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胸郭の緩める、隙間へと、流れ込むようにして肺胞を満たす空気たち。絞った蛇口から伝うつたない細さが水槽を満たしていく静かさと同じで、血中からの酸素交換が、つま先、小指の毛細血管にまで微粒子単位で蓄積されていく。それは、肉体が存在するという証。 最初のうちは、歯車に噛んだ時間を粉砕せんばかりの勢いで弾け回っていた、腕時計の針が、徐々に大人しくなり、盤上でやがては八万六千四百分の一日ごとに十二分割の時を刻む法則を思い出したようだ。 水深40mを耐える硬質ガラスを留めるのは、本物の黄金だけが持つことを許された、眠たげな輝きを帯びた金縁。白い盤には、燃える星々の欠片を掃いた、赤いオレンジ色の筆致で『α』とのみ記されている。上に置かれた三本のブレードは、絶え間なくXYZ軸のそれぞれで座標を渡り続けているにも関わらず、三方より、ただ一点の真実を常に刻み示して己が役割を果たしていた。 雷が走る。 荒天をではない。体内に、猛る雷神の怒りの如く、滅裂に、だ。 五感を、雷の峻烈さが携えた、激甚の鮮烈が洗い出した。 覚醒する肉体感覚の濃密に思考が痺れる。 暗闇に亀裂を走らせよう。 目蓋を開けば世界がある。 目覚めたばかりのか弱い視神経が、満天の陽光に痛みすら訴えかけてくる。 重力に揺すぶられる脊椎がある。大腿骨がある。主の自重に軋みを上げる骨格と、大地踏む意志で貫かれた、土踏まずから頚動脈までの密接に絡んだ筋肉束が、内側から来る、震動で、生々しい揺らぎを見せている。 それは内燃機関の存在証明。 そこにあるのは、ただ、どうしようもないくらいに熱く、熱く、熱い、エネルギーの塊。 すべての外殻はそのためにあると言っても過言ではない、大事な大事な器官が、左胸、やや中央よりの、ほんの指先第二関節分までの奥行きのところで息づいている。 a Heart。 エイチの奥には、何がある? やわらかな脂肪に包まれた、あるいは強靭な大胸筋に守られた、その、奥底には、一体何が秘められている? 砕けても砕けない肋骨に固められ、無限に血を噴く大動脈とつながり、物の理を超えた領域に格納してある、人体唯一の機関にして器官が、今、心からのアクセスによって深淵の扉を開きつつある。 あるはずの無いものを有ると断言し、或るはずのない世界を在ると肯定する力。 太陽に真向かいて頭上を見上げる力。 音無き鼓動が肉なき体を揺らして止まない。 熱無き世界の風なき風を、感じ続けて止まらない。 皮膚でさえも一枚の衣。 十二倍速の秒針を、指さし、止めて見せるもの。 ずたずたに引き裂かんと容赦なく巡る三本の刃を潜り抜け、確かにここに立つ力。 ああそうだ、もう言ってしまおう。 Heartの奥に眠る汝の名を呼ぼう。 I_Dress。 私が見つけた、僕の可能性。 叡智(エイチ)の次には、愛(アイ)が来る。 私(アイ)が選んだセカイのナマエ、想像力という名の衣装(ドレス)の披露会場。 ヒトリジャナイヨとエコーする、電網宇宙の真空に、僕らは同じ夢を見る。 体(ハート)はここにある。 魂(アイ)と共に。 そして顕現の儀が唐突な喧騒によって打ち破られた。 /*/ 「憎悪の執行者にして、罪悪の代行者、だってえー。 いい面の皮よねえ。私たちNo.A.Hが、他の国民のために生贄になってるようなものじゃない」 せせら笑いを浮かべながら、女は足を大地に踏みしめた。 湿った音が割れる。足と大地の間にあった何物かが踏み抜かれたからだ。 それは人間の頭蓋であった。 せせら笑う女は靴の汚れに一瞥すら向けない。 そもそも靴の汚れとさえも、思っていないのだ。 手元には細い銀板が翻っている。極限に薄いため、見るものの視点と水平軸をあわされたら、単に女の手元が翻っているだけにしか思えなかっただろう。金属ならではの光沢も、ない。厚みと言える厚みがないため、光の反射さえもが、水平軸のピントが偶然一致しなければ目に飛び込んで来られないほど、薄いのだ。 その凶器は、やわらかくはなかった。 街に吹く隙間風を受けて、たなびいてもよさそうなほど、薄いのに、形成された板状の刃は、まるで女の掌と距離をあけて固定されているかのように動かない。 