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記事No.1170に関するスレッドです


被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1163 2016/03/09(Wed) 02:27:46

現在完全にパニック状態です。就職前なのですが、会社の全ての人間の首を絞めたい、刺したい、そんな衝動ばかりが出てきてきついです。わずかでも愛想よくする事が許せない、なのに営業という立場で、しかも技術的な提案などよりも、足繁く通って、接待などが大切だと言われていました。そんなことはとてもではないけど出来ないという感覚で、すべての社員を刺し殺したい、と。

もう一社はシステムズエンジニア職で、明るさを要求されなそうだから、という理由で選択肢に残していましたが、こちらも全て殺したい、というような暴力的な衝動が出てきて、そのような感情を持ったまま同期の中に入っていき、ガチガチの姿に困惑され、困惑された事に対しての怒りで相手をめちゃくちゃにしてやりたい、、、、という衝動。こんな精神状態で研修を受けて、周りの有名大卒の同期においていかれ、敵意、休憩中に心を閉ざす姿勢から同期に質問もできず そもそもこんな勉強したくない、なぜこんな事になったんだ、全員CENSOREDやる こんな風な事ばかりが頭に浮かびます、、、。


流しても、口をつむいで無口でいる事しかできない、、、それを軽蔑されないとは考えられない。こんな衝動をかかえた人間が働いて良いとは思えない。
困惑する上司を、こんなことしたくないんだよと刺したい。


昨日はサバイバル世界観だから、プログラミングを、覚えて手に職を、、とか考えてそっちにしようと思うと、勉強する事への激しい抵抗と、強烈な敵意と、、、。



無理だからアルバイト、、、なんの夢もないフリーターなんてゴミクズ、、、はじめればそこにいる人間を殺したくなり、、、こんな事ばかりが頭をよぎり、もう身動きがとれません、、、、。


流しても、軽蔑を受けたという形で体は反応してしまうんですよね?
それに対して「自分なんか悪い事した?なんでそんなにびびってるの?」と思われる事は避けられないように感じ、相手を刺したい刺したいという衝動がむくむく、、、。
未熟をみる目なんてあるんでしょうか。弱さならばまだしも、こんな攻撃的で人を人としてみずに、まるでロボットを相手にしているような態度でも、、、
そうじゃないと、わずかな愛想でも絶望的に自己嫌悪が、、、ロボットを相手にするように話しても同じですが。

もうつかれました。暴力的衝動を持ったまま、勉強もしながら仕事をするというのはハードルが高すぎるように思います。絶望的です。
もはや対処の仕方がぜんぜんわかりません。
内面感情はうちにとどめる、、、留めても、もはや隠しきれなく思います。

本当の望みは、人を楽しませることで、楽しませるなんてことをお前が考えていいわけがないだろうとの言葉で、涙しました。しかし、こんな風な感情になると、人を楽しませる事なんてできるはずがない、望みに向かえないと絶望的です。

何回もおえっと嗚咽が出ています。
対処できることはあるでしょうか。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1164 2016/03/09(Wed) 16:37:32

対人恐怖であることがバレたら、裏切り行為だとみなされて、失望、強力な怒りを向けられるに違いない、
アットホームな職場環境で浮く事への憎しみと、それがみとられての困惑、怒り、殺したい、殺したい、こんな事ばかりが浮かんできます、、、。
いくら仕事内容に精通しても、愛のない姿に、なんだこいつは、変なやつを営業として採用してしまったな、どうなってるんだこれは?と思われて、一人浮いて、殺意を抱くイメージ、、、、。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1165 2016/03/09(Wed) 23:18:17

成長を見守る、という目線が本当にある事が信じられません、、、。最初からそういうつもりで雇われてたなら、わかるんですが、そうじゃないのに、客前でオドオドしたり、顔がひきつってたりしたら、最低の烙印を押されるとしか思えない。本当にあるんですか?震えたりするのを、そして他人に対して冷めた、ロボットのような声色の人間を、成長を見守るという目線が、、、、。

あったとしたら、挙動不審な人を殺したいくらい軽蔑してるのは自分自身なんですね、、、、。それがまた、自分に帰ってきます、、、。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1166 2016/03/11(Fri) 08:54:34

これらを流しても、生気のない焦点が定まらないぼーっとした状態になってしまい、 どうしたの?と言われてしまうんですよね、、、。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1167 2016/03/14(Mon) 12:42:45

申し訳ありません。全く建設的でない、ただパニックになっているだけの記述をつらつらと。

そして、これらの感情の葛藤が極限に達して親に当たって大号泣してしまい、強力に自己嫌悪しています。もう、死ぬ・・・と。

死ぬ・・・というのはポーズで、見せつけによる「甘い嘆き」だと思っていました。
しかし、自ら力を入れて前に進もうという感覚を全て捨てたとき、固まってしまいました。
静まったそこにあったのは、人生への悲しみ。
なんだ、全部嘘だったのかと。本当は、ずっと虚無で、死にたかったんだって。

