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記事No.1020に関するスレッドです


(No Subject) / こたろう 引用
No.1009 2014/12/08(Mon) 00:44:08

こんにちは。
まだまだ理解できない部分もありながら、
最近はほかの事に時間をとられ、
なかなかハイブリッド心理学に目を通す時間が
取れていません。
自分ではなにが聞きたいのか、どこが
疑問なのか、という時点で頭がぐちゃぐちゃに
なってしまう所がまだまだ多く、、、
そういう意味でも、メール相談実例集を
楽しみにしております。



さて、今回の質問なのですが、
思考記録についてです。
島野さんは、悲しみの彼方への旅、を
読んでいても、自己と向き合い、それを
言葉にするという作業にすごく時間を
割いていたのではないかと思います。
土台に一つ一つを積み上げる論理思考が
あるので、時間にするとそんなに長くは
なかったのかもしれませんが、
僕はものすごく時間がかかります。


また媒体がアナログとデジタルと
二つの選択肢があることもあり、
あっちに書いたりこっちに書いたり、
毎日違うテーマで考える事が出てきて、
とても一つ一つ考えて解決していくように
出来ません。



これは心理面以外の考察も含めて、
自分の中で迷いがあるんですが、
いわゆる完成した、その時なりの答えや、
形ができた文章(blogに書いてるようなかんじですかね?)ではなく
暫時的な思考や分析などを書いたノートは
どうしていましたか?(あるいは現在どうされてますか?)



悲しみの彼方への旅では、大きな動揺があった
後に、とっさにメモをするシーンなどもありますね。
書いたノートは、どうされていましたか?



最近認知行動療法の
カウンセリングを受けています。
注意点として、ものすごく言われたのが、
出来事の具体的な時間の始まりと終わりと、時系列での自分の思考、行動、対処などの順番を具体的に印すという事でした。

いつもこういう風になるんだよなー
ではなくて、
具体的な一つの出来事の間に
起こった自分の心や体の反応、行動や対処を細かく知る事を積み重ねる。
ハイブリッド心理学でも具体的なエピソードの
振り返りが出来ていると進歩が生まれやすいのかなと思います。


こういったアセスメントシートというプラットフォームがあると、ブロックごとに思考、行動、感情、と別れていて振り返りやすく感じました。



島野さんが自分の感情と向き合っていた時
(現在もあると思いますが)どのように
ノートを取って、管理していたのかな、
という事をできるだけ具体的に知りたいです。



 
感情と思考の記録整理^^ / しまの 引用
No.1010 2014/12/11(Thu) 16:03:52

>暫時的な思考や分析などを書いたノートはどうしていましたか?(あるいは現在どうされてますか?)
>悲しみの彼方への旅では、大きな動揺があった後に、とっさにメモをするシーンなどもありますね。書いたノートは、どうされていましたか?

まず「そのまま保管しているだけ」です^^。

なお、書く媒体については、以下のような変遷がありますね。
30代くらいまで・・・書く作業が結構早くできたので(特に学生時代)、そのままB5の大学ノート日記として。それができない状況(授業中など)手帳メモ書きなど。
40代くらいまで・・・きれいに(読めるように^^;)書くスピードが次第に遅くなり、A4コピー紙をたたんだものポケット持ち歩き、殴り書きでまとめてB5の大学ノート写し書きする。何と書いたか自分で判読できないものたまにあり^^;
50代以降(今53^^)・・・PC上のテキストファイル直接打つ。なんかこれが楽で早くもあり^^。

>注意点として、ものすごく言われたのが、出来事の具体的な時間の始まりと終わりと、時系列での自分の思考、行動、対処などの順番を具体的に印すという事でした。

重要ですね。それが自分の心の動きを自分でしっかり把握するということになると思います。

>こういったアセスメントシートというプラットフォームがあると、ブロックごとに思考、行動、感情、と別れていて振り返りやすく感じました。
>島野さんが自分の感情と向き合っていた時(現在もあると思いますが)どのようにノートを取って、管理していたのかな、という事をできるだけ具体的に知りたいです。

