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筑前大島と沖ノ島 / ふたくん
宿の女性から後から聞く話しでは、この島のイノシシはなかなか美味しいそうです。
宗像市が、小さい「イノシシ肉処理場」を作ってくれるらしいということです。
たくさんイノシシが住んでいるということは、畑が荒らされたり木が痛められたりするんだろうなと思いました。
宿の女性の話しによると、昔はマムシをはじめ、たくさんヘビを見たけれど、このごろはほとんど見ないそうです。イノシシの食糧になっているそうです。
冬眠中の冬でも、土を掘り起こしてヘビを探し出すそうです。崖ぞいの土も掘り起こすそうで、毒を持っているマムシでも、問題なく食糧にしてしまうそうです。
土を掘り起こして、よくヘビを見つけるなあと思うのですが、彼らには人間に無い、するどい嗅覚があるからかもしれません。

ずっと昔からイノシシが住んでいたようではなく、いつのころからか、誰かが島に持ち込んで、それがどんどん増えてきたそうです。
ただ増えすぎて、同じような血統が混じり、このごろはやや減少気味だという話しもあります。

大島海運の方が、海を泳いでいるイノシシを見たことがあるということを言っておられたそうで、他の地区のイノシシとの交配もあるのかなと思いましたが、このあたりの海は、潮の流れがとても速いそうです。
運転手の吉〇さんによると「この島から神湊まで、泳いで渡った人間はいないはず」だそうです。
筑前大島の隣にある小さな地島では、以前はいたけれど今はもうイノシシはいないそうです。

イギリスとフランスの間のドーバー海峡は、たまに人間が泳いで渡り、ニュースにもなるのですが、神湊⇔筑前大島間は人もイノシシも難しいようです。
学生時代の友人で、瀬戸内海の因島出身のこがいました。話しによると海を泳いでいるシカを見たことが何回かあるそうです。
そちらでは、いろんな事情で島を渡るシカがいるらしいです。

イノシシがヘビの駆除に役立つのなら、沖縄のハブ退治に役立たないのだろうかと思いました。琉球イノシシが住んでいるのだけれど、あまり貢献していないみたいです。

この島には、キジはいるそうですが、ぼくとしては是非いてほしい鳥がひとついます。
それはカササギです。「カチ、カチ、カチ」といって鳴くため、カチガラスともいわれます。元もと日本には住んでいなかったそうで、「勝ち、勝ち、勝ち」と、鳴き声が縁起がいいということで、秀吉の時代に朝鮮から連れ帰ったという話しです。事実かどうかわかりません。「古事記」にカササギが出てくるという話しがあります。どの部分なのか、確認がとれません。
ただ、遺伝子的にみると、朝鮮より中国に近いらしいです。

カササギは、日本全国に住んでいるわけではありません。佐賀では住んでいる森が名所になったりして、佐賀県の鳥となっていますが、全国的には少ないようです。
ぼくは学生時代に東京の練馬区で見たことがあります。韓国へ行ったときには、ソウルの世界遺産「宗廟(チョンミョ)」で見たことがあります。

この筑前大島にいてほしいというのは、七夕の大本、宗像大社中津宮があるからです。
牽牛と織女の間を橋のようにしてカササギがつながり、天の川を渡すという伝説があります。七夕と縁のある鳥がカササギです。



https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/20380.html

吉〇さんには、いろんなことを聞きました。
沖ノ島については、昔から島の話しは言わないしゃべらないというお約束のようです。
さしさわりのない範囲の話しでいうと、海が荒れて危険な時は船を島に寄せるようです。
海岸の鳥居より中へは、人ははいらないようですが、では、そこまで行っていいのかどうか、おそらくやむをえず許されるのかもしれません。その場合、鳥居の外に小さな避難小屋が欲しいところです。
年に一度、許されて上陸する男性200名の荷物預かりにも便利かもしれません。

沖ノ島のトイレは、きれいな水洗トイレだそうです。まあ宗像大社は、全国でも最初に交通安全のお守りを売り出したり、福岡だけでなく、全国的に信仰を集める大きな神社です。離れ小島とはいえ、それだけの立派な水洗トイレを持つというのも理解できます。
ただウォシュレットかどうかは、聞き忘れました。

それでは、また。
No.711 - 2017/06/08(Thu) 05:31:18
おひさしぶりです / ふたくん
こんにちは、ぽんさん。

このサイトも、ほおっておけば消滅するだけだと思い、それは悲しいことだと考えて文章を、続けて書こうと思ったのです。
といっても津江さんの情報というのは特にはなくて、その話題に触れることはできません。

