+ B B S +

HOME | お知らせ(3/8) | 記事検索 | 携帯用URL | フィード | ヘルプ | 環境設定 | ロケットBBS
【お断り】
宣伝の書込みが多いため、現在、次のホストからの投稿は拒否するよう設定しております。
nas949.p-osaka.nttpc.ne.jp/nas945.p-osaka.nttpc.ne.jp/nas944.p-osaka.nttpc.ne.jp/nas921.p-osaka.nttpc.ne.jp/
ap.cyberbb.ne.jp/ap.yournet.ne.jp/z86.219-127-24.ppp.wakwak.ne.jp/p6022-ipbfp1202osakakita.osaka.ocn.ne.jp
今回も楽しかったよ、沖縄 / ふたくん
でてきた沖縄そばは、それはもう大変おいしいものでした。
小川研さんのブログのように、三枚肉からコラーゲンだけ残るように、何回もあぶら抜きがされていて、さっぱりとおいしい味でした。
だし汁の味もぼくの好みで、先日“くんち”で食べた沖縄そばに、5点をつけましたが、“風音”の沖縄そばにも5点をつけますよ。

七年栄養士をされて、健康長寿を意識して料理を作るという風音オーナーの愛○さんに食べ物を管理されたら、きっと長生きできるにちがいありません。

沖縄の民家の庭には、南国の果実が実るという、先日見た「けんみんショウ」の沖縄編を思い出して、愛○さんに確認しました。
「そうですよ。庭にはバナナとかスターフルーツやドラゴンフルーツとかが植えてあって、毎年なりますよ。ただマンゴーは、手間ひまかけないと、おいしいのができませんねえ」
だそうです。ぼくが、自分の田舎では柿や栗ぐらいかなあなどと言うと、たいへんうらやましがられましたが、おいおい、うらやましいのはこちらだよと言いました。

「沖縄は暖かいですねえ」
というはなしから、沖縄には季節のうつろいがないという話になりました。
以前名古屋へ行ったことがあるそうです。名古屋城の満開の桜が、はらはらと散っていく姿に、季節のうつろいを感じて感動したそうです。
今のこの時期だったら、おそらくはイチョウの葉が落ちていくところに、きっと感動してもらえるだろうと思います。

愛知県は祖父江町(食用ぎんなん日本一)のイチョウの杜や東京明治神宮外苑のイチョウ並木のあたりを歩けば、秋から冬へとうつりかわる光景を味わえると思います。
北陸育ちのぼくには、桜の花が散る時期には、これからさらに暖かくなっていくんだという、かるい高揚感があるのですが、イチョウの葉が落ちていく姿には、ああ寒い季節がくるんだという、かるい喪失感があります。
南国育ちの愛○さんは、どういうかんじをもたれるのでしょうか。

こちらのそばやさんは、今週は水・木の2日間休みだったそうです。えっ、それでやっていけるの?と思ったのですが、なんでも子供たちを泊めていたそうです。宿泊らしきことをやっているそうです。いろいろ聞きたいとは思ったのですが、それ以上は聞きませんでした。

娘さんというか姉さんの伊○さんの話題になりました。
「今もガイドをやっているんですか?」
という質問に
「いいえ、おなかに赤ちゃんがいますから、ガイドの仕事から外れて北館で椅子に座ってする仕事をされてますよ。きっと元気な男の子が生まれますよ」
といいました。男の子か女の子か知らなかったのですが、無意識のうちに男の子と言ってしまいました。
すると愛○さんも、お母さんも指で正解マークを出しました。どちらが生まれるかはすでに調査済みのようでした。あ、ぼくに霊感はありません。ただ、過去に4、5件ほどはずしたことはありません。まああたる確立は5割ですけどね。
お母さんだか愛○さんだかが
「このごろは、仕事がおもしろくなってきた、と言ってましたよ」
と教えてくれました。
すばらしい!首里城での仕事がますます面白くなってきたというのは、訪れるぼくたちにとっても幸いなことです。そういうひとに接すると、訪問者もいい雰囲気をあじわえます。

おおよそ、40分ほどの滞在で“沖縄そば風音”を退出しました。

先日訪問した“沖縄そばくんち”の店主は、12月7日の那覇マラソンに出場するような話しをしておられたのですが、風音の愛○さんもフェイスブックを見たら、参加されたようです。沖縄のそばやさんは、とても元気なようです。

さて、ジェットスターのはなしをさせてください。
この時は、関西空港からやってきたのですが、なんと、名古屋のセントレアと沖縄がつながりました。3月29日からです。特価扱いで、片道950円というセールをやったので、すぐに申し込もうとしたのですが、あっというまに席が無くなりました。
そのうちに、それなりの価格で申し込もうと思います。
ああ、そのとき福岡行きも安く提供していましたので、ついつい申し込みました。
4月になったら、福岡旅行に行ってこようと思います。

