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WINGBEAT COFFEE ROASTERS
ノーベル賞の秋 / ふたくん
え〜っと、2014年10月7日(火)の夜7時に少し前、7時からさんまちゃんの「踊るさんま御殿」の3時間特別編だねってことで、中京テレビにチャンネルをあわせようと思っていたら、文字ニュースが流れました。
日本人三人がノーベル物理学賞受賞というニュースでした。

おお、日本人が受賞か!ということで、NHKのニュースを見ることにしました。別番組は録画セットです。

ノーベル物理学賞に、赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんが受賞です。
赤崎さんと天野さんは名古屋大学に関係が深くて、愛知県の喜びはちょっとにぎやかです。青色発光ダイオートの開発で、中村修二さんはずっと前から知っていたのですが、赤崎さんと天野さんはぼくにとってははじめて聞く名前です。

長生きはするものです。85歳の赤崎さんについてはほんとうにそう思います。
文学賞の村上春樹さんと、憲法9条で平和賞の日本国民はあと2年先にもらうと期待しましょう。
このところ、ノーベル賞は偶数年にもらっているようです。

そういえば赤崎さんは、いま名城大学の教授でもあります。むこうの発表者は「メイジョウ」と言わずに「メイヨー」と言ったのを、聞き漏らしませんでした。「MEIJO」の「JO」は「ジョー」と言わずに「ヨー」と発音するのです。

スカイプ友達の名城大OBにおめでとうと言ったら、テレながら喜びつつ、仕事は名古屋大学でやったことだと言ってました。


さて、暗い話しです。御嶽山です。

そのむかし、名古屋に超高層マンションが建ったとき、販売の促進ことばとして、
「おとなりさんは御在所さん(三重県)、おむかいさんは御嶽さん(岐阜県)」
と宣伝コメントしたらしいです。そのくらい御嶽山は名古屋市民にとってなじみ深い山なのです。
その御嶽山で、なんと50名をこえる方たちが遭難されたようです。

御嶽山は、頂上までは行ったことはありませんが、途中までは行ったことがあります。3000メートルを超える山ですが、比較的登りやすい山です。
そしてそこは御嶽教という教派神道の根拠地でもあります。本部は奈良県のようですが、愛知県にも関係者は多いようです。

ご冥福をお祈りいたします。
そして、懸命に捜索された皆さんにおつかれさまでしたと申し上げます。

ちょっと意外なのですが、この日の登山で17人ほどのグループで、韓国系キリスト教系の団体が来ていたようです。「将来は医者になって、貧しいひとの役に立ちたい」と生前言っていた犠牲者の方に同情しました。先々いろんなことができたはずの女子高生の方もお気の毒です。
その団体が、御嶽教の本拠地へやって来たというのが少しだけ不思議です。
紅葉が美しい秋の日にちだったということでしょう。

ああ、ぼくもまた旅にでたくなりました。

それでは、また。
No.675 - 2014/10/10(Fri) 20:55:55
そして宗像大社 / ふたくん
宗像大社につきました。
二度目の訪問です。時期的なこともあって、前回の11月下旬ほどには混んでいませんでした。
参拝したあとは、○中さんにすすめられた場所の“高宮祭場”へ向かいました。
じつは前回きた時も、“高宮祭場”へ向かったのですが、たくさんある階段に疲れて途中であきらめて戻ったのです。
今回は○中さんのすすめもあって、真っ先にめざした場所です。

いくつもの階段を上がってたどりつきました。その場へは立ち入り禁止で、中をながめるだけです。参拝して戻りました。
下がっていくときに、上がってくる女性がいました。
「まだ先は長いですか?」
と、問いかけられました。
「いやいや、もう9割ほど来ていますよ。この階段を登りきって、30メートルほど歩けば着きますよ。がんばってください」
と答えました。確かにこのあたりの場所へくると、疲れてきて、まだかよという気持ちになるのです。

そのあと、社務所へ行きました。若い禰宜さんがいたので、
「あなたも沖ノ島へ行かれるんですか。どのくらいいかれるんですか?」
と聞いてみました。
「行きますよ。年2、3回ほどです」
と答えてくれました。
確か一回行けば10日間ということだそうで、3回だと30日間になります。年に30日間ひとりで孤島の上で暮らすなんて、ぼくには厳しいはなしです。インターネットはしてもいいのだろうか。テレビ、ラジオは許されるんだろうかなどと思いました。多分ダメだろうと思います。
毎朝の海での禊(みそぎ)も大変です。
神様に仕える、宗像大社の神職の方たちに敬意を表します。

