長いッス2
女優の佐藤寛子さんの情報掲示板。
ネタバレは制限しておりませんので、出演作品をまだご覧になっていない方はご注意

佐藤寛子さんを囲む夕べ… / fururu@管理人 引用
12月19日18時より。
日曜の夜かあ。
場所や内容は未定のようですが。
時間的にはバーか何かを借り切って、
アルコールも入ってって感じなんでしょうかね?

ファンみんなで「Can't hide」熱唱大会とかね。
まあ、彼女のキーでは歌いきれない確率100%でしょうけれど(汗)。

No.1874 2010/11/30(Tue) 23:07:26

Re: 佐藤寛子さんを囲む夕べ… / fururu@管理人 引用
まあ、考えられるのはクイズ大会とか、
ビンゴ大会とかですかねえ。
やったら楽しそうな企画…、
「ヒロコの熱中ロケリポート」とか、
「ヒロコのぶらり一人旅」とか。
手持ちカメラでご本人が撮影した動画を上映してくれると受けそうだけど。

No.1875 2010/12/03(Fri) 19:54:54

イベント詳細 / fururu@管理人 引用
●イベント日時:12月19日(日)
17:45開場/18:00開始
(およそ2時間を予定しております)
●場所:パサル新宿御苑店(新宿御苑駅2番出口より徒歩3分)
 http://r.gnavi.co.jp/g707702/
をご参照下さい。
●参加会費:10,000円(当日に受付にてお支払い下さい)
●定員に限りがございますので、イベント参加希望の方は必ず
hiroko.info@beside-web.com にメールをお送り下さい。
 (弊社への、電話でのお問い合わせはご遠慮下さい)
→メールには、住所・氏名・携帯番号・メールアドレス・参加人数を明記して下さい。
複数参加の場合は各々の方の住所・氏名・携帯番号・メールアドレスもご記入下さい。
●ご参加下さった皆様に、ささやかではありますが、佐藤寛子からの
「オリジナルビデオレター」と「手作りお土産」をプレゼントさせて頂きます。
●当日は、本人によるトークやビンゴ大会(本人からの景品あり)などの他、サプライズ企画も予定しております。

No.1877 2010/12/04(Sat) 00:38:42


ちょっとした動き情報 / fururu@管理人 引用
映画「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」の
DVDが来年の2月25日に発売のようです。
しかも、劇場公開版だけでなく、
未公開映像を加えたディレクターズカット版も同時発売。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004ELAYDY/ref=cm_sw_r_tw_dp_gFg-mb0VT7VR1


なお、明日発売のキネマ旬報12月下旬号に、
読者選出ベスト・テンの投票葉書が綴じ込まれているそうですよ。
ファンとして、まずは投票してみますか!
http://p.tl/gDz9

No.1876 2010/12/03(Fri) 19:59:46


寛子のつづれづれなるままに#8 / fururu@管理人 引用
佐藤さん出雲づいてるのね。
前も書いたけど、出雲は海も山も綺麗でっせ!
初夏に行くのをお勧めしマスです。

お医者さんは体だけでなく心もケアしなきゃ行かんよね。
心のケア、ある意味長年にわたって、
佐藤さんにお世話になってきた気がするなあ。

プラネタリウム、お台場の未来科学館のやつ、
結局まだ見られてないなあ。
因みに、私が隣にいたら絶対に寝たりしないッス!!

No.1873 2010/11/29(Mon) 23:26:21


101121松尾堂「星空を見上げて 宇宙を感じる」 / fururu@管理人 引用
ゲスト:山崎 貴さん、遠山御幸さん。

宇宙戦艦ヤマトネタ、携帯プラネタリウムネタが楽しみです。

No.1872 2010/11/21(Sun) 09:03:50


地元付近の「ヌードの夜2」上映 / fururu@管理人 引用
フォーラム福島 本日より上映開始来週いっぱい(1日1回20:50〜orz)。
フォーラム仙台 来週いっぱい(1日2回16:30〜、21:05〜)。
フォーラム那須塩原 27日より。

地元近辺でで見るとしたら、
フォーラム仙台かフォーラム那須塩原になってしまいそうだな。
近辺いうても他県なんだが。

No.1871 2010/11/20(Sat) 11:18:18


101114松尾堂「味と笑いで心も体も楽しむ」 / fururu@管理人 引用
ゲスト:三國清三さん、大棟耕介さん。

三國さんの料理をいただけたようで、良かったすなあ…。
さて、どんなお話が展開されマスやら。

No.1867 2010/11/14(Sun) 10:56:43

Re: 101114松尾堂「味と笑いで心も体も楽しむ」 / fururu@管理人 引用
食もクラウンも、
相手に喜んでもらうこと相手に合わせることで幸せを感じる、
ホスピタリティという面で共通するという箇所に
感銘を受けたという佐藤さんでした。