これは日記など書いたものについて、その内容を整理するための何かの管理方法などあるか、というご質問ですかな。

ならば返答としては、「ない」です^^。
つまり、自分自身の心の動きや、自分の考えを整理するという作業を、まず自分の心の中、頭の中で行います。そして整理できたという感覚をもって、書くという作業を行います。
また、ある程度整理された結果を書くという前提があるので、書くためにしっかり頭の中心の中で整理するという意識作業が起きている、とも感じます。

思考整理のためのワークシート的なもの以前メール相談の中でも検討したことがあるのですが、結果的にあまり効果が感じられず、やめています。
これについて改めて考えるに、自分の心の中頭の中で整理できるということが、まさに前進の基盤になるのではないかと。で、心が成長変化する。
まあいい喩えかどうか、自分の部屋自分で整理掃除できることが重要ということですね。整理したい場合外部の人を呼ぶというのだと、部屋結局いつも散らかったまま

自分の頭の中心の中での整理作業とはどんなものかと言うと、『概説』では
・「言葉」による実践の推進
として説明し、最近僕自身の体験例ブログ
2014-12-07『初冬の北アルプスで向き合った「望みに向かうこと」と「幸福」-5』
書いたりしましたが、
とにもかくにも、「言葉を使って自分自身との対話問答をする」ということです。
「今起きている問題とは何か」「外部で客観的に起きている問題は」「自分の心の側の問題は」「行動学ではどうなるか」などなど。

>土台に一つ一つを積み上げる論理思考があるので、時間にするとそんなに長くはなかったのかもしれませんが、僕はものすごく時間がかかります。

一つ一つを積み上げる論理思考は、車輪と同じで、それがないともう時間の長短の問題ではなく全く前に進めなくなると思います。思考整理全滅というのが得てして起きかねない。
カウンセリングで題材になったものなどを書いていただければ、一つ一つの論理思考から、どんな感じになるか具体的アドバイスもできるかも知れませんね^^。

p.s
『メール相談事例集』ようやっと作業着手できる感じです^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1011 2014/12/24(Wed) 00:03:01

お返事ありがとうございます。

なるほど。

言葉を使って自分自身との対話問答をする、というのは
落ち着いていないとキツいですね。

うつ病でよく言われるのが「ワーキングメモリの劣化」ですが
如実に実感します。
一度に意識に保っておける問いかけや言葉などがストレス状態に
よって大きくムラがありますね。湧いては消えていってしまう事が
多いです。

そういう時に中途の思考を紙面で行う事は
現段階では仕方ない気がします。

「今起きている問題とは何か」「外部で客観的に起きている問題は」「自分の
心の側の問題は」「行動学ではどうなるか」

などの問いを控えておくのは良いですね。



ここでまた根本的な問いなんですが、

行動学を用いて行う行動はなぜ「嘘」にはならないのでしょうか?


 
論理的思考エクササイズ^^ / しまの 引用
No.1012 2014/12/26(Fri) 14:09:27

>行動学を用いて行う行動はなぜ「嘘」にはならないのでしょうか?

論理的思考良い題材になると思います^^。
論理的思考をするならば、以下のように順序立てて、それぞれをじっくり思考検討するになりますね。
以下、まずご自身で考えてみるエクササイズをしてみてはいかがかと^^。

?@「行動学」とは何か
ヒントとしては、その「種類」明瞭にすることです。ハイブリッド心理学では、3種類の行動法から成るものを行動学と呼んでいます。
その3種類とはか。ハイブリッド心理学の説明からそのまま抜き出すので構いません。
『概説』 3.取り組み実践
などから。

?Aここでの「嘘」とはどんなことを取り上げるか
これも「種類」考えると良いでしょう。オレオレ詐欺のような「嘘」か。今年大きなニュースとなった某音楽家某生命科学研究者における「嘘」か。それとも「自分自身への嘘」という、内面心理における「嘘」か。