ぼくの友達は、どこかのサイトを選んで、たとえばアメブロとかヤフーのサイトとかに自分のサイトを開いて、旅行記を書いたらいいんじゃないのと言ってくれるのですが、このサイトが消えてしまうと「焼肉ヒーロー」を扱った部分も消滅するので、それが嫌さにこちらに書き込んでいます。

円ちゃんが、Twitterをやっておられるというのは知りませんでした。
お元気そうでなによりです。
この頃は、「恋のから騒ぎ」のメンバーの方々がさんまさんの番組に出られて、なつかしく見ています。みさえさんとかローラさんとか相変わらずでした。見たい方はほかにもたくさんいますが、我満ちゃんや秋山直美さんも見たいです。そして元気になって小林麻央さんもです。
ここ一、二週間では16期の岩佐まり(真理子)さん{サンデージャポン・TBS}と17期の牧野結美さん{じっくり聞いタロウ・TV東京}を見ました。いろんな方がOBじゃなかったOGです。

さて「焼肉屋さかい」ですが、経営関係でちょっと問題があって、経営者関係がガラリと変わってしまいました。とても残念に思っています。
No.710 - 2017/03/13(Mon) 23:45:35
どうしていますか / ぽん
皆様&ふたくん、大変お久しぶりです。

つい先ほど、円ちゃんがTwitterで「焼肉屋さかい」についてつぶやいていましたので、懐かしく思い、何年振りかで久しぶりにアクセスしてみたら、今でも運営されてることに感激を覚え、コメントします。

円ちゃんらを輩出した伝説の恋愛トークバラエティ「恋のから騒ぎ」が、ちょうど6年前のあの日の夜、17年の歴史に幕を下ろすはずだったのが、幸か不幸か2週間放送延期になりつつ終了し、気が付けば「焼肉ヒーロー」に出演していた円ちゃんも輝美さんも結婚してママになってしまいました。

でもこうして、今も伝説が語り伝えられてることはありがたいですし、無理とは思いますが、またいつか同窓会みたいな企画が実現したら、番組ファンとしてこれ以上の喜びは無いと感じています。

いつか、番組ファンを交えたお食事会でも実現させたいものですね。
もちろん、会場は「焼肉屋さかい」以外に考えられません!

へばまた!
No.709 - 2017/03/11(Sat) 11:49:09
小型バスで筑前大島巡回 / ふたくん
福岡旅行の三日目は、海に浮かぶ筑前大島の周遊です。
今回の福岡旅行の、ぼくにとってはメインのイベントです。
前回来たとき、電動自転車を借りて島を回ろうと思ったのですが、風が強くてとても無理だと思ったのです。それより小型バスに乗って島を一周した方がいいと判断しました。
この島では、土曜・日曜と祝祭日に無料の小型バスを、一日3本走らせています。
それでこの日、土曜日を予定したのです。

そして最大の目的は、あの神の島「沖ノ島」を見ることです。空気が澄んでいて、雲がかかっていない時、この大島から40キロほど離れた沖ノ島を見ることができるのです。

JRの博多駅から門司方面行きの列車に乗り、東郷駅で降ります。
二日前の大きな地震の影響で、博多駅発が一時間弱遅れての出発でした。東郷駅の一つ手前の駅を過ぎたあたりで、緊急ブザーが車内に鳴り響き、停車してしまいました。
小さな余震があったようです。「うわ〜、一、二時間とか、半日ぐらい停車なんてことになったら困るなあ・・」と思ったのですが、幸い十分少々の停車のあと、動き出しました。

東郷駅についてバスに乗り、筑前大島へ向かう船が出る神湊(こうのみなと)へ向かいました。
途中で、親切にも以前ぼくを乗せて宗像大社へ送ってくださった、磯〇さんの駐車場の横を通りました。その時のあずき色の車がとまっていて、あの時の感謝の気持ちがまた浮かんできました。あのおばさんはお元気でしょうか。

終点の神湊でバスを降りました。4月の中旬ということで、どこかでウグイスが鳴いています。
船の出発まで時間があり、近くのお店でお昼ご飯を食べ、やがて船が出港しました。
25分の乗船で筑前大島に到着です。
土曜日なので、一日に三便島内巡回の無料バスが出ます。港の出口にそのバスが停車していました。乗車定員は28名ということで、ささっとバスに乗り込みました。
なんてことはなく、乗った人は6名でした。後ろから2列目に座りました。一番後ろの列に、女性二人が座りました。三十代後半くらいの年齢に見えます。

