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吉野ヶ里遺跡へ / ふたくん
太宰府天満宮の帰りの参道で、梅が枝餅を今回も味わいました。
ガイドの市○さんが、
「出るところの左側にある“松○”さんは、奥に庭があってなかなかいいですよ」
というお勧めで、その店へ寄りました。
庭に出て、そこの椅子と机でいただきました。
前回は“みど○や”さんでした。まあ、味や大きさや値段にかわりはありません。

そのあと、西鉄電車で二日市駅へ戻り、歩いてJRに向かい、乗りかえて吉野ヶ里遺跡へ向かいました。
吉野ヶ里公園駅の横に案内センターがあります。な、な、なんと無料の貸し出し自転車がおいてありました。
昨年もあったのだろうかと思いました。管理人の方によると、
「まあ、歩いても10分少々ですけどね。自転車だと楽ですよ」
と言われましたが、
「いえいえ、20分以上かかりますよ」
と言ったら、笑っておられました。どうやら、時間の感覚というのは狂いがちで、昨年東郷駅から宗像大社へ行くのに、歩いて20分ほどといわれたのですが、実際くるまでそのぐらいでした。
そのセンターには、解説ビデオなどもあり、吉野ヶ里遺跡がザッとわかります。
管理人の方がいうには、
「雨でも降って、公園まで行くのが面倒な時は、ここでビデオなんかを見て、行ったつもりで帰ってしまう人もいますよ。ガハハハ」
などと陽気に笑いました。

自転車を一台借りて公園へ向かいました。久しぶりの自転車でした。そりゃもう歩いていくよりずっと楽で、時間も省略できました。

この公園は、とてもきれいに管理されています。ゴミらしきものはまったくありません。
弥生時代風の衣装を着たスタッフの方が、こんにちはと声をかけてくれたりもします。
スタッフの方たちのようすに、この公園を大事に守って育てていきたいんだという想いがあるように感じました。

思えば、佐賀県にはぼくが行ってみたい観光地がとくにないのです。ひとつだけあの豊臣秀吉がらみの名護屋城跡へ行ってみたいと思うぐらいです。
ほとんど何にも無かったところに、いきなり10万程度の街ができあがったというのを見てみたいとは思うのです。

そんな佐賀県に、1986年(昭和61年)から発掘作業がはじまって、2001年に開園したらしい吉野ヶ里公園は、県の中でももっとも大きい観光地かもしれません。県民が大事にしたいという気持ちがわかります。

それほど混んでいなくて、小学校の遠足の子どもたちがたくさんいました。
まあ、混んでいないと書きましたが、それだけ公園が広いということかもしれません。

地元のひとがいて、打ち明け話をしていました。
「自分のしりあいで、掘り出した鏡を文鎮として使っていたら、親戚のおじさんに、おまえはこれを使ってはいけない、といわれて、持って行かれてしまった」
「べつのしりあいは、刀剣をもっているよ」
いずれも、すごいはなしです。ただ、まだ発掘調査がはじまるまえの時期に、自分の土地からでてきたもので、違法なこととはいえないそうです。
世の中には、ひそかにいろんな宝物が個人宅に埋もれているのかもしれません。

どなたか、先祖代々ひそかに「邪馬台国の金印」を持ってる方は、ぜひ発表してください。

さて、博多駅へ向かって18時をすぎたあたりに着きました。
地下から上がって、その壁のあたりで休んでいました。通勤帰りのたくさんの人たちが歩いています。博多の人たちから発せられる“気”らしきものを味わっていると、なんとなく元気になるようなこころもちになります。

その時でした。駅の阪急ビルの前の片側2車線だか3車線だかの太い道を、老婆が赤信号にもかかわらず、向こう側からやってくるのです。左右を見て車をチェックすることもなく、スタスタと車の走行車線へ入ってくるのです。
思わず「うわっ!」と声を出しました。信号待ちをしていた人たちも動揺しているようでした。そのお婆さんは、道を渡りきるのではなくて、車が走る道を平然とその方向へ歩いています。

すると、「危ない〜〜!」という声が聞こえてきました。30代ぐらいの女性が手を上げて車を止めつつ、車の走行車線へ出てきました。そしてお婆さんをなんとか歩道へ導いたようでした。お婆さんはそこで止まったようではなくて、多くの人たちに包まれたまま歩道を左方向へ歩いていって、人ごみもそれにともなって動いていきました。

