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台湾 / ふたくん
こんにちは、カイトさん。

台湾はすばらしい所です。
見所いっぱいですし、ひとびとのハートも、日本に対してとてもいいようです。

初めて台北を訪れた時、空港からバスに乗って、夕方街へ入っていったのですが、ぼくが泊まるホテルは、どのバス停で降りればいいのかわかりません。
それで、ぼくの席の一つ前の席に座っていた青年に、メモをみせて、
「このホテルへ行きたいのですが、どのバス停で降りればいいのでしょうか?」
と聞きました。

一瞬びっくりした顔をしていた青年は、しばらくだまって考えていたのですが、
「じゃあ、私と一緒に降りてください」
と答えてくれました。

降りたあと、おしゃべりをしながら歩きました。
そのひとは、上海のしんせきのところで働いていて、3ヶ月ぶりに台北に帰ってきたそうです。母親ひとりが台北で待っているそうです。
ある場所で彼は言いました。
「ここで、30分待っていて欲しい。いったん家へ帰って、そしてそのあと来るから」
ということでした。

30分たって、もどってきてくれました。初対面で、どうなるんだろうと思っていたのですが。
「母親が早く行って上げなさいと言ってました」
と彼が言います。うぅぅ、なんていいひとたちだろう、3ヶ月ぶりの親子の対面に、なにやら水をさしてしまったようでした。

やがて、めざすホテルについて、メールアドレスを交換して感謝のことばとともに別れました。

いまのぼくだったら、どこかのバス停で降りて、台湾の安いタクシーに乗って問題なく、ホテルにつくだろうと思います。

そんなわけで、台湾到着から親切をいただきました。

マクドナルドで注文するときも、後ろの大学生が
「注文してあげますよ」
と言って、かわりに注文してくれました。

そんな国です台湾は^^

さて今まで台湾ほか、外国旅行をしたことはあるのですが、旅日記を書くことはありませんでした。事情があって、2013年6月から旅のはなしを書くようになりました。
カイトさんには、このページを読んで下さってありがとうございます。おひまなおりに、このページの一番下の数字をクリックして、2013年6月の過去ログへ戻り、最近へとたどっていただくと大変さいわいです。

それでは、また。
No.695 - 2015/11/07(Sat) 01:09:02
(No Subject) / カイト
僕も台湾に行きたいです^^
エバー航空、良い会社ですね。

Sirって英国の騎士の階級って意味ですねw
(サー・ロイン(牛肉のサーロイン)も、sirの称号。)

九州の菊○流域古代史の会なんてあるんですねw
九州の菊○一族は、もともと、その地域一帯を仕切っていた大名で、滅んだとはいえ、
一族の規模はそれなりに大きくて、一族の会なるものがあるらしいですね。
ある有名な作家は、菊○一族の出らしくて一族の会の会員らしいですね。

唐津の船の乗船料200円は安いですね。普通はもう少しかかるもので。
No.694 - 2015/11/04(Wed) 18:20:21
もどっておいで、長栄航空 / ふたくん
台湾の旅行が終わって、名古屋セントレアへ帰るために、桃園空港へ行きました。

長栄航空(エバー航空)のカウンターに向かいました。
若い男性が係りとして、座っていました。
チケットをもらおうと思ったのですが、ぼくの情報を機械にいれると、モニターを見てすぐに
「あなたには、こちらに搭乗いただきます」
といって、ビジネスクラスのチケットを出してくれました。

「わ、わ、それはどうもありがとうございます」
お礼の言葉を言って、出発のカウンターへ行こうとしたのですが、その方向へ向けて一、二歩、歩いてから、ああ、この係員の方にも、10億円見舞金のお礼をいっておこうと思い、戻りました。

お礼の言葉を言い始めようとすると、すぐに何を言い出すのか察知した係員は、座って仕事をしていたのに、ただちに起立して両手のひらを重ねベルトの前のあたりに置き、人からものを聞く時の正しい姿勢で、ぼくの言葉を聞くかたちになりました。