そのぶん、名古屋←→成田の路線がなくなりました。ジェットスターが名古屋セントレアへきて、まだ3年ほどですが、大分行き路線がアッという間に消滅し、成田行きも消えてしまいました。
ジェットスターはいつも経営方針を厳しくチェックしているようです。
今後の希望としては、名古屋から台北と香港行きを計画して欲しいところです。

がんばってちょ、ジェットスター♪

それでは、また。
No.681 - 2015/02/09(Mon) 00:07:07
丘の上の沖縄そば“風音(かざね)” / ふたくん
地図を見て、伊○さんの実家の沖縄そば屋さんがどこにあるのかをチェックしました。
首里駅から歩いて20分ほどの場所で、まあこれなら歩いていけると判断しました。
夏場の太陽サンサンだったら歩きはしないのですが。

前回首里城から首里駅へ戻る時も、方向をまちがえて女子高生に教えてもらったぐらいに、方向感覚がまずいぼくです。どうにもうまくたどりつけませんでした。
そのお店の名前は「風音(かざね)」というそうです。食べログで検索をかけて、コメントを見ると、「場所がわかりにくい」という書き込みがいくつかでてきます。
丘の上にポツンと一軒建つそばやさんが“風音”です。
ただ、おなかが減ったひとが「おっ、そばやさんがあるぞ」と、偶然みつけて入るということは、ほぼないでしょう。風音という店を知っているひとが入るかたちでしょう。

ようやくたどりつきました。その建物は赤がわらで、伝統的な沖縄の民家です。
どこから入っていいのかわからず、横へまわっても裏へまわっても、お客用の入り口はなくて、正面に戻って入り口から入りました。
小川研さんというライターが、とてもいい文章と写真で、“風音”を紹介しておられます。

http://okinawaclip.com/ja/detail/337

フェイスブックやツイッターもあります。写真を見ていただくとわかるように、丘の上の一軒家です。あとでオーナーの若い女性から聞くことになりますが、屋根に雷が落ちて、かわらが割れたとか、大風で、外の柱が一本吹き飛んだとか、ときには厳しい自然にさらされるようです。

親戚の家を訪ねるように、「こんにちは」と、玄関の戸をあけました。かってに靴を脱いで中へは入らずにいたら、すぐに若い女性オーナーが出てきて、中へ案内してくれました。

伊○さんに聞いて、やってきましたと話すと、お母さんに声をかけてくれました。お母さんに挨拶をすませると、お母さんともどもいろいろなものを見せてくださいました。
この建物は、沖縄の伝統的な建物で、首里城と同じ赤がわらを使っているそうです。建物に釘は使っていないそうで、建造途中の写真がたくさん納まったアルバムを見せてもらいました。
ユニークなデザインの漆器や、沖縄のいろんなことが載った「琉球放送○年記念誌」といった厚い本も見せて下さいました。
そういうものを見ながら、こちらのお宅はいったいどういうお宅なんだろうと思いました。
オーナーは愛○さんという若い女性で、さてお父さんは何をしておられる方だろうと思いました。

ああ、ここでお詫びをしておかなくてはいけません。愛○さんに、
「伊○さんのお姉さんですか?」
と聞いてしまったのです。
「いいえ、妹です」
という答えでした。聞くのなら
「伊○さんの姉妹ですか?」とか「妹さんですか?」と聞くべきでした。
上品でおだやかなかんじのきれいな方だったので、うっかりそう聞いてしまいました。
なんでも、県外の大学を出て、ツイッターによると七年ほど栄養士をされたそうです。
小川研さんのブログによると、とてもいい母娘関係にみえます。芸術関係に造詣が深いようです。
フェイスブックをみると、人生をとても楽しんでいるようにみえます。

この家の庭にハブがたまに出るそうです。
「じゃあ、子ども達にお庭で遊んでなさい、なんて言えませんねえ」
と言うと
「そうですね。犬を飼っていて、犬がさわいでいたら、けっして近づいてはいけません」
としつけられていたそうです。
「家族の中では、母親がよくハブをみつける」
と伊○さんが言ってました。それは、動物的な勘を持っているというのではなく、子供たちへの厚い愛情がそうさせるのでしょう。

こちらには、黒い犬が一頭いるそうです。ぼくが訪ねたときは裏で寝ているということでしたが、琉球犬の血をひいていて、その種類は、猟に強くひとなつっこい性質らしいです。
名前は“ラブリー”というそうです。愛○さんとこの、ラブリーなんてのは、いい名前です。
小川研さんのブログによると、ラブリー君は人の顔を見たら、“構ってアピール”を出すそうです。
今まで出会ったひとや、こちらの家族からずっとかわいがられて、嫌な人にあったことがないからに違いありません。これからも、庭へ入り込んだハブをチェックして欲しいものです。それはほとんど、魔からひとを守る“シーサー”のような役割です。

