最近、『家なき子レミ』というDVDを観ています。 その中で、 ビタリスさんが、ミリガン婦人に 「ぎりぎりのところで自分一人の力で生きていけるような試練をさせたい」 という気持ちを話す下りがあります。
ぎりぎりの試練!自分一人の力で生きていけるような試練。 一人でも生きていける技術を身につける・・とでも言い換えられるのでしょうが
僕たちはそうした技術を小さい頃から身につけて育ってこない。
それらは勉強やスポーツをやることで置き換わる。
就職し、集団に属することで、集団の一員として役割を果たすことで 生きていく。
結局、ビタリスさんのぎりぎりの試練は かけがえのない仲間たちを失うという悲劇に結びつけられていくのだが 作者はこうしたぎりぎりの試練や一人で生きていけるような技術を 身につけることをどう思って、こうしたストーリーを描いたのだろうか?
現実は厳しいと告げるのか? 作者は親を失った多くの子どもたちの夢になってほしいと 家なき子を書いたという。
それにしても『家なき子』は こうした難しいテーマを描いているように 僕には見える。 |
No.840 - 2011/08/14(Sun) 22:22:41
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