「長栄航空の創業者の方の10億円の見舞金、本当にありがとうございます。シエシエ」
と言うと、ニコニコとした笑顔で聞いてくれました。

推測ですが、最初に搭乗したときに責任客室乗務員に言った感謝のことばが、めぐりめぐって伝わっていたような気がします。
長栄航空のあたたかな対応だったような気がします。

https://www.youtube.com/watch?v=9_rAs0viIBE

楽しい台湾旅行、そして航空機、いい印象として残っています。

かつてアシアナ航空で韓国へ行くときと、キャセイパシフィック航空で香港から戻る時に、ビジネスクラスにまわしてもらったことはあります。

さて、ぼくが気に入ってた長栄航空ですが、大変残念ながら2012年8月30日限りでセントレアからの台湾行きが姿を消しました。
名古屋から台湾へ行く人が減ったのでしょうか。そうは思わないのですが。
岡山台湾便となったり、小松台湾便となったりしたらしいです。

ちなみに、2ちゃんねるの「台湾へ逝きタイワ〜ン」情報によると、ジェットスター航空が、セントレアから台湾行きを計画しているらしいそうです。

できれば名古屋セントレアへ、“カムバック長栄航空!”

それでは、また。
No.693 - 2015/10/16(Fri) 23:28:18
長栄航空(エバー航空) / ふたくん
8月の末に、ジェットスター航空が格安のセールをやっていました。
ついつい申し込んでしまいました。晩秋の11月発の沖縄行きです。
久高島へ行ってみたいと思っているのですが、はたしてどうなることか。
そのころになると、気候も落ち着いてきて、沖縄散策にはいい時期だろうと思います。

格安LCC航空のジェットスターには、感謝しています。この会社がなければ、福岡旅行はしていないだろうと思います。ただほかに熊本行きや鹿児島行きもあるのですが、一度福岡へ行って、その魅力がぼくのフィーリングに会ったから、何回も行くのだろうと思います。

福岡の神社で、神秘的なことを感じるなどとはまったく思っていなかったのに、太宰府天満宮と宗像大社で、かすかにそれらしいことを感じて驚きました。

神社訪問はそれなりに意味のあることですが、たとえば100年ほど前に亡くなられた天皇をお祭りしてある神社を参拝して、「結婚できますように」とか「○○大学に合格しますように」とか祈るのはいいのだろうか、神様に失礼じゃないかとかさえ思うのです。
ぼく個人の考えです。まあそれぞれの方の考え方次第ですが。

ジェトスター航空に感謝はしていますが、ぼくが大好きな航空会社はそこではありません。
初めて台湾にいった時に利用した、長栄航空(エバー航空)です。
搭乗したときに流れていた二曲の音楽の美しさに感動しました。後日曲名を調べましたが、ネットの記事の中にも、いい曲で感動したという感想がありました。ぼくと同じ感性の方がたくさんいらっしゃるようです。
「雨夜花(うやほえ)」と「望春風」という曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=dPTY_ScuRgU   
(EVA Boarding song  前半:雨夜花 後半:望春風)

これから始まる台湾の旅が、すばらしいものになるだろうという、予感を思わせる曲でした。
なにやら台湾が、ぼくにとってなつかしい土地に思えるような気がしました。
あとで知るのですが、長栄グループは一つの交響楽団を持っているそうです。
稼いだお金を、人々の文化のために提供するなんて、すばらしい企業集団だと思います。

エバー航空は1989年に、長栄海運の集団が作った航空会社です。無事に今日まで無事故できました。台湾にあるもう一つの中華航空(チャイナエアライン)は1959年に作られ、日本での二回の事故を含めて、七回ほど事故をおこしています。
どちらも今後、無事故でいってほしいものです。

2011年3月の東日本大震災の時、台湾はたくさんのお見舞金を日本に寄付して下さったのですが、長栄航空の創業者の方は、自分のポケットマネーから、10億円を日本に寄付して下さいました。驚きつつも大変感謝しました。

5月に台湾旅行の予定だったぼくは、その日の飛行機が長栄航空便だったので、飛行機に乗る時の入り口をはいったところで、女性の責任客室乗務員の方に
「エバー航空の創業者の方の10億円のお見舞金、大変ありがとうございます。シエシエー」
と伝えました。その客室乗務員の方は、一瞬この客は何を言っているんだろう?と言う顔をしておられました。
まあ、ぼくの発音の関係で、意味がわかりづらいというのもあったと思います^^;

どうやら、感謝の意図は伝わったようで、やがて中の乗務員の方達にも伝わったようでした。グレーの野球帽をかぶっていたということもあって、わかりやすかったらしく、さりげなくチェックにきていたようでした。
台北について降りる時「ありがとうございました」の声かけはめずらしくはないのですが、「Sir(サー)」ということばをかけてもらったのには、ちょっと恐縮しました。
それほどの人物ではありません。
気持ちよく飛行機をあとにしました。

