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冷凍庫でキンキンに冷やしたグラスに注ぐビール並みに冴えた早朝の寒気を、僕は顔の皮膚全般で浴びながらに飲み込んだ。この一杯がないと庶民のディナーが始まらないって位に、僕、葵路司(あおいろつかさ)にとっては馴染みの味だ。耳たぶに詰まった脂肪がキュッと固くなり、テンションの高まりすぎた頬では顎の筋肉が軋んで存在感を主張する。ああ、体内マップの、胃袋の方角では、程よい空きっ腹が、寝ぼけ眼で目をこすっているのが感じられる。 もうじき空には目玉焼きほど真っ赤なお日さんが、えっちらおっちらと水平線を乗り越えて登ってくるはずなのだが、そんなこととは素知らぬ顔で、夜明け前の晴天って奴は、上品に澄んだ冷製スープのような面構えで、雲一つ見せずに泰然として揺るぎない。 時刻はAM(ante meridiem)4時50分。 羊の角みたいにぐりりと巻いたハンドルバーの上部を鷲掴みにし、乾いた地面を蹴立てて加速する。すかさず身を翻して尻をサドルに落っことすと、玄関前の微妙な下り坂と慣性の法則が僕をホイールに乗せて路上へと射出してくれる。この瞬間が毎日一番のご馳走だ。それこそくたくたに疲れきった後、砂避けのマントも強めに巻きつけておこうかって位な宵の口、転がり込んだ飯屋の暖かな空気の中で飲む、自転車仲間たちとのビールの始めの一口よりも、僕は自転車に乗り出す瞬間が大好きなんだ。 飛び出した惰性のままにホイールを回して乗っかりながら、ペダルの上に浅く載せた足首を軽くひねると、かちりとハマる金属音がつま先の方から心地良く響く。量産性の高いプラスチックものとは違って値段はちょっと張るけど、専用のシューズと一体になって働くこいつは、ホイールと僕とをつないで機関車気分に浸らせてくれる、最高の相棒だ。 深く眠り込んだ街は薄暗がりにあどけない寝顔を晒しており、第一巡航速度でゆっくりと体を暖めながら、それらを見るともなしに察知する。穏やかな表情だ。昨日と何も変わらない。この光景は一昨日も変わらなかった。明日もきっと変わらないだろう。そう思うことに、僕は再びの空腹と、満足とを覚えた。 時折道端では、仕込みを始めるために、早くも軒先を開けている人影などもあって、足を止めて彼らのうちの誰かと話し込んだりしたことは一度もないけれど、この、普通の人なら見たこともない密やかな時間を共有しているというシンパシィを、僕は彼らに一方的に抱いている。 そら、例えばここの十字路を右に曲がると石畳が荒れていてタイヤが跳ねやすい。暴れる車体を抑えながらカーブした視界の左端では、いつも太ったおじさんが、面倒くさそうにトラックの荷台から野菜のケースを積み降ろしている。また、そこから30秒ばかしもまっすぐ漕ぐと、パン屋の厨房の明かりが路地裏に漏れているのが一瞬だけ目にチラついてそうと知れる。どちらの店も、いつか足を運んでみたいのだけれど、あいにく生活圏からは離れてしまってるので、ついつい立ち寄るのが億劫で、このささやかな願望は果たせずじまいになっている。果たしてしまったら、一方的なシンパシィが崩れてしまいそうで、そっと楽しみにするだけがいいのかも、なんて考えてりもするけどね。 そうこうするうちに、いつもの光景、いつものコース、いつものリズムで、もう、家を出てから15分ほども経過した。寒さで縮こまっていた間は、蹴り出す太ももの筋肉繊維のたわみを、一本一本までつぶさに感じ分けていたはずなのに、いつの間にか、一方では、眠っていた全身の細胞に、ポタージュほどもホットな血流がようやく完全に行き届いて、エネルギッシュなことに、いよいよ第二巡航速度に踊り出さんと、熱と汗を帯びて、渾然となっていきり立っていることに、僕は気付いてしまうんだなあ。 