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竜巻のような死が通り過ぎた。 転がっている死体にどれも首はない。胸の上だとか、死体の脇だとかに、本人の首が置いてある。 たまに組み合わせを間違えて配置してあるものがあって、それが光景の恐ろしさを際立たせていた。 「酷い有様だな…………」 警官の一人が現場検証しながら呟いた。 死体の素性は近隣で不貞を働いていた輩ばかりであり、それがこうも一箇所に固まっているということは、徒党を組んでいた悪党一味ということになるのだろう。 どれも、金品は強奪されていた。 ねぐら代わりにしていただろう古代の遺跡は、塗りたくったみたいに血がぶちまけられていて、歪んだ鉄の匂いが胸糞悪いほど充満している。 「これで十件目ですか、首狩り殺人」 「ああ」 アイドレス領内で起こる事件の大半は、プレイヤーに知られることなく処理される。 ゲームとは関係ないからだ。 設定だけで動いている、設定国民が、「こうだろう」という統計や推定に導かれて暮らし、育ち、罪を犯す。それを捜査し、捕らえ、裁くのは、いちいちプレイヤーの手を煩わせてなどいられない。彼らには、もっと手強いもの、より大きなものと面する必要があるのだ。 それにしても、酷い事件だった。 今回のように悪党が狙われていることもあれば、まったく罪のない(と、当局の調べでは思えるような)善良な国民が犠牲になっていることもあり、手口が一貫しているだけあって、無差別さはいっそ不気味だ。 首を跳ね、それをもてあそび、相手が悪党なら金品を軒並み強奪する。 これが犯行の手口だ。 「普通逆なんじゃないすかねえ。 こう……食うに困ってちんぴらやってる連中なんざ放っておいて、押し入った家から盗んでいけばいいのに」 「言うな、理解しようってのが土台間違いだ。 例え、アイドレスが理解しあうゲームだとしてもな」 刑事達はぼやきあう。 そう、まるでゲームだ。 死体で遊び、その世界の司法からは完全に死角となって暴れ回る。 一瞬プレイヤーキャラクターの仕業ではないかと疑うが、止めた。 そんな危険な妄想をアイドレス世界に反映するほど垂れ流しているプレイヤーなどいるはずがない。 だが、愉快犯だという線は間違っていないように思えた。 「どっちにしても、解決を急がないとな。 ただでさえ、国民は戦争だ事件だ本国だと、落ち着かない毎日なんだ」 「そっすね。でないと俺達が仕事する意味がないや」 空は、灰色に曇っていた。 太陽の見えない午前九時、刑事達は溜め息交じりにコートの襟を立てる。 まだ寒い日のことだった。 /*/ 一方、その惨状をもたらした死神はというと、 「んまんま」 露店でチョコクレープを食していた。 「おかわりー」 「はいよ」 にゃんにゃん硬貨を差し出す手と引き換えに、出来立てを差し出す店主。 薄く黄色い生地が、ほっくりと生クリーム&チョコソースをその口からはみ出させ、透かしていて、涎が出るほどフルーティーな甘い匂いを漂わせている。今度のはバナナチョコクレープだった。 「あふ、はふ」 「猫舌なんだから無理すんなよ、嬢ちゃん」 「ほふ、もふ」 声にならないほおばる音で、返事をしてみせるのは柔らかな髪の少女。 黄色い、ツバ有りのありふれた野球帽みたいな帽子を被っている。 その下から零れる赤毛は炎である。 艶やかで、陽の光を受けて白く燃え立つ、キューティクルに富んだ髪だった。 猫っ毛らしく、風を受けてふわふわとたよりなげに優しくそよいでいるが、その顔は、まるきり猫科の猛獣と同様、いつ豹変してもおかしくない、そういう一種の狂的な愛くるしさを秘めている。 綺麗というよりは、何かの冗談で生まれた神様の愛玩物みたいに可愛いその長身の少女を見つめながら、屋台の店主は頬杖を突いた。 まったく、神様って不公平だ。 