走り始めたバスの中で、その女性たちと会話が始まりました。
「ぼくは愛知から来たのですが、お二人はどちらからみえたんですか?」と聞くと「北九州市です」と答えてくれました。

この二人もあの神の島「沖ノ島」を見たいようです。その島は女人禁制です。男性は5月の指定された日27日に、予約した上でおよそ200名ほどが上陸を許されます。
上陸するときは、はだかになって海へ入り、禊ということで身を清め、そのうえで上陸します。

いまこの島は世界遺産への登録を希望しています。それはエジプト考古学者吉村作治さんの提案からはじまったそうです。
ぼくの希望としては、そっとしておいて欲しいと思います。なまじ登録されたために、よからぬひとがやってきて、荒らされたら困るなあと思うのです。

しばらくして、バスは大島港とは島のちょうど反対側の「沖津宮遥拝所」へつきました。
条件がよければ、沖津宮がある沖ノ島が見えるのです。
みんなバスから降りて、沖合を見ようと海に近づきます。運転手の方も一緒に降りてきました。
その遥拝所は祠があり、鳥居が一つ建っています。そして祠の向こうに沖ノ島が見えるかもしれないのです。
ところが残念ながら、その日は見ることができません。
運転手さんと会話をしました。名前は吉〇さんだそうです。
「う〜ん、この時期はなかなか見れないんですよ。秋の十月ごろのいい天気の日なら見ることができるけど」
ということです。

運転手さんは、生まれついての島のかたで、島のことはとてもよくご存じです。
途中で車を止めて、「あの木を見てください。木に、はえているのは“きくらげ”ですよ」と教えてくれました。
ぼくが「この島には動物はいるのですか?シカとかサルとか?」と聞くと、
「シカもサルもいないけど、イノシシはいるよ」と答えてくれました。

「昨年の春に来た時、宗像大社中津宮から御嶽神社へ向かって、山の中を歩いたけれど、イノシシの気配はかんじなかったですよ」と言うと、
「イノシシが先に気配をかんじて、姿を隠すんですよ。この島には、人口よりよほど多いイノシシがいますよ」と、教えてくれました。

それでは、また。
No.708 - 2017/01/05(Thu) 17:35:05
福岡市博物館訪問 / ふたくん
大宰府から博多へ戻って、そのあと訪問したのは、福岡市博物館です。
地下鉄西新駅で降りて、サザエさん通りを北へ向かいます。
おお途中に西南学院大学があるぞ、4月だから新入生がたくさんいて、活気に満ちあふれているはずだ、ちよっと立ち寄って、元の防塁あとを見ていこうなどと思い、サザエさん通りを歩いていきました。

長谷川町子さん原作の「サザエさん」という漫画ですが、登場人物は意外と高学歴らしいのです。お父さんの磯野波平さんは京○大学卒で、お母さんの磯野フネさんは日○女子大卒。旦那さんのフグ田マスオさんは早○田大学商学部卒で二浪だそうです。学部と二浪をつけるなんて、長谷川町子さんもちょっと嫌味です。いとこの波野ノリスケさんは東○大学法学部卒で嫁さんの波野タイ子さんは立○大学卒だそうです。
そしてサザエさん、あわび女子学園卒だそうです。やっと信憑性のある学校がでてきました。

修猷館高校を通り過ぎると、すぐ西南学院大学があります。門を通り過ぎて中へはいっていこうと思ったのですが、中をのぞくと大きなまくが貼ってあり、学内が見えません。
入口の、門の横には「元寇防塁跡が校内にあります」という看板がありますが、前に来たときは、「中へ入ってご覧ください」と書いてあったのですが、今回はその記述はありません。
しかも、門から入ったとしても学生の姿は見えません。
どうやら今年は、ちょっといつもとは気配が違うようです。視線を流しただけで、通り過ぎました。

西新の交差点を左折して少し歩けば、右側に福岡市博物館があらわれます。
思えば福岡へ来ると、必ずこの福岡市博物館と大宰府天満宮を訪れます。
福岡市博物館へ来ると、福岡の歴史と文化を味わえるような気がするのです。
西暦57年に漢の光武帝からおくられた「漢委奴国王」の金印は、何度みても興奮します。ぼくの、古代へのロマンをかきたててくれます。