ただ、このはなしは、ここで終わりにはなりませんでした。

それでは、また。
No.692 - 2015/10/07(Wed) 23:35:28
四回目の福岡訪問終了 / ふたくん
鴻臚館跡を発見するにあたっては、九州大学医学部の教授中山平次郎さんが、貢献しました。
福岡や佐賀、長崎のあたりには、しろうとの古代史研究家がたくさんいるようです。

前回福岡に来たとき、織幡神社の入り口で、ぼくに声をかけて下さったかたは、長崎県で建設業をやりながら、古代史を研究しているかたでした。
このあたりには、古代史を研究している方がけっこういるということで、研究会の名前などをいくつも教えてくださいました。「菊○流域古代史の会」「玄○灘流域地名研究会」「久○米地名研究会」他です。
ぼくの田舎の富山県では、こんな風に古代史を研究する会などは、聞いたことがありません。それだけ九州は、古い時代からの歴史があるということかもしれません。

おおぉ、そういえば、あの「まぼろしの邪馬台国」の著者は、長崎県の方じゃないですか。
宮崎康平(1917−1980)さんがその人です。
この方は、盲目でありながら、島原鉄道株式会社の常務取締役を務め、1957年の島原大水害から、島原鉄道の復旧につとめました。
ただ、映画の「まぼろしの邪馬台国」では、社長という立場なのです。実際はどうだったのでしょうか。
このときに、多数の土器が出土し、深く考古学にはいっていったようです。

奥さんは和子さん。再婚だそうです。このかたの支えがあって、研究がすすんだようです。
書籍「まぼろしの邪馬台国」で、第一回吉川英治文化賞を受賞されたそうです。夫婦としての受賞だそうです。
映画では、竹中直人さん、吉永小百合さんが主演です。おおそうだ、宮崎康平さんの実際の孫、宮崎香蓮さんが、和子さんの子ども時代を演じています。

宮崎香蓮さんは、1993年生まれの21歳大学生、オスカープロモーション所属だそうで、これから、強力に売り出されるのでしょうか。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」に出演されていたようです。見てませんけど。
後日、吉永小百合さんから「(女優業で)なにか困ったことがあったら、連絡して」と言われ、連絡先を交換したそうです。ふたりは同じ大学の先輩後輩になるそうです。
うぅぅ、いいはなしだなあ。・・まっ、それほどでもないか。

宮崎康平さんによると、いろんな土地を実地調査している際に「ここから、むこうの山の辺りまで、古墳群がつらなっているはずだ」と言われたそうですが、やがて「吉野ヶ里遺跡」が発見されることとなります。

さて、そのあと訪れたのは「福岡市博物館」でした。
はじめて福岡へやってきたとき、一番最初に訪れたのが、そちらでした。
歴史の教科書にでていた「漢委奴国王」の金印の現物を見て、とても感動したのを覚えています。
さらに、館内に設置されたよそでは見かけない「体験学習室」という施設で、子どもたちが楽しく遊んでいるのに、感心しました。
そのときにおしゃべりをした、賢い三歳の女の子と母親は、お元気なんだろうかと思いました。

あれから三年たちます。女の子は小学一年生になってるはずです。月日がたつのは早いなあと思いました。いまでは弟さんや妹さんがいるかもしれないと思いました。

体験学習室にそのとき三名ほど学芸員の方がいらっしゃいましたが、前回おしゃべりしてくださった瀧○さんもいらっしゃいました。
さいわいぼくのことを覚えていてくださって、今回も少しの時間おしゃべりをしました。
体験学習室のような、子どもが遊べる施設は、ほかの博物館でも設けられ始めたそうです。
「子どもが来てくれるのは、うれしい」そうです。この博物館の前庭のあたりで、このごろ小学5年生ぐらいの女の子たちが、元気に走り回っているようです。

あとで、二階の喫茶室で、遅い昼食を食べながら、前庭を走っている七、八人の女の子たちを見ていたのですが、ルールがわかりません。鬼ごっこなら鬼がいるのですが、そんな気配はありません。今度行ったときに聞いてみようと思います。まっ、追求しなくてもいいはなしなのですが。