同じ設定国民でも、こうも恵まれた容貌を持って生まれてくるものと、自分のように冴えないものとを明確に分けてしまう。 それだったらいっそのこと全員同じキャラでもいいのにと思って、やめとこう、焼いたクレープを食ってくれる女性客がいなくなる、と、思い直す。 「おいしいねえー、おいしいねえー」 「ははは、そいつはよかった」 泣きそうな勢いで自分の作るものに感動する相手を見ていると、冥利に尽きる、と職業意識が刺激される。 「おかわり!」 「はいよ」 注文を受けて生地を焼き、ぱらりと包んで差し出すまで、ほんの1分。 そのたった60秒でさえ待ちきれない様子で、ふんふん匂いを嗅ぎながら、こっちの手元を覗き込んでくるこの少女のことが、店主は大分好きになっていた。 「上手だねえ、上手だねえー」 「ははは、こっちもこれが商売ですから」 「ふにゃー」 猫のような口で感心する少女。 あむあむ柔らかい生地をほおばり、むしりとる、その唇が可憐である。 「それにしても、嬉しいねえ。こんなに飽きないで俺のクレープを食べてくれるんだもの」 「うん!」 にこにこと少女は力いっぱい頷いた。 差し出す手は、おかわりの催促ではなく、彼女の持つ、最後のにゃんにゃん硬貨だった。 「ごちそーさま、おだいです!」 「ありがとうございました…ねえ、君、もし良かったら、この後遊びに行かないかい?」 笑いながら、勇気を振り絞って言う。 どっく、どく。心臓が高鳴った。 「え? おじさんと?」 「おじ…いや、まだ二十台後半なんだけど…」 たは、っと肩透かし。 そうだよなと思う一方で、しっかりしろ、俺、これが運命の出会いだろ、と、発破をかける自分がいる。 年の差なんて、関係ない! 好きになったら一直線だ! 「んー…」 少女はクレープの包み紙を、くしゃっと潰して考えた。 上の空のような、空を見て、あごに人差し指をあてて考える、不思議な格好である。 絵ではよく見るが、実際にしている人がいるかというと疑問なポーズだ。 実際にしている人が、いるかどうかわからない。 それは、実際に、何を考えているかわからないということでもある。 少なくともこの店主にとり、この数秒の間に少女が何を考えていたか、まったく想像はついていなかった。 「ねえ、おじさん」 「ん?」 「遊ぶって、どういうの?」 きょるんと愛くるしい黄色がかった瞳がこちらの目を覗き込んでくる。 どぎまぎしながら店主は答えた。 「そりゃあ…どこかでお茶したり、買い物したり、映画見たり、カラオケとか、ビリヤードとか、ダーツとか…ボウリングもいいね」 要するに、街で遊ぶということだ。 その答えを聞いて、途端に少女は関心を無くした。 「いいや。行かない」 「え!?」 「そういう遊び、つまんないんだもの」 「そ、そうかなあ」 うん、と頷きながら、少女はにっこりと笑った。 「おじさんとは遊びたくないな、好きだから」 「え!?」 同じリアクションを繰り返してしまった。 すすすすす好きってどいどうどういうことだ。 動揺をこらえながら、聞いてみた。 「おいしいもの作る人は、好きだよ」 「なあんだ…………」 がっかりして、彼は肩を落とす。 そうだよな。所詮俺なんかじゃ、柄にもなく客を口説いてみたってこんなもんだ。 まだ日は長い。じゃんじゃんクレープを焼いて稼がなければ。 「うん、わかったよ。 おいしいって言ってくれてありがとうね」 にっこり、自分に出来る精一杯の笑顔で見送ろうとする。 ちゅ、と、その頬に冷たく湿った感触が触った。 「!?」 「誘ってくれたお礼だよ」 太陽のように屈託なく笑う少女の顔が、そう言って離れていく。 ばいばーいと手を振りながら去っていく彼女に、手を振り返しながら、ぼんやりクレープ屋の店主は思った。 勇気を出して、みるもんだ。 ささやかな幸せを得て、その日を過ごした彼が、我が身に訪れた本当の僥倖というものを知る日は永遠に来ない。 