そのあと神宝館へ向かいました。受付のおじさんに挨拶をして、流されているDVD映像を今回はすべて見ますよという話しをしたら、流されていた映像を一旦止めて、一番最初のところにリセットして、流し始めてくれました。
約45分ほどだったと思います。一通り見て、海とそこに生きる人たち、そして沖ノ島の存在などがわかりました。
この島から見ていた日本海海戦の様子をあらわした文章なんかも、貴重なものです。
興奮して読んだ司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を、実感を持って思い出しました。

このDVDの最後の場面は、「みあれ祭り」で踊り手が、あの龍神さまからいただいたという、翁(おきな)のお面を付けて踊る映像でした。
大変印象深かったです。

そして、たくさんの宝物を見て回りました。前回見たときと宝物の位置や並べ方が異なっていました。それから「国宝」という表示がなかったように思います。
あの「翁(おきな)」のお面が見当たりませんでした。
帰り際に受付のおじさんに、
「翁のお面を見なかったのですが、展示からはずしたのですか?」
と聞きました。すると
「そんなはずはなくて、3階にありますよ」
と答えてくれました。むむ、ひととおり丹念に見たつもりだけど、見落としたかということで、3階へ上がっていきました。

ああ、ありました。前回は棚の中の一角にありましたが、今回は一つの枠をもらって、四角いガラス枠の中にお面ひとつだけが展示されていました。それはあの福岡市博物館の国宝「漢委奴国王印」の展示に似ています。
去年より評価とか価値や人気があがったのだろうかと思いました。いいことです。

さて、できればそのあと大島へ船で渡って、展望台からはるかに沖ノ島をのぞもうと思っていたのですが、時間的なこともあり、次回の訪問の楽しみにしようと思いました。
次回はそうそうサポートをいただかないで、バスを利用するつもりです^^

蛇足ながら、「宝○山」について、なんでもそんな名前の村が福岡県にあったそうです。
町村合併で今は消滅してしまったそうですが、JRの駅の名前としては残っているそうです。大宰府天満宮の宝○山さんもその土地に関係があるのかもしれません。

この旅行についての最後の書き込みですが、鳥栖駅で博多駅行きの切符を買おうと思っていたときです。突然50歳ちょっと前の女性が近づいてきて
「すいません、○○行きの切符を買っていただけないでしょうか。私は液晶の変化する画面をみていると、なにかおかしくなってしまうのです。460円なので、500円玉を渡しますので」
という申し出でした。
「ああ、いいですよ」
といって販売機に近づき、購入して、にこやかにつり銭とともに渡しました。

ぼくにとって、ちょっと驚くべきことでした。他人にはよく理解できない状況の方は、世の中にはいろいろいらっしゃるようです。
ほかにも人はいたのですが、ぼくのところに来たというのは、不愉快ではないです。それなりに善人にみえたのかもしれません。
閉所恐怖症のひとを知っています。飛行機や新幹線がダメなのです。車は平気なのですが、ぼくの感覚でいえば、車のほうがよほど閉所で恐怖だろうと思うのですが。

今回もとても楽しい旅行でした。いろんな方たちと会話をして、とても勉強になりました。また、出かけたいと思います。

それでは、また。
No.674 - 2014/08/30(Sat) 23:41:35
織幡神社から宗像大社へ / ふたくん
織幡神社を参拝して、横の方の裏参道から下へ降りて行きました。
先ほどあの大岩の写真を撮ったけれど、写真だけを見ても実際の大きさはわからないなあ、横に自分自身が写っていれば、その大きさが分かるんだけどなどと思いました。

そのときです。駐車場に一台の車が止まって、ひとりの青年が降りて、織幡神社の方へ歩いていきました。
「おおお、なんてラッキーなんだ。あのひとに撮影を頼もう」
と思い、軽くかけながら近づいていきました。

事情を話して撮影を依頼すると、いいですよということで、撮影をしてくださいました。
「はい、チーズ」
と声をかけてくれたのは、前回西南学院大学で写真を撮ってくれた女子大生に通じる、いい人格の方でした。ちょっと雑談をしました。

ぼくが、愛知からこの神社へやってきたと言ったら、
「うわあ、バイタリティがありますねえ」
と感心してくれました。
「いえいえ、愛知からは、飛行機に乗ってしまえば、一時間ですよ。そうたいしたことではありませんよ」
と答えました。LCC格安航空のジェットスターで来たということをはなしたら、おおよその代金が片道五千円程度だということも認識していました。

彼が自分のスマホのポータル画面をみせてくれました。それは宗像大社の大切な場所“高宮祭場”の写真でした。なにやらそのスマホは、それ自身がその人のお守りのようにみえました。

