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私は人に期待はしませんーNo.1273 への返信 / じん
<「私は人に期待はしません。」とのたまっている人が、「これはああだ、それはこうだ!」と人に文句を言ってたりします。それ、「人に期待してる」んじゃなかろーかと。>

とのことですが、催眠のほうの考え方のひとつに、
「反作用の法則」というのがある。

意識で、「期待しない」と思っていても、
それが無意識の否定になっていて、
本心に期待があれば、逆にそれは強化され、
さらに「期待する」ようになってしまうということ。

人は注目しているものを手に入れてしまうようだ。

この場合、期待への注目が強化されるわけだ。
これは、例えば、
心の底で自分が貧しいと思っていると、
貧乏を恐れ、貧乏に注目することによって、
貧乏を引き寄せる、と言われている。


アファーメーション・ワークの失敗はまさにこの法則に基づいている。

No.1276 - 2006/01/23(Mon) 10:06:26

Re: 私は人に期待はしませんーNo.1273 への返信 / かめ
思い当たるフシ、あります(苦笑)。
ってことは。要するに、人のことは言えない(笑)。

バイクに乗っていて、コーナーに差し掛かったとき、
「あ、オーバースピード!」と思ったとき。
これ、物理的なオーバースピードでなく、
自分の技量や自分の心理的な限界からみての
オーバースピードのときがある。

物理的なオーバースピードのときは、
コーナーを回りきれずに外側に放り出されるか転倒するしかない。
でも、技量や心理的な限界の場合は、腹を決めて
コーナーの出口をにらみつけてアクセルを開けると
転倒せずにコーナーをちゃんとパスできるときもある。
もちろん、恐怖心からブレーキレバーを握れば
フロントがスリップダウンしてあえなく転倒、とあいなる。

なんか、トンチンカンかも知れませんが
似ているような気がしたので書いてみました。
失礼。

No.1279 - 2006/01/23(Mon) 13:01:15
かめちゃんへーno.1270への返信 / じん
そう、そう。
二元とその超越次元を自由に行き来できること、
とぼくは思っている。

いずれに対する執着も落ちている。
そんな風に思っている。

ローエンの『信仰』という概念は、
ぼくと少し違うかもしれない。

信仰を通じて、信仰が落ちるとき、
そこに真の信仰があると思っている。

No.1271 - 2006/01/22(Sun) 18:18:36

Re: かめちゃんへーno.1270への返信 / まみたん
素朴な疑問

超越した人が、2元を行き来したいのかなぁ?

わたしならきっと2元の世界に戻りたいなんて思わないだろうなぁ、というか戻ると言うことそのものが『執着』『未練』のような気もするが・・・

どうなんだろうねぇ〜?

No.1272 - 2006/01/23(Mon) 07:31:56

Re: かめちゃんへーno.1270への返信 / かめ
じんさん

うーん、まだわかったようなわからないような。
ただ、「信仰」も二元の枠でとらえることはできるんですね。
そこはわかる気がする。

あ、でもかめは「知ること」に執着してるな(笑)。

まみたんさん
かめの妄想ですが、戻ることそのものは執着や未練じゃないように
思えます。というのは、二元性を越えていると、
戻りたくて戻るんじゃなくて、戻るもよし戻らないもよし、という
自由を感じるからです。
そこにいなければならないとか、そこにいるべきだとかじゃなくて
ちょっと軽いですけど「どこにいようかなぁ〜?♪」みたいな感じ。

自分がどこにいるか客観的に見えていて、居場所を自由に変えられる、
みたいな感じなんですが、どうでしょう?

余談。
悟ってる人は自分のこと「悟っている」って言わない(笑)。
「私は人に期待はしません。」とのたまっている人が、「これはああだ、それはこうだ!」と人に文句を言ってたりします。それ、「人に期待してる」んじゃなかろーかと。

No.1273 - 2006/01/23(Mon) 08:37:38

Re: かめちゃんへーno.1270への返信 / まみたん
ゲゲッ!