?B上記?@と?Aがどうつながり、「行動学による行動は嘘にならない」という命題がどのように成立するか。

まあそのように、「行動法」なり「嘘」なりの「種類」関係しますので、「行動学による行動は嘘にならない」大きなくくりで言う話ではない感じですね。
あるいは、そこでの「嘘にならない」というものに関係するのは「行動学」よりも「価値観」かも知れないですね。

ともかく、どの辺までは思考検討できたか報告頂ければ、次のアドバイスへ、ということで^^。

論理的な「答え」を導き出すためには、「問い」からまず論理的に考えることが重要、という次第です^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1016 2015/01/01(Thu) 14:36:05

失礼しました。

下巻前半で触れられている
「自分自身への嘘」ですね。


自分自身への嘘は、閉ざされた世界、あるべきものがある世界で
愛されるためにつくものであるとして、

開かれた世界の行動法として建設的行動法が
紹介されていますよね。



建設的対人行動法 ・・・ 共通目標共通利益のみに着目して行動する
原理原則行動法 ・・・ 相手人物に感じたことは一切言わず原理原則について話すという行動法
ウインウイン行動法 ・・・ 相手を勝たせて自分も勝つという行動法


相手に合わせるために行きたくも無い場所へ行ったり、
話したくも無い事を一生懸命聞いたり、という事が嘘になるので、
建設的対人行動法が一番そのテーマに
合うのかなと思いますが。


これは確かに納得がいきますね。



そもそも、人といる時に自分に嘘をついていない状態ってなんだろう?と、
思うんです。
例えば、家にいる時の自分が嘘のない自分なら、
相手に話しかけられても「あぁ」、興味がない話なら「へぇ」で終わりです。

人といる時は多少なりとも、自分に負荷をかけて思考し、
積極的に疑問を言葉にしたり、相手に対しての問いかけを考えたりします。

これも「自分自身についた嘘」なのでしょうか?


 
「自分自身への嘘」の克服は「感情のまま行動できる」ことにあらず^^ / しまの 引用
No.1020 2015/01/08(Thu) 16:19:55

「自分自身への嘘」とは

>下巻前半で触れられている「自分自身への嘘」ですね。

「自分自身への嘘」というのはかなり難しいテーマですが、これもやはり「問い」から論理的に整理していくのが大切ですね。
まずテーマ正確な定義から。

「自分自身への嘘」は、内面感情で起きることを指します。自分自身にとって本当のものではない感情を自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけている状態です。かつそストレスさえも自覚できない状態です。
これは「心の病み」であり、やがて感情が自己コントロールできない暴走を起こす危険があります。まず自分がそうしたストレスを自分自身の心にかけていることに気づくことから、心の健康への歩み生まれ得ます。

ですので、

>相手に合わせるために行きたくも無い場所へ行ったり、話したくも無い事を一生懸命聞いたり、という事が嘘になるので、

これは外面行動法の問題であり、「自分自身への嘘」とはまた別の話です。
相手に合わせるために、本当は行きたくない場所自分は行きたいのだと自分に思い込ませようとしたり、話したくもないこと自分は話したいのだと自分に思い込ませるといった心の動き起きるにつれ、それは「自分自身への嘘」という心の病みの問題になってきますね。


「自分自身への嘘」の克服

その克服は、まずは「心の依存」から「心の自立」向かうという転換に、歩みの始まりがあるというのがハイブリッド心理学考えです。
自分の感情を相手に受けとめさせるのではなく、自分の感情を自分自身で受けとめ、外面行動は「行動学」によって建設的に行動する。

それによって「自分自身への嘘」すぐ克服されるのではなく、まず「自分自身への嘘」純粋自分自身との関係における問題になる、ということです。その先に、最終的な克服は、「望み」向かって生き歩みの全体が、この人生み出します。『概説』説明している「心の成長変化のベクトル」全てを通して、ですね。


「感情のままに行動」が健康形成長形ではない^^;