そういえば、スマホになにやら幸運を招いてくれそうなものを載せている方がいらっしゃいます。たとえば、龍神伝説の三重松尾観音寺の板に最近浮かんだ龍神様を載せている方がいらっしゃいます(ぼくは行ったことはありません)。その方は、名古屋の女子モデルで、このサイトの引退されたモデル津江輝美さんの親しい友人なのですが、その後地元テレビでよく見かけるようになりました。またFM愛○のレギュラー番組を持ったりと活躍しておられました。今でもその状態かどうかはわかりませんが。
http://blogs.yahoo.co.jp/sanaemac/32195197.html

撮影していただいたお礼を言って別れました。その青年は織幡神社の本殿へ、ぼくはJR東郷駅へ向かうバス亭へとそれぞれ向かいました。JR東郷駅で乗り換えて、宗像大社へ向かうのです。

10分ほど歩いてバス停へついたら、ひとりのおじさんがバスを待っていて、雑談などをしながら、待ちました。やがてそのひとが乗るバスがやってきて、ぼくだけがバス停にひとりです。あと20分ほどでしょうか。1時間に1本程度です。30分程度乗って東郷駅へ行って、そこからバスで2、30分で宗像大社へ行きます。その東郷駅でも1時間に1本ほどの発車です。かなり時間がかかります。

そのときでした。むこうから黒い車が一台やって来ました。そしてぼくのところで止まりました。
「乗っていきませんか」
と声をかけてくれました。そうです、さきほど写真を撮ってくださった方です。
感謝の気持ちいっぱいで、助手席にすわりました。
「私、ふたくん(仮名:本名をいう)といいます。お名前を教えてください」
と聞いたら
「○中といいます」
と答えてくださいました。
雑談をしながら20分ほどで、宗像大社へ送ってくださいました。

思えば、宗像大社へ来るのは2度目なのですが、2度とも車で送っていただきました。
前回は磯○さんという親切なご婦人に、今回は○中さんという親切な青年にです。
宗像大社は、交通関係に強い神社なのですが、なにやら交通の面でサポートをいただいたような気がします。けっして手を上げて車を止めるというヒッチハイク的な行為をしたわけではありませんけど。
磯○さんも○中さんも、神様の意図を受けて送ってくださったからには、その後きっといいご褒美があるに違いありません。
ぼくの感覚では、絵にかいたような好青年でした。

20分ほどで、宗像大社へ着きました。お礼を言って降りました。
二度目の宗像大社です。

それでは、また。
No.673 - 2014/08/12(Tue) 00:46:56
織幡神社の大きな岩、見学 / ふたくん
今回の旅行のメインかもしれません。2回目の宗像大社訪問です。
そしてその前に、織幡神社を訪問です。ここの神社の入り口そばには、あの大きな岩が飾ってあるのです。

「ちはやぶる 金の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ 志賀の皇神(すめらぎ)」万葉集第7巻1230

むかし、大陸方面から運ばれてきた大きな鐘が、鐘崎の海で沈んでしまいました。
鐘崎という名前が、鐘が沈んだという伝説からきているとしたら、7世紀後半から8世紀にできた万葉集以前のことになります。

そして過去に三組ばかり引き上げようと考えた方がいたようです。
2月1日付けのbU61の書き込みを見ていただきたいのですが、1473年室町時代に宗像大社の大宮司興氏、1604年江戸時代に黒田長政、NHKの大河ドラマでいうと松坂桃李くんです。そして1919年大正時代に実業家の山本菊次郎という方たちです。

しかし、その海に住むらしき竜神様が引き上げを望まず、大宮司の宗像興氏が荒れ狂う海のため引き上げをを断念すると、それではということで「翁のお面」が静まった海に浮かんできて、プレゼントしてもらったということです。
山本菊次郎の場合、苦労して引き揚げたと思ったら、それは鐘ではなくて大きな岩でした。
その大きな岩が、ここ織幡神社の入り口隣りに飾ってあるのです。
http://ameblo.jp/pigumonn-22/entry-11716839815.html

JR東郷の駅から、鐘崎の岬の付け根まで行くバスに乗って、その終点で降りました。
歩いて10分ほどで、織幡神社の最初の鳥居につきました。そこから長い登り階段を上がっていけば神社の建物にいきつきます。
ちょうどその時、鳥居のまえのあたりで、参拝を終えて降りてきた方に出会いました。
その方が
「これから、お参りですか?」
と声をかけてきました。
「はい、お参りしますけど、この地に展示してある、鐘と間違えて引き上げた大きな岩を見たいと思って来たんです」
と答えました。そのあと何かと長い会話になりました。その方は地域の歴史研究家で、九州の地名からそのいわれや歴史を語るという方でした。