それでは、また。
No.680 - 2015/01/22(Thu) 23:51:51
帰り道、首里城 / ふたくん
首里城を出ました。踊りを見たり、スタッフの方たちとおしゃべりをしたりで、ずいぶんと時間も使ったりしたので、沖縄芸術大学の学生食堂はタイムアップとなってしまいました。午後4時が制限時間だったのです。
そんなわけで、街中の沖縄そばやさんに入ろうと思って、歩いていました。

駐車場があって、そのそばをとおりかかると、出口にいた若い男性二人と女性二人が、
「おおぉ、日本人が来た、助かった、ちょっとこっちへ来てくださいよ」
と言っている気配で、ぼくを呼びました。日本語ではなくて中国語でした。ひとりはスマホを手に持って頭の上のほうへあげて手をふっていたので、
「OK、OK、フォトのシャッター、プッシュね」
と言って近づいていくと、実はそうではありませんでした。駐車していた車を外へ出したいのだけれど、お金を入れる枠が閉まったままで入金ができない。シャッターの棒が上へあがらず、車を出せなくて困っていたんだということでした。台湾からの旅行者でした。

ぼくも仕組みがわからず困ったのですが、なんてことはなく、実際に車を出口まで寄せれば自動的に支払い枠が開きました。入金して棒が上がり、車が出ることができました。
「台湾大好き♪何回も行ったことがある」
ということを言って、お互いにこやかに別れました。
「いい旅を(いちおう英語で)」

首里駅の横に沖縄そばやさんがありました。入ると四時を過ぎた時間帯で、お客はぼく一人でした。店の中には沖縄民謡が流れていましたが、店主のおじさんがそれを止めて、テレビをつけました。ぼくを見て、民謡よりはテレビだろと判断したようですが、
「あの、テレビより民謡にしてください」
と言ったので、ふたたび民謡を流してくれました。三線(さんしん)が二台立てかけてありました。
「さわってもいいですか?」
と聞くと、いいですよということだったので、ビンビンとならしました。

沖縄そばがとどきました。食べ始めると、いよいよショーの始まりでした。
店主のおじさんが、三線を手にして沖縄民謡を歌いだしたのです。

「さ〜、君は野中の〜いばらの〜花か、さ〜ゆいゆい♪」

最初は“安里屋ユンタ”でした。一曲終わると、はしを止めて拍手を送りました。おじさんも気分よく、続けて何曲も歌ってくれました。
すべて沖縄方言の曲を歌うと、まったく意味がわかりませんでした。
七、八曲ほど歌ってくれたあと、雑談をしました。

「沖縄の男性は、三線を弾くひとが多いんですか?」
と聞くと、
「まあ、ほかにやることもないので、三線の練習でもやってれば、防犯にもなるしねえ」
と答えてくれました。そういえばぼくも子供のころ、防犯の目的らしく、“防犯野球”といって野球をやらされていました。夏に大会があったものです。
去年首里城へ来た時、伊○さんに、沖縄に三線屋さんはたくさんあるんですか?と聞いたら、そうでもないですよ。三線の販売では、食べていけないですから、と答えてくれました。
ところが、街を歩いていて、少なくとも三軒みつけました。名古屋には三線や三味線屋さんを、三軒みつけるのは困難です。

壁を見ると、マラソンのタイムを一覧にした表がありました。十何回か参加したらしく、だいたいが、3時間台のタイムでした。最高は3時間0分26秒です。あとひと頑張りで2時間台です。3時間台突入が夢だという素人ランナーが多いのに、もう少しで2時間台なんて、ほとんどプロの世界です。あの“猫ひろし”さんを連想しました。

店の名前は“くんち”というそうです。「元気、根気」というような意味だそうです。
沖縄そばを食べて、ぼくも元気になりました。食べブログでは3点台ですが、ぼくとしては大変おいしくて、5点を付けたいと思います。(注:味覚はひとによってことなります^^;)

それでは、また。
No.679 - 2015/01/13(Tue) 23:51:29
2回目の首里城 / ふたくん
奉神門をくぐって、有料地域へ入っていきました。今回もガイドさんの案内を聞こうと思って、時間まで待つことにしました。

ガイドの女性が予定より早くやってきて、ちょっと待つかたちになったので、はなしかけて雑談になりました。
ことばのイントネーションから、聞いたら中国出身ということでした。首里城の解説を中国出身者が行うという、ちょっとおかしなかんじなのですが、首里城は中国との貿易や、使者の行き来があったわけで、そう変でもありません。
また中国から来た観光客も増えているので、なにかといいのかもしれません。
去年は伊○さんにガイドしてもらったと話したら、無線電話を取り出して、北館の事務所へ連絡をとって、伊○さんと会う段取りをとってくれました。
首里城のスタッフの皆さんは、無線で連絡を取り合って、いろいろ情報交換をしているようです。チケット売り場で「伊○さんは、おられますか?」と聞いたことが、どうやらこのガイドさんにまで流れていたようです。

