腕組みしながら真面目な顔で言い放った。

「まずは自己紹介から始めようではないか」
「…トウ=エン=スバル。スバルでいい」
「スバルか……いい名だな」

女は誉めた。

「しかしどうせならエンの方が良くはないか?
スバルはどちらかというと、やはり男の名前だろう」

その言葉に、ぎくりとする。

「…………見たのか」
「まあ、着替えもあるしな。私見だが、さらしをしてるとただでさえ小ぶりな胸が将来困ったことになるのではなかろうかと思うがいかに」
「ううう、うるさい!!」
「あ、こら」

声を、張り上げたと言っても全身ぼろぼろの状態でのことだ。
かすれて聞き苦しい、ひどい音が喉から漏れてきた。
自分で吐き出した声の勢いにも耐えかねて体が咳き込む。
その胸を、よし、よしと撫でられた。

「大きくなーれ、大きくなーれ…」
「殺す。絶対殺す」

そう。
彼ことトウ=エン=スバルの正体は、少年ではなく、少女だった。

/*/

「やはり分家筋から選ぶべきでは」
「しかし、円(まどか)殿は非常に優秀です。その心根も清い」
「だからといって、歴代の慣習を破るわけにもいかんでしょう」
「慣習がなんだっていうんですか!
そもそも後継ぎが男でなくちゃならない理由なんて、慣習以外の何物でもない、非合理的な物の考え方だ!」
「まあまあ、そういきり立たずに」
「どちらさんも、落ち着いて」

当人をよそに紛糾する会合を、当時のまどかはどちらかと言えば冷めた目付きで見ていた。
50畳はあろうかという畳敷きの和室で、ずらりと並んだいい大人が、これでもう何日も同じ会話を繰り返しているのだ。冷めた目で見たくもなろうというものだった。
やれることと言えば、厚い座布団にずっと正座しているだけ。これでは正座の訓練だ。

(あーあ、無駄だなあ、もう)

こんなことならばあやとお手玉でもして遊んでいる方がよっぽどましだ、と思う。
今日も進展なしか、と、ぐだぐだになりそうな話の流れによそごとを考え出した時だった。

「要は、お役目を勤めるだけの力があればよいのでしょう?」

立ち上がり、一同の耳目を集めたのは、誰あろう彼女の実父・大角だった。

「まどか」

促されて、澄まし顔で立ち上がる。

「力を示しなさい」
「はい」

そう言って投げつけられたのは、茶碗。
途端、齢13の少女が抜き身の刀となる。
椀が、空中で二つに割れた。
割ったのは、手にした茶菓子の包み紙であった。
どよめきがあがった。
皆、体の運び一つで相手の力量を見極められる程度には、手練れの者達ばかりなのだ。
さすがに今起こったことの凄みは理解していた。

「女では、体に不安がある。強いて言うならそれだけのことで、たまたま今代は女しか後継ぎがおらんという、それだけのことでしょう。男でなければどうしても道理が通らんと言うのなら、男扱いをすればいいだけのこと」

そう、大角は言い放つ。

「私は娘を女だからとて甘やかして鍛えたことは一度もない」
「しかし…………」
「なあ…………」

互いの顔を、うかがうようにしてざわざわとする一族の男衆。
その中から、ぼそりと呟きが漏れた。

「当主殿が後妻を娶って男児を生ませていれば、それで済んだものを……」

次の瞬間、まどかは飛び出しかけた。
完遂出来なかったのは自制したからではなく、単に遮られたからだ。
当の父親に。

「あ…………」

己の失言を察し、救いを求めるようにあたりを見回したその男の視線は、しかし黙殺でもって応じられた。
大角は、何も言わなかった。何一つ、動くことはしなかった。
ただ、黙っただけだ。