長崎にすんでいるけれど、福岡に孫が生まれたということで、奥さんと一緒に孫に会いにやってきたそうで、奥さんは孫のところにいて、自分はこちらへやってきたということでした。
歴史の研究について、いくつか会があるそうです。たとえば「菊○流域古代史の会」「玄○灘流域地名研究会」「久○米地名研究会」「大○府地名研究会」等々です。
その方は自費出版で「高○郡の歴史」大○正之著という本を出しているそうで、1冊2000円でどうですかとすすめられました。まっ、いりませんけど。

いま出ている学説を、ひっくり返すんだと、強い意欲を持っておられました。
こういう地域の歴史研究家というのは、たいがい元日本史の教師といった方が多いのですが、しゃべりかたがどうも荒っぽい感じだったので、普段はどんな仕事をしておられるのか伺うと、建築関係だそうです。

そのあと、大きな岩を見学して写真を撮り、階段を上がって本殿で参拝しました。
そして、横の道を降りて下へ戻りました。

それでは、また。
No.672 - 2014/07/21(Mon) 23:27:45
吉野ヶ里遺跡へ / ふたくん
太宰府天満宮の帰りの参道で、梅が枝餅を今回も味わいました。
ガイドの市○さんが、
「出るところの左側にある“松○”さんは、奥に庭があってなかなかいいですよ」
というお勧めで、その店へ寄りました。
庭に出て、そこの椅子と机でいただきました。
前回は“みど○や”さんでした。まあ、味や大きさや値段にかわりはありません。

そのあと、西鉄電車で二日市駅へ戻り、歩いてJRに向かい、乗りかえて吉野ヶ里遺跡へ向かいました。
吉野ヶ里公園駅の横に案内センターがあります。な、な、なんと無料の貸し出し自転車がおいてありました。
昨年もあったのだろうかと思いました。管理人の方によると、
「まあ、歩いても10分少々ですけどね。自転車だと楽ですよ」
と言われましたが、
「いえいえ、20分以上かかりますよ」
と言ったら、笑っておられました。どうやら、時間の感覚というのは狂いがちで、昨年東郷駅から宗像大社へ行くのに、歩いて20分ほどといわれたのですが、実際くるまでそのぐらいでした。
そのセンターには、解説ビデオなどもあり、吉野ヶ里遺跡がザッとわかります。
管理人の方がいうには、
「雨でも降って、公園まで行くのが面倒な時は、ここでビデオなんかを見て、行ったつもりで帰ってしまう人もいますよ。ガハハハ」
などと陽気に笑いました。

自転車を一台借りて公園へ向かいました。久しぶりの自転車でした。そりゃもう歩いていくよりずっと楽で、時間も省略できました。

この公園は、とてもきれいに管理されています。ゴミらしきものはまったくありません。
弥生時代風の衣装を着たスタッフの方が、こんにちはと声をかけてくれたりもします。
スタッフの方たちのようすに、この公園を大事に守って育てていきたいんだという想いがあるように感じました。

思えば、佐賀県にはぼくが行ってみたい観光地がとくにないのです。ひとつだけあの豊臣秀吉がらみの名護屋城跡へ行ってみたいと思うぐらいです。
ほとんど何にも無かったところに、いきなり10万程度の街ができあがったというのを見てみたいとは思うのです。

そんな佐賀県に、1986年(昭和61年)から発掘作業がはじまって、2001年に開園したらしい吉野ヶ里公園は、県の中でももっとも大きい観光地かもしれません。県民が大事にしたいという気持ちがわかります。

それほど混んでいなくて、小学校の遠足の子どもたちがたくさんいました。
まあ、混んでいないと書きましたが、それだけ公園が広いということかもしれません。

地元のひとがいて、打ち明け話をしていました。
「自分のしりあいで、掘り出した鏡を文鎮として使っていたら、親戚のおじさんに、おまえはこれを使ってはいけない、といわれて、持って行かれてしまった」
「べつのしりあいは、刀剣をもっているよ」
いずれも、すごいはなしです。ただ、まだ発掘調査がはじまるまえの時期に、自分の土地からでてきたもので、違法なこととはいえないそうです。
世の中には、ひそかにいろんな宝物が個人宅に埋もれているのかもしれません。

どなたか、先祖代々ひそかに「邪馬台国の金印」を持ってる方は、ぜひ発表してください。

さて、博多駅へ向かって18時をすぎたあたりに着きました。
地下から上がって、その壁のあたりで休んでいました。通勤帰りのたくさんの人たちが歩いています。博多の人たちから発せられる“気”らしきものを味わっていると、なんとなく元気になるようなこころもちになります。

