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No.1167 2016/03/14(Mon) 12:42:45
申し訳ありません。全く建設的でない、ただパニックになっているだけの記述をつらつらと。
そして、これらの感情の葛藤が極限に達して親に当たって大号泣してしまい、強力に自己嫌悪しています。もう、死ぬ・・・と。
死ぬ・・・というのはポーズで、見せつけによる「甘い嘆き」だと思っていました。 しかし、自ら力を入れて前に進もうという感覚を全て捨てたとき、固まってしまいました。 静まったそこにあったのは、人生への悲しみ。 なんだ、全部嘘だったのかと。本当は、ずっと虚無で、死にたかったんだって。
しかし、それさえもポーズになってしまいました。 その状態で親の前にでて、爆発してしまいました。 自分がなにを考えているのかももうわかりません。
感情と行動の分離といいますが、この先、このような状態になると、 声がでなくなったり、非常にか細くなってしまったりします。 死んだように眠り・・・、次の日が仕事の場合、どうなってしまうのだろうと。
他人に対しての敵意と憎しみ、暴力衝動、アットホームな職場の全ての人間への 見下し感情、隠している自分への吐き気がするほどの嫌悪感、力を抜くと死んだ魚のような 目になってしまう・・・。
一巡目はいいんです。最初の憎しみを流せるなら。しかし、何日もいれば絶対にわかられてしまう。 見下し、敵意・・・。愛があるかないか、そんな事は一時間もすれば誰にでもわかると思います。 そして愛のない人間は、誰にでも見下し、嫌悪される。
出会い頭の「被軽蔑感」は錯覚かもしれませんが、しばらくした後の被軽蔑感は本物としか思えませんし、建設的に行動していても、それは隙間時間の会話などで絶対わかります。
これがぬぐえない限り、絶対働く事はできないとしか思えないです。
拭おうにも、どう言われてもそうとしか思えません。
愛のない人を受け入れられるのって、そうとう心が円熟した人ではないでしょうか。 苦しいです。優しくされると、それに応じて明るい反応をしなければならない拘束感に、吐き気がします。 |
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