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記事No.1190に関するスレッドです


悲しみの克服について / 治男 引用
No.1190 2016/07/14(Thu) 11:33:50

島野メモ:
異性関係および家族関係についてのご相談最初のご入力内容省略しました^^。


 
自己方向づけあってこその「心を解き放つ」・自己分析例など^^ / しまの 引用
No.1192 2016/07/24(Sun) 11:41:42

自己方向づけあってこその「心を解き放つ」

>心を解き放てというキーワードで検索したら、このサイトに繋がりました。思い出すと苦しい、考えると苦しいという状況ですが、自分を受け入れる、全てを受け入れるという事で何とか対処しようと考えるものの、浮き沈みがあり、非常に苦しいのが実情です。何とか克服したいと考えています。お助け下さい。

これは一言で、こんなアドバイスになりますね。
行動法をわきまえ、未熟な感情を見分け、それでも自分自身の中で守るべき「愛への望みの感情」を見出した時、そこに答えが示されるであろう。
と。
それが「心を解き放つ」ことによる答えとしてです。闇雲心を解き放ったところで、答え出ず収集がつかない自己方向づけあってこそ「心を解き放つ」ことが意味を持つ、ということになります。

ハイブリッド心理学では、そうした「心を解き放つ」ための取り組みを、生涯にわたる「心の成長」歩みとして営むための実践説明しています。
まずはそうした「心の成長」というもの自体に、どのように関心を持てるか、になると思います。サイト眺めて、じっくり読んでみようか、という気持ちなれるようであれば、おそらく上述「そこに答えが示される」といのがどういうことなのか、おぼろげ見えてくるかも知れませんし、そうでなしに、ただその最後の答えだけ体感できるようなアドバイスいまここで、というのはちょっと難しいかも知れない。

といった話になるかも知れませんが、実際進めるとしたらどんな感じになりそうか、ごく要点書いてみましょう。・・とは言っても、書いて頂いた状況からじっくり考えてみると、ごく要点だけでもまあ以下のような結構な話の量になります。


悲しみ苦しみの克服までの歩み・自己分析例など

まずは話の繰り返しからになりますが、「心の成長」というものそれ自体に、関心を持てるか。「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」であり、それが、依存的な恋愛感情と、それがうまくいかない悲しみ苦しみ抜け出す方向に、そもそも心が向くどうか分かれ目になると思います。

そうして「心の成長」という大上段から、自分人生採用する価値観行動法「選択」自らに問いていくのがになります。
ここに再び分かれ道があり、ハイブリッド心理学採用する価値観行動法を、自分自身本当に心底から選択するかです。そう思ったのは実は自分への演技のようなものだったと、意識の鎧脱ぐことに向き合う時間結構必要になるかも知れません。

ハイブリッド心理学採用する価値観行動法とは、
「愛」「楽しみと喜びの共有」として向かう、それが実現できない時孤独を受け入れる、という価値観であり、
「建設的対人行動法」として、共通目標共通利益のみに着目して行動する、それがないならば何もしない、という行動法です。
これを、自分成長するための価値観行動法として、これからの人生のためのものとして心底から選択するか
そこから多少「行動学」、まあ今回の話で言えば恋愛行動学のような知恵とノウハウ加えるいいでしょう。異性との交際であれば、一度交際を解消したのであれば、その後基本プライベートな接触はしないのが原則です。それがマナーでもあります。それができず
>3年半後の事実の判明に、何も出来ませんが、相手の女性に、全て分かったよ、責めたりしないから会話しませんかと留守番電話に残しました。
といった行動をするのは、ストーカーに発展する可能性ありとして、過剰な拒否反応を招くのも無理ない話です。
異性から振られた「理由」問うのも、言ってしまえば、こんな言葉でご容赦ですがちょっと愚かです。それはただ、こっちが相手にとってベストではなかっただけのです。それ以上特別な「理由」問えるのは、それなりに堅く結婚の約束をした場合などになるでしょう。
自分がこんなに思っているのだから、相手もそれに応える「べき」といった思考は、健全な思考ではありません。これはよろしいでしょうか。
また既婚段階相手との交際を開始したのであれば、それこそ振られる理由など問うべくもない^^; これはいいですよネ。

そうして心の成長向かうための価値観行動法選択への方向性しっかりと持つことが、内面感情ありのままに開放するでの安全弁になると同時に、開放する感情「自己分析」を通して解きほぐし整理するための、足場土台になります。
つまりそこから行うのは、自分の中感情一つ一つ切り分け心の健康と成長におけるその位置づけを理解すると同時に、それぞれ自分の感情に対する自分の姿勢を、明瞭にすることです。
3つの姿勢どの位置づけとして、自分はそれぞれの感情を扱うのかです。「全て受け入れる」なんていう建前抽象論(?)ではなく。
(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情