うんうん。この自分の中の熱っぽさが、心にぴちぴち跳ねて、生きのいいしらうおのように、美味いんだ。 もう信号の間隔は大分遠のいていて、グングン体中が伸び上がる、純粋な解放感と、猛烈な期待感とが僕の中を支配し始める。鼻から吸い込む清冽な水気と磯臭さを、肺で二酸化炭素に幾らかばかし、コンバートして、秒速0・5回くらいのペースで吐き出していく。 この、何かを待ち望む時のときめきが、また、上質な軟水のようにいつでもフレッシュで美味いんだ。何百回経験したって、繰り返しているからって鮮度が落ちない、腐らない。 おっと、乱暴なトラックが角をやや急ぎ気味に曲がりこんできた。思考するのもじれったい、反射で指先がブレーキを甘く咥え込む。トン単位の質量の横を、すり抜けるようにして入れ違い、素早く視線を横に走らせ、安全確認を済ましながらも、僕はとうとう島全体を囲う、幹線道路に飛び出した。 この解放感だけは、筆舌に尽くし難いほど、美味い!! だだっ広いロングストレート。スピードはコンバット。人差し指でタップしてギアを外輪にシフトする。背筋から脇腹に掛けての筋肉が、お前のペダリングは大層働かせてくれるぜと嬉しい悲鳴を上げ出した。アーチを描く背中と、そのアーチを固定するため肘を折り曲げ、手前側に巻き込むように曲がっているハンドルの下部を握りしめた両腕とが、ペダルを踏むたび、大忙しに小刻み、揺れて、分速100回転にも達する第一戦闘速度に、ついに出番かと喝采を挙げる。 生きている。 生きていることをこの上なく実感する。 生きていることを素敵に噛み締めるより贅沢なご馳走なんて、全くこの世のどこにも見たことがないな! 行儀のよいアスパラガスみたいに長々と行列を成して立ち並ぶ防風林の頭越しには、太陽の大あくびが白く差し込みを伸ばしていて、たゆたう波頭にも、ようやっと黒以外の色が写り始めていた。 朝だ。 朝だ! 心臓の唸りが、体の内側から、美味いぞー! 日中は最っ高に不愉快になる、湿度の高い空気も今ばっかりは大人しい涼気の担い手だ。20分の有酸素運動を済ませて脂肪を燃やしに掛かった体の火照りも、体内時計の目覚まし代わりで、すっきりと五感をクリアにしてくれる。おお、腹が鳴ってきたぞ、腹が鳴ってきた! 尻ポケットに突っ込んであった、固形成形型のエナジーバーの封を片手で開き、むにゅむにゅと口の中に突っ込んでかじる。美味い。普段は甘みと塩気が強く感じられるスポーツドリンクを、ホルダーから取り出して飲み口から吸い込む。 うむ、これもまたそのまんま美味い! 香ばしすぎないが、脂っけもしっかりと感じさせてくれるナッツ系のフレーバーが、パワーの出る気がして、好きで、このメーカーの補給食をたらふく買い置きしてある。個人的にチョコ味は外道だ。バレンタインにもらう当てがないから僻んでいる訳じゃないぞ、と、自分の心にツッコミを返しながら、唇を拭った親指をぺろり。 都市同士を結んでいるだけあって、さすがに早朝だろうと、飼い主を待ちかねて飛び跳ねるわんこさながらに、車は目的地目がけて、カッ飛ばして、僕をするする置き去りにする。エンジン付きにも、町中じゃ負ける気はしないけど、速度勝負になってしまえば、流石に帽子を脱がさるを得ない。それでも徒歩に比べたら断然速いんだから、つくづく自転車は人が生み出した偉大な相棒の一つだよ。 生きてるってことの味を噛み締めながら、今日も僕は走り出す。 ちょっと位の貧乏がなんだってんだ。自転車操業、上等だ。この身と愛機のこいつがある限り、僕はどんなところへだって、二本の足で、届いてやる。健やかに生きようとする意志よりもとびっきりの調味料があるんってんなら、かかってきやがれってんだ! [No.7291] 2011/02/12(Sat) 19:48:12 |