その時でした。駅の阪急ビルの前の片側2車線だか3車線だかの太い道を、老婆が赤信号にもかかわらず、向こう側からやってくるのです。左右を見て車をチェックすることもなく、スタスタと車の走行車線へ入ってくるのです。
思わず「うわっ!」と声を出しました。信号待ちをしていた人たちも動揺しているようでした。そのお婆さんは、道を渡りきるのではなくて、車が走る道を平然とその方向へ歩いています。

すると、「危ない〜〜!」という声が聞こえてきました。30代ぐらいの女性が手を上げて車を止めつつ、車の走行車線へ出てきました。そしてお婆さんをなんとか歩道へ導いたようでした。お婆さんはそこで止まったようではなくて、多くの人たちに包まれたまま歩道を左方向へ歩いていって、人ごみもそれにともなって動いていきました。

車の運転手だって人を轢きたくはないのですが、ともかく無事でよかったです。
手を上げて車を止めて、歩道へ導いたお姉さんには、だい拍手です。博多にも善意の方が沢山いらっしゃるようです。

えっ、おまえは何もしなかったのかって!?
はい、残念ながら、ずいぶんと離れたところにいたもので・・・
え〜っと、JRの窓際に捨ててあった空のペットボトル2本と空の缶コーヒー缶を拾って、ホームの捨て場に処理しておきました。
これが行ったささやかないいことかもしれません。

それでは、また。
No.671 - 2014/07/18(Fri) 01:03:41
三回目の大宰府天満宮 / ふたくん
福岡へ来たら訪れる約束なのが(誰と!?)、太宰府天満宮です。

今までは、天神の駅から西鉄電車で大宰府へ向かうのですが、26年4月1日より博多駅からバスが走るようになったということで、前日の夜にホテルの運転手さんから、バスを勧められていたのです。

このホテルは夜になると、博多駅からこのホテルへ小さなバスで何度も往復して、お客さんを運ぶのです。
夜の遅い時間になって、バスの運行が終わり、運転手さんが一階のレストランのあたりでくつろいでいました。レストランは終わっていましたが、コミック誌がおいてあり、自由にご覧下さいという状況です。
「島耕作シリーズ」の第何巻に「中国の魔は真っすぐにしか進めない」と書いてあったかを調べようと思ってチェックしていました(ああ、沖縄旅行での、自分への宿題です)。
そんな話しをすると、この○嶋さんという運転手さんは、あやしい系のはなしは得意のようでそのあとしばらく聞き役となりました。内容は書かないけれど面白くて長い時間になりました。

翌朝、博多の駅から四十分ちょっとで大宰府へつきました。
入り口の事務所で、事務担当の巫女さんに説明のボランティアの方をお願いしたら、今回はOKでした。申込書を書いたのですが、受付者として「宝○山」という名前が書いてありました。はじめて聞くような苗字で、なんらかのいわれでもあるのだろうかと思いました。宝が珠のごとく山となるなんてのは、何か訳のある名前かもしれません。

例えばこのあたりの大きな神社に古くから続いている社家のおうちで、女性ばかりの姉妹のひとりで、大宰府天満宮の若い神職と恋愛をして、そのまま養子として「宝○山」家へ入ってもらおうなどと、親が考えているのかもと、ボランティアの方が見える間、想像しました。まあわかりませんが。
その巫女さんは、福岡のアイドルグループHKT48に入いってもいいぐらいのかわいい子なのです。東京のAKB48から移籍した、指○さんよりずっと上です。
(注)容姿等に関する感想は、見る人によって大きくことなる場合があります^^;

案内のボランティアの方が見えて、一緒に境内へ入っていきました。
事務の巫女さんから、もうひとり一緒にということで、○根さんという方とぼくの二人が説明を受けるということになりました。ぼくは前に一度案内を受けているということを話したら、さらに深い解説をいろいろして下さいました。

「私は前の宮司の“西○辻信○さん”が中興の祖だと思っていますよ。九州国立博物館を国が建てるときに、39代宮司の信○さんは、大宰府天満宮の土地を寄付することを決断されたんです。そのおかげで、土地の選定や購入の手間がはぶかれ、今の場所に決まって、太宰府天満宮にとっても大きなプラスになっているのです」

ふ〜む、そんな話しがあったんだ。

どういう流れだったか覚えていないのですが、出雲大社へ行くことを強く勧められました。ぼく自身そんなに神社好きで信仰深いというつもりはないのですが、いつか行ってみようと思いました。

