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サイト更新 / サイト仕事人
キンモクセイのいい香りがただよう10月になって12日め、やっと更新できました。
スケジュールは10〜12月分をアップ、もう12月なんですね。と思うわけです。

夏頃、すぐに無理だが年内にサイトのリニューアルができたらいいな〜

いや、もしかしたら年内を目標にとか年内には出来ると思うとか言っていたような気もするが記憶がさだかでない・・・(汗)

とがっちゃんと相談していました。

でも、もう10月じゃん!
毎月の更新も遅れがちなのに本当に年内に出来るのか?サイト仕事人?

と一人つっこみをする今日この頃です。やれやれ

No.668 - 2004/10/13(Wed) 10:21:30
お邪魔だけど、忘れないうちに。少し、いい話 / たまには、やさしくなる犬
テレビで、”やしきたかじんさん”が若い素人娘が出てきた時
「今、何をしているの?」と聞くと、その女の子が「今、何も
してへん」と答えていました。それを聞いて、ゲストのタレントが
笑ったところ、”たかじんさん”は「何もしていないと悪いのか!」
とタレントに本気で言います。そして、その女の子に「今、何も
していないだけの事やな」とやさしく言っています。その女の子に
恥をかかせてくなかった思いやりです。
とても素敵です。他はともかく、ああいう心配りができる人間に
なりたいと思います。むつかしいけど。

No.664 - 2004/10/13(Wed) 00:56:45

Re: お邪魔だけど、忘れないうちに。少し、いい話 / いい話にはおいしくなる本みりん
先週知り合いが手伝っている宿泊施設へ泊まってきました。
夜、挨拶にきてくださり、1時間ほど話した後、帰られました。次の朝も手厚いもてなしを受けたのですが、
帰るとき「夕べはそちらへ挨拶に行った後連絡が入り、私はこれから○○県へ、仕事で行きます。一晩中準備でした。あははは。」と楽しそうにおっしゃったのですが、後から考えると、きっと夜私達の部屋へいらした時には、きっとわかっていたんだと思います。

朝も忙しかったと思いますが、遠方からきた私達をもてなしてくれました。
その方がやってくれる必要は全くなかったのですが、さりげなくいつも心を砕いてくださる方です。あまりのさりげなさに、よほどでなければ気が付きません。
相手に負担をかけないようにと、心を配られるのです。
その姿勢には、頭がさがります。
私もそういう心配りができる人間になりたいなあ。

No.665 - 2004/10/13(Wed) 02:52:18

Re: お邪魔だけど、忘れないうちに。少し、いい話 / 元辛口ぎもん太郎
荒れた感じになっていたところにええ話。

ありがたい心配りやなあと思いつつ、凝り固まった自分を眺めております。

No.667 - 2004/10/13(Wed) 03:19:32
「現実と非現実」の中の疑問 / 辛口ぎもん太郎
すんません。ちょっと本筋とは違いそうなんで、別に立てます。

松坂牛さん
 なんで、じんさんがあらゆる仮面(防衛)が常に悪いことだと断言してると思ったんですか?
 確かに、「悪魔の囁き」「居直ろうとする」という言葉が使われていますが、文脈からはすべての防衛が常に排除されるべきとはならないと思いますが。冒頭でかなり絞った説明がありますよね。

 松坂牛さんは、仮面が必要であり、それに肯定を求めてはりますが、ご自身は本当は常に仮面を取っていたいのとちがいますか?
 楽園なら取るわけですよね。裸天国なら裸になるわけですよね。つまり環境次第やと。
 ちなみに私は全員が裸でも、必ずしも脱ぐかどうかはよく分かりません。脱いでみるかもしれませんが、着ておくほうが気分がいいかも、とも思います。

 会社の嫌な上司をみんなで退治(?)したお話、ちょっと怖いけど痛快といってしまえば痛快ですな。
 でも、本当にその会社で安心して働いてはるんですか?キツイ聞き方かもしれませんけど、他の人もどんどん首にされて、しかも部下の署名で首になる上司がいてて…。事情はよう分かりませんけど、それこそ個人に還元されてすむ問題だけなんでしょうか。 

No.643 - 2004/10/04(Mon) 01:13:08

コアに触れる感じ・・・ / 七色仮面
>ところで、七色仮面さん、「コアに触れる。パンドラの箱が開くような感覚」ってどんなものですか?宜しければ、教えて下さい。言葉での表現って難しいとは思いますが、お願いします。

との松阪牛さんからのご質問ですが、えーっとですね

どううまく伝えられるかわかりませんが、とりあえず表現してみますと「コア」にふれるかふれないかというぎりぎり前に「まさか?そんなはずはない」という抵抗感がおきて体に緊張が起こり、「ええっ?全部自分が引き寄せてるのかこの対人関係は!!!」っていう思いと同時に、自分の無意識が、出会うべく人を人選していることに気づいてしまいました。

といっても、全編お話できないのでご理解いただけるかどうかわかりませんが、まずそんな感じがほんの数秒間の間にわいてきました。

パンドラの箱が開いたような感覚は、その後です。今までの緊張が嘘のように溶けだした感じで、いっきに血が体中にめぐるような、重い荷物をおろしたような、とにかく力が抜けた感じがしました。

でも、問題がそれで解決されたわけではありません。
やっと選択できる、避けて通るのではなく面と向かえる準備ができたということでしょうか?

選択肢が目の前にいくつかあらわれ、どの方法を選ぶかはこれからですが(これは多分仮面をつけている時にも同じことをしているとおもいますが)動機や意味が以前とはちがうようにおもいます。

ただ、まだ私自身その選択肢の1つを実行に移したわけではありませんので、結果はまだでていませんが、近日中にはなんらかの結果がだせるとおもいます。すべて自分の責任として(自分を責めるのでもなく)

今はただ自分の無意識の巧妙さに「まいった!」というところです。自分自身の気づかないところで、自分に必要なことを選んで問題おこして、いつ自分がそのことに気づくのかを自分でためしているような気がしました。

なんかうまく表現できてないみたいなのですが、こんな感じです。

No.645 - 2004/10/04(Mon) 11:41:48

Re: 「現実と非現実」の中の疑問 / 松坂牛
七色仮面さんへ

お答えありがとうございます。パンドラを開く感覚を読ませてもらって、気持ちいいだろうなと思いました。
問題が無意識に防衛されているのに、気付き、その事で問題に向き合える選択権が持てるのはいいなっと思います。
私も、防衛の操り人形になっているよりは、自分で選択したいです。こういう経験ができるなら、状況があえば、コアに触れる挑戦もおもしろそうです。

