 | 今日、京都で介護に行き詰まり母親を殺した息子さんに執行猶予つきの判決がでました。裁判長までが涙する気の毒な状況ではありました。そして裁判長は生活保護に対する行政のあり方にも疑問を投げかけていました。
私はこの息子さんの「他人に迷惑をかけてはいけない」と躾けられ、必死に自分だけで母親の介護をしようとされた人間性にはとても共感します。この方のお父さんは西陣の下絵書きの職人さんで、子供にも「人を頼らず自分の腕一本で生きてゆく」事が職人の甲斐性であると、人はそうであらねばならぬと言い聞かせてこられたのだと思います。私も職人の祖父にそう躾けられました。
10日ほど前に某国営放送の9時からのニュース番組で生活保護費の老人加算が打ち切られて、その分ゆとりが無くなった事を伝え、2人の老婦人の生活を放送してました。新潟県の84歳の方は市営住宅に住み、現在8万円の生活保護費を支給されているが、御風呂も4日に1度、副食は鮭一切れを3回に分けて食べる。頼りにしていた息子は病身になったので頼れない。若い頃から夫婦で働き子供1人を育てたが年金を払う余裕が無かった。 「最後は生活保護が頼りだった」と語られてました。
おかしいと思うのです。同じように夫婦共働きで子育てをしても切り詰めて国民年金をかけておられた方はたくさん居るのです(叉厚生労働省がいい加減な事をしていたのがばれましたが)切り詰めて年金を払った方は満額頂いても6万円強。国民保険にも加入して月最低でも一万円以上払い、家があれば固定資産税を払い、医者にかかれば3割負担する。生活保護で8万円もらい、医療保護で医者に診て貰っても無料、家も低所得者用の市営住宅に入居できれば固定資産税くらいの家賃で住める。
この不公平を無くさなければ益々国民年金をかける人は少なくなる。84歳の夫人は苦労もされたと思いますが、その年齢の方達は苦労のありようは違っても殆どの方がノホホンとは生きてこれなかった、その中でみんな老後はできるだけ行政にも親戚にも迷惑をかけないように考え、我慢もして生活保護のお世話にならずに生きている。生活保護費から老人加算が減るのくらいは我慢してもらいたい。
認知症の親の介護で無収入になりながらも親の生き様を見習い、生活保護の網の目からこぼれ落ちてしまう人達をなんとかする為にもみんなが少しづつ我慢をしなければしかたないのでは?と思いました。
ただ裁判官も御涙頂戴に終らせないで、これから増えるであろうこのような問題を省庁の垣根を越えて審議してもらいたいです。
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No.2158 - 2006/07/21(Fri) 23:28:30
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