「まどか」
「は、はい」
「お前もそれでよいな?」
「はい」

言外の圧力を感じて黙った男とは別に、父の胸に渦巻いているであろう、言外の感情を慮って、まどかはとにかく首肯した。

「では、しきたり通り、14の齢を持ってまどかをこの護国の一族の正式な一員として認めると共に、以降は男児として扱い、次期当主としての教育を受けさせる。よろしいですな、皆様方」
「う、む……」
「異論はないが……」

まだ、ざわついている席の中、ならば御免、と大角は部屋から下がった。

/*/

「父様」

まどかは慌てて追いすがった。
時刻は既に夜、長い廊下には行灯が灯されている。

「男として、というのは、つまり、その…」

その品物の名を口にしようとして、さしものまどかの顔にも恥じらいが浮かんだ。
そうしていると、髪型も、凛々しい顔立ちも普段は少年のような彼女に、年頃らしい華やかさが宿るのだから、不思議なものである。

「ピドポーション…を、使えという、ことでしょうか?」

秘薬。
文字通り、秘中の秘として一部のキャラクターにのみ使用がされている、性別転換薬だ。
娘のその言葉を聞くなり、大角は笑った。
皺こそあるが、まだ若い、男の笑顔であった。

「案ずるな、まどかよ。
お前がそのようなことをする必要はない。ただ、このままではいつまで経っても面倒な話が続いて、お前が退屈するだろうと思ったのでな」

パフォーマンスよ、パフォーマンス、と、そう吹いて見せた父に、彼女は思わず声を上げて笑ってしまった。

「あ、あははは、あは、父様、それはいくらなんでもやりすぎです」
「ん?
だが実際これで問題は片付いたろう。お前は元々、私の後を継いでくれるつもりだったのだろう?」
「……はい、もちろん」

今度の笑みは、誇りに満ちたそれであった。
母のことを思い出させられ、内心さぞや辛かろうと心配を、したつもりで気遣われてしまっている。
我が父ながら、いい男だ。
そう、まどかは誇りに思った。
同時に、こんな父の後を継げるのであれば、それは、どんな苦い仕事であろうと、誇りを持って遂行できる、そう思えたのだ。
だから、誇らしかった。

「さすがですね、父様」
「私が、さすがか」
「さすがです、東大角」
「そうか、さすがか」

言葉を投げあい、戯れる。
くしゃっと頭を撫でられて、それでまどかは嬉しくなった。
女の子にする仕草ではないかもしれなかった。
けれど、これをしてもらえるのなら、私は父様の息子でいい。
父様の息子として恥じない男でいよう。
そう思った。
思ったのだ。

/*/

抱えられるものなら自分の頭をそうしたかった。

「人助けのつもりで自分が助けられていては、ざまあないとしかいいようがない……」

男らしさとはとても縁遠いシチュエーションだ。

「ははは、人生なんて案外そんなものだ、気に病むことはない」
「もういっそ殺して…」
「殺すといったり殺してといったり、せわしない奴だな。そう命を粗末に扱うのは感心せんが」
「それより!」

と、スバルは会話の流れを無理矢理切った。
話していると、朦朧とするが、これを解決しないことにはどうにも寝付けない。

「お前こそ、一体誰なんだ」

じろ、とねめつけて見せる。

「ふむ、それなのだが」

メイド姿の女は言った。

「生憎私は記憶喪失なのだ。故意とは言え、一方的に自己紹介をさせて済まんな」
「故意なのか…………」

ツッコミにもさすがに生彩がない。

「吾輩はメイドである。名前はまだない」
「猫か。あ、いや、猫なのか…西国人だし…」
「ああ、帝國と共和国だな。それぐらいは私もこの数日の間で勉強したぞ、黒髪の君は東国人で帝國で、犬なんだろう。わん、こら、わん」
「わんじゃない」
「にゃあ」
「鳴くな、泣きたいのはこっちだ…」

数日間、と彼女は言った。
では、数日も意識のないまま倒れていたのかと、ぞっとする。

「本当に僕は危なかったんだな…………」
「病とは大抵が死に至る。その速度が緩慢であれ、急速であれ。何故なら我々は、生れ落ちた瞬間からそもそも死に向かって落ち続けているからだ。文字通りにな」
「無駄な口上を…」