少女の言った、遊ぶということ。 それが、殺戮に興じるという意味をしか持たないことを、知る術は永遠になかったのだから。 /*/ ことん、と獅子おどしが、純和風の庭園に響く。 膝を詰めて座っているのは、一人の若い少年と、壮年の男であった。 親子のようによく似ている。 「行って参ります、父様」 親子であった。 少年の身なりは、ある意味では純和風の庭園に似合う、純和風の屋敷に、とても似合ったものであった。 しかしそれが日常の範疇で似合っていたかというと、疑問。 そういう身なりをしていた。 黒い、忍者と巫女を足して二で割ったような衣の下に、白い内衣を着込んでいて、ところどころで覗くその色が、程よいコントラストを成している、よいデザインの服であった。 だが、デザインと日常性とは関係がなく、それは明らかに普段着にするような性質のものではなく。 そして少年の傍らに、家宝のように取り置かれているものは、黒鞘の小刀。 うむ、と頷いて息子を送り出す父親にも、厳格なという表現だけでは語りきれない、苔むした厳しさ(いかめしさ)があった。 当人が生まれてくるよりずっと昔から積み重ねられた、血と歳月だけが出せる重々しさである。 「必ずや、世界の敵を、討ち果たして参ります」 深々と床に手を着き頭を垂れた少年は、そうして小刀を手に取り立ち上がる。 綺麗な所作であった。 鋼にしなやかさというものがあるのなら、それを人で表わすならば、こんな具合だろうというような、堂々たるものであった。 少年は鋼であった。 意志という名のくろがねに、使命という名の焼入れを重ねて、歳月という名の鍛錬を加えた、一振りの鋼であった。 そういう日本刀のような美が、彼の所作にはつきまとっていた。 「水の名を持つもの。そう、占いに出ておる」 「はい」 「水を、求めていくがよい」 「はい」 はいという、是認より他に言葉を知らぬようであった。 はいという、是認より他に、言葉を知らぬのであった。 東(あずま)の名を頂く、しかしてその同名なるプレイヤー、キャラクター、いかなる存在とも関わりを持たぬ、東国の一氏族。 その、当代の後継者。 それが彼、トウ=エン=スバル、その人であった。 少年は、父にして家督である男より言葉を頂戴すると、その場を辞して、襖を閉じた。 すたんっ! と、音もなく閉ざされる襖。 やはりその所作は、切れ味のよい日本刀のようなものであった。 残されたのは、無言で座する、父・大角。(だいかく) かぽん、と獅子おどしが再び鳴る。 満ちて溢れたるものを、一気に零して、ただの竹を切り出したそれは、また、戻る。 細い水のそこに溜まる音。 時の止まったかのような光景が再び甦る。 /*/ 遠い旋律が鳴り響いていた。 人形達がそれを見上げる。 遠い旋律が鳴り響いていた。 黒い風が、それを聞く。 遠い旋律が鳴り響いていた。 紫の唇が、それを笑う。 遠い旋律が鳴り響いていた。 聞くものはもう、どこにもいない。 遠い旋律はもう、聞こえない。 /*/ 目が覚めると、彼女は薄暗い洞窟の中にいた。 「やあやあ、ようこそNoahへ、箱舟へ。選ばれた者達の最後の聖地へ。君を歓迎するよ、後輩くん」 やはははは、と笑う陽気な女の声がして、それで我を取り戻す。 記憶が、なかった。 「???」 額に手をやる。長い髪が鬱陶しかったので、その際ついでに後ろへ流した。 自分がとても髪の長い、しかも女であることだけは、その時思い出せた。 馬鹿でかい胸に腕がつっかえて、髪を上げる動作が鈍ったからだ。 その服装は青い。 まるきり青いチャイナドレスであるが、センスが悪いなと思ったので、多分自分のチョイスではないのだろう。それか、記憶を失ったショックで好みがまったく変わったか、だ。 「ああ、その服は私が選んだのさー」 センスが悪いのは目の前のこの女だった。 