車の運転手だって人を轢きたくはないのですが、ともかく無事でよかったです。
手を上げて車を止めて、歩道へ導いたお姉さんには、だい拍手です。博多にも善意の方が沢山いらっしゃるようです。

えっ、おまえは何もしなかったのかって!?
はい、残念ながら、ずいぶんと離れたところにいたもので・・・
え〜っと、JRの窓際に捨ててあった空のペットボトル2本と空の缶コーヒー缶を拾って、ホームの捨て場に処理しておきました。
これが行ったささやかないいことかもしれません。

それでは、また。
No.671 - 2014/07/18(Fri) 01:03:41
三回目の大宰府天満宮 / ふたくん
福岡へ来たら訪れる約束なのが(誰と!?)、太宰府天満宮です。

今までは、天神の駅から西鉄電車で大宰府へ向かうのですが、26年4月1日より博多駅からバスが走るようになったということで、前日の夜にホテルの運転手さんから、バスを勧められていたのです。

このホテルは夜になると、博多駅からこのホテルへ小さなバスで何度も往復して、お客さんを運ぶのです。
夜の遅い時間になって、バスの運行が終わり、運転手さんが一階のレストランのあたりでくつろいでいました。レストランは終わっていましたが、コミック誌がおいてあり、自由にご覧下さいという状況です。
「島耕作シリーズ」の第何巻に「中国の魔は真っすぐにしか進めない」と書いてあったかを調べようと思ってチェックしていました(ああ、沖縄旅行での、自分への宿題です)。
そんな話しをすると、この○嶋さんという運転手さんは、あやしい系のはなしは得意のようでそのあとしばらく聞き役となりました。内容は書かないけれど面白くて長い時間になりました。

翌朝、博多の駅から四十分ちょっとで大宰府へつきました。
入り口の事務所で、事務担当の巫女さんに説明のボランティアの方をお願いしたら、今回はOKでした。申込書を書いたのですが、受付者として「宝○山」という名前が書いてありました。はじめて聞くような苗字で、なんらかのいわれでもあるのだろうかと思いました。宝が珠のごとく山となるなんてのは、何か訳のある名前かもしれません。

例えばこのあたりの大きな神社に古くから続いている社家のおうちで、女性ばかりの姉妹のひとりで、大宰府天満宮の若い神職と恋愛をして、そのまま養子として「宝○山」家へ入ってもらおうなどと、親が考えているのかもと、ボランティアの方が見える間、想像しました。まあわかりませんが。
その巫女さんは、福岡のアイドルグループHKT48に入いってもいいぐらいのかわいい子なのです。東京のAKB48から移籍した、指○さんよりずっと上です。
(注)容姿等に関する感想は、見る人によって大きくことなる場合があります^^;

案内のボランティアの方が見えて、一緒に境内へ入っていきました。
事務の巫女さんから、もうひとり一緒にということで、○根さんという方とぼくの二人が説明を受けるということになりました。ぼくは前に一度案内を受けているということを話したら、さらに深い解説をいろいろして下さいました。

「私は前の宮司の“西○辻信○さん”が中興の祖だと思っていますよ。九州国立博物館を国が建てるときに、39代宮司の信○さんは、大宰府天満宮の土地を寄付することを決断されたんです。そのおかげで、土地の選定や購入の手間がはぶかれ、今の場所に決まって、太宰府天満宮にとっても大きなプラスになっているのです」

ふ〜む、そんな話しがあったんだ。

どういう流れだったか覚えていないのですが、出雲大社へ行くことを強く勧められました。ぼく自身そんなに神社好きで信仰深いというつもりはないのですが、いつか行ってみようと思いました。

話しの脈絡なしで、突然
「白村江の戦を知っていますか?」
と聞かれました。
「はい、知ってはいます」
と答えました。7世紀、唐と新羅の連合軍に百済と倭の連合軍が、朝鮮半島で戦ったいくさです。後者が破れ、百済が滅びて倭の国へたくさん亡命したようです。

おそらく、ぼくが歴史好きでおしゃべり好きだと思ったのか、暇なときに名古屋の名所で案内のボランティアをやるといいですよと勧めてくれました。人間関係が一気に広がって旅行なども一緒に行ったりしますよとのことでした。
ふむ、普段はパソコン相手に仕事をするぼくには、いいかもしれません。

ガイドさんから質問がありました。
「あなたの愛知県の熱田神宮に、草薙の剣がありますが、機会があれば見たいですねえ。一般公開することはないのですか」
ということだったので、では公開のときにはお知らせしますよと答えておきました。

