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NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / miyu
みなさん、こんばんは。
書きかけのレポ、保存したはずなのに見当たらないというアクシデントに見舞われ やり直し(ToT)・・・連休があったにも関わらず、ちょっと時間がかかってしまいました。m(__)m


この最終回は、いつもの語り手の唐沢さんに加えて、中野昭慶特技監督と桜井浩子さんがご出演で、たくさんのお話をしてくださっていましたよ。


NHK教育 知るを楽しむ 「私のこだわり人物伝」 『 円谷英二 〜特撮の神様〜 』

◆ 第4回 ここに特撮あり (9月26日放送分)  語り手:唐沢 俊一 さん。

ナレーション『東京世田谷にある 東宝撮影所。ゴジラが生まれたこの場所で、円谷英二をよく知る2人に話を聞いた。円谷の後を受け継いだ特技監督 中野明慶、チーフ助監督を8年間務めた。女優 桜井浩子、ウルトラQ・ウルトラマンでヒロインを演じた。』

唐沢『ここは、東宝の有名な大プールの跡。大プールと言っても、我々は写真なんかでは見たことあるんですけど…あそこの白い壁、あれはホリゾントにも使ったらしいですけど、あれがプールの壁でもあったわけですよね。じゃあ、向こうからずーっとプールですよね、ここぐらいまで。』

中野『そう、ずーっとプールですよ。おそらく100メートル四方…もうちょっとあったかな。』

ナレ『かつて この場所には、東宝撮影所が誇る 特撮専用の大プールがあった。その広さ およそ400平方メートル。完成したのは、昭和56年。円谷英二は、この巨大なプールを自由に駆使して、海から現れる怪獣・戦闘を繰り広げる戦艦を撮影した。』

唐沢『どうですか?桜井さん。そういうスケールの大きい人の前に立って、いろいろ演出されたりとかいうのは。』
桜井『その時は もう英二さんていうのは先生で、神様で。でも、ものすごく気さくな人でしたよね。』
中野『うん、そうよ。』
唐沢『圧倒されるというのではなくて?』
桜井『全然、全然。』
中野『特に女性は大好きだな…女の子には優しいんだからね。』(笑)
桜井『優しかったですよ、すごく。それで、この辺をですね…砂利道だったんですけど、スリッパを履いておられて、スリッパでいつも行ったり来たりして。』
唐沢『スリッパ?それは、セットの上なんかに すぐパッと登るためですかね?』
中野『水虫だ』(笑)
唐沢『あ、水虫なんですか。』(爆笑)
桜井『水虫だったの?初めて聞いた。今まで知らなかった。』(爆笑)


(スタジオの中・・・横にカメラを置き 椅子に座っている円谷英二監督の等身大人形を囲んで)
唐沢『ちょっとリアルですよね、これ。どうです?』
中野『何か喋りそう。』
桜井『そう、おっ、元気か?とか言われそうな気がします。』
唐沢『いつもこういう格好で(黒いスーツ・サングラス・帽子でビシッと決めた)いらっしゃったんですか?』
中野『そうそう。』
唐沢『円谷監督は、おしゃれだったんですよね。』
中野『そう、ものすごく。ダンディだったから。』
唐沢『そして、この格好で、このカメラ。このカメラも当時使っていた…。』
中野『それ、ミッチェル。懐かしいですね。』
桜井『懐かしいですね。』
唐沢『今は色々と進んでいるけれども、やっぱり映画のカメラとなると このミッチェルの形がスタンダードというか…シルエットだけでも分かりますものね。円谷監督のダンディズムというのについて、お聞きしたいのですが。生き方・仕事に対する情熱、そういう辺りも含めて男としての生き様みたいなことはどうでした?』

中野『僕はね、「プロ中のプロ」という感じがする。プロとはかくなることを言うのか、というようなことがある…本編、人間側を撮るスタッフと特技側とで 合同打ち合わせというのをやるんです。すると、本編側を撮るスタッフだって キャメラマンとかライトマンというのは一流の技術者ですよ。プロ中のプロでしょ。それがね、こんなこと出来ますかね?という質問があって、これは僕が横で聞いていたら 絶対に不可能なわけ。そういう時に円谷さんは「うーん、考えてみようか」とは絶対に言わない。ニヤッと笑って「出来るよ」って。聞いたほうはビックリしちゃってるんですよ。「えっ、出来るんですか?円谷さん」という話になる。
僕は、ある日 打ち合わせが終わって 帰りにチラッと聞いたわけ。「円谷さん、簡単に出来るって言っちゃったけど、どうするんですか?」って。(そしたら)「いいじゃないの、後でゆっくり考えれば」って。そこなんですよね。それで、「君ね、考えるっていうことは どういうことか知ってるかい?君、考えたら どこ痛くなる?」って言うわけね。「考えたら、僕は 頭痛くなりますね」って言ったら、「君、それは序の口だよ。頭が痛いなんて、そんなものじゃダメだ。本当に考えたら、胃袋が縮むんだよ」と。だから、「胃袋で考えなさい」と言うわけよ。』

桜井『ウルトラマンをやっていた時も、私から見れば 円谷さんをはじめ、みなさんオジサンたちなんですよね。いい年をしたオジサマたちが狭い所で「この怪獣は、こうあるべきだ」とか、ケンカしているんですよ、真剣に。それを見て、私も10代でしたから…こんな怪獣の髭ひとつ 牙ひとつで、何でみんな そんなに目くじら立ててケンカしなければならないのかしら?と思いました。その時は、英二さんも含めて 変わったオジサンたちだと思いました。(笑) 今だったら、真摯にやっておられるんだなあと分かるんですけど、(当時は)「早く終わってよー」みたいな。
撮影が始まって、喧々諤々(けんけんがくがく:議論が活発でやかましい様子)やってて、お昼ご飯から戻ってきても まだやってて、帰る時もまだやってるという…その不思議さは、若い女の子から見たらビックリしますね。1個のことでやってるんです、怪獣だけのために。』

No.16415 - 2006/10/11(Wed) 23:53:23

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / miyu
唐沢『今まで そういうふうに特撮をやって、中野監督は、どの円谷作品の どのシーンが一番印象に残っていらっしゃいますか?』

中野『僕はね、「妖星ゴラス(1962年)」という作品の…あれは、南極だったか…第8ステージに500坪いっぱいに作ったセットなんですよ。極地だけを500坪いっぱいに作った。また、美術は凝りに凝って。デカイの作れって言われたものだから、本当にステージいっぱいに作っちゃったわけ。いやいやいやーと思ったら、円谷さんは まず、そのセットの隅っこから撮影し始めた。その広いセットの隅っこ…後のこっち(残りの 広いセット部分)は、うっ放しよ、全部あるのに。それをこう撮っていくわけです。ずーっと撮っていって、最後にいっぱいまで隅っこ作っていったわけ。さて これで全部終わったなと思ったら、「はい、これからロングいくよ」と言って、作り込んだセットをいっぱいに引いて 大ロングショットを撮った。それがね、実は さっきのこだわりなんです。
つまり 映画というのはね…映画人の合理性というものがあって、見えるところしか作らない。ところが、ミニチュアセットの場合は違うんです。ミニチュアセットのロングで(カメラを)引くと、奥のほうのミニチュアなんかは見えるか見えないかでしょ。だから そんなの美術に至っては 適当に小さいのを作って並べるんだけれども、実は 画面の中、つまり 映像の中で見えない部分にいかに手をかけているかが、大ロングショットを撮った時の価値になるんです。僕なんか、それ見ただけで本当に涙出ちゃったもん。「あれー、これは この手だ!」と思った。』

唐沢『桜井さんは?思い出の特撮シーンというと?』
桜井『私は俳優ですから。特にドラマ班の俳優ですので…ウルトラマンの特撮のセットで 初めて仕事をしたのは、巨大フジという回がありまして、メフィラス星人に巨大に…』
 ( ウルトラマン 第33話 「禁じられた言葉」 )
唐沢『フジ隊員が巨大化して、怪獣と同じように ビル群を壊すわけですね。』

桜井『そう、怪獣図鑑に出ている巨大フジになってしまったんですけれども。そういった役をやった時に、ドラマ班(本編)のセットから、初めて特撮のセットに行ったんですね。ミニチュアがすごく良く出来ていて、本当に自分が巨大になった気持ちになって。「ここを壊すんだよ」と言われたビルの所には亀裂が入れてあったらしいんですけど…私は気を失って 悪い者に操られているから、感情があってはいけないんですよ。だから、「こう見て壊してはダメだ。正面を見てロボットのように歩いて、スコーンと壊せ」と言われて、「分かりました」と言って、この辺だろうなあと思ってやっても壊れないんですよ。亀裂の所にスカンといかないとダメなんですよ。それで、こんなに頑丈に出来てたんだって 初めて分かりました。割り箸か何かで出来ているのかと甘く見てたんですけど、壊しやすいように。やっぱり、最後にOKになったカットは見てるんです、チラッと。フッと確認してるのが自分で分かるんです。(笑)その時、やっとスコンと壊れて、手もあざだらけになって…やっぱりミニチュアといえども きっちり作っておられるんだなあと、こんなにきちっと作らなくてもいいのになあと、その時に思いましたけれど。(笑)』


《 円谷流 特撮術 》
映画「キングコング対ゴジラ」(1962年)より・・・南海の島を突然襲う巨大なタコ。ぬめる表皮、うごめく足。
足が8本もあるタコを どうすればリアルに動かせるか 円谷英二は悩んでいた・・・こうなったら、本物だ!・・・円谷はミニチュアセットに 本物のタコを用意させた・・・しかし、本物のタコは陸に上がると動かなかった・・・その時 円谷は、タコが熱を嫌う性質を思い出す。これを利用しない手はない・・・円谷は、セットの陰から タコを火で熱した・・・怒ったタコは大暴れ・・・大成功!!
こうして1週間、カメラはタコに向け続けられた。


唐沢『色々なエピソードを本当にご存知の方も、その後 噂で聞いた方も、って…今 色々と本に書いてあるのだけれども、それを統合して どんな人物かというのが、いまいち掴めない。だから亡くなって何年も経った今でも こういう番組が出来るというのは、円谷英二とはどういう人なんだろうと みんな疑問を持っていると思うんですよ。』

中野『僕は、いつも返事に困るわけ。そこでね、チラッと思いついたのが、これは 伯楽だなと。
(伯楽…中国周代にいた馬の良否をよく見分ける名人ということから、人物を見抜き その能力を引き出して育てるのが上手な人の意)
これも諸々伝説があるんだけど、ゴジラを作った時に、正に 円谷さん それやったと思うんです。それは何だというと、円谷英二がゴジラをやるために、撮影所という荒野から より抜きの職人を選び出したわけ。例えば、照明をやってる岸田さん(照明技師:岸田九一郎)は、巨匠 稲垣浩さんの作品なんかも相当やってた人なんだけれども、「照明界のアイデアマン」と言われていた人。この人の発明になる照明機材はいっぱいあるんです。そういうことで、順番に見ていくわけです。すると(次は)美術。美術やるなら何だ?と。特撮の場合は素材が広いぞ、と。下はゲテモノから、上はシリアスもの・センチものまで…それをやった 渡辺さん(美術デザイナー:渡辺 明)という人は、口癖があるんです。「アイデアとウ○コは、いつかは出るものだ。その代わり、慌ててもダメだ」という…ここんところ、ピーッとなると思うんだけど…。(唐沢さんと桜井さん、苦笑)「そういうことが言える。あいつだー!」というのが、円谷さんの目なんです。』
《 放送中、ピーッとは なりませんでしたが、文章上 編集させていただきました。m(__)m 》

唐沢『実際問題、このスタッフたちが 後の特撮界を全部背負ってるわけですからね。円谷さんの名前があまり大きいので、円谷さんひとりが全部やったと思われてるかもしれませんけど、ひとりではどんなに大天才でも 映画は出来ませんよね。』

中野『出来ませんよ。そういうもの(才能)を見つけ出して、それをうまくアレンジした力というのは、正に伯楽だと思う。』

唐沢『色々な業界、特に美術とか音楽とかの天才をみると、自分が天才の人というのは、案外 人の天才を認めたがらないことがあるじゃないですか。ライバル心というものがあって。でも、その上…天才より一段上っていうことなんですよね。(円谷監督は)大天才って言ったほうがいいのかな。』

桜井『天才って思っていなかったんじゃないの、自分で。』
中野『そうそう、そこがまた大天才かもわからない。』

唐沢『ご自分のことを決して天才だとは思っていなかったのかもしれない。だからこそ、人の才能というものに気が付き、それに光を当てようとし、中央に持ってこようとし、というのが出来たのかもしれない。』

桜井『その辺のものを 何でも取り入れて、特撮に持って行っちゃうという人でしたよ。テレビのほうの206便のとき(ウルトラQ 第27話 「206便消滅す」 )にも、どう消滅させるかというのを、英二さんがこられて、円谷プロの狭い中庭の所に 洗濯機があるんですけど、それに水を入れて ガーッて回して、その中にご自分が持ってきた模型飛行機をポンと入れて、「これ、どうだ、どうだ、どうだ?」って言って、みんな10人くらいで洗濯機を覗き込んで…。でも、消滅するところが ワーッというふうになってたので、なるほどなと思いました。』

No.16416 - 2006/10/11(Wed) 23:56:34

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / miyu
唐沢『円谷さんのお作りになった怪獣映画、つまり円谷映画で育った我々日本人というのかな…やっぱり、これだけ流行り、これだけ色々な人々がそれで育ち、そして大人になるまで ウルトラマンというものを覚えていて、また新しいウルトラマンが見たいと言っているというのは、何か日本人のメンタリティに 円谷さんのお作りになった作品が 絶対に大きく関与しているというふうに思うのですが。その円谷さんが日本人に与えたもの、ゴジラやウルトラマンを通して与えたものは、何だと思われますか?』

中野『あのね、ディテール(全体の中の細かい部分)にこだわるということね。僕が円谷さんから学んだものは、絵作りの ち密さなんです。作るための気配り、ち密な心配り、それが円谷ドラマにもあると思うし、それから映像のワンカットにもあると思う。』

唐沢『それは、日本人に円谷さんが与えたというよりも、円谷監督が 日本人の特質…その昔から細かい細工をしたりだとか、職人としての細かい所へのこだわりとか、そういうもの全部を体現していたということなんですかね。』

中野『あ、そういう言い方のほうが正解かもわかんないですね。本来は何でもないようなもの、他の人が気付かなかった 日本人の最良の部分を、改めて提示したのかもわかんないね。』

ナレ『円谷は、細かいミニチュアを使った撮影を得意とした。ロウで出来た溶ける鉄塔、水槽に流した絵の具で表すキノコ雲。円谷の特撮は、そのアイデアを実現する器用さに支えられていた。円谷は、日頃から細かい手作業が好きだった。』

《 円谷英二監督の三男である、円谷 黎(あきら)さんの話 》
『そうそう、時計を直すんですよ。御殿場の旅館で柱時計が止まっていると、そこのご主人が 直して下さいと言って持って来るらしいんです。それをバラして、直して帰るんです。
好きだったんでしょうね。バラしていく時に、組み立てのことを考えてバラしていくから直せたのでしょうね。』

ナレ『円谷の特撮は、アメリカ人の心もつかんだ。手先の器用な日本人が作った映像は、海を越えた。』

唐沢『しかも、日本人が古くから持ったものを 一番新しい特撮というものに生かした。つくりものじゃないんですよね、イメージが。』

桜井『それはきっと、手作り感なんだと…私が女から見た 男の人たちの手作り感というのは、絶対に女の子には出せない手作り感というのがあるんだろうと思うんです。やんちゃで、どうしようもない子が、感動するというか…心を揺するというか…。』

中野『それ、もしかしたら、円谷さんが子供なんじゃないかと。それと、スタッフが これまた揃って子供なんです。だってね、動かないタコを2週間も追っかけるとか、飛ばないハエを何とか飛ばそうとか、ハエの接写だけを 明けても暮れても壁の傍で撮ってるとか…「あんたは、何やってるの?」と。』
桜井『(笑)考えられない。』

唐沢『その世界は 本当に男の子の世界だと思うんですよね。だから、その世界の中にいてくれた女性である桜井さんには本当にね…その世界の中で溶け込んでいてくれた。』

中野『だから余計に、この姉ちゃんスゲエやーっていう…憧れのマドンナだったもんな。』
桜井『姉ちゃんですか…(笑)』

唐沢『ウルトラQ冒頭の坂口浩二さんのナレーション、「これから30分 あなたの目は あなたの体をはなれ…」というのがあるけれども、30分どころじゃないんですよね。何十年…一生…多分これから一生、円谷さんがお作りになった そのウルトラQの世界に 目と心が入って行っちゃって、そこから逃げ出そうとも思わないんだろうなあと思います。』

桜井『快適らしいですね、男の子にとっては。』
唐沢『快適な世界ですよ。それが、この東宝スタジオ・ミッチェルのカメラなどから始めて、生まれでたということなんでしょうね。』

ナレ『昭和44年、心臓を悪くした円谷は、しばらく現場を離れることになった。休みながらも、円谷は 新しい企画を練っていた。タイトルは、「ニッポン・ヒコーキ野郎」…飛行機乗りを目指していた少年時代の夢を最後まで追い続けた。翌 昭和45年、円谷は還らぬ人となった。享年68。』

唐沢『円谷監督のお撮りになった映画は、海外でも非常に高い評価を受け、ある時期 日本の外貨獲得の大きな手段として評価されていました。円谷監督の作品というのは、本当にグローバルなものを持っている。だけれども、先程の中野監督の話にもあったように、その映像の基になったものは、日本人の持っている国民性・性質・物にこだわるという特質などが、最良の形でフィルムの上に焼き付けられたものだと思います。
僕が円谷作品を見て 本当に感じるのは、日本人の原点なんです。戦争・高度経済成長など、そういった日本人の歩みというものが、怪獣に 或いは飛行機と形を変えて円谷作品というものに表れている。だから、今見ても、これから未来にかけて 我々日本人が見れば必ず、その作品の中に心を捕らわれる何かがあると思います。
それが、他の特撮作品との大きな違いではないのかな。そういうものを見ながら、考えながら、この先も 円谷作品を 僕は見続けるんだと思います。それは多分、皆さん方もそうですよね!!』

――――― 以上、第4回 「ここに特撮あり」でした。―――――


製作者の皆さんが、自分たちも楽しみ、その楽しさを伝えよう、楽しんで欲しいとの思いを込めて、ひとつひとつ大切に作られたからこそ、未だに忘れられない…心を捉えて放さないものがあるんですね。
細かいところにまでこだわり、気を配られたという円谷英二監督の当時の姿を聞くにつれ、とても素晴らしい方だったんだなあと改めて感じられました。男の子だけでなく、私たち女の子も引き付けられたウルトラマン・・・円谷作品に出会えたことをとても嬉しく思います。

No.16417 - 2006/10/12(Thu) 00:10:50

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / 帰りマン&ティガ命
miyuさん
第4回のレポ、大変お疲れ様でした。
読んでて何だか圧倒されそうになりました。

本当に細かいところまでこだわって制作されていたんですね。特にその時代はCGとかがなかったから、それこそセットのミニチュアにも相当手をかけて造っていたんですね。
きっとそうした熱意が様々なところに伝わっていって、多くの人の心を捉える作品ができたのでしょうね。

それから、「出来るよ」という言葉、こうした姿勢が本当に大切だと感じさせられました。可能性に枠をはめない、ということが特撮の技術を進化させたのでしょうね。

また、自分を天才だと思わず、人の才能に気づき、光を当てようとした・・人柄も素晴らしかったと思います。

長いレポ、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。

No.16418 - 2006/10/12(Thu) 02:58:30

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポ / リド
Niyuさん、帰りマンさん皆さんこんばんは。

miyuさん!詳しいレポ、本当にお疲れさまでした。ありがとうございます。
私も4回とも何とか放送を見ることが出来ました。
レポも改めて、じっくり読ませていただきましたよ!有り難いですね。

最後のこの回は、夜の放送が見られず、再放送が3日早朝5時05分からで、その時はデッキ修理中でしたので予約録画できないで何とか早起きして、目を凝らして見ました。

冒頭撮影用の大プールは、数年前の解体時に新聞に大きく取り上げられた事を思い出しました。今はCGが発達して水中撮影する必要性がほとんどなくなったんでしょうね。大プールの存在はひとつの歴史だったんだなあと思いました。

こうして円谷英二監督のお人柄に触れる機会に恵まれて嬉しいです。
不可能かと思われるようなことでも『出来るよ』とおっしゃったという監督のお言葉は私たちに勇気をくださったように思います。

No.16419 - 2006/10/13(Fri) 23:29:00

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / モグルドン
miyuさん、みなさん、こんにちは。

録画していたこの回の番組を、やっと観ることが出来ました。

いつまでも少年のままだった円谷監督の生き様と、
周りを囲むスタッフたちもまた、少年のような心で特撮に取り組んでいた、
身近なあらゆるものを使った想像力、細かいディテールにこだわる緻密さは、
我々日本人得意とするものですし、
見えないところにまで心を配る繊細さは、案外男性のほうが上なのかもしれませんね。

一日飽きずに怪獣論議をしているなんて、なんて子どもでなんて素敵な男の子たちなんでしょう《笑》

巨大タコの絵が、本物のタコをしたから炙ったものだったとは・・・
( ̄ ̄▽ ̄ ̄;)

本当に楽しませていただきました。
レポお疲れ様でした。ありがとうございました。

No.16420 - 2006/10/14(Sat) 16:10:17
「ホリデーインタビュー」&「はなまるマーケット」 / 旅の者
みなさんこんばんわ

連休ということなのか
国営放送では朝の6時30分から
「ホリデーインタビュー」という番組で
ハヤタ隊員こと黒部進さんのインタビュー番組の
放送がありました

富山・黒部市という
厳寒で厳しい気候条件と
教育に厳しかったお父様によって
我慢することの大切さ
継続することの値打ちを学んだという黒部さん

大学進学で東京に出てきた後
「役者」を目指して靴磨きをして生計を立てたり
学校にいかなかったことがバレて
お父様から叱責されホテルから脱走し
そのまま勘当状態だったことなどを語られていました