佐藤さんが「反省する」という言葉に、
ファンとして思い当たらないでもなかったり(笑)。

でも松尾さんが、
貴女も自分たちの仲間の一員であると言葉をかけて下さって、
何だかジンときましたね。

No.1869 2010/11/14(Sun) 14:02:27

Re: 101114松尾堂「味と笑いで心も体も楽しむ」 / fururu@管理人 引用
トピックスネオでの佐藤さんは前回と同じ茶色のドレスですが、
久々におでこ全開です。

そしてイイ笑顔だ。
この赤鼻シールはきっと貰えたんでしょうね。

No.1870 2010/11/16(Tue) 22:13:57


101107松尾堂「新たな視点で 歴史を読み解く」 / fururu@管理人 引用
ゲスト:池上永一さん、磯田道史さん。

磯田さんのいる茨城大学って、ユニークな先生が多いような気が。
アンコウ鍋も有名な土地柄よね…。

No.1865 2010/11/07(Sun) 08:59:42

Re: 101107松尾堂「新たな視点で 歴史を読み解く」 / fururu@管理人 引用
磯田さん、出身校がお隣さんじゃないか。
高校時代、すれ違うぐらいのことはしていたかも。
しかし、あのシャツは「無い」ように見えなくもないが、
気のせいかもしれない(^^;)。
近いだけ見方が厳しくなるのは世の常(^^;)。

佐藤さんはイイ笑顔!

No.1866 2010/11/11(Thu) 23:34:47

Re: 101107松尾堂「新たな視点で 歴史を読み解く」 / fururu@管理人 引用
池上さんと磯田さん、
何かと縁がある感じでしたねえ。

仲間由紀恵さんも、リング0の頃は駆け出しの、
どちらかっていうと声優よりの女優さんだったのに、
いまや大活躍ですよねえ。

岡山は確かに、移籍の上に町があるんですよね。
私の遊び場になる小山とかは殆どが古墳でしたし、
近くの小川の砂を掘ると弥生式土器がウジャウジャ出てきたものでした。

トピックスネオでの画像でも良い笑顔だったし、
楽しい収録だったんでしょうね。

No.1868 2010/11/14(Sun) 12:10:01


寛子のつれづれなるままに#7 / fururu@管理人 引用
月末恒例の更新でございます。

佐藤さん、財布落としたらしいですね。
でも無事見つかったそうです。
こういうときは警察は有り難い。
そして、免許証の写真撮り直して置いて良かった(笑)。

原宿のスーパーよさこい祭りに遭遇して、
妹さんと二人で心動かされたそうです。
何かに打ち込む人々の姿、勇気をもらえそうですよね。
でも涙目になるぐらいの感動ってのは、
何かそうなる背景が別にあるような気も?
それにしても、価値観の近い妹さんが近くにいてくれて、
本当に良かったですなあ…。

撮られることを職業にしていたこともあり、
今も写真集に興味のある佐藤さん。
梅佳代さんの写真集にも以前から興味があったらしく、
今回の収録は良き出会いになったようですね。

先日私も、本棚に並ぶ「男の子」という写真集見たなあ。
自分もかつては安和だったなあと思いつつ。

梅佳代さんの撮った佐藤さんのポートレート、
どんなだったんでしょうねえ。

鳩の連係プレイは初めて知りました!
キジバトかなあ?
鳥の社会行動、私も見てみたいなあ…。

そしてちっちゃい稚貝が波に流されまいと懸命に踏ん張る様、
それもめったやたらとお目にかかれない、決定的瞬間よね。
得しましたねえ〜。

最近みたとっても不思議な光景、
メダカが塩食べるところかな〜。
飼い方にも寄るんでしょうけれど、
淡水魚ってきっと、しょっぱいものが好きなんですよ。

さてさて、ではまたひと月後に、
佐藤さんの文章が読めるのを楽しみに待ちますか。

No.1864 2010/11/01(Mon) 21:51:30


TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』 / fururu@管理人 引用
40分弱に渡り、「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」について熱く語っておられます。聴いていて胸が熱くなりますね。 http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20101030_hustler.mp3

佐藤寛子さんという、可愛らしい、性格の良い女優さんが演じることで、
れんは本当はこんな子じゃない、
れんが愛情に包まれて育ったらそうなるはずの、
本当の姿が想起されるという説明。
彼女を知っている人間ほど悲しみを感じ、
紅次郎のようにれんに引き込まれてしまう。
同意です。

No.1860 2010/10/31(Sun) 15:02:25

Re: TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』 / ピロアギ 引用
いつもお世話になっています。ピロアギです。

ポッドキャストから聞かせていただきました。
その熱い語りにまた聞きたくなりました。

管理人殿、有難う御座います。
それでは失礼します。

No.1863 2010/10/31(Sun) 20:54:38


映画「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」感想 / fururu@管理人 引用
最近の日本映画ではまず見られないハードで暗い物語ですが、
熱い映画狂たちが結集して生み出した「儚くも強い作品」ですね。