その後、展示室を回りました。入り口に前回少しおしゃべりをした、戸○さんともうひとり別の方が、机の席で受付をしておられました。

この博物館の人気が続くのは、ここにいらっしゃる方達が持つ、いい雰囲気がそれを支えているからに違いないと思います。

それでは、また。
No.691 - 2015/09/14(Mon) 00:34:41
鴻臚館跡を訪問 / ふたくん
今回の福岡旅行最終日です。
大濠公園のすずめくんに、会いに行きました。

地下鉄の大濠公園駅から歩いて、公園の大きな池へ行き、中央を横切る道を歩いきました。
2013.6.16 No.649と、2014.5.30 No668を見ていただくと、関わりのあったすずめくんのはなしが、出てくると思います。
池の中の小さな島のベンチにたどりついて、座って休んでいました。
7、8羽のすずめが、ぼくの足元から少し離れたあたりの草をついばんでいましたが、以前に会ったかもしれないすずめくんはいませんでした。

Wikipediaによると、すずめの寿命はよくわかっていないらしい。3年ほどという書き込みを見たことがある。ぼくが3年ほど前に会ったすずめくんは、もう寿命がきたのかもしれない。また留鳥として、どこか別の土地へ移動したかもしれない。
いずれにしても、再会はむずかしいようでした。

さてそのあとは、この池の隣のあたりにある、「鴻臚館(こうろかん)跡」訪問です。
鴻臚館は奈良時代・平安時代、外国からやってきた人を迎えたり、外国へ行く人を休ませたりした施設です。今でいう迎賓館のような施設です。
京都の平安京と大阪の難波京、そしてこの福岡と三箇所にあったそうですが、場所がはっきりしているのは、この福岡だけだそうです。

鴻臚館は、大正時代まで博多区の中呉服町のあたりにあったと考えられていたそうです。
ところが九州大学医学部教授中山平次郎(1871年−1956年)さんが、その地で読まれた万葉集の和歌4首から、志賀島と荒津浜を同時に見渡せ、せみしぐれや荒津の波音が聞こえる小高い場所だと判断したようです。

○今よりは 秋づきぬらし あしびきの 山松蔭に ひぐらし鳴きぬ
 (これからは、秋になったに違いない。山の松かげに、ひぐらしが鳴いている)

○神(かむ)さぶる 荒津の崎に 寄する波 間(ま)なくや妹(いも)に 恋わたりなむ
 (神々しい荒津の崎に 寄せる波のように、絶え間なく妻を恋つづけることだろう)

○白たえの袖の別れを難(かた)みして 荒津の浜に 宿りするかも
 (あなたと離れ離れになるのが惜しいので 荒津の浜に一夜の宿を とってしまった)

○もう一首はうまく調べることができませんでした。

そして、今の福岡城跡のあたりではないかと考えたようです。
荒津浜は、今でいう大濠公園のあたりになります。

https://www.youtube.com/watch?v=ZifuvMQ9inQ   (志賀島)
https://www.youtube.com/watch?v=CAlHg4MMSX0  (ひぐらし)

福岡城跡は、陸軍が管轄していて、ふだんは立ち入りが禁止され、一年に一度「博多どんたく」のお祭りの日だけ入ることができたそうです。なんだか宗像大社の沖ノ島に似ているよ。
その日中山平次郎さんは、スコップを持って入り、少し前に古代瓦の破片が見つかった場所などへ行って、調査をすすめたそうです。
怪しいやつということで、軍に一時拘束されたようです。

まあ、そんなわけで、福岡城跡に鴻臚館があったらしいと思われたのですが、1987年に平和台球場の外野席改修工事の時に、遺構の一部がいい状態で発掘され、1999年から本格的に発掘調査が始まり、今につづくそうです。

鴻臚館跡展示館があり、入館しました。掘り出している遺跡のまわりに建物をつくったかんじで、そういえば佐賀県の吉野ヶ里遺跡にもそんな建物があったっけと思いました。
これからも、いろんなものが発掘されていくことでしょう。

さて、興味深いのは、鴻臚館発見につなげた学者は、医学部教授だったということです。
九州の北部には、専門の考古学者とは別に、ほかの仕事をしていながら考古学に深い関心を持っている方が、たくさんいらっしゃるような気がします。

