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記事No.2951に関するスレッドです

本音で、「そのとき思ったこと」 / yoo [関東] [ Mail ]
今日午後から天気が悪そうなので、午前中散歩に行ってきました。
先日、初めて見つけた春蘭を、楽しみにして見に行ったのですが、3日しか経っていないのにありませんでした。その回りに何株か
筆竜胆も有ったのですが、やっぱりありません。
そのとき私は、「どうせ誰かが持っていってしまうんなら自分で持っていってしまえばよかった」一瞬、こんな想いと憤りが交錯しました、誰しもそんな瞬間があったのではないでしょうか?
そんなことを考えた自分がいやになってしまいます。
(写真は無くなった春蘭)

家は私の母が同居しており昔の話などしてくれるのですが、子供のころは「じじばば」といって山に行けばいくらでもあったといって
いました、母の実家は千葉県の大網というところで海が近い為、山といっても土地の人たちは林のことを山と言っています。
家の庭に春蘭が有りますが実家から何十年も前に分けてもらったそうです。

No.2951 - 2007/04/16(Mon) 19:04:07

Re: 本音で、「そのとき思ったこと」 / TAGA [関東] [ Home ] [ Mail ]
yooさん、そうですか。
盗掘だとしたら嫌ですね。

盗掘してしまう人は何故に盗掘するのだろう?と思ったとき、やはり、「花を見て自然を見ず」状態の人が多いのだろうと思います。それは当然といえば当然で、花は日常的に見るし、自然の中にあっても目にもつきますが、自然というのは見ようとしても、パッと見えるものではないからでしょう。だから、私はまず「五感で感じよう!」というのです。
花壇の花と自然に咲く花がどこがどう違うのか?が説明できなければならないのです。自然の花は自然が育て、そして、自然の中の様々な生き物たちとかかわりあいながら生きています。それが自然であり、だから、自然の花を大切にしようと思えば、その花を育む自然そのものを大切にしなければなりません。ただ花をアクセサリーにように持っていくのは、そのような自然が見えていないのです。

よく、「みんなで楽しむものだから大切に」という風に言う人がいますが、それはちょっと違います。自然が育て、自然の一部として生きているわけで、人々はそれをちょっとだけ見せてもらっているに過ぎません。

おっと、つい長くなってしまいました。

庭のシュンランの話、なんだか物語を感じますね。

No.2952 - 2007/04/16(Mon) 23:20:41