「自己分析」として重要なのは、感情連鎖流れどこに行き着くかを確認するようなものではなく(それは流されているだけ)、感情連鎖をより前の方へと遡り、まずどんな感情があり、そこにどんな感情もしくは観念が加わることで次の感情に変化したのだという、自分の感情の流れのメカニズムを分析することです。だから「自己分析」
そしてそこに入り混んだ不合理な要素見分けることが、何よりも、耐え難い悪感情消滅するのに助けになると思います。
たとえば愛情怒り憎しみ変化する流れであれば、上述の、「自分の思いに相手は応えるべき」といった観念や、相手が高慢な感情で自分を軽蔑したというイメージ入り込んだ可能性がある。
またそれが苦しみ変化するのであれば、相手は応えるべきだとする、自分の一途で気高いはず(?)思いに、実は自己欺瞞があり、心の中で自分の首を絞めるような自己攻撃感情起きているのかも知れない。あるいはもっと一般的に、気に入ったものは手に入れないと気に食わないという、人生での感情がそこで悶絶起こしているのかもしれない、などなど。

そうやって自己分析不合理要素感じ取ることが、耐え難い悪感情消滅させる最大の助けになるのですが、結局それも、最初に言った、心の成長への価値観と行動法心底から選択していてこそ、それら自分自身不合理だと感じ取れるのであり、その時悪感情消滅する、という効果なり得るわけです。

そこからさらに、自己分析進めることができるでしょう。相手を好きに感じた感情という、起点部分分析です。
それは何を好きだったということか。性格外見、あるいは性的魅力か。そこの辺あまり書いておられない文面全体雰囲気からまず僕が想像したのは、まあ総合的に言って(?^^;)女性としての魅力が今までで一番高かったような相手というかなと。であれば、もしさらに特別に女性としての魅力が高い人物手に届き得る形現れたら、自分はどう感じるだろうか、といった仮説的命題設定をしてみて、自分の心さぐりを入れてみるのも、「自己分析」としていいエクササイズになります。もしそうであれば、その相手もう用無しの(雑な表現ご容赦^^;)、つまり相手を取り替え可能な「愛」だったのではないか、とか自分に問うことができるかもしれない。
まあ僕の感想率直に言って、
>今でも大切で愛している事を自覚しています。
という言葉は、書いて頂いた状況では、どうも不釣り合いのように感じます。その言葉は、それなりに確実な絆を、それなりの人生の時期を通して持った相手使える言葉ではないかと。
「今でも特別に魅力を感じる」というのと、「今でも大切で愛している」というのとは、大分違う感情です。前者はとくかく利己的に相手を欲求しているだけ。それを後者感情であるかのように自己偽装しようとした時、相手からの拒否は、相手が高慢な感情で自分を軽蔑したというイメージに、「うじ虫」「ナメクジ」といった最大級の嫌悪を向けられるイメージ加わるというのがメカニズムです。あるいはこれが「苦しみ」原因かもしれない。

そうやって心の成長への価値観行動法持ち感情不合理要素見極める「自己分析」できるようになれば、さらに、まさに「心を解き放つ」ことが意味を持つ歩みへと向かうことができます。
不合理要素不純要素ない「望み」感情を、心の中で開放し、人生の歩みとして、それに向かうことです。それらはどう実現し満たされることが可能なのか。それを人生において追及することです。
「結婚」とかの固定観念を、心の中では取り外すことが重要です。もちろん外面行動の形として一つの選択にはなるものとして。単純女性の外見などの魅力惹かれる感情であれば、反道徳的ではない範囲行動たとえばお気に入り女優画像収集とかもいいでしょう。そうした個別的願望実現方法個別的に探究した時、「結婚」というのは、相手が好きだという感情だけではなく、相手と共ににどんな家庭を作りたいとかの、共同事業的感情重要になってくることも分かるでしょう。

そうした探究歩み最後に、「心の豊かさ」というものがどう生み出されるのかというテーマが、視野に入ってくる。
「心の豊かさ」とは、「自分から愛せる気持ちの増大」だ、と言えるでしょう。自分自身でそこに幸福を感じられる形で、と。
そしてそれは、実は上記感情の位置づけの中の、
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情
心の中燃やす量応じて生まれていく。
というのがハイブリッド心理学からの結論です。この辺もうここで詳しい説明をするのはやめ、そんな歩みがあり得る、という言葉だけ終わらせておきましょう。