そして体験学習室を訪れると、学芸員の瀧〇千〇さんがおられて、幸いぼくのことを覚えていてくださって、少し会話につきあってくださいました。
ああ、ここであやまっておかなければいけません。西南学院大学のことです。
ここでの雑談で「西南学院大学は、校内に残っている元寇防塁跡の公開をやめたのかもしれない。看板に書いてあった自由に中へ入ってご覧くださいという書き込みが消えていた」という話をしてしまいました。
すると、瀧〇さんが「えええ、わたし西南学院大学の校内に元寇防塁あとがあって、校内に入って見学できますよってここで言ってたんですよ」と、嘆かれました。

実は、ここではよくわかっていなかったぼくなのですが、このあと帰り道で、西南学院大学をよくチェックすると、いま校舎の工事中ということで、、見学のために中へ入ることができない状況だというようでした。
そのために、わざわざ看板を作り変えて置いておくというのは、ていねいな仕事です。
ぼくだったら、前の看板のうち「自由にご覧ください」の部分にペンキを塗って、その部分を消すぐらいですが、実際にはそのことばのない看板が、きれいな形で作り直されて置いてありました。
よくチェックしないで、誤解しやすい言い方を瀧〇さんにしてしまったことを反省です。
おそらく、工事が終了したら、また「元寇防塁をごらんください」となるのではないでしょうか。

この時期福岡市博物館では、イベントとして「西洋の魔女」関連の展示でした。
これに関しては、あまり興味がなくて、そちらのほうは見学しませんでした。

それでは、また。
No.707 - 2016/12/04(Sun) 21:01:33
詳しい解説、女性のガイドさん / ふたくん
ボランティアガイドの方が、宮司さんの家に、昨年男の子が生まれたということを、教えてくださいました。宮司さんにとっては孫にあたるようです。
「これで、この神社も50年は大丈夫です」
と言って喜んでおられました。次には息子さんが継いでその次にはお孫さんがひかえることとなります。
関係ないけど、天皇家を思い浮かべました。

ガイドさんは、話されませんでしたが、隣の大分県の大きな神社○佐八幡宮では、男の子がいなくて、跡継ぎ問題で揺れていて、裁判沙汰になっているようです。
だから、元気な男の子が生まれてすこやかに育っていけば、わずらわしい問題はおきません。

だれが宮司になっても、たいして変わりはないように思えますが、大きな神社は膨大な土地などの資産があるそうで、代々その家が引き継いできたのに、よその人になってしまうと、うまく使えなくなってしまうようです(週刊新潮2016/9/15号によると)。女性が引き継いでもいいのですが、大きな神社になると、なかなか簡単にはいかないらしいようです。

今回の女性のガイドさんも、いろんなことをご存知で、話しを聞きながら感動していました。「幕末には勤皇の志士たちがやって来て、門前町のお店屋さんに泊まっていたそうです。西郷隆盛は今の松屋さんでした」
「えええっ、松屋さんは裏に庭があって、そこで梅ヶ枝餅を食べれるあの松屋さんですか?」と聞きました。以前来たときに立ち寄ったお店で、一週間ほど西郷隆盛は泊まっていたそうです。

三大天神はここ太宰府天満宮と防府天満宮(山口)、北野天満宮(京都)と言われています。福岡と京都はわかるのですが、なぜ山口の防府天満宮があるのですかと聞きました。

なんでも、菅原道真公が京都から流されてくるとき、防府でとても暖かい接待を受けて感激され、長く滞在されたそうです。「筑紫で亡くなっても魂魄はこちらへ帰ってくる」と誓われたそうで、ある日船がとめてあった勝間の浦に神光がたち、道真公も登山された酒垂山に瑞雲(ずいうん)がたなびくのを国司が見て、道真公が帰ってこられたと判断され、社殿を作られたそうです。
 神光 http://www.lctatsuki.com/0nayorolc1.htm
 瑞雲 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E9%9B%B2+%E7%91%9E%E9%9B%B2#mode%3Ddetail%26index%3D3%26st%3D0

したがって、一番はやく建てられた天満宮になるそうです。むむ、太宰府天満宮ではないようです。

国司と道真公は、ずっと祖先をたどっていくとつながるそうで、いわゆる親戚筋にあたるそうです。道真公がそこを発たれるとき、お礼に黄金の鮎12匹を贈られたそうです。
その黄金の鮎がお宝として、今でも残っているのかと調べたら、その後の火災で残っていないそうです。
それで、なんと平成になってから、黄金の鮎12匹を再生したそうです(うち3匹はもうすこし前に作成)。
なにかの機会に見てみたいものです。