しかし、それさえもポーズになってしまいました。
その状態で親の前にでて、爆発してしまいました。
自分がなにを考えているのかももうわかりません。


感情と行動の分離といいますが、この先、このような状態になると、
声がでなくなったり、非常にか細くなってしまったりします。
死んだように眠り・・・、次の日が仕事の場合、どうなってしまうのだろうと。


他人に対しての敵意と憎しみ、暴力衝動、アットホームな職場の全ての人間への
見下し感情、隠している自分への吐き気がするほどの嫌悪感、力を抜くと死んだ魚のような
目になってしまう・・・。

一巡目はいいんです。最初の憎しみを流せるなら。しかし、何日もいれば絶対にわかられてしまう。
見下し、敵意・・・。愛があるかないか、そんな事は一時間もすれば誰にでもわかると思います。
そして愛のない人間は、誰にでも見下し、嫌悪される。

出会い頭の「被軽蔑感」は錯覚かもしれませんが、しばらくした後の被軽蔑感は本物としか思えませんし、建設的に行動していても、それは隙間時間の会話などで絶対わかります。

これがぬぐえない限り、絶対働く事はできないとしか思えないです。

拭おうにも、どう言われてもそうとしか思えません。


愛のない人を受け入れられるのって、そうとう心が円熟した人ではないでしょうか。
苦しいです。優しくされると、それに応じて明るい反応をしなければならない拘束感に、吐き気がします。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1168 2016/03/14(Mon) 13:30:25

豊かな内面感情によって愛される事も、荒んだ感情によって嫌われる事も、
存在の善悪と地位の一つのコインの裏表・・・その不毛さを理解する事が大事、ってありますよね。

そこがわからないです。

豊かな内面感情によって人は愛されるとしか思えません。
荒んだ感情によって人は嫌われるとしか思えません。

荒んだ感情の人が建設的行動法をしているかどうか、それとも内面感情が豊かな人が
建設的行動法をしているかどうか、そのくらいの事はみればわかると思います。

そして前者は、悪だとしか思えません。その嘘こそが、強烈に嫌悪してきたものでした・・・。


 
「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」への対処^^(前) / しまの 引用
No.1169 2016/03/15(Tue) 20:46:21

とりあえず頭3つ入れて頂いたところまで見てアドバイスまとめているところですが、外面行動法の考え方と、内面感情の向き合いかなり毛色の違う話になり、話を簡潔にするのが結構難しいので2つに分けます。
まず外面行動法の考え方について。


一貫した取り組み実践手順

「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」といったものへの対処は、まずは一言でこう言えるかと。
そうした悪感情をどう直接的短絡的に解消できるかではなく、それらはただ流しながら、それとは別の前進感情をどう見出すかの取り組みになる、と。

取り組み実践手順としては、一貫したものになります。
「外面・内面・外面」じっくり取り組む。まず外面行動建設形・健康形での選択肢を考え、内面向き合い最終行動決断する。
辞典「「取り組み実践」の進め方」

上記のような、就職向かおうとする状況というテーマで言うならば、
?@自分の気がかり材料を込みにしての、職種による就職選択の考え方の適正化
?Aそれを踏まえて、自分はどうできそうかの内面向き合い
?B最終決断

という取り組み手順になりますね。
「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」どうこうしようとはするものでないことにご注意下さい。それらは何かの不合理な思考や姿勢から生まれたものかもしれないとして、まずはとにかくそれとは別に合理的な前進を見出すのが取り組みです。それができれば悪感情動揺自然と消えるかも知れないし、原因となった不合理思考姿勢分かるかも知れない。


「就職選択の考え方の適正化」

ということで、まずは最初「就職選択の考え方の適正化」ですが、「こう見られる・・」という受け身思考ではなく、これこれの職種はこれこれの能力資質などが重要となり、自分はこう行けるという、自分自身の考え方をしっかり築くことに取り組むのが重要ですね。
それで言いますと、

>営業という立場で、しかも技術的な提案などよりも、足繁く通って、接待などが大切だと言われて

は、確かそうだと僕も思いますし、それが自分には無理だと感じるのであれば、他の職種を選ぶしかない。

>システムズエンジニア職で、明るさを要求されなそうだから、という理由で選択肢に残して

は、「明るさを要求されなそうだから選択肢」にとできず設計やプログラミングなどの専門技術求められ、それが自分能力適性のあるものだと感じるのであれば、かなり向かい得る候補になる、というになりますね。

>本当の望みは、人を楽しませることで、楽しませるなんてことをお前が考えていいわけがないだろうとの言葉で、涙しました。しかし、こんな風な感情になると、人を楽しませる事なんてできるはずがない、望みに向かえないと絶望的です。