とまあ以上のような心の成長歩みがあるとして、「悲しみ」本当に完全に克服されるのは、つまり「悲しみ」「心の豊かさ」変化し尽くされる、まあそれを「救い」というのであれば救いは、その歩み最後になって訪れる、というものになります。
その途上では、まず価値観行動法への取り組み、そして「自己分析」習得習熟などの、格闘になるだろうと。
上に書いたものは、あくまで参考的ガイドであり、実際の歩みは、自分の足で、つまり自分が考え自分で自分に問う言葉を沢山持っていく歩みとして行って、初めて意味があります。
それに向かうか、ですね。

ということで、僕からのアドバイスは、「道はある」ということですね。それは上述のようなだ、と。まあそれは一つの人生の道そのものだ、ということになりますね。
実際にそれに向かうかどうか、読書日々の向き合いという地道「人生の学び」として、ハイブリッド心理学取り組み実践入ってみるか、と検討頂ければと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1194 2016/07/27(Wed) 11:05:30

愚かな事とご指摘の通り、相手は応えるべきと考えていたのは事実のようです。
幸福になりたいと考え、今の自分がいる家庭は本当に居たい場所ではないと思っています。前に進めたいと感じるようになりました。
すみませんが、この記事を削除して頂けないでしょうか?
スパムメールが急増しています。ここに登録してしまった為と推測しています。


 
Re: 悲しみの克服について / しまの 引用
No.1195 2016/07/27(Wed) 12:51:42

とりあえずメールIDと内容を消しておきました。「治男」というのも消した方がいいですかな。
ご相談内容をごく一般形に再編集して、僕のアドバイス部分は残そうと思っています^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1196 2016/07/27(Wed) 17:28:20

> とりあえずメールIDと内容を消しておきました。「治男」というのも消した方がいいですかな。
> ご相談内容をごく一般形に再編集して、僕のアドバイス部分は残そうと思っています^^。


迅速な対応有難う御座います。治男は大丈夫です。
愚かな質問をしてしまったのは、相手をそんな人ではない、信じているという感じから
抜け切れなかった為と思われます。どうしてあのようなとか、こんな事を問いただした
のかなど、過去に遡ると残念な気持ちになるばかりです。もっとより良い方法や繋がり
方法があったはずという後悔でしょうか。
面会できなくなってから長い期間繰り返しの自己問答を行った為に、愛していると錯覚
してしまったのかも知れないと思う様になってきています。想定問答の末に、もう一度
会えた場合、本当にこの感情が愛なのか確認したいという考えもありました。
今となっては完全に会う事も会話も不可能という状況になり、相当相手が私を嫌悪して
いると考えられるのに、そんなはずは無いという感情と、嫌ってもらって結構だという
思いが出ます。そんなはずは無いという状態の時は、凄まじく悲しくなり、嫌って
もらって結構だと思うときは楽な気持ちになる傾向が分かっています。
相手の二股は私に対する裏切りで、私自身も家族を裏切っていたため、自業自得となり
自分の悪行がすべて自分に帰ってきたと思うようになっています。そして相手は自爆し
てしまったと考えています。一番誠意を持って相手を大切に思っていたのは私自身以外
に無いと考えた時、苦しくなります。相手は一分一秒たりとも自分を思い出しても考え
てもいないと思うとき、楽になります。これまでの3年半の間に、少しずつ、一つずつ
諦めてきたと思っています。最後のこの一月ほどの間に分かった事実が強い悲しみを
もたらし、また同じように苦しくなりました。そして、もう一度嫌ってもらって結構だ
という言葉を繰り返す事で自分を楽にしています。


 
「心の成長」に向かう中で「愛」は見え方が変わる^^ / しまの 引用
No.1198 2016/08/02(Tue) 11:44:35

心の成長の全体にまず取り組む

同じアドバイスになりますが、
心の成長へと向いた中で心を解き放った時、そこに動揺や悪感情を凌駕する、新たな感情が見出される。
ということになります。に、知性理性心の成長考えたもの遥かに超えた、自分自身でも予想だにしなかったような、輝きを帯びた感情としてです。

そこで多く場合、まず「心の成長に向く」という前段段階課題になってきます。それなしに、こうしたアドバイス場面で、最後の、輝きある感情が解き放たれるところだけおいしいとこ取りしようとしてもそうは問屋が卸さない、というものとしてです。
そしてこうしたアドバイス場面僕にできるのは、その前段段階である「心の成長に向く」というものに向けて、ご相談者そうさせてあげる、というのはできず、というのも、「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」であり、まずそこにおける「自ら」といのが、究極人に言われてできるものではなく、自分で選択しなければならないものだからです。
で、こうしたアドバイスの場面で僕にできるのは、心の成長向くためのヒントとなるキーワードか、もしくはご相談者の方現状でどのように心の成長に向けていないか指摘することまでになる、という按配です。