佐藤さん、身も心もすべてを晒して、
歯を食いしばってヒロインを見事演じ切ったと思います。

演技力7.8点、貢献度8.9点、作品知名度7.0点、作品完成度7.6点。
総合7・8点。

文句なく、佐藤寛子の代表作になりますね。

演技力については、
撮影前半まだ石井組になじんでないころは
全体的に演技にぎこちなさもあり。

しかし、悪魔が取り付いたかのように殺人を決意した風呂場のシーン。
ポン引きを殺害する活劇。
紅次郎の部屋で、皮膚が衣装であるかのごとく自然体に、
可憐な少女を演じ切ったシーン。
ドゥオーモでの狂気と苦悩と悲しみがほとばしり出る活劇。
これらは正当に見て、一流の役者の仕事だと評価されるべきでしょう。

特に、れんの最期は、
苦悩と悲しみが噴火するかのよう。
そして一瞬の覚醒と、死による苦しみからの開放。
次郎の慟哭。
私はこの映画、もう5回見ていますが、
回を追うごとに胸に迫るものが大きくなってくるようです。
涙なくしては見ていられません。

絶叫する彼女の言葉は、
まるで「間違いが生まれた」
あのときの幼いれんが発してるかのような口調。
それが狙いなのか自然に出たものだったのかはわかりません。
ただ、そのたどたどしい言葉が、
とても耐え切れないほどの苦悩を感じさせて、
紅次郎同様、胸が締め付けられるのです。

貢献度に関して。
「強い映画」
といった時、
佐藤寛子さんの磨きぬかれた裸体は
有無も言わせぬ力を持っています。
これは最大限に評価されるべきでしょう。

私も男ですので、
あのローションプレイでみせた乳房の質感、
しなやかでありながら絶妙の凹凸を持つ体幹の造形、
透けるように白い皮膚は、
夢に出てきそうなほどのインパクトでした。


作品のお気に入り点などは長くなりそうなので、詳細はまた後日。

舞台挨拶の最期、
ちょっと高い階段をヒールをはいた佐藤さんが降りるとき、
会場係の方が手を差し伸べて、
手をとった佐藤さんは貴婦人のような風情となりました。
そういった気遣いはうれしいですね。
それが彼女への敬意のように見えて、なんだか良かったです。
できれば監督か竹中さんにその役を果たしてもらいたかった気もしますが、
贅沢は言いますまい。

No.1814 2010/10/03(Sun) 03:46:00

作品評1(ネタバレ有り) / fururu@管理人 引用
不思議な作品で、現実と非現実が混じり合っている気がします。
それも作品の前半と後半でその度合いが大きく違っているような。

老人を殺害し、ミンチにして富士山麓に撒くところから始まった物語。
ヒロインれんのミスで、被害者の時計を一緒に撒いてしまい、
代行屋の紅次郎に回収を依頼します。

れんは車を運転できないこともあり、
自力では回収不可能であることが理由の一つ。

次に、れんの二度目の依頼で「多絵」なる人物を捜す展開に変化し、
紅次郎にとってショッキングな形で、
多絵の正体を知ることになる。
ここまでが前半のような気がします。

この、多絵の正体が明かされる場面が悲しい。
店の奥で、なにやら男女が絡み合っている気配がして近づくと、
ポールダンスのステージに多絵(=れん)の靴とキャミソールが
脱ぎ捨てられている。

男女が交わっているらしい部屋に近づく次郎。しかし、
「ここから先はプライベートエリアなんで」
と接近を遮断されてしまう。
姿はハッキリとは分からないが、
あの天使と思っていた娘の聞き慣れた声が、
見ず知らずの男の機械的な動きに同調して漏れてくる。

…これキツイですよねえ。

全てを知った次郎が去ろうとすると、
多絵(=れん)が次郎を呼び止める。
「みんな、私のこと悪く言ってました?女の転落パターンだとか、誰とでも寝る女…とか。父親と!」

なぜ、れんは次郎を呼び止めたのか。
多絵(れん)は客と交わるときは感情をCENSOREDいるはずですが、
自分を天使と思ってくれていた次郎に正体を知られ、
思わず心が乱されたのだと、そう思います。
そして、悪ぶらずにいられなかったのだと。
その悲しさ。
この映画の中で、個人的に印象深いシーンの一つです。

そんなれんの心を知ってか知らずか、
「いえ、皆さん、天使のような、皆に元気を与える少女だった、幸せにしてるかなあ?…って。」
という言葉を残して去る次郎。

多絵に関わった人々が実際にこう言っているかどうかは、
映像では示されていません。
もしかしたら、これは次郎の作り話かもしれない。
だとしたら、本当にハードボイルドですよね。
私だったら、逃げるようにその場を去ることしかできないかもしれません。

このシーンが強く印象に残ったのはきっと、
私が佐藤寛子さんのファンとして、
「プライベートエリア」への接近を禁止されている立場だから。
次郎に自分を投影しやすいのでしょう。

そして後半ですが、
私がポイントに挙げたいのは、
クライマックスでれんが次郎に、
自分の体に付いた傷は父親につけられたのではなく、
一人で「ドゥオーモ」に来て自分でつけたのだと、
次郎の「同情」を切り捨てようとするところ。