意識があるうちは、体も動く。それぐらいの気力は残っていたが、現状、エラー体を探す手がかりがゼロのままではどうにもならない。スバルは再び眠ることにした。

「僕は、寝る…」
「うむ。存分に眠るがよい、我が腕の中で」
「お前の冗談に付き合ってる元気はないんだ…ええと…」

相手の名前を呼ぼうとして、まだ知らないことに気付く。
そもそも記憶喪失なら呼びようがない。
糸の次々切れるように、眠りに落ちる脳細胞を、最後にもう一回転だけさせて、スバルは言った。

「お前、名前」
「ああ、まだないというか、思い出せないのでわからんのだが」
「ヨルだ」
「ヨル?」
「夜に、見つけたから……」
「そんな、安直な…おい、待て、寝るな。訂正しろ」
「…………」

ペースを握られっぱなしだったが、最後の最後に一矢、報いてやったと気分良く、そうしてスバルは眠ったのであった。

/*/

その、スバルが丁度眠りに落ちていた頃。
彼女は気付くべきだった。
地走りと呼ばれる、一族の中でも足となる力を持つ者達が、まがりなりにも次期当主の行方をたどっていないはずなど、ないのに。
それでもなお、病に倒れた彼女に接してすら来なかったということが、何を意味するのかに。
気付くべきだったのだ。

/*/

突き立てた剣は分厚く、そして異形であった。
日本刀の反りと、西洋剣の頑丈を、馬鹿げたレベルで兼ね備えた巨大な刃、『竜哮』。
大剣士でもなければ使えそうにないそれを、片手で担ぎ上げる男。
Noahの剣士、チギラ。
白い、北国人としての特徴と、黒い、東国人としての特徴を、両方兼ね備えた異形の存在である。
体脂肪は数キロほどしかなかったろう。濃い、筋密度が、輪郭を剛性の強いものにしている。
その肉の上に、装束を纏いつけている。
己の出自たる、東国人と、北国人、双方の特徴が出た服装だ。
ゆったりと、しかし涼しげでもあり、充分に暖かいが湿気を抜けさせるにも程よい格好。
フードを深く被りこんでいる。
その髪を見られるわけにはいかないからだ。
まだ少し肌寒さを覚えることもある時候、彼が歩くのは、その半身に流れる血と同じ大地である。
その隣を、こちらもやはりフード付きの、マントを翻し、ライフル片手に楽しげな、長い耳の女が歩いている。
森国人と、南国人、二つの血を持つ、アルハこと、或翅(アルハ)=ランペール。
甘いブロンドに長い耳、それはファンタジーによく姿を現す古き民、アルフのようである。
しかし、その本来の特徴に反し、彼女もやはり、異形であった。
小柄にして短髪。ついでに言えば、痩せてもいない。
その二人が、武器を手に、歩いている。
一帯はまだ濃い湿気で霧がかっている。日も、上がっていない。

「気が向かないね、こういうの」

珍しくもアルハは、その細い目を見開いて言った。
口元がへの字に曲がっている。

「黒おっさんの方が好きそうなのに、なんでアドラさんは私達に頼むかなー」

起伏に富んだ山中。
野を、獣達が時折駆けずる音がする。
不測の来訪者に戸惑っているのだろう。
土の豊かな東国では、狩りはあまり行われない。
こと、強い権勢を誇る一族が支配しているこの土地では、動物性たんぱく質は外からのもので賄うのが一般的になっている。
わざわざ手を下すまでもなく、買い付ければよいという話だ。
チギラはそれらの気配を一顧だにせず、前へ、前へと草むらをかき分けて進む。