そして心の成長に向かうとは、「生涯の学び」として当たる必要があります。これは身体の健康向かうのが「生涯の学び」であるのと同じです。食事運動その他生活習慣身体各所維持向上病気怪我予防対処知識などなど、これ一冊読めばそれで全て大丈夫ですヨ、なんて話は毛頭なく、日頃から新聞TVなどでそうした情報接するに、自分自身実践試行錯誤など積み重ね必要になります。

心の健康と成長のためには、価値観と行動法、感情のバリエーションやその変化の仕組みの理解、さらには生き方姿勢を形作る意識基盤などなど、理解すべきこと広範囲におよぶのですが・・その項目全体『辞典』整理しているように・・、問題は、そのための正しい情報日頃本や新聞TVなどで発信されるような状況ではなく(まこの辺の意見はさまざまでしょうが)としては、ハイブリッド心理学著書時間の折日頃読む習慣と、日常生活での実践を模索することとして、まずは心の成長に向かうということ全体取り組むのを、検討されると良いのではないのかなと提案するのがアドバイスになる次第です。


「心の成長」に向かう中で「愛」は見え方が変わる

具体的問題に際してアドバイスできるのは、ごく外面の行動法答え・・これは具体的に言え、今回の話については、行動法として前アドバイスで言った通り、あとは上記のように、心の成長の全体向かうにおいて、当面の話との関連においてヒントになるキーワード、もしくはご相談者どのように現状で心の成長に向けていない察せられるポイントを指摘するまでができること、という

・・とアドバイスの前置きアドバイスそのものより長い感(^^;)がありますが、前アドバイスへの補足的に言えるのは、どのように現状で心の成長に向けていないかの部分になると思います。

それはこの部分です・・と端的な文章引用しようかと思いましたが、どの文章というより、上の追加レスの全体になりますね。
「愛」を、「気持ち」の問題としてばかり問い、生み出す行動として問えていない、という状況察せられます。

互いが好きという気持ちが合うことをゴールのように抱いている雰囲気察せられるのですが、そんな相手世界ゴマンいてもいいわけ(まそんな好条件はなかなかないのが実情ですが^^;)です。問題は、そこから実際何ができるのかです。
互いが好きという気持ちだけでメシを食うことはできず、現実生活の設計と維持という、一大事業問われるのが人生そして結婚というものです。たとえば「信じている」という言葉出てきましたが、それはいったい何を信じているということか。相手が自分を好きという気持ち信じたところで、互いの現実生活前進しないわけです。
その前に、自分は相手との現実生活を築くためにどのような姿勢と行動を持つか問われます。それが明確であれば、、次の問題相手を信じるかという問いにはならず、そうした具体的行動レベル相手は合意するかどうかです。
互いが好きかどうかというのは前段的な話として、相手と実際何をしたいか、何ができるかが、問われます。念のため、性愛行為以外現実生活行動としてです。
実は、そうした「気持ちの問題だけではない行動への姿勢」持っていれば、相手の態度違っていたのでは、とも思えるのですが・・。

心理学的テーマで言えば、「心の成長」とは「自らによって幸福になる能力の増大」です。
そしてその姿勢欠如した時、「愛」が、互いが好きという気持ちの一致がゴールのように抱かれ、その後が意識されずに、そのゴールによって相手が自分を幸福にしてくれる、相手が自分に良くしてくれるというようなイメージで抱かれる傾向が出てきます。
どうもそうした姿勢ではないか、と。
「心の成長」向かうことでことで、「愛」が、大分違う角度からも見えてくる。その先に、前アドバイスで書いた、
(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情

といったものが見分けられるようになり、(3)答えとして見えてくることもある、というになります。

とりあえず今言えるのはこんなところですかねー。ということで、ハイブリッド心理学取り組み全体向かえそうかなど検討頂ければ^^。
「心の成長」の中で「愛」がどう変化するかといったテーマについて手早くは、以下のような原稿など読みつまんでみて頂くといいかもしれませんね。
メール相談事例集

・No.001 パートナー不信危機を乗り越え、生き方の全体に向き合う
・「魂の感情」への向き合い の説明および事例


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1199 2016/08/02(Tue) 20:57:30

(1)建設的行動法への原動力として、積極的に手を組んで行動へとまい進すべき感情
(2)現実行動化はできない、未熟もしくは病んだ思考や感情として「ただ流す」だけにすべき感情
(3)現実行動化は問えないが、そこに真実のある、自分の中で守るべき感情