しかし前半で、
れんは車を運転できず、
一人でドゥオーモに行くことは出来ないことがわざわざ描写されています。
だから、れんの言葉にはウソがあるんです。
おそらく、苦しみのため、
自然と自分さえ騙してしまうのかもしれません。
私は、事実としては、
本当に父親につけられた傷なんだろうと推測してますが…。
観客は二重に騙されているのだと思います。

ここに象徴されるように、
後半は虚実入り交じった展開になっているようです。
子供の頃に虐待された人間は、
空想の中に逃げ込むことで自己防衛することを身につけるのだと、
どこかで読んだ気がします。
どこからどこまでが、れんの空想なのか…。

ドゥオーモと呼ばれる石切場で、
監督は佐藤寛子さんにこう言ったそうです。
「ここのシーンを撮るときには、洞窟全体がれんになるから。」

それに対して佐藤さん、個人的な受け止め方と断った上で、
ドゥオーモというのは、
れんの頭の中を表しているのではと発言されています。

石切場の殺伐とした洞窟は、
れんの心象風景なのでしょうか。
現実が、れんというフィルターを通して表現された、
虚実入り交じった世界。

本当は、ドゥオーモで起きたようにみえる出来事は、
いつものバーで起こったことなのかもしれない。
更に飛躍すれば、れんはバー「あゆみ」で次郎に正体を知られた後、
父親に激しく折檻されてそのまま亡くなったのかもしれない。
その後私たちが見たのは、亡くなる直前のれんの頭の中で起こったこと。
そして前作同様、次郎の頭の中で起こったこと…。

勿論、これは私というフィルターを介した、
個人的な受け止め方ですけれど。

確かなのは、ラストにれんはいないということ。
傷ついた次郎が一人残されます。
食事もせず、このまま死んでしまいそう。

しかし、一人ではなくなるという展開。
幸か不幸か、彼は生きてゆきます。
私たちとともに。

最後に出てくる野良猫、
触れようとする次郎の手を避けながら
つかず離れず。
映画のパンフレットには脚本が載っていますが、
そこには単にキジ猫と書いてあるだけ。
うん、キジ猫は穏やかで、私も大好きですなあ。

No.1815 2010/10/03(Sun) 20:00:47

作品評2・やっぱり佐藤さんは可愛い… / fururu@管理人 引用
しかし既に6回見ているわけですが、
全然飽きませんなあ。

紅次郎の部屋での二人のシーン、
確かにエロティックではあるんですが、
それ以上に、佐藤寛子さんがすごく自然でかわいいんですよね。

石切場での撮影で自信を得たこともあるでしょう。
石井組に慣れたってこともあるでしょう。
そして何よりも、
れんとして確かに紅次郎に恋することが出来たせいでしょう。
次郎に抱かれているときの表情は、
本当に、恋する人間に抱かれる喜びにあふれているよう。

ネオンの前で、無邪気にトンボやクジラと戯れる姿。
写真集にあったように(映画では途中でカット)、
腰を折って顔を近づけ、次郎に軽くキスをする姿。
本当に、可愛らしい。
可愛らしいという言葉では言い表せないぐらい、
愛おしい気持ちになります。

そりゃ、次郎も完全に落ちますよ。

クジラの模型やブリキのトンボと戯れる下り、
シナリオには書かれていないんですよねえ。
キスももっと熱烈にするよう書かれています。
きっと、彼女の姿を見て、
彼女の可愛らしさを生かすべく、
現場で変更があったのでしょう。

佐藤さん、次郎の部屋での一連のシーンは
自分が狙ったイメージとは全く違って、
監督が新しい抽出を作ってくれたようなことを仰っていましたけれど。

そう、佐藤さんは昔からなめられるのが嫌いで、
強くあろう、大人びて、しっかり者であろうと、
自分を鎧で固めるところもありますが、
でも、本当に幼げで可愛らしい面だってあるんですよね。
そこ、とっても魅力的なんですよ。
これは良かった。

彼女の持つ様々な面が引き出されて、れんに投影されています。
見ていて飽きないんですよねえ。
特に、彼女の幸せそうな穏やかな表情が見られるこのシーンが大好きです。

No.1816 2010/10/04(Mon) 20:51:50

「無表情かつ、抑揚のない話し方」のシーンについて / fururu@管理人 引用
物語の前半、
れんが不自然なまでに無表情で抑揚のない、
まるで人形のような佇まいを見せるシーンがいくつかあります。
それは主にバー「あゆみ」のお店でのシーン。

まず顕著なのは、紅次郎が見つけたロレックスを受け取った後、
ショーを前に母親から化粧を施されているシーン。
次に、「遺言状」を持ち帰り、母や姉に自分の苦労を訴えるシーン。
台所で家族とシチューを食べるシーンもやや堅い感じ。
ショーの後店の奥で「矢野」に体を売っているところを
次郎に見つかるシーンも、ある意味そうでしょうか。

見るものに違和感を与えるこれらのシーン。
おそらくこれが、ムックの中でプロデューサーさんが言う、
「母や姉に対しても明らかに心を開いていない」と感じさせるところ。