辛口ぎもん太郎さんへ

お聞きしたいんですが?私、みかんさんにも同じようにお尋ねされたから、お答えしといたんですけど「・・・
断言していると思ったんですか?」と思われたんです
か?私の説明文は拙いんで伝わらなかったでしょうね。

仮面の必要性や肯定は考えます。でも、仮面を被らない
、又は、外す必要性を否定する気もありません。
裸天国で裸にはなりやすいが、今の世界ではみんなが衣服を着けているところで一人だけで裸にはなれません。
私はそんな勇気は持ちあわせていません。もちろん、衣服に火でもつけば、やむ得ず、恥ずかしさも忘れ、脱ごうとするかもしれませんがね。だから、個人の自由で
辛口ぎもん太郎さんがみんなが裸の中一人気持ちよく服をつけはるのは勇気があると尊敬します。・・・かもしれないなんて言わず、是非、気持ちいい体験してみてください。そして、教えて下さい。どんな風に気持ちよかったかを、臆病な私は、そこから勇気を貰います。

職場の話ですが、詳しく全部は書いてないので、その上司個人だけに責任をかぶせているように思われたのですかね。説明不足で、申し訳ありませんが、組織の偏りや情報の偏りがあり、下の者の意見がその上司によって、トップに届いていなかったのです。署名が一つのきっかけで、トップの意識も組織の体制も少しずつは改善されています。自分の内だけで納めず、皆の力や外側に働きかけていた結果と考えています。もちろん、百点満点と言える職場ではありません。まだ、まだ、話し合っていきたい点もあります。でも、そう言う形になれただけでも満足してます。その後、メンバーがむやみに辞めさせらることもないです。みんなで風通しいい職場にしていく努力はしています。

私が言いたいのは、問題があった場合、個人だけの内側の問題として見るのでなく、外側にも問題があるのではと言うことを伝えているだけです。どちらの視点も大事だと。仙人にでもなるのなら、社会や外側の世界ではなく、自分を修行させていくことでしょうが、私はこの社会に生きてます。

社会の中に生きている自分、肉体を生きている自分、自分と感じている意識を生きている自分、この宇宙に何らかの形で生かされている自分、コアを生きる自分、と全部が自分で、どれも嘘ではないでしょう。仮面をつけるのを選択しているのも自分、仮面が不自由だと思う自分、選択権を増やすのに防衛に気づいてみたい自分。
こうやって自分といっぱい書いていて、何て自我意識が強いんだと呆れる自己。そんなものもどうでもいいとも
思えてくる感覚、その感覚すらどこから来るのか判らない。(段々、分けわかんない。言葉に酔ったみたい。)

私はバランスやもう一方の立場は必要がないのか、そんなにコアに触れる事が大切なのか、その前にすることはないのかの確認の為に思いついたまま、感じたまま問いかけているだけです。

でも、辛口ぎもん太郎さんの文面は疑問って感じるより、批判なの?と思ってしまうのはなぜでしょう?
他の人とは意見が聞けておもしかったのに・・・・・
なぜでしょう?・・・???

No.650 - 2004/10/06(Wed) 23:20:54

Re: 批判のつもりはなかったんです。 / 辛口ぎもん太郎
気分を害されましたか?すんません。あなたの意見の善悪や優劣を判定する気もなければ、否定しようというわけでもありません。ただ、あなたに関心はあります。

仮面について松坂牛さんの書いてはることにはおおむね同意です。
ただ、それは前提となっていることのように思いましたので、どうして強く反応しはったんかなあと不思議に感じたんです。みかんさんへのご回答も読みましたが、深いとこに何かあるんかなと。

ちょっとキツイ書き方になったのは単刀直入にいこうとした結果で、もし私が「いいひと仮面」で接したら、松坂牛さんもいい人の仮面をかぶるんとちゃうかと思たんです。
この掲示板が裸天国やったら、裸になれるということなんかなあと。
私も普段「物分かりのいい人」仮面やってますんで、はずしてみたらどうなるかなあと思ったんですがちょっと行き過ぎて、辛口仮面かぶってしもたというブサイクな話です(笑)。

確かに勝手に推測して仮定した上で疑問を呈してますんで、ある意味「決め付け」が入ってますが、批判とまで思わはるとは予想しませんでした。
ひょっとして、最初のじんさんの文章についてもどこかで自分のあり方を批判されてるように感じたんですか?

ちなみに私は勇気があって裸天国でも服を着るというてるんじゃありませんよ。
今までずーっと服を着て生きてきたのに、突然環境が変わってもよう順応でけへん、仮面をはずすのは簡単やないなあという話です。
私にとっては、松坂牛さんのほうが勇気のある順応性の高いお人やなあと感じましたよ。環境によってつけてるだけで、周りが変わればはずせるんやなあと。

会社については、謹慎や降格ならまだしも解雇はえげつない気がしました(松坂牛さんのことやなくて会社がですよ)。もし、犯罪行為や会社への背任がなかったのなら不当解雇かもしれません。
上司の方にもきっと人生があり、生活がありました。「安心して働ける」というところにひっかかったんです。無理にそういう表現をされたのかなと。

今の社会全体になんとなく感じることですが、「不適応者は排除。復活のチャンスはなし。」というムードがあります。それでほんまにええんやろか?だからみんな不適応者と思われへんように、必死のパッチで自分ころして組織や集団に従属するんちゃうやろか。そして常に適応してるように振舞うこと強いられる。

で、息苦しなって「あるがままの自分って?」「思うままに生きるって?」ということになる。私もそんな一人かなあって思います。

No.654 - 2004/10/08(Fri) 00:49:54

Re: 会社での社会 / 茶髭
会社で痛い目にでもあいはったんですか?