話しの脈絡なしで、突然
「白村江の戦を知っていますか?」
と聞かれました。
「はい、知ってはいます」
と答えました。7世紀、唐と新羅の連合軍に百済と倭の連合軍が、朝鮮半島で戦ったいくさです。後者が破れ、百済が滅びて倭の国へたくさん亡命したようです。

おそらく、ぼくが歴史好きでおしゃべり好きだと思ったのか、暇なときに名古屋の名所で案内のボランティアをやるといいですよと勧めてくれました。人間関係が一気に広がって旅行なども一緒に行ったりしますよとのことでした。
ふむ、普段はパソコン相手に仕事をするぼくには、いいかもしれません。

ガイドさんから質問がありました。
「あなたの愛知県の熱田神宮に、草薙の剣がありますが、機会があれば見たいですねえ。一般公開することはないのですか」
ということだったので、では公開のときにはお知らせしますよと答えておきました。

あとで調べたら、とんでもない話で、“三種の神器”は見た人はいなくて、天皇も見ていないなどと書いてありました。おそれおおいことです。

大変感謝して、あつくお礼を言いました。○根さんにお願いし、ガイドさんと一緒に一枚写真を撮ってもらいました。
ガイドさんの名前を伺ったら、名刺を下さいました。
「大宰府天満宮ガイドサービスの会 境内解説員 市○舜○」となっていました。
ありがとうございました。

それでは、また。 
No.670 - 2014/07/11(Fri) 01:21:56
ぼくにとってはおなじみの、福岡市博物館 / ふたくん
今回の旅でも2回ほど福岡市博物館を訪問しました。
2013年の4月に訪れて、賢い3歳児の子と母親がいて、学芸員らしき方がチェックしてみますといっておられたので、2013年11月に訪問したら、その学芸員らしき方はお休みで不在でした。
それで、今回2014年5月の福岡訪問で「やはり、わかりませんでした」という回答をもらおうと思ってやって来たわけです。

何回見ても感動する「漢委奴国王」の金印と、あのよく切れる国宝の刀「へし切り長谷部」を見ようと思ったのですが、どうやらどこかへ貸し出しをしているようです。
まあしょうがないですね。あの台北の故宮博物院から「翠玉白菜」や「肉形石」を借り出すようなものです。
そのせいか、入場料は無代サービスでした。

旅先で出会う方は、一期一会なのですが、この福岡市博物館の体験学習室の方とは昨年の11月以来の再会という方もいました。昨年の4月に会ってお話しを伺った方は、2、3か月前に退職されたということで、とても残念でした。
11月に話しをしてくださった瀧○さんは、体験学習室で見かけなかったのですが、戸○さんという方が、「いま読書室にいますよ」と教えてくださいました。

ただ、名古屋市にある名○百貨店に勤めている女性が言ってたのですが、
「暇なおっさんが、散歩の途中でよく店にやってくる。そして、やたらに話しかけられる。まあ、お客商売なので、相手をしていますよ」
と言う言葉を、友人をひとりはさんで、また聞きをしました。
いやいや、ひとごとではありません。ぼく自身お仕事のじゃまをしないようにしなければ。
「行くと喜んでくれると思いますよ」
という戸○さんの一言で、読書室へ行きました。

読書室の扉に書いてあった利用の説明を読んでいると、中から瀧○さんが声をかけてくれて、中へ入れて下さいました。おそらく内線で戸○さんが連絡されたのだろうと思います。
瀧○さんによると、2、3か月前に福岡市博物館を退かれた方とは、会うこともあるので、機会があったらその親子のことを聞いてみましょうと言ってくださいました。

さてそのあとは、館内の展示物を見ました。
大河ドラマで黒田官兵衛をとりあげていることもあって、黒田家がらみの物件も多く、来客者も多数です。
こちらには、一般展示していないものの、緒方洞谷(どうこく)が描いた大きな「黒田二十四騎画帖」など、いいものがたくさんありそうです。
ネットで情報をしいれて、また伺いたいと思います。
そういえば、福岡市博物館のホームページは以前より少しずつ面白くなっています。また福岡市の観光PRの黒田武将隊の出張イベントが、名古屋でとても多かったようです。
PRの「ふくおか官兵衛Girls」の3人は暮の紅白歌合戦に、イベントとして出て欲しいです。

親切で聡明できれいな館内の方たちに感謝しつつ、博物館を出ました。
(注)容姿に関する感想は、見る方によって、ことなります^^;