そういえば春に福岡市博物館に行った時にも、体験学習室の方が、図書室の瀧○さんに、愛知からの旅行者がそちらに行くということを、連絡してくれていたりと、情報交換が盛んにされていました。訪問者を迎える施設というのは、こんなかんじで対処していくのかもしれません。

そんなわけで、このガイドさんに、北館へ行くように強く勧められて、北館へ向かいました。
なんでも、伊○さんはおなかに赤ちゃんがいて、いまはガイドの仕事からはずれているそうです。

北館へ入っていくと、むこうから一人の女性がやってきました。
一年ぶりの再会でした。伊○さんは、いつ頃会った何者だろうという印象を持っていたようでした。

あの、城の正面の道が、斜めになっているのはなぜかということで、“取締役島耕作第7巻”のP132からのコピーなどを渡して、「中国の魔はまっすぐにしかすすめない、道がななめなので、魔は王の横へ抜けていく」という話しをしました。
伊○さんも、調査をしていたようで、首里城内に人工池があって、それとの風水的な意味があって、道がそうなっているという説を教えてくださいました。いくつか説があるそうです。
広場にある小さな御嶽(うたき)の木の枝を切るときも、風水的に日にちが限られるそうです。なるほどそういうものか。

とうとつに話しが飛びますが、中国がロシアへ新幹線のような高速鉄道を輸出するそうです。ところが日本の高速鉄道のように、曲がっていくことはできなくて、ただ真っ直ぐにしか技術的には走れないはず(「たかじんのどこまで言って委員会」時事通信社加藤清隆氏)だと日本の専門家に言われているらしいです。
なんだか、中国でいう“魔”に似ていると思いましたさっ。無事な走行を祈ります。

名前をきかれたので、ふたくん(仮名:本名を教える)ということを教えました。
伊○さんにも、
「ハブを見たことはありますか?」
と聞きました。
「ありますよ、うちの実家の庭にも出ますよ」
という、驚くべき答えでした。とても驚いていると、伊○さんは住所を書いて、ぜひ行ってみてくださいと勧めてくれました。
ああ、見知らぬ家へ、こんにちはと訪ねなさいというわけではありません。伊○さんの実家は沖縄そばを出すお店だそうです。今週は水、木と休みだそうで、金曜に訪ねようかと思いました。

実家が中華料理を出すといえば、奥山佳恵さんや優木まおみさんを連想しました。優木まおみさんって、お父さんが中国と日本、お母さんが中国とロシアのそれぞれハーフなんだそうで、多彩な血を受けた聡明な美人タレントさんなんですね。関係ないけど。

20分ほどおしゃべりして、北館を出ました。赤ちゃんを産んで、またガイドに戻られた時は、さらにいいガイドになっていただきたいと思います。

それでは、また。
No.678 - 2015/01/01(Thu) 13:07:32
二度目の沖縄 / ふたくん
沖縄へ行ってきました。二回目です。2014年11月4日から11月8日の間です。
4日の夕方に那覇空港について、ゆいレールとよばれるモノレールに乗って、その名もおもろい、“おもろ町”という駅に向かいました。
改札を出て、予約のホテルへ向かいました。駅の外はきちんとした都市計画で整備され、ずいぶんとお金をかけているんだなと思わされます。

予約のホテルにつくと、フロントの方の指示を受け、機械にお金を入れて待つと、レシートが出てきます。そのレシートに6桁の数字が印刷されていて、それが部屋へ入るときのコード番号となっているそうです。部屋の扉にあやしい機械がついていて、それに数字を打ち込むのです。それで部屋の鍵がオープンとなるのです。フロントの方は、お金にノータッチということです。経営者はいろいろ考えたのでしょうか。

荷物を部屋に置いて、晩御飯を食べに外へ出ました。
11月初旬になると、冬の気配を感じるぐらいに寒いはずなのですが、この日の沖縄は寒くないのです。こんなに暖かでいいのかとさえ思いました。

沖縄の2日目、首里城訪問です。ゆいレールの終点、首里駅で降りて歩いて15分ほどです。
沖縄芸術大学を通る道から入っていきました。去年に続いて二回目なので、道に迷うこともありません。入ったそのあたりに、学生食堂がありました。近づいて扉のあたりに貼ってあるメニューを見ると、沖縄そば定食530円とか何とか定食480円とか、いかにも学生食堂らしく、安いのです。そして学生以外の一般の方もどうぞと書いてありました。
なつかしや学生食堂♪入って何か食べようと思ったのですが、首里城見学が先だと思って、帰りに寄ろうと思いました。