心を開いていないのは十分にあり得ることです。
れんは彼女ら(特に姉)にシンデレラのように虐められ、体を売らされ、
その上、密かに彼女らを殺そうと計画しているわけですから。
母姉といるシーンは本心を隠し相手を騙すよう、
「芝居を打っている芝居」になるのですから。
ドゥオーモや、思わず心を開いて愛しかけてしまった次郎の部屋でのシーンとは、違う芝居になっておかしくはない。

ただ、監督のインタビューから考えて、
監督はれんを、相手を愛しながら、相手の愛を求めながら、
それでもしょうがなくCENSOREDしまうというキャラクターに
したかったのでしょう。
「ヌードの夜1」の名美が、愛しながら殺し、
殺した後、その愛に殉じてしまったように。
母の愛、姉の愛を求め、
相手を愛しながらも、
それでもCENSOREDしまうれんを求めたのかもしれません。
もっと相手に心を開いた芝居を、
内心求めていたのでしょう。

しかし、監督の本心はともかく、
脚本上、名美が殺したのは一人だけだったのに対し、
れんは、自分のために次々に人をCENSORED
殺伐とした人物として描かれている。
CENSORED理由が「自分を救うため、自分の過去を消す」というのも、
すぐには共感を呼びにくい設定。
連続殺人決行を決意したシャワー室での「削除、削除、削除…」
という言葉、人間味を感じさせず、極めて象徴的です。

ところで、殺したのが一人だけ、
というとあゆみの最後の独り言を思い出します。
「全く誰に似たんだか、でも自分は一人しかCENSOREDない」と。
この台詞からは、あゆみが名美で、
れんは母あゆみ(名美)の娘、
名美を凶暴化させた存在なのかと、そんな考えも頭をよぎります。

ただ、あゆみも、愛していたはずの元夫、
それゆえれんを憎むことになったはずの山神を、
何の感情も見せずさばさばと殺したわけで、
素直に受け取れば、名美的とは言い難い。

でもでも、あゆみが地底湖に転落したのは、
あれはCENSOREDだったんでしょうか?
名美と同じ最後?
直前のシーンがあまりにも怪物的で、
そうは解釈しにくいのですが…。
しかし、脚本ではあそこまで怪物的ではなく、
静かにぶつぶつ独りごちながら転落するんですよねえ。
石井監督の本心はどうなのか…。

しかし仮に、実はあゆみが名美的だとして、
最後の大竹さんの芝居は全くそれを汲み取っているとは思えないし、
観客も名美的なものにはまず気づかないでしょう。

だとすれば、佐藤さんがれんに名美的なものを感じないのも無理はない。
佐藤さんが演じたれんが、
監督のも求めたイメージと違ったというのも、
石井監督がそういわなければ誰にも分からなかったはずです。

話がやや脱線しました、
「無表情かつ、抑揚のない話し方」に戻りましょう。
おそらく佐藤さんは、
れんが愛を請い、愛したのは紅次郎だけと解釈したのではないでしょうか。
その解釈は決して間違っていないと私も思います。
ならば、あゆみ達といるときの心のない人形のような芝居は、
十分に理解できるし、筋が通っていると思います。

ただ、あの芝居では、れんの心閉ざし感があまりに顕著すぎて、
あれじゃ母も姉も、れんに警戒心を抱き心を閉ざしてしまうかも。
後からは何でも言えるものですが、
例え相手を騙すウソの芝居だったとしても、
やはりもう少し生き生きとした芝居で良かったかもしれません。

ところで、姉の井上晴美さんの芝居は、
れんを虐めてはいても人の良さが出て、
妹に心を開いている感じでした。
井上さんのキャラクターなんでしょうかね。
まあ、母親に愛されて育った桃は、
れんの心の闇には気づかないのかもしれませんが。

惜しむらくは、
前半の心を閉ざした芝居と、
後半の本心をさらけ出した芝居、
両方を観客が受け入れるには障害があった。
後半の展開、
石井映画のファンならともかく、
初見の人間には不親切に話が進み、
ご都合主義との印象を与えてしまいます。
しばしば観客が集中力を無くし、
結果的に前半の人形的芝居のイメージだけが残ってしまう。
後半の、彼女の熱演が印象に残りにくいんです。
それは佐藤寛子ファンとして、
彼女の実力を知る者として、
ちょっと残念なところです。

個人的にはこの映画、
1回目よりも2回目の方がずっと楽しめました。
なるほど、ネタバレしても面白みが減るどころか、
慣れるに従って味が分かってくる作品です。
現時点では9回見ていますが、
9回目でもラストの彼女の芝居からは、
れんの苦しみ悲しみが迫ってきて、
涙があふれました。
ぜひ、2回以上見ることをお勧めします。

No.1851 2010/10/21(Thu) 08:59:53

2回目を観るまで / ピロアギ 引用
キネマ旬報11月上旬号(表紙・浅野忠信)
P8に完成披露試写会の模様が1Pあり。
でも観に行かれた管理人殿なら既にチェック済みでしょうか?