糸目に狐顔、金髪ショートカット、長い耳。 不思議な顔立ちをしている。昔、本で読んだファンタジーに出てくる、アルフとかいう種族みたいだ。 それで、ああ、自分は記憶喪失をしていると言っても、一般教養は備えているのだなと安心した。 なにぶん知識がなければいきなり知らない世界で生き延びることは難しい。 「センスが悪いな」 センスが悪いなとはっきり口頭で伝えてやった。 「あははははー! いや、いや、いや、ありがとねー! でっすよねー!」 けらけら糸目の女は腹を抱えて笑い出す。 「その服は、俺が選んだ」 糸目の女の後ろから、ぶすっとした顔でサングラスをかけた、けったいな男が現れる。 髪をポニーテイルのようにして束ねている。 だけなら、別段おかしくはない。 問題なのは、その髪が、左右で白と黒とに分かれていることだ。 センスが悪いのは、服選びだけではなく彼のファッション全般だったらしい。 「前言を撤回しよう。センスが酷いな」 「悪化した!!? 表現が悪化した!!???」 やははははははと笑い転げる糸目の女を、むすりと睨みつけながら、そのポニーテイルの白黒男は前に出る。 「お前には、二つの選択肢がある」 「服を脱いで素っ裸になるか、着替えを自分で見繕うかの二択だな?」 「違う」 まったく、どいつもこいつも女というものは……と、深い深い嘆息を漏らし、男は気を取り直して告げた。 「我々Noahの仲間になるか、ならないか、だ」 「ならん」 「早っ!? 即決!!? っていうかコンマ何秒!!!??」 五月蝿いぞ、アルハ、と、その男は女の名を呼んでたしなめた。 口調の重々しさと、ツッコミに対するそのリアクションで、こいつはなるほど会話のセンスもないのだなと判断する。 今度は直接口にしなかった。 用件を片付ける方が先だからだ。 「記憶のない人間を相手に勧誘をかけるというのは一種のペテンだ。ペテンには乗るわけには行かんな。 私は記憶がない。よってそのNoahなるものがいかなる団体か秘密結社か知る術がない。最初から懇切丁寧に教えるならともかく、いきなり二択を突きつけるような輩に返す言葉はNO一点張りだ、わかったか」 「ふむ…………」 男は考え込む。 「どうするさ、チギラー。このまんまじゃ埒があかないよー」 「別段、我々は強制的な団体ではない…が…我々の仲間にならないことで、自身がこうむることになる害だけは、伝えておかねば義務を果たせん」 「りょーかーい!」 びしっ、と口で擬音を出しながら敬礼する糸目の女。 どこからともなく取り出されたのはクリップボードだった。 「順を追って説明しましょー。 まずここは、私達Noahのアジトです。どこにあるのかは秘密です。 見てのとおり洞窟にあるけど、見てのとおり、明かりもあれば、こんな文明的な道具もありまーす」 マジックペンできゅっきゅとシンナーの真新しい匂いをさせながら、彼女はクリップボードに丸を書いた。 その中に、「どーくつ」とひらがなで記入する。 「私達Noahは、正式名称を、えーと………… えーと…………」 「…………」 糸目の女が横目で男に目配せをする。 男は目を閉じ応じない。 「えーと、確か、の、のっと…おあー…」 「Not Ace‘s Hostel、英雄ならざるものたちの宿、だ」 「そうそうそれそれ!」 「スペルからどう考えてもオアは出てこなかっただろう、今」 ツッコミを入れてみる。 糸目の女はやははははと笑った。 どうやらこれが彼女の芸風らしい。 「まあ、和名の方がなんだか無駄にカッコイイ感じだけど、要するに寄り合いなんだよね。 このアイドレスの世界の中で、エースじゃない連中が集まって、相互扶助?みたいのをするっていう」 「ほほう…で、その労働組合が私に何のようだ」 「労組じゃなくってー!」 クリップボードに再びペンが走る。 