松坂牛さんの上司クビの話は、ほぉーと思い読ましてもろうてました。
会社はまだまだ縦社会。
上の言うこと決定事項は守らなあかん。と教えられてたなかで、会社では弱い立場の者が、意義ありと立ち上がるのはほぉーもんですわ。
これが会社での民主主義ちゅうもんかいなーと。
会社の中で、個人的な好みはあっても、原因のない集団のいじめはないと思っとるんですがな。

No.656 - 2004/10/08(Fri) 11:18:02

Re: 会社での社会? / 辛口ぎもん太郎
そうなんです(泣)。会社で痛い目にあって、それで江戸の仇を長崎で…って、ちゃうちゃう(笑)!

松坂牛さんが上司の不条理に耐えかねて、立ち上がったのは立派やと思います。立派というか、よう頑張ったな、つらかったやろな思います。

それでも即クビという会社のやり方はええと思いませんし、「バランスやもう一方の立場は必要がないのか」と訴える松坂牛さんが「めでたしめでたし」で終わってたとしたら違和感を覚えます(もう、すでにご説明いただいてそうではないと分かってますよ)。

民主主義っちゅうのは、基本的人権、法治主義の上に成り立つもんですよね。
また、なぜここで集団いじめを肯定しはるのかよく分かりませんが、民主主義と集団いじめはまったく別次元のもんやし、松坂牛さんの話と集団いじめもあんまり関係ないと思いますね。

No.659 - 2004/10/09(Sat) 01:23:47

Re: 「現実と非現実」の中の疑問 / 茶髭
>また、なぜここで集団いじめを肯定しはるのかよく分かりません

私は肯定したつもりはないんですがなぁ。
「会社の中で、個人的な好みはあっても、原因のない集団のいじめはないと思っとるんですがな。」と文字通り“思い”を書いただけですがなぁ。

>民主主義と集団いじめはまったく別次元のもんやし、
>松坂牛さんの話と集団いじめもあんまり関係ないと思いますね。

『会社の嫌な上司をみんなで退治(?)したお話、』とお書きのみんなで退治が集団いじめというイメージになってしもうたんです。
辛口ぎもん太郎の643番が私の中で皮肉な文章に受け取れたんだと思いますわ、何でかわかりませんけどな。
どうも、辛口ぎもん太郎の疑問を聞いてるというより、辛口ぎもん太郎の解釈が入り、なんらかのおもいが加わり書いてはるんかいなぁと思いました。

文字では、ニュアンスが伝わらんから難しいですなぁ・・・。

No.662 - 2004/10/12(Tue) 13:58:00

Re: 「現実と非現実」の中の疑問 / 辛口ぎもん太郎
>肯定したつもりはないんですがなぁ。・・・ 文字通り“思い”を書いただけですがなぁ。
→思いとは心の働き、状態ですから通常は「分別」が挟まってる思うんですが。おかしいですなあ。

> 私の中で皮肉な文章に受け取れたんだと思いますわ、何でかわかりませんけどな。
→次からはなんでか考えてもらって、それについて尋ねてもらえたら、私にも考えるええ機会をいただけます。

> 辛口ぎもん太郎の解釈が入り、なんらかのおもいが加わり書いてはるんかいなぁと思いました。
→これもまた解釈ですね。

前にも書いたとおり、勝手に推測して仮定した上で書きましたし、「えげつない会社やなあ、それでホンマにええんやろか」という思いがありました。
ただし、松坂牛さんの考えがおうてるとか間違ってるとか、こう考えるべきだと言いたかったんじゃありません。

私も含めて、人は自分の物差しで他人の言動を解釈して、評価、判断しがちですね。
自分がしたくない、されたくないというのはもちろん自由ですが、自分の物差しを世間の物差しのように一般化して「批判してはいけない」「矛盾してはいけない」…と押し付けてしまう。
世間の物差しと仮面、私にとってはどうも深く関わっていそうです。

No.666 - 2004/10/13(Wed) 03:10:37
長々出張ってすみません。 / 松坂牛
あげさんへ
あげてくれてありがとうございます。しっかり読めました。

じんさんへ
お返事ありがとうございます。
お陰で疑問が解けたところもできました。
これから、じっくり時間をかけ、咀嚼し,又、引っかかったら質問させていただきます。
私のような人間は、そのセラピーの文章の一説をポーンと投げつけられると、疑問がいっぱい湧いてくるみたいです。丁寧に返していただくと解かりやすくて、助かります。その間、色々な人の意見も読めましたし、ご迷惑でなければ、又、書かして下さいね。

それと、辛口ぎもん太郎さんへのレスでとっても大きな空白を作ってしまったんで、ご免なさい。最後の文章を勝手に消えてしまったと思ってたら、あんなに場所を取ってしまって、申し訳ありません。本来なら、やり直せばいいのですが、編集パスを入れ忘れて訂正できません。皆さん、本当にご免なさい。

No.651 - 2004/10/06(Wed) 23:39:01

Re: 長々出張ってすみません。 / 管理人 司
松坂牛様

No.650 修正させていただきました。

自分個人と致しましては、難しい事は存じませんが、御尤もなご意見だと思い拝しておりました。

No.652 - 2004/10/07(Thu) 10:15:26
松坂牛 様 / じん
no.638,639にぼくの見解を書いておきましたが、
ご理解いただけたでしょうか?

No.644 - 2004/10/04(Mon) 09:24:23

Re: 松坂牛 様 / 松坂牛
じんさんへ
申し訳ありませんが、なぜだか判らないのですが、
no638,639が私の掲示板の中にはありません。
残念ながら、じんさんの見解は読めませんでした。
読みたいので、ご面倒ですが、もう一度のせていた
だきたいです。お願いします。

No.646 - 2004/10/06(Wed) 22:11:42

Re: 松坂牛 様 / あげ
すぐ下にあげておきました
No.649 - 2004/10/06(Wed) 22:55:16
松坂牛 様 / じん
★印にぼくの見解を書きます。

あのう、仮面=防衛ですが、防衛は悪い事なんでしょうか?
★ぼくの文章はセラピーの文脈で書いています。
単純化して言えば、セラピーでは、不要になった防衛を解除して、
必要な防衛ができるようにすることが課題です。
防衛一般について良い、悪いはなんとも言えません。

よく分からないのですが、世の中にはこの仮面すら上手くつけられず、
この社会に渡り合えずにいる人がいるようにも思います。
★もちろんそうです。

仮面の防衛すら出来ずに、剥き身のまま、守れず喘いでいる人がいて、
そのせいで引き籠ったり、病気になったり、
死を選んだりするのではないでしょうか?
(引き籠りの方や病気の方やCENSOREDする方がみんなそうだとは言いませんが)
必要だからつけるのではないでしょうか?
★もちろんそうです。
課題は必要になくなったのに持ち続けている防衛、
防衛することとしないことの自由を失っている防衛です。