ですので、

>そもそも、人といる時に自分に嘘をついていない状態ってなんだろう?と、思うんです。例えば、家にいる時の自分が嘘のない自分なら、相手に話しかけられても「あぁ」、興味がない話なら「へぇ」で終わりです。
>人といる時は多少なりとも、自分に負荷をかけて思考し、積極的に疑問を言葉にしたり、相手に対しての問いかけを考えたりします。

については、外面行動法問題と、「自分自身への嘘」という問題を、それぞれ別テーマ問題として考える必要があります。

まず留意しておかなければならないのは、感情のままに行動できることが、必ずしも健康形でも成長形でもないということです。
多少は相手に合わせることが自分自身にとっても良い結果になると思えば、「相手につきあう」というのもごく自然で健康交友行動法です。相手への配慮のため、多少は自分に負荷をかける必要が出る場面もあるでしょう。
こうした判断も、「心の自立」の先に、積み重ねていくことで「成長」つながっていきます。

ということで、テーマの整理からですね。よろしいでしょうか^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1025 2015/01/29(Thu) 01:36:46

では下巻五章の、閉ざされた世界でつかざるを得ない嘘というのは、「自分自身への嘘」ではなくて他人への嘘という事ですね。

他人への嘘をついている事に気づかないように
自分を騙している事が自分への嘘だ、と。

125pで、
ありのままの自分を感じとる感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい、自分がそれを激しく嫌悪していることを、感じとるかもしれません。

とあります。
ここでの自分への嘘という言葉は外面行動を指しているように思えますがどうでしょうか。


 
「他人への嘘」と「自分への嘘」^^ / しまの 引用
No.1026 2015/01/30(Fri) 16:37:31

>では下巻五章の、閉ざされた世界でつかざるを得ない嘘というのは、「自分自身への嘘」ではなくて他人への嘘という事ですね。他人への嘘をついている事に気づかないように自分を騙している事が自分への嘘だ、と。

やはり言葉の定義一つ一つ確認して整理するのが大切ですね^^。面倒かと思いますが。

「他人への嘘」・・・他人を欺くために、真実でないこと(これが「嘘」)を意図的に示すという外面行動
「自分への嘘」・・・自分自身にとって本当のものではない感情(これが「嘘」自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけるという、内面状態

ですので
>ここでの自分への嘘という言葉は外面行動を指しているように思えますがどうでしょうか。
「自分への嘘」はあくまで外面行動のことではなく、内面状態です。

また「閉ざされた世界」とは、「存在の規律がある世界」です。
その結果起き得るのは、「他人への嘘」「自分自身への嘘」両方だと言えるでしょう。

「閉ざされた世界」においてどのように「他人への嘘」起き得るのかは、某隣国を思い浮べれば具体的にイメージできると思います。これはよろしいですかな。
そしてまた「閉ざされた世界」において「自分への嘘」起き得るのも、某隣国具体的にイメージできると思います。実際にはこんな国なんてと思っているのに、この国サイコー!と自分で思いこもうとする。なぜなら、それが一番安全だから。

こうした「他人への嘘」「自分への嘘」という問題は、それぞれがどのように起きているのかを、それぞれに考えることが重要です。どっちが起きているのか、ではなく。
そこでキモになるのは、「自分への嘘」起きている時、それがどのように「他人への嘘」でもあるのかは、もうあまり問えない、ということです。なぜなら、何が真実かが、自分で分からなくなるのが「自分への嘘」だからです。

ですので、まずはとにかく内面において「自分への嘘」という内面問題脱する
に、それがどう「他人への嘘」という外面問題巻き込んで引き起こしていたのかへの対処をすればいい、という主旨になりますね。