中国からやってきた彼は、「瑞雲(ずいうん)」の意味がわからず、「縁起のいいきれいな雲のことですよ」と説明をつけました。

途中でこの三人の写真を撮ってもらおうと、歩いていた人にカメラを渡してシャッターをお願いしました。日本人だと思ったら韓国人でした。
そのあと、ガイドさんと話をしました。「仏教は中国にも韓国にもあるけれど、神道はないですよねえ、日本だけですよねえ」というと、「そうですね、日本だけですね」と答えてくれました。

去年(2015年)の11月に用事があって、埼玉県日高市へ行ってきました。JR高麗川駅で電車を降りて外へ出ると、すぐ右横に町の案内と神社の紹介をした大きな掲示板がありました。
それを読んで、「あああ、ここだったのか!」と驚きました。

今から1300年ほど昔、西暦でいうと668年に唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗からの帰化人高麗若光たちが、このあたりに住んだというはなしです。
そんなはなしは伝説として雑誌で読んだことがあったのですが、この高麗川(こまがわ)が実際のその地だと知って、驚いたのです。現実にあったわけです。
また、沖縄本島のそばに小さな島があって、そこにアマミキヨという神様が降り立ち、そのあと沖縄本島へ渡り、沖縄をひらいていったという伝説があります。
ただの伝説だと思っていたら、実際にその島が存在します。

伝説にすぎないと思っていたことが、現実に存在するということが、よくあるということのようです。
その高麗川ですが、高麗若光をまつった神社があります。タクシーの運転手さんに聞いたのですが高麗(こま)神社があり、その子孫60代が宮司として続いているそうです(後日訪問した)。
2016年は高麗氏1300年ということで、その前に韓国からテレビ局が取材にやってきたそうです。

ああ、ここでぼくが不思議に思っているのは、神道とは関係のない韓国が、高麗神社を開いてずっと維持していることです。
そんなはなしをボランティアガイドの方にすると、「そういった話は、九州にもありますよ」と、ぼくにとっては大変驚くことをいわれました。
あとで、詳しく調べてみようと思いました(あとで調べたら、宮崎県南郷村に663年に滅んだ朝鮮半島の百済の王族が逃れてきたという伝説があるらしい。関連の神社もあるらしい)。

本殿での参拝が終わって、本来ならこれで案内が終了となるのですが、ボランティアガイドの方は、さらに本殿のうらのあたりに連れて行ってくれました。
そこには、小さな神社があり、「天開稲荷神社」というそうです。人通りがあまりなく、存在じたいがしられていなかったようです。それがパワースポットといわれるようになってから、やってくる方たちが増えてきたそうです。
この神社が、大宰府天満宮の管轄なのかどうか知りません。

ボランティアガイドの女性にお礼を言って名前をうかがうと、名刺をくださいました。
浦〇小〇子さん、ありがとうございました。

それでは、また。
No.706 - 2016/10/17(Mon) 01:31:04
五回目の太宰府天満宮 / ふたくん
福岡旅行の2日目は、いつものように太宰府天満宮訪問です。
北陸の男性は、こどものころ菅原道真公の姿をかいた掛け軸をもらい、自分の神様としてお正月に掛けるのです。

そのせいかどうか、ことしの文部科学省の全国学力調査でも、富山・福井・石川が上位をしめました。菅原道真公つまりは天神様の配慮だと思いましょう。ぼくのように配慮をいただけない例外もいますが。
1100年以上昔にいた方が、神様として北陸の各家に、軸として掛けられているというのは、なにやら不思議な気がします。

まっ、そんなこんなで、今回もまた太宰府天満宮へ向かいました。
境内に入ってすぐ右側にある受付へ行き、今回もボランティアガイドの方を依頼しました。たくさんの参拝人が来ておられるのですが、幸運にもOKでした。
今回は女性の方がガイドでした。ただ受付けの巫女さんから、もうひとり希望者をつけて、ふたりで案内してもらって下さいということでした。

もうひとりの方は、中国の方でした。四十歳前後のまじめそうな紳士です。ボランティアガイドさんがやってくる間、少し話をしました。日本語は少々聞いたり話したりできるそうです。
「本当は今頃は熊本へ行っているはずだったのだけれど、昨夜の地震で新幹線がだめになり、今日からの予定が完全に狂ってしまった」ということでした。今週いっぱい日本にいるのだけれど、鹿児島へも行けなくなったし、どうしようと嘆いておられました。
それで、福岡の近場を回ることにしたそうです。

その方は、団体のツアーではなく、単身でやってきたらしいのです。日本語がじょうずなので、「日本と関係のある仕事で、ことばを学んだのですか?」と聞いたのですが、「いいえ」ということでした。勉強して覚えたそうです。