これについてもう少し簡単にご説明頂けないでしょうか?
妄想や一定の考えに捕らわれた心を解放するには、心の成長が必要であり、自ら進んで
実践に移すという事だと思います。病んだ心と思いつつ、とらわれたままです。
納得が行かないと何時までも考えるという感じです。
負のスパイラルとでも言うのでしょうか?
死んだ者をいつまでも思い出し、悲しむという事と似ているような気もします。

昨日、釣りに行って仲良くなった同年輩の男性が魚を私にぶつけてきて元々汚い
ズボンに血がつき、ムッとしました。
何時もの自分なら、へらへら笑って、何も無かったような表情を維持するのですが、
通常怒りを表さないのが自分の弱さでもありますが、相手に怒りが伝わったらしく
無口になってしまいました。でも、自分を何時も抑えるような感じなので、これで
良いのだと自分を言い聞かせました。
何時もの通り、悲しく苦しい思い出を、楽しい釣りの時間にも考えていました。
今でも愛していると思い込んでいる女性の実家へ行ってみようと、この2ヶ月の間
何度か考えました。
昨日、実家へ行ったら、もっと嫌な気持ちになると思いました。
まだまだ隠されている嫌な事が有るのではないかと、これ以上嫌な思いはしたくないと
思いました。従って、恋心はあるけれど、好きだけれど、普通の女性として良心が
有ると考えられなくなってきました。
悪感情がまたまた出てきて、人を信頼するという事が出来ないという感じです。
人は性善説で見ており、小学校で塗り込められた良い人という考えや記憶から外れ
られないのです。従って、相手は、人は皆良い人という考えから抜けられません。
これは良い事だと思っていますが、私に嫌な思いをさせた人たちは、全く良い人では
ないのです。嫌いという事になりますが、それでも良心があるだろうと信じてしまう。
だから苦しむという事だと思いました。


 
「人の様子」よりも「自分の価値観と行動法」に取り組む^^ / しまの 引用
No.1201 2016/08/09(Tue) 09:01:58

明日から北アルプス登山に出かけますので、迅速手短に^^。

>これについてもう少し簡単にご説明頂けないでしょうか?

「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」という「感情と行動の分離」原則に立った実践として検討していきます。

対人行動であれば、「建設的対人行動法」として、「共通目標共通利益のみに着目した行動」行います。「愛」を、「喜び楽しみの共有」として向かう価値観にも沿った行動法です。
ですので、相手も同じように楽しみ喜ぶであろうものであれば、何かの行動をしたいという気持ちを、実行に移せば良し(1)
そうでないもの、たとえば「怒り」は、行動化しない(2)
ただ相手に近づきたい。でも相手はそれを喜ばない。であれば行動化しない。それでも相手を思う気持ちに、自分にとって大切なものあると感じるのであれば、それを心の中で守る(3)
で言うとそんなことになります。

そのように、まず「行動法」「価値観」についての自分の考えを築くことによって、それを舟の碇のように水底におろし、荒波のような感情流されることなく解きほぐせるようになります。

上記追加レス材料も、まずはそうした取り組み方必要になりますね。それはまだ未着手のようですので、まずそれを検討頂くと良いかと思います、というのがアドバイスになると思いまず。

>相手は、人は皆良い人という考えから抜けられません。これは良い事だと思っていますが、私に嫌な思いをさせた人たちは、全く良い人ではないのです。嫌いという事になりますが、それでも良心があるだろうと信じてしまう。だから苦しむという事だと思いました。

これも、「善悪」の価値観テーマになります。ハイブリッド心理学ではについて「良い人」「悪い人」という分類しません行動については、法的、また人道的な観点からの善悪もちろん問います。「原理原則」という視点扱います。
そうした視点なし「良い人」「悪い人」というのを漠然と考えていると、自分の欲求に応える人が「良い人」で、そうでないのが「悪い人」といった、てんで方向性なしのイメージの話になってしまいますね。
この辺『入門編上巻』詳しく説明しています。

ということで、現状
・人の様子→感情動揺
という流れになっていると思いますが、そこから、
・→自分の価値観と行動法の検討(ハイブリッド心理学の学び取り組み)→感情動揺の解きほぐし
という進め方をするよう、検討してみて頂ければと思います^^。

まずは多少の読書からになると思います。じっくり「生涯の学び」として進めて頂ければ。そうした進め方をしようとして、これこれが不明といったなど明瞭化して頂ければ、さらに踏み込んだアドバイスもできるかと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1203 2016/08/16(Tue) 12:06:36