ACE、Not−ACEという二つが丸の下に書き込まれた。丸とNot−ACEの方が結び付けられている。 「のっと・えーす!」 「ふむ。で、エースとは何かね」 「偉そうだな、この後輩くん候補…」 さりげなく候補に格下げしながら女は説明を続けた。 「エースっていうのはー、こう…強いんデスよ!」 「ははは何の説明にもなってないではないか馬鹿め」 「チギラー、この子私をいじめるー!」 「お前の頭が悪いのが、八割方の原因だと思うが……」 再び嘆息する男。 「手っ取り早く結論から言うぞ」 そうして彼は、自らの着用しているサングラスに手をかけた。 「お……」 下から現れたのは、右だけ白目と黒目が反転した、異形の瞳。 「俺達は、この世界に産み落とされた、一種のエラー体だ」 /*/ 説明を引き受けたチギラという男は言った。 「この、髪も、目も、本来ならばありうべからざる存在だ。 にも関わらず、俺はこうしてここにいる。 ありうべからざる存在が、ありえてしまった時、それはどうなると思う?」 「普通は定義の方が見直されるな。科学の発展の歴史なぞその繰り返しだ」 「だが、この世界では違う」 チギラは再びサングラスをかけなおしながら、クリップボードの白い領域を指差す。 「ここはアイドレス。 情報が世界を構築し、情報が世界を定義する、限りなく情報のみに近づけられた世界。 そして、『ゲームの中』、だ」 いそいそと、嬉しそうに糸目の女、アルハはクリップボードに『アイドレス』と書き込んだ。 「ゲーム。そう、ゲームなのだ。 ゲームにおいて、正しい処理がなされない情報のことを、何と言うか、知っているか」 「いや知らんが」 「バグ、だ」 アルハが、バグ、と追記して、隣に『=虫』と書く。 「俺達は、虫けらだ。 あってはならない存在だからという、たったそれだけの理由で存在を否定される、世界にとっての、虫けらだ」 「そう卑下する必要はなかろう。虫といえば世界最強の繁殖数を誇る生態系ではないか、何を恥じている?」 「…………アルハ、確かにこいつは扱いづらい。アドラに来てもらった方が良かったかも知れん」 「でっしょー?」 「何の話か知らんが言われようが随分なことだけは私にもわかるぞ、おい」 クリップボードに、『後輩くん候補(仮)』と、アルハが書き込んで、その横に『=いろんな意味でお邪魔虫』と付け足す。 チギラがそれを溜め息をつきながら消してやると、アルハは不服なようにイーっとこちらに舌を向けてきた。 「虫というのは、つまり、通念でいうところの比喩だ。それだけ俺達の扱いは常人に比べて酷いということの、な」 「やーい、通念なしー」 「アルハ」 「はあい」 やっはははは、と悪びれずに糸目をさらに細くて笑うアルハ。 チギラは、これ以上話を横道にそれさせるようなら、もう喋るな、と念を押してから説明を再開した。 「バグは、消される。だが俺達は生きている。 設定だけだろうが、生きている。ゲームの中だろうが、生きている。 それが、消される。 どういうことか、お前にもわかるか?」 「通念で言えば、消すとは殺すの隠喩にも使われることがあるな。死ぬのかね」 「そうだ」 アルハから取り上げたペンでチギラは『世界=ゲーム』という構図と、『バグ=俺達』という構図の2つを書き込む。 「バグをなくすためには、デバッグという作業が行われる。 これを担当するのがエースならびにそれに準じる、アイドレスプレイヤー達というわけだ」 「おお、やっと話がつながったな。随分かかったではないか」 その偉そうな口振りに対し、何か言いたそうにしているアルハを目で牽制するチギラ。 「いいか。 俺達は、殺されたくない。 だが、世界は殺してくる。 生き延びるために力をあわせるのが、俺達Noahの存在意義と、そういうわけだ。 仲間にならないデメリットを理解したか」 「したぞ」 うむ、と腕組みしながら頷いた『彼女』は、だが、その場で勢いよく服を脱ぎ出した。 