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せめて死ぬときは・・・ / じん
>せめて死ぬときは「波乱万丈やったけど、ええ人生やったなぁ。楽しかった。バイバイ。」って言いたいな。

とのことですが、生は<いま・ここ>にしかないので、
過去はすでに終わり、未来はいまだ来ていないわけだから、
きっと、いま・ここの瞬間を楽しむ術を身に着けることでしょうねぇ〜。

No.800 - 2005/01/13(Thu) 14:26:30
年末年始 / じん
今年の年末年始は多忙だった。
元旦の昼過ぎまで仕事をし、
午後から今年90歳の叔母を見舞うために岡山に行った。

叔母は、お盆に会ったときには元気だったが、
寝込んでしまっていた。
感じだが、今年が寿命かな、と思った。
ある意味、母親代わりだった叔母なので感慨深いものがあった。

2日にはこちらに帰り、仕事続行。
3日にようやく元旦にいただいた賀状の返事を書いた。
4日から名古屋に出張。

週末は、伊勢神宮、二見が浦(夫婦岩のあるところ)に行って、
少しのんびりしてきた。
厄払い、とかやってたので、ほとんど興味のない人なのだが、
厄年だそうなので、一応人並みにやってみた。

今週は、個人セッションで一杯なので、
来週あたり、一年の計を考えてみようかと思っている
今日この頃です。

No.796 - 2005/01/10(Mon) 20:50:55

Re: 年末年始 / がめら
ここんとこなんかじんさんの孤軍奮闘ですねぇ。あ、遅ればせながら、あけおめでございます(古い?)。
ま、それはともかく。おいらも年末年始はドタバタでした。っていうか、あれよあれよという間に過ぎてったって感じかなぁ。
新年早々で恐縮なんだけど、今年でおいら、40歳になる。父親は64歳で亡くなったんで、そのまんまの遺伝子と生活習慣だとあと24年しかない(類推というか妄想というか…)。母のんきだね。いや、違う。母82歳。最近さすがにちょーっと記憶がヤバイ。大丈夫だろうか。でも30年先に生きてるのは母だったりして。
人生って永遠に続くもんじゃないんだよねぇ。じんさんは還暦。おいら、前厄(らしい)。あとどれくらい生きられるのかわからんし、考えてもしょうがないけど、せめて死ぬときは「波乱万丈やったけど、ええ人生やったなぁ。楽しかった。バイバイ。」って言いたいな。
前にフラさんと、「CENSOREDするならフェラーリで崖から飛び降りる!絵になるCENSOREDってのはそれ以外にない!それ以外CENSOREDなんぞせん!」なんて笑ってたけど。
ま、どっちにせよ死ぬんやから。どうせならやりたいことやろっと。あ、でもまだ後始末もあるな。そっちが先か。

No.797 - 2005/01/11(Tue) 01:35:13

ちなみに / がめら
紹介したついでにタロットひいてみたら、8.勇気だった。なんか妙にあたってるみたいでヤだなぁ(笑)。

内容にご興味のある方はこちら↓へどうぞ。

http://www.osho.com/magazine/tarot/TarotCardNew.cfm?All=No&Nr=09

No.799 - 2005/01/11(Tue) 01:48:24
タロット / じん
今年最初のタロットと思い「Osho禅タロット」を引いてみるとこんなのが出てきました。

49. 親しさ

まず瞑想するがいい、至福に満ちてあるがいい。
そうなったら、多くの愛がおのずと起こる。
そのときこそ、ほかの人たちと一緒にいることは素晴らしく、
独りでいることもまた素晴らしい。

そうなったら、それは単純なことでもある。
あなたはほかの人たちに依存しないし、
ほかの人たちを自分に依存させることもしない。

そうなったら、それはつねに友情、親しさだ。
それはけっして関係にはならない。
それはつねに、かかわりをもつということだ。

あなたはかかわる、が、結婚はつくりださない。
結婚は恐怖から生まれる。
かかわりをもつことは、愛から生まれる。

あなたはかかわる——ものごとが素晴らしくいっているあいだは、
あなたは分かち合う。

そして、互いの道がこの十字路でわかれるために出発するときが来たとわかったら、
相手がこれまで自分にしてくれたすべてのことに、
相手と分かち合ってきたすべての喜びと、すべての楽しさと、
すべての素晴らしい瞬間に大いに感謝し、さようならを言うがいい。

