| みなさん、こんばんは。 書きかけのレポ、保存したはずなのに見当たらないというアクシデントに見舞われ やり直し(ToT)・・・連休があったにも関わらず、ちょっと時間がかかってしまいました。m(__)m
この最終回は、いつもの語り手の唐沢さんに加えて、中野昭慶特技監督と桜井浩子さんがご出演で、たくさんのお話をしてくださっていましたよ。
NHK教育 知るを楽しむ 「私のこだわり人物伝」 『 円谷英二 〜特撮の神様〜 』
◆ 第4回 ここに特撮あり (9月26日放送分) 語り手:唐沢 俊一 さん。
ナレーション『東京世田谷にある 東宝撮影所。ゴジラが生まれたこの場所で、円谷英二をよく知る2人に話を聞いた。円谷の後を受け継いだ特技監督 中野明慶、チーフ助監督を8年間務めた。女優 桜井浩子、ウルトラQ・ウルトラマンでヒロインを演じた。』
唐沢『ここは、東宝の有名な大プールの跡。大プールと言っても、我々は写真なんかでは見たことあるんですけど…あそこの白い壁、あれはホリゾントにも使ったらしいですけど、あれがプールの壁でもあったわけですよね。じゃあ、向こうからずーっとプールですよね、ここぐらいまで。』
中野『そう、ずーっとプールですよ。おそらく100メートル四方…もうちょっとあったかな。』
ナレ『かつて この場所には、東宝撮影所が誇る 特撮専用の大プールがあった。その広さ およそ400平方メートル。完成したのは、昭和56年。円谷英二は、この巨大なプールを自由に駆使して、海から現れる怪獣・戦闘を繰り広げる戦艦を撮影した。』
唐沢『どうですか?桜井さん。そういうスケールの大きい人の前に立って、いろいろ演出されたりとかいうのは。』 桜井『その時は もう英二さんていうのは先生で、神様で。でも、ものすごく気さくな人でしたよね。』 中野『うん、そうよ。』 唐沢『圧倒されるというのではなくて?』 桜井『全然、全然。』 中野『特に女性は大好きだな…女の子には優しいんだからね。』(笑) 桜井『優しかったですよ、すごく。それで、この辺をですね…砂利道だったんですけど、スリッパを履いておられて、スリッパでいつも行ったり来たりして。』 唐沢『スリッパ?それは、セットの上なんかに すぐパッと登るためですかね?』 中野『水虫だ』(笑) 唐沢『あ、水虫なんですか。』(爆笑) 桜井『水虫だったの?初めて聞いた。今まで知らなかった。』(爆笑)
(スタジオの中・・・横にカメラを置き 椅子に座っている円谷英二監督の等身大人形を囲んで) 唐沢『ちょっとリアルですよね、これ。どうです?』 中野『何か喋りそう。』 桜井『そう、おっ、元気か?とか言われそうな気がします。』 唐沢『いつもこういう格好で(黒いスーツ・サングラス・帽子でビシッと決めた)いらっしゃったんですか?』 中野『そうそう。』 唐沢『円谷監督は、おしゃれだったんですよね。』 中野『そう、ものすごく。ダンディだったから。』 唐沢『そして、この格好で、このカメラ。このカメラも当時使っていた…。』 中野『それ、ミッチェル。懐かしいですね。』 桜井『懐かしいですね。』 唐沢『今は色々と進んでいるけれども、やっぱり映画のカメラとなると このミッチェルの形がスタンダードというか…シルエットだけでも分かりますものね。円谷監督のダンディズムというのについて、お聞きしたいのですが。生き方・仕事に対する情熱、そういう辺りも含めて男としての生き様みたいなことはどうでした?』
中野『僕はね、「プロ中のプロ」という感じがする。プロとはかくなることを言うのか、というようなことがある…本編、人間側を撮るスタッフと特技側とで 合同打ち合わせというのをやるんです。すると、本編側を撮るスタッフだって キャメラマンとかライトマンというのは一流の技術者ですよ。プロ中のプロでしょ。それがね、こんなこと出来ますかね?という質問があって、これは僕が横で聞いていたら 絶対に不可能なわけ。そういう時に円谷さんは「うーん、考えてみようか」とは絶対に言わない。ニヤッと笑って「出来るよ」って。聞いたほうはビックリしちゃってるんですよ。「えっ、出来るんですか?円谷さん」という話になる。 僕は、ある日 打ち合わせが終わって 帰りにチラッと聞いたわけ。「円谷さん、簡単に出来るって言っちゃったけど、どうするんですか?」って。(そしたら)「いいじゃないの、後でゆっくり考えれば」って。そこなんですよね。それで、「君ね、考えるっていうことは どういうことか知ってるかい?君、考えたら どこ痛くなる?」って言うわけね。「考えたら、僕は 頭痛くなりますね」って言ったら、「君、それは序の口だよ。頭が痛いなんて、そんなものじゃダメだ。本当に考えたら、胃袋が縮むんだよ」と。だから、「胃袋で考えなさい」と言うわけよ。』