ウルトラマンのハヤタ役で
これで俳優としてなんとかなりそうだと
思ったものの
その後数年間はイメージのためか仕事がなく
結婚を期に俳優を辞めようかと悩んだことも
あるのだそうです

今回テレビの取材の中で
一年ぶりに富山県にあるご実家
でもある弟さんの家で
4人のご兄弟がお揃いになり歓談されていたのですが
勘当された当時、お母さんが
黒部さんのことで悩み
「死んだほうがよかった」と言っていたという
お姉さんからの一言で泣いてきた黒部さん

ご両親がもうお亡くなりになってしまった
状態だからこそ
複雑な心境だったのだと思います

富山に帰ると
富山時代の苦労を忘れないために
海岸から石を東京に持って帰るという黒部さんが
今演じることが本当に楽しくて仕方ないと
いうことでした

本当に
20分という短い放送時間でしたけど
感動させられました
いい番組だったと思います



そして8時30分からは
朝の人気番組「はなまるマーケット」の
オープニングにダンディ4のみなさんが生出演
されました

過去シリーズの懐かしい映像と共に
リアルタイムで生変身シーンのご披露です笑

また映画のプロモーションの一環だとは思いますが
こちらも楽しい思いでテレビを拝見できました


ここしばらくはダンディ4のみなさん、
トーク番組などでまた
ご出演されるかもしれないので
新聞のテレビ欄には注意した方がいいですね笑

No.16411 - 2006/10/10(Tue) 01:18:25

Re: 「ホリデーインタビュー」&「はなまるマーケット」 / モグルドン
旅の者さん、みなさん、こんばんは。

とても充実したインタビューだったんですね。

勘当状態でも諦めずに役者を目指し、ハヤタ役を射止められたんですね。
厳しいご両親のもと、子ども時代を過ごされて、
あの佇まいの凛々しさは、そういう家庭環境から身につけられたものかもしれませんね。

ヒーローをされた方は、ほんとうにその後ご苦労なさると聞いています。
今ほどヒーロー出身の方が多いと、さほどでもないのでしょうが、
昔はイメージが固定してしまい、なかなか難しいようですね。
でもやはり、今でも私たちにとってのハヤタは黒部さんしかいらっしゃいませんし、それを忘れずにいつまでもヒーローでいて下さる事が、とても嬉しいです。

レポありがとうございました。

No.16412 - 2006/10/10(Tue) 22:29:33

Re: 「ホリデーインタビュー」&「はなまるマーケット」 / 帰りマン&ティガ命
旅の者さん

インタビュー番組の紹介、ありがとうございました。

ハヤタこと黒部進さん、本当にご苦労されたのですね。
勘当状態になってまで俳優の道を目指されたのですね。
また、当時の「ウルトラマン」という番組は、それこそ視聴率が30%を毎回超える様な番組だったので、より一層ハヤタのイメージが強く定着してしまったのでしょうね。

私自身も片方の親を亡くしているので、「親に苦労をかけた」と思ったりする時の辛さ、本当によくわかります。

ダンディ4のみなさん、様々なところに登場され、この掲示板で皆様のレポを読ませていただきましたが、黒部さんも含めて本当にいきいきしているように感じられました。黒部さんの「今演じることが本当に楽しくて仕方ない」というところを読ませていただき、本当に嬉しくなりました。

レポありがとうございました。

No.16413 - 2006/10/11(Wed) 01:52:11

Re: 「ホリデーインタビュー」&「はなまるマーケット」 / ムゲラ
旅の者さん。みなさんこんばんは

しっかりというか私用でバタバタしていましてまた飛ばしていたお馬鹿さんであります。

黒部さんのハヤタ隊員に選ばれたいきさつは黒部さんの書かれた本に書いてあるしみなさんがお書きになっているのであえてさけますね。

黒部さんにしても森次さん、団さん、高峰さんいろいろな経緯がありその後イメージで仕事に悩まれた時期もあったかとおもいます。それを乗り越えて今があるんだとおもいます。

あ〜。新聞は気をつけてみないと。

>旅の者さん。映画上映期間がおわったらネタバレあるかとおもいますので(えっ。ありませんか?)またその時感想(ネタバレ)をきかせてくださいね。お待ちしています。

No.16414 - 2006/10/11(Wed) 21:51:26
本日、スカパー TBSチャンネルで『鶴瓶の「スジナシ」』オンエア / ゆーこ
皆さん こんにちは。

今晩、スカパー TBSチャンネル 363ch で、20〜21時、

太陽くんご出演の『鶴瓶の「スジナシ」』オンエアです。

2004年6月28日、CBCで初回オンエアされたものだと思います。

※ご覧になれない方でご存知ない方は、
「真の勇者」オリジナルネタバレもどうぞ。

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ところで、昨朝配信のビジュボ日記では、食欲の秋でモツ鍋にハマってしまい、週に3回は食べに行ってるかも(-▽-;)とおっしゃる太陽くん。
《ウンウン、本場博多のモツ鍋、美味しいよ〜♪←コメントへの返信のつもり(爆)》

しかーーし、太陽くんはひと味違います。
このところプール三昧でもあり、最低1キロは泳いでいるそうです。

「よく食べ、よく運動し、健康な身体を維持しないとね♪
みんなも体調管理には気を付けてね〜!!」by.太陽くん(携帯サイト・ビジュアルボーイ 抜粋)

・・・イタタタタ・・・掲示板もご無沙汰していますが、会議や飲み会三昧の自分です(+_+)

No.16409 - 2006/10/07(Sat) 08:17:37

Re: 本日、スカパー TBSチャンネルで『鶴瓶の「スジナシ」』オンエ / リド
モ艨[ちゃんこんにちは。
コメント遅くなりました。太陽くんの近況を教えてくれてありがとう。
モツ鍋にはまってるんですか。美味しそうですね。栄養満点!!鍋なら野菜もたっぷりとれてヘルシー!!
それにプール三昧とはまた健康的です。私もプールで運動不足解消しようかな!太陽くんのプロフィールも特技は水泳とありますし、プールといえば映画「ウォーターボーイズ」を思い出しますね。

No.16421 - 2006/10/15(Sun) 14:23:30
NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第3回の番組レポです / miyu
みなさん、こんばんは。 レポ・・・すっかり遅くなってしまいました。 m(__)m


NHK教育 知るを楽しむ 「私のこだわり人物伝」 『 円谷英二 〜特撮の神様〜 』

◆ 第3回 ウルトラのおやじさん (9月19日放送分)  語り手: 唐沢 俊一 さん

ナレーション『昭和41年に誕生したウルトラマン。この夏、放送開始から40年を迎え、各地でイベントや展覧会が開催された。(画面には、川崎市岡本太郎美術館の「ウルトラマン伝説展」映像が!)
この展覧会は、ウルトラマンや怪獣のデザイン画・着ぐるみ・そして 小道具をアートとして鑑賞する試みだ。
(ガラスケースの中には、ウルトラマンVSレッドキングのバトルの一場面が再現されています。他にもピグモンの着ぐるみ、イカルス星人やウルトラマンのデザイン画、怪獣アボラスの頭部なども展示されています。)

ナレ『ウルトラマンがスタートした時、円谷英二は 既に64歳になっていた。』

唐沢『昭和40年代、円谷英二は 若いスタッフたちと共に、自らのプロダクション「円谷プロダクション」を設立。ウルトラQ・ウルトラマンという2大ヒットテレビシリーズを生み出します。私などは、ウルトラQ第1回の放送の時から その直撃を受けた世代で、今 後ろに飾ってあります ウルトラマンとレッドキングの死闘…燃えましたね。それから数十年後の今も その前に立つと燃えるんです。どうして かくも長きに渡り、日本人すべての心を燃やし続けていられるのか?今回はその辺のところを追ってみたいと思います。』


ナレ『昭和28年、テレビ放送開始。街頭テレビは、瞬く間に人気を博していった。当時、ゴジラをヒットさせた円谷英二は、特撮の第一人者として映画界に君臨していた。映画だけでなく、テレビでも特撮を駆使した番組を作りたい…円谷は 密かに準備を進めていた。』

唐沢『映画の世界で既に名を成していた円谷英二さんが、テレビの世界に飛び込んでいく…新し物好きの円谷英二の面目躍如といったところじゃないかと思います。テレビの重要さというものに、円谷さんは既に昭和30年代から着目していて、昭和38年に円谷特技プロダクションを設立し、あるテレビ局で「WOO」という企画を立ち上げています。そのテレビの特撮で、どういう映像を作り込んで行くかということの中で、合成というものが一番大事なものだと感じ、世界のどこにもない絵を作るために必要な器機として、オックスベリー社の「オプチカルプリンター」…世界にまだ2台しかなかったというものを即決で買ってしまうわけですね。この辺も、いかにも円谷さんらしいという感じなんですが。値段が当時で4000万円…そういうものを買ってしまう円谷英二も円谷英二なんですけども。これを買うというのは、WOOという企画が立ち上がったことを前提としていたけれど、色々とあり この企画は流れてしまいます。しかし、その時すでに オプチカルプリンターは梱包されて船に乗せられ、向こうの港を出港していたわけです。危うし、円谷英二。…まあ、ハラハラさせるオジサンではあります…。』
《 唐沢さんのバックには、ギャンゴ(ウルトラマン)・シーボーズ(ウルトラマン)・ユニジン(マックス)が展示してあります 》

ナレ『世界で2台しかなかった最新型のオプチカルプリンター。4本のフィルムを同時に回し、重ね合わせて1つにすることが出来た。しかし、最初のテレビの企画が中止となり支払の当てがなくなった。ピンチを救ったのは、TBSにいた円谷の長男、一(はじめ)だった。
新番組の企画を通し、その実現には オプチカルプリンターが必要であると説いた。その企画こそ「ウルトラQ」。オプチカルプリンターは、TBSが購入し、円谷プロが使えることになった。突如現れる怪獣、そして怪奇現象…オプチカルプリンターは その威力を存分に発揮、見たこともない映像をお茶の間に届けた。』
( 映像:ウルトラQより 第16話「ガラモンの逆襲」・第11話「バルンガ」 )

唐沢『オプチカルプリンターの導入によって、円谷英二は ウルトラQの怪奇・幻想のイメージを余すところなく描き尽くしたと言えるでしょう。実際にウルトラQの全話を通して見てみると、まるで「特撮映画のショーケース」とでも言いたいように、そこには原始の怪獣の生命力の躍動というものがあり、或いは宇宙からやって来た 全く地球人とは違う生物のフォルムあり、また細かなところも ちょっとしたところで オッ!という手品のような映像もあるかと思うと、大きなスケールの 山が崩れ その中から怪獣が現れるというスペクタクルありと…本当に毎週、手を替え品を替え、この世のものではない映像というのを 我々は円谷英二によって与えられてきたわけです。』
《 唐沢さんのバックには 科特隊本部の模型が、そして横のほうには隊員服も 展示されています。》

ナレ『摩訶不思議な現象を描いたウルトラQは、いわゆる怪獣番組ではなかった。しかし、TBSプロデューサー:栫井 巍(かこい たかし)は、円谷に方針の転換を注文。「子供たちが喜ぶ怪獣を毎週出して欲しい」と。こうして始まった新番組「ウルトラマン」、毎週毎週 次々と新たな怪獣がブラウン管に登場した。』

唐沢『毎週毎週 お茶の間に怪獣が登場するのは、当時の子供にとって 夢というか お祭りだった。それまで、東宝の怪獣特撮映画は 夏休みかお正月にしか見ることが出来なかったものが、毎週現れてくるというのだから。やはり怪獣ものの基本というのは、テレビの世界へ移ってきていたようです。』

ナレ『ウルトラマンは、最高視聴率43パーセントを記録。現在に至るシリーズ化を決定づけた。』

唐沢『ウルトラQの時代と ウルトラマン以降との一番の違いはどこかと言うと、格段にウルトラマン以降のものが新しい・モダンだというところにあるのではないか。ウルトラQの主人公の名前が万城目淳・江戸川百合子…日本人の名前が付いていますけれども、ウルトラマンの主人公はハヤタ隊員…これはカタカナで書いてありますね。しかも下の名前が何か分からない。主人公の名前がカタカナ3文字しかないというのは、人間性を表しているというより 記号・符号みたいなイメージさえある。この当時のドラマを見ても、こういう例というのは あまりないのではないかと思います。
主人公の側ばかりではありません。それに相対する怪獣のデザインがまた凄い。どちらかというと、それはシュールリアリズムとかモダンアートの芸術作品じゃないかと思えるような、奇想天外なデザインの怪獣が多く現れます。 例えば、人が2人横に並んで歩いているような「油獣 ペスター」、とても生物の形状を成していない異様な怪獣「四次元怪獣 ブルトン」とかが、次から次へと現れるんですね。また、オプチカルプリンターを使った映像処理も、バルタン星人の分身・巨大化など幻想の世界を表して、毎週 我々を幻惑していた。
この新しさというのは 一体何だろうと考えた時に、円谷英二ひとりのイメージではなく、円谷プロダクションに集っていた 平均年齢20歳代の若いスタッフたちの持っているアイデア・イメージが、どんどんと作品の中に流れ込んできた表れではないかと思います。

当時のウルトラシリーズと、今放映しているウルトラシリーズの大きな違いは、当時のは今のに比べて番組の世界観が多少ゆるいというか…話々ごとに様々なストーリーがあるが、全体を通してウルトラマンの世界を作っているというイメージがあると思います。中には、こんな話をシリーズの中に入れたら、シリーズ全体の統一感がなくなってしまうのではないかと心配になるような話が 堂々と放映されていたということもありました。例えば、「まぼろしの雪山(ウルトラマン第30話)伝説怪獣 ウー」ですね。これは、雪ん子という女の子の呼び声に応えて現れる伝説の怪獣。一応、ウルトラマンシリーズというのは SFシリーズなわけで、そこには宇宙からの侵略あり、科学によって生み出された謎の生物ありといった、基本的に科学的設定というものがあるのですが、このウーに至っては そういうものが全くない伝説の怪獣…SFというよりは、怪談に近い話なんですけども。1本だけ見ると凄く異色なんだけれども、全体的なシリーズの中に それが見事にはめ込まれている安定感があったわけです。
他にも、たくさんの異色作がありました。ウルトラセブンの「狙われた街(第8話)」も印象的でしたね。何しろ、メトロン星人とウルトラマンが対立する場面が、宇宙空間でもなければ ビル街でもなく、ちゃぶ台を置いた畳の部屋で あぐらをかきながら互いに会話するという世界が繰り広げられる…テレビを見ている我々は、一体何だろうなと混乱をしてしまう。その混乱が逆に、その話をずっとその後何年も何十年も忘れられないものにしていくという形なんですよね。』

No.16406 - 2006/10/04(Wed) 23:43:45

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第3回の番組レポです / miyu
ナレ『東京 世田谷、昭和38年に円谷英二は ここで独立を果たした。ここには 今も、 番組に登場した着ぐるみが保管されている。通称「怪獣倉庫」。
昨年、円谷プロが移転する際に取り壊されるはずだった。しかし 存続を求める声が強く、年に数回 有料で公開されている。こうした一体一体の怪獣たちが活躍することで、ウルトラマンの世界は広がっていった。(怪獣倉庫の中の映像が…イカルス星人・ゼットン・エレキング・ガッツ星人・ウルトラの父・ウルトラの母・ウルトラセブン・ウルトラマンなど…)
昭和43年に放送された「狙われた街(ウルトラセブン 第8話)」…メトロン星人は、何故か ひなびたアパートの一室に潜んでいる。こうした異色作の存在がシリーズの人気を より高めていった。ウルトラシリーズに潜む不思議な味わい、これはどのようにして生み出されたのだろうか。』

唐沢『これは当時、円谷プロのスタッフというのが、色々な所からの混成部隊だったということが挙げられます。脚本部に当時脚本家の卵であった金城哲夫さんを置いて、その他 TBSの演出部・脚本部、それから東宝のほうから借り出されてきたスタッフたちが切磋琢磨しながら、ある種 自由にやりながら、ウルトラシリーズの世界観をひとつひとつ形作っていったということが言えると思います。普通 そういうことをすると、番組の世界観というのはバラバラになってしまうのですが、それがウルトラシリーズという大きなイメージのもとに固まっていったというのは、その上に「円谷英二」という大きな存在があったからではないかと思います。
若い人たちの溢れる才能を ひとつの型の中に押し込めるというのではなく、ある程度 好きにやらせて、しかし その中で これだけは譲れないという線を引いて行った存在だったわけです。』

ナレ『60代半ばだった円谷は、現場の若いスタッフたちに どのような影響を与えていたのだろうか?
27歳の時、円谷に出会った「満田 かずほ」・・・助監督をしていた。』

満田『ミニチュアで馬を作って、馬小屋で怪獣に怯えて暴れるというカットを撮っていて、僕が「おやじさん、本当の馬小屋に行って、棒でつついて暴れさせたらどうですか?」と言ったら、「そんな撮り方して面白いか?こうやって人形作って、みんなでワイワイ言いながら操って撮影したほうがすっと面白いだろう」と言われた。その言葉には、かなり参りました。いわゆる「がきんちょ魂」というか…もう、子供なんですよ。自分がやっている仕事で、まず自分たちが楽しんで。自分たちが楽しまなければ、その楽しさは 見ている人に伝わらないという仕事の在り方だったと思う。私もその様子を見て、自分も楽しんで仕事をやって、その楽しさをみんなに伝えようと思いました。』

ナレ『円谷のもとで、カメラを回していた「佐川 和夫」・・・いい映像とは何かを叩き込まれた。』

佐川『(円谷監督に)「他局の作品などを見る時には、どういうふうに見ている?音をつけて見てる?」と言われ、「見てます」と言ったら、それではいけないのだと…本当は音無しで見たほうがいいんです。全く音を消して映像だけ見る。映像だけ見て、そこに効果的な音・音楽を自分で作れるんだったら本物だと。それがそういうふうに感じられないなら、も少し勉強しなければダメですよ、と…。』

ナレ『オプチカルプリンターで合成を担当した「中野 稔」・・・特撮のアイデアを常に求められた。』

中野『おやじは、あまり褒めることはない。でも、怒られないことが一番の褒め言葉だと思っていましたから、何とかそこに挑戦すべく、手変え品変えイタズラしましたよ。円谷英二に学んだことは、自分が表現したいものは 映像としてどうやって残るか、そのためには「観察しろ」だった。円谷英二と 世界大戦争のロケーションの末端で行った時なんて、朝食の味噌汁を見ていて、原爆のキノコ雲に見せるためにはどうしたらいいか考えていた。』

《 円谷流 特撮塾 》
映像は「緯度0大作戦(1969年)」・・・海底火山の大噴火。この撮影には、円谷英二が得意とした あるテクニックが使われている。
円谷英二は、またしても悩んでいた。迫りくる巨大な噴火を描きたい・・・だが、どうすれば良いのか?花火の煙では、どうしても迫力が出ない・・・そんな時、ふと味噌汁を覗くと、底に溜まった味噌が 盛り上がる雲のように見えた・・・こっ、これだ!・・・円谷は、早速スタッフに水槽を用意させた。水槽にカメラを向け、水で溶いた絵の具を流す・・・絵の具は煙のように広がっていった。これをひっくり返してみれば、まるで大噴火・・・大成功!!
食事の時も怠らない円谷の観察が、この映像を生んだ。

唐沢『特撮の神様と言われる程のカリスマ性を持って番組を監修しながら、その若い世代のスタッフの発想を決して制限せず、むしろそれを自分で吸収しようとさえしていた円谷英二。円谷プロダクションを設立してからの円谷は、特撮の現場を離れ、会社の経営者としての顔を持っていたのですが、その姿勢および そこから生み出されたイメージのデパートといっていい程の百花繚乱たる成果を見るにつけ、やはり「生涯 現役のクリエイター」だったんだなあという気がします。
若い才能というものを自由にさせながら、一方では 映像の質というものに厳しく目を光らせていた。「家長」というイメージと重なるのではないかと思います。そういう意味で、正に 円谷英二という人は「ウルトラのおやじさん」、この「おやじさん」という名称が似合う人だと思います。ウルトラシリーズという ある意味 近未来とかSFといった、地面に足が着いていないんじゃないかと思われるようなドラマを見ながらも、何かそこに懐かしさを感じる…それは、ブラウン管の中で大暴れをしていた宇宙人や怪獣・ウルトラマン・秘密兵器・新兵器、その後ろにある極めて日本的な暖かさが脈々と流れていたからではないでしょうか。』

――――― 以上、第3回 「ウルトラのおやじさん」でした。―――――


昨日の早朝、第4回の分も再放送が終わりました。
語り手の唐沢さんに加えて、中野昭慶特技監督と桜井浩子さんがご出演でした。
当時を振り返りながら、円谷英二監督のことをいろいろとお話してくださっていましたよ。

No.16407 - 2006/10/04(Wed) 23:58:06

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第3回の番組レポです / 帰りマン&ティガ命
miyuさん、毎回の詳しいレポ、ありがとうございます。

>ウルトラマンがスタートした時、円谷英二は 既に
>64歳になっていた。

すごいですね。その年齢になっても夢を追いかけ続けることができるなんて・・・本当に感心させられます。

ウルトラQ、そして初代マンにセブン・・・何も手本がない中から新しいものを創り出すっていうのは難しいものですが、その根底には、これだけは譲れないという線を引きつつも、好きにやらせる、つまり自由な発想を大事にするという姿勢があったのですね。

「生涯 現役のクリエイター」・・・なるほど、と思うと共に、ずしりときました。

長いレポ、大変お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。

No.16408 - 2006/10/05(Thu) 01:55:48

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第3回の番組レポです / モグルドン
miyuさん、みなさん、こんにちは。