ぷらりと沖縄へやってきて、しばらく沖縄に住もうなんてひとは、この近くに住んで、この大学の学生食堂で食事すれば、当分安く生きていけるかもしれません。
そういえば、福岡旅行をしたとき立ち寄った西南学院大学で、生協の学生食堂が一年間30万円の定期券を発行していたので、それははたして学生にとって、得になるのか損になるのか考えたことがあります。週5日昼はそれでOKですが、朝と夜はどうなるのか!?どのくらいの数のひとが買うのか、聞いてみたいところです。

ゆるい坂道を登って、頂上の広場にたどりつきました。今日は頂上のスペースで、広い休憩所を舞台にして、沖縄の踊りを見せてくれるそうです。一日に4.5回あって次は午後2時からでした。せっかくだから見ることにしました。
沖縄は、踊りが盛んなようです。ひとつの団体が演じるのではなくて、たくさんの団体が競って参加とのことでした。
沖縄は芸事が盛んなのでしょうか。日本の芸能界にもたくさんの芸能人を輩出しています。
さて、一時間弱、沖縄の踊りを楽しみました。

そのあたりに、首里城のスタッフの方がおられたので、ぼくが持っていた沖縄に関する疑問をいろいろぶつけました。
「ハブを見たことはありますか?」
と聞きました。本州には毒蛇としてマムシがいるのですが、マムシを見たことがあるというひとは、あまりいないと思います。山の方へいくとそれなりにはいるようですが、ぼくは見たことがありません。そしてその回答は
「ありますよ、今まで三十何匹かCENSOREDますよ」
でした。ああそうなんだ、どうやらハブは普通にいるらしい。そのあと5人ほどの方に聞いたのですが、全員見たことがあるという回答でした。みんな那覇市在住です。

墓のことも聞きました。
「沖縄の墓は、本州のものと違って、ひらたい感じで、台湾で見たものに良く似ているのですが、仏教なんでしょうか?まさか道教でもあるまいし」
と聞くと
「う〜ん、先祖崇拝ですねぇ。葬式の時は坊さんを呼びますよ。仏像はあまりないですねえ」
ということでした。

そのあと、有料地域へ入る入り口へいって、入場券を買いました。そこのお姉さんに
「去年来た時に、伊○さんにガイドしていただいたのですが、今もいらっしゃいますか?」
と聞くと
「いますよ」
という回答でした。旅で会う人はたいがい一期一会で、再会することはあまりないのですが、伊○さんとどうやら再会できそうでした。

それでは、また。
No.677 - 2014/11/16(Sun) 21:17:50
秋の日に / ふたくん
きょうは10月15日です。
津江輝美さん、お誕生日おめでとうございます。

自分の体験からその世代になると、そう誕生日はうれしくもなかったのですが、世代がかわって、意義深いということもあり、お祝いのことばを言わせていただきます。
すばらしい三十代が展開していくことを、祈ります。

この時期になると、日本もアメリカのメジャーリーグも野球の最後の優勝を決めるころとなります。
ぼくの希望として、リーグ戦で3位となり、しかも勝率が5割を割っているチームが、クライマックスシリーズを勝ちあがり、そして日本シリーズにも勝って日本一になるというストーリです。

ことしは、パリーグ3位の日本ハムが73勝68敗3分け、セリーグ3位の広島が74勝68敗2分けでした。日本ハムはあと3つ、広島があと4つ破れると、5割をわっての3位でした。その場合5割勝てなかったチームが日本一になるところでした。ちょっと見たかったです。

まあリーグ優勝した巨人かソフトバンクが日本一になるというのが、妥当なところでしょう。楽しみたいと思います。

それでは、また。
No.676 - 2014/10/15(Wed) 07:29:31
ノーベル賞の秋 / ふたくん
え〜っと、2014年10月7日(火)の夜7時に少し前、7時からさんまちゃんの「踊るさんま御殿」の3時間特別編だねってことで、中京テレビにチャンネルをあわせようと思っていたら、文字ニュースが流れました。
日本人三人がノーベル物理学賞受賞というニュースでした。

おお、日本人が受賞か!ということで、NHKのニュースを見ることにしました。別番組は録画セットです。

ノーベル物理学賞に、赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんが受賞です。
赤崎さんと天野さんは名古屋大学に関係が深くて、愛知県の喜びはちょっとにぎやかです。青色発光ダイオートの開発で、中村修二さんはずっと前から知っていたのですが、赤崎さんと天野さんはぼくにとってははじめて聞く名前です。