あとで調べたら、とんでもない話で、“三種の神器”は見た人はいなくて、天皇も見ていないなどと書いてありました。おそれおおいことです。

大変感謝して、あつくお礼を言いました。○根さんにお願いし、ガイドさんと一緒に一枚写真を撮ってもらいました。
ガイドさんの名前を伺ったら、名刺を下さいました。
「大宰府天満宮ガイドサービスの会 境内解説員 市○舜○」となっていました。
ありがとうございました。

それでは、また。 
No.670 - 2014/07/11(Fri) 01:21:56
ぼくにとってはおなじみの、福岡市博物館 / ふたくん
今回の旅でも2回ほど福岡市博物館を訪問しました。
2013年の4月に訪れて、賢い3歳児の子と母親がいて、学芸員らしき方がチェックしてみますといっておられたので、2013年11月に訪問したら、その学芸員らしき方はお休みで不在でした。
それで、今回2014年5月の福岡訪問で「やはり、わかりませんでした」という回答をもらおうと思ってやって来たわけです。

何回見ても感動する「漢委奴国王」の金印と、あのよく切れる国宝の刀「へし切り長谷部」を見ようと思ったのですが、どうやらどこかへ貸し出しをしているようです。
まあしょうがないですね。あの台北の故宮博物院から「翠玉白菜」や「肉形石」を借り出すようなものです。
そのせいか、入場料は無代サービスでした。

旅先で出会う方は、一期一会なのですが、この福岡市博物館の体験学習室の方とは昨年の11月以来の再会という方もいました。昨年の4月に会ってお話しを伺った方は、2、3か月前に退職されたということで、とても残念でした。
11月に話しをしてくださった瀧○さんは、体験学習室で見かけなかったのですが、戸○さんという方が、「いま読書室にいますよ」と教えてくださいました。

ただ、名古屋市にある名○百貨店に勤めている女性が言ってたのですが、
「暇なおっさんが、散歩の途中でよく店にやってくる。そして、やたらに話しかけられる。まあ、お客商売なので、相手をしていますよ」
と言う言葉を、友人をひとりはさんで、また聞きをしました。
いやいや、ひとごとではありません。ぼく自身お仕事のじゃまをしないようにしなければ。
「行くと喜んでくれると思いますよ」
という戸○さんの一言で、読書室へ行きました。

読書室の扉に書いてあった利用の説明を読んでいると、中から瀧○さんが声をかけてくれて、中へ入れて下さいました。おそらく内線で戸○さんが連絡されたのだろうと思います。
瀧○さんによると、2、3か月前に福岡市博物館を退かれた方とは、会うこともあるので、機会があったらその親子のことを聞いてみましょうと言ってくださいました。

さてそのあとは、館内の展示物を見ました。
大河ドラマで黒田官兵衛をとりあげていることもあって、黒田家がらみの物件も多く、来客者も多数です。
こちらには、一般展示していないものの、緒方洞谷(どうこく)が描いた大きな「黒田二十四騎画帖」など、いいものがたくさんありそうです。
ネットで情報をしいれて、また伺いたいと思います。
そういえば、福岡市博物館のホームページは以前より少しずつ面白くなっています。また福岡市の観光PRの黒田武将隊の出張イベントが、名古屋でとても多かったようです。
PRの「ふくおか官兵衛Girls」の3人は暮の紅白歌合戦に、イベントとして出て欲しいです。

親切で聡明できれいな館内の方たちに感謝しつつ、博物館を出ました。
(注)容姿に関する感想は、見る方によって、ことなります^^;

そのあと、福岡の街をうろうろと歩きました。
「?葛{○弓矢製作所」なんて会社があって、驚きました。弓矢を作って、黒田藩へ納めているのかと思ったのですが、時代が違います。全国で「弓道」をやってる方がいますので、やっていけるのでしょう。
「キャナルシティ」というショッピングモールも訪れました。タクシー運転手さんが以前勧めてくれたのですが、いい施設です。「運河の街」という意味になるようで、そんな雰囲気でした。ここを出て川を渡ると、中洲です。中洲の端っこの公園では、夕方の時間に十代のひとたちがスケートボードを楽しんでいました。

それでは、また。
No.669 - 2014/07/02(Wed) 23:52:44
その2 大濠公園のスズメくん / ふたくん
2014年、5月下旬にまたまた行きましたよ福岡。
ジェットスターのおかげで、すっかり身近な街になりましたよ福岡は。
セールで激安、前回よりも安い運賃でした。
これからもがんばってちょ、ジェットスター。