レス、大変遅くなりましたが、じっくり読ませていただきました。

すでに64歳になっていたという円谷英二監督が、
若い世代のスタッフたちと、ワイワイとウルトラマンを作っている様子が、
目に浮かびました。

スタッフの自由な発想で自由にウルトラマンを作らせることで、
いろんなバリエーションのあるウルトラマンが出来て、
それがまたウルトラマンという番組に幅を持たせていたんですね。
そういうところって、ウルトラマンマックスに似ているように思いました。

楽しかったマックスという番組は、こういうところからきているのでしょうか。

miyuさん、第3回目もレポ本当にありがとうございました。

No.16410 - 2006/10/07(Sat) 16:17:02
NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第2回の番組レポです / miyu
みなさん、こんばんは。


NHK教育 知るを楽しむ 「私のこだわり人物伝」 『 円谷英二 〜特撮の神様〜 』

◆ 第2回 「先生は キング・コング」 (9月12日 放送分)  語り手: 唐沢 俊一 さん

ナレーション『1933年に公開された モンスター映画の傑作「キング・コング」 この映画が、特撮の神様 円谷英二を生んだと言っても過言ではない。自由自在に巨大なゴリラが動き回る。見たこともない映像。当時、円谷英二は32歳、時代劇映画のキャメラマンをしていた。「キャメラマンは、これで生きなければならない」 「いつかこんな映画を作りたい」…キャメラマン円谷英二に夢が生まれた。』

唐沢『円谷英二は 特撮の神様と呼ばれる前は、カメラマンとして映画界で活躍していました。カメラを乗せる台である三脚から延びている棒(カメラをターンさせるために使う棒)は、「パン棒」と呼ばれていて、これを発明したのは 25歳の撮影助手だった円谷英二でした。そればかりではありません。
今、私の後ろにある白い壁…絵を描いたり、照明を当てたりしてセットに広がりを持たせる「ホリゾント」と呼ばれるものですが、このホリゾントを使った撮影を 日本で初めておこなったのも円谷英二でした。
そして、高い位置からの移動撮影をする「クレーン」…これを自分で発明し、日本で初めてクレーンを使った撮影をしたカメラマンだったんです。そのままカメラマンとして一生を終えても、たぶん円谷英二は 日本映画界に大きな足跡を残したことと思います。そんな彼が 特撮の神様と呼ばれるようになるには、ある1本の映画との運命的な出会いがありました。』

ナレ『1901年、映画(キング・コング)が誕生して6年後に 円谷英二は生まれた。子供のころは、飛行機乗りになるのが夢だった。1910年、日本で初めての飛行機実験が成功。円谷は自作の模型飛行機を飛ばすことに熱中した。大空を飛んで地上を見て回りたい。
当時、こんな日記を書き残している…「姉さんから、お前は飛行家などになって墜落してもよいかと言われたが、私はよいと思う。どうせ死ぬのなら、華々しく空中征服者としてCENSORED。(1916年の日記)」 パイロットになるため 15歳で家族の反対を押し切り、日本飛行学校へ入学。見たことのない大空からの景色に憧れる少年時代だった。』

唐沢『大正5年(1916年)、円谷英二は故郷福島県から上京して、航空学校に入ります。(当時は)複葉機なんですが、何とか飛んでいるという…飛んじゃ、落ちという…墜落の確立のほうが高く、その飛行学校の教官も墜落してしまい、その学校を退校せざるを得ないという状況に入ります。飛行機というのは 今のように安定した産業ではなくて、海のものとも山のものともつかないというようなものでした。そんなところに飛び込んでいくというあたりが、円谷英二は、新奇なものへの好奇心を押し隠せないという性格を この時から現していたように感じます。
そして、航空学校をやめて、おもちゃ会社に一時入るのですが、そこから映画産業に引き抜かれます。
当時の映画というものも 大産業ではなくて、新聞・瓦版の世界がそのまま映像になったという感じ。聞いた話では…何か事件があると、そこに監督と役者さんとカメラで行って、現場の人に状況を聞き、そこでその事件を役者に再現させ、それをそのまま持って行って上映するというようなものでした。
そんな世界に飛び込んで行ってしまうという 新しもの好きが、後に特撮という全く新しい映像の世界の中に飛び込んでいく原点になったということなのでしょうね。』

ナレ『円谷英二が飛び込んだ日本映画は、まだ産声を上げたばかりだった。当時人気を博していたのは、尾上松之助の忍術映画。初歩的なトリック撮影に観客は大喜びした。若き円谷は、こうした現場で 初めて特撮という技法に触れ、その面白さに夢中になる。そして、俳優・長谷川一夫 主演の「稚児の剣法(1927年)」で 遂にキャメラマンとして一本立ち。これ以後、何本もの作品でコンビを組む 犬塚稔監督は、当時の円谷英二をこう語る。』

犬塚『うん、良かったね、彼とやってた時も…長屋を深く撮りたいと思った時、長屋の先を絵に描いて、これをスクリーンに映したものを撮影した。だから、長い長屋が出来たよ。ミニチュアを作るのが上手い。箱庭のようなものを作り、水を流して川を作ったりして撮影した。そういうことをやるのが 円谷は上手かったね。』

ナレ『当時から、円谷には 自分しか撮れない映像への強いこだわりがあった。』

唐沢『飛行機に乗ると、空から地上を見ることが出来る。これは今でこそ航空撮影が見られますが、大正時代は、今までの人間が体験したことのない光景…「この世のものならざる光景」と映ったでしょう。映画にしてもそうです。忍術映画で白煙と共に消えるという、この世のものならざる世界というのが そのフィルムの中で映し出されている。若き日の円谷英二を魅了したのは、この世のものならざる世界。その光景だったのではないかと思います。
実際に映画の世界へ身を置くようになった円谷英二は、クレーン・ホリゾント・逆光撮影・スモーク(このスモークはよく使ったようで、当時「スモーク円谷」と呼ばれていたらしい…)など、最新の技術を使い、この世のものならざる光景をフィルムの上に焼き付けるということに夢を託します。
しかし、新しい技術を多用するという人は、あまり喜ばれない。スターにとって、顔を逆光で撮られたり スモークで隠されたりするのは やはり心地よいことではなく、円谷英二は孤立していたということもあったらしいです。しかし1933年になって、その特殊撮影の概念を 円谷英二ですら覆されるような運命の作品に出会う。その映画のタイトルは、キング・コング』

ナレ『キング・コングを見た円谷英二は、大きな衝撃を受けた。この映画の主役は、映画スターではない。それまで芝居の背景でしかなかった特撮技術が、ここでは堂々と主役を張っていたのだ。興奮した円谷は早速 会社に特撮映画の企画を出すが、まるで相手にされなかった。
「映画を作る以上、こんな映画を作ってみたいと思うのは当然だった。けれども時代劇を撮っていた一カメラマンに過ぎない身では、技術面の新しいアイディアをいくら説いても、会社からは対岸の火事ほどの感心も示してはもらえなかった。(毎日新聞「忍術から宇宙まで」より)」
円谷は独自にキング・コングのフィルムを手に入れ、1コマ1コマ分析。その特撮技術を研究した。いつかは自分も特撮が主役になる映画を作りたい!』

No.16399 - 2006/09/28(Thu) 23:52:21

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第2回の番組レポです / miyu
唐沢『キング・コングが非常にユニークだったのは、それまで映画の脇の部分だった特撮を中心に置いた、特撮が主役の映画だったということ。この映画に魅せられた円谷英二は、いつか自分も特撮技術を中心にした映画を作りたいという希望を胸に宿すことになります。
そうこうするうちに、日本は太平洋戦争へ突入。1942年、円谷のもとに軍から 真珠湾の奇襲攻撃を映画にした作品をつくらないかという注文が来ます。それを引き受けた訳ですが、困ったことがひとつありました。実は、真珠湾とか その攻撃に参加した飛行機・軍艦などの資料を、軍事機密だからと言って渡してくれなかったのです。報道フィルムとか 写真に残っているわずかな飛行機や軍艦の形というものから、徹底して資料を研究し、本物と見まごうばかりのセットを作り、見事な真珠湾攻撃シーンを再現する訳です。
このシーンの素晴らしさというのは、意外なところで後に評価を受けます。それは、当の攻撃された相手であるアメリカ軍。GHQが進駐して来て この作品を戦後に見て、あまりの出来の素晴らしさに、一部分は本物のニュースフィルムを使用しているのではないかと思ったという逸話が残っている程、このときの撮影は真に迫ったものでした。その映画のタイトルは「ハワイ、マレー沖海戦」 』

ナレ『ハワイ、マレー沖海戦(1942年)に描かれた真珠湾攻撃の一場面…観客自身が戦闘機のパイロットになったかのような臨場感に満ちている。飛行機乗りだった円谷英二の面目躍如たる名場面だ。円谷は、この映画のために1800坪の敷地に真珠湾を再現。乏しい資料を基に、全長3メートルにもなるミニチュアの軍艦を並べた。魚雷命中の際の水柱は、海水と真水では違うのか?爆発を撮る時は、スローモーションにしたほうが良いのか?何度もテストをおこなった。こうして、円谷は特撮を使って“ハワイ、マレー沖海戦”のクライマックスを見事に作り上げた。』

《 円谷流 特撮塾 》
ハワイの山なみを縫うようにして編隊が飛んでくる場面。どのようにして撮影したのだろうか?
円谷英二は、今日も悩んでいた・・・山に沿って旋回する戦闘機をどうやって撮影するか・・・大がかりなセットを組んで撮影を行うには、もはや予算も時間も残されてはいない・・・ハッ、ひらめいた!逆転の発想だ!・・・カメラと飛行機を固定したまま、背景になる山のセットを回転させればよい・・・そのとおりに組んでみたところ、見事に 山にそって飛ぶ戦闘機が映し出された・・・大成功!!
こうして、実写さながらの名場面が誕生したのだった。

唐沢『キング・コングでは、飛行機はまだ脇役でした。あの映画を見て、飛行機そのものに注目する人ってあまりいないと思うんですね。どちらかというとキング・コングだとか 恐竜だとかという そちらの特撮のほうに目が行くと思うんだけれども、たぶん飛行機マニアだった円谷英二は、キング・コングと飛行機の闘いに 手に汗を握って興奮しながら見ていたと思うんです。
その飛行機の魅力を完璧に出せる映画という形で ハワイ、マレー沖海戦。あそこでの零戦による真珠湾の爆撃、編隊を組んで飛ぶ飛行機のカッコよさ、爽快感が出ていて、撮っている人間のワクワク感が伝わってくる映像でした。これはもちろん国内外で、円谷英二の名前を大きく高めた映画だったんですけれども、その反作用というのも大きかったのです。』

ナレ『1945年8月、円谷44歳の時に終戦。連合軍による統治が始まった。戦争中、軍に協力する映画を作っていたという理由で、公職追放の処分を受けた。映画界からの追放である。戦後のこの時期、人間をありのままに描いたドラマが世界的にもてはやされた。日本でも特撮映画の出る幕はなくなっていた。
キング・コングのような特撮が主役となる映画を世に出したい…しかし、生活のために おもちゃの自動車やカメラを作り、企画をあたためるしかなかった。
1952年、公職追放指定解除。円谷は55歳になっていた。』

唐沢『しかし、そういう逆風の中でも、円谷英二の この世のものならざる映像を作りたいという思い。そして自分の人生をある種変えたキング・コングに、日本人の技術・自分の才能・才知 そういうものでもって真正面から対抗する映画を作ってやろうという思いが胸に沸々と湧いていたんですね。
やがて公職追放が解除された時、50歳を越えていました。ふつう 映像の世界で50歳を越えると、後進に道を譲って 自分は悠々自適といったように思うのでしょうが、実はここからが円谷英二の第2の映像人生の始まりだったのです。さっそく自分の作りたかった作品の企画をまとめ、持ち込みにかかります。
その時に構想していたのが、海底から現れた巨大なタコが 船を次々と襲っていくという映画。これがこのまま映像になったら、どのようになったのか想像もつかないんですけれども。とにかく、頭の中にそのような映像のアイデアが湧き、それを構想にして東宝に持って行った時に、田中友幸プロデューサーの頭の中にあった 巨大な怪獣が海から現れ東京を蹂躙して去っていくという映画の企画と合体して、それまでのリアリズムの流れとは全く違う大きな映画の企画として立ち上がった訳です。それが“ゴジラ”だったのです。』

ナレ『1954年、「ゴジラ」誕生。円谷は、ついに特撮が主役となる映画を完成させた。キング・コングとの出会いから20年が経っていた。』

唐沢『思うと…新しもの好き・飛行機が好き・映画が好き・映画の中でも特殊撮影というものが好きという円谷英二の好奇心溢れる少年のような心、それがキング・コングという人生を変える1本の映画と出会い、やがてそれが結実して「ゴジラ」、そしてその後に続く多くの怪獣特撮映画というものが生まれてくる…人生における出会いというものの不思議さを感じない訳にはいきません。
もちろん その出会いは、円谷英二ひとりの出会いではなく、彼の作った映画に出会ってしまって人生が変わり こうしてカメラの前で喋っている私や、その話をテレビの前で聞いていらっしゃるゴジラファン・特撮ファンの皆様の人生を大きく変えたことになります。
特撮映画を作りたいと簡単に言いますけれども、今みたいにパソコンを使って 個人がCGとかを駆使できる時代と違って、あの当時に「特撮映画を作りたい」という希望を口にするということは、今で言うと「宇宙飛行士になりたい」というくらいの現実からかけ離れた希望だった訳です。それが現実になった。実現できた。しかも50歳を越えて…こういう人生もあるんですね。映画の中で描かれた この世のものならざるファンタジックな世界、それが現実にあったのではないかと思えてくるような…そういう人生の出会いでした。』

――――― 以上、第2回 「先生は キング・コング」でした。―――――

No.16400 - 2006/09/29(Fri) 00:00:22

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第2回の番組レポです / 帰りマン&ティガ命
miyuさん、詳しいレポ、ありがとうございました。
大変お疲れ様でした。

なかなか番組の方を観ることができないので、大変助かりました。ゴジラを生み出すのに、キング・コングの影響は大きかったのですね。そのキング・コングも1962年に「キングコング対ゴジラ」という映画でゴジラと対決します。

この「キングコング対ゴジラ」は、レンタルビデオで観たのですが、キングコングとゴジラの両方の名誉を守り、キングコングに対して敬意を払っていたと感じました。
この映画でキングコングは巨大なタコとも戦うのですが、それが偶然なのか、時を越えて実現したかったことをやったのかは、よくわかりません。

ゴジラは、その後キング・コングとは別の、新しい世界を創りましたね。そしてウルトラも・・・。

レポ、本当にありがとうございました。

No.16403 - 2006/09/30(Sat) 20:11:59

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第2回の番組レポ / リド
Niyuさん、みなさんこんばんは。
miyuさん細かなレポありがとうございます。時間がかかったでしょう。お疲れ様です。

「知るを楽しむ」円谷英二監督に焦点を当てる番組は、私も興味深く見ています。改めて先駆者たる円谷監督の偉大さを感じています。
3回目は、見逃してしまいましたので来週3日(火)早朝05時5分から起きてじっくり(眠い目をこすりながら、いえいえ正座してです)再放送を見たいと思います。
デッキが壊れて電器屋さんが持ってってしまったので予約録画出来ません…ぼやき

No.16404 - 2006/09/30(Sat) 23:52:54

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第2回の番組レポです / モグルドン
miyuさん、みなさん、こんばんは。

やっとじっくり読むことが出来ました。
レポ、お疲れ様です。

英二監督が、どうやって特撮という世界を切り開いていったのか、
まさに創意工夫の連続だったんですね。

飛行機がまだ不安定な時代から、飛行機に憧れ、その世界に臆することなく飛び込んでいく、
やはり根っからの冒険者なのかもしれません。

1回目、2回目とレポありがとうございました。

No.16405 - 2006/10/03(Tue) 00:50:33
まだまだ“について”が来た / 太陽好き
2002年10月の「相模湖ピクニックランド」について知りたいです。時間のある方……
今過去ログを見ています。ごめんなさい、過去の事ばかりで。

No.16392 - 2006/09/27(Wed) 14:38:46

Re: まだまだ“について”が来た / モグルドン
太陽好きさん、みなさん、こんばんは。

2002年10月、相模湖ピクニックランドのイベントがあったとき、
まだこのサイトは出来ていなかったんです。
ここが出来たのは2003年4月20日。
ですので過去ログをご覧になっても、
そのときのことは書かれていないと思います。

ここをご覧の方でそのイベント行かれた方がおられるといいのですが・・・

ムサシな太陽くんを見るために、大人・子どもも合わせて5000人集まって、
握手をするだけでもとても大変だったと聞いています。
子どもと握手する時はしゃがみ、大人と握手する時には立ち上がるので、
5000回のスクワットをしたことになり、翌日は立ち上がれなかったとか・・・・?

No.16394 - 2006/09/27(Wed) 23:20:02

Re: まだまだ“について”が来た / 太陽好き
泣きそうに……、感動です。

そのとき息子はまだ小さくて、ウルトラマンの事も全く知っていませんでした、今だったら、5000人じゃなくて、5002人になるんだ。

前のゆーこさんが書き込んだ言葉:コスモスがなかったら、自分はネット世界を知らないままだったかも知れないし・・・きっかけはいろいろありますが、知ったところからがご縁ですね。

感心です、“知ったところからがご縁ですね。”!!

映画「0(ゼロ)からの風」の完成披露試写会は本当に行きたいです。家からも遠くないし、ただ、休日にお願いしたいな!

10月21日からの NHK「魂萌え」は絶対大丈夫、もうカレンダーに印をつけておいた。

前に書き込んだことあるんで、たぶん遅いから、モグルドンさんは見られなかったかも、面白いと思いまして、もう一度書き込んで、モグルドンさんに見せます:
“なんとなく、モグルドンさんの名前を見ましたら、土井垣隊員の姿が目の前に出てきた。太ってますか?^v^ ごめんなさい!!”^o^

モグルドンさん、どうもありがとうございました!!

No.16396 - 2006/09/28(Thu) 13:27:57

Re: まだまだ“について”が来た / モグルドン
太陽好きさん、こんばんは。

↓で書かれていたのは、拝見していましたが、あえてスルーさせていただきました。
モグルドンという名前が、そう思わせるのでしょうが、
残念ながら太ってはいません。
スレンダーという体型でもありませんが・・・

モグルドンという名前は、つけていただいたもので、
モグルドンは、目が綺麗でかわいい怪獣なので、とても気に入っています。

No.16398 - 2006/09/28(Thu) 20:00:19

Re: まだまだ“について”が来た / リド
太陽好きさん、モグちゃんこんばんは。

その時の2002年の世相。そのイベントの翌日がたしか北朝鮮に拉致されたご夫婦等5名の被害者が日本に無事帰還した日です。

私は相模湖ピクニックランドの『ウルトラマンコスモスヒーローイベント』で、杉浦太陽くんこと生ムサシ隊員にお会いしました。小学生の娘と二人で行ったのですが、その日私は初めてお会いできて大感激の日です!
当時はまだ特撮雑誌とかネットを見ていませんでしたが、食品購入で利用していた生協のチラシを偶然見てイベントを知ったのはラッキーでした。

10月というのにとても暑い日でした。イベント会場は、広い広い芝生の広場を埋め尽くすほどの大変な家族連れ等のファンの熱気でいっぱい。
ヒーローショーは午前と午後の2回ありましたが、あの伝説的スクワット握手会は午前のショーの後のみで、午後ショーの方はありましたが再度予定されていた握手会は、急きょ中止になってしまいました。
握手会は長い長い行列に並ばなければならなかったので、私は握手会の列には並ばず、しばらくムサシ隊員がファンと握手されるところを見ておりましたが、ムサシはお子さんと握手される時は、しゃがんでお子様目線で、親御さんも握手を求められたので、すっくと立ち上がって握手。
数千人はいましたので、察するところムサシ隊員は午前の握手会で疲労がピークであったことと思います。
そんな優しいファンサービスをみて、ますます私も杉浦太陽さんのファンになった次第です。
記念に沢山のファンと一緒に写真撮影されましたが、私は隅っこにいましたので残念ながら写ってはいません。

その頃はすでにコスモスの放送も終わってましたので、テレビで見るムサシ隊員も素敵でしたが、さらにイメージチェンジされてチームアイズの隊員服ながら、茶髪でロン毛も似合う、とても美しい爽やかな青年という雰囲気が印象的でした。

No.16401 - 2006/09/29(Fri) 00:07:24

Re: まだまだ“について”が来た / 太陽好き
リドさん、もう“おめでとう”と“ありがとう”しか言えませんでした。リドさんの記憶の中にこんな素敵、綺麗な思い出があって……!これから、この素敵、綺麗な思い出のコピーを私の記憶の中にも置いておくわ。
どうもありがとうございました!

なぜモグルドン を土井垣隊員と繋がっていたのか?と最初には私も分からなかった。ちゃっんと考えましたら、やっぱり理由があった。
   まず、モグルドン の名前は土井垣隊員が名付けてくれました。そのときの土井垣隊員はとても面白いでした。この話の内容もとても面白くで、息子と笑いながら見てました。
   そしてもちろんモグルドン の目は綺麗で、とても可愛い怪獣でしたよ。土井垣隊員に似てるかなと思いました。チームアイズの隊員たちみんな好きです。土井垣隊員は頭良くて、面白くて、とても可愛いの存在でした。
   だから、これからずっとモグルドン さんの名前が見た時、私の微笑みが浮かびますので、断らないでくださいね^o^〜〜〜!ありがとうモグルドン さん。

No.16402 - 2006/09/29(Fri) 15:56:49
“10/7の池袋”について / 太陽好き
“10/7の池袋”にはEx.Boldのイベントなんかありますか?知りたいな。
No.16390 - 2006/09/27(Wed) 14:20:49

Re: “10/7の池袋”について / モグルドン
太陽好きさん、みなさん、こんばんは。

たぶん↓に書いてある“10/7の池袋”とは、
今公開されている映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』の、
舞台挨拶等のイベントの事では無いかと思います。

Ex.Boldのイベントがあるといいのですが、最近はなかなかありませんね。

その代わりに、
中京テレビ「モリゾー&キッコロと一緒に!つなげ未来へ 愛・地球博」
という特番が放送されます。

9月30日(土)中京テレビ午前10時25分〜11時17分の生放送。
中京テレビは、ご覧になれますか?