「数が多い。素手では足りん」
「でっすよねー!」
「わかっているなら、聞くな」
「わかってるから愚痴零すんじゃん、ケチ」
「…………」
「あっ黙らないでごめんよー反省するからさー。
で、例によって仕事の遅い後輩ちゃんのせいで、私達にお鉢が回ってきた、と」
「そうだな」
「もう十日だよ。どこほっつき歩いてるんだろ。
まさか、返り討ちなんてことは……」
「それはない。あいつの腕は、俺達二人を合わせたよりも良い。
たかがルーキーにやられるほど、油断もなければ頭も悪くはないだろう」
「むーん…………」

首を傾げる。
殺人にかける情熱という物騒な観点で言えば、確かにキリヒメはずば抜けていた。
生れ落ちてからのレコードは、それこそNoahの他のメンバーすべてをあわせても追いつかないほどだ。
そのキリヒメが、仕事をしない。
おかしなことだった。

「トウ家の動向にも、それらしいのはなかったしねー。
殺していい相手がいたら、まず真っ先に殺る子なのに」

寄り道はしても、それはあくまで帰り道だけのこと。
狩人という本領で語るなら彼女以上に向いた人材もいない。
まさに肉食獣の狩りの如く、一撃で強襲離脱、それでおしまい。
頭は悪いが勘は働く、野獣のような生物なのだ。
事実、アルハはアジトでの食事中、何度彼女に動物性たんぱく質を奪られたか分からない。
もっとも、食事の席ではその行為は、大抵が玄翁に叱られて終わっているのだが。

「まー、私はチギラとまた一緒に組めて嬉しいんだけど?」
「それは能力の相性の問題に過ぎんだろうが」
「切って捨てた!?」
「俺は、やかましい女は好かん」
「なら私は大丈夫だね、よかった」
「糸目の女も好かん」
「身体的特徴をあげつらうのは趣味が悪いと思うのだ」
「お前は好かん」
「ピンポイント攻撃!?」
「お前が好かん」
「より断定的になってるしっ!!」
「だが、信頼してはいる。
キリヒメに対してそうしているようにな。
だから、あいつのことであれこれ気を揉むのはもう止めろ」
「…………」
「心配は、気がかりを生む。気がかりは、迷いにつながる。
迷っていて果たせるほど、軽い任務ではないだろう、今回のは」

山の斜面に生い茂る森林からは、この先に広がっているであろう風景を見ることはできない。
常葉樹がほんの少しだけ覗かせてくれる空はまだ、夜色をしていた。
湿気の多さ故か、星光に柔らかな印象を覚え、それでアルハは溜め息を漏らす。

「心配なんか、してないさ」
「なら、何だ」
「―――――」

問い掛けに、ただ、星を見上げた。
答える言葉は遂になかった。

/*/

「襲撃を仕掛けます」

その言葉は一同に少なからぬ衝撃を与えた。

「守勢では、何も変えられません。
たった七人の集団では、いずれ朽ちるが定め。
ならば、攻めましょう」

夕食の席のこと、アドラの言葉である。
詩でも吟ずるような口調で、劇的な転調を唐突に場へと下す。
どこまでも音楽的な男であった。

「しかしアドラ殿、キリヒメ抜きでか?
戦力不足は否めんぞ」
「その、キリヒメさんの消息が掴めません」

かしゃん、と、手にしていたフォークを取り落とすものがいた。
中性的な、少年とも、少女ともつかない、ティーンにもまだ届かないような赤毛の子供だ。
なよやかで、とてもではないが荒事など出来はしない容貌をしている。
その顔色から、明らかに血の気が引いていた。

「え、え……・?」

盲目のアドラのために、そばについていたその子は、テーブルに広がるシチューの赤味にも気付かずアドラを振り返る。

「お姉さまが?」
「残念ながら、同じテラ領域に下りていた同志の確かめたことです」

絶風の姿はここにはない。
まだ、戻ってきていないのだ。
それの意味するところを、幼い想像力が考えてしまい、今にも赤毛の子は倒れそうな様子である。

「これ、しっかりせんか、薫。アドラ殿の服を汚す気か」
「あ……」

ご、ごめんなさい、と、慌てて零れたシチューを拭く。
雑巾を持つ手がおぼつかない。
見かねて玄翁は立ち上がり、薫の手から雑巾を奪い取った。

「す、すみません、ぶたないで」
「ぶちゃせんわい。いいから水でも飲んで落ち着け」
「は、はい…………」
「ありがとう、橘さん…薫さんも、気になさらなくて大丈夫ですよ」