惨めになることもなく、痛みもなく、
あなたがたはただ別れる。

Osho The White Lotus Chapter 10

解説:

花を咲かせているこの二本の樹の枝は互いに絡み合い、地上では落ちた花びらが混じり合って、美しい色をなしています。

それは、まるで天と地が愛で橋渡しされたかのようです。
しかし、二本の樹はそれぞれ別個に立ち、
地と独自のつながりを保ったまま、土に根を下ろしています。

こうして彼らは、成熟した、互いに楽で自然な、
ほんとうの友人としてのエッセンスを表わしているのです。

そのつながりには緊迫感も、困窮感も、
相手をなにか別のものに変えたいという欲望もありません。

このカードは、親しさというこの質に入っていく準備が整っていることを示しています。
進んでいくうちに、あなたはほかの人たちがかかわっているあらゆる種類のドラマやロマンスには、
もはや自分は関心がないことに気づくでしょう。

それはなにかを失ったということではありません。
体験の豊かさから生じるもっと高い、
もっと愛に満ちた質が誕生したということなのです。

それは、ほんとうに無条件で、期待や要求を伴わない愛の誕生です。

No.786 - 2005/01/01(Sat) 00:09:05

Re: タロット / きょん [ Mail ]
明けましておめでとうございます。和尚のタロットってあるんですねー 仁さんひかれた内容最近感じていたこととつながってて 新年早々 感動でした!
No.788 - 2005/01/01(Sat) 01:51:01

おせっかいでっけど / がめら
和尚のタロットってネットでもひけますよ。

http://www.osho.com/index.cfm?Language=Japanese

ここの「禅タロット」ってとこ。
ダイレクトに行きたい人はこっち↓です。

http://www.osho.com/Main.cfm?Area=Magazine&Sub1Menu=Tarot&Sub2Menu=OshoZenTarot&Language=Japanese

No.798 - 2005/01/11(Tue) 01:39:37
タロット 4 / じん
気になってまた引いてしまった。
「意識」というカードが出てきた。
「本質的な実存は不滅」だそうだが、どうでもいいことに思える。

68. 意識

私たちは未知なるものからやって来て、
未知なるもののなかへと進みつづける。
私たちは再びやって来るだろう。

私たちはここに何千回となくいたことがあるし、
これからもここに何千回となくいることになるだろう。
私たちの本質的な実存は不滅だが、私たちのからだ、
形として現われている私たちは、かならず滅びる。

私たちがそのなかにいる枠、私たちの家、からだ、
心(マインド) は、物質的なものでできている。
それらは疲労し、年を取り、死んでしまう。

だが、あなたの意識
——菩提達磨(ボーディダルマ)は「無心(ノーマインド)」という言葉を使い、ゴータマ・ブッダも「無心」という言葉を使っているが——
それはからだと心を超えたなにか、
あらゆるものを超えたなにかだ。

その無心は永遠だ。それは表現となり、
そして再び未知なるものへと入っていく。
この未知なるものから既知なるものへ、
そして既知なるものから未知なるものへの動きは、
その人が光明を得ないかぎり永遠につづく。

光明を得たら、それがその人の最後の生になる。
そうなったら、この花はもう二度と戻ってこない。
自分に気づくようになったこの花には、
生に戻ってくる必要はない。

生は学ぶための学校以外のなにものでもないからだ。
その人はレッスンを学んだ。もう迷いを超えている。
その人は既知なるものから未知なるものへではなく、
不可知なるものへと初めて入っていく。