あと、嬉しいお知らせが!

太陽くんの映画の完成披露試写会のお知らせがあります。
映画「0(ゼロ)からの風」

企画・監督:塩屋 俊さん、脚本:江良 至さん。
出演:田中好子さん、太陽くん、ほか

完成披露試写会
 ・早稲田大学構内(東京)…2007年3月予定
 ・大阪国際会議場(大阪)…2007年3月23日

公開 2007年春に東京、大阪、他主要都市にて公開予定

公式サイト http://www.zero-karano-kaze.com

10月21日からは、NHK「魂萌え」が全3回で放送されます。
少しの辛抱ですから、楽しみに待ちましょうね。

No.16395 - 2006/09/27(Wed) 23:31:32
太雄くんのショートムービー / モグルドン
みなさん、こんばんは。

太雄くんのインテルのショートムービーが、インテルのHPでアップされています。

真面目だけどめちゃ面白いですよ。

http://www.intel.co.jp/jp/gopro/index.htm?iid=jpHMPAGE+Feature_06ww39_060925_vPro_gopro

サラリーマンの役をやるなんて思っていなかったから、
スーツ姿がとても新鮮でした。

メッセージもアップされていましたが、太陽くんは新しい映画の撮影だそうです。
テーマは今、問題になっている飲酒運転。
かなり大役だそうで、公開されるのが楽しみですね(@⌒ο⌒@)


太雄くんの武者修行のほうも、がんばっているそうです。
ステージがあったそうですが、武者修行のバンドのステージなんでしょうね。
音楽をやっている太雄くんは、また違った魅力を見せてくれます。

お二人とも、これからもあらゆる場面でがんばって欲しいですね。

No.16389 - 2006/09/27(Wed) 00:33:02

Re: 太雄くんのショートムービー / 太陽好き
みました。すごく面白かった。会社にいるから、大きい声で笑えなくで、すごく我慢してました!^O^
No.16391 - 2006/09/27(Wed) 14:24:22

Re: 太雄くんのショートムービー / miyu
モグちゃん、太陽好きさん、みなさん、こんにちは。

雄くんのショートムービー 見ました〜。とても面白かったです。(^o^)♪
でも、実際にあんなことが起こったら困りものですけどね・・・。

太陽くんの映画、今問題になっている飲酒運転によって生じた事故に巻き込まれた男性と、その母親に焦点を当てた物語のようですね。
2007年春に東京・大阪・他主要都市にて公開予定となっていますが、こちら福岡でも公開されるといいなと思っています。

No.16397 - 2006/09/28(Thu) 16:43:44
NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 番組レポです / miyu
みなさん、こんばんは。
この番組、ご覧になりましたでしょうか?見逃された方もいらっしゃるようなので、レポしますね。

NHK教育 知るを楽しむ 「私のこだわり人物伝」  語り手は、唐沢 俊一 さん。
この番組、『〜特撮の神様〜 円谷英二』の凄さを 唐沢さんが語り尽くすというものです。

◆第1回 ゴジラは日本人である (9月5日放送分)

唐沢『円の谷と書いて、ツブラヤ…我々はごく普通に読んでいますが、ある人に聞いたら難読な名字のひとつなのだそうです。でも我々は、円谷英二という名前を 生まれる前から知っているかのように口にします。果たして、円谷英二という人間は どういう人間だったのか。その素顔を、彼が生み出した特撮という大きなジャンルについて、4回に分けてお送りしていきたいと思います。第1回は、彼が生み出した存在の中で最も大きな“ゴジラ”について追ってみます。』

ナレーション『1954年、ゴジラは初めて日本人の前に姿を現した。水爆実験によって眠りを覚まされた古代の恐竜。背びれを光らせて熱線を吐き散らす、身長50メートル、体重2万トン。そんな巨大な体で文明社会を徹底的に破壊し、焼き尽くした。
怪獣王ゴジラを生み出したのは、特撮の神様 円谷英二だった。ゴジラは、日本で初めて作られた怪獣映画だった。その後、40年間に亘り、全部で28本の作品が製作された。これまでの観客動員数は、およそ1億人。1997年には、アメリカでリメイク版も製作された。破壊の限りを尽くす恐るべき怪獣ゴジラ。なぜ人々はゴジラに魅了されるのだろうか?』

唐沢『日本初の怪獣映画で破壊の神、破壊の象徴として登場したゴジラ。私が初めてゴジラに会ったのは小学校に入るか入らない頃で、本当に恐ろしい・怖い…だけど 驚きとか脅威というよりも、妙な懐かしさ・安心感のようなものを最初に感じてしまったということも事実です。どうして、あれだけの破壊と殺戮の象徴として描かれたゴジラが、こんなにも自分と同じような世界、地表にいるものとして捉えられ、異物・違和感ではなく 同じ世界のものとして、むしろ仲間みたいな感情を抱いていたのが不思議で仕様がなかった。ゴジラを見た同世代の人たちの話を聞いても、同じようなことを思うんです。それは一体なぜなのか、ずっと不思議に思っていたんですけれども、つい最近になって、これはゴジラという映画の撮影の手法に謎・秘密があるのではないかと思えてきたんです。
実はゴジラを見る前に、僕は キングコングを見てものすごい衝撃を受けたんです。とにかく、この世のものならざる生き物たち(キングコング、怪獣、怪鳥など)が 画面狭しと暴れ回る…その方式というのは、“コマ撮り”という方式です。ところが日本の方式は、例えどのような形状の怪獣であろうと基本的には“着ぐるみ”方式です。なぜ、円谷英二はこの着ぐるみ方式に執着したのか?そして、それで撮られた怪獣がここまで日本人に愛されるようになったのか、そこにゴジラの大きな秘密があるのではないかと思います。』

ナレ『1933年にアメリカで公開されたモンスター映画の傑作“キング・コング”。この映画は、コマ撮りという技法で撮影されている。人形を動かしながら1枚1枚フィルムに撮影をする。それを続けて再生することで人形が動いて見える。恐竜とキングコングとの格闘場面。コマ撮りを使えば、あらゆる形をした生き物を自由自在に、且つスピーディーに表現することが出来る。欧米では人間以外のキャラクターを表現する時には、コマ撮りが使われることが一般的だった。
一方、ゴジラで使われたのは 着ぐるみ。ぬいぐるみを俳優に着せ、ゴジラの役を演じさせた。俳優が入っているため、当然ながら人間と同じ動きしか出来ない。動きのスピードにも限りがある。当初、ゴジラはキングコングと同じようにコマ撮りで作られるはずだった。しかし、公開までの時間がなく、予算も足りなかったために着ぐるみになったと言われている。着ぐるみのゴジラは 大いに受けた。その後、円谷英二は 一貫して着ぐるみにこだわり続けた。』

唐沢『制限されたぬいぐるみ方式の撮影を円谷さんが起用したというのは、海外の特撮作品とは全く違う、ある迫力、ある種の性質というものをゴジラ映画に与えている…今、正当なゴジラ映画に対する評価というのは、そういうことになるのではないでしょうか。リアリズムという点について見れば、はるかに人形アニメーションのほうがリアリズムである、特撮の真髄に近いということになるはずなのですが、リアルな特撮は物足りなく感じるのです。ゴジラというのは、リアル部分が少ない分 恐竜でもなければ ぬいぐるみという形でもない…何かそこに新しい要素というものがあるんです。』

ナレ『アメリカ人が作ったキングコング。その動きは多彩でスピーディー。当時、最新の技術が達成したリアリズムである。一方のゴジラの動きは 単調でスローモー。しかし、この着ぐるみの動きには 何とも不思議な威厳が宿っていないか?私たち日本人は、最小の動きで 最小の表情で行う 深い表現を知っている。ゴジラは、“能”に似ていないか?』

唐沢『チェコの人形作家と話した時、日本にチェコのアニメーションを輸出するのは楽だが、アメリカに輸出するのは面倒くさいと…どこが?と聞くと、アメリカでは人形が喋る時に 口を必ずパクパクと動かさなくてはいけないと。アメリカ人は、人形の口が動かないと喋っていないと考える。
日本の能とか文楽とか、お面を被ったり 表情の出ない人形でストーリーを語り認識する我々の文化とは違うのです。海外の観客は、ゴジラを様式性の高い能や歌舞伎に近い文化として見ているらしい。共通の文化の認識の中において、余計なものを排除していって、その排除された分は 見る方が想像力とか良識で補う…見る方と見せる方との協力体制でひとつのイメージを形作っていく。だから必ずしもそこに描かれるものが、リアリズムというものを前面に押し出さなくてもいいと思ったのです。
日本人は 着ぐるみのゴジラを想像力で補って見ているのではないか、それが日本の特撮を 海外のリアリズム重視といったものとは違う特殊なものにしているのではないかと思ったのです。そういう見方を通して、時間と共にゴジラは海外にも受け入れられていったのではないか。こちらが想像力を持って作品の中に踏み入れていくということによって、ひとつの作品を作っていく日本独自の表現性が、特撮映画というジャンルを初めて作り上げた円谷英二の頭の中にあったのではないかという気がします。』

No.16386 - 2006/09/25(Mon) 20:04:32

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 番組レポです / miyu
ナレ『ゴジラの着ぐるみを作った 開米栄三 は、円谷英二の狙いについてこう語っている。』

開米『最初、円谷さんという人は、恐竜とは違う独自のものを作ろうとした。やはり日本人の性格からいくと、コマ撮りはオモチャに見える。人間が入って動けば、これは面白いとなる。軽く見せないで、重く見せようと…。』

ナレ『ゴジラの着ぐるみを着た俳優 中島春雄。演じるに当たって能の動きを参考にしていた。』

中島『足の裏を見せると、ドッコイショドッコイショという感じになる、重いから。だから摺り足で歩いたほうが重量感がある。こんなかんじで(足を上げて)歩いても絵にならないんだよね。やっぱり摺り足のほうがずっといいですよ。』

ナレ『摺り足でゆっくり前進するゴジラ。コマ撮りにはない重量感。リアリズムを超えた存在感があった。ゴジラは、日本人にしか作れない怪獣だったのである。』

唐沢『背びれが光って放射能を口から吹くという、生物学的にはありえない描写も、平気でゴジラのキャラクターの中に取り入れている。何の象徴なのか、何の様式として存在しているのかと考えた時に、よく 原水爆の象徴であるとか 戦争の象徴だろうとか言われていますが、ただそれだけであれば、公開以降何十年にも亘って 若い人たちにもインパクトを与えるというのは考えにくいと思っています。僕は、当初の製作者たちの思惑を超えて、あのゴジラの描写には、日本人がみな心の中に持っている“荒ぶる自然神”のイメージが象徴されているのではないかと思います。我々日本人は、川が溢れたり山が崩れたりという自然の荒ぶる形に ほとんどなすすべがなく、災害というものを受け入れざるを得ない状況の中で長いこと暮らしてきた訳です。その荒ぶる自然のパワーが ゴジラの破壊シーンに象徴されているのではないかと考える時に、ゴジラという映画は正に、日本人が 日本人の感性・日本人の心から生み出した存在じゃないかと思えてくるのです。

《 円谷流 特撮塾 》
ゴジラの白熱線を浴びて鉄塔が熔けていく。この場面はどのように撮影されたのか?
撮影中、円谷英二は大いに悩んでいた。ゴジラが吐く熱線の凄さをどう表すか・・・その時、素晴らしいアイデアがひらめいた!・・・円谷は 特技スタッフに、ロウソクを材料にしてミニチュアの鉄塔を作らせた・・・撮影用のライトを至近距離から当て、撮影スタート・・・やがて、ライトの熱を帯びたロウの鉄塔は溶けだした・・・大成功!!
こうして撮影したフィルムを早回しすることで、この名場面が誕生したのだった。

唐沢『ゴジラ映画の歩み、それはそのまま 日本の高度経済成長の時代に重なります。高度経済成長…言ってみれば、我々日本人を育んできた自然が文明という名の便利さによって侵食され、破壊されていく過程だったわけですよね。我々はその便利さを享受しながらも どこかに罪悪感というものを感じていた。
ゴジラ映画とは一体何かというと、原子のエネルギーを持つ怪獣と、人間が作り出した最新兵器との闘いを描く映画と言って間違いはないと思います。その映画がなぜこのようにヒットして、日本で怪獣映画というジャンルが定着したかというと、それは日本人の心のどこかに持つ傷(自然に対する日本人の引け目)が怪獣映画を見ることで癒される、或いは そこに言い訳ができるというものだったのではないかと思います。高度経済成長というのは、日本の発展のために必要なものであったという位置づけではいるのですが、その時に大きな痛みも伴なったわけです。そういう文化の象徴を生み出して我々に与えてくれた…ひとつの映画の作品ではなくジャンルそのもの、ひいては高度経済成長、文化をひっくるめた象徴、そういうものを与えてくれた存在というのが円谷英二という人だったと思います。
こうしてみると、円谷英二という人は 一映画監督・一特技監督ということを超えた、いわゆる文化の創造者、文化というものを私たちに与えてくれた偉大な存在。これだけ大きなものを我々に与えてくれた映像関係者というのは、円谷英二以外にいたでしょうか?ちょっと思いつきませんね!!』

――― 以上、第1回分でした。―――


明日 26日(火)には、NHK教育 午後10:25から 第4回 「ここに特撮あり!〜唐沢俊一が選ぶ円谷特撮名場面〜」が放送されます。
特撮監督:中野昭慶さんと、桜井浩子さんも お話してくださるようですよ。 お見逃しなく!

No.16387 - 2006/09/25(Mon) 20:14:07

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 番組レポです / モグルドン
miyuさん、みなさん、こんばんは。

第1回目のレポ、お疲れ様です。
これはチラッと見たんですが、外国で行われていたコマ撮りの撮影は、
解説でも言っていたように派手な演出は出来るかもしれませんが、
着ぐるみでの演技に慣れている私には、なんだか人形劇のように見えて仕方ありませんでした。

動きは速くなくても、ちょっとした動きや見えないはずの表情に、
とても深いものを感じます。

そういう手法で特撮界を引っ張ってきてくださった円谷監督に、感謝します。

今夜も放送があるんですね。
先週は見逃してしまったので、今回は忘れないようにしますね。

miyuさん、レポ本当にありがとうございました。

No.16388 - 2006/09/26(Tue) 20:39:38

Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 番組レポです / 帰りマン&ティガ命
miyuさん、レポお疲れ様でした。

ゴジラの撮影秘話・・大変面白かったです。
初代ゴジラへの思い、なるほどと思いました。実は、自分にとっては、ゴジラはガメラ同様に友達感覚です。
*自分が子供の頃に映画館で観たゴジラは、正義の味方でした。このため、1984年以降の悪役ゴジラにはなじめないのです。^ ^;

初代ゴジラをTVで観た時、そこから、かなり強いメッセージを感じました。だからこそ、世界に広がっていったのだと思います。

ゴジラに愛着を感じるのは、デザインが日本人の感性に合うことも大きいのだと思います。(愛嬌ありますからね。)

レポ、本当にありがとうございました。

No.16393 - 2006/09/27(Wed) 22:22:49
「星野仙一物語〜夢のかじりかけ〜」 / モグルドン
みなさん、こんばんは。

太陽くんが星野監督を演じた『星野仙一物語〜夢のかじりかけ〜』のDVDが、7月5日に、発売になっていたそうです。

出演:杉浦太陽くん、福士誠司さん、小島勝起さん、三上真司さん、
大村波彦さん、原知佐子さん、三田村賢ニさん、不破万作さん ほか
ナレーター:蟹江敬三さん

発売・販売元:カルトーニ、ユニバーサルミュージック

メッセージの方にも「いつの間にか発売してました〜!!」というメッセージとともに、太陽くんのユニフォーム姿がアップされています。

「若いなぁ〜俺………(笑)」って・・・・( ̄ ̄▽ ̄ ̄;)

No.16380 - 2006/09/20(Wed) 20:23:15

Re: 「星野仙一物語〜夢のかじりかけ〜」 / miyu
モグちゃん、こんばんは。 お知らせありがとうございます。

太陽くん、物語の中で星野監督の高校時代を演じられていたんですね。

そういえば、ずーっと前に野球部員役をやったとのメッセージ&写真があったような・・・これだったのかな?

それにしても、とっくに発売されていたとはね・・・(;^_^A

No.16383 - 2006/09/21(Thu) 21:02:33
品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / リド
皆さんこんばんは。
先週16日(土)映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」の全国ロードショー公開となり、私も初日観てまいりました。遅くなりましたが、その初日舞台挨拶のレポです。
すでに何名かの皆さんから各劇場での舞台挨拶の模様を「メビウスベルト」感想掲示板に書き込みしていただいております。
そのため重複する部分もありますが、お許しください。

東京品川プリンスシネマ。映画上映前の午後4時05分からの初日舞台挨拶です。
この回は五十嵐隼士さん他、いとうあいこさんやダンディ4のメンバーも勢ぞろいとあって、当日指定席は前日午前11時30分発売と同時に売り切れるという大変な人気。
私が11時過ぎに列に並ぼうとすると最後尾にボードが立ってて『ほぼ満席です』の表示。
でも幸運の女神が!ぎりぎり指定席ゲット出来ました。ラッキーなことに前から3列めの中央席。
この幸運の席は《舞台挨拶の最後にマスコミによる撮影があるので、その時だけ移動するように》という3〜4列席のひとつだったのです。

前置きが長くなりました。
舞台挨拶の前から劇場のロビーは熱気でムンムン。円谷関係者スタッフ、マスコミ。カメラマンがぞくぞくと集まっていました。鈴木清チーフプロデューサーのお姿もお見かけしました。

No.16373 - 2006/09/20(Wed) 01:50:28

品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / リド
舞台挨拶。まずウルトラヒーロー!舞台に駆け上がったのが、もちろんウルトラマンメビウス!
そしてメビウスのお面をつけたヒビノ・ミライ隊員こと五十嵐隼士さんが勢い良くご登場!
黒いTシャツに黒いジャケット。黒パンツできめてました。普段テレビで見慣れたガイズ隊員服でなかったのですが、お面を取った五十嵐くんはお顔も小さくて、すごくスレンダー。メビウスと並ぶと余計すらっと細身です!

続いてジングウジ・アヤ役の、いとうあいこさん。
子役のタカト役の田中碧海くん、そして小中和哉監督ご登場。

五十嵐「皆さんこんにちはー!初日にこんなに多くの人に来ていただいて、ありがとうございます。嬉しいです!初主演で、右も左もわからないままでしたが、五十嵐隼士とミライが共に成長できました。監督とキャストの皆さんにめぐり合えたからだと思います。ミライと共に頑張っていきますので、よろしくお願いします!」

MCのマッスル力也さんが、小さな田中碧海くんをご紹介。
MC「タカト役の田中碧海くんです」
田中「メビウスが映画になって嬉しいです」
マッスル力也さんが「え、それだけ?」(笑)
恥ずかしそうに田中碧海くん「撮影で待ってる時、いとうさんやミライさんが、いろんな事で遊んでくれました。とても楽しかったです」

いとう「こんにちは。ジングウジ・アヤ役をやらせていただいて、ありがたいです。こんなに多くの応援をいただいて目を見張る思いです。監督が自分を選んでいただいて嬉しい。ありがとうございます」

小中「初日から、ありがとうございます。昨年11月にクランクインして、神戸で力合わせてやってきました。CGも長い時間を経まして完成しました。観ていただいて楽しんでください。歴代のヒーローがたくさん出ています。よろしくお願いします!」

MC「僕も観て4回くらい泣いちゃいました」

No.16374 - 2006/09/20(Wed) 01:56:38

品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / リド
MCさん客席に向かって「ウルトラ兄弟って言ってください!」
客席「ウルトラ兄弟〜〜!」

すると後部座席後ろの扉、ふた手からウルトラマン達がぞくぞく登場!拍手!
初代ウルトラマン・ウルトラセブン・帰ってきたウルトラマン・エース・ゾフィー・タロウ!
そしてダンディ4(黒部進さん、森次晃嗣さん、団時朗さん、高峰圭二さんら伝説のウルトラ兄弟たちの呼称)の面々も。メビウスの仮面をつけてご登場!
4人のメンバーはお揃いの黒いTシャツ。胸には大きくDANDY4と金文字が。

※ダンディ4の呼称は「年を重ねても、いつもステキなヒーローたち」という意味を込め、昨年2005年の神戸ロケの際に女性スタッフが命名されたそうです。現場でも「ダンディ4の皆さん!」などと呼ばれ、ついには公開前のキャンペーン用に、おそろいのTシャツを作成。今、一番ノリにのっているユニット!(映画メビウス公式サイトより)

黒部「皆さんこんにちは!待ちに待った初日です。スタッフと司会、キャストも含めて感無量です。どうぞ存分に楽しんでいただきたい。では今から筋をお話しましょう…」
MC「そりゃ、まずいまずい」(笑)

森次「こんにちは。初日にこんなにたくさん集まっていただいて、ありがとうございます。神戸で4人頑張ってきました。五十嵐くんはまだ新人ですけれど、それなりにとは言いません。立派にやってくれました。デヤッと変身しました。ファンの皆さんに支えられてこそ、やってこれた事と思います。これからも支えてやってください。よろしくお願いします」

団「皆さん今(外は)大雨です」
客席「えーーーーーー!?」
団「ウソです」(笑)団さんお茶目です。
団「完成度の高い映画になったと思います。楽しんでいってください」

MCさんにやんちゃな高峰さんと紹介され
高峰「ほんとは一番大人しい高峰です。映画、きっと面白いと思ってくれるでしょう。お友だちに宣伝してください」

No.16375 - 2006/09/20(Wed) 02:01:53

品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / リド
ダンディ4のそうそうたる先輩たちの横で、立ち位置に悩むのか五十嵐くん。(笑)
「五十嵐くん何うろうろしてるの?一番映りが良い所にきなさい」
と黒部さんが、舞台中央に五十嵐くんを招きました。

五十嵐くん、一番印象深かったことを聞かれ
五十嵐「瓦礫に埋まるシーンです。2時間半もかかって、足が痛いしトイレには行きたいしで、あの表情はリアルなシーンです」

MC「今あーなって、こーなってって言っちゃいけないんですよね」(笑)
黒部「CGもそうだし、バトルもそうだし、メビウスに《ある言葉》を授けるシーンは特に感動的です。全部が見どころです。1時間半の見どころです」

ここで高峰さん、黒部さんに向かって中腰で(早く締めるようにと)巻きを入れるポーズ(笑)。

MC「主題歌を歌っている氷川きよしさんからメッセージです。『ウルトラマンは子どもの頃から大ファンです。元気や勇気をもらいました。光栄ながら映画にもちょっと出ております』とのことです」

ここでマスコミによる撮影タイム。舞台に上がったカメラマンはゆうに20人は居たでしょうか。
私は始めにも書きましたように3列目でしたので移動。一番前列がカメラマン席で空いたのでそこに座って撮影の様子を見ました。
3列目にキャストの俳優陣。4列目にウルトラマン7人。
3列目の客席の膝かけにジュースが置いてあるのを見て黒部さん
「ジュース飲んじゃダメだよ」と仕切る(笑)。

ウルトラマンメビウス40周年と書かれた横断幕を持っての撮影ですが、縦の幅が長くて前の2列目のお客さんにかぶせてみたりしてダンディ4の面々は本当にお茶目です(笑)。結局、ダンディ4のみなさんの首の所まで高く掲げました。

No.16376 - 2006/09/20(Wed) 02:08:07

品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / リド
撮影が終えてまたステージに移動。

小中「ウルトラマンは40才の誕生日を迎えました。僕自身ウルトラマンを見て育った子どもでした。物心ついた頃に感動し、こうしてこの仕事についています。新しいウルトラマンメッセージから、子どもたちに新しい世界をバトンタッチしたい。ヒットしてもらいたい。見て気に入ってくれたら、ぜひお友だちに言ってもらえれば幸いです。ありがとうございました」

MC「五十嵐くん何かあるかな?」
五十嵐「それではみんなで、いつもの…」
ダンディ4のみなさん「おっ!」
MC「ウルトラマンの歌を歌いましょう!」
黒部「そろそろ僕70才で、死期が近づいておりますので思い出にしたいと思います」(笑)
MC「まあまあ、そんなことおしゃらないで…」(笑)

〜むねーにつけーてるマークはりゅうせーー・・・〜♪
客席の観客も一緒に合唱です!!