長生きはするものです。85歳の赤崎さんについてはほんとうにそう思います。
文学賞の村上春樹さんと、憲法9条で平和賞の日本国民はあと2年先にもらうと期待しましょう。
このところ、ノーベル賞は偶数年にもらっているようです。

そういえば赤崎さんは、いま名城大学の教授でもあります。むこうの発表者は「メイジョウ」と言わずに「メイヨー」と言ったのを、聞き漏らしませんでした。「MEIJO」の「JO」は「ジョー」と言わずに「ヨー」と発音するのです。

スカイプ友達の名城大OBにおめでとうと言ったら、テレながら喜びつつ、仕事は名古屋大学でやったことだと言ってました。


さて、暗い話しです。御嶽山です。

そのむかし、名古屋に超高層マンションが建ったとき、販売の促進ことばとして、
「おとなりさんは御在所さん(三重県)、おむかいさんは御嶽さん(岐阜県)」
と宣伝コメントしたらしいです。そのくらい御嶽山は名古屋市民にとってなじみ深い山なのです。
その御嶽山で、なんと50名をこえる方たちが遭難されたようです。

御嶽山は、頂上までは行ったことはありませんが、途中までは行ったことがあります。3000メートルを超える山ですが、比較的登りやすい山です。
そしてそこは御嶽教という教派神道の根拠地でもあります。本部は奈良県のようですが、愛知県にも関係者は多いようです。

ご冥福をお祈りいたします。
そして、懸命に捜索された皆さんにおつかれさまでしたと申し上げます。

ちょっと意外なのですが、この日の登山で17人ほどのグループで、韓国系キリスト教系の団体が来ていたようです。「将来は医者になって、貧しいひとの役に立ちたい」と生前言っていた犠牲者の方に同情しました。先々いろんなことができたはずの女子高生の方もお気の毒です。
その団体が、御嶽教の本拠地へやって来たというのが少しだけ不思議です。
紅葉が美しい秋の日にちだったということでしょう。

ああ、ぼくもまた旅にでたくなりました。

それでは、また。
No.675 - 2014/10/10(Fri) 20:55:55
そして宗像大社 / ふたくん
宗像大社につきました。
二度目の訪問です。時期的なこともあって、前回の11月下旬ほどには混んでいませんでした。
参拝したあとは、○中さんにすすめられた場所の“高宮祭場”へ向かいました。
じつは前回きた時も、“高宮祭場”へ向かったのですが、たくさんある階段に疲れて途中であきらめて戻ったのです。
今回は○中さんのすすめもあって、真っ先にめざした場所です。

いくつもの階段を上がってたどりつきました。その場へは立ち入り禁止で、中をながめるだけです。参拝して戻りました。
下がっていくときに、上がってくる女性がいました。
「まだ先は長いですか?」
と、問いかけられました。
「いやいや、もう9割ほど来ていますよ。この階段を登りきって、30メートルほど歩けば着きますよ。がんばってください」
と答えました。確かにこのあたりの場所へくると、疲れてきて、まだかよという気持ちになるのです。

そのあと、社務所へ行きました。若い禰宜さんがいたので、
「あなたも沖ノ島へ行かれるんですか。どのくらいいかれるんですか?」
と聞いてみました。
「行きますよ。年2、3回ほどです」
と答えてくれました。
確か一回行けば10日間ということだそうで、3回だと30日間になります。年に30日間ひとりで孤島の上で暮らすなんて、ぼくには厳しいはなしです。インターネットはしてもいいのだろうか。テレビ、ラジオは許されるんだろうかなどと思いました。多分ダメだろうと思います。
毎朝の海での禊(みそぎ)も大変です。
神様に仕える、宗像大社の神職の方たちに敬意を表します。

そのあと神宝館へ向かいました。受付のおじさんに挨拶をして、流されているDVD映像を今回はすべて見ますよという話しをしたら、流されていた映像を一旦止めて、一番最初のところにリセットして、流し始めてくれました。
約45分ほどだったと思います。一通り見て、海とそこに生きる人たち、そして沖ノ島の存在などがわかりました。
この島から見ていた日本海海戦の様子をあらわした文章なんかも、貴重なものです。
興奮して読んだ司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を、実感を持って思い出しました。

このDVDの最後の場面は、「みあれ祭り」で踊り手が、あの龍神さまからいただいたという、翁(おきな)のお面を付けて踊る映像でした。
大変印象深かったです。

そして、たくさんの宝物を見て回りました。前回見たときと宝物の位置や並べ方が異なっていました。それから「国宝」という表示がなかったように思います。
あの「翁(おきな)」のお面が見当たりませんでした。
帰り際に受付のおじさんに、
「翁のお面を見なかったのですが、展示からはずしたのですか?」
と聞きました。すると
「そんなはずはなくて、3階にありますよ」
と答えてくれました。むむ、ひととおり丹念に見たつもりだけど、見落としたかということで、3階へ上がっていきました。