さて、2013年6月16日付けで、大濠公園のスズメくんとかるく会話らしきものをして、仲良くなり、座っているベンチにあがって背もたれのうえにもやってきて、そのあとどこかへ行って仲間をよんで戻ってきたという、そういう書き込みをしました。

あのスズメくんは元気に暮らしているのだろうかなどと思いながら、大濠公園へやってきました。去年の11月に2度目の大濠公園訪問の時は、エサとなるようなものを持っていなかったので、あのスズメくんと出会った、池の真ん中を横切る道へは行かなかったのです。
しかし今回はハンバーガーを持ってきたので、この3度目の大濠公園訪問でまた池の真ん中を横切る道へ行きました。

池の中央を少しすぎたあたりにあるベンチに座りました。一年ぶりにやってきてまた会えるとは、さすがに思っていません。
ところがしばらく休んでいると、わ、わ、わ、一羽のスズメくんがやってきて、地面に降りずにいきなりぼくが座っているベンチに降りました。ぼく自身ベンチの真ん中に座っているので、本当に近い距離です。そのあと背もたれの上の部分に乗ってきました。
ぼく自身、服装はグレーの帽子をかぶり、見た目で前回とほぼ同じような格好です。

そうだ、パンをリュックサックから取り出して提供しようと思ったのですが、その時そのスズメくんは、パタパタとどこかへ飛んでいってしまいました。
今度はしばらく待っても、戻ってはきませんでした。

いま振り返っても、そのスズメくんがあの時のスズメくんなんだろうかと疑問には思うのですが、ただいきなり人に近い場所に降りるというのは、なんらかの経験があったからに違い有りません。

またいつか福岡へ行ったときは、この場所へ行ってみようと思います。

それでは、また。
No.668 - 2014/05/30(Fri) 22:13:13
サッカー、ワールドカップが近づいたよ / ふたくん
今年(2014年)は、5月5日が立夏でした。
寒い寒いと思った冬が終わって、あまり春をあじわえた感じもなくて、立夏なんですねえ。
「夏に至る」で、暦の上では夏なんです。

そういえば、いよいよサッカーのワールドカップが近づいてきました。今日は土曜日ですが、明後日の月曜日(5月12日)に日本代表メンバーが発表されます。
サプライズ選出もあるということで、楽しみです。

大胆に、今年の高校サッカーで優勝した富山第一高校の、大塚翔キャプテンや得点王の渡辺仁史朗君なんかをどさくさにまぎれて選んで連れて行ったら・・・・無いか。

今さらですが、今年の高校サッカーに少し触れておきたいと思います。
今まで富山県の高校は人気球技つまり野球でもサッカーでも、優勝したことはまったくなかったのです。それが今度は初優勝です。そりゃもう富山出身のぼくは大変うれしいです。
内容がすばらしかった。残り時間があと3分で2点負けている、ふつう勝つのは無理です。それが追いついて、延長戦で逆転して優勝です。
今後はもう優勝は無いだろうと思いながらも、富山第一高校は総合力が高くなっているので、次回も上位進出を期待できるなんて思っています。

ただ他の富山県のチームも軽くは見れません。富山県大会の決勝戦では富山東高校と0対0の延長戦で、2対1で富山第一高校が勝って、全国大会へ進出したのです。
他のチームが出ても、それなりに活躍してくれるでしょう。

近い将来、野球でもぜひ優勝して欲しいです。

最初のワールドカップの話しに戻ります。前回はスペインが優勝すると言って、当てたのですが、今回は地元のブラジルと予想します。
日本には、予選リーグを突破して(その時点でベスト16)、決勝トーナメントで一つ勝って、なんとかベスト8に進出して欲しいと思います。

日本から見て、地球の裏側のブラジル開催ですから、ナマ放送ではあまり見れないと思うのですが、楽しく過ごしたいと思います。

それでは、また。
No.667 - 2014/05/10(Sat) 12:39:52
いざ、福岡城へ / ふたくん
福岡城は地図で見ると、大濠公園の隣にあります。

地下鉄大濠公園駅で下車して、大濠公園へ行きました。
公園の大きな池のまわりを歩いていけば、そのうちに池と反対の方向に福岡城址が見えてくるだろうと思ったのです。

池の周りの道は、福岡市民のいい散歩道です。池には水鳥がゆったりと浮かんでいます。
ふと見ると、ひとりの少年が、そうですね小学4年生ぐらいでしょうか、その子が池に向かって石を投げているのです。
わわ、いかん!鳥を狙っているわけではないのだろうけど、鳥にはえらい迷惑なことだよ。うっかり当たれば致命傷にだってなりかねない。