そのあと、福岡の街をうろうろと歩きました。
「葛{○弓矢製作所」なんて会社があって、驚きました。弓矢を作って、黒田藩へ納めているのかと思ったのですが、時代が違います。全国で「弓道」をやってる方がいますので、やっていけるのでしょう。
「キャナルシティ」というショッピングモールも訪れました。タクシー運転手さんが以前勧めてくれたのですが、いい施設です。「運河の街」という意味になるようで、そんな雰囲気でした。ここを出て川を渡ると、中洲です。中洲の端っこの公園では、夕方の時間に十代のひとたちがスケートボードを楽しんでいました。

それでは、また。
No.669 - 2014/07/02(Wed) 23:52:44
その2 大濠公園のスズメくん / ふたくん
2014年、5月下旬にまたまた行きましたよ福岡。
ジェットスターのおかげで、すっかり身近な街になりましたよ福岡は。
セールで激安、前回よりも安い運賃でした。
これからもがんばってちょ、ジェットスター。

さて、2013年6月16日付けで、大濠公園のスズメくんとかるく会話らしきものをして、仲良くなり、座っているベンチにあがって背もたれのうえにもやってきて、そのあとどこかへ行って仲間をよんで戻ってきたという、そういう書き込みをしました。

あのスズメくんは元気に暮らしているのだろうかなどと思いながら、大濠公園へやってきました。去年の11月に2度目の大濠公園訪問の時は、エサとなるようなものを持っていなかったので、あのスズメくんと出会った、池の真ん中を横切る道へは行かなかったのです。
しかし今回はハンバーガーを持ってきたので、この3度目の大濠公園訪問でまた池の真ん中を横切る道へ行きました。

池の中央を少しすぎたあたりにあるベンチに座りました。一年ぶりにやってきてまた会えるとは、さすがに思っていません。
ところがしばらく休んでいると、わ、わ、わ、一羽のスズメくんがやってきて、地面に降りずにいきなりぼくが座っているベンチに降りました。ぼく自身ベンチの真ん中に座っているので、本当に近い距離です。そのあと背もたれの上の部分に乗ってきました。
ぼく自身、服装はグレーの帽子をかぶり、見た目で前回とほぼ同じような格好です。

そうだ、パンをリュックサックから取り出して提供しようと思ったのですが、その時そのスズメくんは、パタパタとどこかへ飛んでいってしまいました。
今度はしばらく待っても、戻ってはきませんでした。

いま振り返っても、そのスズメくんがあの時のスズメくんなんだろうかと疑問には思うのですが、ただいきなり人に近い場所に降りるというのは、なんらかの経験があったからに違い有りません。

またいつか福岡へ行ったときは、この場所へ行ってみようと思います。

それでは、また。
No.668 - 2014/05/30(Fri) 22:13:13
サッカー、ワールドカップが近づいたよ / ふたくん
今年(2014年)は、5月5日が立夏でした。
寒い寒いと思った冬が終わって、あまり春をあじわえた感じもなくて、立夏なんですねえ。
「夏に至る」で、暦の上では夏なんです。

そういえば、いよいよサッカーのワールドカップが近づいてきました。今日は土曜日ですが、明後日の月曜日(5月12日)に日本代表メンバーが発表されます。
サプライズ選出もあるということで、楽しみです。

大胆に、今年の高校サッカーで優勝した富山第一高校の、大塚翔キャプテンや得点王の渡辺仁史朗君なんかをどさくさにまぎれて選んで連れて行ったら・・・・無いか。

今さらですが、今年の高校サッカーに少し触れておきたいと思います。
今まで富山県の高校は人気球技つまり野球でもサッカーでも、優勝したことはまったくなかったのです。それが今度は初優勝です。そりゃもう富山出身のぼくは大変うれしいです。
内容がすばらしかった。残り時間があと3分で2点負けている、ふつう勝つのは無理です。それが追いついて、延長戦で逆転して優勝です。
今後はもう優勝は無いだろうと思いながらも、富山第一高校は総合力が高くなっているので、次回も上位進出を期待できるなんて思っています。

ただ他の富山県のチームも軽くは見れません。富山県大会の決勝戦では富山東高校と0対0の延長戦で、2対1で富山第一高校が勝って、全国大会へ進出したのです。
他のチームが出ても、それなりに活躍してくれるでしょう。

近い将来、野球でもぜひ優勝して欲しいです。

最初のワールドカップの話しに戻ります。前回はスペインが優勝すると言って、当てたのですが、今回は地元のブラジルと予想します。
日本には、予選リーグを突破して(その時点でベスト16)、決勝トーナメントで一つ勝って、なんとかベスト8に進出して欲しいと思います。