ああ、ありました。前回は棚の中の一角にありましたが、今回は一つの枠をもらって、四角いガラス枠の中にお面ひとつだけが展示されていました。それはあの福岡市博物館の国宝「漢委奴国王印」の展示に似ています。
去年より評価とか価値や人気があがったのだろうかと思いました。いいことです。

さて、できればそのあと大島へ船で渡って、展望台からはるかに沖ノ島をのぞもうと思っていたのですが、時間的なこともあり、次回の訪問の楽しみにしようと思いました。
次回はそうそうサポートをいただかないで、バスを利用するつもりです^^

蛇足ながら、「宝○山」について、なんでもそんな名前の村が福岡県にあったそうです。
町村合併で今は消滅してしまったそうですが、JRの駅の名前としては残っているそうです。大宰府天満宮の宝○山さんもその土地に関係があるのかもしれません。

この旅行についての最後の書き込みですが、鳥栖駅で博多駅行きの切符を買おうと思っていたときです。突然50歳ちょっと前の女性が近づいてきて
「すいません、○○行きの切符を買っていただけないでしょうか。私は液晶の変化する画面をみていると、なにかおかしくなってしまうのです。460円なので、500円玉を渡しますので」
という申し出でした。
「ああ、いいですよ」
といって販売機に近づき、購入して、にこやかにつり銭とともに渡しました。

ぼくにとって、ちょっと驚くべきことでした。他人にはよく理解できない状況の方は、世の中にはいろいろいらっしゃるようです。
ほかにも人はいたのですが、ぼくのところに来たというのは、不愉快ではないです。それなりに善人にみえたのかもしれません。
閉所恐怖症のひとを知っています。飛行機や新幹線がダメなのです。車は平気なのですが、ぼくの感覚でいえば、車のほうがよほど閉所で恐怖だろうと思うのですが。

今回もとても楽しい旅行でした。いろんな方たちと会話をして、とても勉強になりました。また、出かけたいと思います。

それでは、また。
No.674 - 2014/08/30(Sat) 23:41:35
織幡神社から宗像大社へ / ふたくん
織幡神社を参拝して、横の方の裏参道から下へ降りて行きました。
先ほどあの大岩の写真を撮ったけれど、写真だけを見ても実際の大きさはわからないなあ、横に自分自身が写っていれば、その大きさが分かるんだけどなどと思いました。

そのときです。駐車場に一台の車が止まって、ひとりの青年が降りて、織幡神社の方へ歩いていきました。
「おおお、なんてラッキーなんだ。あのひとに撮影を頼もう」
と思い、軽くかけながら近づいていきました。

事情を話して撮影を依頼すると、いいですよということで、撮影をしてくださいました。
「はい、チーズ」
と声をかけてくれたのは、前回西南学院大学で写真を撮ってくれた女子大生に通じる、いい人格の方でした。ちょっと雑談をしました。

ぼくが、愛知からこの神社へやってきたと言ったら、
「うわあ、バイタリティがありますねえ」
と感心してくれました。
「いえいえ、愛知からは、飛行機に乗ってしまえば、一時間ですよ。そうたいしたことではありませんよ」
と答えました。LCC格安航空のジェットスターで来たということをはなしたら、おおよその代金が片道五千円程度だということも認識していました。

彼が自分のスマホのポータル画面をみせてくれました。それは宗像大社の大切な場所“高宮祭場”の写真でした。なにやらそのスマホは、それ自身がその人のお守りのようにみえました。

そういえば、スマホになにやら幸運を招いてくれそうなものを載せている方がいらっしゃいます。たとえば、龍神伝説の三重松尾観音寺の板に最近浮かんだ龍神様を載せている方がいらっしゃいます(ぼくは行ったことはありません)。その方は、名古屋の女子モデルで、このサイトの引退されたモデル津江輝美さんの親しい友人なのですが、その後地元テレビでよく見かけるようになりました。またFM愛○のレギュラー番組を持ったりと活躍しておられました。今でもその状態かどうかはわかりませんが。
http://blogs.yahoo.co.jp/sanaemac/32195197.html

撮影していただいたお礼を言って別れました。その青年は織幡神社の本殿へ、ぼくはJR東郷駅へ向かうバス亭へとそれぞれ向かいました。JR東郷駅で乗り換えて、宗像大社へ向かうのです。

10分ほど歩いてバス停へついたら、ひとりのおじさんがバスを待っていて、雑談などをしながら、待ちました。やがてそのひとが乗るバスがやってきて、ぼくだけがバス停にひとりです。あと20分ほどでしょうか。1時間に1本程度です。30分程度乗って東郷駅へ行って、そこからバスで2、30分で宗像大社へ行きます。その東郷駅でも1時間に1本ほどの発車です。かなり時間がかかります。