そんなわけで、その少年のところへ近づいていきました。
「あのね君、池に石を投げ込むのはよそうよ。鳥に石があたったら、鳥は困るだろうしさ。鳥と仲良くしようよ」
そういうと、そのヤンチャそうな少年は意外にも
「はい」
という一言で、すぐに石投げをやめてくれました。わりと素直なやつじゃんと思いましたさっ。

春に会ったすずめの集団のことを思い出しました。仲良くなったすずめは元気なんだろうかと思ったのですが、エサを持っていない手ブラでは再会に行けないと思いました。
「北島さんを手ぶらでは帰せないだろう」
と言って、銅メダルをとったオリンピック水泳のメドレーリレーチームを思い出しました。関係ないけど。
すずめたちは、鳥インフルエンザなどにかからないで、元気でいて欲しいと思います。

大きな池の周りを歩いているのですが、福岡城址にはたどりつけません。このまま歩いてたどりつけるのだろうかと思いました。

ふと見ると、犬を連れて散歩している女性がいました。
「すいません、福岡城址へ行きたいのですが、まだ遠いでしょうか?」
と、聞いてみました。
「う〜ん、この方向より戻った方が近いですね」
と教えてくれました。
そうなんだ、遠回りになるんだと思ったら、なんと、彼女の散歩相手のワンちゃんが、ぼくの右足の腿のあたりに両前足をのせて、立ち上がり起立の状態になっていました。
思わず視線があって、にっこりしてしまいました。その女性は、これは失礼なことをしたと思ったようで、ワンちゃんのロープをクイッと引いたら、すぐに前足を下ろしてしまいました。

両前足をひとの腿に上げるというのは、好感があるからに違いないと勝手に満足しました。
雑誌「いぬの気持ち」を読んでみようっと。

さて、いわれたとおりに歩いていくと、なるほど福岡城址の近くへとたどりつきました。
そのあたりに、平和台の陸上競技場と鴻臚館跡(こうろかんあと)がありました。

そこは昔、平和台球場があった場所です。福岡の球団の前身ということで、え〜っと、ソフトバンクの前身の南海ホークス・・・、いやいや、南海電車は、大阪近辺です。

そ〜です、西武ライオンズの前身、西鉄ライオンズが本拠地にしていた球場です。
一年に42勝もあげた「神様、仏様、稲尾様」と頼られた稲尾投手がいた球団です。
この場所に球場があったら、中心街から来やすいだろうと思います。ソフトバンクのスタジアムには行ったことが無いので、そちらの状況はわかりませんが。

福岡鴻臚館は、こういう場所にあったんだ。鴻臚館は、海外からやって来た使節を迎える、今でいうところの迎賓館にあたる施設です。
大阪難波、京都平安京、そして福岡と全国三箇所にあったそうですが、場所がはっきりしているのは、福岡だけだそうです。

前回福岡にやってきた時、大宰府政庁跡の大宰府資料館のおじさんが
「あなたの愛知県は歴史上、戦国時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と日本の中心のような場所だったけど、もっとさかのぼると福岡県は、大陸や朝鮮半島と活発に行き来があって、いろんな歴史があるんです」
と自慢していた意味が、少しわかる気がする。

福岡城址へついて、中心部へ登ってゆきます。
向こうに立派な石垣が見えます。ああ、あの石垣は昔、元の攻撃を防ぐために作った防塁に使われた石がたくさん含まれているんだ。

さて、敷地内をあちこち歩いているうちに時間が過ぎてゆきました。
なにやら外から攻撃しても、落としにくい城だなあと思いました。なぜ?と聞かれても、うまく説明できないのですが。

ようやく、福岡旅行その2が終わりました。まだ見たりない部分があって、2014年5月下旬にその3を実行しようと思います。

それでは、また。
No.666 - 2014/04/15(Tue) 23:47:42
博多ぶらぶら2 / ふたくん
西南学院大学を出て、歩くと10分少々で福岡市博物館につきます。
4月に来たときは、ぼくの話しの相手をしてくれたお姉さんに、
「11月になったら、常設展示場の改築が終わってオープンしますから、そのころにまた来てくださいね」
と言われたので、この時期にジェットスターの安値を見計らいながらやってきました。
その時の訪問で出会った、賢い三歳児の女の子と母親を、チェックしておくと言っておられたので、どうなっただろうという関心がありました。