桜井『ウルトラマンをやっていた時も、私から見れば 円谷さんをはじめ、みなさんオジサンたちなんですよね。いい年をしたオジサマたちが狭い所で「この怪獣は、こうあるべきだ」とか、ケンカしているんですよ、真剣に。それを見て、私も10代でしたから…こんな怪獣の髭ひとつ 牙ひとつで、何でみんな そんなに目くじら立ててケンカしなければならないのかしら?と思いました。その時は、英二さんも含めて 変わったオジサンたちだと思いました。(笑) 今だったら、真摯にやっておられるんだなあと分かるんですけど、(当時は)「早く終わってよー」みたいな。 撮影が始まって、喧々諤々(けんけんがくがく:議論が活発でやかましい様子)やってて、お昼ご飯から戻ってきても まだやってて、帰る時もまだやってるという…その不思議さは、若い女の子から見たらビックリしますね。1個のことでやってるんです、怪獣だけのために。』
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No.16415 - 2006/10/11(Wed) 23:53:23
| ☆ Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / miyu | | | | 唐沢『今まで そういうふうに特撮をやって、中野監督は、どの円谷作品の どのシーンが一番印象に残っていらっしゃいますか?』
中野『僕はね、「妖星ゴラス(1962年)」という作品の…あれは、南極だったか…第8ステージに500坪いっぱいに作ったセットなんですよ。極地だけを500坪いっぱいに作った。また、美術は凝りに凝って。デカイの作れって言われたものだから、本当にステージいっぱいに作っちゃったわけ。いやいやいやーと思ったら、円谷さんは まず、そのセットの隅っこから撮影し始めた。その広いセットの隅っこ…後のこっち(残りの 広いセット部分)は、うっ放しよ、全部あるのに。それをこう撮っていくわけです。ずーっと撮っていって、最後にいっぱいまで隅っこ作っていったわけ。さて これで全部終わったなと思ったら、「はい、これからロングいくよ」と言って、作り込んだセットをいっぱいに引いて 大ロングショットを撮った。それがね、実は さっきのこだわりなんです。 つまり 映画というのはね…映画人の合理性というものがあって、見えるところしか作らない。ところが、ミニチュアセットの場合は違うんです。ミニチュアセットのロングで(カメラを)引くと、奥のほうのミニチュアなんかは見えるか見えないかでしょ。だから そんなの美術に至っては 適当に小さいのを作って並べるんだけれども、実は 画面の中、つまり 映像の中で見えない部分にいかに手をかけているかが、大ロングショットを撮った時の価値になるんです。僕なんか、それ見ただけで本当に涙出ちゃったもん。「あれー、これは この手だ!」と思った。』
唐沢『桜井さんは?思い出の特撮シーンというと?』 桜井『私は俳優ですから。特にドラマ班の俳優ですので…ウルトラマンの特撮のセットで 初めて仕事をしたのは、巨大フジという回がありまして、メフィラス星人に巨大に…』 ( ウルトラマン 第33話 「禁じられた言葉」 ) 唐沢『フジ隊員が巨大化して、怪獣と同じように ビル群を壊すわけですね。』
桜井『そう、怪獣図鑑に出ている巨大フジになってしまったんですけれども。そういった役をやった時に、ドラマ班(本編)のセットから、初めて特撮のセットに行ったんですね。ミニチュアがすごく良く出来ていて、本当に自分が巨大になった気持ちになって。「ここを壊すんだよ」と言われたビルの所には亀裂が入れてあったらしいんですけど…私は気を失って 悪い者に操られているから、感情があってはいけないんですよ。だから、「こう見て壊してはダメだ。正面を見てロボットのように歩いて、スコーンと壊せ」と言われて、「分かりました」と言って、この辺だろうなあと思ってやっても壊れないんですよ。亀裂の所にスカンといかないとダメなんですよ。それで、こんなに頑丈に出来てたんだって 初めて分かりました。割り箸か何かで出来ているのかと甘く見てたんですけど、壊しやすいように。やっぱり、最後にOKになったカットは見てるんです、チラッと。フッと確認してるのが自分で分かるんです。(笑)その時、やっとスコンと壊れて、手もあざだらけになって…やっぱりミニチュアといえども きっちり作っておられるんだなあと、こんなにきちっと作らなくてもいいのになあと、その時に思いましたけれど。(笑)』