それでは、また。
No.690 - 2015/08/17(Mon) 23:19:53
佐賀のひと / ふたくん
その女性は、先ほどの三人組の女性とは一緒にやってきたのではないそうです。
知り合いだけど、まったく偶然に出会ったそうです。

今日ぼくが会ってしゃべったひとは、二組とも偶然知り合いと会った方達です。
ぼくにとってこれは、ただの偶然でしょうか。

田島の宗像大社へ二回来たときは、二回とも車で送ってもらい、さすがに交通の神様だなあと感謝したのですが、今日大島の中津宮へ来たら、出会った二組の方が、偶然知り合いと会ったということで、なるほど人を会わせる神様なんだと感心しました。

バスの中で会話がはじまりました。発想がぼくと一緒でした。早い時間に船でやってきて、長い時間島にいればよかったとか、休日に来て島内を回るバスを利用すればいろいろ観光できるので、次回は土日に出直しだとか、まったく同感です。
中年のおじさんが一人、電動自転車を借りて走っていったらしいのですが、風が強くてぜったいしんどいはずだとその女性は言いました。
ぼくもそう思ったので、今日は自転車のレンタルを避けたのです。

その女性は、佐賀からやって来たひとでした。年齢は三十代中盤ほど(ぼくの年齢判断は実年齢±10歳ほどの狂いがあるようです)のようです。顔立ちはあの早見優さんにやや似ています。本人が聞いたらきっと否定すると思いますが^^;

30分ほどで、JR東郷駅に着き、博多方面行きの電車に乗り換えました。向かい合わせの席の向こう側とこちら側にそれぞれ座り、会話が続きました。

そのひとは、過去にオーストラリアとタイに住んだことがあるそうです。旅行もよくしているらしく、ニューヨークへ行ったことがあるという話しを聞きました。英語とタイ語がしゃべれるんだろうか?

なんだかんだとしゃべっているうちに、博多に着きました。彼女は博多から地下鉄に乗り換えて唐津方面へ行くようです。話しがとてもはずんだので、どちらからともなく、喫茶店でもう少し話しをしましょうとなりました。博多の駅については、ぼくよりもその佐賀のひとのほうが詳しいようで、スターバックスへ案内してくれました。詳しくないぼくは、後ろをついていきました。ところが満員で、ケンタッキーフライドチキンに変更して、アイスコーヒーと鶏肉を食べながら、会話をつづけました。
購入の時、彼女の分の代金を持とうとしたのですが、固く断られてしまいました。
ささいな借りでもできたら、あとでなにかと(なにを!?)断れないと思ったかどうかは知りませんが、別に何も問題はありません。
佐賀藩の書籍“葉隠”に書かれているかもしれない、きっぱりとした断りでした。

佐賀県の観光地について、とくに行きたいところはということで、吉野ヶ里遺跡と名護屋城跡ぐらいかなあと言いました。ほかにも観光地はあるはずです。ああ、そういえば彼女の田舎かもしれない唐津には、あの“宝当神社”があったっけ。島の上にあって、本土から10分程度の乗船で運賃は片道200円程度らしい。一度訪問してみるのもいいかもしれないと思いました。宝くじを買って、当たればバンバンザイです。

吉野ヶ里遺跡については、地元では何やら怪しいうわさがあったらしきことを言っていました。それは、エジプトのツタンカーメンの墓の発掘の時のはなしのようなことをちらりといってました。発掘に携わった方達に、不幸がおきるというはなしですが、具体的にどんなはなしかは教えてくれませんでした。ただ、雷が落ちて一人亡くなったということはいっていました。あとはネットで調べるようにということでした。
ネットで見たら、たしかにお一人関係のかたが雷のために亡くなられたという情報がありました。ただそれ以外には怪しい情報はなくて、結局ただの都市伝説のようです。

時計を見たら20時ごろでした。17時ごろからしゃべっていたので、3時間ほどです。
旅で会う人は、一期一会ですが、また会話をしたいと思いつつ宿泊のホテルへ帰りました。そしてそのひとは唐津方面へ帰りました。

それでは、また。
No.689 - 2015/07/16(Thu) 23:59:02
港 / ふたくん
福岡県大島の中津宮を参拝して、次の訪問先は、この島の最高峰御嶽山(みたけさん標高224m)の展望台です。

http://munakataoshima.com/gakushu/infomation.html

そこからは、5月のある日、年に一日だけ許可をもらった男子だけが上陸を許される沖ノ島や、長崎の壱岐、福岡ドームや福岡タワーが望めるのです。
中津宮の裏の道を、案内板の指示に従って登っていきました。その日は、晴れているのですが、強い風が吹いています。

