気になってまた引いてしまった。 「意識」というカードが出てきた。 「本質的な実存は不滅」だそうだが、どうでもいいことに思える。
68. 意識
私たちは未知なるものからやって来て、 未知なるもののなかへと進みつづける。 私たちは再びやって来るだろう。
私たちはここに何千回となくいたことがあるし、 これからもここに何千回となくいることになるだろう。 私たちの本質的な実存は不滅だが、私たちのからだ、 形として現われている私たちは、かならず滅びる。
私たちがそのなかにいる枠、私たちの家、からだ、 心(マインド) は、物質的なものでできている。 それらは疲労し、年を取り、死んでしまう。
だが、あなたの意識 ——菩提達磨(ボーディダルマ)は「無心(ノーマインド)」という言葉を使い、ゴータマ・ブッダも「無心」という言葉を使っているが—— それはからだと心を超えたなにか、 あらゆるものを超えたなにかだ。
その無心は永遠だ。それは表現となり、 そして再び未知なるものへと入っていく。 この未知なるものから既知なるものへ、 そして既知なるものから未知なるものへの動きは、 その人が光明を得ないかぎり永遠につづく。
光明を得たら、それがその人の最後の生になる。 そうなったら、この花はもう二度と戻ってこない。 自分に気づくようになったこの花には、 生に戻ってくる必要はない。
生は学ぶための学校以外のなにものでもないからだ。 その人はレッスンを学んだ。もう迷いを超えている。 その人は既知なるものから未知なるものへではなく、 不可知なるものへと初めて入っていく。
Osho Bodhidharma, the Greatest Zen Master Chapter 5
解説: この心(マインド)の組(スート) のカードは、 そのほとんどが戯画的なものか、 あるいは問題のからんでいるものばかりです。
それは、心が私たちの生に与える影響が、 たいていはばかげているか、 あるいは耐えがたいものだからです。
しかし、「意識」というこのカードは、 巨大な仏陀の像を表わしています。 彼には途方もない広がりがあるために星さえも超えてしまい、 その頭上には純粋な空(くう) があります。
彼は意識を表わし、その意識は、 心の主人(マスター) となって、 その心を本来あるべき召使として使うことのできる、 すべての者たちのためにそこにあるのです。
このカードを選んだときは、 水晶のように澄んだ明晰さ——超然として、 あなたの実存の中核に横たわる静けさに深く根づいている明晰さが、 まさに今、用意されていることを意味しています。
心の尺度で理解したいという欲望はありません ——あなたに今ある理解は、 存在に即したものであり、 全体的で、生そのものの鼓動と調和しています。
この大いなる贈りものを受け容れ、分かち合いましょう。 〈水仙〉天保山にて
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No.795 - 2005/01/04(Tue) 08:41:49
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