この世が楽園で守る必要がなければ、誰も防衛なんてしないだろうし、
個人の問題だけに還元していいのでしょうか?
個人を取り巻く周囲や社会には問題ないのでしょうか?
★もちろん問題があります。

それとも、調和、愛、仏性等になれたら、
守らなくてもいいほど揺るぎのないものになれるのでしょうか?
★究極に至れば、何も守るものはないようです。
つまり、生と死の境界がなくなれば、ほとんど問題がなくなるのではないかと考えられます。

それに安心だと信じられなければ、
防衛なんて簡単に解除できないのではないのでしょうか?
★もちろんそうです。

仮面のつけ方の上手い人の方が、
この世の一時の現実と言われているゲームに勝ち残っているのでは?
★もちろんそうだと思います。

この仕組みが全体の変わらずして、
誰が安心して仮面がとれるのでしょうか?
★誰が取れるか知りません。
取る人は取るでしょうし、取らない人はとらないでしょう。

非現実的なこの社会で生きない引き籠っていれば、
理想も言えるように思うのですが、どうでしょうか?
★この文章の意味がよくわかりません。

それとも、この考えすら防衛のなせる業?
★文章の意味がよくわからないのでなんともいえません。

No.638 - 2004/10/02(Sat) 21:56:43

Re: 松坂牛 様 / あげ
あげておきます
No.648 - 2004/10/06(Wed) 22:54:16
松坂牛 様 2 / じん
★印にぼくの見解を書きます。

みかんさん、レスありがとうございます。
 
>鎧について、親や教師、社会のせい、腹が立つけど、損したな〜、何で私ばかり苦労せんとあかんの?って思う、結局変えれるのはじぶんしかいないと思うんです。

私は腹も立った時もあったけど、逆に、その分、その鎧がつけれるようになった自分も嫌いじゃないのです。よく、生き抜いてきたねっと自分を褒めてやりたいと思う時やいじらしく思う時もあります。そして、その鎧が守ってくれてきたことも実感しています。
★すばらしいことですね。

前にも言いましたが、鎧のない社会なら、社会で生きれる経験が出来たかもしれないっと思うだけです。

唯、唯、人や外部のせいに恨んでいるわけでもないし、その苦労が自分を育てたものも感じています。今の社会を否定する面も、肯定する面もあります。
★それでいいんじゃないでしょうか。

自然社会にも、亀やハリネズミがいるように弱いのなら、それなりの身を守るものが必要だと思うだけです。
★もちろん必要です。

守る必要がない時に付けているのは、窮屈ですから外したいですが、守る必要がある時は、しっかり付けておきたいです。
★それをめざしているのがセラピーです。

そう言う意味で、じんさんが書いた最初の文で、その時、相手が鎧を外して安心だったのかなど考えてしまいます。理論的に、鎧がエネルギーをブロックし、生きにくくする事
★不要な鎧は生きにくくしますが、必要な鎧は生きやすくします。
先ほど、防衛を一般化して述べられていましたが、
同様に、鎧を一般化して述べることはできません。

は、頭では理解できるのですが、場においての必要性も考えてしまします。
★ですから、TPOによって必要性も出てきます。

>神様、私にお与えください。・・・・・見分ける賢さを。

みかんさんは、この文章の中でどんな事が変えれないものと考えているのですか?

例えば、社会に向けて変わるように活動しているグループがいます。
この社会が変わらなければ、この苦しさは社会が間違っているからと、
フェミニズムの活動のお陰で、女性専用の車両ができたり、
セクハラと言う言葉が出来、泣き寝入りせずに済む人が増えたこと等、
変えれるのは自分だけと思っていたら、変えれなかったことだと思います。
(この活動を全て肯定する気はないですが)マイノリティの活動だって、そう思います。
家族療法の中でも、本人だけが変わるのでなく、
家族のシステムが変化することを目的にしたセラピーもあります。

自分だけが変えれるものではないと思います。
相手が変わりたくないのに、変われと脅したり、無理強いは出来ないかもしれないけど、変わって欲しいと活動していくことやシステムを変える努力は必要ではないでしょうか?
★もちろん必要ですし、また可能です。
セラピーがめざしているのは、社会環境の被害者になるのではなく、
自分を変え、
不適切な社会環境をも変革していける自分を作り出していくことです。
社会環境に隷属するのではなく、
創造者としての自己の創造・変革と言ってもいいかと思います。

No.639 - 2004/10/02(Sat) 22:23:09

Re: 松坂牛 様 2 / あげ
あげておきます
No.647 - 2004/10/06(Wed) 22:53:35
現実と非現実 / じん
今日ある人と現実と非現実について話してた。

ライヒの人格の3層の理論をぼくなりに解釈すれば、
人は三つの仮面、三つの非現実で現実を覆い隠すようだ。

一つは、いい人の振りをする、強い人の振りをする、
やさしい人の振りをする、・・・。
自我の仮面、自我の非現実。

二つは、筋肉の鎧。
これは三つ目の仮面、非現実を覆い隠す非現実。

三つ目は、情動の仮面。情動の非現実。
情動的防衛層と言われる。
感情の解放のワークの中で出てくる未完了な怒り、
怖れ、悲しみ・・・。
人はしばしばこれを自分の現実と錯覚する。

この三つの仮面、非現実を剥ぎ取ったとき、
コアと呼ばれる現実に出会う。

ぼくの解釈では、ライヒはこの三つの仮面、
三つの非現実を超えて、
彼がコアと呼ぶ現実へといざなっているように思う。

それは、調和と呼ばれたり、愛と呼ばれたり、
仏性と呼ばれたり、神性と呼ばれたり、
様々に、言いたいように言われている。
なんと言おうと、それは宇宙的な現実なんだろう。

それは日々呼吸をし、食事をし、
排泄をしていることと同じ現実だと思う。

いずれにしろ、その現実と出会うには三つの仮面、
三つの非現実(自我防衛層、筋防衛層、情動的防衛層)
をクリアーしてみなければわからない。

でも、それはなかなか難しい。
自我の防衛層が即座に稼動し、
そんなことしてなんになるの?
そんなことやる気はないわ。
・・・。悪魔の囁き。
そしてそれに嵌ってしまう。
今の防衛的位置に居直ろうとする。

No.626 - 2004/09/26(Sun) 21:52:14

Re: 現実と非現実 / 松坂牛
 あのう、仮面=防衛ですが、防衛は悪い事なんでしょうか?
よく分からないのですが、世の中にはこの仮面すら上手くつけられず、
この社会に渡り合えずにいる人がいるようにも思います。

仮面の防衛すら出来ずに、剥き身のまま、守れず喘いでいる人がいて、
そのせいで引き籠ったり、病気になったり、
死を選んだりするのではないでしょうか?
(引き籠りの方や病気の方やCENSOREDする方がみんなそうだとは言いませんが)
必要だからつけるのではないでしょうか?

