じんどの
じんのたわごとのなかで、 ・・苦は、<受容>する以外に道はないってことだね。 これは、17歳のとき、1日12時間、10日間の座禅で体験した。・・ と、ありましたが、 もしよろしければ、どんな体験であったのか、 シェアしていただけませんか。
暑さのせいか、なんだか、 最近、ずっと、胸苦しくて、息もたえだえなので、 この記述に、反応しちゃいました。
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No.1116 - 2005/08/17(Wed) 03:09:42
| ☆ Re: 苦について / じん | | | うまくいけば、1日座ってみれば少しはわかるかもね。
まず、足が痛くなり、なんとか痛みから逃れようとごそごそ動く。 それがしばらく続く。 そして、いかにしても逃れられないことを思い知る。 諦める。
いわゆる、「苦諦」ですね。 苦から逃れようとせず、真正面から受け止め、受容する。 そのとき、苦が消えてゆく。
それだけの話ですね。 この過酷版が、茨の上に座ったりする荒行ですね。
まぁ、セラピーも同じことをやるわけですよね。 胸が苦しいといわれれば、そこに意識をとどめて、という。 そしてその苦に直面していただく。 直面していただければ、症状は落ちていく。 ごく単純なプロセスです。
苦を避けることによって症状形成しているわけですからね。 苦を受け止めれば、 症状の役割は終わりですので消えてゆく、というわけです。
単純なことなのですが、 苦を受容する覚悟ができるためにどれほどの時間を要するか、 個人差が出てくるわけですね。、
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No.1117 - 2005/08/18(Thu) 21:18:35 |
| ☆ Re: 苦について / じん | | | 人はそれぞれ必要な苦を、 今まで受け入れてこなかった苦をプレゼントされているわけだけれど、 最後にやってくる苦が、 存在と非在の二元性からくる苦、 生と死の二元性からくる苦に直面するわけですね。
ホスピスにおけるスピリチュアル・ケアというのは、 この苦の受容のケアをするわけですね。
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No.1118 - 2005/08/19(Fri) 08:58:01 |
| ☆ 「苦諦」について / 晴天 | | | 数年前、ある瞑想センターで、十日間、黙り座り続けました。 身体的な苦痛と、それを続ける精神的な苦痛・・・三日目に、パニック発作的な身体反応があり、 そして、七日目の早朝、座った時に、身体の苦痛がいっさい消えて、 えもいわれぬ、爽快感を味わいました。 その感覚は、半日で消えてしまいましたが、今までに味わった事のない感覚でした。
その体験は、先生の言うところの「苦諦」に至った体験だったのでしょうか。それとも、苦痛から逃げ出した体験だったのでしょうか。それとも、あまりの苦痛に、脳内物質が大量放出された・・?ということだったのでしょうかetc
ここ数日、胸の苦しさとともに、寝る前、いてみています。しばらく、続けてみようかな・・・
しかし、「意識をそこにとどめておく」ということですが、私の場合、しているつもりですが、今まで、結果的にできていないように思います。
意識の上では、苦を受容する覚悟はできていても、 無意識での覚悟(といえばいいのでしょうか)ができていなければ、受容には至らないのですよね。
この理解であっていますか? だとしたら、私の課題は、無意識での覚悟に至ることです。
ともあれ、「意識をそこにとどめておく」コツってあるのでしょうか。
そのへんで、何年も、もがいとりまする〜
それから、 その人に必要な苦のプレゼントは、人それぞれ千差万別でしょうけど、 最後にくる苦は、必ず皆に、プレゼントされているんですねぇ・・ あらためて、実感しました。
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No.1119 - 2005/08/20(Sat) 00:53:52 |
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