仕事はまずは、「人を楽しませる」ことを行うものではありませんね^^; 社会経済沢山役割歯車成り立っていますので、まずは自分がその中でできるものを行って、収入を得るというのが始まりになると思います。

>対人恐怖であることがバレたら、裏切り行為だとみなされて、失望、強力な怒りを向けられるに違いない、
>成長を見守る、という目線が本当にある事が信じられません、、、。

上述のように、対人恐怖があるかどうかではなく、その仕事が必要とする能力資質があるかどうか、ですね。もちろんそこに偽りがあれば、いずれやっていけなくなる。
成長を見守る目線以前としてですね。「今必要なことができるか」という目線まず基本になると思います。それをに、何が必要か、自分に何ができそうかという、自分の考え持つことが大切です。


というのがまずは「就職の選択可否」といったごく外面的限定テーマへの考え方になりますが、内面側にある「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」については、かなり大きな内面方向性選択のテーマになりますね。
それを後編また後で^^。


 
「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」への対処^^(後) / しまの 引用
No.1170 2016/03/17(Thu) 20:48:18

「心の構造の問題」

上記アドバイスコメントがまずは「就職の選択可否」というごく外面テーマへの答えの考え方として、「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」という内面感情への向き合い視点を、まずは一言でこう言えるかと。
それは外面問題に対応した感情動揺の問題ではなく、心の構造の選択の問題なのだ、と。

心の構造の選択の問題であるとは、それは抜け出さない限り、どんな外面問題に際しても同じように現れてくる、ということです。
今回就職に向かう場面。それはに、その心の構想の問題引き出した外面課題であるに過ぎない。就職という特有の課題が起こした感情動揺ではない。
その心の構造の問題があるなら、その感情動揺別の場面では、家族においても現れるだろうし、学校でも現れるだろう。さらには、特に相手を特定せず社会全体を相手現れるかも知れないし、道ですれ違う全ての他人を相手に、現れるかも知れない。
金太郎飴のように。・・という喩えいいかどうか^^; というかちょっと言葉の遊びで言ってみたかった喩え^^ゞ

ともかくまずは、感情動揺がそうして外面問題そのものへの反応というより、心の構造の問題の表出なのだというのを、漠然と、あるいはうすうすとでも感じれば、外面課題と内面感情動揺をいったん切り離して、外面課題はごく外面的行動学的な答えによって淡々とこなすという可能性も、多少は見えてくるかも知れません。
それが今回就職選択という課題については、上記アドバイスコメントのようになる、という次第です。
まこれは応急措置的段階ですね。


「愛されることを求めて相手を破壊攻撃する」という心の構造

そうしてまずはその金太郎飴的感情動揺(結局使う喩え^^)と、就職とかの外面課題切り離し後者ごく外面行動学によって対処する一方余力内面感情動揺じっくり向き合う、というのがまずは取り組み方法になると思います。

じっくり内面向き合い視点は、その感情動揺は、「愛されることを求めて相手を破壊攻撃する」という心の構造だ、というものになります。
それは「絶望感」至るのが必至心の構造だと言えます。愛されることをめ、愛されない時怒りに転じ、愛されようとしたその相手破壊攻撃することで、まさに大元愛されたいという望み自ら完全に打ち砕くのだからです。
この心の構造基本形言えるものは、人間以前の高等動物の段階すでに芽生えている、かなり本能的なものではないかというのが僕の考えです。これは『理論編上巻』
5章 「愛」と「真実」の混乱と喪失−2  −心の真実への断片−

心の真実への断片−1:怒りに変わる愛
詳しく解説していますので一読あれ。

その原稿に話したような姿「愛されることを求めて相手を破壊攻撃する」という心の構造の、まあ「本能形」呼べるとして、人間場合は多少分析的捉えることができます。変化へのとなる、意識姿勢要素などの視点でです。
・人からの愛情への欲求願望の強さ。これは未熟から始まる心の成長において健康なものです。
・怒り破壊に価値を置く攻撃性。これも未熟帯びやすいものですが、意識思考として「破壊から建設への選択」どう向かうかが、この人その後心の成長人生大きく影響します。
・「自尊心」を「愛されること」「打ち負かすこと」に置く姿勢。これも未熟帯びやすいのですが、ここにターニングポイント的心の歯車連結発生することになります。
つまり、愛情への願望から始まる心の動きが、うまく愛されない時、ただ愛されない不幸ではなく、自尊心を損なわされた、つまり「軽蔑された」「バカにされた」という屈辱反応に転じるという歯車連結です。
これが、切羽詰った状態であるほど、3つの歯車強力に回り、互いにバッティングを起こしながら連結して、自分は愛されないという屈辱憎悪収束する、というメカニズムだと言えます。

