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困ったなあ、と、西薙エンは頬を掻く。 まだ、30に、成るや、成らずの若造である。体に余計な肉が付いていないせいか、見た目に貫禄が足りない。「君からは、なぜか、重みが感じられないんだよねえ」などと、冗談口を叩かれた経験もある。くつろいだ宴席での出来事なので、まともに受け止める必要のない、戯言なのだが、だからこそ、掛け値なしの本音だろうとも受け止めている。もっと、この点に対し、自分は気をつけなければいけない。 さて、その若造に振られた仕事が、空をなんとかしろ、だ。 困ったなあという感想しか、出てこない。 エンは、いわゆる公務員だ。レンジャー連邦の観光庁に所属し、誰でも出来る程度の、ほどほどの仕事振り、ほどほどの勤務態度で……、つまりはまあ、愛の民らしいスタイルで、これまでやってきた。 仕事をするために生きるのではなく、生きるために仕事をするのでもない、生きていく上で、自分の道と重なることを、仕事にする。好きなことじゃない。楽なことでもない。どうしても、自分の人生を振り返った時、それに直面せざるを得ない物を、仕事にした。 一生付き合わなければいけない物、相手なので、時には遮二無二もなれば、反対に、倦怠を感じることもある。でも、どんな時でも、辞めない。続ける。それが、ほどほどというスタイルの、意味だ。 庁舎の屋上から見る夜空は白い。 ここ、レンジャー連邦は、白夜の出るような極北でもなければ、紅葉国、あるいはFEGのように、都市船内に人工の昼夜を作り出したり、人工太陽を生み出すほどの、極度に発達した方向性を持っている、科学国ではない。 レンジャー連邦のある、ニューワールド、つまりテラ(地球)領域は、辺境なので、銀河中央のような、満天の星に包まれているわけでもないので、この光景は、自然の在りようではない。 遥か遠方から、宇宙空間を白く塗りつぶすほどの噴射光と巨躯で以て、何者かが押し寄せてきている、その、有り様である。 観光業はデリケートな産業だ。 人々の生活が、内向きになるほどの経済的・時間的余裕がないと、わざわざ商売抜きに他国を訪れようなんて発想には、なかなか、なるものではない。 他国、つまり他人を知ることは、自分との違いを見つけにいくことであって、それは、とりもなおさず、自分とは、どんな奴だったのかを、今、住んでいる環境ごと、国ごとひっくるめて確かめる作業である。 明日、食う飯を、今日、作らなければいけない奴には、そんなことはどうでもいい。明日、世界が滅びるとしても、知らなければ、所詮それまでの話なのだ。死に恐れを抱けるのは、死から遠い暮らしをしているからこその、余裕であって、たとえばナニワアームズのように、或いはるしにゃん王国のように、厳しい環境や、自然の理の中に身を置いている民たちにとり、死は、身近で、恐れではなく、字の違う、畏れの対象に過ぎない。 遠ざけはしても、見ぬ振りは、しない。 星々の輝きを塗り潰す白光に真向かいながら、エンは、曖昧に笑っていた。 困ったなあ。 今、政府では、かねてよりの宿願として、また、独自産業として、航空業界に注力するつもりがあるらしい。まともに考えれば、正気ではない。 空に見るのは、絶望であって、まかり間違っても希望のイメージなんか、見られる状況ではないのだ。 だからこそ、やれ、という下知が、観光庁にも来ている。 所要時間の定められている環状線と異なり、ポイント・トゥ・ポイントで、ずっと自由な往来を可能とし、船舶ほどに時間もかけないで済む、旅客機の増発は、観光業に大変な影響を及ぼすファクターである。旅客機を送り出せるほど、生活水準の高く、経済的にも、科学技術的にも発達した国である、という、余裕の表れの、周知にもなるので、受け入れる側にとっても、送り出す側にとっても、決して比重は軽くない。 観光は、現実逃避ではない。世界滅亡の危機を目と鼻の先にして、庁内でも意見が割れていたが、生きるために必要な、心の整理作業の手助けをする処であって、ラスト・バカンス等という、洒落たオチをつけさせるのは、人倫にも劣る、いや、実際に、ニューワールドに抗う術なし、死を、余裕を持って受け入れさせることもまた、重要なメンタルヘルスケアだ、等々、エンの同僚たちの間でも、昼休みには、両派に分かれて論争が絶えないが、少なくとも、エン自身は、観光とは、現実逃避より、もっと前向きな物だと、そう考えていた。 その、エンをして、やっぱり厳然として存在する、この現実を前にして、困るより他に、出来ることが、ない。 思いで世界は変えられない。気持ちで何かが変わるなら、みんな、祈りを捧げる。文化的に馴染みはないが、僧侶のように、実際に、祈りを捧げて奇跡を起こす、れっきとした職業も、このニューワールドの隣国たちの中には存在しているけれども、それも、あくまで実在する神様の力を借りているだけのことで、そのために必要な、作法や、儀式、捧げ物といった代償はある。切ったり縫ったりする医療と違うのは、結局、そこに働く理屈だけ。 心で、理屈は、曲がらない。 愛で、世界は、曲がらない。 「生きるって、なかなか難しいですね、先輩。」 呟いた口元から、それでも困ったように、笑みは浮いている。 [No.6974] 2010/09/10(Fri) 00:15:20 |