途中に、なつみかんの畑がありました。登山道とは金網でしきられて、見えるだけでなつみかんには手は届きません。海が見えて、みどりの山、そして黄色いなつみかんを見ると、子どもの時に聞いた“みかんの花咲く丘”という童謡を連想しました。

https://www.youtube.com/watch?v=97ywIFICn7k
(個人的希望としては、はいだしょうこさんの分にリンクしたかったのですが、画像が白い花ばかりで、イメージと違うので、タンポポ児童合唱団の分にリンクしました。まっ、ことわらなくてもいいんだけどねっ^^)

登山道には人かげはなく、ぼくだけが登って行きます。風がなければ、うららかな春の日の午後なのですが、そういうかんじではありません。
途中で休みながら、頂上をめざしたのですが頂上が見えず、一時間ほどで断念しました。
展望台までは中津宮から1キロ程度で、そのくらいならわけはないと思っていたのですが、「厳しい登り坂」というだけあって、今日のところはあきらめました。
天候の関係で、展望台から沖ノ島を見ようとしても、約50キロ先では今日の具合では見えないだろうと思ったというのも理由のひとつです。

この島では、週末には島内をぐるりと回るバスが走っています。その時にまた来てバスに乗ろうと思いました。
今日のように風が強い日には、電動式自転車でもしんどい運転になるだろうと思います。
そんなわけで、せっかく登ってきた道を戻っていきました。

大島港から、16時20分発の船に乗り込みました。来る時は船の中で、いすに座ってきたのですが、海がもっと荒れていそうで、中でじっとしていたら酔ってしまいそうな気がしたので、外のデッキにいました。

釣り帰りのおじさん達もかなりデッキで、船のへさきで海を見ながら乗船していました。釣り帰りのひとたちは、意外と会話をほとんどせず、沈黙の集団でした。
釣りを趣味にしている人たちは、会話をしないものなのかと思いました。

幸い酔わずに25分ほどで神湊港へつきました。

神湊港から、17時2分発のバスでJR東郷駅へむかいます。
船の待合室を出るとすぐバス停があります。待合室にいると若い女性が4人ほどにぎやかにしゃべりながら、やってきました。
待合室の中でも少ししゃべって、「それでは、さよなら」と、三人は出て行きました。一人はバスを待ちます。
一台のバスが来ました。その女性が運転手さんに「JR東郷駅へ行きますか?」と聞きましたが、行かないということで、乗りません。ぼくが、「このバスのすぐあとに来ますよ」とつたえました。

すぐやってきた東郷駅行きのバスに乗り込みました。そしてその女性と会話が始まりました。

それでは、また。
No.688 - 2015/07/06(Mon) 23:16:37
二度目の大島中津宮訪問 / ふたくん
その翌日は、大島の宗像大社訪問でした。
宗像大社は、田島の辺津宮と玄界灘の上、大島の中津宮と沖ノ島の沖津宮の三つがあります。
今回は、大島の中津宮訪問が目的でした。

JR東郷駅からバスで、終点の神湊(こうのみなと)駅行きに乗りました。
バスが動き始めて5分ほどしたら、はじめて宗像大社へ、歩いて行こうとして、迷いかけた地点へやってきました。右手に、ぼくを車に乗せて送ってくださった磯○さんの、あずき色の車が止まっている駐車場がありました。
あの時に乗せていただいたことを、とても感謝しています。磯○さんは、お元気でしょうか。

そして、田島の宗像大社の横をすぎて、海のほうへ進みました。田島の宗像大社には、今回は寄りません。

30分ほどで神湊漁港へ着きました。
大島漁港行きのきっぷを買って、船に乗り込みました。そういえば、乗船するにあたって、名前とか連絡先などを書かずに乗り込みました。隣の国の話しじゃないけど、万一ひっくり返ったりした場合、ぼくふたくんが乗っていたというのは、わからないでしょう。昔は、乗船名簿に名前を記入なんてのがあったのじゃないのかなと、思いました。