いずれにせよ概念的にはそんな話ということで、より具体的には、具体的問題場面の何をどう検討したいかになると思います^^。


 
Re: / こたろう 引用
No.1029 2015/02/16(Mon) 18:55:13

「自分への嘘」・・・自分自身にとって本当のものではない感情(これが「嘘」)を自分は感じていると思いこめるように、自分の心にストレスをかけるという、内面状態。


であれば、愛されるためにつかざるを得ない「自分への嘘」はこれとは少し種類が
違うのではないだろうか、と感じました。


具体例を挙げてみます。

医学部家系に育った子供が、自分は本当はロックミュージシャンになりたいという願望を抱いたとします。しかし、親からは教養としてクラシック音楽を叩き込まれ、反体制派的なロックミュージックやJ-POPなどは、低俗な物として一蹴される。この子供は、ありのままの自分は受け入れてもらえない経験を幼少期にしているため、根源的自己否定感情を抱えていて、愛情欲求を抱えている。


結果として、親の前で「親の求める自己像」を無意識に演じる事となる。
自分の興味から目をそらし、そもそもそんなものは最初から求めていなかったのだと思い込み、
「あるべき姿」に向かうために多大なる努力をし、医学部に進学。

しかし、いくら親の求める自己像、つまりこの人物にとっての愛されるための「あるべき姿」を獲得する事に成功しても、そこには「自分への嘘」があるため、親に愛される事そのものに価値を感じる事が出来ない。


こういった論調で「自分への嘘」という言葉が使われている時、
「自分への嘘」で指しているのは、次のうちどちらなのか、という質問です。



?@親の前で自分の本当の望み(少なくともこの時点で感じられる望み)をごまかして、愛されるための自己を追求している事そのもの。



?A本当の望みを自覚しても、それに向かう事は親から愛されなくなる事を意味するため、
恐怖のあまり自覚する事を拒む無意識の動きが起きる。

つまり、親に求められた姿を追求する事、あるべき姿を追求する事を、
「自分の本当の望み」であると自分に思い込ませること。



自分としては、こういった論調の話の流れ(前のレスで触れた部分)でいわれる「自分への嘘」という言葉は、

?@を指しているように思えます。

しかし、島野さんの最後のレスを見る限り、
これは「他人への嘘」を指しているように思えます。


?@と?Aの両方が「自分への嘘」という言葉で述べられているような
気がしたため、言葉の定義を確認しておきたくなった次第です。


 
Re: / こたろう 引用
No.1030 2015/02/16(Mon) 19:41:55

加筆します。2つ前の僕のスレッドで挙げた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
125pで、
ありのままの自分を感じとる感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい、自分がそれを激しく嫌悪していることを、感じとるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここから考えた事は、
「いかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい」
の部分は、「他人への嘘」ではないのか、という事です。

つまり自分の現状、意識に上る本心では、荒廃化した感情のみが見える。
しかし、外面行動においてはそれをそのまま示す事はできない。
なぜなら、それを示せば相手に嫌われてしまうし、建設的な関係も築けないから。

だから、ふさわしいと思える外面行動をする。
しかし、目に見える感情が荒廃化している以上、それは「他人への嘘」に
なるのではないか、という事です。


これが、このスレッドの僕の二つ目のレスにある
>行動学を用いて行う行動はなぜ「嘘」にはならないのでしょうか?

という部分に繋がってきます。


島野さんに示していただいた「自分への嘘」と「他人への嘘」の定義でいうと、
学びの応用思考によって、導き出された「建設的な行動法」は、
心が荒廃化している段階では「他人への嘘」ではないか、という事が言いたかった事です。


>「他人への嘘」・・・他人を欺くために、真実でないこと(これが「嘘」)を意図的に示すという外面行動。


心が荒廃化している以上、このようになると思うからです。


これに対しても二つの発想が考えられると思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
?@他人への嘘ではない、という立場
 
 現在荒廃化した心を持っているとしても、荒廃化した感情の元になっているのは、
 愛、自尊心、善のすべてに矛盾する事なく向かえるものである。
 目の前に見える感情の底にあるものに目を向け、それを実現するべく行っている
 行動は、嘘とは言えない。例え、今自分が抱いている感情の中で、意識に上っている
 ものとは食い違った行動に見えるとしても。