せせら笑う女の、笑いのように、浮かべたまま、浮かんだまま、向かう先も向ける先もまったく選ばず、浮かされている。 女の笑いは足元に広がった血肉の溜まり場にさえ起因していない。口元の歪ませだけが軽薄に漂っていて、まなざしは虚空に捉えられていた。 「…………そして私は『読者』のために、演じさせられている、ってわけだ」 瞳だけが笑っていない。 瞳は凍結している。 憎しみと呼ぶのもおこがましい、虚ろを中空に穿ち放つ、悪意の目で。 女は独り言を始めた時から今までずっと、こちらを見つめ続けていた。 「誰かが負うべき罪と悪意を、じゃあ、一生引き受け続けなくちゃいけない私たちを救うのは、ナニよ?」 救い主の呼び方を、誰、と、しなかったのは、女の明らかな意志である。 人は誰も救いはしない。 人は罪悪と我欲に塗れ、無関心の刃を無知という腕力で逞しく振るい続ける存在だから、人は誰も救いはしない。そう、No.A.H第三実行機関に所属する、『銀のイウレカ』は信じていた。 事実、騒乱にまぎれて殺人を繰り返す今も、誰もイウレカを救いに来てはいない。 被害者を救いに? 当然誰も来やしない。はなから前提外だ! 死者は蘇らないし、蘇ってはならない。それが罪悪実行三か条の筆頭に記された盟約である。殺人という名の罪は実行される。必ずだ。だから、起こった後に被害者が救われるなんて奇跡はありえないのだ。 救われたいのは、私。 罪を裁き、悪を断つ、救い手をずっとイウレカは待ち望んでいた。 けれど街並みを見渡してみるといい。 耳を澄ませれば押し込み強盗に犯される女の押し殺した悲鳴が聞こえる。物取りに怯えて通りの真ん中を歩く商人の回りを堂々と取り囲んで身包み剥いでいく窃盗団が出没している。鼻を利かせれば、訓練で鍛え上げられた嗅覚には、慣れ親しんだ血の匂いが、点々と、そこかしこにこびりついて、風雨に洗い流される間もなく上書きされ続けているのが、わかってしまうのだ。 誰もが放埓に悪を楽しみ、秩序という名の正しさを喪い、いまや私はただの人。存在の特別を担保する、No.A.Hという名の弱者の寄り合い所でさえ、ちっぽけで、薄い。丁度私の扱う銀と同じように、限りなく、薄い。 だから、特殊な子供として、銀を自在に操る能力を持ったイウレカが、あえて凶器を板状に固定しているのは、せめてもの抗いだった。 「私は誰にも曲がらない。誰にも曲げさせない。 私の銀には魔法がない。魔法銀(ミスリル)のような奇跡はない。 だから私が使うんだ。 私が魔法を使うんだ」 虚空を睨みながらイウレカは呟きを繰り返す。 「私の銀は、悪意の銀。 私の銀は、聖別されない。 私の銀は、悪意の銀。 私の銀は、邪でいい」 ちり、ちり、下を踏む。 「毒薬を見分けず、病毒を殺さず。 高貴を飾らず、電導を示さず」 ぢり、ぢり、肉を踏む。 「私の悪意に理由がなく。 私の銀に、知る辺なく」 ぎり、ぎり、舌を踏む。 「世界、ただ唯一の悪なる銀とて、私と私の罪業は」 めりり。 「黄金時計にも勝る杭となる」 ぐ、ちゃあ。 「…………」 立ち尽くしたまま両腕をだらりと垂らしたイウレカの姿は、虚脱そのものであった。 銀のイウレカ。 名前のままに、銀を延べたような長い直毛の頭髪は、一糸乱れることなく足元まで届き、名も示されぬ犠牲者の血を吸って、微かに毛先が黒ずみ始めていた。 白銀の装いに、昼、日中のまぶしさが、ひたすらに輝いて美しい。 /*/ くる、くる、くる。 回るペン先が煙草の煙をかき混ぜて、綺麗なリング状にして空中へ放っていた。 「臭いねえ…………」 「ヤニ臭いですか? 親父臭いですか? 不潔に臭いますか? 整髪料が臭いますか? ああわかったその指先芸が今時鼻につく古さで我ながら臭いってんでしょう、どうですか、当たってますか?」 モバイル端末を軽快に操りながら独り言に絡んできた後輩を、目深にかぶった鳥打帽の下から睨みつけてやる。よれよれのベストを羽織った古風なベテラン新聞記者の格好が、よく似合う、肌が酒焼けた、小太りの中年男だった。 「お前なあ、口が減らないのを通り越して邪悪だぜ」 「ぼかあ、常々毒舌なんて物足りない、芸能記者たるもの、怒りを引き出す酸の舌を持つべきだと思ってるんですよ。