今日の海は、やや荒れていました。玄界灘というのは、おだやかな海ではないだろうと思っていたのですが、前回来たときは、おだやかでした。今日ぐらいに荒れているのが正しい玄界灘だろうと思います。
少し酔いがちで、大島漁港へつきました。25分の乗船でしたが、あとそのぐらい乗っていたら、酔ってしまっていたと思います。

大島漁港へ着いて、しばらくその近辺をうろうろして、そのあと宗像大社中津宮へむかいました。
今日はなぜか参拝者の方が少し見えます。前回来たときは、ぼくのほかには、人がいなかったのですが。
階段の登り口のあたりに、説明の立て札があります。読もうとおもって近づきました。
そこに、少し先に来た若い女性が4人ほどいました。
「こんにちは」
と声をかけてくれたので、こちらも
「こんにちは」
と答えて、ちょっと会話となりました。どこから来たのですかと聞いたら、大宰府からですということでした。しばらくしゃべっていると、先に参拝してきたらしき、女性の二人組みが階段を降りてきました。
降りてきた二人組みが、ぼくがしゃべっていた女性たちに、こんにちはと声をかけ、下にいた女性たちも答えました。ちょっとしゃべって、駐車場においてあった車で、次の訪問地へ、走って行きました。

「今のかた達は、知り合いなんですか?」
と聞くと、
「ええ、知り合いです」
と答えてくれました。
さらに聞くと、今ここで会ったのは、まったくの偶然ですということでした。
九州本土から離れた島の上で、知り合いに偶然会うなんて、珍しいことだと思ったのですが、ぼくとおしゃべりをしていた女性が、
「こちらの神様は、人と人とを引き合わせるというご利益があるんですよ」
と教えてくれました。

そういえば、ここ中津宮は全国の七夕祭りの総元締めの神様です。織姫と彦星が七夕の日に会うということを司っているわけです。
人と人を引き合わせる神様だということも納得できるわけです。そんな意識もあったわけで、ぼくが近づいていったら、こんにちはと声をかけてくれたのかもしれません。

ただそれ一件だけなら、こちらの神様が人と人とを引き合わせるご利益があると思い込むことはないのですが、あとでまたそういったことがあったので、なるほど、昔からそんなご利益があるというふうに、世間から考えられているのかと思ったりすることになります。

それでは、また。
No.687 - 2015/06/11(Thu) 07:55:14
水城(みずき)へ / ふたくん
さて、太宰府天満宮は、大相撲の九州場所では、伊勢ヶ濱部屋に宿舎を提供しているそうです。この部屋は、横綱日馬富士やこの水曜日に大関になるはずの関脇照ノ富士などの人気力士が所属していて、いま一番勢いのある部屋だろうと思います。

宮司さんは、九州後援会長を引き受けているそうです。これから照ノ富士が横綱になって部屋の人気が上がって、何かと忙しくなるのかもしれません。

この神社では、幼稚園を経営しているそうで、お相撲さんと園児たちのふれあいもあるらしい。

太宰府天満宮訪問のあとは、水城(みずき)をめざしました。
水城といっても、歴史に関心のない方には、よくわからないだろうと思います。
ちょっと古い時代ですが、朝鮮半島の白村江で、663年に日本は百済に味方して、唐・新羅連合軍と戦ったのですが、敗れてしまい、百済が滅んでしまいました。多くの人たちが日本へ亡命したようです。“白村江の戦い”です。

この時のリーダーは、中大兄皇子だったのですが、その後、唐と新羅が博多湾へやってきて、上陸して大宰府へ攻め込むということを恐れ、664年に防御の土塁と堀が築かれました。今の大野城市から太宰府市にわたって、1.2キロメートルほどです。土塁の高さは10メートル以上、幅は80メートルほどです。
土塁の外、博多側には当時濠があって、水が溜められていたそうです。
ただ、先方の事情もあって、唐と新羅の攻撃はなかったようです。なお中大兄皇子は天智天皇になりました。

西鉄大宰府天満宮の駅の前から、バスにのって、一度乗り換えて、“水城東門前”まで行きました。

http://www9.plala.or.jp/kinomuku/dazaifu/mizuki.html

まあ、こんなふうな場所です。その土塁の上まであがり、尾根道らしき道を少し歩いて、日本の古代史というものを味わい、そしてもどってきました。

水城では、観光客とも地元の方とも会わず、土塁を見て体験したというという、そんな午後でした。

それでは、また。
No.686 - 2015/05/24(Sun) 23:08:29
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