そして俳優のみなさんが退場された後は、舞台下に待機してたウルトラマンたちが、ほいほいっと軽々登壇。

MC「さすがウルトラマンです。階段を使わないで上がります」(笑)

MC「先ほどウルトラマンの歌の時は、ウルトラマン。手拍子をしておりましたが」(笑)

MC「決め手のスペシウム光線などの得意技ご披露の撮影をもちまして終了です」

女性スタッフが左はしに居たゾフィーに立ち位置を指示を出していたのが、なんとも微笑ましい…
Vの字に横並びした時は、カメラマンから「タロウ!(横のウルトラマンと)かぶり過ぎ!」と言われ、直してました(笑)。

MC「40代のお父さんいますか?30代いますよね。どうぞ揃ってお楽しみください!」
舞台挨拶はおよそ30分くらいでした。

映画も面白かったです!感動ものです。また劇場に足を運びたいです!!
また長いレポになりましたが、雰囲気とか様子は伝わりましたでしょうか
(^^;;;;

No.16377 - 2006/09/20(Wed) 02:18:39

Re: 品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / 太陽好き
レポを見ました。詳しく書いてくれて、楽しいでした。お疲れ様でした。ありがとうございました。
No.16378 - 2006/09/20(Wed) 13:02:48

Re: 品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / モグルドン
リドちゃん、みなさん、こんばんは。

ロングレポ、ありがとうございます。
やはりダンディー4のいる所、笑いありですね。
大人の余裕と、人間の深さを感じます。

メビウスベルトに、棺桶のジョーさんが書かれていましたが、
今朝「おはようコールABC」ウルトラマンをやって来た事が、
財産だったり、ウルトラマンが自分自身だとおっしゃってくださったり、
聞いていて、ファンとしてもとても嬉しかったです。

そういう方々が演じてくださっているのですから、
この映画が面白くないわけがありませんよね。

まだ見る事ができませんが、楽しみにしたいと思います。

レポ、お疲れ様でした。

No.16379 - 2006/09/20(Wed) 20:17:31

Re: 品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / 帰りマン&ティガ命
リドさん、お疲れ様でした。
いつも詳しいレポを書いていただき、ありがとうございます。

私も映画は観たものの、舞台挨拶が来ない映画館だったので、こうして読ませていただくと、やはり楽しいです。十分に雰囲気は伝わりました。

ダンディ4の皆さん、いつでもどこでも、本当に楽しそうですね。映画でもウルトラの重みを感じさせてくれました。

今回の映画はどこでも非常に混んでいるようですね。やはりウルトラ兄弟の人気は時代を越えて不滅、ということなのでしょうか。

レポ、ありがとうございました。

No.16381 - 2006/09/21(Thu) 02:32:30

Re: 品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / miyu
リドちゃん、みなさん、こんばんは。

リドちゃん、舞台挨拶 ご覧になれたんですね。 読んでいて、こちらまで楽しくなりました。
なかなか時間が取れずに まだ映画館に足を運んでいませんが、旦那と子供と「絶対に行こうね!」と楽しみにしているところです。
親と子供が一緒に楽しめる映画って、いいですね。 さすがウルトラマンです!(o|o)

リドちゃん、レポをどうもありがとうございました。

No.16382 - 2006/09/21(Thu) 20:41:42

Re: 品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / ちゃむ
リドちゃん、みなさん、こんばんは。

舞台挨拶は見たこと無いんですが、楽しそうな雰囲気が伝わってきて、自分もその場に居るような気分になりました。
ダンディ4のみなさんの、懐の大きな大人の感じが会場に和やかな空気を満たしていたみたいですね。
映画は見れそうに無いですが、見に行きたくてしょうがないです。

詳しいレポをありがとうございました。お疲れさまでした。

No.16384 - 2006/09/22(Fri) 00:22:53

Re: 品川プリンスシネマ映画メビウス初日舞台挨拶レポ / よしよし
ども、リドさん
はじめまして、舞台挨拶の時、隣に座ってた者です。
覚えてますか?

いやー、熱心にメモを取ってたのが印象的でしたが・・・
こんな完全なレポートになるとは・・・

当日の写真があります。
宜しければ送りますのでメールください。

10/7の池袋に行くのなら、またお会いしましょ!(^^)

No.16385 - 2006/09/22(Fri) 00:36:22
『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / miyu
みなさん、こんばんは。 KBC九州朝日放送発の深夜番組『ドォーモ』で12日に放送されました、ウルトラ兄弟インタビューのレポです。 映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』公開間近ということで、かなり焦りましたが・・・何とか間に合いました。
ウルトラマンについて、映画について、とてもたくさんのお話をして下さっています。
せっかくのお話でしたので、勿体なくて省略することができませんでした。
それで、レポもとても長いものとなってしまいました。m(__)m
どうぞ、ウルトラ兄弟たちの熱い思いがこもったトークをご堪能ください。


KBCにウルトラ兄弟がやって来た!
『大人のためのウルトラマン講座』と称して、「ドォーモ」リポーターの高橋徹郎さんと岡本啓さんがウルトラ兄弟をインタビュー。

先ずは、自己紹介。
「初代ウルトラマン(ハヤタ隊員)をやっておりました 黒部 進 です。シュワッチ!」(と、スペシウム光線のポーズ)
「ウルトラセブン、モロボシ・ダンをやりました 森次 晃嗣 です。ジュワッ!」
「ウルトラマンA、北斗星司をやりました 高峰 圭二 です。」(変身ポーズ)
そう、KBCに来て下さっていたのは、黒部さん、森次さん、高峰さんでした。
帰ってきたウルトラマン(郷秀樹)の 団 時朗 さんは、お仕事の都合で残念ながらお越しになれなかったとのことでした。・・・が、番組中、別撮りのVTRでご出演されていました。

(以下、敬称を略させていただきます。)

ウルトラ3兄弟を目の前にして、はしゃぎまくるMC2人。「すごーい。僕たち子供のアイドルだった人たちだー。」
高峰 「それが、こんなに変わっちゃったのよ。」(一同笑) 「帰ろうか?」(笑)
黒部 「ギャラ分、仕事せんとアカンわ。」(笑)

MC 「今、お幾つでいらっしゃいますか?」
黒部 「満67歳です。(67には見えないと言われ)66歳くらい?(笑)」
森次 「63ですね。当時は…リアルタイムは24歳」
MC 「24歳の時のダンさんは、カッコイイ、ダンディな、ちょっと日本人離れした雰囲気だったですよね。」
森次 「役が宇宙人ですからね。宇宙人の役を演じたっていうのは、あまり俳優さんいないですよ。」
MC 「地球の人じゃなかったですよね。」
森次 「そう、宇宙人ですから。だから、あなたたちは宇宙人と話してんだよ。分かってますか?僕の目を見てください。分かりますか?」
黒部 「今は、ただのオッサンやで。」(笑)
高峰 「(MCに歳を聞かれ)幾つに見える? (58くらいと言われ)今年、還暦。2コ若く言ってくれて、ありがとうございまーす!」

【ウルトラマン ハヤタ隊員になった経緯】
黒部 「普通、ああいう役をやる時には 大概オーディションとかやるんでしょうけども、東宝の場合は“君、黒部くん、これやりなさい”って、半強制的にもらった台本なんですよ。もらって…これは初めてですから、そういった類のお子様番組をテレビでやるのは。ですから、不安もあったし、期待もあったし、どうなるのかなあと思いながら作品に取り組んだんですけれどもね。」
MC 「ハヤタさんは、ウルトラマンをされる前は、どういう役が多かったですか?」
黒部 「僕は、青春スターでしたから。アランドロンの次に…(笑) あの時(ウルトラマン)は27歳だったの。僕は、22歳で東宝デビューしてるから。星由里子さんてご存知でしょ。あの人の相手役でデビューしたの。」
MC 「へぇー、じゃ、本当にまっとうな二枚目俳優として…」
黒部 「そう、そう、そう…。まっとうなって…シバクでぇ(笑) そうなんですよ。だから、並みいるレギュラーというか、ヒーローの中で、僕は一番年上だったはず、27歳というのはね。」

【ウルトラセブン モロボシ・ダンになった経緯】
森次 「デビュー作がウルトラセブンってことにしているんですよ、僕は。その前にあるんですけど…一応は、ウルトラセブンがデビュー作ということで。 今までの流れとしては、東宝の俳優さんが多かったんですよ、円谷プロとしては。ウルトラQが佐原健二さんで、マンが黒部さんで、ヒロインが桜井浩子さんという東宝の俳優さんなんです。やっぱり、ウルトラセブンをやるに関して、宇宙人的な人間がいなかったんじゃないですか。それで、私が…広い日本の中から選ばれたわけですよ。」
MC 「その…ウルトラセブンやってくれないかねって?直接的に言われたんですか?」
森次 「僕から言わせてもらえば、新人の頃ですから どんな作品でも主役であれば、それはひとつのチャンスですからね、僕にとっては。どんな作品でも良かったんですけど、たまたまウルトラセブンという番組が来たわけですよ。」
MC 「その時のお気持ちはどうだったんですか?」
森次 「何しろ、1年間の大変な撮影だということで、懸命に、暇なく、1年間働かせてもらいました。」
黒部 「あー、これで子供も養えるし、奥さんも養えるなと思った?」
森次 「いや、思わないですね。」
黒部 「あっ、そ…」(笑)
森次 「その頃、例えば、お金の話になりますけどね…プロダクションのひとつの新人扱いでしたから、月3万円で…給料が。それで、1割5分か2割引かれて、2万8千円で暮らしました。」
黒部 「1か月?1本だろう?それは。」
森次 「違うよ、1か月3万円ですよ。1本じゃないですよ。」
黒部 「ああ、そうー。」 
(ここで画面には字幕が…黒部さんのお顔の下には“1本3万円”、森次さんのお顔の下には“1か月3万円”の文字です。)
森次 「あなたは東宝のスターさんですもの。私は、ちまたの中から選ばれた宇宙人ですから!」
(画面には“口論するマンとセブン”の字幕が…汗)
その模様を、少し離れてちょっと冷めた様子で見ていた高峰さん「いやいや…ついていけないなぁ。世代間のギャップをすごい感じますよ、どうぞ、どうぞ。」

【帰ってきたウルトラマン 郷 秀樹になった経緯】(他の3人とは別撮りでのご出演です)
団 「僕がこの仕事をやったのは、21歳くらいの時なんですね。まずこの話を聞いた時には、主役をやるのか、隊員の中の誰かひとりをやるのか、その辺がちょっと曖昧なまま 是非やりたいとお受けしたような記憶があるんですが。これが蓋を開けてみると、主役だったということで非常に驚きで、非常にラッキーだったという思いがあります。」

【ウルトラマンA 北斗 星司になった経緯】
高峰 「僕は、それまで関西で割りと長いこと役者やってたのね。それで周りの友達が東京へ出て行ったものだから…例えば、桜木健一とか近藤正臣とか、みんな仲間で関西でやってたのね。桜木健ちゃんが柔道一直線の後に刑事くんというのをやってたんですよ。それに1本ゲストで呼んでくれたのね。それで何が良かったのか…その時のプロデューサーがウルトラマンのプロデューサーでもあったんですよ。それで、終わったら“高峰くん、ちょっとカメラテスト受けに円谷へ行ってみないか?”ということで、Aの主役が決まったんですよ。」
MC 「決まったときの感想は?」
高峰 「これで、アパートの敷金ができて、なんとか東京へ出て来れるかなぁていうことだったんだよね。」(笑)
MC 「何か、みんな同じ… 生活が…(笑)」
黒部 「もうちょっと夢のある話をしてあげなさい。」

No.16364 - 2006/09/14(Thu) 23:43:14

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / miyu
【ウルトラマン 撮影の思い出】
黒部 「スタジオの中はクーラーも何もないし、扇風機もほとんどなくて、屋根がトタンだったのよ。夏は暑いし、冬は雪が吹き込んだら雪掻きをして。セットの中で雪掻きをして、撮影したことがあるんですよ。」
MC 「そんなに過酷だったんですか?」
黒部 「そうです、40年前はね。大変状況が悪かったですよ。で、あのオレンジの隊員服というのは、冬は中に着れない(着込めない)んですよ。フィットしてるから…寒いし。夏は、あれはスキー用の布地を使っているから暑いんですよ。もう、寒さと暑さに本当に参りました。それとね、変な話…前にチャックがないの。だから、お手洗いに行けない。上をみんな脱いで、ズボンを下ろしてしかお手洗い出来なかった。それに、あの色も恥ずかしかった。ロケにちょっと行けなった、目立つから。あんな衣装着て歩いている人いないでしょ。」

森次 「ウルトラセブンも同じ条件の中でやってましたね。」
MC 「セットと同じじゃないですか。」
高峰 「セットでというか、場所がね。スタジオがね。」
MC 「セブンの時もクーラーも効かず…?」
森次 「クーラーは全くないです。」

MC 「北斗隊員の時は?」
高峰 「僕の時は、ちょっと違う。撮影所もね。」
森次 「差、ついてるの?」
高峰 「差、ついてる。東京映画で取ってたから!」
黒部・森次 「うわー」
高峰 「僕の時だけ違うんですよ。僕の時から、何年間かは違うはず。映画の東宝の本編を撮ってるスタジオでやらせてもらってたから、恵まれてましたよね。」
MC 「冷暖房というのは?」
高峰 「あったんです!先輩の作品より、僕の作品のほうが立派ですよ。気品がある。」
黒部「それは…いやいや…」(笑)

【ウルトラマンの隊員たち】
黒部 「とってもバラエティに富んだ役柄だった、お互いに。5人のクルーのコントラストがとても良くて、あの作品の中でも、仲の良さというのが絶対にいい形で出ていると思うんですよ。でも、フッと締めるのは隊長がね、ムラマツキャップ(小林昭二)が締めて、ふざけるのはマムシ(アラシ隊員:毒蝮三太夫)で。僕はエリートだったから寡黙で、桜井さんはアイドルだったから。だから、手探りだったけれども、いい形であの作品に取り組んだような気がしますよね。」
MC 「セブンの時はどうだったですか?」
森次 「隊長は威厳がありましたよ。敬礼なんかも軍隊調にやろうと。こう、ヘルメットを持ってキチッとした形を作ろうということで。それが、実に良かったですよね。」

【ウルトラマン 思い出に残るエピソード】
黒部 「雪ん子ウー(第30話 まぼろしの雪山)でね、彼女が雪山に消えて行くのを、僕がずーっと悲しそうに見守っている、僕のあの素敵な表情…フフフフ…とてもジーンとくるところが今でも印象に残っている。あと、追いかけたり追っかけられたり、崖登ったり落ちたり、変身したりっていうことでしょ。それは凄く印象に残っていますよね。」

【ウルトラセブン 思い出のエピソード】
森次 「やっぱり、今でも覚えているのは最終回(史上最大の侵略:後編)ですかね。僕は宇宙人だとアンヌに告白するシーンがやっぱり一番、ダンとしてはね。アンヌが優しかったしね、お母さんのような言い方してね。“ダンはダンに変わりがないじゃない”って…。うーん…フフフフ…」
MC 「ウルトラセブンに関しては、恋みたいなものを感じたんですけど。」
森次 「僕は、意識的には宇宙人ですから、そうは思ってなかったんですけど、アンヌは淡い思いを寄せていたっていう…満田監督がそういうものを撮り続けていたんですけど。それが最終回に繋がった。」
MC 「あれは、アンヌがダンに片思い?」
森次 「そうですね。」
MC 「ダンからアンヌに対する思いは?」
森次 「僕は、あまり深く思ってなかったです。」
黒部 「撮影終わった後の2人の関係はどうだったの?」
森次 「いや、全然ありません。」
黒部 「なーんだ。」
MC 「そこが気になるところではありますね。」(笑)
森次 「宇宙人が人間と一緒にはならないでしょ。向こうの思いはよく分かりますけど、同じ思いではなかったです。」
高峰 「今度会ったら聞いてみよ!」

【ウルトラマンA 思い出のエピソード】
高峰 「半年間やって、南夕子がお月様へ帰るというのがあって(第28話 さようなら夕子よ、月の妹よ)その時に、御殿場で、ちょうどススキの季節でね。ススキが満開というのかな…白い穂がずーっと…というところがあるんですよ。その中を彼女がずっと走って行って、小さい湖があって、そこからお月様に帰って行くというのが…あの回は山際監督だったんだけど、きれいに撮ってましたよね。」
MC 「僕、子供のころ見て、今日が最終回かもしれんっと思って見ましたもんね。」
高峰 「うーん、そうだよね。あそこで終わってたら、もっとAも人気が出てたかも分かんないね。」(一同爆笑)

【うるとらまんAの変身ポーズ】
高峰 「今までは、夕子と2人でウルトラタッチと言ってグルグル回って変身してたんだけど、1人での変身ポーズを考えないとだめじゃない。それで、プロデューサーから考えてよと言われて。当時、仮面ライダーで変身ポーズって子供の中で流行ってたので、あれに負けないようにと思って いろいろ知恵を絞って、監督とプロデューサーに見せたら、“高峰くんね、仮面ライダーじゃないんだから そんな長いのいらないのよ”ってさ。(笑) あの時、3パターンくらい考えたんだよ。桜木健一くんと2人で考えていってさ…彼はずっと東映でしたから。仮面ライダーも東映で撮ってたから、ちょこちょこ彼も見に行ったりして 向こうの敵のことを知ってるから、“ちょっと知恵貸せよ”と言って、2人で本当に考えたんだよ。ところが、一番最後の決めのポーズだけでいいからって。(決めポーズの前に)あったんだよ、いろいろ。」

No.16365 - 2006/09/14(Thu) 23:45:27

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / miyu
【ウルトラマンのFAN】
黒部 「すごくブームになってきて。だけど、最初は恥ずかしかったですよ。電車に乗ってても、ハヤタだ、ハヤタだよ…と言われながら、街歩いてても。今は、言って見れば…背負ってますから。もう誇りに感じてね、全然臆することなく。もし分かんなかったら、“僕、誰だか分かる?ハヤタだよ!”って、PRするようになった。隠れてコソコソするようなこともないし、正義の味方ですから!」
森次 「あんまり、電車の中で声をかけられるようなことはなかった。その時というのは、雑誌媒体とかワイドショー関係の番組があまりないじゃないですか。だから、みなさんが思うほど騒がれませんでしたね。今のほうが凄いですよ。“ダンだー!”ってね。びっくりしますよ。撃つなーってね…(笑)」
黒部 「“あっ、ハヤタだ。飛んでみろー”って言われたりなんかしてね。」
森次 「だから、下手に飲みに行って、その当時 見てた人のところに行くと、ヤバイと思って。その年代がいる所は、なるべく避けてます。今現在、避けてます。パッと行って、“あ、これ世代だな”と思ったら帰ります。凄いんですよ!サラリーマンだったら、すぐ上着脱いで…背中にって。サイン会になっちゃう。」
高峰 「僕は、ホントに隣のお兄ちゃんだから目立たないし、なかったよね。ただ、撮影中はロケバスの周りを子供が囲んで“北斗、サインちょうだい”っていうのは仕様がなかったことだけど。」