日本から見て、地球の裏側のブラジル開催ですから、ナマ放送ではあまり見れないと思うのですが、楽しく過ごしたいと思います。

それでは、また。
No.667 - 2014/05/10(Sat) 12:39:52
いざ、福岡城へ / ふたくん
福岡城は地図で見ると、大濠公園の隣にあります。

地下鉄大濠公園駅で下車して、大濠公園へ行きました。
公園の大きな池のまわりを歩いていけば、そのうちに池と反対の方向に福岡城址が見えてくるだろうと思ったのです。

池の周りの道は、福岡市民のいい散歩道です。池には水鳥がゆったりと浮かんでいます。
ふと見ると、ひとりの少年が、そうですね小学4年生ぐらいでしょうか、その子が池に向かって石を投げているのです。
わわ、いかん!鳥を狙っているわけではないのだろうけど、鳥にはえらい迷惑なことだよ。うっかり当たれば致命傷にだってなりかねない。

そんなわけで、その少年のところへ近づいていきました。
「あのね君、池に石を投げ込むのはよそうよ。鳥に石があたったら、鳥は困るだろうしさ。鳥と仲良くしようよ」
そういうと、そのヤンチャそうな少年は意外にも
「はい」
という一言で、すぐに石投げをやめてくれました。わりと素直なやつじゃんと思いましたさっ。

春に会ったすずめの集団のことを思い出しました。仲良くなったすずめは元気なんだろうかと思ったのですが、エサを持っていない手ブラでは再会に行けないと思いました。
「北島さんを手ぶらでは帰せないだろう」
と言って、銅メダルをとったオリンピック水泳のメドレーリレーチームを思い出しました。関係ないけど。
すずめたちは、鳥インフルエンザなどにかからないで、元気でいて欲しいと思います。

大きな池の周りを歩いているのですが、福岡城址にはたどりつけません。このまま歩いてたどりつけるのだろうかと思いました。

ふと見ると、犬を連れて散歩している女性がいました。
「すいません、福岡城址へ行きたいのですが、まだ遠いでしょうか?」
と、聞いてみました。
「う〜ん、この方向より戻った方が近いですね」
と教えてくれました。
そうなんだ、遠回りになるんだと思ったら、なんと、彼女の散歩相手のワンちゃんが、ぼくの右足の腿のあたりに両前足をのせて、立ち上がり起立の状態になっていました。
思わず視線があって、にっこりしてしまいました。その女性は、これは失礼なことをしたと思ったようで、ワンちゃんのロープをクイッと引いたら、すぐに前足を下ろしてしまいました。

両前足をひとの腿に上げるというのは、好感があるからに違いないと勝手に満足しました。
雑誌「いぬの気持ち」を読んでみようっと。

さて、いわれたとおりに歩いていくと、なるほど福岡城址の近くへとたどりつきました。
そのあたりに、平和台の陸上競技場と鴻臚館跡(こうろかんあと)がありました。

そこは昔、平和台球場があった場所です。福岡の球団の前身ということで、え〜っと、ソフトバンクの前身の南海ホークス・・・、いやいや、南海電車は、大阪近辺です。

そ〜です、西武ライオンズの前身、西鉄ライオンズが本拠地にしていた球場です。
一年に42勝もあげた「神様、仏様、稲尾様」と頼られた稲尾投手がいた球団です。
この場所に球場があったら、中心街から来やすいだろうと思います。ソフトバンクのスタジアムには行ったことが無いので、そちらの状況はわかりませんが。

福岡鴻臚館は、こういう場所にあったんだ。鴻臚館は、海外からやって来た使節を迎える、今でいうところの迎賓館にあたる施設です。
大阪難波、京都平安京、そして福岡と全国三箇所にあったそうですが、場所がはっきりしているのは、福岡だけだそうです。

前回福岡にやってきた時、大宰府政庁跡の大宰府資料館のおじさんが
「あなたの愛知県は歴史上、戦国時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と日本の中心のような場所だったけど、もっとさかのぼると福岡県は、大陸や朝鮮半島と活発に行き来があって、いろんな歴史があるんです」
と自慢していた意味が、少しわかる気がする。

福岡城址へついて、中心部へ登ってゆきます。
向こうに立派な石垣が見えます。ああ、あの石垣は昔、元の攻撃を防ぐために作った防塁に使われた石がたくさん含まれているんだ。

さて、敷地内をあちこち歩いているうちに時間が過ぎてゆきました。
なにやら外から攻撃しても、落としにくい城だなあと思いました。なぜ?と聞かれても、うまく説明できないのですが。

ようやく、福岡旅行その2が終わりました。まだ見たりない部分があって、2014年5月下旬にその3を実行しようと思います。

それでは、また。
No.666 - 2014/04/15(Tue) 23:47:42
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