ピロアギです。日も経たぬ内にまたお邪魔してしまいました。

結論から申しますと2回目の観賞に行ってきました。
その前に、そこに至るまでの過程を説明させて下さい。

前回、彼女への思いと感想を長々と綴れた事で
一区切りつけたつもりでした。

しかし、石井監督が"名美(的女性)"のつもりでキャスティング
しながらも、撮影の過程で、彼女を責めてる訳では無くとも、
途中でヒロイン像の変更に至ったような表現に未だ不満があり、
ついには映画のシナリオに疑問をぶつける始末でした。

「そもそも"れん"は"名美"になり得るのだろうか?」
「このシナリオに"名美"(的女性)は登場できるか?」

この点に関して以下の2点に絞って考えていました。
(参考として、"石井隆"より"石井隆論"を検索しました)

?@れんの生い立ちについて
 実父山神との関係、母や姉との関係、風俗関係に身を落とす設定
 悲惨という言葉以上に酷いものです・・・
 石井氏の描くドラマには、(過去の名美的)女性が転落する設定
 が多いようですが、れんは幼い頃から既に転落させられてます。
 これだと、過去の女性達が愛を知りながら人格形成されていき、
 その後に転落していくのに対し、れんは転落が先にあり、
 愛を知らずして人格形成されていったと解釈するのです。

?Aれんの家族について(?@と少し被りますが)
 実父山神は言うに及ばず、同居する母と姉も相当なもので、
 マンション建設の為に、相手男性の財産と生命を奪う事に
 何ら躊躇いなく、時にはれんに体を売る事を強要する。
 このような母と姉と同居し、日々を過ごせば、"男は敵"
 "奪う事は当たり前"と錯覚するのも無理はないと思うのです。

しばし悶々とした日々を送り(途中FaceMaker視聴)管理人殿の記事
No.1851を読んだ時、何か大きなヒントを掴んだ気になりました。
その想いを確認する為に2回目の観賞に向かいました。

結果、1回目以上に十分に堪能できました。正直1回目は、緊張の
方が大きかったです。まるで家族や知人(恋人とは言いません)の
大事な発表会を観に行く気分で、見終わった後は(映画なのに)
大きな失敗が無くて良かったとホッとした気分でした。

私は味音痴ならぬ演技音痴のような所があり、余程の棒読みでない限りその人の演技には及第点を与えるような所があります。
今回の場合、この映画の出演者達の演技に異論無く、むしろ
シナリオの方に目が行くのは私の性分なのかもしれません。

とは言え、管理人殿の記事からヒントをもらい、2回目の観賞で
大きな確信と新たな発見を得た今では、れん(佐藤寛子)の心情に
少しでも迫れたのではないかと思います。

もちろん管理人殿の見える所と、私の見える所には違いがあり、
それが基で不快に感じる点が連続するようでしたら、読んだ後に
速攻"削除"願います。

それでは引き続き映画の感想を書かせていただきます。
一旦締めさせて下さい。失礼します。 

No.1856 2010/10/28(Thu) 08:22:21

私の映画感想(前編) / ピロアギ 引用
れんの心情を中心に感想を書かせていただきます。

○物語の前半(特に母と姉との関係)について
 先の記事にて管理人殿が無表情かつ、抑揚のない話し方について
 言及した時、何故がピンときました。それは私が想像していた
 前の?@と?Aに繋がるものだと解釈できたのです。
 (前半の芝居が固いと評されても好意的に解釈できました)

 れんが母や姉に対し、心閉ざしている事に異論はありません。

 さらに注釈を加えるならば、"守りの姿勢(人生)"に入っている事
 を想像させるものでした。まだ母と姉に対する殺意は内心あって
 も明確に持てず、日々を如何に無事に過ごすか、如何に嫌な事を
 少なくできるか、この時点ではその事に神経を尖らせる人生で
 あり、その為に母や姉との会話を極力少なくしているのだなと。
 母と姉・桃が冗談や皮肉を言い合う仲に対し、彼女は不用意な
 発言で母と姉の機嫌を損ねる事を極度に恐れているのでしょう。
 おそらく過去幾度と無い暴力を受けた事から、母や姉の機嫌を
 とり打ち解ける事よりも、機嫌を損ねない事に重点を置く守り
 の姿勢をとるようになったのでしょう。また、死体解体作業に
 おいて、桃が途中我慢できなくなるのに対し、れんは母と姉の前
 では黙々とやり続けます。但し、一人になると流石に苦悶の表情
 を見せますが、やはり母と姉の機嫌を損ねたくないのでしょう。
 それは次郎と同様に"ただ生きているだけの日々"と想像します。
 
 そして自身のミスからロレックスを無くした時のれんの表情演技
 も然り。次郎により、やがてロレックスは見つかり一安心します
 が、ポールダンスの最中に山神が現れ、また事態は一変します。

○シャワーシーン(ターニングポイント)について
 山神の登場により、れんはこれまでの守りの姿勢(人生)では
 未来が無い事を悟り、周りの人々の殺害を計画します。

 以前にも触れましたが、当初はこのシーン、感情を押しCENSORED事を
 要求されます。私の解釈ですが、感情を抑える(守る)事で後に
 次郎の愛を受け入れられる体勢ができると解釈しました。
 しかし、れん(佐藤寛子)はここまで感情を抑えた(演技)のに、
 これ以上どう感情を抑えるのか素人目には全く分からない。
 (むしろ感情を爆発させる方が次の展開に繋がりやすいと)
 すぐにOKとならず何度も取り直したようで