Osho Bodhidharma, the Greatest Zen Master Chapter 5

解説:
この心(マインド)の組(スート) のカードは、
そのほとんどが戯画的なものか、
あるいは問題のからんでいるものばかりです。

それは、心が私たちの生に与える影響が、
たいていはばかげているか、
あるいは耐えがたいものだからです。

しかし、「意識」というこのカードは、
巨大な仏陀の像を表わしています。
彼には途方もない広がりがあるために星さえも超えてしまい、
その頭上には純粋な空(くう) があります。

彼は意識を表わし、その意識は、
心の主人(マスター) となって、
その心を本来あるべき召使として使うことのできる、
すべての者たちのためにそこにあるのです。

このカードを選んだときは、
水晶のように澄んだ明晰さ——超然として、
あなたの実存の中核に横たわる静けさに深く根づいている明晰さが、
まさに今、用意されていることを意味しています。

心の尺度で理解したいという欲望はありません
——あなたに今ある理解は、
存在に即したものであり、
全体的で、生そのものの鼓動と調和しています。

この大いなる贈りものを受け容れ、分かち合いましょう。

〈水仙〉天保山にて

No.795 - 2005/01/04(Tue) 08:41:49
定年 / じん
世間では、60歳が定年のようだ。
ぼくは今年60歳になる。
当然だが、知人にも定年になる人がいる。

ずいぶん前から、60歳になったら、
1〜2年禅寺に篭ると言っていた。
この夢は破れた。

時代を先駆けて、65歳定年にしよう。
そのためには、
JBIをぼくの労力や財政的援助無しに成り立つようにしなければ、
と思う今日この頃。

今年から、JBIとコハラワークスを経営的に分離し、
JBIは、理事会運営とし、NPOとし、
当初から理念として掲げている
〈自助=自立・共助=連帯〉を具体的に現実化していく一歩を踏み出さなければならないと思っている。

〈スイスの雪景色〉

No.794 - 2005/01/03(Mon) 22:33:35
(No Subject) / じん
先ほどこんなメールをもらった。
「小原じんさん!遺言残すため、後一息よ。がんばれ!」

返事に、「そうなんです。すべて遺言、遺行です。」
と書いたんだが、なんだか違う。

何も残す必要はないと思う。
ただ自分を完了することにじたばたしているように思う。

生を完了したとき潜在している死が花開く。

生を完了するとは、生に与えられたものを、
あれは良い、これは悪いと言うのではなく、
全てを受容することだと思っている。

その時、来ては去っていく感情、衝動、思考、欲望、
期待、希望、・・・は自分ではなく、
来たりもせず、去りもしない自分に気づくのではないかと思っている。

果てさてどうなることやら、
楽しみだねぇ。

生は、どんなゲーム・ソフトにも勝るゲームだと思う今日この頃。

スイスの夕焼けは橙色

No.793 - 2005/01/03(Mon) 22:07:25
葉牡丹 / じん
海遊館で撮ったもの
No.792 - 2005/01/03(Mon) 19:49:14
今年のモットー / じん
年賀状を出し、メールの返事を書き終わって、
やっと、新年の実感がわいてきた。
どうも、なぜか世間とずれてしまう。

今年のモットーが頭に浮かんできた。

シンプル イズ ベスト
スロー スロー アンド スロー

いつかどこかで書いたか、
言ったかしたような気がするが、
おかげで遅々とはしているが、
だんだんとシンプルに、スローになってきている。

No.791 - 2005/01/03(Mon) 19:48:07
タロット 3 / じん
いやぁ〜、今日で3日目。
タロットって、偶然出てくるカードだけど、
偶然はないという考え方があるけれど、
少なくとも、頭の片隅にあって、
いまだ生きられていないある人生の質のようなものに
遭遇するワクワクというものを感じますねぇ。

だからと言って、文章全てがしっくり来るわけではないけれど、
ぼくならこんなふうに表現するだろうというのがあるけれど、
でも、ある何かがぼくの心に共鳴して震えてくるワクワクがある。

今日のカードは「信頼」だ。

29. 信頼

いずれ取り去られてしまうものを求めて自分の生を無駄にしてはいけない。生を信頼するがいい。
信頼して初めて、あなたは自分の知識を落とすことができる、
自分の心(マインド)を脇に置くことができる。

そして、信頼と共に、なにか途方もないものが開け放たれる。
そうなったら、この生はもはや普通の生ではない。
それは神で満たされ、あふれるようになる。

ハートが無垢で、いくつもの壁が消えたとき、
あなたは無限と橋渡しされている。
そして、あなたは幻惑されてはいない。

あなたから取り去ることのできるものはなにもない。
取り去ることのできるものには、取っておくだけの価値はない。
そして、取り去ることのできないものであれば、
それが取り去られてしまうことをなぜ怖れなければならないのかね?