ことばというのは不思議なもので、ぼくの場合ずっと勉強してもさっぱり英語は身につきません。

先日名古屋の繁華街栄(さかえ)のバス停で貼り出された案内書を見ていました。「この場所で○日と△日にイベントがあるため、二日間どこそこへバス停を移動します」という内容でした。
その時、後ろから「すみません、何て書いてあるのでしょうか?」という問い掛けがありました。振り返るとアジア系の女性です。それで内容を説明しました。聞けば、会話はできるのですが、漢字が読めないそうです。なんでもフィリピンから四十年ほど前にやってきて、旦那さんは日本人だそうです。
ぼくが「日本語がそれだけしゃべれて、英語とタガログ語もしゃべれるでしょうから、すばらしいですね」というと、「ほかに、スペイン語もしゃべれます。あと母親の田舎の言葉も少ししゃべれます」と答えてくれました。父親はスペイン人だそうです。
そういえばフィリピンは、アメリカの植民地の前に、スペインの植民地でした。

インテリではありません。七人兄弟の末っ子だそうです。フィリピンに帰って住む気はなく、日本が気に入っているようです。

勉強したわけでもないのに、5ヶ国語を理解できるのです。ことばを身につけるための参考になりました。
そのあと、ちょっと雑談をしました。「フィリピンは新しい大統領が生まれて、もう二千人(10月の資料だと三千人)の麻薬関係者が殺されたそうで、すごい方が大統領になりましたねえ」と言ったら、「わたしは支持しています」と力強く答えてくれました。

それでは、また。
No.705 - 2016/10/08(Sat) 20:52:09
帰り道にコーヒーを / ふたくん
その女性は、○部○奈さんという方です。
ぼくが、前回太宰府天満宮でボランティアガイドの方から、神話に関心がありそうで「出雲大社へ行ってごらん」と言われたはなしをしたら、強くすすめてくれました。

彼女は旧暦十月神在月(かみありづき)に出雲を訪れたことがあるそうで、その時期、神話の雰囲気が街にあふれていたそうです。
この月(旧暦の10月で新暦でいえば11月ごろ)は、全国から神様が出雲へやってくると言われています。
そのころには、出雲では神迎えのお祭りが行われます。出雲大社から約1キロほど西にある稲佐の浜で、全国からやってくる神様を迎え、神職の方たちが出雲大社へ案内し、その後ろを一般の人たちが行列を作ってついて行くらしいのです。

彼女のはなしでは、そのころに喫茶店へ入っても、地元の人たちは神迎えの話題をしていて、いかにも神話の街だということを感じたそうです。
話を聞いたみっちさんもぼくも、そのころに出雲を訪れたいとくちばしりました。

いろいろとはなしをしたあと外へ出て、景色を楽しみました。
ジョギングでやってきて、くつろいでいたおじさんにカメラを渡して、写真を撮ってもらいました。
○部さんが「おふたりは、コーヒーを飲みますか?」と聞いてきました。もちろんぼくは飲みますし、みっちさんも飲みます。
その質問に、「ああ○部さんはまだまだしゃべり足りないので、どこか喫茶店へ入って、いろんなはなしを続けてしゃべりたいのかな」と思いました。
ところが実際はそうではなくて、ぼくがちょっと感動する内容でした。

まっ、それはともかく、上がってきた道をそのまま下がっていきました。
登ってくるときは荷物がしんどかったのですが、降りていくときは、楽なものでした。
途中のサギのコロニーでは、サギをちょっと観察して、明治通りへ降りていきました。

明治通りを藤崎駅方面へ歩きました。行く喫茶店は○部○奈さんが知っているお店です。
店があって、そこへ入りました。そのお店は席があって座っておしゃべりをするという種類ではありません。スタンドカフェで、何種類かのコーヒーの中から選んで注文し、ペーパーコップで味わうかたちです。

注文して、代金を払おうとしたら、すでに○部○奈さんが、三人分支払い済みでした。
「いやいや、自分が味わう分は自分でだしますよ」と、ぼくも、みっちさんも言いましたが、すでに遅かったようです。
このごろは、自動販売機で缶コーヒーを買うことはなくて、コンビニで入れたてコーヒーを求めて飲むぼくです。こういう飲みかたは慣れています。

実はこの店におられる店長さんの男性は、○部さんの先輩にあたる方だそうです(なんの先輩かわかりませんが、福島出身らしい)。お店のお役に立ちたいという気持ちがあったに違いありません。といっても、自分がそこで三杯コーヒーを飲むわけにはいきません。