?A他人への嘘は必要だ、という立場

 これは他人への嘘になる。しかし、建設的な行動法にマッチした「心の成熟」が
 実現するまでは、他人への嘘というのは必然的に必要になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

書いてみて、おそらく?Aは違うだろうな、と思います。
感情と行動の分離という事が必要になるすべての場面が嘘だという話に
なってしまいますので。

が、この辺の事を明確な言葉でもう少し整理したいので、質問してみる事にしました。


 
「意志」によって克服する「自分への嘘」と「他人への嘘」^^ / しまの 引用
No.1032 2015/02/20(Fri) 11:25:50

>「自分への嘘」で指しているのは、次のうちどちらなのか、という質問です。
>?@親の前で自分の本当の望み(少なくともこの時点で感じられる望み)をごまかして、愛されるための自己を追求している事そのもの。
>?A本当の望みを自覚しても、それに向かう事は親から愛されなくなる事を意味するため、恐怖のあまり自覚する事を拒む無意識の動きが起きる。
>しかし、島野さんの最後のレスを見る限り、これは「他人への嘘」を指しているように思えます。

?@?Aも、「自分への嘘」ということになると思います^^。また結果的に、それは「他人への嘘」にもなると言えるかもしれませんね。
一応分けるなら、?@「強い望みによる自分への嘘」であり、?A「強い怖れによる自分への嘘」と言えますね。
成長過程は、「怖れの克服」を経て「望み」に向かうというものであり、まず?A脱し最後?@脱するという流れがある、ということは言えると思います。そうして真の自己確立されていく、と。


>つまり自分の現状、意識に上る本心では、荒廃化した感情のみが見える。しかし、外面行動においてはそれをそのまま示す事はできない。なぜなら、それを示せば相手に嫌われてしまうし、建設的な関係も築けないから。だから、ふさわしいと思える外面行動をする。しかし、目に見える感情が荒廃化している以上、それは「他人への嘘」になるのではないか、という事です。

内面感情を全てそのままさらけ出す、それによって分かり合い認め合うことを良しとする姿勢にいるなら、その通り、それは「他人への嘘」のように思えてしまうかも知れませんね。
が書いた
--------
ありのままの自分を感じとる感受性が損なわれていなければ、自分が求めているのは愛であり、それを得るためには自分に嘘をつかなければならないという心の現実、そしていかなる外面行動を行おうとしても、そこに自分への嘘が、つきまとい、自分がそれを激しく嫌悪していることを、感じとるかもしれません。
--------
も、自分の内面感情を人に見せるという姿勢において、「自分の感情がこうでなければ」というストレスが、「自分への嘘」であり「他人への嘘」にもなるのが、人に向かうあらゆる行動感じてしまうという心理状態を書いたもの、と言えます。

一方ハイブリッド心理学での「建設的行動法」は、そもそも、
・内面感情を全てそのままさらけ出す、それによって分かり合い認め合うことを良しとする姿勢
・自分の内面感情を人に見せるという行動
から脱却するという、大きな転換背景としています。

それは一言対比を言うなら、
・流れ変わる「感情」を超えた「意志」によって行動する。そこにおいて人との建設的共有を見出し行動する。見出せないなら孤独を受け入れる
・自分の「内面感情」ではなく、「意志」を人に見せる行動

だということになりますね。

そこにおいて、「自分への嘘」という問題も、「他人への嘘」という問題も、なくなります。
揺れ惑う内面感情という問題は、引き続き残ると思います。しかしそれはもう人との間での問題ではなく、純粋に自分自身内部の問題になる。

手短そんな話になりますね。「感情」ではなく「意志」だという大きな転換があるという話。もちろんこれは「心の依存から自立への転換」一環でもあります。これだけで本が書ける、大きなテーマです。
詳しくは、
グログ記事書籍No.2愛と能力の成長課題
対人行動と対人感情カテゴリー
などを読んで頂くといいかも知れません。

トピックかなり長くなりましたので、またあれば新規で入れて頂くとよろしいかと^^。



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