入館してすぐ、「体験学習室」へ向かいました。4月に話し相手になってくれたお姉さんに会おうと思ったのですが、見当たりません。顔を見れば分かるだろうと思っていたし、名前を聞くのも失礼かなと思って聞いていなかったので、それがどなたなのかわかりません。
事情をはなし、2013年6月25日付けの書き込みを印刷したものを見せると、親切にも話し相手になってくださった瀧○千○さん(今度は名前を伺った)が、館内の学芸員さんたちにチェックをいれてくださって、探してくださいました。
その間、館内のいくつかの展示室をまわって見学しました。

2014年2月1日付けの書き込みで、宗像大社神宝館が8万点の国宝所有、福岡市博物館は三点の国宝と書いて、いかにも少ないような書き方になりましたが、そんなことはありません。立派なものです。国宝が一点もない県もあるのです。
「漢委奴国王」の金印は知っていて、興味深く見たのですが、残りの刀剣二点については、そう関心もなく、サッと見てしまいました。

ところが、あとで知ったのですが、今年のNHK大河ドラマの「軍師官兵衛」を見て、二点のうちの一点が「へし切り長谷部」だったので、驚きました。
織田信長の小説を読むと、無礼をはたらいて膳棚下に隠れた茶坊主を、棚ごと押し切ったという、よく切れる刀だそうです。この場面は、乱暴なプッツン信長を良く象徴している場面なので、必ず書かれています。
あの「へし切り長谷部」を黒田官兵衛がもらっていたとは、そして福岡市博物館にあるとは知りませんでした。うまく宣伝すればさらにいいのにと思いました。

さてリニューアル後の館内展示物をひととおり見学して、最初に行った体験学習室へ戻りました。
休みの人もいたりして、該当者が見当たらず、再会はできませんでした。残念。

新しくなった福岡市博物館は、以前来たときよりさらにすばらしくなっていました。
体験学習室には、おとなが着れる民族衣装がいくつもあって、ヨーロッパから来たらしい若い女性が、嬉々として試着していて、たいへんきれいでした。あやうく、写真を撮りまくりそうになったのですが、おさえておきました。
また来ようっと。

さて次は、福岡城です。

それでは、また。
No.665 - 2014/04/05(Sat) 00:33:32
博多ぶらぶら1 / ふたくん
きょう一日は、博多の街をあちこち動き回ろうと思いました。

地下鉄の祇園駅で降りて少し歩くと東長寺がありました。
唐から帰った空海は、いくつかお寺を作っていますが、最初に作った寺だそうです。木造の坐像としては日本最大の大仏さまが、デンと座っておられました。10.8メートルだそうです。

そのあと、歩いていくと博多祇園山笠や博多おくんちなどの祭事をおこなう櫛田神社がありました。境内には小屋があって、飾り山が一つ常設で展示してあります。
そういえば、最初の日に乗ったタクシーの運転手さんが、福岡観光の行き先に「櫛田神社」をあげていました。よく知らないぼくは何の関心もなかったのですが、なるほど来る価値があるのかもしれません。
神社の横には川端通りがあって、大きな商店街です。この街に支えられているのなら、豊かな神社でしょう。古くから博多の氏神・総鎮守だそうです。

小さな池があって、りっぱな鯉が泳いでいます。その上に針金が縦横に張ってあります。
巫女さんに、
「この針金は、猫よけですか?」
と聞いてみました。猫が魚をつかまえて食べるのかなと思ったのです。
「いえいえ、猫よけじゃなくて、鳥よけです」
と答えてくれました。確かに金魚ぐらいだったら可能だけど、この大きな鯉では無理でしょう。

そういえば、上の方で何羽かのカラスが、人間の声によく似た鳴き声でカーカー鳴いていました。カラスが鯉をねらうとは思えないのですが、まあ、わかりません。深い池ではないので、水を飲んだりつついたりするのかもしれません。博多のカラスは元気そうですから。