そう言うと、アドラはそっと、その細長い綺麗な指で、薫の頭を撫でる。
一瞬間だけびくっと身を固めたが、薫は、乗せられたその手の感触に、嬉しそうに安堵した。

「キリヒメさんには、これまでもこういうことはよくありました。
ですからこれは、必ずしも彼女に何かがあった、という前提でしている話ではないのですよ」
「そう、なのですか…?」
「ええ」

目を閉じながらに向ける、その微笑みは、瞳に浮かぶはずの表情という角が一つないために、余人よりさらに深く、そして穏やかである。向けられたものに信頼感を起こさせる。これこそが、アドラがNoahの発起人という理由のみならず、一癖も二癖もある異端な者達をまとめあげている由縁だった。
するりとなだらかにその微笑みが、緊張を孕んだものにすり変わる。

「例の新たな同族ですが、幸いにもまだ、彼女の方は無事を確認出来ています。
とは言え、私や薫さん、橘さんのように、直接は武力を持たないE‘sは、彼女だけには限りません。
1人では、身を守ることも出来ない。
もっと、力が必要なのです」
「それと、トウ家の連中と、どんな関係がある」

チギラは当然の疑問を差し挟んだ。

「奴等は所詮設定国民に過ぎない。俺達と同じようにだ。
プレイヤーがいる限り、俺達の苦境は変わらん。それこそ虫けらのように、踏み潰されたことにさえ気がつけず朽ちるのが落ちだ。奴等を倒したところで本質的な解決にはならないだろう。
しかも質はともかく数で勝っている相手に、どうするつもりだ。
これまでも、連中とは小競り合いを繰り返してきたが、組織的なものではない。Noahのような集団があると気付かれてしまっては、それこそ世界を敵に回すことになるぞ」
「ですから、皆殺しを」

言葉に、空気が凍りつく。

「世に、知られることなく、彼らの居場所をそっくりそのままいただいてしまいましょう。
そうすれば世界から敵と見なされることはありません。システム側の、設定的な補助という地位を奪ってしまうのです」
「アドラ、お前…………」
「私達は、生きる。何としても生きる。
そのためには犠牲を厭わない。そうやって、これまでも来たのでしょう、チギラさん」

にこりと彼は微笑んだ。
立つ角のない、とても穏やかな微笑み。

「結果的にこれが、キリヒメさんのターゲットのバックアップをも奪い、彼女を助けることにもなるでしょう」

/*/

洞窟内。
蝋燭の橙とは違う、赤い光が立ち上る一角。
空気の熱せられた強い匂いが漂っている。

「しかし…わしも驚いたわい」

玄翁が、鉄の溶けた炉を前にして腰を落ち着けながら言った。

「アドラ殿があんなことを言い出すとは、の」

もう一つ、彼が目の前にしているものがある。
一振りの、もはや分厚い鉄の塊とも呼ぶべき剣の刀身だ。
その形は異端であった。
片側には物打ちがあり、刃がある。
サイズを除けばごく尋常の日本刀の造りをしている。
だが、その背側は、丁度物打ちの裏側あたりで一直線にすとんと切り落とされていて、西洋剣のような剛性の強い形だ。
引き切るには剣自体の重量がありすぎて持て余すだろうし、また、自身の重さで刃が潰れ、切れ味を損ねやすい。
形状としても切っ先に耐久性がなさ過ぎる。とてもではないが実用的ではない、そういう見た目をしていた。
竜哮、それがこの異形の剣の名前である。
玄翁は、その剣を前にして、掌をゆっくり持ち上げた。