私はよく言うてるわ「人に期待しない」って
子どもにも「別に期待はしてないから好きに生きて!」って
実は、めちゃ「人に期待してる」んやろか?!(笑)
確かに、期待していなと言いながら、たまたま思っている通りに誰かがしてくれたりしたら、すごく嬉しいもんなぁ〜

ただ、ひとそれぞれに世界が違うので、自分が相手に対して期待するには「違いすぎる」とか「分からない」ということもあるかなぁ

No.1278 - 2006/01/23(Mon) 12:52:12
自由と不自由 / じん
自由と不自由は相対概念なので、
光りと闇、苦と楽と同様、
自由がなければ不自由はないし、
不自由がなければ自由はない。


その意味で、
自由を感じる人は不自由であるし、
不自由を感じる人は自由である。

古来、意識の成長を語ってきた人は、
自由と不自由の二元性の超越を語ってきた。

その意味で、
自由を語る人は不自由だし、
不自由を語る人は自由なのだ。

二元性を超越した人は、
もはや、自由、不自由を語らない。
それはもはや問題ではない。

No.1265 - 2006/01/19(Thu) 22:46:36

Re: 自由と不自由 / まみたん
いややぁ〜!
二元性なんて越えたくな〜い
語り合えないなんて、おもしろくな〜い
二元性越るより、もっと二元性を楽しみた〜い
不自由からいかにして自由をみつけるかを楽しみた〜い

だって、皆が二元性越えたらこの掲示板なくなっちゃうやん

問題があるから人間してる
人間してるから問題がある

だからおおいに語り合おうぜ〜♪

No.1266 - 2006/01/20(Fri) 08:24:56

Re: 自由と不自由 / かめ
じんさんとまみさんの書き込み読んで書きたくなりました。

>二元性を超越した人は、
>もはや、自由、不自由を語らない。
>それはもはや問題ではない。

そこへ行きたいような気もするんですよ。
でも、行けるんかなぁ?なんて考える。
まぁ、考えているうちは行けないんでしょうけど(笑)。

>いややぁ〜!
>二元性なんて越えたくな〜い
>語り合えないなんて、おもしろくな〜い

そう言えば、悟った人同士が対面で座ったらどうなるか。
そんなことをある人があるところで書いてはりました。
二人とも、ずっと無言で見つめあって座っているそうです。
ただ、座っている。

生き辛さをなんとかしようというのがきっかけで
この世界にやって来ましたが、
かめはまだまだ人と語り合いたい、というより
人と話したいし、聴きたいと思っています。

二元性の中で生きてて、苦しくなったらそんときゃそんとき。
楽しいうちは楽しんでいたいなぁ、と。

No.1267 - 2006/01/20(Fri) 10:42:08

Re: 自由と不自由 / じん
そう、苦楽も相対概念。
楽を持てば苦を持つし、苦を持てば楽をも持つ。

相対概念を生き切るのが、
肉体持った人生の課題かもね。

No.1268 - 2006/01/20(Fri) 22:09:53

Re: 自由と不自由 / かめ
あ。今なんかわかったような気がする。
二元性を越えたら、超えっぱなしかと思ってたんですが。
ひょっとすると、そうじゃないんですよね?

苦楽で言えば、二元性の次元では
苦と楽の間を行ったり来たりしてるわけですけど、
超越すると、超越した次元と二元性の次元を
自由に行き来できるんじゃないのかなぁ。

二元性で楽しんで、苦しんで、苦しみがつらくなって
楽に行こうとするんじゃなくて、どちらかしか選べない
状態から苦楽のどちらも内に持っているというか、
どちらを味わっても自分の存在が別にある
安定感というか安心感がある、みたいな。
ゼミ1の授業で出てきた「信仰」ってこのことかなぁ。

うーん、なかなかうまく表現できない。

No.1270 - 2006/01/22(Sun) 17:45:43
自由と不自由 ?A / じん
わたしたちは、
変えられる不自由を自由に選択することで、
ある種の自由を楽しむ。