慌ててアルハがチギラに飛びつき目隠しをする。 「ちょ、ちょっと、何をいきなりしてくれちゃったりしちゃってるかなー、この子はー!?」 「仲間には、ならん。恩義も受けん。よって服は返却する。 明快なことではないか」 「そうじゃなく、常識としてだねー…って、ええ!?」 素っ裸になった『彼女』が言った言葉の意味を、ようやく理解して、アルハは今度こそ目を丸くした。 「き、君、死にたいの!?」 「馬鹿め、死にたいなら服を脱がずに死ぬに決まっているだろう」 「そうなの!? いや、っていうか、そうじゃなくて……」 「Noahに入らず、1人で生きるというのだな」 背後から目隠しをされたまま、チギラは言った。 『彼女』はそれに対して平然と頷き、また、口にする。 「そうだ」 「そうか」 それきり彼は何も言わなかった。 「え、え…… ちょっとチギラ、勧誘止めちゃってもいいのかなー?!」 「言っただろう。 俺達は強制的な団体ではない。相手に確たる意思があり、また、必要最低限の危険性を伝えたのであれば、無理矢理にする必要はないはずだ」 「それは、そのー…建前?っていうんじゃない、かな? どうかな?」 「建前ではない。本音だ」 「ええーっ!?」 やは、やは、やは、と、困ったように笑うアルハ。 「行くがいい」 チギラは告げた。 「だが、なぜだ」 「―――そんなもの」 ふ、と『彼女』は、笑って、そして苛烈に言い切る。 「自分の体に聞いてみろ。 血の匂いが染みついた二人組みの、言うことも、その仲間入りにも、私は興味がない。 それだけのこと」 そのまま『彼女』は、洞窟の、明かりのない暗がりの方へと消えていった。 /*/ 「やっはっは、行っちゃったねえ……」 床に脱ぎ捨てられた青いチャイナドレスを、拾い上げるアルハ。 その糸目が丸く見開かれる。 「あり?」 「どうした」 「いや…」 ほら、これ、と、アルハがつまみ上げたのは長い髪の毛。 その色は綺麗な銀色をしている。 「おかしいねえ……」 「む……」 一本の髪の毛を見て、首を傾げあう二人。 「一本ぐらいなら、ってことも、あるかな?」 「…………」 何故、その髪の毛がおかしいのか。 それは彼らにとり明白なことだった。 去っていった『彼女』の髪の色は、彼らの記憶の中で、青いチャイナドレスに似合う、美しい青色をしていたからだ。 「おかしいねえ……」 手の中のドレスと、髪の毛とをしきりに見比べるアルハ。 /*/ 雷鳴が轟く。 外は豪雨であった。 「む……」 それでも、『彼女』は躊躇うことなくその中へと踏み出していく。 足の裏が感じるぬかるみ。 面を叩く雨垂れ。 森に、響く旋律―――― 冷え切った洞窟の中を歩いてきた体が、さらに熱を奪われていく。 しかし。 「――――しかし、それでも寒いとは感じないのだな、私の体は」 これが、私のバグか、と思う。 あの二人組みが語っていたことのうち、それだけは信じても良さそうだった。 常人は、こんな状態で寒気を感じることもなしに歩けはしない。 我慢をしているというのではない。 寒くないのだ。 「―――――――――」 無言のうちに、空を見上げた。 軋む。 記憶のないことに、ではない。 記憶がなくても一向に頓着を示さない、自らの人格というものに。 その心の空疎に、胸が、軋む。 「こんな私を待っているものなど、きっとどこにも居りはしないのだろうな…………」 それでも、さっきの二人のところに戻ろうという気は起こらなかった。 ただ、進む。 柔らかい足の裏を、小石でずたずたにし、泥まみれにし。 長い髪を、曇天豪雨の灰色に、同じ鈍色で染め上げて。 引きずりながら、進む。 「私の、私の名前は――――」 /*/ そして物語は始まる。 /*/ [No.5704] 2009/09/15(Tue) 18:27:59 |