さてつづいては福岡市博物館です。地下鉄西新駅で降りて歩いて向かいました。
途中に西南学院大学があり、元寇防塁の案内板があります。春に来たときに写真を何枚か撮ったのですが、横にひとが写っていたわけでもなく、元寇防塁の大きさが分かりにくいのです。
今日はぼくが横にいて、誰かに依頼して撮ってもらおうと思いました。
元寇防塁がある中庭出入り口より数メートル離れた、人通りがありそうな場所で、ひとが来るのを待っていました。
4、5分すると、女子大生が一人やってきたので、事情を話したらさわやかにきいてくれました。
「はい、チーズ」
と声をかけて撮影してくれました。
「すばらしいですね。こういうのを残しているなんて」
と言ってくれたので、ぼくも
「それを、外部のひとにも公開しているのも、すばらしいですね。西南学院大学はすばらしい」
と返しました。にこにこしながら会話してくれたこの女子大生もすばらしかったです。

とりあえず、ここまで。

それでは、また。
No.664 - 2014/03/24(Mon) 00:13:01
ふたたび太宰府天満宮へ / ふたくん
その日、朝方の福岡は雨でした。ホテルを出た9時過ぎは雨は降っていませんでしたが、地面は濡れていました。
行き先は4月にも行った大宰府天満宮です。福岡へ来たら、ぼくにとってはお約束の場所です。
今は雨だとしても、着いたらきっと晴れるという確信がありました。
そのあとは、隣の佐賀県へ入って、あの吉野ヶ里遺跡へ行ってみようと考えました。

博多の駅のマクドナルドで、コーヒーとソーセージマフィンを朝食として食べて、そのあと駅の阪急ビルを上がって丸善によって本をみて、それから地下鉄に乗り、天神駅から西鉄電車で大宰府へ向かいました。

一時間程度で大宰府駅につきました。雨は降っていなくて、曇り勝ちですが地面はぬれていません。駅から天満宮に歩いていくうちに、雲が切れてきて青空も出てきました。入り口の受付事務所へ着いたときにはお日様も出てきました。
前回きたときのように、またガイドさんをお願いしたいと思ったのですが、事務の巫女さんによると、予約でいっぱいだということでした。前回は案内してもらったと言ったら
「それは、運がよかったですね。なかなか難しいんですよ」
と言われてしまいました。
今日はひとりで回りたいと思います。

今日もこの太宰府天満宮は、ひとがたくさんです。
そばにいたお姉さんに頼んで、写真をとってもらったのですが、日本の方だと思ったら台湾のひとでした。台湾大好きなぼくは、「おお、台湾ですか」と喜んでしまいました。

そのあとお参りをして、境内をあちこち動いて見学して天満宮を出ました。

前回大宰府天満宮に来たときのことを書いた、2013年6月19日付けのNo.650の書き込みを参照してください。

高樹澪さんのことにふれておきたいと思います。2013年3月か4月上旬に大宰府天満宮を取材されました。正式参拝をされて、それを4月下旬のBS日テレ「日本100巡礼」で放送されました。そのとき神様の波動を受けて感動されていましたが、何を祈願されたかはよくわかりません。

しかし、そのあと人生に変化がおきています。もともと「メル友」で「飲み友」だった方と5月から付き合いが始まり、その5月にプロポーズを受けたらしいのです。そして入籍されたそうです。
これと神様の波動が関係あるのかどうか、ぼくにはわかりませんが、何かあるのかもしれません。

http://matome.naver.jp/odai/2138647210633846301

末永く、お幸せに。

高樹澪さんのオフィシャルブログがありました。それによるとBS日テレで放送された「日本100巡礼」は前編が2013年4月24日(水)で、後編が5月1日(水)でした。そしてその後5月27日(月)に、プライベートで太宰府天満宮を訪れています。
ぼくの目では、プロポーズを受けた後のお礼参りかなと思います。

さて、帰りの参道で名物の「梅ヶ枝餅」をひとつ買って、食堂兼業のその中にはいって食べました。「みど○や」というお店です。毎月25日は菅原道真公の命日だそうで、この日だけ、普段は白い「梅ヶ枝餅」が、よもぎが含まれた緑色の「梅ヶ枝餅」も併せて販売されるそうです。せっかくなので緑色を求めて、店のお茶サービスで食べました。

太宰府天満宮のあとは、隣の県の吉野ヶ里遺跡へ行ってみたいと思いました。
遅い時間にお昼ご飯としてそばを食べ、西鉄の大宰府天満宮駅からいくつか戻り、バスに乗ってJR鹿児島本線の駅に出て、鳥栖駅経由で乗り換え、吉野ヶ里駅まで行きました。
駅などを間違えてしまったりして、ついたのは遅い時間になってしまいました。今日はやめて別の日にゆっくり出直そうと思ったのですが、まあせっかく来たんだから、短い時間でもいいから、寄ってみようという気になりました。