そのときでした。むこうから黒い車が一台やって来ました。そしてぼくのところで止まりました。
「乗っていきませんか」
と声をかけてくれました。そうです、さきほど写真を撮ってくださった方です。
感謝の気持ちいっぱいで、助手席にすわりました。
「私、ふたくん(仮名:本名をいう)といいます。お名前を教えてください」
と聞いたら
「○中といいます」
と答えてくださいました。
雑談をしながら20分ほどで、宗像大社へ送ってくださいました。

思えば、宗像大社へ来るのは2度目なのですが、2度とも車で送っていただきました。
前回は磯○さんという親切なご婦人に、今回は○中さんという親切な青年にです。
宗像大社は、交通関係に強い神社なのですが、なにやら交通の面でサポートをいただいたような気がします。けっして手を上げて車を止めるというヒッチハイク的な行為をしたわけではありませんけど。
磯○さんも○中さんも、神様の意図を受けて送ってくださったからには、その後きっといいご褒美があるに違いありません。
ぼくの感覚では、絵にかいたような好青年でした。

20分ほどで、宗像大社へ着きました。お礼を言って降りました。
二度目の宗像大社です。

それでは、また。
No.673 - 2014/08/12(Tue) 00:46:56
織幡神社の大きな岩、見学 / ふたくん
今回の旅行のメインかもしれません。2回目の宗像大社訪問です。
そしてその前に、織幡神社を訪問です。ここの神社の入り口そばには、あの大きな岩が飾ってあるのです。

「ちはやぶる 金の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ 志賀の皇神(すめらぎ)」万葉集第7巻1230

むかし、大陸方面から運ばれてきた大きな鐘が、鐘崎の海で沈んでしまいました。
鐘崎という名前が、鐘が沈んだという伝説からきているとしたら、7世紀後半から8世紀にできた万葉集以前のことになります。

そして過去に三組ばかり引き上げようと考えた方がいたようです。
2月1日付けの?bU61の書き込みを見ていただきたいのですが、1473年室町時代に宗像大社の大宮司興氏、1604年江戸時代に黒田長政、NHKの大河ドラマでいうと松坂桃李くんです。そして1919年大正時代に実業家の山本菊次郎という方たちです。

しかし、その海に住むらしき竜神様が引き上げを望まず、大宮司の宗像興氏が荒れ狂う海のため引き上げをを断念すると、それではということで「翁のお面」が静まった海に浮かんできて、プレゼントしてもらったということです。
山本菊次郎の場合、苦労して引き揚げたと思ったら、それは鐘ではなくて大きな岩でした。
その大きな岩が、ここ織幡神社の入り口隣りに飾ってあるのです。
http://ameblo.jp/pigumonn-22/entry-11716839815.html

JR東郷の駅から、鐘崎の岬の付け根まで行くバスに乗って、その終点で降りました。
歩いて10分ほどで、織幡神社の最初の鳥居につきました。そこから長い登り階段を上がっていけば神社の建物にいきつきます。
ちょうどその時、鳥居のまえのあたりで、参拝を終えて降りてきた方に出会いました。
その方が
「これから、お参りですか?」
と声をかけてきました。
「はい、お参りしますけど、この地に展示してある、鐘と間違えて引き上げた大きな岩を見たいと思って来たんです」
と答えました。そのあと何かと長い会話になりました。その方は地域の歴史研究家で、九州の地名からそのいわれや歴史を語るという方でした。

長崎にすんでいるけれど、福岡に孫が生まれたということで、奥さんと一緒に孫に会いにやってきたそうで、奥さんは孫のところにいて、自分はこちらへやってきたということでした。
歴史の研究について、いくつか会があるそうです。たとえば「菊○流域古代史の会」「玄○灘流域地名研究会」「久○米地名研究会」「大○府地名研究会」等々です。
その方は自費出版で「高○郡の歴史」大○正之著という本を出しているそうで、1冊2000円でどうですかとすすめられました。まっ、いりませんけど。

いま出ている学説を、ひっくり返すんだと、強い意欲を持っておられました。
こういう地域の歴史研究家というのは、たいがい元日本史の教師といった方が多いのですが、しゃべりかたがどうも荒っぽい感じだったので、普段はどんな仕事をしておられるのか伺うと、建築関係だそうです。

そのあと、大きな岩を見学して写真を撮り、階段を上がって本殿で参拝しました。
そして、横の道を降りて下へ戻りました。

それでは、また。
No.672 - 2014/07/21(Mon) 23:27:45
以下のフォームに記事No.と投稿時のパスワードを入力すれば
投稿後に記事の編集や削除が行えます。
200/200件 [ ページ : << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ... 20 >> | 過去ログ ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

Rocket Board Type-LK (Free) Rocket BBS