入門編第1巻を読み始めました。まだ、まえがきの部分からそれ程進んではいませんが、
重く沈んだ苦しい感覚が何度も打ち寄せてくる状況が少し変わっています。
あまりにも酷い仕打ちをされて、例えば、相手の女性が引越しをしたという事を周りの
人々は知っているが、自分だけは知らされていないという小さな事柄を知った時、
また、隣に座っている人と夕食をとったけれど、私とは面会さえしてくれなかった事、
そんな事ができる心根はいったい何かという事を考え続けた苦しい時間が本当に無駄
であった様な、忍耐力がついたから良いかといった感覚が出てきました。
どうしてそんな事が出来るのか信じられないという感覚から、あきれてものも言えない
という感覚です。いままで、早く忘れたいと思っていた事が、徐々にどうでもよくなって
来た感じです。ふと気がつくと、相手の立場になって何時も考えています。
自分が相手だったらという考え方だから自分本位かもしれませんね・・・
自分の事を優先させることにしたい。思い出したくない様なお付き合いは金輪際しない。
あまりにもくだらなく下劣な行動をしない。自分勝手で卑怯でインチキで人非人の様な
本当に酷い無茶苦茶なやりくちで他人を置き去りにしない。
私は、幸せになりたい。私にとって幸せとは何か。愛する女性を愛しぬく。一生をかけて
幸せにする。そのために、年金が出るまでに何とか出会う。自分を真正面から見てくれる
信頼でき、本当の意味で愛する事ができる女性と生きる。というものです。
しかし、これだけ囚われると本当に困ったものだと、どうしたら良いか分からなくなる。
これを乗り越えたら、きっと幸せに向かえる気がする。


 
読書と実践^^ / しまの 引用
No.1205 2016/08/23(Tue) 09:47:51

まずはさまざまものの見方考え方価値観思考法行動法内面感情の理解の仕方、そして心への取り組みについて触れるという感じでいろいろ読み進んでみて頂ければと思います^^。

その先に、「価値観」「行動法」選択に応じて自分自身問題材料どう考えられるかという、選択テーマを明確にした思考取り組みをするのが、まずは道筋になると思います。
たとえば
・「愛」への向かい方価値観として、「楽しみ喜びの共有」それとも「分かり合い認め合い」として向かうという、価値観選択がある。自分内面感情そのどちらで動いているのか。別の価値観に立った時、どのように考えられるか、といった思考取り組み
それが「実践」になりますね。

そうしたテーマ選定的この部分はどうか、といった材料あれば、また新規トピックなどで入れて頂ければ懇切アドバイス返していきますので^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1206 2016/08/25(Thu) 12:19:13

人を信じるという事はどういう事なのでしょうか?
今、かなり強く相手の女性がちっぽけで愚劣で汚らわしく思うようになりました。
以前は、その女性はマッサージ師をしていた為、指が割と太く、それも真剣にやっていた
から素晴らしいとか、とっても前向きで、尊敬すらしていたのに、これまでの私への
暴言や愚かな行動と拒絶を見ていると、人間としてかなり愚劣で劣っているし、誠実さや
問題に対し正面から向き合う、人を裏切らないという真摯さのかけらも見受けられない。
嫌な悲しい思いをさせたくないという愚かな思いやりが、益々強く私の心を傷つけると
いう事を考えもしていないと見られます。
同じ会社の2人と肉体関係におよび、夕食を同席する危険な事すら気にもしないという
態度と思いやりの無さがあまりにも悲しくちっぽけ過ぎる程に思うようになりました。
そんな人ではないという思いを深く裏切られたという残念な思いすらも、もったいないと
思うようになってきました。色々な悲しみ・苦しみ・悪感情を凌駕する、新しい気持ちが
芽生える事がひょっとしたらあるのではないかと、時と共に感じる様な、そして、希望が
持てるようになりました。こうした事ばかり考えていると読書が進まないという動揺と
いうか、集中できないという感覚なので、まだ少ししか進んでいません。


 
「人を信じる信じない」を卒業した思考法行動法へ^^ / しまの 引用
No.1207 2016/08/30(Tue) 09:18:09

「人を信じる」とは

>人を信じるという事はどういう事なのでしょうか?

まず「信じる」とは「疑わないこと」だと辞書では出てきますね。
それが「人を信じる」というテーマとなれば、
?@人の心の根が良いものであることを仮定した思考を選択する
?A期待をかける

という、大きく2つになると思います。ま言葉の定義ですね。

ハイブリッド心理学では、「人を信じましょう」というしていません
人の心の根が良いものであるかどうかは、ケースバイケースです。疑うことが必要になる場面も、社会生活では出てきます。安易な儲け話持ちかけられた場合など^^;
一方心の根が良いか悪いかは、心の健康にも関係します。心の根悪いものに傾くのは、心を病んで生じる「心の荒廃」関係します。心が健康であるほど、「良心」にも傾くというのが、ハイブリッド心理学の考えです。
誰が誰にどう期待をかけるかどうかは、もう完全一般論のない、人それぞれ「望み」になりますね。