夕方4時少し前に着いて、約一時間ほど見て回りました。
ひとつだけ感想を書いておくと、「はし」が遺物として何本か置いてあったのに驚きました。昔から日本人は、はしを使っていたんだ、今でも外国の発展途上国では、素手でものを掴んで食べるのにと感心しました。今と違って、昔のほうが手を洗いにくくてより不潔なんでしょうけど。

また別の機会に再訪です。

それでは、また。
No.663 - 2014/03/02(Sun) 19:34:08
宗像大社筑前大島の中津宮へ / ふたくん
田島にある、宗像大社辺津宮の見学を終えて、次の行き先は筑前大島の上にある中津宮です。
バスに乗り神湊(こうの)漁港へと向かいました。終点が神湊漁港です。15時30分発の大島行きの船に乗り込みました。パラパラと人も乗っています。まずまずの込みようです。
玄界灘は荒れた海という印象があるのですが、今日はおだやかで静かな海です、
25分ほどで大島漁港へ到着しました。参考までに運賃は大人550円です。

船からおりて、案内地図を見て歩いていくと、10分ほどで宗像大社中津宮へつきました。

この大島は、一周13.5キロほどで、人口は約1000名ほどの島です。ああ、こんな島でのんきに暮らすのも悪くないなあ、なんて思ったのですが、あとで友人に話すと「コンビ二も本屋もないところで、暮らせないだろうに」と言われて、「ごもっともです」と答えてしまいました。

階段を上っていくと神社の社屋があります。小さな島にしてはそこそこ大きな神社です。社務所の窓は開いていて、灯りがついています。管理の神職が常駐のようです。
ただ船に乗ってこの島に渡って、この神社にやってきたのはぼくだけで、この時間ほかに参拝者は見かけませんでした。

この中津宮には、小川が流れています。これが天の川で左の丘の上に織姫神社、右の丘の上に牽牛神社があります。この七夕伝説が広く全国に広まって、この大島中津宮が七夕伝説の発祥の地となっているそうです。
ぼくの田舎の高岡市の七夕祭りは、仙台・平塚とともに日本三大七夕祭りと言ってるのですが、愛知へくると一宮市の七夕祭りが三大だと言ってますし、安城市が三大七夕祭りだと言います。
三大なんとかという場合、三番目は何かと怪しいものです。

さて、三つの宗像大社のうち、田島の辺津宮、筑前大島の中津宮をたずねました。
残る一つは、沖ノ島の沖津宮です。行ってみたいと思うのですが、通常は入れないのです。5月27日に200名ほどはいれるそうです。たくさんの希望者の中から選ばれるのだそうです。
そして、入る前に全裸で海の中で禊をして、そのあと島に上がれます。

沖ノ島は九州本土から60キロほど離れた、玄界灘に浮かぶ周囲4キロの孤島です。
縄文時代、弥生時代の遺物や、古代祭祀跡からたくさんの出土品を回収して、8万点の国宝が指定されました。
女人禁制で宗像大社の神官が1名、10日交代で住んでいるそうです。しかも毎日一度海で禊をしているらしい。うぅぅ、ぼくにはつとまらないよ。

さて今、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産にという動きがあります。
どうなんでしょうか。ぼくとしてはやめておいた方がいいと思います。
立ち入り禁止の沖ノ島に、ルール無用のろくでもない人が上がり込むおそれがあります。

そして、沖ノ島で集めた国宝を収めた神宝館ですが、しっかり管理してほしいと思います。このごろ、対馬の寺で盗まれた石仏が外国で発見されたのですが、訳の解らん法律解釈で対馬の寺に返されていないのです。ちょっと調べると、これがはじめてではないのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/konan119269/33736873.html

こんな具合で、厳重に気を付けてほしいものです。法治国家とはいえない国がありますから。

帰りの船に乗るために、大島漁港へ戻りました。時間に余裕があったので、いろんな掲示などをみました。おおお、この島からあの沖ノ島が晴れていたら見ることができるんですね。島の上のほうに展望台があるそうです。今日はだめですが、次回にぜひ行ってみたいと思います。なんでもレンタル自転車があって、一般型は500円、電動式は1000円だそうです。電動式を利用ですね。

6時発の最終船で、大島漁港を出て船・バス・JRで、博多方面へ帰りました。
船の待合室のテレビでは、相撲の千秋楽で日馬富士が優勝を決めていました。関係ないけど。

それでは、また。
No.662 - 2014/02/14(Fri) 22:27:37
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