野球であれ、将棋であれ、どんなゲームにも、
ルールという名の不自由が設定されている。
そしてそこに、それなりの楽しみがある。

変えられない不自由は、
気持ちよく付き合うすべを自由に選ぶことだ。

いずれにしろ、サルトルの言葉を借りれば、
人は自由であるべく呪われている。

私たちは自由を運命付けられている。

人は一瞬、一瞬、思考(考え)と行動を選び、
その人の人格を創造し、環境と運命を創造する。

まさしく、ジェームズ・アレンが言うように、
「あなたのまわりの環境は、
あなたの『人格』を映す鏡です」

環境に不服を言う暇があれば、
自分が自由に選択している、
思考と行動を見てみることだ。

再び、ジェームズ・アレンの言葉を借りれば、
「心の中で考えていることは、確実に実現されます」

No.1269 - 2006/01/21(Sat) 06:23:07
自由な心 / せせらぎ
 私たちはよく模倣します。物理的な次元での模倣は進歩の大きな要素の一つですが、心理的な次元での模倣は依存であり、逃避であり、破滅なのです。私たちはこれに気づいていません。
 心は自由でなければなりません。真理や悟りや愛と呼ばれるものを見いだすのは、一切の権威と模倣と習慣を放棄した自由な心だけです。
 自由な心は瞑想法も、心理学も、宗教も、書物も、導師も、経験も、憶測も、過去も、未来も必要としません。
 私たちは己に問うべきです、己の心が自由であるかどうかを。
 そして、己が心であり、心が己であることを知るべきです。

No.1259 - 2006/01/18(Wed) 17:57:59

Re: 自由な心 / あすか

せせらぎさんとは考えが違いますが、「自分なりの自由」を考えてみました。


私たちは生をうけ、生きていくうえですでに経験を手にして生きていると感じています。

経験するということは、知識も手にしていくことだと思っています。

私は心理学を勉強して、生きるという事がずいぶんと楽になってきました。前よりも選択肢が増えて、どんどん自由になってきました。

すでに私は、瞑想、心理学、宗教、書物、導師、経験、憶測、過去を手にしています。
私はこれらを生かして、更に自分を前よりも自由にしてあげたいと思っています。

一切の権威と模倣と習慣を放棄するなんて、私にはできないなぁ。

「あたし」って今までの積み重ねがあるから「あたし」なのだし、積み重ねてきた「自分」を愛していきたいと思っています。

レベルにもよるけど、心理的な模倣での「依存」「逃避」「破滅」はその人にとってそうすることが、その時必要なことだと思うので、それでいいと思っています。そのことも味わって、学んで、自由へと向かう、そういった過程を「人」は一生繰り返すのだと思います。

「自由」に対して感じるのは、「自由」とは無限だし、完全なる自由は生きているうえでは手にすることは出来ないと思っています。
そして「自由」という名のもとに、「自由」を放棄していることも気づき、愛していけたらいいなぁ・・と思います。

せせらぎさん、「私の考え方、感じ方」を整理するきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。

No.1261 - 2006/01/18(Wed) 23:37:38

Re: 自由な心 / まみたん
まず『己が心であり、心が己であることを知るべきです』に
私は、せせらぎさんの文章がなぜか権威的に思えました。

皆さんは、どうかなぁ?

もしかして、私だけ?
(もちろん感じるのは、その人それぞれの自由でょうが)
『ベき』はすでに自由をうばっていると思いますがどうでしょうか?

私は、その人が生きていく上で必要だと思うものを手に入れることも、心理的次元の模倣することも自由であっていいと思います。
ただそれを続けていくと、そこから苦痛が生じるでしょう。
しかし、それが本人自身の『真の自由』への学びへと進んで行くエネルギーになると思うからです。

人それぞれまず体験が必要だと思うし、「知識」がメインになってはどうかと思いますが、自分の内から湧き起こる「知恵」のサポーターとして働くなら、それもヨシ!!って感じますが・・・

人間って皆が皆崇高ではおもしろくないだろうなぁと思うと同時に「すかたん人生」おおいにバンザ〜イ!と思える今日この頃・・・ 
少なくとも、私は真の自由を目指して「我がまんま」に生きて行きたいで〜す♪

自由に自分の考えや思いを伝えられるこの掲示板に感謝!