心の成長への取り組みとしては、そうしたものとして、
・人と社会を見る目を、人生を通して築いていく
・自分の望みに向き合う

という2面重視しています。


「人を信じる信じない」を卒業した思考法行動法へ

そこにさらにハイブリッド心理学採用する各種思考法行動法生き方姿勢加えて考えるならば、「人を信じる信じない」といった思考そのものを、卒業する方向向かうのが、ハイブリッド心理学取り組みだと言えると思います。

人の心成長によって変化します。もし自分心の成長を目指すのであれば、人の心決めつけず、変化の可能性も視野に入れたいところです。
一方でハイブリッド心理学採用する「原理原則行動法」は、人の心の内面執拗に問うことなく外面における客観的な事実に基づいた、厳然とした対処行う方向のものです。

そうして、人生を通して人と社会を見る目築きながら、実際の場面においては、人の心が変化するものであることへの視野も持ちながら、内面にあまり立ち入ることのない厳然とした行動法も行っていく。
そうした多面的な心の視野持ちながら、自分が何を望むのか真正面から向き合う。すると最後人をどう見て自分がどう行動するかは、人が信じられるか信じられないかに増して、自分自身をどう信じるかの方が重き持つものになっていきます。

「心を解き放つ」惑い煩い動揺凌駕する感情開放されるというのも、そのように揺らぎない自己築く方向性先にあるということになりますね。

今回の件に限らず、日常生活人生さまざまな場面において検討するものとして、そうした自己方向づけ参考としていろいろ読んでみて頂ければと思います^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1208 2016/08/31(Wed) 12:17:42

ハイブリッド心理学入門編1巻の25ページ、悲しみの彼方への旅72ページまで進みました。
入門編1巻に怒りは自らを傷つけ、悲しみは治癒を促すという事が本日までの良い言葉
として私の心の中に残りました。
相手の女性はそんな事をするはずは無いという気持ちと、その酷い言動のせいで、不快な
男性の上司になり、定年前に関連会社へ出向して収入が減額される事を避けるという良い
話に乗ることが出来ないという流れの中で、怒りと悲しみが拮抗します。
「私悪い事してる」その他口には出せないほど惨く汚らわしい言葉の意味を3年半かけて
知ったという事で、記憶から消えない状態です。
悲しみが続いているのも事実で、他の対人関係も切れ切れになってしまいました。
愛の共有によって幸福になりたいという希望がありながら、前に進めなかった事の残念さ
がありますが、自分の気持ちが判然としたという事が唯一何か良かった事としています。
昨日、お前は自分のことばかりで他人の気持ちを分からない、ほんとに優しくないと
言われました。益々、弱りきっています。
今、このままでは自分がつぶれてしまうと感じています。今、気持ち・心を切り替え
なければ自滅する感じです。道を歩いていて他人が極めて不愉快に感じます。
いままであれほど会いたかったのに、今では恐ろしくて会いたくない。間違って会って
しまった時に備える為に、発言する内容を2通り考えていましたが、もちろん相手は
逃げ隠れするから心配ないと思いつつ、それすらも嫌になりました。自分の部下以外は
全員が敵で、我家族は別離したい対象でしかありません。今、心を入れ替えないと
本当に自滅すると感じます。
本日、お前は詐欺師なのだ。自己中心で全く相手の気持ちも考えない卑怯者だという
言葉が、恋愛相談の様なサイトにありました。これが完全に今の自分に当てはまった。
家族を大切に思わないという気持ちは消せないけれど、相手の女性をもうこれ以上、
というのも長すぎたけれど、これ以上は追わない考えないという事が正常な方法ですね。
自分は卑怯ではない、悪くないという立場で、相手を責めてばかりいた。
自分だったらそんな事はしないし、出来ないという論調です。現に、家族にやっている
のにも関わらずという事ですね。気がついてはいたけれど、悲しくてという言い訳です。
たしかに相手の女性は愚劣・極悪ですが、自分もそれに勝るとも劣らないという事です。
詐欺師と罵倒されるとは思わなかったから、良識ある人から私を見るとそうなると考え
られます。以前にも同様な事・浮気をした事があるので、その時は自分を許せず、兄に
助けてもらった記憶がよみがえりました。うつ病の薬を飲んでなんとなく治りました。
結局、自業自得という事ですね。自分に呆れる思いです。今回は、うつ病にはならない
感じがします。しかし、長かった。幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければ
なりませんね。自分の劣悪さに、今更ながら驚くと共に、ちゃんと離婚し前に進める
という気持ちが強く沸いてきました。