それは取り去ることができないのだ。
そんなことはありえない。
自分のほんとうの宝を失うことなどありえない。

Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 9

解説:
今こそバンジー・ジャンパーになるときです。
紐を結ばずに!そして、なにかを取っておいたり、
秘密の安全ネットを張ったりしない、
絶対的信頼というこの質こそが、
「水のキング」が私たちに要求するものです。

ジャンプして、未知なるものへ入っていけるとなったら、
考えただけでも死にそうなくらい怖いのですが、
それでも、この上なく愉快な感じがします。

そして、信頼を量子的(クォンタム) 跳躍(リープ)のレベルにまでもってくると、私たちはもはや念入りな計画を立てたり用意したりはしません。

「いいだろう、これから自分がなにをするのかわかっているのだから、
信頼しよう。ちょっと片づけ、スーツケースに荷物を詰めて、
持って行こう」などとは言いません。

そうではありません。次になにが起こるのか考えもせずに、
私たちはただジャンプします。
その跳躍、そして虚空を自由に落ちていくときの、
そのスリルが肝心なのです。

それでも、このカードは、向こう側でなにが私たちを待っているのか、
そのヒントをここで与えてくれています——。
ソフトで、喜んで迎え入れてくれる、
おいしそうなピンクのバラの花びら、
ジューシーで……さあ、いらっしゃい!

No.790 - 2005/01/03(Mon) 11:18:45
タロット / じん
タロットにはまっちゃいましたねぇ。
今日のカードはこんなのでした。
いつもよく言っている「流れ」、フローですねぇ

58. 流れと共に行く

「水になりなさい」と私が言うとき、
私は流れになることを意味している。
澱んだままではいけない。
動くがいい、しかも、水のように動くがいい。

老子は言っている——タオの道は水の流れる道だ。
それは水のように動く。
水の、あるいは川の動きとはなんだろう?
その動きには素晴らしいところがいくつかある。

ひとつに、それはつねに深みに向かって動く、
もっとも低い地をつねに探し求める。
それには野心がない。
最初の者になろうと渇望することはけっしてない。
最後の者になりたいのだ。

覚えておくがいい。
イエスはこう言っている——ここで最後の者こそ、
私の神の王国では最初の者となるだろう。
彼は、タオの水の流れる道について語っている——
言及してはいないが、それについて語っているのだ。
最後の者であるがいい、野心なくあるがいい。

野心とは、上に向かって行くという意味だ。
水は下に行く。
もっとも低い地を探す。
それは何者でもないことを望む。
自分はユニークだ、例外だ、
特別だと宣言することは望まない。
エゴの観念はない。

Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 14

解説:
このカードの人物は水のなかで完全にくつろぎ、
楽にして、水の流れに任せています。
彼は怠惰になったり眠くなったりすることなく、
受け身で受容的であるアートをマスターしています。

「それはいやだ」とか「別の方向に行きたい」
という考えなどまったくなく、
生の流れに身をゆだねています。

生という水に入って浮かぶか、
それとも流れをさかのぼって泳ぐのか、
生のあらゆる瞬間ごとに選択の余地が残されています。

リーディングでこのカードが現われたときは、
あなたは今、浮かぶことができるということを示しています。

生はくつろぎを支えてくれて、
まさに生の望むところに自分を連れて行ってくれるのだと信頼して——。
信頼とくつろぎというこのフィーリングがさらにさらに成長していくのを許しましょう。

あらゆることは、まさにそうあるべきように起こっています。

No.789 - 2005/01/02(Sun) 19:21:30
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