この世が楽園で守る必要がなければ、誰も防衛なんてしないだろうし、
個人の問題だけに還元していいのでしょうか?
個人を取り巻く周囲や社会には問題ないのでしょうか?

それとも、調和、愛、仏性等になれたら、
守らなくてもいいほど揺るぎのないものになれるのでしょうか?

それに安心だと信じられなければ、
防衛なんて簡単に解除できないのではないのでしょうか?

仮面のつけ方の上手い人の方が、
この世の一時の現実と言われているゲームに勝ち残っているのでは?

この仕組みが全体の変わらずして、
誰が安心して仮面がとれるのでしょうか?

非現実的なこの社会で生きない引き籠っていれば、
理想も言えるように思うのですが、どうでしょうか?
それとも、この考えすら防衛のなせる業?

No.627 - 2004/09/27(Mon) 21:55:47

Re: 現実と非現実 / みかん
松阪牛さん こんんばんは

>仮面=防衛ですが、防衛は悪い事なんでしょうか?

じんちゃんの書き込みを読まれて松阪牛さんは防衛は悪いことと感じられたんですね。

私はじんちゃんの書き込みから防衛は悪い事だとは感じられないんですけど・・・・。

ずーっとむかし、10年くらい前、火の鳥村っていうところがあって、私は3ヶ月だけマインドボディーバランシングのトレーニングを受けたんですが(ちなみに3ヶ月でドロップアウト)そこで同じ様な事を聞いていた人がいました。(遠い目)

「筋肉の鎧」の話だったんですが、過去の経験、子供ころは必要だった防衛が筋肉の鎧として身体に残っていてそれが現在を生きていく大人の自分には不必要になっているものがある、余分な重たい鎧を背負ってるわけで動きにくい、感じにくい。
その今は必要のない鎧をボディーワークで脱がせていくっていうような答えだったと記憶しています。

つまり今現在、社会生活を送っていくなかで自分を守るため、防衛するための物は必要なのでそれを脱ぐ、はがす必要はないと思います。

そのときの仁ちゃんの答えはそんな感じだったと思います。

>世の中にはこの仮面すら上手くつけられず、この社会に渡り合えずにいる人がいるようにも思います。仮面の防衛すら出来ずに、剥き身のまま、守れず喘いでいる人がいて、そのせいで引き籠ったり、病気になったり、死を選んだりするのではないでしょうか?

逆に引きこもりは自分を守るための防衛手段、仮面なんではないですか?
その人にとって安全なスペースから出ないってことは防衛
だと思うんですが・・・。
引きこもりは必要以上の防衛なので、社会生活に必要な防衛は残してその必要以上の防衛を取っていくこと、必要なときに仮面着けたり脱いだりできる、社会生活が出来るということじゃないでしょうか?

>必要だからつけるのではないでしょうか?この世が楽園で守る必要がなければ、誰も防衛なんてしないだろうし、個人の問題だけに還元していいのでしょうか?

松阪牛さんの考える楽園ってどんな物ですか?

私は、この世の中、社会は個人の集団で成り立っているわけで一人一人が自分の中に楽園を持つことが出来ると思います。

>仮面のつけ方の上手い人の方がこの世の一時の現実と言われているゲームに勝ち残っているのでは?この仕組みが全体の変わらずして、誰が安心して仮面がとれるのでしょうか?

そうでしょうね。勝ち残るっていうか自由でしょうね。
でも、何らかの問題を持っている人は安心してもいい場所でも仮面をはずせないからしんどいんであって、仮面を取っても安心だと感じられるのにはいろんなワークやセラピー、エクササイズで実際に仮面(今は必要のない物=非現実)をはがす作業があるんだと思います。

仮面をはがすには長年着けっぱなしだったのであせもが出来ているかもしれないし、癒着があるかもしれないし、一度ではがせる物もあるだろうし、時間がかかる物も、もしかしたら一生はがせない物もあるかもしれませんね。

おもいつくまま書いてみました。

No.628 - 2004/09/27(Mon) 22:44:29

Re: 現実と非現実 / 松坂牛
みかんさんへレスありがとうございます。

 じんさんの最後の(悪魔の囁き。・・・居直ろうとする)言葉尻からあまりいいイメージに判断できそうにないので、確認したかったのです。

 みかんさんの意見では、重すぎるとか多すぎるのが問題で、
仮面は必要な分はつけて、防衛しましょうと言う事ですか?
守るのには仮面は必要だと言う事?

 引き籠りやその他について、()の中に書いたように
みかんさんが言う事も当然あると思います。
でも、仮面が被れず、その事で、問題になっている人もいると思います。

あまりにも、剥き身で痛々しい状態の人を知りませんか?
私は知っています。
私自身も昔、世の仕組みやルールのようなものが解からず、
その場に相応しい仮面を見つけられずに苦労した口です。

 楽園とは・・・エデンの園ですか・・・イブが神様の手から離れ、
自分の知恵や意思を持つ前の、動物と同じ裸で、
恵みに恩恵を受けて、自然に順応している状態でしょうか?

例えば、仮面と言うのを衣服と置き換えるとどうでしょうか?
鎧のように常に戦闘体制でなく、
衣服ならTPOに合わせて着脱できる状態なら、楽でしょうね。

だから、裸天国のように誰も衣服をつけてないのなら、安心して裸で入れるように、仮面も外せるのかもしれない。
でも、仮面が当然のような世の中で、自分独りが裸は怖いし、恥ずかしいから、私は外せませんね。

 もし、イブがイチジクの葉をつけなかったら、
進化の過程で我々の体毛が豹の柄やカワセミの様な素敵な色合いのものになっていたかもと想うと楽しいですが。


 仮面は非現実なんでしょうか?
仮面は一つのアイデンティティとも考えられませんか?

