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   無題 - No Name - 2007/02/23(Fri) 21:30:28 [No.92]



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無題 (親記事) - No Name

「『世界』ってね、みんなで作るものだけど一人で作るもので、一人で作るものだけどみんなで作るものだと思うの」
「……相変わらず、お前の言っている事はワケがわからない」


          『とある魔導士と斬刀士の会話。』


 それは『世界』のどこか。
 抜けるような青空の下か、灰色にけぶる雨の中か、黄金色の夕日の中か、掴めそうな満月の下か。
 エリアなのかタウンなのかあるいはリアルなのか、それを知るのは当事者達のみ。
 それは、『世界』のどこか。

「『世界』ってね、いっぱいあるようだけど一つしかなくて、一つしかないんだけどそれはいっぱいあるものなの」
「……お前は日本語を勉強しなおすべきだと思う」
「最後まで聞きなさいってば。『世界』ってね、人が認識するものでしょう? キレイだとか楽しいだとか、私達が“それ”を見て認識して、それで始めてそこに在るものなの。目が見えない人にとっては光溢れる世界なんて存在しないし、耳が聞こえない人にとっては町のざわめきも何も存在しない。そこにないものを、想像する事はできるかもしれないけれど。ここまではわかる?」
「まあ、なんとなくわかる」
「じゃあ想像してみて。目が見えない人にとっての『世界』と、耳が聞こえない人にとっての『世界』。それらは同じものだと思う?」
「……まあ、そりゃあ違うだろうな」
「そう、それ。だから『世界』はいっぱいあるの。わたしが見ている世界、あなたが見ている世界、どこかの誰かが見ている世界……世界は、認識する人の数だけそれはたくさん存在するのよ」
「それがどうして一つしかないなんて事になるんだ」
「自我と他我の問題よ」
「馬鹿な俺にもわかるように説明してくれ」
「この単語は、実を言うと国語の問題で出てきたんだけどね……我思う、故に我有り、っていう『自我』は自分でわかるけど、じゃあその『我思う』を他人に当てはめた時の、『他人の自我』、『他我』っていうものは在ると思う?」
「そりゃああるだろ」
「それをどうやって証明するの?」
「どうって……ほら、俺とお前が喋ってる、お前にも『自我』はある、とか」
「あなたにとっての『世界』は、あなたが知覚しうる範囲にしかない。それ以外の場所を『想像』はできても、それはあくまで『想像』でしかない。あなたが知る事のできない場所――たとえば『私』という人間の自我は、あなたには想像しかできないトコロなの。他人の見ている『世界』をあなたに見る事はできない以上、『世界』はあなたの感じるあなたの『世界』ただ一つしか存在し得ないのよ」
「…………サッパリだ」
「わかるわからないは、良いでも悪いでもないそれら以前の問題だから、別に構わないわ」
「……それとなく馬鹿にされている気がする」
「それこそ気のせい。だけどあなたが“そう”認識したのなら、それが貴方にとっての『真実』。他人の『世界』を認識できない以上は、それらを想像して、自分なりに勝手にそれらを定義づけていくしかない。あなたの『世界』は、私や他の誰かが持っている『世界』に囲まれて“いるかもしれない”けれど、それはあなたにはどうやっても証明できない事。だからあなたにとって『世界』は一つしかないの」
「……ふーん?」

 魔導士はそこで一息おいてから続けた。

「だからこそ、『世界』は一人で作るものなの。自分の『世界』を認識できるのは自分だけなのだから、そこが素晴らしいところと認識すれば素晴らしい世界に、そこが酷く醜悪な世界だと認識すれば、その通り酷く醜悪な世界になるのよ。自分の『世界』がどんな『世界』になるかは、自分がそれをどう作るか次第なのよ」
「じゃあ、それがなんで『みんなで作るもの』になるんだ?」
「あなたが認識する『みんな』が、そうするからよ。あなたにとって他人の『世界』は認識できないものだけど、それでも『他人』はあなたの『世界』の中にいるでしょう? 今『喋っている』私や、あなたと関わる全ての人が、あなたの『世界』の中にはいるでしょう? 『他我』が存在するにしろしないにしろ、どちらにしろあなたの『世界』の中であなた以外の人も動いている。それらの人々がそろってある認識をしていれば、あなた自身の認識もそれに引きずられうるから」
「……んー? わかりやすい例をあげてくれ」
「そうね、たとえば何か大きなニュースがあったとする。それがあなたにはなんの関係も興味もなくて、『へえ、そう』で済んでしまうような出来事だったとしても、周りの人達が『あれは悲しい事件だ』、『あれは喜ばしい出来事だ』って、みんながみんな口をそろえてそう言っていたら、あなたも“そう”だと感じたりするでしょう?」
「……ああ、成る程。なんとなくわかった」
「だからこそ。圧倒的大多数の認識は、それを認識する誰かの意識にも影響を与えうる。だからこそ、『世界』はみんなが作るものだというのよ」
「そんなもんか。けど、どっちにしろ他人の自我ってヤツを認識できないなら、『圧倒的大多数の認識』とやらも、見てるヤツがそうだと認識してるに過ぎないんじゃないのか?」
「……そう、その通りよ。驚いた、ちゃんとわかってるのね」
「……やっぱり馬鹿にしてるだろ? けど、なんか空しい考え方だな、それ」
「どうして?」
「だって、それ結局は自分さえよけりゃいいって理屈にならねえか? 自分がそう認識しさえすれば、他人なんかどうでもいいって感じにならねえか?」
「そう、それも一つの考え方よね。自分がそう認識しているのだから、自分はその認識で構わないのだから、周りがどんな意見を言っていようとどうでもいい、と。だけど、そうして都合の悪いもの全てを否定するのは寂しい事よ。自分の持っているたった一つの『世界』の中でただ一人、長い人生を過ごしていくだなんて。人はやっぱり根本的なところでは寂しがり屋、認識の問題なんてどうでもいいから、ただ触れ合える『他人』という存在を求める」
「…………」
「自分だけの世界は強いけれど弱いわ。そこでは自分が全て、自分に疑問を抱いた瞬間全て崩れてしまう。拠り所がないのよ。だから『他人』の認識を求める。他人の『世界』を知ろうとする。そうやって、自分以外にも、自分の『世界』を支えてくれるものが欲しいのよ。けれど、相手の見ている『世界』が自分のそれと似ているとは必ずしも限らないのが難しいところね。拠り所を求めても、もしその相手の『世界』に否定されたら、自分の『世界』に不安を感じてしまう。そこで重要なのは、それを拒絶し攻撃するのではなく、自分なりに相手の『世界』を理解しようとする事ね。ほんの少しでも理解できれば、けして交わらない他人の『世界』でも、自分の『世界』を支える柱になりうるから。
 でも、やっぱりそれは難しいし面倒くさい事……だからこそ人は、自分の『世界』と近しい、自分の『世界』を支えてくれる強い何かを求めるのね。自分以外の誰かの『世界』を知る事ができれば、自分は一人ではないと知る事ができるし、その『世界』に自分を支えてもらえるから。だから人は、もっと誰かを知りたいと思うし、誰かと同じ『世界』を共有したいと思うのだわ」
「……やっぱり、お前の言っている事はワケがわからない」
「ふふ、そうね、一人の女の子が、好きな男の子の事を知りたいと、その子に自分の事をよく知ってもらいたいと思ってる。そういう事よ」
「……たったそれだけの事を言うのに、随分と回り道をしたもんだ」

 斬刀士がそう答え、二人は笑い合った。


 それは、『世界』のどこか。


(幕)


[No.92] 2007/02/23(Fri) 21:30:28
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