他人様の人生模様ほど面白い読み物もない。ゴシップ専門、聞けば爛れて、聞かせて爛れさす、畳の上で死ねない、死んでなお、悪臭を撒き散らす、ラフレシアのような人生であるべき、なんてね。思ってるんす。 神榊先輩は、僕の人生の手本ですよ、まさに、ええ」 「ふざけた野郎め」 鳥打帽のベテラン記者、神榊は、煙草を安物の灰皿でねじり潰すと立ち上がって後輩の頭を引っぱたく。それでも悪びれずに、えっへっへ、と笑っている、人懐っこい愛嬌が、舌鋒と呼ぶにもあまりに下劣な舌を持った、この後輩の、商売のタネだけあって、つい、許したくなってしまう。 背は高く軟派な顔立ち、細身の物腰と緩んだ目元がいやらしく、端正な鼻筋と口元に色気が香る、神榊の後輩、梅松原は、例えるなら汚物に湧く蛆虫のような存在である。取材と称して女性関係に放埓を尽くし、怪しげな人脈で、どこからともなくスクープを引っさげては上司を黙らせる、ブンヤと呼んだ方が似合いの売文屋だ。元はフリーのカメラマンで、会社に出入りしているうちに、いつの間にやらコネを作って、気に入らないことに、神榊の下に潜り込んでいた。 「臭いっつうのは、これよ」 「ん? ……ああ、なんだ、何かと思ったらNo.A.H機関の噂話じゃないっすか」 突き出された雑誌のページをめくると梅松原は面白くもなさそうに唸ってみせる。 「災害復興機関と名乗りゃあ聞こえはいいが、その実、復興現場で組織ぐるみでいろんな犯罪をやってるっつー噂ですね、はあ。ありそうなことじゃないっすか、官民一体の戦争需要で荒稼ぎする企業とか、ボランティア精神の欠片もなく暴利をむさぼる企業とか、例ならこれまでにもいくらでもあったっしょ? っちゅーか、よその雑誌がもう記事にしてるものを、なんなんすか、今更追っかけてみたいとか思っちゃったりなんだり? 暇っすねー神榊さん、いよっ、さすが大将、うちのトップエース!」 おどけて放り投げられた雑誌が宙を舞う。 床に落ちて広がった見開きは、先月号の誤報をお詫びする、慎ましやかなページ。 神榊はそれを拾うと、丸めて作った筒の先で梅松原の胸を突いた。 「遊んでんじゃねえ。チャラけてねえで、とっとと取材でも行ってこい」 「古いっすねえー。今時取材なら端末一つだって出来るでしょーに。何なんですかねえ、先輩の古臭さは。加齢臭を通り越して埃臭いっすよ。あいた! えっへっへ」 殴られ追い立てられるようにして事務所から飛び出した後輩の、背中をじっと見送ると、神榊は再び雑誌を机の上に広げる。 No.A.H機関には噂がある。 だが、では、何故、災害復興機関No.A.Hの関わった現場で起こる事件が、記事で取り上げられている陰惨で生臭いイメージとは裏腹に、むしろ犯罪が多発している今こそ数が少ないのか? 神榊が自ら集めてプリントアウトした、統計データの比較グラフからは、火の無いところに煙は立たない、の、むしろ逆の印象を受ける。つまりは、そう……。 「誰かがNo.A.Hを貶めるためにネガティブキャンペーンでも張りたいのかね」 /*/ EX−01:災害復興機関No.A.H さいがいふっこうきかん・のあ。ライフラインの復旧や、炊き出しボランティアの手配、人材派遣など、戦災天災人災を問わない、民間の復興支援機関。会社の生み出す利潤は、地域社会に還元されるべきとの姿勢を貫く、優秀な企業。経営にも後ろ暗いところはなく、不祥事の頻度も規模も極めて平均的。にも関わらず、何故か黒い噂が絶えないのは、所属構成員のメンタリティが、みな一様に『クリーンすぎる』からではないかという皮肉。 特に派手な事業を請け負ったりはしていない。地道な積み重ねと、それを可能とする災害の頻繁さが発展の原因。社名の由来は、もちろん聖書にあるノアの箱舟伝説がモチーフ。 EX−02:銀のイウレカ ぎんの・いうれか。女。特殊な子供。銀を操る。No.A.H所属構成員。詳細不明。 EX−03:神榊 かんざかき。男。中年のベテラン新聞記者。No.A.Hの黒い噂が気になっている。 EX−04:梅松原 うめまつばら。男。神榊の後輩、芸能記者。薄汚い。 [No.5721] 2009/09/21(Mon) 17:12:25 |