 
「現在の問題」への取り組み・個人的望みと善悪の切り分け^^ / しまの 引用
No.1209 2016/09/06(Tue) 13:41:29

「感情と行動の分離」の原則に立った検討

ハイブリッド心理学からは、どんな問題についても、
「内面感情はただ流し理解し、外面行動は建設的なもののみ行う」
という「感情と行動の分離」原則に立って検討します。

>益々、弱りきっています。今、このままでは自分がつぶれてしまうと感じています。今、気持ち・心を切り替えなければ自滅する感じです。

というで言えば、こんなアドバイスになるかと。
・まず、気分感情としてではなしに、外面の客観的現実問題を見分け、それに対処する建設的な行動学を学び、心の健康と成長のためのものの見方考え方に接し、馴染んでいく。
・それを皮切りに、内面感情の揺れを生み出した自分の考え方について幅広く見直しながら、内面感情にも深く向き合っていく。


つまりまず、「弱りきっている」「自分がつぶれてしまう」感じることにある、感情の問題と、客観的現実問題切り分けることからです。

もしそれが身体的病気怪我疲労、もしくは金銭的な、あるいは仕事上トラブルであれば、対処必要であり、また対処知恵が出てきます。
一方、「お前は自分のことばかりで他人の気持ちを分からない、ほんとに優しくない」言われたというのは、対処すべき問題ではありませんそう思われたのであれば残念なことでしょうが、反撃したところで何も生まれません。まず何もしないことです。それが心の優しさ包容力自らが培う方向性への、第一歩になるでしょう。

そのように、まずは「問題の切り分け」から。


「現在の問題」への取り組み・個人的望みと善悪の切り分け

まあ書いて頂いていること全体として、「過去への怒り悲しみ」というものになっていると思いますが、それをまず、「現在の問題の見方考え方への取り組み」というものに切り替えるのが、基本的心の切り替えになると思います。

そこで治男さんの場合重要になるのは、
・個人的な望みや意向に沿うか否かの問題と、「善悪」の問題の混同
というのを脱することだと思います。

自分他人個人的な望みや意向沿うか否かは、基本的人それぞれの勝手であり、まずは人の動きを受け入れるのがいい。それについて惑い悩み不要方向へと、心を持っていきたいものです。
一方、法的、人道的、さらには社会や集団の仕組みから言える「善悪」というものについて、客観的で原理原則的な考え方取るようにする。

まあちょっと抽象的かと思いますが、まずは「現在の客観的な問題」内容正確に把握することから始め単にものごとが自分の思い通りになっていないのを受け入れる、もしくはしっかり対処が必要な問題には対処する、という切り分け取り組んで頂くといいと思います。
対処が必要そうな問題については、ハイブリッド心理学からまた具体的アドバイス可能かと思います。レスがあまり長くなるのも見ずらいかと思いますので、適宜新規トピックにして入れて頂ければ^^。


 
Re: 悲しみの克服について / 治男 引用
No.1210 2016/09/06(Tue) 14:12:06

本日、お前は詐欺師なのだ。自己中心で全く相手の気持ちも考えない卑怯者だという
言葉が、恋愛相談の様なサイトにありました。これが完全に今の自分に当てはまった。
家族を大切に思わないという気持ちは消せないけれど、相手の女性をもうこれ以上、
というのも長すぎたけれど、これ以上は追わない考えないという事が正常な方法ですね。
自分は卑怯ではない、悪くないという立場で、相手を責めてばかりいた。
自分だったらそんな事はしないし、出来ないという論調です。現に、家族にやっている
のにも関わらずという事ですね。気がついてはいたけれど、悲しくてという言い訳です。
たしかに相手の女性は愚劣・極悪ですが、自分もそれに勝るとも劣らないという事です。
詐欺師と罵倒されるとは思わなかったから、良識ある人から私を見るとそうなると考え
られます。以前にも同様な事・浮気をした事があるので、その時は自分を許せず、兄に
助けてもらった記憶がよみがえりました。うつ病の薬を飲んでなんとなく治りました。
結局、自業自得という事ですね。自分に呆れる思いです。今回は、うつ病にはならない
感じがします。しかし、長かった。幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければ
なりませんね。自分の劣悪さに、今更ながら驚くと共に、ちゃんと離婚し前に進める
という気持ちが沸いてきました。それが本当に自他共に正しいと思えます。


 
Re: 悲しみの克服について / しまの 引用
No.1211 2016/09/06(Tue) 15:24:54

>幸せになる為に本当に心の成長・転換をしなければなりませんね。

「“今”を原点としたスタート」として向かって頂ければ^^。
また具体的取り上げたい場面課題材料等あれば、個別新規トピックなどで入れて頂くとよろしいかと^^。



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