【ウルトラマン 先輩・後輩】
MC 「先輩がいて、後輩がいて、という関係になるんですか?みなさん。」
黒部 「いや、今、垣根はない。」
森次 「いや、そう思ってますよ。」
黒部 「いやいや、垣根はない。」
高峰 「だけどね、やっぱりね…」
(今の座り方や態度についてゴニョゴニョと言い合いをしているのですが、仲の良い雰囲気が伝わってきます。)
高峰 「いやいや、やっぱり、ここから垣根あるんです。(と、森次さんとの間に壁があるような仕草) ここに(森次さんと高峰さんの間に)団時朗いるでしょ。僕ら2人(帰マンとA)と、2人(マン、セブン)、違います。」
黒部・森次 「そんなことないよ。」
MC 「何が違うように思われますか?」
高峰 「基本というか、ウルトラマンシリーズの基礎を作ってくれたのは、やっぱりこの先輩2人ですよ。それは仕様がないことだから。」
森次 「そんなことないよね?」
黒部 「そんなことなくないよ!」(一同笑)
高峰 「そうなの!ウルトラファンの人がずっと見ても そうだと思いますよ。悔しいけど、初代は初代だよ、やっぱり。それで、セブンが確立してくれたの。それで、僕らがあるんですよ。」
黒部 「うまいこと言うなあ。」
森次 「うまいこと言うねぇ。」
高峰 「今晩、お願いします!」(笑)

【帰ってきたウルトラマン 最新映画エピソード】
団 「久しぶりに先輩たちとも一緒に仕事が出来て…昼は昼でもちろん楽しい撮影だったんですけど、仕事が終わって夜、みんな同じ部屋に帰って 昔話を語りながら食事をしたり、ちょっと飲んだりしたのが非常に印象的だったです。」

《ここで、映画の紹介・・・ミライがハヤタに出会うシーンが流れます。そして、ダン・郷・北斗との出会いのシーンもチラリと・・・》

黒部 「やっぱり背負ってるのは、初代のウルトラマンであり、セブンであり、Aでありという、往年のヒーローの気持ちはちゃんと残って参加してるのよ! これ、ちゃんと撮らなきゃダメだよ!(笑)」
(画面には“ちゃんと撮っています”の文字が入っています。)
黒部 「それがあるから あの作品の中に、メビウスの後に僕らが出てきて、メビウスを諭すところの重みがあるのよ。だから、ちゃんと自覚してあの作品に参加してるんですよ。精神的にも、うん!」

《また映画の一場面・・・ガッツ星人が放った十字架の中へ捕らえられるメビウス・・・そして、変身を決意したハヤタ・ダン・郷・北斗・・・》

黒部 「気持ちいいよね、役者として参加して。その往年のハヤタなり、その当時のヒーロー像をちゃんと背負っているんだという、大変気持ちいい部分が 僕の場合はありました。」
森次 「こうやって40周年で4人が集まって楽しく出来たっていうのは、ひとつの思い出であるし、画期的なことだと思いますよ。そしてまた仲良しになれたし、今まで以上にね。だから、そういう雰囲気が画面には出ているはずだと思います、4人の。」
高峰 「僕なんかはね、円谷さんから誘われた時に…役者同士でも、役者というのはみんな仲間じゃないのよ。特に個性の強いのが集まって役者やってる訳でしょ。そしたらね、僕から見て(ウルトラマンは)いやな役者がいないのよ、みんないい人で。僕が好きだから、そういう部分もあって喜んで参加させてもらったよね。」

【ウルトラマン ハヤタ隊員】
黒部 「ウルトラマンはですね、私の役者生命の中の大きな1ページを占めています。もう言ってみれば、私の血の一滴みたいなものですね。思い入れがあるということですね。」

【ウルトラセブン モロボシ・ダン】
森次 「財産ですね。財産であり、分身だと思います。」
MC 「今からもずっとセブンと共にということですか?」
森次 「共にですね。地球上にいる限り、背負って立っていくものじゃないですかね。ジュワ!をやり続けるんですね。」

【帰ってきたウルトラマン 郷 秀樹】
団 「この仕事も40年近くやっているんですが…僕の帰ってきたウルトラマンをやって35〜6年になりますね。そうすると、オンタイムで見てた人たちが 監督になりプロデューサーになり みんな大人になって、今 テレビ局とかそこら辺で、いいポジションで仕事している人たちが多いんですよ。その人たちは小さい子供の時から僕を見てて、団時朗という人間じゃなくて、郷秀樹と一緒に仕事ができるのを監督とかが非常に喜んでくれるのが、僕も非常にうれしいです。有難いことです。」

【ウルトラマンA 北斗 星司】
高峰 「僕はね、なんとかAの呪縛から切り離したいなぁというか、解き放たれたいなぁというのがずっとあったんだけど、やっぱり繋がってるんだよね。追っかけてくるんだよね、いつまでも。そうすると、年々…そうか、俺にとってやっぱり財産なんだなという気持ちは強くなってきたよ。60歳になったんだけど、元気の素だよね、今となっては。

No.16366 - 2006/09/14(Thu) 23:47:33

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / miyu
【円谷会長に一問一答】
ウルトラマンランドにやって来たMC2人。ステージイベントの様子が映し出されています。そして、2人が訪ねたのは、作戦会議室。部屋の中には、ウルトラマン・ウルトラセブン・ウルトラマンメビウス。それから、円谷プロ会長の円谷一夫さん。
MC 「メチャメチャ偉い方じゃないですか。いつも名前がトップのほうに出ている…円谷ってことは、円谷英二さんの?」
円谷 「孫になります。」
そして、もう1人、満田かずほ監督です。
MC 「満田かずほ ということは、ウルトラセブンの時ですか?」
満田 「はい、もう前のウルトラマンからやってますね。その前のウルトラQもやってます。」

(ウルトラマンに関する質問開始)
MC 「まずは…ウルトラマンの体のこれ(体表)は、皮膚ですか?服ですか?」
円谷 「皮膚なんです。そういうふうに認識しております。」
ウルトラマンを触りまくるMC、手をとって「これ、爪はないんですか?」
円谷 「そうですね。我々人間の感覚的に、爪という物はないんですね。 ちなみに、この(ウルトラマンの)後ろに“フィン”(頭から背中にかけての盛り上がった部分)があるじゃないですか。これ、トサカとか色々言われていますけど、これがあることによって、ウルトラマンは航続距離が延びるんですよ。」
MC 「じゃあ、ウルトラマンの目の下の黒いもの(点)は何ですか?」
円谷 「ウルトラマンは基本的には複眼なんです。でも、集中する時に黒い点が現れる」(笑)
MC 「集中しているんですね、今。」
満田 「集中してるぞって、証拠なんです。」
MC 「セブンのこの(手首の)段差は何でしょうか?この手袋っぽいのは…ウルトラマンはないんですよ、メビウスも、中から手が出てきてるような感じの。セブンは…?」
円谷 「我々の感覚でいうと手袋に見えちゃうんですけど、違うんですよ。」
満田 「ウルトラの国の連中たちも差はあるわけですよ、それぞれね。」
MC 「個人差っていうことですね。体質ですね。体質でこんなふうになっているんですね、セブンさんは。(セブンに向かって)間違いないんですね?」
「うん!」とうなずくウルトラセブンでした。

MC 「この3人は兄弟?血の繋がった兄弟ですか?」
満田 「ウルトラ兄弟と言っているけれども、血の繋がった兄弟じゃないんですよね。兄弟のように、ものすごく仲がいいってことです。ウルトラマンタロウは、ウルトラの父とウルトラの母の子供なんです。ウルトラマンタロウとウルトラセブンが従兄弟。ここまでは血縁関係があるんだけども、他のウルトラ兄弟たちは、兄弟のように仲がいいということ。」
部屋の中に貼られていたポスターを見ながら
MC 「お父様(ウルトラの父)のこれ(角の下にあるもの)は、もみあげですか?」
満田 「もみあげじゃなくて、これは威厳の印ですね。偉大な父ということでね。」
MC 「ウルトラマンはお幾つですか?」
円谷 「2万40歳」
MC 「セブンは?」
満田 「2万39歳」
MC 「ウルトラマンで、ウルトラセブン・ウルトラマンタロウ・ウルトラマンメビウスというように、名前ありますよね。ウルトラマン○○というように。ウルトラマンにはないんですか?」
円谷 「ウルトラマンにはですね、あるという説はあるんですけれども、我々も知らない次元の話なんですよね。」
満田 「だって我々人間もね、例えばタレントでもいわゆるフルネームというか 名字があって名前があるのと、優香とかね…それだけの人もいるでしょ、ねっ。」
MC 「優香を例えに持ってきましたか。(笑) (ウルトラマンに向かって)優香と同じですけど・・・?」
ウルトラマン、左手の拳をグッと握って決めポーズ!

MC 「怪獣っていうのは、やたら日本に出現しますよね。」
円谷 「あれは、日本に出現してるところしか我々見てないだけで、結構 各地に出てるんですよ。」
MC 「九州にも怪獣出てたんですか?」
円谷 「ええ」
満田 「九州にも出てるよ。」
MC 「ちなみにどの辺に?」
円谷 「宮崎とか・・・宗像とか・・・」 (?_?)
満田 「一番首都圏から離れたのでは、ウルトラセブンが行ってくれたんですけどね、神戸まで。」
MC 「神戸では、どの辺が壊れちゃったんですか?」
満田 「神戸港ですね。」
円谷 「神戸港で、(満田)監督が撮ったキングジョーの回」
満田 「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟、その舞台がまた神戸なんです。非常に懐かしくてね。でも、三十数年前とは港の風景画ガラリと変わってね。変わってないのは、ポートタワーだけだったということなんです。」

―――そして、このインタビューコーナーの最後には、黒部さん・森次さん・高峰さんがウルトラマンの主題歌を3人で一緒に歌って下さっていました!――― これ、お宝映像です♪

ウルトラファンにとって大変興味深い、そして大変嬉しい企画でした。
KBCさん、どうもありがとうございました。


最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れ様でした。

No.16367 - 2006/09/14(Thu) 23:51:06

『ドォーモ』ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / アパッチ@元帥
レビューお疲れ&ありがとうございます。

ここには始めて来ますね。「ドォーモ」は知らずに見たので唖然としていましました。

会長さんや監督さん、ダンディー4(団さん除く)のお話は面白かったですね。

高峰さんの「Aの呪縛から切り離したいなぁ」が印象的でした。武内さん(ドォーモの司会者)も言ってましたけど、当時の苦悩が伺えます。
楽しい話ばかりでうれしかったです。エースだけが優遇されたのもw

映画の前売り券も買いましたし、心の準備は万端です。
アイコンも前売りチケットもゾフィー兄さんと気合入りすぎですかね?

No.16368 - 2006/09/15(Fri) 00:27:29

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / 帰りマン&ティガ命
miyuさん
レポ、大変お疲れ様でした。

ウルトラの主役をやるっていうのは、本当に大きなものを背負っていることをあらためて感じました。

一般的なTVドラマは3ヶ月ものが多いのですが、ウルトラはNHKの大河ドラマと同じで1年くらいのものが多く、また作品自体も世代を越えて語り継がれているため、ご本人たちの思い入れも特別に強いのでしょうね。

こうして、読ませていただくとVTRのみの団さんも含めて、4人共本当に活き活きしていますね。私自身も、かつてのヒーローたちをまた映画で観れるのが本当に楽しみです。

詳しいレポ、本当にありがとうございました。

No.16369 - 2006/09/15(Fri) 02:07:14

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / モグルドン
miyuさん、みなさん、こんばんは。

miyuさん、ロングレポお疲れ様です。

黒部さんと森次さんと高橋さんのお話は、いつもとても楽しいですね。

ライバルであり、仲間であり、いい友達なのでしょうね。

ずっとウルトラを背負ってきて、辛い時期もあったでしょうが、
今はウルトラマンをやってきて良かったって、以前黒部さんのおっしゃっていました。

ウルトラヒーローたちが、ずっとウルトラマンを愛してくださっていて、
私たちは本当に幸せです。
ありがとうございます。

miyuさん、ほんとうにありがとうございました。

No.16370 - 2006/09/15(Fri) 23:50:57

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / リド
miyuさんお疲れ様!なんと素敵な対談。テレビでこんなにも濃いインタビュートークが放送されたんですね。
羨ましいです〜楽しく読ませていただきました。
揃ってトークされる往年のヒーローの皆さんの楽し気な表情が浮かんできました。

本当にありがとう!!

No.16371 - 2006/09/16(Sat) 07:01:37

Re: 『ドォーモ』 ウルトラ兄弟インタビュー 番組レポです。 / ゆーこ
miyuちゃん、皆さん こんにちは。
ロングレポお疲れさまでした。

撮影秘話は当時のヒーローたちのご苦労が忍ばれますが、苦笑しながらも楽しませて頂いています。

私にとって思い入れのあるA。
高峰さんの呪縛のお話は、DVDの付録でも読ませてもらっていましたが、このようにご本人から発言して頂ける重みとありがたさを感じます。

余談になりますが、南 夕子隊員役の星 光子さんにも重い呪縛のようなものがあったそうです。
私が知らなかった事実があったのですが、当時の事情を拝見したり、大人になった自分だからこそ、星さんの心の動きを感じ取ることが出来るようになったのかと。
劇場版での北斗の描かれ方はステキでした。エースリングをして行けば良かったと後悔しました(爆)

森次さんが、現在も該当年齢層をお避けになることは残念でお気の毒です・・・。
それもヒーローであるが故の悩みなのでしょうね。
確かに・・・自分も近寄って行きそうだ・・・(苦笑)

劇場版では、人間体では年長役の風格と安心感を感じさせてくださった黒部さん。
お嬢さま=吉本多香美さんのレナに惹かれて、ウルトラ世界に戻ってきました(笑)

この手の番組だからこその面白いやりとり、楽しませてもらいました。
あのTシャツ、黒も白も欲しいです・・・(^^;)

初日に映画を鑑賞してきました。
「ティガ&ダイナ」以降、劇場でウルトラ映画を堪能してきた私(我が家)ですが、今回初めて夫と一緒に鑑賞してきました。
映画館で泣く私を見て引いてしまった夫でしたが(^_^;)、新しいウルトラマンメビウスと、歴代ウルトラマンたちが、自らの命を顧みず、地球の為に、人類の為に力を合わせて闘うシーンに泣きました。懐かしい映像に感涙しました。
今だからこそ、これまでウルトラシリーズを繋いでくださった皆々様に感謝いたします。

現在、平成ウルトラマンしかご存知ない方やお子さんも、これから〜大人になってまた、昭和ウルトラマンに触れて欲しいと願います。
コスモスがなかったら、自分はネット世界を知らないままだったかも知れないし・・・きっかけはいろいろありますが、知ったところからがご縁ですね。

>miyuちゃん、話がアサッテの方向にいってしまい、ごめんなさい。
おっしゃるとおり、ヒーローたちのウルトラ生歌なども、貴重なお宝ですね♪
私もこの番組を大事に保存します。
ありがとうございました。

No.16372 - 2006/09/18(Mon) 08:57:32
ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
みなさんこんばんは。
ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念.バンダイ「ウルトラマンフェスティバル2006」が9月3日大盛況のうちに閉幕しました。
今回のレポですが、9月1日(金)夜7:00〜9:00同会場にて開催されました【第3夜】「ウルトラマン・スペシャルナイト」のイベント内容です。
遅くなり、また長いですが投稿いたします^^;

まずMCのTBSアナウンサーの向井政生さん・新井麻希さんご登場し、ご挨拶。

〜〜VTRウルトラマン最終話「さらばウルトラマン」上映、ゼットン登場〜〜

向井「いかがでしたしょう。衝撃的な最終回。僕はこれを見てショックを受けたわけですよ」
新井「私もこの最終回を見たくてビデオ屋さんに行ったら、いつも貸出し中で見られなかった」
向井「こうやって見るとゼットンは強いんだか…岩本博士(平田昭彦)の新兵器が早めに届いていれば…
そう言ってしまうと身もふたもないんだけど。あの火の玉の温度は1兆度だそうですよ」

No.16350 - 2006/09/13(Wed) 23:01:23

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
向井「それではゆかりのゲストの方がご登場です」
現れたのはハヤタ隊員こと黒部進さん。イデ隊員こと二瓶正也さん。フジ・アキコ隊員こと桜井浩子さん。
お揃いの隊員服のブレザーの青が鮮やかです。
そして脚本にもかかわられた飯島敏宏監督。

向井「飯島監督はラジオ東京から1966年に円谷プロに出向。千束北男というペンネームで脚本を書かれていました。もうおひとかたはVTRでご挨拶されます。アラシ隊員こと毒蝮三太夫さんです」

〜〜VTR「アラシ隊員がスリッパで出動し、ムラマツ・キャップに怒られるシーンの場面」や毒蝮三太夫さんご挨拶の映像〜〜

毒蝮「僕が小さい頃は黄金バットとかのらくろがヒーローだった。ヒーローをいつまでも胸に!君もヒーローになれるかもしれない。どうぞスペシャル・ナイトをお楽しみください」

No.16351 - 2006/09/13(Wed) 23:03:19

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
〜〜VTR『ウルトラマン放送当時(昭和41〜42年)の世相』の映像〜〜

二瓶「懐かしいですね」
向井「当時は3種の神器というのがありました。カー・クーラー・カラーテレビです」
二瓶「カラーテレビはなんとか、手に入れました」
桜井「二瓶さんの車は撮影の時に使われたんですよね。中古ですけど」
向井「ウルトラマンからカラーの時代になりました。その難しさを最初に経験されたのが飯島監督です」
飯島「ほとんどの家でカラーでないので、白黒で見てもわかるカラーで撮れと指示されました」
向井「逆にカラーになって、やりやすかったことは、ありますか?」
飯島「やりにくかったですね。フィルムだってカラー用だから予算がかかる。カラーになるということは
楽しいことだけど、現場は苦労しました」
桜井「当時のブレザーはもっと鮮やかだったんです」
飯島「ブルーの色はダメなんですよ。だからブレザーのブルーの色は難しかったです」

No.16352 - 2006/09/13(Wed) 23:06:04

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
〜〜VTR『ハヤタ隊員のウルトラマン変身シーン』の数々の映像〜〜

向井「あのベーターカプセル、今は記念で持ってるんですか?」
黒部「持ってない。グッズが今すごい高値を呼んでるから知ってたら持ってたね」(笑)

黒部「(スプーンをかかげるシーンは)スプーンを机の上に置いてってるのに、実相寺監督が茶目っ気でああいうシーンを作ったんです。今ウルトラマンシリーズでは名場面になってる」
二瓶「いつもは(撮影シーンを)アフレコでしか見ないんだけど、その時はそのロケをたまたま見た」
飯島「アフレコって録音してなくて、ラッシュといって後で口を合わせながら声を入れる。でないと、いろんな音が入ってしまう」

飯島「けっこう砧(きぬた)近辺ロケが多い」
向井「ロケの合間にお酒を呑み過ぎて、撮れなくなったと聞いていますけど…」
黒部「それはウソでしょう!?犯人を連れてらっしゃい」(笑)
桜井「その通りです。マムシさんがセリフを言えなくなりました。代わりにイデがセリフを言ったんです」(笑)

向井「イデ隊員はいろんな発明をされてましたが、実際はいかがですか?」
二瓶「あんなに、すごくはないんですけど小さいころから機械で遊んではいた。ワイヤ使ったり」

No.16353 - 2006/09/13(Wed) 23:10:38

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
向井「ウルトラマンで一番印象的だったのは?」
黒部「やはり最後でしょうね。ハヤタがいい男じゃなーい?冗談です」
桜井「司会の人が凍ってるんじゃない?」(笑)
向井「ファンレターは沢山来ましたか?」
桜井「まだ認知されなかったですね」
黒部「後半、来たんじゃない?」
桜井「毎日は来ませんでしたよ」
二瓶「大人からサインねだられたね〜」
黒部「ナプキンにサインしたことあります」

〜〜VTR『フジ・アキコ隊員の数々の出演シーン』映像〜〜

向井「気に入ったシーンは?」
桜井「(水中に潜るための)ウェットスーツ着ているシーンです。初めてウェットスーツ着たので…」
飯島「スローモーションで海底基地に行く所です。水中シーンは、水中バレエの人がやってくれた」
二瓶「(その人)撮影終わったら、日本酒をガーーッと呑んでたな」
飯島「僕はこのごろ年を取ってしゃべるようになったんですけど、前はしゃべれなくて小林昭二さん(ムラマツ・キャップ)が助けてくれた」

No.16354 - 2006/09/13(Wed) 23:13:31

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
向井「さらに豪華ゲストがご登場です!」
〜〜VTR『ウルトラマンマックス』映像〜〜

なんとDASHのカイト隊員(青山草太さん)が舞台中央が開いて、スプーンを頭上高く差し出しながら登場!(笑)
黒部さんがカイトを追いかけてそのスプーンを奪う(笑)
そしてミズキ隊員こと長谷部瞳さんも!