 息をし、排泄をするように仮面がないのが自然とありますが、
排泄するにも、野グソは山なら出来るでしょうが、
都会なら場所を選びます。

社会で生きる事や集団で生きる事は、ルールや秩序があり、
それにある程度は縛られていると思います。
個人の問題や気持ちだけで自由に選択できないものの存在をどうしていくかも考える必要があるのではないでしょうか?

個人だけに問題を還元するのでなく、
関係性や集団のダイナミックも見つめないと片手落ちではないかと考えます。
ライヒの生きた時代の抑圧の高い社会と今とでは鎧の重さも違うのではないのでしょうか?

 もちろん、私自身休みたいのに鎧を着たまま状態は嫌ですから、脱ぎたいですが・・・

 私は投げかけられた言葉を批判したいのではなく理解したいのです。色々な方向で考えていきたいのです。
 

No.629 - 2004/09/28(Tue) 21:53:38

私なりの鎧(?) / みりりん

鎧って小さい頃に、ある環境の中で、生きていく為につけたものが多いんですよね。
これは、大きくなったら環境も変わるので、不必要になってしまったにもかかわらず、つけっぱなしになって、しかも誤作動が多くなり、他の人に迷惑をかけてしまったりで、
「しまった!」と思うようなことが多くなった時点で、はずさなくちゃと思うんですよね。
でも、その鎧とは別に社会に適合する為につけた健全な鎧がありますよね。
でも健全な鎧もさらに時間がたったり、環境が変わったりした時、やっぱりかえって苦しみの原因になったりもする。

でも、最近思うのは、鎧って一見マイナス方面に出てしまうことが多いのだけれど、その質にはプラスのことが含まれていると思うんですよね。
だから、鎧の反対の端には、その人の本来持っている能力が隠されていることも多いと思う。

今のでこぼこだらけの自分で、まずはいいじゃないというところから、はじめたいと思う。
こんな自分だから、人のでこぼこもまあ〜そのうちね・・・と言えるようになる気がする。もちろん、何にもしないでこれでいいのさ、このままでいいのさ、というのとは違うけど。

自分を切っていたり、否定している時って、結局気付かないうちに人を切ったり、傷つけたりしているよね、
こんな鎧つけてるじゃない、とボーと眺められるようになれたらいいなあと思う。そして、「あれあれ〜!お・お・ここで発動してきているぞぉ〜」って笑いながら眺められるようになれたら、さらにいい。
そして、本来持っている能力がのびのびと発揮できるようになったら、きっと鎧で固めることもあんまりなくなるよ的な、在り方が出来るような気がする。

鎧も本来の能力に変容して、コアと融合して現実になったら、剥き身ではない(痛々しい裸ではない)コアの私として、この現実の世界を闊歩できるかも・・・な〜んて思うのです。

仏性って、完全であると同時に、完全ではないということを知っている智性でもあると思う。

だから、追い詰めていくのはや〜めたと今は思っているんです。(落ち込んでいるときは目一杯やっちゃうけどね。そんなところも私。私は私。)

No.630 - 2004/09/29(Wed) 01:45:06

↑訂正です / みりりん
>仏性って、完全であると同時に、完全ではないということを知っている智性でもあると思う。

仏性って、完全であるからこそ、どんな状態の時も完全であることを知っている智性だと思う。

No.631 - 2004/09/29(Wed) 01:53:33

Re: 現実と非現実 / 七色仮面
皆さんのご意見を拝見していて、思いました。
私自身の体験談から(浅はかで申し訳ないかもしれませんが)
防衛が悪いことではないと思います。

まず自分の防衛の仕方に気づいていることのほうが大切であって、
剥ぎ取るにはそれだけの準備が必要なように思います。

わたしはついこの間まで、
自分がある方法で防衛していることを知りませんでした。
何度かワークをしていてもまったく今まで出てきたこともなかったのです。

ところが何がきっかけになったかすらもわかりませんが、
ごく最近のワークでその自分のコアにふれたのです。
そしてパンドラの箱とでもいいましょうか、
そのふたがパカッと開いたように感じました。

まさか無意識がそこまで巧妙に私をコントロールしていたとは、
驚きでした。人はまず防衛していることに気づき、
そこから自分でどうその防衛の仮面をはずして行くか、
それを自分なりのペースで、またはずすのか、はずさないのか、
選択していくんだなと今、
選択を迫られて岐路に立たされている状態の私が感じていることです。

そうまさにどちらの道を選ぶのか、
またそれを選択できるまで機が熟しているから、
岐路がきたように思えます。

その仮面をはずすことは、ほんとうに勇気がいるように思いますが、
機が熟していれば仮面もはずしやすいのではないでしょうか。

だから、人に言われたからはずすものでもなく、
はずせない自分をいとおしく思えるようになれば、
それでいいのではないでしょうか。

現実と非現実行ったり来たりしながら人は成長している、
それがまた人間であることの醍醐味のような気がします。

No.632 - 2004/09/29(Wed) 20:54:57

Re: 現実と非現実 / みりりん
>人は三つの仮面、三つの非現実で現実を覆い隠すようだ

私は、少し前、なぜこんな仮面を人はつけるのかという、システムに興味があった。
言い換えると、なぜこんな仮面をつけることにしたのか・・・?
現実(この世的な三次元の)に、合わせてこうなったというのなら、どちらが先なんでしょうか。こんな世界だから
こんな仮面をつけるようになったのか、それともこんな仮面をつけていくようなしくみが、人にはあったから、仮面をつけた人が創っていった時、こんな世界ができていったのか。

もし、「コア」と呼ばれる現実が真実だというなら、わざわざ仮面を何故つけて、また何故取っていくプロセスを辿るのだろうか。
こう考えると、仮面をつけていくプロセスと、それから剥ぎ取ってコアに向かっていくプロセスの両方を、経験したいんだよなあと感じてしまう。
そして、そのプロセスを通じて、自分らしさを味わえるように出来ている気がする。
だって、たくさんの人がみんなそれぞれ感じ方も、持っている世界も違うのだから、そこへ至る方法も、時期も全部違うのだから、マニュアル化できないってことですよね。
ということは、とことん「自分」を味わうことになると
思うんです。