《 円谷流 特撮術 》 映画「キングコング対ゴジラ」(1962年)より・・・南海の島を突然襲う巨大なタコ。ぬめる表皮、うごめく足。 足が8本もあるタコを どうすればリアルに動かせるか 円谷英二は悩んでいた・・・こうなったら、本物だ!・・・円谷はミニチュアセットに 本物のタコを用意させた・・・しかし、本物のタコは陸に上がると動かなかった・・・その時 円谷は、タコが熱を嫌う性質を思い出す。これを利用しない手はない・・・円谷は、セットの陰から タコを火で熱した・・・怒ったタコは大暴れ・・・大成功!! こうして1週間、カメラはタコに向け続けられた。
唐沢『色々なエピソードを本当にご存知の方も、その後 噂で聞いた方も、って…今 色々と本に書いてあるのだけれども、それを統合して どんな人物かというのが、いまいち掴めない。だから亡くなって何年も経った今でも こういう番組が出来るというのは、円谷英二とはどういう人なんだろうと みんな疑問を持っていると思うんですよ。』
中野『僕は、いつも返事に困るわけ。そこでね、チラッと思いついたのが、これは 伯楽だなと。 (伯楽…中国周代にいた馬の良否をよく見分ける名人ということから、人物を見抜き その能力を引き出して育てるのが上手な人の意) これも諸々伝説があるんだけど、ゴジラを作った時に、正に 円谷さん それやったと思うんです。それは何だというと、円谷英二がゴジラをやるために、撮影所という荒野から より抜きの職人を選び出したわけ。例えば、照明をやってる岸田さん(照明技師:岸田九一郎)は、巨匠 稲垣浩さんの作品なんかも相当やってた人なんだけれども、「照明界のアイデアマン」と言われていた人。この人の発明になる照明機材はいっぱいあるんです。そういうことで、順番に見ていくわけです。すると(次は)美術。美術やるなら何だ?と。特撮の場合は素材が広いぞ、と。下はゲテモノから、上はシリアスもの・センチものまで…それをやった 渡辺さん(美術デザイナー:渡辺 明)という人は、口癖があるんです。「アイデアとウ○コは、いつかは出るものだ。その代わり、慌ててもダメだ」という…ここんところ、ピーッとなると思うんだけど…。(唐沢さんと桜井さん、苦笑)「そういうことが言える。あいつだー!」というのが、円谷さんの目なんです。』 《 放送中、ピーッとは なりませんでしたが、文章上 編集させていただきました。m(__)m 》
唐沢『実際問題、このスタッフたちが 後の特撮界を全部背負ってるわけですからね。円谷さんの名前があまり大きいので、円谷さんひとりが全部やったと思われてるかもしれませんけど、ひとりではどんなに大天才でも 映画は出来ませんよね。』
中野『出来ませんよ。そういうもの(才能)を見つけ出して、それをうまくアレンジした力というのは、正に伯楽だと思う。』
唐沢『色々な業界、特に美術とか音楽とかの天才をみると、自分が天才の人というのは、案外 人の天才を認めたがらないことがあるじゃないですか。ライバル心というものがあって。でも、その上…天才より一段上っていうことなんですよね。(円谷監督は)大天才って言ったほうがいいのかな。』
桜井『天才って思っていなかったんじゃないの、自分で。』 中野『そうそう、そこがまた大天才かもわからない。』
唐沢『ご自分のことを決して天才だとは思っていなかったのかもしれない。だからこそ、人の才能というものに気が付き、それに光を当てようとし、中央に持ってこようとし、というのが出来たのかもしれない。』
桜井『その辺のものを 何でも取り入れて、特撮に持って行っちゃうという人でしたよ。テレビのほうの206便のとき(ウルトラQ 第27話 「206便消滅す」 )にも、どう消滅させるかというのを、英二さんがこられて、円谷プロの狭い中庭の所に 洗濯機があるんですけど、それに水を入れて ガーッて回して、その中にご自分が持ってきた模型飛行機をポンと入れて、「これ、どうだ、どうだ、どうだ?」って言って、みんな10人くらいで洗濯機を覗き込んで…。でも、消滅するところが ワーッというふうになってたので、なるほどなと思いました。』
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No.16416 - 2006/10/11(Wed) 23:56:34 |
| ☆ Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / miyu | | | | 唐沢『円谷さんのお作りになった怪獣映画、つまり円谷映画で育った我々日本人というのかな…やっぱり、これだけ流行り、これだけ色々な人々がそれで育ち、そして大人になるまで ウルトラマンというものを覚えていて、また新しいウルトラマンが見たいと言っているというのは、何か日本人のメンタリティに 円谷さんのお作りになった作品が 絶対に大きく関与しているというふうに思うのですが。その円谷さんが日本人に与えたもの、ゴジラやウルトラマンを通して与えたものは、何だと思われますか?』