ということで、愛されない悲しみ怒り変わるのがこの心の構造「本能形」
それがさらに屈辱憎悪発展するのが「人間形」と言えます。
そしてもう一つ、そうした屈辱憎悪が、本人相手との本来の関係性とは不合理な不釣合いさ他人に向けられる姿です。無差別的な「全ての他人」向けられたり、あるいは最近の事件で言えば、告白して断られたという理由相手をめった刺しにして殺害した、予備校生の事例
詳しい考察記述省略しますが、ここには「宇宙の愛」こそが真実であり自分に向けられるべきという幻想意識、それに満たないもの「ニセへの憎悪」を、「空想と現実の逆転」の中で生み出すという、「自己操縦心性の嘘」絡むといった話になるかと。『理論編』の世界ですね。
これがこの心の構造「人間の業(ごう)形」になるかと。


抜け出し

とうことで、まず最も大きく俯瞰した時の指針は、書いて頂いたような、
「就職選択」という課題と、「被軽蔑感と暴力衝動と絶望感」という内面感情動揺は、全く別の問題なのだ、という一言につきます。
両者を、別の問題として向き合い対処する必要がある、ということです。

就職選択課題については、ごく外面的行動学的な答え添って対処する。
内面感情動揺は、自分心の構造への向き合いになる。

まず必要なのは、その2つの問題を分離する、ということになります。
そのために、
就職選択課題については、客観的に見た自身の能力・資質・適性によって選択判断する・・・前アドバイス内容への理解納得向き合う
内面感情動揺については、上記個々の歯車ごとに、別のものへの転換を見据える、というものになります。
感情動揺が強くなり辛くなったからといって、別のものを選ぼうなとしても無理でしょう。まずは、今までの自分の姿勢が、今の感情動揺の母体であることを、自覚することからになると思います。
そして今すぐに「選ぶ」ことなどできないとして、別の方向性があることを、自分の心の目の前にしっかりと据えることからです。
破壊攻撃ではなく、「生み出す」ことに価値を置き、愛されるために何かを演じるのではなく、ありのままの自分の現実を原点として、できることから行っていく
それを、客観的現実空想しっかり分けて、外面行動は客観的現実を相手に行うこととして始める。
じっくり書く一冊の本になるようなですが、手短に書くとそんなことになるでしょう。


ということで、残りの部分については、

>豊かな内面感情によって愛される事も、荒んだ感情によって嫌われる事も、存在の善悪と地位の一つのコインの裏表・・・その不毛さを理解する事が大事、ってありますよね。そこがわからないです。

そういう話は書いてないと思います^^; 書いているのは、絶対的な理想基準からの自己賞賛と自己嫌悪が一つの不毛なコインの表裏であり、「成長」という豊かなコインは別のものだといった^^。

>豊かな内面感情によって人は愛されるとしか思えません。荒んだ感情によって人は嫌われるとしか思えません。荒んだ感情の人が建設的行動法をしているかどうか、それとも内面感情が豊かな人が建設的行動法をしているかどうか、そのくらいの事はみればわかると思います。そして前者は、悪だとしか思えません。その嘘こそが、強烈に嫌悪してきたものでした・・・。

そういうこともあるでしょうが、「就職」「仕事」そういうテーマの場ではあまりないですね^^。「善悪」よりも、「役割」「能力・資質・適性」とかのテーマの場
先のwさん質問へのアドバイスコメント
『「焦りなく作業する技術」 本格解説^^』 しまの No.1162 2016/02/25
のようなテーマ思考法行動法扱うのが、就職仕事です。
内面の豊かさによって愛される云々といったテーマは、内面の問題として分けて、またじっくり向き合っていけばいい。それがまずはアドバイスです^^。

>客前でオドオドしたり、顔がひきつってたりしたら、最低の烙印を押されるとしか思えない。本当にあるんですか?震えたりするのを、そして他人に対して冷めた、ロボットのような声色の人間を、成長を見守るという目線が、、、、。

仕事の内容いかんだということですね。もし今そうなってしまうとすれば、まずはそれでも可能な仕事から探す、ということになると思います。そうしたどん底からのスタートという成長への目を、まず自分自身に対して持つことが人生の第一歩になります。

前アドバイス内容からじっくり検討してみて頂ければ^^。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1171 2016/04/10(Sun) 17:52:07

