 | はじめまして、高校二年生の宮古という者です。 西村先生に相談させていただきたいことがあって伺いました。 私の通う学校では現代文の授業でドリルのような問題集を使用するのですが、先日、授業にて井上ひさしさん著の「ナイン」から出題が行われる箇所に取り組みました。出題された問のひとつに、 「九人がパレードで一斉に泣きだした理由を三択から選べ」 という趣旨のものがありました。三択の内容は、 1.怪我が痛んだから 2.悲しかったから 3.悔しかったから というものです。 出題範囲の文章は、このHPにある「ナイン」のページにあるくくりで言う、「●口に出すと、〜おわり」あたりの文でした。 まず、1.と2.の内容については、出題範囲の文中において一切出ていない言葉であり、正解とは思えません。3.は、パレードの話において第三者である「わたし」が、その話を聞いて抱いた見解に過ぎず、その後、当事者の一人である英夫の「パレードで泣いたのも、うれしかったからです」というような言葉によって否定されているように思います。 しかし、学校の授業において、担当の先生が提示した正解は3.の「悔しかったから」でした。私は、この問題の正解は文中で英夫の言った「うれしかったから」だと思っていたので、この問題の結論に疑問を感じ、その後先生に理由を伺いました。先生の仰った、正解が「悔しかったから」になる理由としては、 ・英夫の言う「泣いた理由」はあくまで英夫自身が泣いた際の理由であり、ナイン全員が泣いた理由ではない ・英夫の発言は過去を懐かしんでのものであり、ありのままの事実と取るには弱い ・「うれしかったから」という英夫の発言は出題範囲の後半部分にあり、「悔しかったのだろう」という「わたし」の発言は「九人がパレードで一斉に泣きだした」という記述のすぐ近くにある。この場合、発言者の言葉が第三者の推論であろうと本人の回想であろうと、「九人がパレードで一斉に泣きだした」という肝心の描写に近い部分の記述を見て回答するべきである。 ・なので、「わたし」の言う「悔しかったのだろう」と、英夫の言う「うれしかったから」を比較した場合、「わたし」の発言を正解とするべきである。
その場では何となく押し切られてしまったのですが、今にして思うと、私としては納得できるものではありません。英夫が嬉し泣きしたことについては、それがその時においてのナインの総意を表しており、その後の正太郎への態度などにも繋がっていくように思います。「過去を懐かしんだ発言は事実と取るには弱い」というのは、有り体に言って意味がわかりませんでした。文中で、「英夫の発言は懐古の念に脚色されている」と匂わせる描写などもありません。三番目の、「出題範囲の後半にある文章は重要性に欠ける」というのもわかりません。出題範囲なのだから、前半も後半も関係なく、重要な文章は重要なはずです。 ですが、私のこの考えが正しいのかどうかも自信が持てません。また、私の通う学校は所謂普通の高等学校ではないため、国語を担当する教諭の方は、この問題を出した方ひとり以外にはいません。よって、他の身近な大人に相談するという手段が取れないのです。 「ナイン」や「現代文」などの単語でインターネットを検索してみて、ここにたどり着きました。どうやら、西村先生は「ナイン」を教材として取り扱いになったことがおありのようですので、お伺いを立たてみようと思った次第です。 もしよろしければ、前述した、私の通う学校の先生の論や、それに対する私の疑問について、ご意見をお聞かせ願えないでしょうか。 長々と失礼いたしました。 |
No.276 - 2012/04/24(Tue) 18:34:48
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