そんなわけで、こころ優しい方だと思いました。
次回このあたりへやってきたら、ぜひまたこのお店でコーヒーを味わいたいと思いました。

コーヒーを味わって、お店を出ました。みっちさんは藤崎駅とは反対の方角へ、ぼくと○部さんは地下鉄藤崎駅へです。
すぐに駅へつきました。ぼくは、博多駅へ向かいます。○部さんは、反対方向です。
彼女は親切にも、福岡しろうとのぼくに、ホームまで付いてきてくれました。電車がきて、ぼくが乗り込んで席にすわると、彼女はホームのベンチに座って、ずっと手を振ってぼくを送ってくれました。ぼくも手を振っていたのですが、ちょっとはずかしくなって、手を振るのを止めたりもしました。
さよならのあと、彼女は反対側のホームへまわって、自宅へ帰られたようでした。

たいへんここちのいい、神社参拝でした。

ふと思うところがあって、あとで友人に相談しました。
「あれは、彼女が安全のために行ったことじゃないだろうか。つまり、ぼくを博多方面へ送り出してから、自分が帰るということで、初対面で怪しいやつという場合、こっそり後ろから尾行されたりしないための対応かなあ」などと考えてみました。
友人は、「それは無いと思う。会話とか、目つき顔つきで、怪しいやつならわかるだろうに」と、言ってくれました。
まあ、それもそうか、ということで、すばらしい愛宕神社参拝でした。


そして、その日の夜に、「平成28年(2016年)熊本大地震」がやってきました。

それでは、また。
No.704 - 2016/10/02(Sun) 13:06:35
愛宕神社境内にて / ふたくん
そう長くはない階段を登りきると、愛宕神社の本殿がありました。
みっちさんは、先ほど来てお参りはすんでおられたようで、ぼくだけお参りしました。

福岡県へやってきて、わりと神社をよく訪問しているような気がします。別に信仰心があつい善男善女というわけではありません。神社には古いいわれや歴史があるようで、それに引かれてやってくるのです。

この愛宕神社は、ホームページによると、西暦72年創建の福岡県でも最も古い神社だそうです。鷲尾神社があって、愛宕神社と一緒になって鷲尾愛宕神社となり、今は愛宕神社と呼ばれるそうです。

博多の駅から10分ほどのところに、ときどき泊まるホテルがあります。歩いていくと、大きな神社の横を通ります。なんという神社だろうと思って調べると、住○神社でした。
日本の三大住○神社(他は大阪、下関)が福岡市にあるのは知っていたのですが、こんな都心にあったのかと驚きました。
ところが、朝や夕方にそこを通るのですが、なんとなくお参りに行こうとは思わないのです。自分自身なんでだろう?と思っていたのですが、去年の11月にやっとわかりました。

http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/14

こういう気配というのは、なんとなく感じるものなのですねえ。
宮司さんの、いじめ行為はいけません。
たとえば宗像大社へ行くと、すれ違った神職の方がさわやかに「こんにちは」と声をかけてくださったり、大宰府天満宮ではボランティアのガイドの方が一生懸命解説してくださったりと、その神社のよい気配が伝わってくるのです。

お参りしようと思わせないそちらの神社では、神社につかえる方たちの暗いイメージがなんとなく外に伝わっていくのでしょう。心構えをかえて、つかえていかないといけないのかもしれません。
6月や10月には、能楽殿で「稲川淳二の怪談ナイト」というイベントがひらかれるそうです。
その会場はよそとは違って、お客さんとの距離も近く、恐怖感がいっそう高まる雰囲気に包まれているそうです。
多分いろんな意味で怖いのでしょうね。

ついでながら、信州信濃の善○寺の貫主さんのセクハラ騒動や、四国八十八ヶ所62番宝○寺の僧侶の粗暴な行動などは、実際はどうか知りませんが、評判となるのはいかがなものでしょうか。

愛宕神社の右隣に休憩所がありました。そちらに入ってみっちさんと会話を続けました。
神社へは、そこそこ参拝者がやってきます。
ここは小高い場所で、福岡の町や玄界灘やそこに浮かぶ島などを、美しく見ることができます。デートにいい場所かもしれません。
男女のふたりづれや一人だけの女性など、どうやら縁結びのご利益をいただきたい様子の人達がパラパラとやってきます。
そして、ジョギングの人達もパラパラとやってきます。