そして、今の現在の自分はこうだと、自分の現状、本当に感じているレアな感情、体の感覚と一つになって、
奇麗ごとなしで、しかも自分のことは自己責任をとりながら、全面肯定してみる。
本当の自分の姿が見えないと、リアルな一歩をふみだせないから、まず本当の自分に向き合って認めることから始めるのが大切だと思う・・・

本来の自分を自己責任を取りながら、そのまんま眺められたら、きっと自己否定なしで、なあんだ、自分てこんなんかあと、ただそう思えると思う。
そこから、鎧に向き合ったら、一枚剥ぐ度に、今の自分を創る為にこの一枚がどれほど役にたってきたのか、自分の味になってきたのかなんてことを発見できるのではないかと思う。

一枚剥ぐ度に聖人君子になるんじゃなくて、味わい深い人間になっていけるといいなあなんて・・・私の希望です・・・

No.633 - 2004/09/29(Wed) 23:39:36

Re: 現実と非現実 / みかん
こんばんは〜

>みかんさんの意見では、重すぎるとか多すぎるのが問題で、仮面は必要な分はつけて、防衛しましょうと言う事ですか?守るのには仮面は必要だと言う事?

そうですね、必要な時があれば道具として使うのはいいんじゃないでしょうか?
自分を守るための道具としてです。

>あまりにも、剥き身で痛々しい状態の人を知りませんか?私は知っています。私自身も昔、世の仕組みやルールのようなものが解からず、その場に相応しい仮面を見つけられずに苦労した口です。

そうですね、ふっと浮かんだ人がいます。

>個人の問題や気持ちだけで自由に選択できないものの存在をどうしていくかも考える必要があるのではないでしょうか?個人だけに問題を還元するのでなく、関係性や集団のダイナミックも見つめないと片手落ちではないかと考えます。ライヒの生きた時代の抑圧の高い社会と今とでは鎧の重さも違うのではないのでしょうか?

関係性や集団(一番濃いのは原家族、母)、学校や職場など社会に問題があるのは解ります。

どんな人から生まれてくるかも選択できませんよね。
それが原因で剥き身のまま、守れず喘いでいる人もいるでしょうね。

でも、自由に選択できないものは出来ない。
そこからスタートするしかないんじゃないでしょうか?

この世が楽園であれば仮面は必要でないし、裸でいられる。現実だったらすばらしいですよね。

でも、現実は残念ながらそうではありません。

この世が楽園でないから、仮面を着けざるを得なくて不自由している、もしくは仮面を着けることが出来なくて不自由している。ライヒの時代より今の方が複雑で鎧も重くなってる!私のせいじゃない!って腹が立ちますが、それが現実なんじゃないでしょうか?

親のせい、教師のせい、上司のせい、社会のせい、腹立つけど、損したな〜、なんで私ばっかりこんな苦労しなあかんの?って思うけど、結局変えられるのは自分自身しかいないと思うんです。

祈りです。

神様 私にお与えください。
自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを、
変えられるものは 変えてゆく勇気を、
そして二つのものを 見分ける賢さを。

No.634 - 2004/09/30(Thu) 22:42:00

お願い / みかん
みなさんにお願いがあります。

他の掲示板でも最近問題になっていますが改行の全くない投稿は読みにくいです。

携帯メールの普及が原因かとも言われていますが・・・

読みにくい=せっかくの書き込みが伝わりにくい。

コミュニケーションの一環としてご協力をお願いいたします。

No.635 - 2004/09/30(Thu) 22:46:25

Re: 現実と非現実 / 松坂牛
 みかんさん、レスありがとうございます。
 
>鎧について、親や教師、社会のせい、腹が立つけど、損したな〜、何で私ばかり苦労せんとあかんの?って思う、結局変えれるのはじぶんしかいないと思うんです。

私は腹も立った時もあったけど、逆に、その分、その鎧がつけれるようになった自分も嫌いじゃないのです。よく、生き抜いてきたねっと自分を褒めてやりたいと思う時やいじらしく思う時もあります。そして、その鎧が守ってくれてきたことも実感しています。前にも言いましたが、鎧のない社会なら、社会で生きれる経験が出来たかもしれないっと思うだけです。

唯、唯、人や外部のせいに恨んでいるわけでもないし、その苦労が自分を育てたものも感じています。今の社会を否定する面も、肯定する面もあります。

自然社会にも、亀やハリネズミがいるように弱いのなら、それなりの身を守るものが必要だと思うだけです。

守る必要がない時に付けているのは、窮屈ですから外したいですが、守る必要がある時は、しっかり付けておきたいです。

そう言う意味で、じんさんが書いた最初の文で、その時、相手が鎧を外して安心だったのかなど考えてしまいます。理論的に、鎧がエネルギーをブロックし、生きにくくする事は、頭では理解できるのですが、場においての必要性も考えてしまします。

>神様、私にお与えください。・・・・・見分ける賢さを。

みかんさんは、この文章の中でどんな事が変えれないものと考えているのですか?

例えば、社会に向けて変わるように活動しているグループがいます。この社会が変わらなければ、この苦しさは社会が間違っているからと、フェミニズムの活動のお陰で、女性専用の車両ができたり、セクハラと言う言葉が出来、泣き寝入りせずに済む人が増えたこと等、変えれるのは自分だけと思っていたら、変えれなかったことだと思います。(この活動を全て肯定する気はないですが)マイノリティの活動だって、そう思います。
家族療法の中でも、本人だけが変わるのでなく、家族のシステムが変化することを目的にしたセラピーもあります。

自分だけが変えれるものではないと思います。
相手が変わりたくないのに、変われと脅したり、無理強いは出来ないかもしれないけど、変わって欲しいと活動していくことやシステムを変える努力は必要ではないでしょうか?