 石井監督「何かが違うんだよ」
 佐藤寛子「何が違うんでしょう?」
 石井監督「それは自分で見つけてよ」 (サイゾー10月号より)

 石井監督は頭の中では既に映像が出来上がっているようで、
 それならもう少し言語化したらと思うのですが、最後は演者に
 任せる事で演者自身もその役に対する理解を深めてものにし、
 その事が演者自身の魅力を引き立たせるものと考える監督の
 ようです。

  "徹底した役者主義であり、現場主義。" (ムック本P89より)
 
 そして最後には感情を爆発させたれんが誕生しますが、石井監督
 はそれをNGとせず、OKとします。これによりれんは次郎から
 の愛を受け入れる事なく、"愛は惜しみなく奪うもの"との考えも
 含め、守りから攻めの姿勢へと転じたと思うのです。

 私の今の解釈では、石井監督に対して思う事は、
 "この映画に名美(的女性)を登場させる事は無理だった"ではなく
 "佐藤寛子に名美(的女性)を演じさせる事は無理だった"でもなく
 "佐藤寛子の性格を見誤りましたね"と言いたい所でしょうか。

 彼女が見た目によらず男前で、野心があって、なめられるのが
 嫌いな女性である事は、私も最近知った事です。
 石井流の追い込みで彼女の心の鎧を取っていったのは正しい事
 でも、このシャワーシーンに関しては、最後の点を役者に任せた
 事が仇となったのかもしれません。でもそこが石井監督の長所
 でもあり、これをNGとせずにちゃんと生かしている事が凄い所
 でもあるのでしょう。

 以降、れんの逆襲が始まりますが一旦締めさせて下さい。
 後編に続きます。 

No.1857 2010/10/28(Thu) 10:46:51

私の映画感想(後編) / ピロアギ 引用
●れんの逆襲
 もう彼女は迷わない。今まで奪われる一方だった自分の人生。
 それを返してもらってるだけだと。これはあの母と姉と同居
 してれば当然の心境でしょう。イメージを変えての次郎への
 依頼。スタンガンを入手してのポン引き屋の殺害。遺言書偽造に
 より母と姉を焚きつけ、後で山神を誘い出す。そして協力して
 もらう為に次郎を籠絡する為に自分の体に傷を付ける。
 (後のバーで姉が「どうしたの?その傷?」と言ってたので、
  少なくとも姉・桃は全く知らない事からそう解釈します)
 バーで山神とその愛人に迷わずスタンガンを撃ち、ドゥオーモ
 という洞窟へ運び出す。前半の守りの姿勢から攻めへと転じます
 が、そのれんが表情を変えたのが次の2シーンになります。

◎多絵=れんである事が次郎に悟られるシーン
 わざわざ自分で依頼してた訳で、最後は自分の所に来る事は
 当然分かっていた筈。ただ客と行為に及んでる最中に来られる
 のは全くの計算外かと。しかし、以前の(守りの)れんなら、
 ひたすら無言で堪えていた事でしょうが、協力してもらう為の
 縁が切れてはいけないと思い、つい次郎に話しかけたのでしょう
 か?やばい所を見られたと思った彼女は次郎の家に行きます。

◎ベットシーンの後の、ネオン点灯シーン
 正直自然だと思いました。攻めでも守りでもない"自然"。
 この映画の中で唯一かもしれないシーン。撮影順からすると、
 彼女の最後の撮影シーン。クライマックスを乗り越えた後だけに
 ついに一皮むけたという事なのでしょうか?ベットシーンでは
 まだ次郎を騙す"作業"があるので攻めなのかもしれないと思い
 ながらも、正直判別はつかない。ネオン点灯後に、トンボや
 クジラの置物(名美が置いていった物)と戯れる姿は、れんに
 とっても束の間の安息のようでもあり。彼女が裸である事も
 忘れて、心が和んでしまいました。

●クライマックス(ドゥオーモという名の洞窟)
 一人、また一人とれんの計画通りに、人が殺される。
 特に山神の殺害直後の彼女の表情はゾッとしました。
 電光石火で姉・桃を殺害した後、母・あゆみと対決するが・・・

◎母・あゆみの死について
 正直1回目観た時、あれ?と思いました。直前にあれ程の凄みを
 見せながら、その死はあまりにもあっけないものでした。
 計画の破綻による、感情の高ぶりから来る、足元を滑らせての
 事故死(頓死)とも思いましたが、資料を見る限りCENSOREDのよう。

 ひねくれた見方をすると、大竹しのぶさんに出演してもらった
 だけでOKなので、あえて母・あゆみの死の場面はぼかしたの
 かなとも勘繰ったりしましたが、ふとある言葉が浮かびました。

 「早くCENSOREDっ!」って言いながら、心の中では「私のために死んで、
 お願い」って頼んでるだよとか・・・  (ムック本P90より)
 