中野『あのね、ディテール(全体の中の細かい部分)にこだわるということね。僕が円谷さんから学んだものは、絵作りの ち密さなんです。作るための気配り、ち密な心配り、それが円谷ドラマにもあると思うし、それから映像のワンカットにもあると思う。』
唐沢『それは、日本人に円谷さんが与えたというよりも、円谷監督が 日本人の特質…その昔から細かい細工をしたりだとか、職人としての細かい所へのこだわりとか、そういうもの全部を体現していたということなんですかね。』
中野『あ、そういう言い方のほうが正解かもわかんないですね。本来は何でもないようなもの、他の人が気付かなかった 日本人の最良の部分を、改めて提示したのかもわかんないね。』
ナレ『円谷は、細かいミニチュアを使った撮影を得意とした。ロウで出来た溶ける鉄塔、水槽に流した絵の具で表すキノコ雲。円谷の特撮は、そのアイデアを実現する器用さに支えられていた。円谷は、日頃から細かい手作業が好きだった。』
《 円谷英二監督の三男である、円谷 黎(あきら)さんの話 》 『そうそう、時計を直すんですよ。御殿場の旅館で柱時計が止まっていると、そこのご主人が 直して下さいと言って持って来るらしいんです。それをバラして、直して帰るんです。 好きだったんでしょうね。バラしていく時に、組み立てのことを考えてバラしていくから直せたのでしょうね。』
ナレ『円谷の特撮は、アメリカ人の心もつかんだ。手先の器用な日本人が作った映像は、海を越えた。』
唐沢『しかも、日本人が古くから持ったものを 一番新しい特撮というものに生かした。つくりものじゃないんですよね、イメージが。』
桜井『それはきっと、手作り感なんだと…私が女から見た 男の人たちの手作り感というのは、絶対に女の子には出せない手作り感というのがあるんだろうと思うんです。やんちゃで、どうしようもない子が、感動するというか…心を揺するというか…。』
中野『それ、もしかしたら、円谷さんが子供なんじゃないかと。それと、スタッフが これまた揃って子供なんです。だってね、動かないタコを2週間も追っかけるとか、飛ばないハエを何とか飛ばそうとか、ハエの接写だけを 明けても暮れても壁の傍で撮ってるとか…「あんたは、何やってるの?」と。』 桜井『(笑)考えられない。』
唐沢『その世界は 本当に男の子の世界だと思うんですよね。だから、その世界の中にいてくれた女性である桜井さんには本当にね…その世界の中で溶け込んでいてくれた。』
中野『だから余計に、この姉ちゃんスゲエやーっていう…憧れのマドンナだったもんな。』 桜井『姉ちゃんですか…(笑)』
唐沢『ウルトラQ冒頭の坂口浩二さんのナレーション、「これから30分 あなたの目は あなたの体をはなれ…」というのがあるけれども、30分どころじゃないんですよね。何十年…一生…多分これから一生、円谷さんがお作りになった そのウルトラQの世界に 目と心が入って行っちゃって、そこから逃げ出そうとも思わないんだろうなあと思います。』
桜井『快適らしいですね、男の子にとっては。』 唐沢『快適な世界ですよ。それが、この東宝スタジオ・ミッチェルのカメラなどから始めて、生まれでたということなんでしょうね。』
ナレ『昭和44年、心臓を悪くした円谷は、しばらく現場を離れることになった。休みながらも、円谷は 新しい企画を練っていた。タイトルは、「ニッポン・ヒコーキ野郎」…飛行機乗りを目指していた少年時代の夢を最後まで追い続けた。翌 昭和45年、円谷は還らぬ人となった。享年68。』
唐沢『円谷監督のお撮りになった映画は、海外でも非常に高い評価を受け、ある時期 日本の外貨獲得の大きな手段として評価されていました。円谷監督の作品というのは、本当にグローバルなものを持っている。だけれども、先程の中野監督の話にもあったように、その映像の基になったものは、日本人の持っている国民性・性質・物にこだわるという特質などが、最良の形でフィルムの上に焼き付けられたものだと思います。 僕が円谷作品を見て 本当に感じるのは、日本人の原点なんです。戦争・高度経済成長など、そういった日本人の歩みというものが、怪獣に 或いは飛行機と形を変えて円谷作品というものに表れている。だから、今見ても、これから未来にかけて 我々日本人が見れば必ず、その作品の中に心を捕らわれる何かがあると思います。 それが、他の特撮作品との大きな違いではないのかな。そういうものを見ながら、考えながら、この先も 円谷作品を 僕は見続けるんだと思います。それは多分、皆さん方もそうですよね!!』
