| 一期生('03.4-11)の頃は少ない情報を探し求め MOOK本にnetにて入手出来る事を知り 関心の無かったPCに手を出し(当時は仕事用を借りていた)PC内に記録が残らないよう細心の注意を払いながら (当時は)それでも細々とした情報に幸せを感じながら過していました。 いやぁー今、振り返ってもほんとに少なかった(自分のnet技術が未熟も原因) そしてそれは極一部の(といっても可なりの人数だった様で)水面下に静かに(波紋のように)広がっていった(BS放送だったのも)のも原因。絶対数のマスコミ何ぞは全くの無関心(~_~) それがファンの方は・・・。 '03.11末から12初めの 幻のファンミ(日本女性が玄海灘を超えてまでの<孫社長も半年掛けての口説き落とし>ホテリァ・ツァー)を成功させ 同年2度目の(12末BSにてNHK版吹き替え)集中放送した辺りからファンの絶対数が爆発!??
ここで解説(^^ゞ <何故ホテリア・ツァー??だと思いますので> 私も当時は解らなかったのですが 後日の情報を紐解いてみますと・・・。 先ず 初の「冬ソナ」がBSで放送される前に初期のケーブルTVで ホテリァー、愛の群像(可なりの反響が有ったそうです、余にも切ない、との事で)の放映があり 既にコアなファンの間では注目大、だった、そうです。それで命名がホテリァー・ツァーに。 処がそんな日本を尻目に既に東南アジアでは大フィバァー 台湾では海外第一号のファンクラブが(何れの物も公認では有りません)出来、中国(韓流の言いだしっぺ)シンガポール等々その人気は凄まじかった(今現在も)、そうですが。 ・して、しんがりの我国は‥\(◎o◎)/!ですよね^^
当のヨンヨンは海外の熱気には??だったとか。(隣国の情報規制なのでしょうかね 未だに其れを感じます) しかし初の映画の為には初の海外プロモ、も、ということで台湾 シンガポール 香港(何れも国賓扱い)を訪問、大成功(しかし香港で体調を崩す) そして大市場日本へ。 ↑も手伝って来日前に撮ったCM時にインフルエンザ発症(ママンも含めて多くのファンが来日延期をPCに打ち込み訴えていましたねぇ)でも彼は「約束したから・・」と脅威の体調回復を見せ(それでも多くのファンは無理しないでと毎日PC上で泣いていました)羽田に眩いばかりの姿で舞い降りました。(両国のマスコミが半信半疑の驚きを持って中継) それからは・・ご存知ですね。 彼の誠意ある姿は変化していません。(仮に今までの姿が演技だったとしても 此処まで徹底された姿を見せられた事に敬意をはらいます) 初来日以来ママンの心は↓の両手に象徴されています。
aakoさん 焦らないでね 何時か観れますよ。
ねこちゃんさん 来月届くのね 又そのころ感想を お話し しましょうね。 この主人公達については 子供がいなく結婚年数も浅い者に起きた出来事、とみています。 故に自分の人生に照らした時 この様な裏切りが起きたら、と考えると「看病なんか出来るかぁ(~o~)」です(^^ゞ
今日は回顧調になりました ヨロブン ミアネェ。
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No.4055 - 2006/09/27(Wed) 15:18:54
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