就職、仕事はそういうテーマの場ではない、という事ですが、現在新入社員で研修をしている期間で、浮いてしまっています。当初は、「被軽蔑感」を空想として流しながら、建設的な行動を心がけていましたが、豊かな、というか当然であるともいえる、一般的な愛を持って交友関係を培ってきた同期の皆への強烈な敵意から、会話がなかなかできず、支離滅裂な発言をすでにしてしまっています。話せば話すほど、言葉につまります。目標としては、オドオドしてもいいので、敵意ではなく人に向かっていこうという態度を出そうと思っていましたが、屈辱感が強すぎて、お前の愛など必要としていないという風に装うという衝動にどうしても抗えず、誰ともあまり口を聞かずに、ピリピリした空気を出す、という態度になってしまいました。会話もどうしても受動的になってしまいます。また、そのような自分が一度人の目の中でさらされてしまったという絶望感から、研修の中で行われるグループワークなどでも萎縮した自己を出す以外の選択肢がなく・・・全員に壁をつくっているのに、作業の時だけ突然饒舌にしゃべりだすという気持ち悪さに耐えかねてですが・・・。結果的に、傍観者のような立場になってしまい、チームワークに支障が出ています。フィードバックの共有をチームで行いましたが、「もっと参加したほうがよかった」とか「ほとんど発言がなかった」という風に言われます。自分の態度が問題であると思います。なぜか、発言をしていないのに、おもいついた事を突然言って、あとは君たちが考えてくれ、とでもいうかのような傲慢な態度になってしまっています。また、どうせ嫌悪されるから、と人と目を合わす事も避けてしまい、一人一人自己紹介をして少し話す、という課題では、途中で話す事がとぎれ、イライラした面持ちで目をそらしたりしています。私はあなたとは知り合いになりたくありません、必要な情報以外の話を私にしないでください、そのくせ、自分が話したいと思った時には友好的な感じで会話をしてくれ、とでもいうかのような態度を、すでに外面印象において与えてしまったと思います。周囲は、「〜さん」という呼び方をすでに卒業し、あだ名や君付けで、業務外でも飲み会などが開催されています。「楽しみの共有」を、自分の興味がない事には一切触れない、という風に勘違いしたわけではないですが、むっとした態度で参加するのも気が引けて、このような状況になりました。学生の延長のような、ワイワイガヤガヤしたやりとりも、遠い記憶を掘り出せば、できない事はないですが、もう心がそう動いてくれません。


一度そうした形になると、そのことばかりが気がかりになってしまい、
必要な準備とかもできず、また日直などで必要な行動(鍵を開ける、朝のスピーチ)なども
上の空になってしまい、自分が何をしているのかを把握するのも難しく、それがさらに非軽蔑感のイメージになり・・・という有様です。


分かり合い認め合う事が愛だとは思っていないですが、自分自身は宇宙の愛が与えられるべきであり、理解されるべきであるという論理の感情はありますね。

困るのは、周囲の話を聞いているとやはり、「分かり合い認め合う」ことによって関係を築いてから、「喜び楽しみの共有」をしているように思えることです。
なんというか、「喜び楽しみの共有」というと、相手と自分との間にある対象物でのみのつながりに終わるという感じがします。僕自身、その方が気が楽です。初対面、その場限りの関係ならそれで全然楽ですね。しかし、実際には、それを通して相手自身に興味を持つ、そして相手の個性「〜さんは〜なところがあるからなぁ」といったやりとりによって交友を作っているパターンが多いです。

「分かり合い認め合う」事について、健康な人は、そこまで闇を抱えていなければ、
あるある〜という形で、深刻でないレベルの辛さや苦労などの「認め合い」で仲を深めているように思えます。


●それは外面問題に対応した感情動揺の問題ではなく、心の構造の選択の問題なのだ、と。

については承知しています。選択・・・難しいですね。


 
具体的場面ごとの行動課題・「人の内面感情の健康形」への理解^^ / しまの 引用
No.1173 2016/04/17(Sun) 10:27:45

具体的場面ごとの行動課題で考える

>就職、仕事はそういうテーマの場ではない、という事ですが、現在新入社員で研修をしている期間で、浮いてしまっています。

そうですね、取り組み実践としては、
・具体的場面ごとの行動課題を正確に把握する
・外面行動法の答えを知るだけではなく、そこでの人の内面感情の「健康形」についても理解する

というのが重要になります。
それによって、「自分は浮いてしまっている」といった感情動揺場面において、外面行動の答え見出す同時に、そうした内面動揺単に押さえつけるのではない向き合い生まれてくると思います。

まず「具体的場面ごとの行動課題」について言えば、研修中グループ演習課題の時間と、それ以外親睦のための時間とは、行動課題違ってきます。
前者の場合は、それこそ完全「親愛」「浮く、浮かない」切り離して、演習課題の内容そのものをテーマにする必要があります。それをしっかり押さえることでグループ活動をこなし後者親睦時間では行動がうまく取れず浮いてしまうというのを、何とか補えるというのが、僕自身の経験を踏まえても、向かうことができる路線になると思います。
まあ前者(演習課題)については答えがすぐ出せるが、後者(親睦行動)生涯の歩みを通して自分なりのものを模索するしかない、というようなものになるというですね。だからこそ、後者巻き込まれず前者取り組みまずこなし後者取り組みへの足場にもしたい。
このアプローチ全体感よろしいでしょうか。