「アルハ、お前さんのそいつは手入れせんでもいいのか?」
「んっふふふ、私のは大丈夫。武器に頼るような性質じゃないし。だから」
「わかっとる、言われんでも完璧に仕上げるわ」

振り下ろす、掌。
がぃいいいいいいいん!!!!
と、強烈な金属音。
生身が引き起こしたとは思えないほど強烈な激突音である。
ひゅう、と玄翁の丸い腹が呼吸に凹んだ。
また、一振り。
剣が、割れた。

「大分歪んどるの…………何を相手にすればこうなるもんか」
「やっはっはっはっは、聞かない方が幸せだよー」
「そうしとくわい、まったく」

剣は、長い日本刀と、角棒状のパーツと、西洋剣、三つに分解されていた。
継ぎ目などない。
玄翁が節くれだった手を炉の中に突っ込む。
鉄の溶ける、数百度の高温である。
にも関わらず、そこから引き抜いた時、彼の手は灼熱に赤い色をするだけで、蒸発どころか焦げの一つも見当たりはしなかった。
チギラやアルハのような、国人情報の混在エラーではなく、特殊エラーを起こしている、なりそこないの高位東国人鍛冶師、それが橘玄翁のE‘sたる由縁であった。
手を、炉に浸しては、打つ。
その繰り返しをするうちに、刀の反りは見る間に美しさを取り戻していく。

「次は、こいつじゃの」

そう言って角棒パーツを手に取り、断面を眺めた。
筒状の穴が空いている。
長い銃身が、金属柱に埋め込まれたものだ。
真っ赤に灼熱した指を、その穴の中に突っ込んで、ぐり、ぐり。
それから金床に置いて、ぶったたく。
最後の西洋剣だけは炉に直接浸した。真っ赤に焼けた刀身を、素手で叩いていく。
細かなひび割れや刃零れが、それで綺麗に埋まっていく。
さながら魔法のような光景だった。
奇妙にも、そうして作業を続けているうちに、見る見る玄翁の腹は凹んでいった。

「ダイエット知らずだよねー、相変わらず」
「身を削っとると言え、かしましい表現しおってからに」

茶化すアルハに、しかし玄翁の顔もまた、笑み…と、いうよりは、狂的な歪みを帯びていた。
文字通り、武器にのめり込んでいる。
自らの肉体を資源代わりに武器を鍛造する。異形の剣を生み出した、異形の技が、そこにあった。
最後に三本を、束ねて、打つ。
継ぎ目などなく、また、剣が異形を取り戻した。
柄の根元にトリガーとなるグリップ部分と弾倉を仕込んだ、非現実的な武器、ガンブレード。
その構造的破綻を、異形の技が、異端の強度によって補っているという代物である。
通常の剣士にも、また、歩兵にも扱うことの出来ない、ただ一振りのカスタムメイド。

「ほれ、振ってみろ」
「…………」

促され、初めてそこでチギラが動きを見せた。
手にとり、担ぐ。
一閃。
轟!!
と、空気が横薙ぎに断ち割られる。

「軽い」
「バランスが直ったからの」

もっとも、そんなものを軽々扱うなんぞ、それこそプレイヤーアイドレスぐらいのもんじゃろうが、と、玄翁は笑った。
気のいいが、狂気をどこかに孕んだ、職人の笑い顔であった。

「せいぜい暴れて来い。お主ら二人なら、I=D相手でも渡り合えるわい。
もっとも怪我だけは気をつけろよ。さしものわしも、体までは鍛造出来んからなあ!」

がっはっはと、物騒なことを言って送り出す。
やっはっはと、対抗するように笑いながらアルハは手にしたライフルをくるくる回す。

「殲滅戦ならまーかせて!
魔導歩兵の名に賭けて!」
「おう、行って来い!」

それが、三日前の晩だった。


[No.5705] 2009/09/15(Tue) 18:29:09

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