 まさか、母・あゆみがれんに対して見せた、最初で最後の
 愛情表現なのかとも思いましたが、だとしたらかなり難解
 です。私もひねくれ者ですが、石井監督も相当な者だと
 突っ込みを入れたくなりました。正解は分かりません。

◎れんの死
 刑事・ちひろが登場しても、れんの気持ちは折れません。
 ちひろから銃を奪い取り、二人とも殺そうとしますが、
 時折、「なんかいる!」と絶叫し、狼狽します。
 
 れんは回想シーンにて、ここには何か住んでいると言ってます。
 私は当初悪霊のようなものかと思いましたが、どうも違うよう
 です。このクライマックスに霊的なものを解釈に組み込むのも
 どうかと思いましたが、私なりの解釈を示します。

 この"何か"はれんの復讐の為に力を貸してたのかもしれない。
 それは母・あゆみの死までの目的を達成しましたが、次郎に
 対してはそれは違うと思ったのかもしれません。
 「この人は復讐すべき相手ではない。CENSOREDべき相手ではない」
 その事を"何か"が認識した時、れんの体から"何か"は離れて
 行ったのだろうかと。そして、その直後のれんの顔には悪魔が
 去って行ったような、純真無垢な天使のような表情が次郎には
 見えたのだろうかと。しかしその瞬間、ちひろの銃弾がれんの
 体を撃ち抜く・・・ こうして幼い頃から地底に堕ちた天使
 (堕天使)は自らの死により天に召されたのだろうかと・・・
 
●エンディングについて
 1回目は正直気にしてませんでした。れんの出番が終わった所で
 完全に気が抜けていました。それどころか、あれだけ山神殺し
 に加担していた次郎が無罪放免されるのはどうかとも思って
 ました。確かに直接の目撃者はもういないので、何とでも言い
 繕うの可能です。しかし、性善説男の次郎はそうしないだろう。
 「俺が悪いんだ」と自身を責め立て、正直に言うのではないかと。

 まあ、ちひろの必死の説得で何とか釈放されたのかなと思う事に
 しましたが、ここまで来れば、更なる解釈が出来ました。

 れんを失った(亡くなりましたよね?)直後、食を取らない次郎
 に対し、ちひろは毎日のように弁当を差し入れる。当初は全く
 見向きもしなかったが、キジ猫(れんの生まれ変わり?)の登場
 もあり、ついに食事するようになる。そしてちひろにも一緒に
 食べませんかと誘う。この時ちひろの目に涙が浮かぶ。

 これはもしかすると、ささやかながら監督が撮りたかった構図
 なのではないかと。ちひろの想いを受け、次郎が次の人生へと
 歩み出す。それは同時にちひろが次郎の想い人(れん)を射殺した
 事への呪縛から解放される第一歩でもあるのだと。そしてこの
 構図を次郎とれんで撮りたかったのだなと。

 最後にキジ猫が出て来て、あれはれんの生まれ変わり?という
 意見がある様ですが、僕は石井監督こう言いたいのです。

 「れんは猫かも知れないが、佐藤寛子はオオカミですからね!」

 とまあ、このようなひねくれ者で皮肉屋の私の魂が救われる事
 は一生無いかもしれませんが、それでも彼女の応援を私なりに
 ずっと続けて行くつもりです。

 彼女の飛躍こそが、自身の魂の救われる事だと信じて・・・

 最後まで読んでいただき本当に有難う御座いました。 

No.1858 2010/10/28(Thu) 13:10:38

Re: 映画「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」感想 / fururu@管理人 引用
ピロアギさん書き込みありがとうございます。

「ヌードの夜2」、見た人間がそれぞれ自由に解釈して楽しめる、
そして何度見ても新しい発見がある、
懐の深さがあるように思います。

さて、ピロアギさんが見に行かれたチネチッタをはじめ、
首都圏のシネコンでは明日で上映が終了ですね。

そして、11月の中旬以降、
地方都市で順次公開されます。
是非、映画館で2回以上見ていただきたいですねー。

No.1859 2010/10/29(Fri) 00:05:50

バー「あゆみ」での売春シーン / fururu@管理人 引用
多絵(れん)は客と交わるときは、
心を閉ざして自分を守っているんですよ。

それが紅次郎に声を掛けたとき、
一瞬、心が戻ってしまう。
それは悲しみであったり、とにかく人間らしさ。
その瞬間、男性客は興奮して激しく高まってゆきます。

どれだけ傷つくことか。

「みんなを明るくする、天使のような子だって」
という言葉を残して、紅次郎が去った後。
人の優しさに触れて、やはり一瞬、人間らしい感情が戻る。
そのれんを見て、
またしても男性客は激しく性的に興奮し、
れんを責め立てる。

彼女が人間らしさを見せたた瞬間、
男達に傷つけられ、奪われていった人生が、
象徴的に描かれたシーンだと思います。
こうやって、れんの心は壊れていったんでしょう。
忘れられない、悲しいシーンです。

No.1861 2010/10/31(Sun) 15:16:12

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