――――― 以上、第4回 「ここに特撮あり」でした。―――――
製作者の皆さんが、自分たちも楽しみ、その楽しさを伝えよう、楽しんで欲しいとの思いを込めて、ひとつひとつ大切に作られたからこそ、未だに忘れられない…心を捉えて放さないものがあるんですね。 細かいところにまでこだわり、気を配られたという円谷英二監督の当時の姿を聞くにつれ、とても素晴らしい方だったんだなあと改めて感じられました。男の子だけでなく、私たち女の子も引き付けられたウルトラマン・・・円谷作品に出会えたことをとても嬉しく思います。
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No.16417 - 2006/10/12(Thu) 00:10:50 |
| ☆ Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / 帰りマン&ティガ命 | | | | miyuさん 第4回のレポ、大変お疲れ様でした。 読んでて何だか圧倒されそうになりました。
本当に細かいところまでこだわって制作されていたんですね。特にその時代はCGとかがなかったから、それこそセットのミニチュアにも相当手をかけて造っていたんですね。 きっとそうした熱意が様々なところに伝わっていって、多くの人の心を捉える作品ができたのでしょうね。
それから、「出来るよ」という言葉、こうした姿勢が本当に大切だと感じさせられました。可能性に枠をはめない、ということが特撮の技術を進化させたのでしょうね。
また、自分を天才だと思わず、人の才能に気づき、光を当てようとした・・人柄も素晴らしかったと思います。
長いレポ、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
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No.16418 - 2006/10/12(Thu) 02:58:30 |
| ☆ Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポ / リド | | | | Niyuさん、帰りマンさん皆さんこんばんは。
miyuさん!詳しいレポ、本当にお疲れさまでした。ありがとうございます。 私も4回とも何とか放送を見ることが出来ました。 レポも改めて、じっくり読ませていただきましたよ!有り難いですね。
最後のこの回は、夜の放送が見られず、再放送が3日早朝5時05分からで、その時はデッキ修理中でしたので予約録画できないで何とか早起きして、目を凝らして見ました。
冒頭撮影用の大プールは、数年前の解体時に新聞に大きく取り上げられた事を思い出しました。今はCGが発達して水中撮影する必要性がほとんどなくなったんでしょうね。大プールの存在はひとつの歴史だったんだなあと思いました。
こうして円谷英二監督のお人柄に触れる機会に恵まれて嬉しいです。 不可能かと思われるようなことでも『出来るよ』とおっしゃったという監督のお言葉は私たちに勇気をくださったように思います。
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No.16419 - 2006/10/13(Fri) 23:29:00 |
| ☆ Re: NHK 「私のこだわり人物伝」〜円谷英二〜 第4回の番組レポです / モグルドン | | | | miyuさん、みなさん、こんにちは。
録画していたこの回の番組を、やっと観ることが出来ました。
いつまでも少年のままだった円谷監督の生き様と、 周りを囲むスタッフたちもまた、少年のような心で特撮に取り組んでいた、 身近なあらゆるものを使った想像力、細かいディテールにこだわる緻密さは、 我々日本人得意とするものですし、 見えないところにまで心を配る繊細さは、案外男性のほうが上なのかもしれませんね。
一日飽きずに怪獣論議をしているなんて、なんて子どもでなんて素敵な男の子たちなんでしょう《笑》
巨大タコの絵が、本物のタコをしたから炙ったものだったとは・・・ ( ̄ ̄▽ ̄ ̄;)
本当に楽しませていただきました。 レポお疲れ様でした。ありがとうございました。
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No.16420 - 2006/10/14(Sat) 16:10:17 |
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