新井(MC)「ウルトラマンマックスでは、黒部さんはトミオカ長官として。桜井浩子さんはヨシナガ教授として、二瓶さんはベースタイタンのダテ博士役としてご出演されました」
向井「もうメンバーはマックスです。ファミリーが揃ったというところでしょうか」
桜井「会場に八木毅監督もいらっしゃってます」

〜〜VTR『カイトの ウルトラマンマックス変身シーン』映像〜〜

向井「カイトさん、共演していかがでしたか?」
青山「怖くて聞けなかったです」
二瓶「怖かったですよーー」
桜井「(カイト)カッコよかったよ」
黒部「ウルトラマンシリーズで(カッコ良さでは)僕が一番と思ったけど、青山さんに負けてますね」
青山「ありがとうございます!」
黒部「ごめんね、お世辞で」(笑)

No.16355 - 2006/09/13(Wed) 23:17:38

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
青山「けっこうミズキがおっちょこちょいで、崖で水に落ちたり、爆煙に紛れたりしてたんですよ」
向井「ロケはどちらの方に行かれたんですか?」
長谷部「一番遠くて伊豆の下田です。飯島監督のバルタン星人の回です。(その宿泊地で)エリーとカイトとやった卓球大会が一番の思い出です」
青山さん、ちょっとあきれ顔で「撮影とはまったく関係ない…。浴衣でやったんです」
向井「誰が一番上手かったですか?」
青山「ミズキは運動神経は良さそうに見えて、実は運動音痴です」
長谷部さん慌てて「あたしの株を下げることは言わないで!」(笑)
青山「(ミズキ)あがってる。こういうミズキは可愛いよね」(拍手)

青山「身をゆだねることの出来る優しい先輩たちに囲まれてやりました。マックスを見ていただければ、わかります。約一年、苦しいと思った事なかったです」

No.16356 - 2006/09/13(Wed) 23:22:06

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
向井「ウルトラマンの科特隊は隊員服にチャックがなくて不便だったそうですね」

DASHの隊員服はきっちりチャックが。
黒部さん、カイト隊員におもむろに質問。
黒部「オシッコの時、ズボンからオ○○○ン出るの?」(爆笑)
青山「いや…、その(汗)」
ミズキが思わず顔を伏せてしまう…
青山「撮影で破けて…。隠してはありますけど」(笑)
下を向きながらも大笑いのミズキ。
桜井さん、黒部さんをたしなめるように
「ミズキ、おじさんの言うこと聞かないでいいのよ」(笑)

〜〜VTR映像『ウルトラマンマックス・ミズキ大活躍のシーン』映像〜〜

もちろん村石宏實監督の、ミズキのタンクトップのシーンもありました。(笑)

向井「マックス名シーンをご覧いただきましたが」
長谷部「ミズキはいろんな体験をしまして、イケイケガールとか」
ミズキ、カイトに「何笑うの?」と牽制。
長谷部「けっこう何種類とか着ているんで、衣装さんと楽しみながら、やりました」

向井「ミズキ隊員は、歴代女性隊員で一番背が高いそうですね」
桜井「私は155センチ」
長谷部「私は169センチです」

向井「追っかけ(のファン)とかは?」
長谷部「滅相もないです。チビッコに似顔絵描いてもらって部屋に貼ってあります。とりあえず(最後は)おじいちゃん、おばあちゃんになったから」
青山「暗い話になってきた」(笑)
向井「シルバー離婚とかは?」
カイトとミズキ、さあどうでしょうねーーと顔を見合わせて…。どうなんでしょう?(笑)

No.16357 - 2006/09/13(Wed) 23:26:20

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
クイズコーナー。主にカイトとミズキが回答者でした。

【Q1】ウルトラマンとマックス両方に登場の怪獣の名前は?
カイト、他のゲストと「ピグモン・ゼットン・バルタン星人・ゴモラ・レッドキング・アントラーの6怪獣」

【Q2】科特隊の本部はパリですが、マックスのUDFの本部は?
ここで黒部さん「(トミナガ)長官は知りません」(爆笑)
カイト「僕は新人なので、わかりませんが…」苦戦してます(笑)
二瓶「…パリです」
向井「はい。正解は、科特隊と同じくパリです」(拍手)

【Q3】マックスで登場した平和を愛するバルタン星人の使者の名は?
カイトだったかミズキが「タイニーバルタン」

【Q4】実在するM78星雲は何と言う星座にありますか?
「オリオン座」(答えた方を忘れたため省略、以下回答者を書いてない問いはそのせいです)

【Q5】ウルトラマンの身長は40メートルですがマックスの身長は何メートルですか?
[最終回は(巨大になったので)考えなくてよい]
カイト「48メートル」正解!さすがです(笑)。

【Q6】ウルトラマンは体重3万5千トンですが、マックスは?
カイトだったと思うのですが「マックスは3万7千トン」

【Q7】ウルトラマンの変身アイテムはベーターカプセルですが、マックスは?
カイト「マックススパークです」余裕です。

【Q8】科特隊の襟につけた流星型のエンブレムが通信機になってますが、マックスのは?
「ダッシュパッド」万能電子通信機の名前を思い出すのに、皆苦労してました。

【Q9】マックス第1回ウルトラ作戦第1号に出た怪獣は?
「溶岩怪獣グランゴンと冷凍怪獣ラゴラスの2怪獣」

【Q10】21世紀世界各地を襲う自然災害はとどまるところを知らず、国連は地球防衛連合を設立、その精鋭チームは?
カイトとミズキ、すかさず「DASHです!」

黒部「(僕は)40年前のことは忘れたけど、去年やったことだから(君たちは)忘れないだろ!」(笑)

No.16358 - 2006/09/13(Wed) 23:32:27

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
向井「青山さんからお願いがあるそうです」

青山「マックスは終わったけれど、皆さんの心にマックスがある限り、僕はカイト隊員としてやっていきますので、よろしくお願いします!」(拍手)
会場「はーーい!!」
飯島「こんな元気のいい子どもたちの声を聞いて嬉しい!ありがとう!!」
黒部「今日は雨の中、たくさんお集りいただきまして、ありがとうございました。また来年来てね!
9月16日メビウス映画も始まるから、みーーんな見に来てね。ありがとう」

ゲストの皆さんが退場された後は、客席のお客さん全員でのウルトラクイズ大会。

見事勝ち抜いたマニアファンには6才の男の子がいて、黒部さん記念品のサイン入りTシャツを渡しながら
「ほーー凄いね。学校の勉強はしなくていいからね。ウルトラマンを見ていれば勉強になるからね」(笑)
勝ち抜きされた他の女性には黒部さん「おかあさん、ちゃんと主婦やってんの?ウルトラマンばっかり見てるんじゃないの?」
と苦言?(笑)

その後、ライブショー「アメリカザリガニ」のお二人による漫才が終わって…。

No.16359 - 2006/09/13(Wed) 23:35:48

ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / リド
フィナーレは歴代ウルトラ戦士35人の豪華登場!!会場はどよめきが!!
向井「これまで34人の戦士登場はあったそうですが、メビウスが加わって35人になりました!
本邦初公開です。今後もそう揃わないと思います」

飯島「これからもウルトラマンを盛り上げてください!」
長谷部「ありがとうございます。楽しかったですか?」
青山「遅くまで、ありがとう。ちゃんとよく寝るんだよ。マックスが(壇上の)あそこにいるのが不思議な気分です」
マックスとウルトラマンがひときわ目立つ、立ち位置に。
黒部「ひいきにしていただき、ありがとう!」

こうして「ウルトラマンフェスティバル2006」ウルトラマン・スペシャルナイト第3夜が終了しました。
長いレポ読んでいただき、ありがとうございました。(^^;;;;;

No.16360 - 2006/09/13(Wed) 23:42:44

Re: ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / 旅の者
リドちゃん
楽しいレポ
感謝感激です

事情があって
チケットがあったのに見れなくて・・・

楽しそうなイベントの様子が伝わりました
ありがとうございました!

No.16361 - 2006/09/13(Wed) 23:54:06

Re: ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / miyu
リドちゃん、旅の者さん、みなさん、こんばんは。

楽しげな話の様子が伝わってきますね。
リドちゃん、いつもイベントレポをありがとうございます。

歴代ウルトラ戦士35人の豪華登場とは、すごいですね。
是非、見てみたいものです。

No.16362 - 2006/09/14(Thu) 01:01:30

Re: ウルフェス9月1日「スペシャルナイト第3夜」のレポ / 帰りマン&ティガ命
リドさん

レポ、大変お疲れ様でした。本当に楽しそうでしたね。

黒部さん、桜井さん、二瓶さんはいつまでたっても、ハヤタ、アキコ、イデそのものなんですね。40年たってもすぐに昔に戻れるって、いいですね。

カイトとミズキのお二人も、共演しただけあって、科学特捜隊3人組ともすっかり息が合っていましたね。やはり世代を越えてウルトラを演じてきた仲間同士、ということなのでしょうね。

最後はウルトラ戦士35人の勢揃いですか・・・生で見られるのは、なかなかないでしょうね。ファンの人たちにはたまりませんね。

詳しいレポ、ありがとうございました。

No.16363 - 2006/09/14(Thu) 02:31:36
ガリバー君に太陽さんが出ます / 棺桶のジョー
 本日、関西では、関西テレビ4時55分から、「ガリバー君」という30分番組に杉浦太陽さんが出ます。
 ファンの方、チェックしてください。
(私は所用で外出で見られません)

No.16344 - 2006/09/09(Sat) 06:30:39

Re: ガリバー君に太陽さんが出ます / ちゃむ
棺桶のジョーさん、みなさん、こんばんは。

お知らせありがとうございます。
どんな番組なのか楽しみに録画準備して見てましたが、残念ながらBSフジは来週放送のようです。
少し先延ばしになりましたが楽しみに待ちます。
棺桶のジョーさん、ありがとうございました。

No.16345 - 2006/09/09(Sat) 20:05:57

Re: ガリバー君に太陽さんが出ます / 棺桶のジョー
 ちゃむさんこんばんわ。
 関西ローカルでなく、BSフジでもやると聞いて安心しました。
 しかし、関西では、桃太郎侍の太陽さんの話、飛ばされたみたいです…

No.16347 - 2006/09/11(Mon) 20:45:39

Re: ガリバー君に太陽さんが出ます / モグルドン
棺桶のジョーさん、みなさん、こんばんは。

ガリバーくん、BSフジでは週違いなんですね・・・

自分で告知していましたので↓見逃しませんでしたが、(^_^;)
先にネタバレしない方がいいかな・・・?

新・桃太郎侍も残念でしたね。
ちゃむさんもテレビ局にまで電話してくださいましたが、ちゃむさんの地域でもダメ、
もちろん関西も↓で書きましたが、同じです。

朝日放送も前日まで、7回目が飛んでしまうことを知らなかったようで、
問い合わせしたところ、テレビ朝日まで電話で聞いてくださって、
やっと放送されないという事がわかった次第です《トホホ・・・》

放送されたのは、結局関東だけなのでしょうか?

No.16348 - 2006/09/12(Tue) 21:58:39

Re: ガリバー君に太陽さんが出ます / miyu
棺桶のジョーさん、みなさん、こんにちは。

BSフジですか・・・BSデジタルはねぇ・・・涙
でも、知人に何とか録画お願いしてみようかな。
見れるといいなあ o(^。^*)。。oO

新・桃太郎侍は、こちら福岡でも太陽くんの回は放送されていません。
いつか放送して欲しいですね。再放送がないと無理かしら・・・?

No.16349 - 2006/09/13(Wed) 14:45:30
番組「英語でしゃべらナイト」よりゴジラ博士のご紹介レポ / リド
皆さんこんばんは。
先日、東京幕張メッセにて開催中の「世界の巨大恐竜博2006」(今月10日(日)まで)を娘と見に行ってきました。

この巨大恐竜博覧会を監修され公式カタログを共同執筆もされたケネス・カーペンター博士(デンバー自然科学博物館)をご紹介します。

彼は、先月の8月4日NHK教育テレビ「英語でしゃべらナイト」に『ゴジラ博士』として、ゴジラのフィギュアを肩に乗せて登場されました(笑)。
世界的有名恐竜学者が「ゴジラ博士」と呼ばれるようになったその由縁は…。遅くなりましたが番組レポです。

この「世界の巨大恐竜博2006」の見どころは世界最大級の恐竜「スーパーサウルス」。
1億5千万年前の時代に悠々と地球を闊歩していた恐竜たち。
なかでも巨大だったのがこのスーパーサウルス。全長33メートル。体重はおよそ45トン。
この巨大な生物の生態を究明したのがケネス・カーペンター博士でした。
彼は昭和24年(1949年)東京都板橋区生まれ。父はアメリカ軍人。母は日本人。日系アメリカ人の彼は生まれた翌年父の転勤でアメリカに渡る。

そして子どもの頃に見た映画が「ゴジラ」!(『怪獣王ゴジラ』東宝.アメリカ版(1956年)監督.本多猪四郎・テリー・モース. 特殊技術 円谷英二)

ジョージ・ルーカス、ティム・バートン…超一流の監督たちに影響を与えたとも言われるこの怪獣。
この映画こそがその後のケネス少年の人生を大きく変えました。
謎の生物ゴジラに迫る恐竜研究者、山根博士(志村喬)。
カーペンター「かっこいいなあ!僕も恐竜博士になる!って決めたんだ」
こうしてカーペンター少年は当時住んでいたコロラドの大地に眠る化石発掘にのめり込んでいきました。
手間のかかる発掘作業も幼い頃見た映画「ゴジラ」の感動こそが原動力だったそうです。
ゴジラとの出会いが生んだ古代恐竜への探究心。

今もまっさらな純粋な子どもたちの心に深く刻んでいくヒーローと怪獣たち。
今の子どもたちも日々の未来への夢を豊かに育んでいってもらいたいなと思います^^

No.16343 - 2006/09/09(Sat) 00:04:56

Re: 番組「英語でしゃべらナイト」よりゴジラ博士のご紹介レポ / 帰りマン&ティガ命
リドさん
恐竜博士のレポ、ありがとうございます。
映画やTVが全く思いがけないところで、人の人生に影響を与えているんですね。

最近、会社生活の中でも夢を持ち続けること、そして将来を担う子供たちや若い人たちに対して、社会全体として夢を与えることの大切さを強く感じています。

子供たちが夢を持つためには、親たち自身も夢を持つことが大事なのでは、と思ったりもしています。
日々の未来への夢・・世代を超えて夢を持ち続けることができるといいですね。

No.16346 - 2006/09/09(Sat) 23:23:41
エクボルサイトのメッセージが更新されています 。 / miyu
みなさん、こんばんは。

エクボルサイトの太陽くんメッセージが更新されています。

太陽くん、新しい現場に入られたそうです。
そのために、髪を黒に染められたとか・・・
まだ詳しいことは掲載されていませんが、いまから楽しみですね!o(〃^▽^〃)o

No.16341 - 2006/09/08(Fri) 21:11:04

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています 。 / モグルドン
miyuさん、みなさん、こんばんは。

太陽くん、黒髪もいいですね。
太雄くんも黒髪で、男前は何をやってもええわぁ
・・・( ̄▽ ̄*)。。oO・・・

それから明日は関西テレビ「Go!Go!ガリバーくん」です。

BSフジ  13:30〜14:00
関西テレビ 16:555〜17:25

王様になると、ものすごく豪華な旅が約束されますが、
オイシイのはもちろんガリバーくんになること。
地元の方々とのふれ合いや、人の温かみを感じる事、間違いなしです。

ご覧になれるかたはお見逃しのないように、
保存版のビデオを用意してご覧くださいね。

No.16342 - 2006/09/08(Fri) 21:36:08
「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / リド
今月10日(日)まで世田谷文学館でウルトラマンシリーズ40周年記念「不滅のウルトラヒーロー展」が開催中です。

8月27日(日)その文学館で「金子修介監督と八木毅監督の「ウルトラマンシリーズを演出して」トークイベント&作品上映会(ウルトラマンマックス第12話「超音速の追撃」)が開催されました。
お二人は「ウルトラマンマックス」を監督されたときのエピソードをお話し下さいました。
会場の定員150名満席。熱気がありました。
その時のトークを遅くなりましたが、レポにまとめてみました。


金子監督は目を惹く科特隊の隊員服と同じ鮮やかなオレンジのポロシャツ。トークイベントのために、わざわざオレンジを着用してきて下さったとのことです。
八木監督はレンガ色の大柄なチェックの綿シャツにトレードマークの薄茶のサングラスというラフな雰囲気。
トークはお二人が気さくに語り合うという感じで進みました。

八木「ウルトラマンの展示(2階)と1階に(文学関連の)展示。太宰治とか安部公房とか。ちょっと違和感がありますがヒーロー展の開催、光栄です。金子監督ともここでお会いできて光栄です。マックスを金子監督に作っていただき嬉しい。マックスの話など、ざらざらっとしようかなという所です」

No.16326 - 2006/09/05(Tue) 23:45:40

「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / リド
金子「最初に八木監督とお会いしたのち、ウルトラQ~dark fantasy~という番組を2本撮ったのですが、八木監督が第1話を撮られてて円谷プロダクションで紹介されて、明るい人だなあというのが第一印象です。人を和やかにしてくれる。八木監督は円谷プロの社員ですか?」

八木「明るいかどうかわかりませんが、雨男です(笑)。円谷の社員です。15年ぐらいになります」
金子「最初は?」
八木「当時は憧れを持って入りましたが、ウルトラを作ってない時期でした。その頃はアニメをやっていたので、上海(シャンハイ)にもよく行っていました。助監督になったのはもっと後です」
金子「僕は日活の助監督をやって監督になったんです」

八木「僕は(他の社員と)一括で入ったんですけど、制作をしたいという希望がありました。3年くらいしてから平成ウルトラセブンを作ったわけです。いきなりのスタートで現場には迷惑をかけました。平成セブンだと毒蝮三太夫さんが(フルハシ)隊長でした。最初の2本はテレビなんです。通産省と(協力して)太陽エネルギーを普及させたいということがあって、現大阪府知事の太田房江さんが通産省にいらして、ご一緒にお仕事しました。平成セブンやりまして、『ムーンスパイラル』というプロット出して、局の皆さん出してみろということで、一本撮らせてもらいました(1996年5月円谷プロ製作.特撮ドラマ.日本テレビ系)。今も自分がやりたいことが出ている。現場経験がない中で下手でしたけど。ウルトラマンティガ・ガイアでは助監督をやって、ダイナで監督をやりました。現場でわかっちゃうとわかる。ブースカブースカとかガンダムもやりました。ウルトラQ~dark fantasy~の監督は金子さんにお願いしてやってもらったんです」

金子「円谷プロでは20年ぶりに仕事しました。20年前は、沖田浩之くん主演の『ザ・サムライ』(1985年.円谷プロ製作)を撮った時に、円谷プロに呼ばれたんです。なぜ呼んでもらったかというと、同年にっかつ映画で『みんなあげちゃう』という映画にウルトラの母登場の夢のシーンがあった。その時に円谷プロと接触があったんで、以来20年ぶりです。『ザ・サムライ』の時より、20年の間に人が替わってスタッフとか違う人ばっかになっちゃったね。八木監督とは、映画監督協会の忘年会パーティーでお会いしたんですよね」

八木「パーティーの前日に打ち合わせがあったんです。で、パーティーでお会いして、これは凄いご縁だと思いました」
金子「八木さんって若い監督さんと思ってて、その時『プロデューサーです』って聞いても右から左でした。僕(ウルトラに)興味ありますって言いましたか?」
八木「けっこう(ウルトラマンシリーズは)出尽くしたって言っておられました」
金子「マックスで15本目?それで翌年にウルトラQ ~dark fantasy~ の監督をしました」
八木「(映画監督協会の忘年会)パーティーの席って初参加だったんです」
金子「嬉しそうだったねえ」

八木「金子監督は慣れていらっしゃるから女優さん二人くらい連れていらして…。金子監督にお願いしたのは翌年の2月のあたまです。金子監督が仕事のくぎりと聞いた何分か後に電話しました。金子監督ぐらいの方であれば悔しいも何もない、お願いしたい、やっていただきたいとお願いしました」

No.16327 - 2006/09/05(Tue) 23:52:13

「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / リド
金子「八木さんがプロデューサーとして言われれば…。ウルトラマンは子どもの頃から見てたからやりたいなと思いました。テレビでウルトラマンの放送が始まったのは小学校高学年の時でした。今は幼稚園のお子さんが見ますが。あの頃は新しいということで小学5〜6年生頃でしたが見てました」
八木「今は未就学児向けですね」
金子「ウルトラマン劇みたいなことを友だちとやっていました。図書委員をやってた友だちが、本のカバーを山のように持ってきて、これで怪獣を作ろうと。小さなビルを作って怪獣演劇を6年生の頃、やってました。シュワッチとか少年がやってた」(笑)
八木「未就学児向けと言いましたが、今でも厳密に言うとそうでもないんですけどね」

金子「ウルトラセブン(の放送)の頃は中学になってるんで見ていないが、監督とかは知ってます。ウルトラQやウルトラマン39話に関しては、クイズがあれば100点か95点はとれるくらい自信があります」(笑)

金子「マックスのデザインを初めて見た時は、セブンじゃないか?というのが第一印象でした」
八木「僕は単純にセブンが好きだったので、セブンに似たものをということで進めました。もちろん円谷社員ですので、一応(歴代ウルトラマン)全部は知ってるんですけど。セブンのテイストを上手くミックス出来たかなぁと思ってます」

金子「はじめは(新しいウルトラマンの)名前がゼノンだったのでは?」
八木「ウルトラゼノンでしたよね。マンは一回外してみようということで考えていました」
金子「最終的には、CBCの岡崎さんが『究極的』なものが欲しいということで、4文字よりセブンみたいに3文字にして欲しいと言っていたが、マックスになりました。梶圭吾さん(監督・脚本家)や小林雄次さん(脚本家)と、だいたいの輪郭を作りました。チームはDASH。一話完結です。僕は最近のウルトラマンというと、ネクサスは毎回見ないと筋が追えない。一回一回別怪獣のほうが良いが、それだと大変」

八木「そうです。予算にしても厳しくなります。ただ続き物ですとテーマが連続性の中に出てしまう。それはそれでひとつのスタイルだが、金子監督にやっていただいた第1話というのは、無理矢理一話にしたのは『一話完結』だと宣言しないといけないからです」

金子「前の人と同じになってくるところがありますね。(小学校)高学年の子が、大事件なのに科特隊5人しか対応しないのは何故か?とか、翌週になったら完全に(前の週の大事件が)忘れ去られていて、おかしいんじゃないか?、ウルトラマンの背中のアレ(ファスナー)はなんだ?目の下の黒いのはなんだ?そういう突っ込みは、子ども時代みんなしてた。突っ込まれないよう、いろいろ考えているが、マックスはわざとでも良いから突っ込ませるようにしようと…」