「投影」「外化」への注意

「人の内面感情の健康形」については、ずばり、「人の内面感情」として自分が感じ取ったもの信じ込まないこと、そして人の内面感情というものを画一的に考えないことが重要です。
ぜひ注意したいのは、「人の内面感情」として感じ取ったものが「ありありと見える」かのように感じるものほど、「妄想」という性質を帯びている可能性があることです。

これは「投影」「外化」などと呼ぶ心のメカニズムで、自分の心の内部の感情を他人に映し出して感じ取るというもの。
解説としては以下などがありますね。初期の原稿の方が扱っていますが、
『「自己建設型」の生き方へ』収録6.対人関係を阻害する「外化」
理論編上巻 6章 「自尊心」の混乱と喪失−1「「荒廃化」と「外化」の中で進む心を病む過程」パラグラフ
など、時間の折一度じっくり読んで頂ければ。


「人の内面感情の健康形」への理解

そうした心のメカニズム留意しながら、さらにより大きな視点から、「人の内面感情の健康形」を理解するためのポイントは、次の3つの観点からして、人の内面感情を外見様子などからそう簡単に推し量れると考えない方が良い、そして感じ取れたと感じたものを信じ込まないのが良い、というものになります。
つまりまあ、「人の内面感情の健康形」を理解するとは、人の内面感情は自分にはそうは分からないものであることを理解するのがポイント、ということになりますね。

3つの観点とは、人の内面感情を人が感じ取ることについて、一般に言えること「未熟」の影響「病み」の影響です。
それぞれごく手短に書きますと、

一般に言えること・・・人の内面感情本来「見えない」ものであり、それを感じ取るというのは「空想」に過ぎない。まあ完全にそうは言えない面あるかも知れないが、人の内面感情比較的正確に感じ取るのが可能なのは「痛い」「心地良い」「暑い」「寒い」「旨い」「不味い」といった生理的感情であり、複雑な社会行動場面での感情といったものになるにつれて、人の内面感情正確に感じ取るのは難しくなる。

「未熟」の影響・・・人の内面感情感じ取ることが可能なのは、自身が体験して「知っている感情」の範囲だけにおいてであり、この点で、「未熟」段階の心は、より成長成熟した段階の心の感情を「感じ取る」ことはできない

「病み」の影響・・・心の病みの程度比例して、「空想」を「現実」と思い込む程度、つまり上記「投影」「外化」によって「感じ取った他人の内面感情」「事実」「現実」だと信じ込む度合い強くなる。

ということで、

>豊かな、というか当然であるともいえる、一般的な愛を持って交友関係を培ってきた同期の皆

や、

>出会い頭の「被軽蔑感」は錯覚かもしれませんが、しばらくした後の被軽蔑感は本物としか思えませんし、建設的に行動していても、それは隙間時間の会話などで絶対わかります。
>荒んだ感情の人が建設的行動法をしているかどうか、それとも内面感情が豊かな人が建設的行動法をしているかどうか、そのくらいの事はみればわかると思います。

については、人の内面感情についてあまり画一的考えず、結局人がどう感じているか分からない面がある、と割り引いて考えるのがお勧めになります。


「無感情」「淡白」が健康形

そしてこれも僕自身の経験を踏まえて、「内面感情の健康形」とはこんなものもある、という知識出すならば、結構、相手人物については特に意識していない、何かを感じていない(別のことにもっと興味がある)というのが、かなり言えると思います。「荒んだ感情」でもなく「豊かな感情」でもない、「無感情」「淡白」(^^;)基本だったりもする。でないとすぐ疲れてしまいますね。
仕事のような不特定相手場面では落ち着くごとに感情は揺れなくなり、濃い感情家族恋人など重要な相手との関係で持つ、というのが「健康形」一つ参考基準になると思います。
つまりまあ、今の僕もし新しい仕事場研修などに置かれたら、回りの人荒んだ感情か豊かな感情かなんてものは意識しない、というようなとして参考にして頂ければ。

ただしそうした「健康形」考えることで動揺をなだめる、というアプローチではありません。あくまで、人がどう感じるだろうからではなく、自分としてどんな問題にどんな向かい方をするかという、課題解決への揺らぎない思考法行動法築くことが取り組みになります。人がどう感じるかについても、それを映す形で、より落ち着いた感じ方ができるようになると思います。

そんなものとして、上述のように、まずグループ演習課題の時間については、演習課題の内容そのものをテーマにするというのが、僕から提案アプローチです。
演習課題の内容を書いて頂ければ、成果物考え方など、より具体的なアドバイスもできるかも知れませんね^^。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1174 2016/04/17(Sun) 20:15:59