会話をしていると、参拝にきた女性がひとり休憩所へ入ってきて、休憩しました。
二十代中半くらいの女性です(いつもながらぼくの年齢推測は±10歳狂いがちです)。
ぼくとみっちさんがいろいろとはなしをしていたのですが、出雲に関連した話しになった頃に、その女性がなんとなくはなしに参加してくれました。
どんなきっかけや言葉掛けをしたかは覚えていないのですが、話しに参加してくださって、とても面白い会話になりました。

その方はかつて福島県に住んでいて、東京の学校へ行き、そのあと九州へ来たそうです。
あの東日本大震災の影響を深く受けている方のようです。

それでは、また。

(後でわかったのですが、福島県出身ではなく山形県出身で、福島県に接する茨城県の町に在住。東京の学校ではなく神奈川県の大学へ行かれたそうです)
No.703 - 2016/08/09(Tue) 23:58:53
愛宕神社へ / ふたくん
このたびの平成28年(2016年)熊本地震におきまして、被災されました方々に、こころからお見舞い申し上げます。


五回目の福岡訪問です。ジェットスター航空が福岡と名古屋がつながる前は特別に来たことはなかったのですが、つながってからまだ3年ほどのうちに、激安価格があるとついついやって来るのです。

4月の14日、11時35分名古屋セントレアを飛び立ち、13時に福岡へつきました。
乗ってしまえば一時間ちょっとです。
いつものように、空港の食堂で明太子定食を食べながら、このあとの予定を考えました。
午後の時間も大分消化してしまいましたので、近場をまわろうとしました。

福岡市内の愛宕神社へまず行こうと思いました。
あるタレントさんが、ブログで愛宕神社のことを書いておられたのです。
福岡県には有名な神社がいくつかあります。

三大八幡宮の福岡筥崎宮、[宇佐神宮(大分)、石清水八幡宮(京都)]
三大天神の太宰府天満宮、[防府天満宮(山口)、北野天満宮(京都)]
三大愛宕神社の愛宕神社、[愛宕神社(京都)、愛宕神社(東京)]

そういうわけで、行ったことのない愛宕神社へ向かいました。地下鉄藤崎駅で降りて、旅行用に持ってきた荷物を預かるコインロッカーがないか探したのですが、見あたりません。しょうがないというわけで、手持ちのまま愛宕神社へ向かいました。
明治通りを少し歩いて室見川を渡ると、大きな看板があって愛宕神社への案内がありました。右折すると、ゆるい坂道が神社まで続くようです。
荷物持参で坂道をゆくのはちょっとつらいものです。たまにすれ違う方に、「愛宕神社は近いですか」と聞きました。たいがいの方は「もうすぐですよ」と答えてくれました。
このあたりの道は、地元の方たちにはちょうどいいお散歩のコースのようでした。

左側にはいくつものマンションや民家が建ち、右側には、民家があってそれがとぎれると、雑木林の森でした。
三、四人の方に「愛宕神社は近いですか」と聞いたのですが、一番最後に聞いたのが前のスレッドに登場されたみっちさんでした。

この方は手に高級一眼レフカメラを持っておられて、散歩がてら写真撮影をしておられる様子でした。ちょっと長い間の雑談になりました。
「この先の森にサギが巣を作っていて、それを撮影しようと思うのですが、もう少し長い焦点距離の望遠レンズがいいので、うちへとりに行こうと思って坂道を降りてきたんです」
ということでした。

はなしがはずんで、「じゃあもう一度愛宕神社へ行きましょう」ということで、ふたりで歩き始めました。
しばらく歩くと、右側に森が見えてきました。みっちさんが、「このあたりにサギの巣があるんですよ」と教えてくださいました。「ほらほら、あそこに巣がある」ということで、木の上の方をみるとシラサギがいました。下から見ているので、木の葉にかくれてはいるのですが、あちこちに巣があるようです。

サギの巣というのはコロニー(集団営巣地)になっていて、シラサギ(ダイサギ・チュウサギ・コサギ)だけでなく、アオサギ、ゴイサギなども同じ木に巣を作ったりもするらしいのです。
サギ仲間同士は、それなりに仲がいいようです。
そういえば、ぼくが住んでる愛知県には、高速道路の乗車口の回転して高速道路に入っていく部分に、サギがコロニーを作っていました。東名阪道の蟹江インターと弥富インターです。
周りを自動車専用の道路がかこみ、外敵がやってくる心配が少ないようです。そして海が近いということもいい材料かもしれません。ただ、昔はそうだったのですが今はどうなのか。林は切られずに残っているのかどうか。最近走っていないのでわかりません。

ああ、あとでネットで調べたら、道路公団のおかげで今でも守られているようです。

それでは、また。
No.702 - 2016/08/04(Thu) 00:03:00
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