No.1262 - 2006/01/19(Thu) 09:38:19

Re: 自由な心 / かめ
まみさん、僕もせせらぎさんの書き込みを読んで、
「〜でなければならない」とか「〜べき」という言葉は
権威的だな、と感じました。

あすかさんと同様、僕の考え方も少しせせらぎさんとは違うようです。

僕は「自由」とは「自らを由とすること」だと思っています。
簡単に言えば、自分で自分のことが選択できること。
そして自分の選択に責任が持てること。
もっと単純に言えば、自分で「よし!」と言えること(笑)。

僕は自分に「よし!」と言っていたいなぁ。

以前よりは随分「自由」になったなぁ、と思います。
これもあすかさんやまみさんの言うような「真の自由へのプロセス」かも。
ま、おかげさまで結構苦しんできてますが(苦笑)。

>自由に自分の考えや思いを伝えられるこの掲示板に感謝!

同感!

No.1263 - 2006/01/19(Thu) 15:19:36

Re: 自由な心 / じん
いい感じですねぇ。
皆さん自由に語り合いましょう。
それが、エンカウンターフォーラムの目的ですから。

で、ぼくも一言。

「心は自由でなければなりません。」

とのことですが、
<なければならない>ことがあるかぎり、
どうも不自由だなぁと思っちゃいますぅ。

「私たちは己に問うべきです、」

とのことですが、
一切の問いが落ちたとき、
自由は向こうからやってくるように思えますぅ。

少し堅い話をすれば、
一切を目撃する目撃者を確保できたとき、
目撃者である私は自由だと思えます。

さらに言えば、
目撃するものと目撃されるものの
二元性が超越されたとき、
真の自由がやってくるように思えます。

言葉遊びも結構楽しいものですねぇ。

No.1264 - 2006/01/19(Thu) 17:37:02
国際フォトアートフォーラム2006を終えて / あすか
国際フォトアートフォーラム2006は、昨日、今日と開催させてもらい、無事に終了となりました。
来てくださった皆様、応援してくださった皆様、ありがとうございました。
今回、写真を展示させてもらい、自分なりに気づきもありました。
私の場合、「他の方の写真の方が、自分のと比べて良い作品だ!! 私のには価値がない!! 」というふうに思い、ある一方では、「人それぞれで、良い とか 悪い とかはないんだ!!」と何回も自分に言い聞かせては、両方の思いに葛藤をおこしていました。頭だけでわかってても、だめなんですね。
自分の中にはまだまだ自己否定的な部分があり、自分や、自分が表現したものを愛するという部分が、私にはかけているなぁ・・とつくづく感じました。これからゆっくりとでいいから、自分を愛していきたい、そしたら自分の作品も愛おしくなるんじゃないかと感じました。

そして、わざわざ足を運んで見に来てくださったかた、応援してくださった方から愛を感じた自分がいました。
心より感謝しています、有難うございました。そして一緒に写真展を開催した仲間にもいっぱい助けてもらいました。みんな、みんな、有難う!!

No.1255 - 2006/01/09(Mon) 00:14:40

Re: 国際フォトアートフォーラム2006を終えて / ばんびのすけ
御多忙のところ、ありがとうございました。お花やお菓子の差し入れまで頂いた
ことに4人全員恐縮してます。展覧会は、創る側と見る側の2者により、はじめて成り立つ行為です。
つまり「人との交流」が目的ともいえます。ありがとうございました。

私個人は、それぞれの作品は個性的で素晴らしいと考えています。
いいとか悪いは個人の価値観です。
「ヤマトの森雪」と「ルパン3世の峰不二子」とどちらが好きという位の
ことです。えっ?違うって?あらま、失礼しました。

No.1256 - 2006/01/09(Mon) 13:41:06

お礼と感想 / かめ
お礼が遅くなり失礼しました。お越しいただいたみなさま、ありがとうございました!
そして「都合で行けない(かった)けど、頑張って」というような応援のメールを下さった方にも感謝しています。
とても楽しく嬉しい展示会でした。作品の発表、あすかさんの気持ちにはとっても共感できます。どうも自分の作品(だけ)が出来が悪いように思えて仕方ないんですよ(苦笑)。
ところが面白いもので、来場いただいた方と一緒に作品を見て回りコメントをいただいているとき面白いことに気付きました。
まず素人が作品展をすることそのものがスゴイ、なんてお褒めの言葉をいただたりするわけでして(ばんびのすけさんはプロだから話は別になるんですが)。
もちろん、かめにとってはものすごく嬉しかったです。自分の気に入った作品と、人気があるというか来場者が気に入って下さる作品に違いがあったりするのもなかなか興味深かったなぁ。
次回はもう少し早めに告知するようにしますので、今回お見えいただけなかった方、ぜひお越し下さいませ。
ありがとうございました!!<(_ _)>