グループワークそのものの課題については、そこまで困っていません。むしろ、グループワークがはじまるまで、全く相手との関係を築いていないのに、グループワークになると饒舌にはなしている事への違和感を持たれる事に困っています。
繰り返しますが、これがインターンシップや、一時の集まりなどであれば別ですが、今後も研修は長く続き、その後も情報交換が出来る事が望ましいです。

僕としては 会話が苦手なら苦手なりに、共通点を見いだす事、相手に、どういう人間なのかの一貫としたイメージをもってもらう事は、その場限りではなく、今後も付き合いのある同期として最低限必要だと思います。

トイレですれ違ったり、休憩時間に、目を反らして口をつむぐ態度は、明らかに問題ありますよね。


個々によって、コミュニケーションのスタイルが違うという事は、今更だけどよくわかります。
淡々と共通の興味について話しているようなコミュニケーションが好きな人もいれば、二言目には冗談をいうようなコミュニケーションが当たり前の人もいます。その人たちがお互いにプライベートでずっと過ごす事は考えづらく、そのような中でも最低限コミュニケーションをとって円滑な関係を築くものだと。



ところで、嘘のない自分、を考えると、
幼稚園児のようにコミュニケーションをしたいというのが出てきますが、これはどう捉えたらいいのでしょうか?

具体的にいうと、意味不明な言葉を連呼したり、
牛乳のみまちゅ!とか、おいちいね!とか。
相手にもそんな自分を笑って欲しいとかではなく、
当然のようにそれに応じて欲しいと。


もちろん頭には、そういう言葉を発する事を冗談と捉えて「何言ってんだよ笑」「馬鹿じゃないの笑」という思考が浮かびますけど、それは周りの人と円滑にコミュニケーションをとるために用意された思考です。

その下には、やっぱりそういうやりとりが一番自然体だ という感覚が控えているんです。


えー!すっごおい!やったあ!うれしいい!



とか、感情強制をやめようとすると、
すごく稚拙な自分が出て来るんです。
口をつむいで、まわりの様子を伺いながら、はにかんだ笑いを浮かべるような。


同時に、その感覚の中にいると、周りの同じくらいの年齢の人を、すごく年上に感じるんですよね。
お姉ちゃん、お兄ちゃん、遊んでよ!みたいな感じです。
当然、同い年で大人同士の遊びなわけですから、
そのような態度ではいられません。


その自分への強烈な否定感、絶対外に出してはいけないという拘束感があります。年齢相応のコミュニケーションをとるためには、年齢相応の笑いのツボを把握して、そこで笑ったりしないと、話になりません。けど、それが嘘だとしたら?
僕はどうコミュニケーションを取ればいいのかさっぱりわからなくなってしまいました。
そしてそんな自分に一番困惑するのは周囲でしょう。


 
「応用思考」の実践^^ / しまの 引用
No.1175 2016/04/26(Tue) 10:34:50

ちょっと遅くなりました^^ゞ

>ところで、嘘のない自分、を考えると、幼稚園児のようにコミュニケーションをしたいというのが出てきますが、これはどう捉えたらいいのでしょうか?
>年齢相応のコミュニケーションをとるためには、年齢相応の笑いのツボを把握して、そこで笑ったりしないと、話になりません。けど、それが嘘だとしたら?僕はどうコミュニケーションを取ればいいのかさっぱりわからなくなってしまいました。

これについてはまさにアドバイスした通りです^^。
具体的行動場面課題ごと考えます。そこで自分として本心からこれが行動法として適切だと思える答え出せたら、それは「嘘」というものでもないでしょうし問題ないと思います。
問題そこで考えた行動法が、ハイブリッド心理学が考えるもの方向を共にするか。たとえば仕事場面であれば原理原則的なもの望ましいし、交友場面であれば、「喜び楽しみの共有として向かい、それが見出せないのであれば孤独を受け入れる」、です。

ただし内面においては、望み思いっきり開放する。これについては、
『実践詳説』
10章 「自らによる心の成長」と「人生の前進」の歩みへ

人生の前進と「望み」への向き合い
パラグラフ後半
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一般「欲求」「衝動」「願望」「望み」といった心のエネルギーの感情は、「これは感じていい」「こんなものを感じてはいけない」という風に、それが湧き出ようとするところ「検閲」し場合によって「抑圧」するというのではなく、まずは湧き出るままに、心の中で思いっきり開放することが、心の健康と成長にとって良いことであるのは言うまでもありません。・・(略)・・
===========

以降部分(P.175-176)読んで頂くと良いでしょう。

まあ指針的なものとしてアドバイスできるのは、上もそうですが恐らく既出紋切り型アドバイスになると思います^^; それで考えるとどうなるか、という「応用思考」実践して頂くと、前進つながると思います^^。これは
『メール相談事例集』
はじめに・「取り組み実践」とメール相談 / 自己独力での「学びの応用思考」へ
などご参考^^