No.637 - 2004/10/02(Sat) 07:27:23

Re: 現実と非現実 / みかん
松阪牛さん こうやってお話しするのはおもしろい、楽しいです。

>私は腹も立った時もあったけど、逆に、その分、その鎧がつけれるようになった自分も嫌いじゃないのです。よく、生き抜いてきたねっと自分を褒めてやりたいと思う時やいじらしく思う時もあります。そして、その鎧が守ってくれてきたことも実感しています。前にも言いましたが、鎧のない社会なら、社会で生きれる経験が出来たかもしれないっと思うだけです。

>唯、唯、人や外部のせいに恨んでいるわけでもないし、その苦労が自分を育てたものも感じています。今の社会を否定する面も、肯定する面もあります。

>自然社会にも、亀やハリネズミがいるように弱いのなら、それなりの身を守るものが必要だと思うだけです。

>守る必要がない時に付けているのは、窮屈ですから外したいですが、守る必要がある時は、しっかり付けておきたいです。

そうですね、同感です。

>神様、私にお与えください。・・・・・見分ける賢さを。

>みかんさんは、この文章の中でどんな事が変えれないものと考えているのですか?

そうですね、たとえば私自身においては自分の性別、過去に起こったこと、などでしょうか?

現在は苦手な職場の上司の態度とか考え方、性格とか・・・。こんな人辞めて欲しいな。もっと優しい口調でしゃべってくれたら仕事がやりやすいのにな〜とか思います。でも、上司に辞めてくれとは言えないし、今は私も仕事を辞めることが出来ません。
そんなところが変えることが出来ないものです。

そこで、自分の上司に対する見方を変えてみる、(いいところを探す)自分の受け取り方に問題があれば変えられる所は変える。抱え込まないで誰かに相談してみるとか。
思い切って直接その上司に気持ちをぶつけるのかもいいのかもしれません。
または、上司のことは無視して本来の目的である仕事をしっかりすることに気持ちを向ける。
そしてどうしてもだめ、我慢できなかったら(変えられないもの)転職する。とかでしょうか?

>家族療法の中でも、本人だけが変わるのでなく、家族のシステムが変化することを目的にしたセラピーもあります。

そうですね、それに逆もありますよね。
本人はほっておいてまず、家族に介入していく方法とか。

>自分だけが変えれるものではないと思います。
相手が変わりたくないのに、変われと脅したり、無理強いは出来ないかもしれないけど、変わって欲しいと活動していくことやシステムを変える努力は必要ではないでしょうか?

まったくそのとおりだと思います。
私の書きたかったことは、ただ、相手のせいにしているだけ(アクションを起こさない)では何も変わらないということです。

自分(自分たち)で何かアクションを起こす事によって変わるものはあるでしょうし、変えていけるものはあると思います。

今気づいたんですが、私の投げかけた改行なしの文章は読みにくいです。
に対して早速改行していただけています。

ありがとうございます。

私は書き込みするのにちょっと悩みましたが、これも読みにくいな〜と思うだけでなくアクションを起こした結果だと思います。

No.641 - 2004/10/03(Sun) 10:13:33

Re: 現実と非現実 / 松坂牛
 みかんさんへ、私もこうやってお話しするのが楽しいです。普段の社会ではとことん意見を出し合うことは少ないので嬉しいです。 

 嫌な上司についてですが、私はたまたま、周囲の人のほとんどが、その上司の部下への対応に対して、えこひいきや理不尽さなど、様々な苦情を言ってましたので、みんなで話し合って、署名を書き「この上司の下では安心して仕事に専念できません。・・・」と言う内容の手紙を雇用主に出しました。その結果、その上司はそれまでにもあった問題も含められ、首になりました。正直、言って、相手にしないように努力もしたのですが、同僚や直属の別の上司などが首にされたのもあって、何時、足を引っ張られるか、仕事に集中するエネルギーのほとんど、向かない状態でした。直接、その上司とも話してみましたが、甲斐がありませんでした。今は、署名を書いた同僚と安心して仕事に専念できています。自分の内側だけでなく、外側に向けて動いた結果だと思います。

こんな事がいつもある訳でなく、きっと、痛い思いもするでしょうけど、私は自分の内側も外側も両方に働きかけていくバランスを大切したいと思います。

 それ以外のレスで書いてくださった七色仮面さんもミリリンさんもご意見をありがとうございます。

 ところで、七色仮面さん、「コアに触れる。パンドラの箱が開くような感覚」ってどんなものですか?宜しければ、教えて下さい。言葉での表現って難しいとは思いますが、お願いします。

No.642 - 2004/10/03(Sun) 21:02:39
vol35発行!!&平身低頭 / メルマガ仕事人
メルマガvol35が発行されました。たびたびで恐縮ですが、仕事人に編集ミスがあり、一旦署名で終わった後また案内が掲載されています。気づいたのが発行後でしたのでどうしようもありませんでした。
この場をお借りしまして、謹んでお詫び申し上げます。
<(_ _)>以後のこのようなことが無いよう十二分に注意致しますので購読者の皆様におかれましてはなにとぞご容赦賜りますようお願い申し上げる次第でございます。

No.640 - 2004/10/03(Sun) 02:32:50
メールアドレス / よっさん [ Mail ]
よっさんで〜す。
みんな無事家に帰れたかな?
ワーク最終日は早引きしたので、みんなの振り返りが聞けなくて残念で〜す。よかったら誰か自分のワーク振り返りを知らせてください。
よっさんの方はあれから家に帰って、カミさんに3回目のお誕生日祝いをしてもらいました。
そして、早速ワークの体験をできるだけ詳しく話ししてあげたので〜す。当初の目的であるよっさんの感情面の活性化という願いは見事叶いました。「わ〜わ〜」泣いたあの日がとても懐かしいです。帰ってきてからも涙腺がとても緩くなっています。「リリアンで〜す」の声もだんだん変わってきて、みなさまに披露した声がやはり聞き納めだったようです。今度みなさまにお会いする時は少し元気になった、いつもの声のよっさんになります。
それでは、みなさん、とりあえず「さよ〜な〜ら〜」っと。

No.623 - 2004/09/21(Tue) 23:46:15

ブレス&バイオ / がっちゃん
ブレス&バイオお疲れ様でした。
今回はブレス初体験者が半数いらっしゃいました。
親子のワーク、ゆりかごと盛り沢山の中で、それぞれの体験があり、それぞれの出来事があり、それぞれに影響し合い、グループのダイナミクスが生まれたと思います。
よっさん、極上ゆりかごの体験が出来なかったね・・・。
めちゃめちゃ残念!
チャンスがあれば体験してね〜!
めっちゃええでぇ〜♪

No.625 - 2004/09/26(Sun) 15:13:20
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