八木「目の下の黒いのは、目だと思ってましたね。大組織にすると違う物語になり、物語が窮屈になっていく」

No.16328 - 2006/09/05(Tue) 23:57:18

「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / リド
金子「桜井さんに(ヨシナガ教授のセリフの中で)説明してもらったんだけど『熱湯怪獣(溶岩怪獣グランゴン)が出たからには、冷凍怪獣(ラゴラス)が出るのは自然だわ』…」(笑)

八木「そもそもフィクションとして作られているので、理詰めしていくと大変なことになる」
金子「おとぎ話に科学的な感じを入れるんだけど、突っ込まれる。いたちごっこ、さじ加減みたいな…」
八木「マックスは王道。強さを出しましたが作るのが難しいので、好き勝手にやっちゃえと」(笑)
金子「指令室に映る怪獣は誰が撮影しているのか?とか」(笑)
八木「昔からの約束で映ってる。宇宙人も我々は〜とか(音声は?)」(笑)
金子「皆さんも笑ってくださるから、いいんじゃないか。けっこう悩んだ時期もあったが」
八木「マックスは他の作品を否定したようなことはない。ネクサスのファンから言われた」

金子「設定については、マックスがどこから来たのかということについて、M78星雲に決まってんだろと思った。久しぶりだったんだね。いつまでウルトラマンの歴史はM78星雲だったの?」
八木「平成になってからは違うんです」
金子「平成のシリーズは全く見ていなかったわけじゃなくて、光の国とか人間がなったとか」
八木「(金子監督に)言われて愕然としました。当たり前のことに、なんで気づかなかったんだろうって」

金子「(キャスティングは)これはイデ、これはアラシ、という風に対応するようにした。隊長はめずらしいタイプになった。宍戸開さんにメールで頼んだら返事は早かった。宍戸さんはムードメーカー」
八木「宍戸さんは、すごく面白い人」
金子「(会ったら)何時間もウルトラの歴史について話をしていましたね。(提案もあったけど)なかなか反映できなかったね」
八木「かなりマニアックな人」
金子「マックスは12〜13話くらいまではオーソドックス。その後はかなり自由に(脚本家)上原正三さんのかなり炸裂した話になりました」(笑)
八木「宍戸さんが活かされたのは12話(超音速の追撃)でしたね」

金子「映画『デスノート』(の監督)やってても後編の方が役者がいきいきする。マックスでも第1話はみんなカチカチ。(俳優さんたちは)12〜13話くらいから役を獲得していった。そのつもりになる」
八木「平成から(助監督や監督)やってて、やはりそう思います」
金子「僕はマックスの監督やっていてスタートから良かった。1〜2話とか最初(撮るのが)大変。主役の青山草太くんは(当時)『ホーリーランド』という深夜ドラマに出ていた。彼自身はアクション出来るけど(カイトは)アクションのない役だった」
八木「青山くんはビデオ見て非常にいいと、オーデションで見ないで決めたんです。宍戸さんもそう」
金子「他の俳優はオーデションで決めた。発明のイデ隊員はショーン。(キャスティングが)決まるまで一週間という異例の短さだった」
八木「一番最初にキャスティングしたのは桜井さん。桜井浩子さんと黒部進さん」
金子「我々が子どもの時にかっこいいと思ってたお姉さん。黒部さんもかっこいいお兄さんだと憧れを持っていた。全体で見ると復古調の物語になっていったかなと思う」
八木「ウルトラマンや怪獣と同じくらいキャストに重みがある」

No.16329 - 2006/09/06(Wed) 00:03:40

「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / リド
金子「最初にエレキングが復古怪獣として登場。バルタンを出したかったが、後にとっておこうということになった」
八木「2話は宇宙人的なものということで結局、エレキングになったんです」
金子「レッドキングとかピグモンとか出ましたね」
八木「怪獣が21世紀にも出現。1話完結といえども、前後編にしないと合わない。この脚本は…あ、あそこ(場内)に居ますが、たけうちきよとさんに書いてもらいました」
金子「SFファンからは多少批判はあっても、ウルトラファンは怪獣プロレスものを見たい」
八木「怪獣ショーをやらないと」
金子「ウルトラファイトになっちゃっても困るけどね」(笑)

金子「物語のバランス大事です。ウルトラファイトのように怪獣だけだと閉じた話になってしまう。怪獣がバーンと爆発して…。最期はそんな怪獣が可哀想でね。死んだり爆発させたりするのは心苦しい」
八木「現物で撮ってると可愛い」
金子「愛着が出てくるので爆発は可哀想になる。構想練ってる時は楽しいが、動きを付けたりすると、最期は悲しいものになる。ウルトラマンが怪獣をいじめてるんじゃないかという話になってくる」
八木「小さいアントラーの時に余計可愛い。野長瀬三摩地監督(ウルトラマン第7話「バラージの青い石」)」
金子「人間も可愛いが、異形のものにも気持ちが乗り移っていくというのが、ファンタジーにある」
八木「何か乗り移ったような、ホント生きてるような気がして、作品つくりとはまた違う時間が流れて愛着がある」
金子「人気投票で復活して欲しい怪獣がゴモラでしたね」
八木「すでにマックスに出る予定の怪獣は外してあったので、ゴモラになったんです」

No.16330 - 2006/09/06(Wed) 00:06:27

「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / リド
そしてトークの最後に【質問コーナー】となりました。
会場から直接受けたのではなく、予め質問を募って用意されていました。

[質問1]金子監督へ。ガメラ・ゴジラ・マックスを監督されて一番楽しかったのは?

金子「ガメラの最初は楽しかったですよ。2、3になると楽しさに苦しさが混じってくる。ゴジラもそう。
マックスは(監督したのが)最初と最後で苦しいということはなかった」

[質問2]作品の雰囲気が幻想的でカフカ(チェコの小説家)を思わせるのですが、どのような勉強をしたら良いですか?(映画監督になれますか?)

八木「僕は文学部だったんで。映画学校でなかった。早稲田大学で哲学を勉強したんです」
金子「僕は小学校教員養成学校を出ました」
八木「いっぱい映画観て、本を読んだり…。すごく難しい質問ですね。僕はあまりテレビは見ませんでした。家に帰ると怪獣ものは観ないんですけど、そればっか観てるというよりも、いろいろと勉強していただくと良いと思います。カフカから入ってもいいし…」

[質問3]怪獣デザインについて聞かせてください。

金子「やっぱり、なんか怪獣のデザイン出尽くしているから、昔の記憶に頼ってしまう。ヘイレンとかラドス…。昔のイメージを今風にアレンジしたらどうかなと思う。ガメラを撮った時、思ったけど新しい怪獣は難しい。ギャオスは人気あるけど、他の新しい怪獣は定着しない」
八木「もともといないものをどう存在させるか。怪獣にはゴジラのようとか、イメージがすでにある」
金子「煮詰まったところで、怪獣デザインがポンと出ることがある」

[質問4]マックスの売りは何ですか?

八木「他と作品比較ではしゃべれないが、作品はちゃんと作っていて優秀なスタッフに支えられ楽しいものとなった。マックス単独の良さは、設定にとらわれない、楽しめる、何が出るかわらない、キャストも含めて」

[質問5]金子監督の弟さんの金子二郎さん(脚本家)とご兄弟の間柄について教えてください。

金子「弟と脚本打ち合せといっても、兄弟だからどうということはないが、気を遣わなくていい」
MCさん会場内客席立ち上がった弟さんをご紹介されました。
「金子二郎さんです」(拍手)
金子二郎「(兄から)こんなのあるよ、これやって、とこんな感じです」
金子修介「母が切り絵作家なので、その影響でマックスのOPの影絵は弟がやりました」

こうしてトークはおよそ1時間。和やかながら、お二人の白熱したトークののち、後半はウルトラマンマックス第12話「超音速の追撃」([監督・特技監督]金子修介 [脚本]金子二郎)作品上映会が催されました。

トークレポはお二人のお話の雰囲気を大事にしたかったので、要約はほとんどしていません。聞き違えたような部分がありましたら、どうかご容赦ください。

金子修介監督、八木毅監督。興味深い楽しいお話を本当にありがとうございました。

No.16331 - 2006/09/06(Wed) 00:15:17

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / 帰りマン&ティガ命
リドさん
レポ、お疲れさまでした。読ませていただき、大変楽しませてもらいました。今回は直接この掲示板に書かせていただきます。

楽しいひと時のようでしたね。マックスも初めは「ウルトラゼノン」と名付けられる予定だったのですね。マックスはセブンに似ているし、「マン」がないのも良かったかもしれませんね。

そうですね・・確かに上原さん脚本の13・14話(ゼットンやキングジョー登場の回)から雰囲気が変わってきたような気がしますね。ちなみに、13話は自分自身がこちらのサイト(マックスファンタジー)を訪れた最初の回でもあります。

その他にもいろいろとマックスの裏話などが語られていましたが、本当に楽しそうで、こういう仕事をされていることがうらやましく思えてきました。

詳しいレポ、ありがとうございました。
本当にお疲れ様でした。

No.16332 - 2006/09/06(Wed) 01:59:20

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / モグルドン
リドちゃん、みなさん、こんばんは。

ロングレポ、お疲れ様でした。
内容には、なかなか興味深いものがありました。

ウルトラマンはパラレルワールドですよね。
いろんなウルトラマンがいて、作っている人も見ている人も違うけれど、
それぞれが独立していて、きちんと世界を作っている。

本当にマックスって、自由でおおらかで、綺麗で楽しかったです。
スタッフ自身が楽しんで、いろんな事に挑戦しながら作られたんではないかと、
そう思いながら見ていました。

切り絵は金子二郎さんが作られていたんですね。
ご兄弟そろってクリエイターなんですね。(@⌒ο⌒@)

いろんなお話をしてくださって、感謝です。
リドちゃんもお疲れ様でした。

No.16335 - 2006/09/06(Wed) 21:51:26

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / てれすどん2号
おおお!これは永久保存ですね(笑)プチ東京旅行のメインイベントで、ノートに内容とってたんですが、、、、これにはかないません(笑)リドさん、お疲れさまでした☆


改めてあのすばらしい時間を思い返してしまいます、、、。もしこの掲示板をごらんになっていたら、、、本当に貴重なお話ありがとうございます!今後も何らかの形でお関わりしたいです!(だいぶ特定の願望ですが(笑))

No.16336 - 2006/09/06(Wed) 22:04:49

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / あやな
ムゲラさん初めまして。
みなさんこんばんわ。
魂萌え!にも出るんですか??

No.16337 - 2006/09/06(Wed) 23:03:39

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / ちゃむ
リドちゃん、みなさん、こんばんは。

ロングレポ、お疲れさまです。
とても興味を惹かれるトークショーですね。
マックスの裏話、楽しかったです。
いつか機会があったらこういうイベントに参加してみたいと切に思いました。

どうもありがとうございました。

No.16338 - 2006/09/07(Thu) 00:05:00

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / miyu
リドちゃん、みなさん、こんばんは。

とても詳しいレポをどうもありがとうございます。
興味深いお話がたくさんのトークショーだったんですね。
いろいろなエピソードがあったようで、楽しんで読ませて頂きました。
リドちゃん、ロングレポお疲れ様でした。

No.16339 - 2006/09/07(Thu) 21:17:14

Re: 「金子修介監督と八木毅監督のマックスを演出して」トークレポ / 旅の者
リドちゃん みなさん こんばんわー

レポお疲れ様でした
大変読みやすく
そして楽しい様子がよく伝わりました

次回同じようなイベントがあれば
参加したいなと思いましたー

No.16340 - 2006/09/08(Fri) 01:24:20
エクボルサイトのメッセージが更新されています / モグルドン
みなさん、こんにちは。

エクボルサイトのメッセージが更新されています。

太陽くんは、『魂萌え!』の現場で撮影中、今回はコンビに店員役?

こんなラブリーな店員さんがいてくださるなら、毎日通います、はい。

太雄くんは、初めてのサラリーマン役をされたそうで、
襟足を切り黒髪、スーツ姿が素敵ーーー!!

バンピンのブログの太雄くんが黒髪なので、あれ?と思っていたら、
お仕事だったんですね・・・(@⌒ο⌒@)

お二人はどんなお芝居をされたのでしょうか?

前の太雄くんの夜中の番組は、こちらでは見る事が出来なかったので、
今度は関西でも見られると嬉しいです。
早く情報がアップされないかなぁ・・・

太陽くんの「新・桃太郎侍」はABCに問い合わせしましたが、
土曜日曜に入ってしまったので、関西では7回が放送されるのかわかりませんでした。
明日以降、平日にお問い合わせください、とのことですので、
電話して聞いてみたいと思います。

No.16318 - 2006/09/03(Sun) 17:49:13

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / モグルドン
みなさん、こんばんは。

大阪の朝日放送に問い合わせたところ、
やはり7話の放送は難しいとのことでした。

見られる地域の方、特に間違いなく放送される『関東地方』の方!!
『午前10時30分』からの放送です!!午後7時からではありませんので、
!!!お間違いなく!!!

ぜひどんな様子だったか教えてください!!
よろしくお願いいたします。

No.16319 - 2006/09/04(Mon) 18:33:53

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / miyu
モグちゃん、みなさん、こんばんは。

メッセージ見てきました。

どお〜?と、着ているエプロンを見せるような仕草の太陽くん。笑顔がいいですねー(@⌒▽⌒@)
うんうん、こんな店員さんなら通っちゃいますよね!

太雄くんは、黒髪・スーツ姿でサラリーマンの役をされたんですね。
オンエアが気になりますね。いつかなあ?

放送が楽しみです。今度こそ、絶対見れますように!!(*^人^*)

No.16320 - 2006/09/04(Mon) 21:04:49

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / リド
モグちゃん再度お知らせありがとうございます。
またテレビ番組表で確認しましたら、東京の方は、5日(火)10:30〜11:25 テレビ朝日『 新・桃太郎侍 』 「岡っ引き殺し!?不良少年の恋」になってました。この回に杉浦太陽くんがご出演なのかな。

また同日夜7時からが『新・桃太郎侍』最終回になっています。1日に2回もやるとは…驚きです。

No.16321 - 2006/09/04(Mon) 21:40:43

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / ムゲラ
モグルドンさん。miyuさん。リドさん。こんにちは。

やっぱりというかかちらの放送は午後7時の放送だけでした・・・。コスモスも将軍様(暴れん坊将軍)には勝てない。ということ!?

No.16322 - 2006/09/05(Tue) 12:21:21

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / リド
モグちゃん、みなさんこんにちは。
こちら東京、今日午前10:30から新・桃太郎侍に、脇役でなく準主役級、源太役でたっぷり出ました!太陽くん。

No.16323 - 2006/09/05(Tue) 12:42:58

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / モグルドン
リドちゃん、見られたんですねーー良かった(@⌒ο⌒@)

せっかく全国放送の初時代劇が、やむを得ぬ事情で多くの地域で放送されないという事で、とても残念です。

どうか近いうちに、再放送をお願いしたいですね。

No.16324 - 2006/09/05(Tue) 18:09:00

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / miyu
みなさん、こんばんは。

リドちゃん、見られて良かったですねー(*^-^*)

太陽くんの初時代劇、私も見たかった・・・とても残念です。
まさか、全国放送の番組が飛ばされるとは思ってもみませんでした(涙)
是非、どこかの枠で放送して頂きたいものです。

No.16325 - 2006/09/05(Tue) 20:39:02

Re: エクボルサイトのメッセージが更新されています / 太陽好き
うれしい事、私のビデオレコーダーが故障にならなくて、無事録画してくれました。しかし、息子と一緒に見るとき、息子がずっと“ウルトラマンコスモスはまだ出てこないか?”と聞かれて… ^o^ ^o^ ~~~

太陽さん本当に成長しましたな。落ち着いた感じがありました。うれしいです。

モグルドンさん、なんとなく、モグルドンさんの名前を見ましたら、土井垣さんの姿が目の前に出てきた。太ってますか?^v^ ごめんなさい!!

No.16334 - 2006/09/06(Wed) 13:18:28
ウルトラマンメビウス プレミアDVD / 旅の者
みなさん
こんにちわ

久しぶりに「てれびくん」にウルトラマンのDVD付録が付きました(嬉しいです涙)

簡単に内容のご紹介をします
このDVDのために新撮されたミライ隊員のご挨拶とメビウスのダイジェスト(第一話など)映像「メビウスムービー」があり、9月16日から公開される映画のダイジェストも入ってました
それから「劇場映画の予告編」、そして「ヒカリサーガの第一話の予告編」も収録されてます。

映像特典としては、バンダイ関係のメビウス玩具の「コマーシャル映像」、そして静止画(一部3Dで立体映像化)での「メビウス怪獣図鑑」(ヤプールまで収録)、そしてウルトラ兄弟達がかわいい漫画キャラクターとなった「まんがウルトラ兄弟」(アニメではなく静止画なので注意)が短編ですが7本収録されています。バンダイの玩具の紹介も3D画面で収録された「立体おもちゃカタログ」そしてグラビアの「立体バトル劇場」もありました

3D画面は同号についている「立体メガネ」(メビウスの形ですよ)をかけてみることをお勧めします笑

新撮場面は決して長いわけではありませんが、ガイズメンバーの姿も収録されており(ただし音楽だけは「予告」以外はオリジナルではなく別の音楽に差し替えられている様子ですが)見所はあると思います

とにかくDVDが付いて一冊500円はお値打ちですから是非みなさん買いましょう笑

ご購入された際は「またオマケにDVD付けてください」と小学館へのご意見を忘れずに笑

No.16313 - 2006/09/02(Sat) 17:16:05

Re: ウルトラマンメビウス プレミアDVD / リド
旅の者さんこんにちは。
いつもウルトラマン狙いだけで雑誌を買ってるので、今月はどうしよう節約しようかなーーなんて思ってましたが…

ウルトラマンメビウスのDVDが付録とあれば、書店直行ですね(^^;!

No.16316 - 2006/09/03(Sun) 13:02:48

Re: ウルトラマンメビウス プレミアDVD / モグルドン
旅の者さん、みなさん、こんにちは。

なかなか本は、購入出来ないのですが、
ウルトラマンのDVD付きとなれば考慮の余地ありですね。

情報ありがとうございます。

No.16317 - 2006/09/03(Sun) 17:35:36
「新・桃太郎侍」の放送時間が変更になりました / モグルドン
みなささん、こんばんは。

太陽くんの次の出演番組「新・桃太郎侍」放送時間が、変更になりました。

テレビ朝日 9月5日(火)午前10時30分〜オンエア
同日の午後7時からは、太陽くんの出演の無い回の放送となります。

関西の朝日放送では、朝10時30分〜という枠がありません。
9時55分から1時間、「はぐれ刑事純情派」の再放送の予定です。
ですので、もしかすると見られない可能性も!?

みなさん、エアチェックの際は時間のお間違いの無いようにご注意くださいね。

No.16308 - 2006/08/31(Thu) 22:15:36

Re: 「新・桃太郎侍」の放送時間が変更になりました / ちゃむ
モグちゃん、みなさん、こんばんは。

放送時間変更というお知らせメールが来ていたので、地元の放送局に問い合わせてみたところ、放送があるかどうかの返答は得られなかったものの、9月5日(火)午後7時からの放送が、最終回だと言うことでした。
当初予定されていた最終回の放送予定日、9月12日(火)は、紀子さまのご出産の特別番組が放送されるそうです。

こちらも午前10時30分という時間帯はローカルな情報番組が放送されているので、「新・桃太郎侍」の放送は難しそうな感じです。
太陽くんの初時代劇ですよね?・・・見たかったなぁ・・・残念です。(T^T)


上から失礼します。
あやなさん、初めまして。ちゃむと申します。
私も太陽くん、大好きです。宜しくお願いします。m(_ _)m

No.16309 - 2006/08/31(Thu) 23:35:12

Re: 「新・桃太郎侍」の放送時間が変更になりました / miyu
モグちゃん、ちゃむちゃん、みなさん、こんばんは。

こちらの九州朝日放送でも、午前10時30分〜という枠はありませんね。
10:45までローカル情報番組ですし、その後は連続ドラマの再放送があっていますしね・・・
やっぱり、見られないのでしょうか? (ノ_・。)
太陽くんご出演の時代劇、とても楽しみにしていましたのに・・・
どうにか放送していただけることを祈っています。 m(__)m懇願

No.16310 - 2006/09/01(Fri) 00:53:03

Re: 「新・桃太郎侍」の放送時間が変更になりました / あやな
ありがとうございます。
初心者なんで何も情報知らないもんでmm
本当ありがとうござぃます!!!!!!!!

No.16311 - 2006/09/01(Fri) 13:12:34

残念です・・・ / ちゃむ
こんばんは。

再び失礼いたします。
「新・桃太郎侍」の放送時間変更について、再度確認したところ、宮城の東日本放送では、太陽くんが出演される回の放送は無いということでした。

楽しみにしていたのにホントに残念です・・・BS朝日で放送してくれないかな・・・涙

No.16312 - 2006/09/01(Fri) 20:53:58

Re: 「新・桃太郎侍」の放送時間が変更になりました / ムゲラ
モグルドンさん。みなさん。こんばんは。
あやなさん。はじめまして。

夜での放送がないんですか。平日こちらの番組は
「暴れん坊将軍」をやっています。どうなるんですかね?(あさひテレビになります)

だいちゃん。あいちゃんの局にに聞いた方が(キャラクターです)いいのかもね・・・・。

No.16314 - 2006/09/02(Sat) 19:17:42

Re: 「新・桃太郎侍」の放送時間が変更になりました / リド
モグちゃん、みなさんこんにちは

東京在住ですが、PCでテレビ番組表で5日(火)夜7時〜7時54分、テレビ朝日「新・桃太郎侍」のあらすじ読みました。

『源太(杉浦太陽)ら数人の若者が…』となっていました。
期待したいです。

No.16315 - 2006/09/03(Sun) 12:55:40
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