いずれにせよ具体的場面ベースご質問頂けれれば、また懇切具体的アドイバイス返せるかと思いますので^^。


 
Re: 被軽蔑感を流す / こたろう 引用
No.1178 2016/05/05(Thu) 22:02:51

場面ごと・・・ですか。
個人的には、「内面が成熟していない」事によってそういう風になるのだろうな、と思っていたので、それは外に出す感情(感情というか表現?)ではなく、内面にとどめておくものかと思ったのですが、、、。


それから↓

同時に、その感覚の中にいると、周りの同じくらいの年齢の人を、すごく年上に感じるんですよね。
お姉ちゃん、お兄ちゃん、遊んでよ!みたいな感じです。
当然、同い年で大人同士の遊びなわけですから、
そのような態度ではいられません。


の部分についてハイブリッド心理学から何か解釈はないでしょうか?


2chのスレッドでも、「心が大人にならない病気」だかなんだかのスレタイで、
ひたすら小さな子どものような発言を羅列しているスレッドがあり、
ああ、こういう人も多いのだなと、非常に共感しました。


 
「幼児返りした愛情欲求」への向き合い^^ / しまの 引用
No.1181 2016/05/19(Thu) 06:55:43

>お姉ちゃん、お兄ちゃん、遊んでよ!みたいな感じです。当然、同い年で大人同士の遊びなわけですから、そのような態度ではいられません。の部分についてハイブリッド心理学から何か解釈はないでしょうか?

「幼児返りした愛情欲求」とでも呼べるものになるかと。

やはり「感情と行動の分離」で、「内面感情はただ流し理解する」ですが、そこから自分対人行動なり人生の生き方なりの前進への決断つなげることが重要になります。

>2chのスレッドでも、「心が大人にならない病気」だかなんだかのスレタイで、ひたすら小さな子どものような発言を羅列しているスレッドがあり、ああ、こういう人も多いのだなと、非常に共感しました。

まずありのまま「ただ流す」。それで似た人共感するのはいいとして、「で、どうするか」ですね。そうした人達コミュニティ作って一緒に遊ぶのをこれから交友活動とするか。そうした決断つなげていく。
そうした前進決断際して、心の健康と成長向かうために理(利)にかなったものか否か考えるものとして、「ただ流す」の次の「理解する」来るわけですね。

「健全性」「有用性」2つの視点になると思います。
「健全性」・・その願望欲求衝動は、健全なものか。それとも歪みや病みを含むものか。
「有用性」
・・その願望欲求衝動は、自分の生活と人生前進のための行動に、役に立つものか行動化して良いものか
まあまずは、最初の視点「歪みや病みを含むもの」は、次の視点大方は「ノー」になると思います。
一方、最初の視点「健全なもの」あっても次の視点「ノー」になることもある。たとえば血気盛んな若い男満員電車薄着うら若き女性密着した時、ムラムラっとするのは健全(^^;)だろうが、行動化してはマズい

「幼児返りした愛情欲求」については、
まず「健全性」は、幼少期の純粋なその感情心の中で蘇るようなものは、健全な範囲でしょうし、それが「魂の愛への望みの感情」であれば向き合うことにとても意義がある感情だと言えるでしょう。
一方、歪みを帯びてくるものとしてまず考えられるのは、同年代対象との対等な友愛築くことへの深刻な障害がある場合に、穴埋めのようにそうした衝動への執着とそれによる膨張起きてくる、というものです。そうした「障害」「執着」「膨張」といったものの度合いが、「病み」度合い言えるものとしてです。
一方「有用性」は、歪みを帯びたものはもとより、健全な範囲のものであっても、もちろん持ちえませんね。少なくとも成人望ましい行動としては。
ただまあ同じようなメカニズムで、性欲対象が異性人物ではなく異性が身に着ける物品などに執着する「フェティシズム」などに比べ犯罪行為につながる危険度少ないと感じますね。まドン引きされる程度^^; 相手健康な成人である限り。

ということで、

>場面ごと・・・ですか。個人的には、「内面が成熟していない」事によってそういう風になるのだろうな、と思っていたので、それは外に出す感情(感情というか表現?)ではなく、内面にとどめておくものかと思ったのですが、、、。

は、そうした幼児的感情はもちろん、内面にとどめるものになります。
重要なのは、その上で、自らが行動化し得る別の感情なり意志なりを、どう見出すかです。
それが場面ごとの、細かい学び向き合い模索試行錯誤の、積み重ねになります。
まあ一言で、
内面の問題感情の解釈は人(島野など)に聞けば一定の答えが出るが、前進への感情は自分自身で見出すしかない、一定の答えなどないものになる。その答えは問題感情の理解の中にはなく、問題感情を流し理解しながら建設的な行動を自分自身で模索する向き合いに立つ、足元の強さから生まれる。
などとアドバイスできますね^^。



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