No.1260 - 2006/01/18(Wed) 22:49:04
出張 / じん
本日夕方より、18日夜まで出張で、
名古屋に行きます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

連絡は、JBIの電話、
06−6599−2355で取れますので、
よろしくお願いいたします。 こはら

No.1258 - 2006/01/16(Mon) 13:45:56
国際フォトアートフォーラム2006 / 参加者のひとり
きたる1月7日(土)、8日(日)に大阪駅前第2ビル5階大阪市立生涯学習センターのギヤラリーAにて「国際フォトアートフォーラム2006」が開催されます。このイベントは、写真をアートにするをコンセプトに、結成された団体です。参加者は、全員JBI御馴染みの・・です。(誰?)
7日は午後1時から6時まで。(午前中は準備しています。)8日は午前11時から午後4時まで(予定)
もし、お時間があるか、もしくは梅田に遊びに出てきたついでに、お越しくださいませ。

http://www.manabi.city.osaka.jp/Contents/lll/center/acc.html

No.1245 - 2005/12/30(Fri) 15:12:39

Re: 国際フォトアートフォーラム2006 / 参加者2号
今回、初めて写真を撮って皆に見てもらうという経験をします。書初めを出品したときのような気分です。ドキドキしています。よかったら見に来て下さいね。
No.1246 - 2006/01/01(Sun) 18:57:28

Re: 国際フォトアートフォーラム2006 / 参加者3号
 僕も作品の発表は今回が初めてです。撮ったら撮りっぱなしにしていた写真が日の目を見るのは嬉しいやら恥ずかしいやら。良かったらお越し下さい。参加者一同、お待ちしております。
No.1254 - 2006/01/06(Fri) 21:58:00
ゼミ6日程確認 / ねこ
明けましておめでとうございます。
今年もお世話になります。よろしくです。

さて、このHPのスケジュールとかホロスには1月のゼミ6、
12日(木)となってるんですけど、間違いないですか?

No.1248 - 2006/01/02(Mon) 23:34:33

Re: ゼミ6日程確認 / ホロス仕事人
ねこさんへ
過去記事参照して下さい。

No.1250 - 2006/01/03(Tue) 14:20:48

ゼミ6日程確認 / ねこ
わかりました。ありがとうございます。
No.1251 - 2006/01/03(Tue) 15:10:45

Re: ゼミ6日程確認 / 宮崎 礼子
ねこさんごめんなさい
以前この場でお知らせしましたが、ホロスに載っているのは間違いです。基本的には第2水曜に変更はありません。(但し、2月は第3水曜日ですが)
ホロス仕事人さん
わざわざご返答ありがとうございます。

No.1253 - 2006/01/06(Fri) 21:56:42
遅ればせの年賀 / じん
明けましておめでとうございます。

年末年始と、取り込んでいまして、
ご挨拶が遅れてしまいました。

皆様のおかげで、JBIも11回目のお正月を迎えました。
スタッフ一同、心から感謝いたしています。

本年もよろしくお願いいたします。

ご存知のように、JBJは、人間生活の様々な領域、
身体、心、精神、人間関係、社会、自然、・・・に、
全体性とバランスを取り戻すために、
バランスとアンバランスのバランスを取り戻すために、
生涯学習(LEARNINING TO BE)の一環として、
カウンセリング、セラピー、ボディワークなどの、
ヒーリング(癒し)を中心に活動しています。
そしてそれらが、多くの人たちの暮らしの中に根付くことを目指しています。

観点を変えて言えば、インナーピース、
インナーデモクラシーを目指しています。
内面に平等と平和がなければ、
世界平和はありえないでしょう。
内なる愛が目覚めなければ、
世界はエゴの闘いの世界になってしまうでしょう。

平和に、安らかに、ゆったりと、
愛に満ちていたいものです。

そんな思いに満ちて今年も出発しました。
ご協力を心からお願いいたします。

                      2006年 元旦  代表 小原 仁

No.1252 - 2006/01/04(Wed) 03:28:07
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